去る5月25日(土)(仮称)歴史散歩サークルの散歩である「渋沢の山へ(浅草~上野~谷中散歩)」に参加してまいりました。

この散歩の主催は私ではなく、別の方(KNさんとしておきます)で、私はサポートに徹します。

 

浅草の文化センター集合が朝10時でした。

朝10時から途中休憩をはさんで、午後6時近くまでのロングラン散歩でした。

この散歩のタイトルの「渋沢の山」というのは、浅草・上野・谷中一帯は、渋沢栄一と深くかかわった施設や史跡が数多くあります。KNさんは、その点を実に詳細に調べ上げ、紹介されました。

 

まずは雷門から。

大勢の人で賑わいます!

この雷門、造られたのは意外にも昭和に入ってからと古いのです。

この現在の雷門を築いたのは「松下幸之助」。

一度焼失したものを昭和に入って再建したものです。

松下が寄進したことがここを見るとよくわかります。

 

ここから仲見世を通りますが、人が実に多~い( ゚Д゚)

 

浅草寺の山門へ。

 

実はこの浅草寺、渋沢栄一が若いころ(江戸に出てきたころ?)一番最初に異人(外国人・西洋人)を見た場所だったそうです。

それを見た渋沢は、「斬りかかってやりたい!」と思ったそうです。

当時の渋沢は尊皇攘夷の思想でしたが。

明治に入り渋沢は思想を大きく変更し、1893年には日本初のインバウンド社を創設。

今のJTBの前身だったようですが、異人嫌いだった渋沢は、逆に異国との積極的な交流をするように思想を変えていくのです。

 

晩年、渋沢は浅草寺の信徒総代となり、献金などをしています。

東京最大級の寺院である浅草寺にも、渋沢は貢献しているのですね。

 

ここで私は、抹茶ソフトを食べる。

朝飯食ってなかったんでね!(笑)

この浅草寺の裏手にある、市川團十郎の像。

この像の建立にも、渋沢は献金・貢献しています。

そして、この方は瓜生岩子さんという方の像。

日本初の女性の像だそうです。

会津戦争で傷ついた人を助けるなどされた、日本のナイチンゲールと言われた偉人。

会津の女性というと、新島八重を思い浮かべますが。

この方も絶対に忘れてはいけない。 

渋沢栄一もこの像の建立に寄与しています。

 

こんな各映画会社の社長の面々が。

 

続いて、ここも渋沢と関係が深い東本願寺。

 

渋沢栄一本人というよりも、その親戚の喜作などが彰義隊を結成した場所です。

彰義隊は渋沢栄一本人は加入していません。

渋沢は当時フランスに滞在~帰国の途についていた時です。

しかし、お寺の中にはなぜか「彰義隊結成」の碑とか案内はありません。

何か都合でも悪いのだろうか・・・。

 

さらに上野方面に歩くと、「永昌寺」に差し掛かります。

 

ここは、嘉納治五郎が講道館を開いた場所。

この嘉納とも渋沢は関係が深く。

嘉納が通っていた学校で渋沢が講師をしており。

その渋沢の子息(孫の敬三など)は、嘉納が教鞭をとっていたということです。

いだてんの重要人物だった嘉納と、青天をつけの主役の渋沢が、ここで深い交わりがあったというのは、日本の近代史にとっても大きな意義があったような気がします。

なんか感慨深いな・・・。

 

その後下谷神社へ。

 

 

 

 

日本の寄席の発祥地と言われています。

そして上野駅に差し掛かり・・・。

 

岩倉高校に。

 

1984年選抜大会初出場初優勝の快挙を成し遂げた名門高校。

あのKKコンビのいたPLを倒した高校です。

元は鉄道の高校として、岩倉具視の子息が築いたとされてます。

渋沢もこの高校の創立に関係があったようです。

午前中の散歩はここで終了。

 

午後も続きます。

(日時指定投稿です)