[A] Across The Universe -60ページ目

特別先行予約

新聞の一般紙ではテレビ欄の手前のページは社会欄。その下段部分には企業からの告知やら葬儀のお知らせやら、コンサートのチケットの宣伝やらミュージカルの宣伝がある。特にコンサートは好きなので、いつも告知をじっくり見てしまう。

少し古いが先週金曜日、朝日新聞の大塚愛のチケット告知、ひどくね?
市原、東京厚生年金、渋公のチケットの「特別先行予約受付中」ときた。
全国紙に告知してる時点で「特別」でもなければ「先行」でもないだろ。
それとも何だ、朝日読者だけに「特別」で他紙より「先行」しているのか?
ちなみに、私が敬愛するブラックジャック先生のエンディングを歌っている大塚愛にケチをつけるつもりはまったくない。たまに「恋しくて~」とか歌ってしまうくらいだし。しかし、別にチケットが買いたかったわけではない。「先行特別予約」には非常にイヤな経験があるのだ。

というのも、98年に「特別先行予約」で入手したのストーンズの東京ドームのチケット。会場に行くと席はスタンドの一番後ろ。スクリーンがなければ、誰だか確認不能。その後やはり「先行予約」で、サザンの初東京ドーム公演のチケットゲット。しかし席はステージから一番遠い2階席の一番前。一番前だが一番距離が遠いし、スクリーンに映らなければ原坊がどこにいるか確認不能。
そのくせ、席を気にしないでとった東京フォーラムのケニーGが前から5列目だったり、オーチャード・ホールの熱帯JAZZ楽団が前から7列目だったりするのだ・・・意味ない。
チケットというよりは「東京ドーム」がコンサートに向いていないんだね。音響ひどすぎるし。

きっと渋公なら一番後ろでも堪能できるだろう。
でもやっぱり「特別先行予約」はひどくね?



アーティスト: 大塚愛
タイトル: 黒毛和牛上塩タン焼680円

梨木香歩



著者: 梨木 香歩
タイトル: 西の魔女が死んだ



また気になる作家と出会ってしまった。
梨木香歩。

先月、いつものごとく本屋をブラついていると、文庫本コーナーに「新潮文庫読者アンケート第1位」の赤い帯。「西の魔女が死んだ 梨木香歩」ん、梨木香歩?知らない作家だけど、1位になるくらいだから読んでみようかと軽い気持ちで他の新書などと一緒に買ってみた。それでもあまり興味がなかったので読むのが後回しになってしまう。やっと今月に入ってから通勤電車の中で読み始めた。淡々とストーリーは展開する。これといって読者をひきつけるイベントがあるわけでもない。薄い小説なので帰りの電車で読み終わりそうな最後の2ページ程。

見事にヤラれた。
電車の中で立ったままジンワリしてしまった。何と言えば良いのだろう、心の柔らかいところを、ギュッと掴まれるのではなく、優しくさすられるような感覚。読後感は非常に爽やか。
早速次の日、新潮文庫の「裏庭」「からくりからくさ」「りかさん」「エンジェル エンジェル エンジェル」を購入し、次から次へと読み進む。

なんで今まで梨木香歩を知らなかったんだろう。
この人はすごい。

ファンタジーなのだが、読者を試すかのような抽象性。それでいて、心の柔らかいところを刺激するストーリー。綺麗な言葉。何度も読み返したくなる作品ばかりである。

なんとか一ヶ月

娘が退院して、1ヶ月以上経った。
先月の15日退院なので、正確には1ヶ月と4日。
一日一日は長いけど、1ヶ月は短かったような。

退院後の最初の2週間はそれはそれは大変な気の遣いようで、娘の後ろを親がついて歩いているような状況だった。そして、3日おきくらいにお腹が痛くなってハラハラして。実際はハラハラどころではなく、胃がキリキリ痛くなるような状況だったのだが。
私も毎日仕事を早めに切り上げて帰って、一刻も早く娘の顔を見なければ安心できない心境だった。
ただ、私が早く帰るといろいろ細かく気にしすぎて娘の精神衛生上よくないかも・・・と自覚して、最近はあまり早く帰り過ぎないようにしている。腸閉塞は精神的なものが影響する事もあるので。だから、水をいつ何ml飲んだか、食事は何時に何をどれくらい食べたか。トイレにはいつ行って、今の状況はどうか、などと医者のように私が質問攻めにしてはよろしくないのだ。
だから、早くかえりたいのを我慢して少し長めに仕事したりなんかして(笑)

この2週間はなんとか順調で、今週から学校も午後まで行っている。ただし、お昼はみんなと同じ給食じゃなくて、手作りの消化に良い食物ばかりのお弁当。

よかった、体重が年末の15Kgから18Kgに増えた。
みなさんのおかげ様です。
ありがとうございます。

効率的な酔い方について

会社帰りにビールを1杯ひっかけて、ふと時計を見る。おっ、走れば快速に間に合うかもしれない。各駅停車との差は3分だから慌てなくても良いのだが、その3分のために改札口まで駆ける。たった1杯のビールだが、血行が良くなって頭の血管がドクドク言っている。

この感じ、前にもあったよな。
快速電車の吊革につかまりながら記憶を呼び起こす。
おお、そうだ学生時代、それも下宿にいた1年の頃だ。

家からの仕送りから下宿代をひくと、手元には1ヵ月3万円近くが残る。親元離れて1年目、勉学に励むつもりでバイトもろくにしていないから、いつも金欠状態。仕送りが来るとまず、レコードを仕入れて、読みたかった本を仕入れて、焼肉食いに行って…すると、ほぼ1ヵ月を残して既にフトコロはかなり寂しい状況に陥る。それでも下宿だから仲間で毎晩のように夜は誰かの部屋に集まって飲む。みんな同じような状況にあるから、酒は大抵ペットボトルの大きな焼酎だ。月末が近づくと、まず飲むときの「つまみ」が寂しくなる。始めのうちは、さきいかやポテトチップスだったものが、キャベツと塩こしょうになり、ついにはただの塩こしょうをなめることになる。つまみだけなら良いが、酒がなくなってくると少量で最大の効果を得る為に、まず1杯飲むと下宿の周りをダッシュするのだ。たしかに飲んですぐ走ると、酔いが回る。それもすごい勢いで。確かに効率的な酔い方だった。そんなことをやりながら、貧乏だけど1年の頃は楽しく過ごしていた。2年になってからはバイトを始めたし、アパートで一人暮らしを始めたから飲んで走ることもなくなった。あの頃は二日酔いもしたことなかったな。

気付けばあの頃から倍の時間の人生を過ごしてきたんだ。
確実に言えることは、酒が弱くなったこと、くらいかな。

Ain’t No Mountain High Enough

アーティスト: Marvin Gaye タイトル: The Very Best of Marvin Gaye [Motown 2001]

年末年始、シビアな精神状態の時に聞いていたのがマーヴィン・ゲイのこのアルバム。数ある彼のベストアルバムの中でこのアルバムがお気に入りな理由は、タミー・テレルとのデュエットが収録されているから。「Ain’t No Mountain High Enough」という曲を聴くと元気が沸いてくるのだ。

この曲は、数年前にジュリア・ロバーツとスーザン・サランドンの「グッドナイト・ムーン」という映画の中で頻繁に彼女達が歌っていた曲だ(しかし、映画の原題がStepmomだったのには驚いた。邦題も良く考えたな)。映画の方はそれなりに泣ける内容でしたが、というか、この曲が使われてなければヒドいことになっていたかもしれない。それより私はこの曲を入手しようと探しまくった。近所や勤務先の近くのCD屋に行っても該当するCDがなく、amazonでやっと見つけて入手したのがこのアルバム。タミー・テレルという歌手も知らなかったが、マーヴィンにはいろんな意味で大きな影響を与えた歌手だったらしい。この曲がヒットしたのが1967年。タミー・テレルが24歳で脳腫瘍でこの世を去るのが1970 年。マーヴィンは妻ある身ながらタミーの死を嘆き悲しみ、しばらくのブランクの後、「What’s Going On」が完成する。

Ain’t No Mountain High Enough
Ain’t No Valley Low Enough
Ain’t No River Wide Enough


アルバム1曲目の「Stubborn Kind of Fellow」はトータス松本がカバーしていて、車のCMにも使われている曲だ。いや驚いた。トータス松本はウマいね。きっと心でソウルを理解してるんだ。ウルフルズ、あなどれない。

悪いのは誰だ

「8時だよ!全員集合」、「オレたち、ひょうきん族」
私が子供の頃、親や先生が見せたくない番組のベスト1、2だった。私は両方の番組とも楽しんで見ながら大きくなったが、多少性格がゆがんでいることを除いては普通の大人になった(と思う)。食べ物を粗末にする、下品な言葉を使う。TVで見なくたって所詮子供なんてそんなものだ。志村のマネしなくても勝手に替え歌作るし、口から牛乳だってこぼす。
調べてみたところ、最近は「ロンドンハーツ」らしい。


この頃、子供の前でニュースを見るのを躊躇するようになった。ほとんど毎日、殺人事件のニュースから始まるのが耐えられなくなってきた。昔は殺人事件なんて大ニュースだった。今の子供たちは、毎日このようなニュースに触れなくてはならない。親が子供を殺した、子供が大人を殺した、子供が子供を殺した。なんだい?日本は同じ民族同士で毎日殺し合いやっとるのか。
おまけに小学生の14%は「人間は死んでも生き返る」と思っているという、アンケート結果が出ている。
殺人事件の報道がされても、その後人間は生き返ると思っているのだろうか。


昨年、NHKで村上龍がこんな内容のことを言っていた。
「社会の中で、子供だけがおかしくなるはずがない」

いろんなことを考えた(2)

今回に限らず、生まれた時から娘の入院は長期にわたることが多いため、病院で親しくなるご家族の方も、同じくお子さんの病状が軽くない方が多い。
不思議なもので長く入院していると病院内での人間関係がノーマルに思えてきて、そんな状況というのはお互いに傷を舐めあっている、閉ざされた社会が成立している訳で、外界の刺激が苦痛に感じてしまうくらいの言ってみれば隔離された状況にある。付き添っている親も院内で食事を済ませてしまうと、一歩も外に出ない世捨て人に近い状態になる。そのような中で知り合いになった親御さんというのは、お互い家族に近い心理状態になってしまうことが多く、精神的に頼れる存在になる。あの感覚は、重い病気の子供を持つ親以外には感じられない感覚かもしれない。

そんな頼りになる入院仲間ではあるのだが、外界の普段の生活で私の周囲に普段そのような方がいないために余計に感じるのかもしれないが、お子さんが長期入院されているご家族には、ネットワーク・ビジネス(いわゆるAm○○○とか、その他色々)をバリバリ頑張っている方や、新興宗教をすすめてくる方が多い。
ネットワーク・ビジネスであればまずは健康食品。健康食品から始まって、その他色々発展。新興宗教は、ご想像通り「この間初めてお参りに行ったら、今まで治らなかったのに不思議と治ったんです」と言うのがほとんど。

かく言う私も無宗教と言いながら、溝の口の身代り不動様には毎年お参りしている。
8年以上前、子供が生まれた翌日に緊急手術となったのだが、中野に住んでいるおばが身代り不動様に行ってお札をもらってきてくれたのだ。その日の手術は成功し、それ以来毎年欠かさずお参りに行き、お札をもらってきている。今回の入院でも毎日お祈りしていた。

だから余計によくわかるのです。
「うちがよくなったからここにお参りに行ってみなよ」
「このサプリメント、半年飲んだら発作がピタリと止まったんだから」
そうだな、いろいろやってみよう。娘が元気になるんだったらなんでもやれる範囲で試してみようか。

その一方で、冷静に自分の心に語りかける自分がいるのです。

「お前、全部の神様に毎日祈るつもりか?」
「サプリメント、それって本人が本気で信じればどんな病気でも効くんだよ。ほら、普通の薬だってプラセボ(偽薬)だけで治ってしまう人が「すごい比率で」いるんだからさ。世の中の科学者の中には、所詮薬なんて全てプラセボ効果だと言い切る奴もいるんだから」

だから、私は娘にいつか判断力がついて、信じられる宗教や食品ができた場合には協力するでしょう。本人が良いと思うものは一定の確率で体に良い影響を与えるのですから。これは科学的に正しいことですから。

ああ、でもわからないな。切羽つまったら親として出来る限りの全てのことをするかも。

中途半端な記事になった。
とにかく、そういったいろんな思いを心で理解できたり、理論的に批判できたりするのだ。
ああ、鬱陶しいな、自分!

いろんなことを考えた

娘は結局12月に4日間だけ退院したのを除けば、丸2ヶ月間入院した。その間、親としては不安に押しつぶされそうになりながらも、セローさんがおっしゃったように「にもかかわらず笑う」ことを心がけていた。というより、娘に笑ってもらえるように頑張っていた。全然似てないけど、先生の物まねをしてみたり。

でも心の中では、「娘を助けてください、私の命を削っていただいてかまいません」と祈っていた。

命をささげても構わない=娘が助かるなら私は死んでもいい

自分が死んでもいいと思うくらいに祈っているのに、この心の底から湧きあがる不安は何だ。娘が苦しんでいるのを見るのが忍びない、最悪の展開を想像してしまうのが恐いからか。忍びないのも、恐いのも結局自分ではないか。では俺は自分の為に祈っているのか。いや、そうではない、間違いなく娘の為に祈っているのだ。

そんな時、タイムリーに恋ヶ窪さんの1/17の記事を読んでふと気づく(恋ヶ窪さんの記事は自由についてですが)。
なんだ、俺もエゴイストか。

いや違う。エゴイストには違いないが、私が求めていたのは私の死を担保とした、娘の生である。だから、娘の治癒が保証されないのであれば私の死は意味がないのだ。だから死んでもいいと思っても不安になるのだ。
だから、死神がやってきて、
「お前の命はもらった。娘はあと30年は確実に生かしてやろう。その代わりお前は1週間後に死ぬ。」
と宣告されるのであればそれほど不安にならないのかもしれない。


いやいや、そもそもそんなことを考える事自体間違いないのであって、不安にならないような気持ちの持ち方をしなければならないのだ。考え方がマイナスすぎる。

「自分はツイてる」、「娘もツイてる」と心から信じていればおのずと幸運はやってくる。



などといろいろ考えながら、でも毎日寝る前にはやっぱり「私の命を娘に分けてあげてください」と祈ってしまうのである。

復帰します。

久しぶりの更新です。

娘は1月15日に退院して2週間以上経ちました。

これまで3度ほど腹痛になりハラハラしましたが、お腹を使い捨てカイロで温めると良くなるようで、病院には行かずに済んでいます。食事は指導されているわけではありませんが、なるべく消化のよいものしか食べさせてません。なにせ、次になったら手術と言われてますから・・・
先週から一日一時間だけですが学校にも行き始めました。今日は朝から2時間行って来たようです。

何事もない普通の毎日が幸せです。
普通にご飯を食べられるという事がどれだけ大切な事か、娘を見ていて思い知らされます。IVH(中心静脈)である程度の栄養はとれますが、口からの摂取にはかないませんから。


毎日ハラハラするのをそろそろ止めて、ぼちぼちブログでも始めようと思います。
ぼちぼち・・・ですけど。


心配していただいた皆様、ありがとうございます。


とにかく、全てのことに感謝いたします。
ありがとうございます。

去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの

遅めのあけましておめでとうございます、です。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
今年、私は年男です。
今年は良い年になって欲しいと願います。

私はタイトル通り、去年と今年の区別なく病院で過ごしました。
明日から出勤ですが、わが家族の生活はまさに高浜虚子の歌通りとなっています。
歌合戦も、K1もなく淡々と8時消灯、7時朝食の規則正しい生活です。

娘は12月半ばに再入院してからもう一度イレウスになり、主治医からクリスマスイブに緊急手術の打診を受けましたが、夫婦で話し合い、もう一度だけ保存的な治療を施す事に決めました。
結果、担当医はこれまでの泌尿器科から外科に変わり、イレウス管を入れ、慎重に慎重に三分粥を食べています。

娘の場合、普通の腸閉塞の手術では済まない為、親としても慎重に決断しました。
毎日毎日、祈りつづけています。
禁煙なんて論外だった私がタバコをやめてしまうくらいに・・・

大好きな音楽も色々考えると聞けなくなってしまいました。
Jazzも平井堅も思いが溢れてきて聞けません。
唯一気持ちを刺激しないのがMarvin Gayeでした。

Micaさん、恋ヶ窪さん、セローさん、みきさん、Voxyさん、コメントありがとうございます。
まずはお礼まで。
落ち着くまでにはまだ時間がかかりそうなのです。
またしばらく休みます。
ごめんなさい。