去る5月25日(土)(仮称)歴史散歩サークルの散歩である「渋沢の山へ(浅草~上野~谷中散歩)」に参加してまいりました。

この散歩の主催は私ではなく、別の方(KNさんとしておきます)で、私はサポートに徹します。

 

午前中は浅草を歩きました

午後は上野駅からスタート。

 

 

いよいよ最終回です。

谷中霊園内に入り、まずは徳川慶喜家の墓へ。

 

慶喜は本来であれば寛永寺に葬られるはずなのですが。

彼は、神式で葬られたいがゆえに、この霊園に墓地があります。

徳川宗家は慶喜ではなく、昭武の家になるので、事実上別家扱いなのです。

慶喜については色々な評価があります。

自ら幕府を終焉させ、薩長主導の新政府軍にあっという間に尻尾をまいて逃げ出し恭順した姿勢は、今も厳しい評価がありますが。

裏を返せば、政権を投げ出してでも新たな世の幕開けに貢献したという見方もあります。

政治的な天才であったことは事実で、それがゆえに薩長側(西郷など)は、「何が何でも慶喜を倒さねば!」と焦って、鳥羽伏見合戦を引き起こしたとされます。或る意味一か八かの大博打でしたが、それに成功しちゃったもんで「まさか、あれよあれよと新政府樹立に」といった感じだったのかもしれません。

 

慶喜は多種多芸なので、隠居後も一日も退屈せず過ごせたといいますよね。

 

そして、今回の散歩のメインの渋沢家のお墓です。

「渋沢の山」という散歩のタイトルは、このお墓に込められているといっても過言ではない。

渋沢栄一を真ん中に、孫の渋沢敬三、息子の篤次、その他一族の方のお墓が。

 

こちらは渋沢栄一翁のお墓。

こちらは孫の敬三さんと奥様の登喜子さんのお墓。

 

こちらは・・・忘れた、すみません(-_-;)

さて、このお墓が誰でも入れるようになっていることに気が付くかと思います。

これは、今の渋沢家の方々の意向のようです。

 

現渋沢家の当主は、渋沢雅英さんになります。

御年97歳とご高齢でいらっしゃいます。

その跡を継いだのが息子さんである雅明さんですが、2016年に他界。

現存する当主の資格がある方が、雅明さんのお姉さま(つまり雅英さんの娘さん)の田鶴子さんです。

この方は、ニューヨーク大学やコロンビア大学の准教授をされた方で、教育者の道を歩んだ方です。

主宰されたKNさんによると、このお墓をオープンスペース的な格好にしたのは、田鶴子さんの意向だそうです。

つまり、このお墓を「私の代で墓じまいにする」「渋沢家をこの代で終わりにする」意向ではないかと。

渋沢家が身を張ってでも、家の繁栄などよりも大切なことがある、ということを渋沢家の遺訓として伝えていきたいということかもしれませんね。

家を継ぐ事に恋々とするどっかの政治家に聞かせたいです。

 

この渋沢田鶴子さんは、自分の携帯電話番号を誰でもわかるようにして、「何か相談があれば連絡ください」としているそうです。

知り合い、知人友人ではない見知らぬ人にもそういう態度で接しているとのこと。

世の中をよくしていきたい、世の為になりたい、そういう思考なのでしょう。

 

余談ですが、主宰のKNさんが上記の話をしたら、とある参加者さんが「田鶴子さん、暇になったんですね」とすげー発言が💦

時間的余裕は昔よりできたかもしれないけど、暇だからって…(笑)

こういう凄い発言が出たところで、日暮里駅で散歩終了です。

打ち上げも無事終了!

お疲れ様でした~!

(日時指定投稿です)