作詞家の三浦徳子(みうらよしこ)さんが
亡くなられたと報道で耳にした。
心よりお悔やみ申し上げます。

これで初期の松田聖子の曲を支えた
三浦徳子と小田裕一郎、
二人ともいなくなってしまった。
 

風は秋色  松田聖子 

三浦徳子と小田裕一郎のコンビによる
松田聖子への3枚目のシングルであり
最後のシングルA面曲。

松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」も
大ヒットした2ndシングル「青い珊瑚礁」も
このコンビの作詞/作曲だ。

僕が持っている
シングル「風は秋色」は青レーベル。
初回プレス品だ。

あぁ、この頃はよかったなぁ。

「青い珊瑚礁」の二番煎じと言われようと
リリース前にラジオで聴いた時から
ヒットを確信する曲だった。

実際「風は秋色」で
松田聖子は初のオリコン1位になる。
大きな意外性はなかったが
完成された曲だった。

「泣き虫なのはあなたのせいよ」

泣いても涙が出ない聖子とか、
ウソ泣き聖子とか、

バッシングもあったっけ。

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デビュー曲「裸足の季節」から、
この三浦/小田による曲は、
同期のアイドルが歌っている
「アイドル歌謡曲」より、
もっと跳ねた
「アイドルポップ」という感じだった。

松田聖子の1stアルバム「SQUALL」は、
夏のコンセプトアルバム。
2ndアルバム「North Wind」は、
冬のコンセプトアルバム。

この2枚のアルバムも
ほぼ全曲、この二人による曲。
(「Eighteen」のみ平尾昌晃作曲)

2ndアルバム「North Wind」では
曲のマンネリ化も懸念されたが、
三浦徳子と小田裕一郎は
見事にその不安を打ち消し、


アイドルポップで、
しっかりしたコンセプトアルバムが
作れることを証明してみせたのも
この二人だった。


松田聖子がブレイクしたのも
彼らあってこそだった。

だが、その二人のコンビの曲も
4thシングルでB面曲(「少しずつ春」)
となってしまい、

3rdアルバム「Silhouette」では、
半分の曲が財津和夫の作曲に変わり、
作詞に松本隆が加わり、

このアルバムを最後に
三浦徳子と小田裕一郎は
松田聖子から離れる。
1981年5月のことだった。

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三浦徳子は"曲先"で仕事をしていた。
先に出来ている曲に歌詞をつけていくスタイル。

メロディーが望んでいる言葉を
そのとき思いつくかどうか、それだけなんですよ。
メロディーに触発されるというか。
「自分が作った」という感じはあまりないんです。
「やって来る」というか


「裸足の季節」はどうだったのかな…
小田さんの歌っているメロディーを

渡されたと思う。
初めのころの聖子ちゃんは、
小田裕一郎の歌い方にそっくりなんですよ。
彼がレッスンをしているから。
小田さんはおおらかな人だったから、
その感じが出ていると思います。


三浦徳子が書いた松田聖子の歌は、
大人しい受け身の女の子の歌が多い、と言われ
三浦はちょっと毒入り?でこう答えている。

彼女がそういう年齢だったからでしょうね。
松本隆さんが作詞するようになってから、
変わりましたもんね。

積極的というか、男の人の気を引くような

フレーズが増えたと思う。

だから、ああいう性格に

なっていったんじゃないかな。

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1982年の松田聖子の10thシングル
「小麦色のマーメイド」。
この曲の作詞は松本隆だったが、

僕は再び三浦徳子に遭遇する。

そう、ちょっと浮気して買った
同じ日にリリースされた
坂上とし恵の「き・い・てMY LOVE」。

この曲の作詞が三浦徳子だったのだ。

 

 

三浦徳子さん、数々の素晴らしい作詞、
ありがとうございました。

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以下は三浦徳子/小田裕一郎による

松田聖子の曲の過去記事です。