題名を書いて思えば、まだ二日目だったのだ。
すでに数日が経った感がある。
ご存じの方も多い通り、
【氣道の学校】とは、
【体の学校】~【心の学校】(夢の学校)~【心の学校】advance(=「空の学校)
の総称。
それを年間3回(今年は10月もあるので4回)行っている。
“氣道”の接心である。
それにより、
・・というか、これらの講座(最後の【心の学校】advance(=「空の学校))
によってしか得られないことが数多い。
健康、幸せ、豊さ、明るさ、能力開発、軽さ、自己実現、夢実現、
・・ともかく『すべて』である。
大言壮語と思われるかもしれないが、それは事実だろう。
だからこそ、
この【氣道の学校】は“氣道”という「生き生きとした禅」
を学ぶ直球の連日講座(接心)だと何度も申し上げている。
(そして、それが大言壮語であったら個人的に返金するとも書いた)
その二日目が今日。
昨日が【体の学校】。
今日からは【心の学校】(=【夢の学校】)だった。
今回は参加者が7月の滝行同様少なく、
その意味では参加者にとっては最高ともいえる場かもしれない。
(多くの参加者がいらしたほうが進行する場合もあるが、
特に【心の学校】advance(=「空の学校)に進まれる方にとってはそうだろう)
参加者のMさん、さまざまな疑問もあるようだが、
それらをきちんと整理され、きちんと伝えてくれる。
それは元々持っているリソース。
そして、それが引き出せていることは潜在意識レベル否それを越えて
タオの方向に繋がり初めている証拠。
今回の参加までの経緯は私としては数年前からに及ぶ。
その経緯を鑑みるにも、最高のタイミングで受講され、
そして今現在、すでに彼女の潜在意識が予定したからこその受講目的が完成しつつある
ことを今日も昨日も実感する。
長くなったのでその後は短めにするが、
Dさん。
今までの自分とは違う考え方、感じ方の部分を整理しようとしているが、
ともかく、現在行われている「ただ今の生くる」ということに照準を合わせたく、
この講座の流れにコミットして下さっていることが嬉しく、それでいい。
Wさん。
明日の【心の学校】(=【夢の学校】)までの参加であるが、
ご自身の潜在意識の要求に従って、忙しい中に今回の参加を決心したように、
生れてくる様々なことはあるが、
それを流れに沿って対処している。
明日で今回の場合は終了であるが、それ以降の生活が楽しみである。
Rさん。
やはり再受講の方は違う。
そして再受講の方がいらっしゃると、
その雰囲気、それこそ“氣”によって、周囲の方にも影響がある。
それは集団で座禅、瞑想をする意義と同様である。
口では、そして体も、大きな打撲による骨折、その痛みもあるが、
潜在意識レベルでは違う。
その答えは控えるにせよ、ほんとうに真っ直ぐに空に向かう姿は、
少なくとも指導する私たちの立場からすると、
今回の【氣道の学校】においてはかけがいのない存在になっている。
Sさん。
それぞれのワークに対して、心をopenにし、
そして素直に驚き、そして心晴れて感動する姿は見ていても嬉しく、
なるほどSさんはこうして一つ一つ着実に潜在意識レベルで身に付けられていたのだな、
と感じ入った。
最後にTさんだが、
この方も上記二人と同様再受講なのだが、
いやいや、大変残念である。
快医学の診断でも、全身に寄生虫がいることが判明され、
そしてそれも数ヶ月たった今も飼っている。
その寄生虫の姿が蛭に酷似するため、「ヒル君」というあだ名まで付けられてしまった。
最も間際になっての申込みであったのだが、(昨日!)
それを却下できなかった晶ちゃんの責任もあるのだが、
まぁ、彼が全身、寄生虫まみれとかが知らなかったために、
今回の受講生として認められてしまった。
上記の冗談が長くなったが、
さすがに源(空・本源・タオ)という“ほんとうの私”に戻れた方は違う。
いじわるで、今日も(いつもだが・・)いじってしまって、
受講生であるのにTさんをモデルにして
『言霊法』のデモを行ったのであるが、
コーチ役である私の観察以上に彼は出来ていらっしゃった。
(ちなみに「泣く」というような『言葉』を『言霊』にするワークであったが、
彼は実際に泣いていたのであった)
上記に「いやいや、大変残念である」とギャグで書いたのは、
一つの真実であり、
空というほんとうの私に戻り、その上でこの夢の世界も味わっている方にとっては、
こんなワークも、いとも簡単に出来てしまうのだな、
と思ったからである。
(なんで彼(Tさん)はいらっしゃったのかなぁ、と思うくらいだが、
その理由は、「続・座禅はこうするのだ」という本にあるように、
小林窟にまた来たくなるのと同じなのかもしれない)
即ち「大変見事であった」という意味での
「大変残念である」という言葉であった。
しかし、彼も私もまだ伸びしろはあるだろう。
そう。
何度も書いているように悟ったあとのほうが肝心なのだ。
だからこそ、彼は今日からいらしたのかもしれない。
合掌