地味メタボリX -84ページ目

天才ジミ・ヘンドリックスの生涯



メタボリ番長のコラム-soundtrack1
sound track recordings from the film JIMI HENDRIX

 

 

これまで数多くリリースされているジミのレコード(CD)の中で、皆さんのお気に入りは何でしょうか?
生前のリリース分(スタジオ盤+バンドオブジプシーズのライブ盤)はマストアイテムとして...あえてそれ以外で、メタボリ番長が思い入れの強い1枚を述べるとすると、これでしょうか。他にもライブLPでは「イン・ザ・ウエスト」も愛聴盤ですが、こちらも忘れ難い1品です。
映画「JIMI HENDRIX」のサウンドトラックで、主要なライブ演奏がきっちり網羅されていると言っていいんではないでしょうか。

 


メタボリ番長のコラム-soundtrack2
ジャケット内側とライナー。
年表、ディスコグラフィーもあり。

 

 

映画の公開はロンドンで1973年。この日本盤LPはライナーノーツの作成日が1977年4月となっています。私がこのLPを買ったのは確か1980年代前半だったと思います。曲名の日本語表記のうち、「In From The Storm」が「嵐の中に」というのはまだいいんですが、「Hear My Train A-Comin'」が「汽笛の響き」となっているあたり、中々ステキです。

ライブ演奏はモンタレー、ウッドストック、フィルモアイースト、バークレー、ワイト島などから。そしてインタビューも各面最後に少しずつ収録されています。音源は今となっては他のCDで聴けるものばかりですが、当時は「イン・ザ・ウエスト」と並んで貴重なモノで、これでしか聴けない音源もあったのです。モンタレーのフルライブ音源も1986年のリリースですし、ワイト島に関しては当時「ワイト島のジミ・ヘンドリックス」という6曲入りLPしか無かったので、このLPに収録分と合わせてカセットに録音し、ワイト島プチコンプリート気分に浸ったりしてました。12弦アコースティック弾き語りの「汽笛の響き」(笑)も、ここでしか聴けないものでした。

また当時よく見たのが年表で、他に情報が少なかったもんで、頼りにしてました。ただ、ジミの生まれが1945年となっていたり、間違いも多いのですが。

インタビューの和訳もありますが、どっちかっていうと取り留めのない話が多いですね。

 


メタボリ番長のコラム-soundtrack3
インタビューの和訳も掲載

 

「リトル・リチャード:『名前は?』と聞いたら、彼は『ジミ・ヘンドリックス』と答えたので、『一体どこから、そんな名前を拾ってきたんだ。メイコンの氷屋さん以外、そんな名前の奴なんて会った事ないよ』と言った。」

シラフの会話とは思えません。恐るべし、リトル・リチャード。
(あ、「メイコンの氷屋さん」とやらに行けば、「ジミ・ヘンドリックス」に会えるということか!?)

 



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ジャケット裏面と、2000年の劇場公開ポストカード

 

 

そういえばこのLPを購入した当時、「ジミ・プレイズ・バークレー」というVHSビデオも入手してまして、本編前にこの映画からの演奏シーンがダイジェストで収録されており、何度も繰り返し見たものです。その後、輸入版VHSでようやく全編を見ることが出来たのです。そりゃあもう、食い入るように見まくりました。

前に、2008年3月のコラム で紹介した本で山岸潤史さんの熱弁が笑えると書きましたが、山岸さんは実際にアメリカでこの上映を観たそうで、そのときの様子も熱く語ってくれています。1977年発行の本に書いてる事ですから、当時はビデオなんてまだそんなに普及してませんし、現地でしかこれは観れなかったでしょうね。

 

『アメリカ行って映画を観たのね。「ジミ・ヘンドリックス」っていうやつと、「ヘンドリックス・ライブ・イン・バークレー」っていうやつと2本続けてね。それが強力でしたね、やっぱり。もう存在感がすごいんや。そのへんのバンドのライブ・ステージ・コンサート行くより、もっと感動したもん。もう、客なんて総立ちや。映画観とって、「ウァー!」って叫んどる。まわり黒ばっかり。黒人ばっかり。ヘンドリックスがウォーンとか、派手なアクションをすると、客が「イエー!」言うて。俺の隣にチビが座っとったんや。5つか6つで、アフロのかっこして、おやじときとるわけ。2人で。そんで、ヘンドリックスが出てきたら、「ライトオン!」とか言うてさ。1曲終わるごとに全員立って拍手。まるで、コンサート観とる感じ...』

 

ジミのパフォーマンスに盛り上がる会場の雰囲気がよく伝わってきますね。
観客が黒人ばっかりっていうのは以外に思いましたが、たまたまですかね。州にもよるでしょうし。

 

 

で、映画は2000年に日本国内でようやく劇場公開されました。既にビデオ持っていたんで、観には行きませんでした。
...でも、大きいスクリーンでジミのパフォーマンスを見てみたかったな、とちょっとだけ後悔しています...

1億円?

メタボリ番長のコラム-auction-guitar
1965年のストラトとのこと

 

 

ジミが燃やしたギターが、オークションにかけられるそうですね。

 

【記事】
「ギターを燃やすパフォーマンスで知られる米国の天才ロックギタリスト、ジミ・ヘンドリックス(1942~70年)が、67年にロンドンでのライブで初めて火を放った「燃えたギター」が24日、ロンドンで公開された。
このギターは65年に製造されたフェンダー社の「ストラトキャスター」で、ボディーが真っ黒に焦げている。ジミ・ヘンドリックスはこのとき軽いやけどを負い、病院に運ばれた。“ギター燃やし”は「2度と同じものは聴けないライブ演奏の輝き」を象徴していると受けとめられており、ジミ・ヘンドリックスの音楽の大きな転換点になった。
ジミ・ヘンドリックスの報道担当だった親友が昨年、親族宅の車庫にしまってあるこのギターを見つけた。
ギターは9月4日にロンドンで競売にかけられ、落札価格は50万ポンド(約1億600万円)と予想されている。68年に米マイアミで燃やされたギターが2002年に競売にかけられたことがあるが、取引は成立しなかった。さて今回は?」

 

さて、ロンドンで初めて火を放ったというのは、全国の映画館を回るというイギリスツアー中の1967年3月31日、フィンズベリー・パーク・アストリア(後のザ・レインボー)でのことで、計画的なパフォーマンスだったそうです。
共演者のいるパッケージ・ツアーにおいて、どうやってツアーで目立つかという相談をしていた時、キース・アルサムという記者の提案によりジミがスタッフにライターオイルを買いに行かせ、楽屋で何度か試したうえで本番に臨んだそうで。
パッケージツアーであり、レパートリーも多くは無いこの頃。全5曲という短いセットのラストナンバー「ファイア」でのクライマックスで、ギターにオイルを注ぎ、マッチを点火。うまくいくまで3度もやり直さないといけなかったが、ようやくギターは炎に包まれ、ジミがそれを風車のように振り回している最中、司会者はあわてて火を消そうと水をかけ、手にやけどを負ったとか。
バンドは舞台裏で消防隊に数分間説教をされ、ジミは「火を消そうとしてギターを振り回していた」何て言い訳を(笑)。警備員にも2度と演奏させないと脅されたり。ギターは証拠品として押収されないよう、プロモーターのティト・バーンズという人がコートの下に隠して楽屋口から出て行くのです。「あんなまねをしたら、2度と俺のところで仕事をさせないからな」と言い放って行ったとか...でもこれは、警備主任の前で格好をつけるためのフリで、プロモーターもグルな訳です(笑)。

...とこんな風に、種々の文献には当時の様子が描かれているんですが、写真からは、よく残されていたなぁ~と感心できる状態ですよね。焦げ方が激しくピックガードも一部変形してるようですが、どうやらサンバーストフィニッシュで、65年だからラウンド貼りローズ指板かな?ということも何となく伺えます。
40年以上も前に炎に包まれたギターが、現在こんな状態で1億円もの値段が予測されるなんて、ジミも思ってもみなかったことでしょう。

 

これに比較して、同年モンタレーの時は、戸惑いも無く一気に「儀式」を達成したかのような流れですね。こっちの話は映像が全てを語ってますので、詳しくは触れないでおきましょうか...。



メタボリ番長のコラム-monterey-guitar
モンタレーの残骸

 

 

モンタレーでは残骸を客席に投げ込んでましたから、こちらはお客さんが持っていたってことになるのかな?
そういえば、ジミセンさんのブログ で前に見たんですが、モンタレーのステージ床には焦げ後の辺りに「Jimmy Hendrix」とナイフで刻まれた跡があるそうです。マーキングしてあるんですね。(「Jimi」でなく「Jimmy」となってるのは、当時まだJimiという名前が浸透してない頃だった所以)。

さあ、この残骸に値段をつけるとなると、いくらになるんでしょう(笑)?

Experience Music Project(EMP)

今月(2008年6月)のコラムでシアトルのExperience Music Project(EMP) について触れましたが、ここ にその施設内がいくつか紹介されてあるページを見つけました。興味がある方はどうぞ見てみてください。(リンク切れしてたらごめんなさい)