議論で意見はなぜ割れるのか?知識の差、情報の差という知見の差が基本的な原因になるのは間違いない。

では、知識、情報レベルが同じでも意見は分かれる。例えば、デフレ脱却の議論では、財政政策でインフレターゲット論と金融緩和論。これはコンサルの戦略オプションを検討する場でも頻発する。

仮説だが、リスクテイク型かリスクヘッジ型かという議論者の性格に依存するのではないかと感じる。あくまで感覚だが、世の中の9割はリスクヘッジ型で、リスクテイク型は1割程度ではないだろうか。

プロブレムソルバーは自他ともに認めるリスクテイク型。提案書には必ず毒を含め、刺激的な文言を織り込む。戦略提言でも単刀直入に伝え、課題は課題と断定する。このことがパートナーにそれはリスクだといつも指摘される。そして意見が分かれる。

リスクとは不確実性。よって論理的に説明することは非常に難しい。逆説的だが、論理的に説明可能ならば、リスクとして認識されない。論理的に説明困難な未来だからこそリスクとなる。

そうなると、その人のリスク感応度の違いにより、意見が分かれる。

リスクが引き受けられないから、リスクヘッジ対応になるわけで、リスクを引き受けられる覚悟と責任感があれば、リスクテイクできる。と考え、リスクテイク出来るだけのコミットをしているかを常々自問して、初めてリスクテイクする資格が得られるのだと思う。
戦略提言の場において、事実と分析結果だけを淡々と伝える実験を敢行。その事実と分析結果を見れば、問題と課題が浮き上がってくることを意識して伝えることに集中。示唆や解決の方向性は一切提示しない。勿論机の下には持っている。

このコミュニケーションスタイルが経営トップには有効と確信。経営トップは会社を牽引する意識から相応のプライドを持っている。経営者が事実と分析結果を咀嚼し、意見を求められる前に問題点の指摘や戦略提言をしても、論理的に正しくても受け入れられる筈もない。その場では経営者は理解を示してはくれるが、部外者の若造に問題点を指摘されて、気分が良い訳がない。

事実と分析結果のファクトを見て触発されない経営者はいない。触発されれば必ず意見を求められる。その時が戦略提言のチャンスだ。意見を求められるまでは言いたくとも我慢する。特にクライアントに対する思い入れが強いときは提言したくて堪らないが、ここをグッと我慢する。

事実と分析結果を適切に伝えれば、提言の機会は必ず訪れる。
プロポーザルでこれ以上ないというくらい自信のあった仮説が、クライアントの逆鱗に触れる結果に。余りにも問題点を適切に指摘しすぎたらしく、ダメ出しの連発に感情的反発を招いたようだ。

感情的になったクライアントにもう何を言っても無駄。完全にこのプロポーザルは雲散霧消した。気持ちいいくらいの大失敗。

自信がありすぎるときほど、慎重に相手を立ててコミュニケーションする必要性を痛感した。加えてなぜ、こういった提案を敢えて出すのかといった前提条件の提示もクライアントの心の準備にも必要ではないかと感じた。まどろっこしさはあるが。

今回は時間制限もあり、ポイントだけを話すことに注力することが裏目に出たと解釈。相手の心情がわからない中でどうコミュニケートするかというのは新たな課題だ。