万国公法の受容
19世紀に伝来した万国工法*は東アジア各国の政府から注目を集めた。 万国公法は、中国中心の朝貢ㆍ冊封秩序とは違って、主権国家間の対等な関係を原則に新しい国際秩序の法的根幹を提供したためだ。
清と日本、朝鮮は、万国工法をそれぞれ異なる方式で受け入れた。 清は従来の華夷観を維持したまま、万国工法を西欧列強との外交実務に利用することに止まった。 一方、日本は万国公法を根拠に日清修好条規において清との対等な関係を規定した。 また江華島条約で朝鮮が自主国であることを規定して朝鮮に対する清の影響力を排除しようとした。 朝鮮は万国公法に定められた相互主権保障条項を活用し、国権を維持しようとした。
しかし、万国公法は名分に過ぎず、実際は国家間の利害関係と力に左右されるのが帝国主義時代の国際関係の現実だった。 西欧列強は主権平等の原則を西欧国家間にのみ適用し、非西欧国家を非文明国、野蛮国とみなし不平等な通商条約締結を合理化した。
* 万国公法 国家間の関係を規律する国際法を漢文で翻訳した用語で、対等な主権国家の相互承認によって形成された国際社会において、国家の地位と権利、義務は平等であるというのが核心である。
「万国公法」漢訳本 アメリカ人宣教師ウィリアム·マーティンが1864年アメリカの法学者フィトンの国際法著書である「国際法原理、国際法学史概要添付」を翻訳した本である。
社会進化論の受容
社会進化論*は、19世紀の東アジアに入ってきた西欧思想の一つで、東アジア社会に大きな影響を与えた。 社会進化論は、競争による個人間の不平等を認め、弱者に対する強者の支配を当然視した。 東アジア各国は,こうした社会進化論を「われわれも力を養うべきだ」という自強運動の根拠に変えて受け入れた。 西欧のような近代化を実現するためには国家の利益を最優先にし、愛国心と民族精神を持つよう国民を啓蒙ㆍ統合しなければならないと強調した。
社会進化論は東アジア近代民族主義の胎動にも影響を及ぼした。 日本では西洋の知識人たちによって社会進化論関連の書籍が多数翻訳された。 清では、中国初のイギリス留学生だった厳復が、日清戦争の敗北に衝撃を受け、社会進化論を紹介し、救国の方法を探ろうとした。 その後、社会進化論は梁啓超に影響を与えた。 朝鮮ではユ·ギルジュン(兪吉濬) とユン·チホ(尹致昊) が社会進化論を積極的に受け入れ、朝鮮社会が西欧資本主義を受け入れるべきだと主張した。
しかし社会進化論は強大国の弱小国侵略と支配を合理化する論理に利用された。 社会進化論に基づいた自強論は帝国主義批判を疎かにし、むしろ帝国主義列強を羨望しながらその一員になろうという願いの根拠になった。
特に日本では、一部の自由民権論者が、天賦人権説を捨てて社会進化論を受け入れ、自由民権運動を「妄想」と批判した。 さらに個人は愛国心を持って天皇と国家に忠誠を尽くさなければならないと主張した。 このように社会進化論は国家主義と結合し、日本の帝国主義の膨張を正当化する役割を果たした。
* 社会進化論 イギリスの社会学者ハーバート·スペンサーがダーウィンが主張した生物学的進化論を人間社会に適用した理論で、生存競争と弱肉強食を核心とする。
* 厳復 (1854-1921) 清末の啓蒙思想家でハクスリーの「進化と倫理」を翻訳し、「天演論」というタイトルで出版した。 この本は梁啓超の社会進化論に大きな影響を及ぼした。