信仰と芸術が芽生える

  先史時代の人類は原始的な信仰と芸術活動を通じて安全で豊かな生活を夢見た。 旧石器時代に住んでいた人々は多産、豊穣、狩猟の成功を祈って豊満な女人像を彫刻したり、洞窟の壁に牛や鹿などの絵を描いたりもした。
  韓半島(朝鮮半島)の代表的な旧石器遺跡である公州·石莊里(コンジュ·ソクジャンリ)と丹陽·垂楊介(タニャン·スヤンゲ)遺跡からは鯨や魚などが刻まれた彫刻が発見され、清州·トゥルボン洞窟からは人の顔が刻まれた鹿骨が発見された。 このような芸術品には、獲物の繁盛と安全を祈願する呪術的な意味が込められている。
  新石器時代に農耕が生活において重要な部分を占めるようになると、人々は太陽、風、雨など天気に関わる自然現象を重要視した。 そうして自然現象や自然物に精霊がいると信じるアニミズムが生まれた。 また、特定の動植物を崇拝するトーテミズム、市子の呪術的力を信じるシャマニズムなどが登場した。 この時期の女人像とイノシシの彫刻品は多産と豊穣を祈願して作られ、顔の形の仮面は神の姿を形象化したものと思われる。
  先史時代には原始信仰と関連して岩絵があちこちで作られた。 多様な動物や人物、生活の様子が刻まれた蔚州·大谷里(ウルジュ·テゴクリ)盤亀台岩刻画や、太陽を象徴する同心円のような幾何学的な模様が刻まれた高霊場基里(コリョン·チャンギリ)岩刻画などが代表的だ。

 

蔚州·大谷里(ウルジュ·テゴクリ)盤亀台岩刻画

 

建国物語に宿る天神信仰
  古代社会では原始的な信仰に基づき、すべての神の中で天の神が最高の神だと信じて崇拝する天神信仰が定着した。 天神信仰は古代社会に新しく登場した支配層が被支配層や新しく服属させた地域に対する統治を正当化する論理として利用された。 これは檀君の建国物語をはじめとする様々な建国説話において、建国の始祖が天から直接降りてきたり天から降りてきた者の子孫として表現されている点からもよく分かる。
  檀君の建国物語によると、古朝鮮を建てた檀君は神桓因の息子である桓雄と熊が変わった熊女の結合で誕生した。 これにより婚姻による部族間の結合により連盟体が形成されたことと、古朝鮮の建国始祖を天神の子孫として神聖化していることが分かる。
  高句麗の朱蒙は天帝の息子解慕漱と江の神河伯の娘柳花の間に生まれた卵から生まれた。 新羅の朴赫居世は馬という媒介物を通じて天から降ってきた卵から生まれた。 伽耶の金首露は新羅の朴赫居世と似た卵から生まれたが、媒介物が天から降りてきた縄であった。 これらは出生過程に若干の差はあるが、すべて卵から生まれており、その源泉を天に置いている。 これは朱蒙、朴赫居世、金首露いずれも天神の後身として神聖化していることを示している。
  三国の王室は自分たちが天神の血を引く選ばれた存在であることを掲げ、支配を合理化した。 しかし、このような主張は、征服された勢力の自発的な忠誠を引き出すことが難しかった。 また貴族の一部も自らを天神の末裔だと考えたので天神信仰で王権を高めるには限界があった。 このような理由で三国は中央集権国家へと発展する過程で地方勢力を包容し王権を強化するため仏教受容に関心を持つようになった。

 

思考を育てる歴史を読む : 様々な国の祭天行事を通じて見た天神信仰
  豊穣を祈願して天を祭る祭天行事は天神信仰をよく示すもう一つの事例である。 扶余では迎鼓、高句麗では東盟、東濊では舞天という祭天行事が行われた。 三韓でも5月と10月に天に祭祀が行われた。
  このような祭天行事は、国の発展を祈願し、歌や踊りを楽しむ盛大な祭りでもあった。 つまり、各国は祭天行事を通じて豊饒を祈願しただけでなく、構成員の葛藤を緩和し、紐帯関係を持ち、国の統合を強化しようとした。

 

国東大穴(中国吉林省集安) 国内城東にある洞窟で、高句麗の人々が天に祭祀を行ったと伝えられている場所だ。