新石器時代の社会変化

  新石器人は石を研ぎ石矢、磨り石と石板など様々な磨製石器を製作して使用した。 骨の針を利用して生地と網を作り、土器を製作して使用した。 土器は最初は料理をする道具として作られたが、その後、貯蔵用道具や儀礼用道具としても使用された。

  新石器人は狩猟や採集の他にも農耕や牧畜生活を始めた。 川辺や丘陵地帯でアワㆍキビㆍ小麦ㆍ麦などの作物を栽培し、羊ㆍ牛ㆍ豚などの家畜を育てた。

 農耕を始め、定着生活を始めると、新石器人の住居の様子も変わった。 新石器人は大きな川や海岸沿いを中心に村を形成した。 彼らは主に竪穴式住居を建てたが、竪穴式住居は円形または四角形に地面を掘って周りに柱を立てて造った半地下の家屋だった。 一方、長江以南地域では木の柱で基礎を建て、地面から浮かべた古床家屋が造られることもあった。

  農耕と牧畜の発展は人口増加と社会的分業をもたらした。 このような社会変化の中で、構成員間の葛藤が増え、葛藤を調整して仲裁する部族長の権限が少しずつ強くなってきた。 一方、新石器人は自然現象や祖先の神を祀る共同祭祀儀式を行うこともあった。

 

東アジア各地域の新石器文化

  黄河江、長江、遼河江流域、韓半島と日本列島など多くの地域で起源と系統の異なる新石器文化が発達した。

 

楊暁文化(ヤンシャオ文化) : 黄河江中流地域で紀元前5000年頃、彩度を使う楊暁文化が始まった。 彩度に豊かさと繁栄を祈願し、人面文、魚面文などを描き入れた。

大円口文化 : 黄河江下流地域では白島以外にも前期には紅島、後期には黒島を使う大園口文化が発展した。

龍山文化 : 楊暁文化と大園口文化に続き、二つの文化をまたいだ龍山文化が黄河江下流地域で発展した。 黒道が主に用いられ、回転板が用いられ、土器が作られた。 祭祀用と考えられる土器を作ったりもした。

紅山文化 : 遼河江流域の紅山文化では彩度をはじめとする様々な土器や龍の形をした玉器など洗練された玉器が大量に出土された。

虚無頭文化 : 長江下流地域では紀元前5000年頃から稲作を基盤にした虚無頭文化が発展した。 この地域では黒島、回島などが作られた。

韓半島の新石器文化 : 新石器時代初期には、無文土器と上文土器が製作され使用された。その後、満州を含む広い地域で櫛目文土器が作られた。 韓半島の新石器人は石畳などでイシモチやキビを栽培し、狩りや漁労活動から食糧を得た。

縄文文化 : 日本列島の新石器文化は縄文土器が特徴的だ。 縄文土器という名前は、土器の表面に縄文が刻まれたという意味で付けられた。 縄文時代の人々は農耕よりは狩猟や採集、漁労生活をしながら川辺や海辺に穴蔵を建てて暮らした。

 

 

楊暁文化の彩陶

 

左から楊暁文化の彩陶、大円口文化の三本足の白陶やかん、龍山文化の黒陶、紅山文化の龍の形の玉器、虚無頭文化の豚の絵土器、韓半島地域の櫛目文土器、縄文文化の縄文土器