昔から 戦前に建てられたような、大正ロマン?モダンな建物に少し興味がありました。

東京あたり、旧伯爵邸?みたいなのが割と残ってるみたいですね。

知らないと、戦後の建物か?と思うようなモダンなのが割と海自の建物にありました。いずれも2階が曲線。

呉の旧下士官兵集会所。戦後も同様の目的で使われてました。

大分佐伯の分遣隊庁舎 これも旧海軍から。今は取り壊されてないそうです。

呉地方総監部、江田島の建物は立派。格が違う気がします。


戦前から昭和30年代くらいまでの津市近辺の写真を見てると、なんかすごく懐かしい、穏やかな時代に思えます。

婚礼衣装で角隠しの新婦が、手を引かれ近所へ挨拶してたり、津駅前をボンネットバスが走ってたり。

なにか、今と違うパワーというか、地域の暖かみを感じます。


自治会とかに対する価値観、むかしは更に強固なモノが根付いてたはず。写真からは地域のつながり助け合いみたいなのは感じとれます。


今の価値観、世の中の流れは、果たして昔の人が思い描いてたものなのか?!不適切にも程があるとなるのか?!


さて、またしても、どっさり届いた配布物を仕分け、明日配ることにします。

この時期、毎年頭痛で体調不良になることあります。朝、妻の内職?!的なメルカリの発送を頼まれ、ついでに松阪嬉野まで行き、すき家で朝食、図書館へ返却の予定で行動。途中頭が!これはなんかやばいのか?!と不安。すき家のまぜのっけ朝食は半分ほどでやめ。なんとか、自宅付近まで戻り図書館へ返却、郵便ポストへ投入。帰宅、毎日の薬を飲む。少し落ち着きました。


最近読んだ津の歴史への興味は尽きない。


歴史上、強い女武者は、巴御前だけかと思っていたら、富田信高という武将の奥方も。この方は猛将 宇喜多秀家の流れを汲む。関ヶ原の戦いの前哨戦である安濃津城の戦いで、東軍富田信高1700の兵で安濃津城に立てこもるが、西軍は30000!

窮地に陥った信高の前に現れた、単騎、鮮やかな色の武具の武者が片手槍を用い、瞬く間に5.6人を撃退し、相手方の剛腕武将の一人を討ち取った。

誰だ、あれは? 信高の問いに

奥方様でございます と 家臣

これは、のけぞるガーン。まさか。普段は美しく誠におしとやかな妻が!俺より遥かに強いじゃん😂となったかも


窮地の夫を見て、もうじっとしていられず、果敢に戦いに飛び込む奥方!

美しく 花やお茶にも秀でており、実は武芸も一流だったとは。

残念ながら城は落ちたが、あとになり、家康に功績を認められ加増されたよし。

これは、複数の文献に残っており、討ち取られた武将の名も記録されており信憑性は高いと思います。



迷いました。書くかどうか。

一応覚えのため




今年元旦の朝の風景。4月から自治会長をするので、お願いしてこのお焚き上げの準備から同行させてもらいました。

先日、遠く離れた組へ配布物を運ぶ時、この小さな祠の周囲の雑草が気になりました。この維持管理は特に誰とか決められてませんでした。が、行事をやるのが私である以上、普段からやらねばいけないと思い、リュックに剪定鋏、鎌、小さい熊手等を入れペットボトル携行で小一時間除草。


徒歩で帰って自宅の車をみると、屋根になにやら?!ホースで洗い落とそうとしたがなかなか。なんだこれ?小さな雀の亡骸でした。回収しました。鳥の乾燥した亡骸。

これは、祠となんか関連あることなんでしょうかね。