美術研究室アトリエ・キノチッタのブログ

美術研究室アトリエ・キノチッタのブログ

シンプルで深いアートの世界

雪不足で泣いているスキー場と、反対に喜んでいるゴルフ場のニュースをみました。山に雪が積もらないとなると、夏場の水不足が心配です。

ここ福岡市の平野部では今シーズンまだ雪が観測されていません。日本海側なんですけどね。記録的な暖冬になるのか、初雪が遅い過去の観測記録(福岡市)が出ています。

 

1位 2月6日 1909年(明治42年)
2位 1月30日 1894年(明治27年) 
3位 1月25日 1954年(昭和29年) 

 

雪や水のことを思いながら、13日、福岡市中央区今川の鳥飼八幡宮を参拝しました。姪っ子の花屋が神社の斜め前で営業しており、買い物がてら寄ってみたものです。

 

 

ここは、いつものんびりした雰囲気の境内です。ちょうど成人式の日に催される正月の火祭り行事「どんと焼き(どんど焼き)」を見ることができました。一年の五穀豊穣/商売繫盛/家内安全/無病息災/子孫繁栄/厄払いと言った願いを込めて行われる火祭りです。

 

オリンピックのたびに、聖火リレーとか聖火台と呼び、原爆の灯や震災の灯が大切にされる‟聖なる火”信仰が残る日本では、遥か昔の拝火教やゾロアスター教の残像を感じます。

 

素朴な「どんと焼き」を見ていたら、山伏の火渡りなどの直接的な行為より、もっといにしえの拝火信仰を彷彿とさせるものを火照った体で感じました。

 

 

鳥飼八幡宮 1月13日午前10時半ごろ撮影。

少し遅かったのか下火になっていました。

地元自治協議会主催の「どんと焼き」ということで、神事というより

地元民の集まりという感じです。

 

参拝客は、どんと焼きの煙や火の粉をあび、残り火で団子あるいは餅を焼いて食べるとその年を健康で無事に過ごせると言い伝えられています。

 

俳人・金子兜太(かねことうた)さんの自選句で、印象的な「どんと焼き」の句がありました。

 

左義長や武器という武器焼いてしまえ


左義長(さぎちょう)とは、お正月に歳神様(年神様)をお迎えするために飾った門松・松飾り・しめ縄・お守り・破魔矢・書初めなどの正月飾りを、家々から持ち寄り、一箇所に積み上げてお焚き上げ し、歳神様をどんと焼きの煙に乗せて空へお見送りする行事。

 

除夜の鐘が騒音問題で鐘の数を減らしたり廃止になる時代。正月飾りを燃やすことも近隣住民から非難され、廃棄物として処理されるところがあると想像します。伝統行事も新しく入ってきた住民によってガラパゴス化ですね。
 

 

境内奥は天満神社。その前をどんと焼き対応の消火用バケツが並んでいました。

沖縄首里城の全焼、あれは油断でしたか。

 

 

今年は境内でマルシェが開催中。その周りだけは賑わっていました。

シャイなわたしはパスです。

 

結びの信仰で知られています。

 

ここ鳥飼八幡宮は、大相撲九州場所の時、九重部屋(ここのえべや)の宿舎になります。故横綱千代の富士全盛の時に、朝稽古を見学したことがありますが、今だったら暴力問題で訴えられそうな厳しい稽古をしていました。

 

境内に隣接して、太平洋戦争時に東条内閣を批判し自害した中野正剛の銅像があります。(中野正剛の生家は、神社横にありました。)

 

こちらに寄る参拝客はほとんどいません。

 

多くの参拝客でにぎやかなマルシェ会場の

オレンジ色のテントが見えます。


中野正剛の親友・緒方竹虎揮毫の石碑。

緒方竹虎は緒方貞子さんの義父です。

 

中野正剛を後世に伝える碑文が読みにくくなっており、残念な気がしました。

 

境内の多目的小屋に描かれた中野正剛の肖像

 

鳥飼八幡宮から西へ数分のところに貝原益軒ゆかりの曹洞宗金龍寺があります。清浄な空間の中、銅像とお墓が静かに迎えてくれます。 お勧め。

 

 

 

きょうは成人の日。

近くの野菜屋で

朝採りの大根を買いました。

生産者の方、よくぞ

ここまで育ててくれました。

 

ひょっとして、

魔法をかけられて

大根になったのですね。

 

魔法を解くには、

大根おろしにするしか

方法がないそうです。

 

アトリエにある石膏像

《トルソー女子(中)》が、

「大根ばかり見ないで

私もここから出してよ」

と言ったような気がしました。

 

このアングル、官能的!

しばらく鑑賞した後

二人とも魔法から

解放してあげるよ。

 

『世界裸體美術全集』 平凡社1931(昭和6)年

 

 

白昼夢? 夢うつつ?

 

 

 

 

令和初のラグビー大学選手権決勝戦が11日2時半から新装となった国立競技場で開かれました。

 

早稲田VS明治決戦の試合前半をカーラジオで聴き、後半は、大型電気店のテレビコーナーで観戦。昨年暮れの早明対抗戦では、早稲田が完敗していたので、開始当初は早稲田を応援していたのですが、あれよあれよと早稲田が大量リードした後は明治を応援することに。

 

結果は45対35で、早稲田が優勝。

 

両軍合計得点80点は、決勝史上最多の数字とか。実際、大味になるどころか最後まで明治があきらめない好ゲームとなり、試合終了のノーサイドで、両チームの選手たち皆が満足している表情からも実にいい試合だったことを物語っていました。

 

大画面のテレビに映る、新国立競技場の観客の中に、早稲田卒で熱心なラグビーファンとして知られる女優・吉永小百合さんの姿を見つけたかったのですが、5万7千超えの観衆からは探し出せませんでした。吉永さんは、早稲田が弱い時もチームにお肉を差し入れするなどの応援を続けています。面白い先輩ですね。

 

 

日刊スポーツ 2020/01/11

早稲田ラグビーといえば

 えんじと黒のジャージー

 

西日本スポーツ 2020/01/11

 

西日本スポーツ 2020/01/11

 

今回のラグビー大学選手権決勝で戦った両校の先発メンバー30人のうち、8人が福岡県の高校から来ています。東福岡高校からは、なんと4人です。スポーツ留学があるにせよ、九州はラグビーの層が厚いので、高校生ラガーが憧れる花園に行くのも大変なのです。

 

地元スポーツ紙『西日本スポーツ』が九州出身選手の表を作っていましたが、早稲田の先発メンバーFWのS君は、高校の美術で2年間指導した成績優秀、文武両道の生徒でした。おめでとう。

 

そうだ、同じ早稲田OBの五郎丸歩選手はアトリエから8分ほどの中学校(吹奏楽部の音が風に乗って聞こえるくらいの距離)を卒業しています。身近なところから頼もしい若者が輩出していることに改めて気づかされました。

 

 

読売新聞 2020/01/11

 

ラグビー大学決戦の記事をいくつかの新聞で読み比べてみると、試合翌日の朝刊とは言え、大会主催の読売新聞が拍子抜けするほど冷静な記事でした。朝刊だけとっている人が少なくない時代に、どうかな。比較して、夕刊がない分、思いを込めたスポーツ新聞記者の熱意と愛情が伝わる濃縮紙面が面白いと感じました。

 

追記:

大学ラグビーはどうしても早稲田中心の報道に偏りがち。以前のプロ野球における巨人軍みたいな扱いに似て、試合放送など偏っていると感じます。ほかの実力校もしっかり報道してほしい。今年の決勝戦は、早明の伝統的な組み合わせとなりましたが、最近は各大学の力がついているので、バランスの取れた取材と報告で日本のラグビー界を盛り上げていただきたい。(報道が1強になるとつまらない。)

 

【ラグビー関連拙ブログ】


ラグビーW杯決勝ハイネケンと南アワインで祝杯(2019/11/02)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12541710289.html

 

南アフリカのワインを飲みながらラグビーW杯観戦 (2019/10/20)

https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12537801038.html

 

五郎丸の地元でフィーバー (2015/10/15)

https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526981894.html

 
スコットランド民謡と独立投票 (2014/08/17)

https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526979605.html

 

 

 

 

前回からの続きです。

 

きのう、福岡三越9階「三越ギャラリー」で開催中の『トムとジェリー展』を観ました。

 

『トムとジェリー』は1940年、昭和15年に誕生。今年2020年は生誕80年を迎えます。

それを記念し、今まで書いてきたブログの中から猫関連の写真を再掲載してみました。

どちらかといえば犬派のわたしですが、猫派の女性に弱いせいか、結構猫が集まったにゃー。

 

駄菓子コーナーでお馴染み

マルカワのフィリックス(Felix)ガム

 

 

我が家の猫です。

肉球がたまりません。

 

 

 

猫の手も借りたいときはコレ!

孫の手の代わりにもなります。

(2015/03/23)

 
イメージ 7

ベトナムハノイの街頭で(2010/12/23)

 

那珂川の猫 (2015/03/30)

 

那珂川の猫 (2015/03/30)

イメージ 6

東京・谷中の猫 (2016/08/10)

 

東京・谷中の猫 (2016/08/10)

 

イメージ 1

筑後で見かけた猫 (2019/02/20)

 


筑後で見かけた猫 (2019/02/20)

 

カプセルトイ(ガチャポン)です。 コレクションから (2014/09/20)

右:高さ5.4㎝  左:高さ4.7㎝  ©yujin

 

中央手前は「猫に小判」のカプセルトイ

(ガチャポン) 高さ5.4㎝  ©yujin

奥は唐津の名菓・鯛の砂糖菓子

 

猫のポット  中國製造 MADE IN CHINA (2014/09/30)

 

猫関連拙ブログ:
落語「猫の皿」は招き猫 1(2014・09/29)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526979675.html

 

落語「猫の皿」は招き猫 2(2014・09/30)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526979687.html

 

自撮り棒は手動式 (2015/03/23)

https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526980572.html

 

東京滞在記  上野公園から谷中へ 2016/08/10(2016/08/22)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526984436.html

 

猫のことわざ(2019/02/22)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526994164.html

 

ネズミの折り紙(2019/12/18)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12560664316.html

 

 

 

アメリカがやってくれました。イランの司令官が乗った車を無人機ドローンでピンポイント爆撃。イラン国民の英雄を爆死させたアメリカに反撃で第3次世界大戦勃発かと緊張が世界中に走りました。(これからの戦争はドローン機主体で、要人暗殺も原子力発電所も簡単に攻撃できることがわかりました。)


トランプ大統領は、イランが報復したらイランの文化関連施設の攻撃を示唆。思い出してみましょう。イラクがアメリカに屈した時、フセイン大統領が地下壕から発見されたころです。国立博物館の貴重な所蔵品が破壊され、略奪がありました。戦争のどさくさに紛れ、相手国のイスラーム文化と文化財の破壊はどうってことないということを、また繰り返すのでしょうか。

 

以前からこのブログでは何かにつけ『トムとジェリー』を見習って、「仲良くケンカしな」と言ってきましたが、今度という今度はアメリカ大統領に直訴します。

 

「NAKAYOKU KENKA SHINA!」

 

 

佐賀銀行のイメージキャラクターは、

昔からトム&ジェリーです。

トム&ジェリーが日ごろから身近に感じる

福岡支店朝日会館内の

ウィンドウ・ディスプレイ。

TM&©TurnerEntertainmentCo.(s13)

 

きょうの午前中、福岡三越9階「三越ギャラリー」で『トムとジェリー展(副題はカートゥーン(アニメ)の天才コンビ ハンナ=バーベラ) 』を観ました。


ハンナ=バーベラ作品として、『原始家族フリントストーン』、『宇宙家族ジェトソン』、『チキチキマシーン猛レース』、などの関係作品も展示。
子どもの当時は、制作側の背景というか事情を知らずにアニメを楽しんでいましたが、今回、当時の現場スタッフたちが、効率・コスト・低予算・製作時間の短縮などで苦しみながら工夫をして制作されていたことが分かりました。それらは2回にわたり書いていきます。

 

皆さん正月疲れかな。ガランとした会場で幸いゆっくり楽しめました。


『トムとジェリー』は1940年、昭和15年に誕生。今までにアカデミー賞の短編アニメ―ション部門を7回受賞し、また1本の駄作もないという傑作シリーズです。今年は生誕80年ということで、世界初の展覧会になったらしい。ありそうでなかったトムジェリの展覧会。猫まっしぐら、わたしもまっしぐら。 観た結論は、おススメです。最終日の13日(祝月)は、5時閉館なのでご注意を。


現在日本アニメを海外メディアに売るとき、相手国の宗教に合わせて描き変えるとか、登場人物の名前を親しみやすい名前に変えるとか、暴力シーンをカットするとかの変更をします。時間を戻しましょう。『トムとジェリー』が日本で初めてテレビ放送されるとき、原題を邦題に変更してたら…

 

猫とネズミのお話ですから、日本の子どもたちが分かりやすいようタイトルバックを例えば「タマとチュー太郎」にしていたら人気アニメになっていただろうか。ジェリーの大好物の、丸くお大きな穴がたくさん開いているエメンタールチーズを、日本向けにプロセスチーズ、6Pチーズスライスチーズへと絵を変更していたら…、愛猫家が多い日本で、トムがジェリーを食べようとするシーンは子どもたちにとって残酷だから、トムはネズミ捕獲の必要がないほどキャットフードをたくさん与えられていたとしたら・・・


今回、再確認したのは、場面場面の視界が低いこと。視点が低いことは、トムやジェリーの目線に近づけてのこと。メイドさんの迫力ある下半身は印象的でした。小津安二郎のカメラアングルもそうですね。小津監督は役者が正座した時の視点にあわせていました。関連はないのですが、・・・ふと感じました。

 

その小津監督が兵役で南方の島に行っていたときのこと。アメリカ軍から没収した映画フィルムを上映し、その自由さと豪華さに日本が負けると確信したエピソードを思い出しました。 『トムとジェリー』は太平洋戦争中も作られていたのです。

 

 

 

 

関連拙ブログ:
ネズミの折り紙(2019/12/18)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12560664316.html

 

ナショナル ジオグラフィック 北九州展 (2015/08/25)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526981530.html

 

 

イラン映画のおススメを書いておきます。

 

今回のアメリカとイランの緊張を考える今こそ、なぜ軍事強国アメリカと石油大量消費国の日本はイラン映画特集を組まないのか不思議です。石油利権を解説するのもいいけれど、イラン一般国民の気持ちにまで触れていません。映画を観れば、仏教だろうとキリスト教だろうと、イスラーム教だろうと、お互い普遍的な感情があることが分かります。広島長崎の原爆を正当化する人たちにも仲良く喧嘩するようアドバイスができるのに・・・

 

1994年「オリーブの林をぬけて」アッバス・キアロスタミ監督

1997年「運動靴と赤い金魚」現在邦題は「天使のような子供たち
マジッド・マジディ監督 

1987年「友だちのうちはどこ?」アッバス・キアロスタミ監督。

1998年「桜桃の味」アッバス・キアロスタミ監督
カンヌ国際映画祭においてパルム・ドール賞を受賞
2000年「太陽は、ぼくの瞳」マジッド・マジディ監督

モントリオール世界映画祭でグランプリ受賞

2001年「バラン」 (旧題:少女の髪どめ) マジッド・マジディ監督 

2010年「彼女が消えた浜辺」アスガー・ファルハディ監督

2012年「別離」アスガル・ファルハーディー監督
ベルリン国際映画祭金熊賞と、女優賞、男優賞の2つの銀熊賞の計3部門で受賞

2015年「人生タクシー」ジャファル・パナヒ監督・主演

ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞

2017年「セールスマン」アスガー・ファルハディ監督

アカデミー賞外国語映画賞受賞

 

次回に続きます。

 

 

近所の池の畔で新聞を読む。

 

保釈中の日産自動車元会長・カルロスゴーン氏が、海外渡航が禁止されているにもかかわらず、プライベートジェットで日本を出国。トルコ経由でレバノンに入国したもよう。

 

関西空港の検査室では、音響機械のケースの中に隠れてスルーできたらしい。年末の出国ラッシュに紛れての無断出国は、空港側ののんきな対応と、ゴーン氏側の巧妙な脱出劇を成功に導いたスパイ大作戦によるもの。コメディ映画を観た感覚になるのは何故だろう。

 

 

水際でゴーン氏の無断出国に

気づかなかったんだって。

渡り鳥の足取りはオープンだよ。

 

僕たち、

パスポート(旅券)不所持だけど、

日本へ入国できるよ。

入管法違反 にもならないし、

身柄引渡しにもならないよ。

そうそう、出国審査も無し。

シンプルが一番!


 


 

 2020年もあとわずか。

360日をまもなく切ります。
月日のたつのは早いもので、若い若いと思っていたら …

 

きのうは親戚の葬儀に列席。箱根駅伝の復路前半をテレビ観戦した後、斎場へ。

 

箱根駅伝復路のテレビ中継画面

箱根小涌園あたりのコース高低差を表しています。

人生下り坂の筆者が見ても、この急こう配はスゴイ。

 

 

斎場は、3週間前に列席した中村哲医師の告別式があったところ。職員の方から、あの日は会場に入られなかった人を含むと、2千人は参列していたと伺いました。

 

福岡斎場 2020/01/03

 

鹿児島の離島から駆け付けた姪の家族と久しぶりの再会。島育ちの子どもたちはのびのび成長していました。あちらの島は神道がほとんどなので、仏式の葬式、いや、リアルお坊さんが子どもには珍しかったようで、ハイになっていました。

 

ご住職がお経を唱える間、保育園児S君は数珠を頭の上にのせているし、2足歩行が出来るようになったばかりのA君は、お経に追随、「あ~あ」「あ~あ」とご住職と輪唱。合掌の合間に合唱でした。

 

後ろの席から「少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰軽んずべからずだよ。」とつぶやいた大叔父の言葉が胸に届いたでしょうか。 微笑ましいお葬式でしたが、君たちが大きくなったら、この日のこと覚えていないだろうね。

 

福岡市民のA君。君が生まれる前、

君のひいお爺ちゃんも

ここでお葬式をしたんだよ。

 

昨年のS君。奄美群島から参列。

 

葬儀から帰った夕方、近所の村社へ初参り。菅原道真公ゆかりの村社に、家内(第一夫人・連れ合い・山の神・伴侶・・・「おっかない」含む)が鎮まり、家の安全が保たれるよう家内安全を祈りました。

 

 

近所の産土うぶすな)神社 2020/01/03

祭神は菅原道真公父君。

創建は百六代正親町天皇。

 

 


屋根瓦の一部(軒丸瓦)に

大宰府観世音寺創建当時の瓦文様を

復元した老司瓦を採用。

境内の近くから観世音寺創建時の瓦を

焼成した登り窯が発見されています。

 

きのうは、親戚の死から子どもたちの成長、中村哲氏のこと、菅原道真や古都大宰府のこと、そしてタスキを渡していく箱根駅伝の若者たちと、諸行無常を実感する1日となりました。

 

関連拙ブログ:

中村哲医師の告別式会場でよみがえった遺影のデッサン(2019/12/12)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12557056046.html

 

令和2年  元日 
 

 つつしんで初春の 
およろこびを申し上げます
                    

十二支最初・子年の初夢

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元旦、拙ブログに訪問者2020人から 
いいね!が入っていました。
 
夢から覚めたら、さっそく皆様に謝らなければなりません。
 
旧年中は、数々の失敗でご迷惑をおかけしました。 
 
 

その都度許していただき

感謝申し上げます。

→ 昨年までの反省した姿でした。

 

今年は、少しイケメンになって反省する姿をお見せしたいと思っています。

 

イメージです
 
いやもっとイケメンで

 

貴方に迷惑がかかってごめん。
イメージです
 
新年の挨拶に戻ります。
 
本年もよろしくお願い申し上げます。

皆様のご健康とご多幸を

心より願っております。

本年も良い1年となりますように。
 

 

 

ロウソクの灯りのようなブログを

訪問者の皆様へ

書いていきたいと誓う元日でした。

 

 

 

工事現場スタンドのイラスト協力:

(株)石橋高組

 

 

 

 

 

 

前回からの続きです。きょう12月31日のブログは2回に渡ります。


高校で進路を決める時期に、父との関係が上手くいっていなかったこともあるし(家出もしたいし)、北国に行けば頭も冷えて賢くなるだろうと、東北仙台か北海道札幌の学校を考えました。どちらで生活しようか夢想していましたが、先ず「自由な学風」と聞いていた北大の恵迪寮の寮生になろうと夢みていました。正直、このころは少し厭世的になっていたようです。

 

それは夢想で終わりました。が、1982年(昭和57年)の年末、憧れた恵迪寮に一宿一飯の御世話になるとは。

閉寮の知らせを偶然知って、ぎりぎり悲願達成が叶ったのは不思議といえば不思議。ご縁を感じました。

 

恵迪寮の壁

 

北大構内の原始林(恵迪の杜)近くに建つ恵迪寮

泊めてくれた寮生が撮影してくれました。 
1982/12/29

 

この連載も終盤です。

日本三大寮歌のひとつ「都ぞ弥生」は北大学生寮「恵迪寮寮歌」のひとつです。テレビで寮歌の番組をみた時、必ず耳に残ったのが「都ぞ弥生」でした。

 

歌の前に長い口上があり、その後から歌が始まります。

(口上の後半)

「明治45年度寮歌、横山芳介君作歌・赤木顕次君作曲、都ぞ弥生、アインスeins、ツヴァイzwei、ドライdrei !!※」

(※寮用語で使われたドイツ語で、1,2,3の意)

 

 

北大生協で購入した「北大寮歌」のLPレコード

発行:北海道大学図書刊行会

演奏:北大交響楽団

合唱:恵迪寮寮生、デュークエイセス

製造:東芝EMI LRs-437

 

都ぞ弥生の雲紫に
花の香漂う宴遊(うたげ)の莚(むしろ)
尽きせぬ奢(おごり)に濃き紅や
その春暮れては移ろう色の
夢こそ一時青き繁みに
燃えなん我胸想(おもい)を載せて
星影冴(さや)かに光れる北を
人の世の 清き国ぞとあこがれぬ


豊かに稔れる石狩の野に
雁金(かりがね)遥々(はるばる)沈みてゆけば
羊群(ようぐん)声なく牧舎に帰り
手稲の嶺(いただき)黄昏(たそがれ)こめぬ
雄々しく聳そびゆる楡(エルム)の梢(こずえ)
打振る野分のわきに破壊(はゑ)の葉音の
さやめく甍(いらか)に久遠(くをん)の光り
おごそかに 北極星を仰ぐ哉

 

 

日本の寮歌祭が高齢化の為、終焉を迎えるところが増えています。

当時、日本で一番バンカラな学生寮だと言われた北大「恵迪寮」でしたが、学生運動の反動や、若者の個室希望で、近年スマートな寮に変身しています。

 

未成年に酒を飲ませてはいけないし、先輩との相部屋生活を避ける方向にもあります。 何かと寮歌を歌う機会も減るでしょう。寮歌「都ぞ弥生」は、細く長く歌い継がれてほしいものです。


※「恵迪」とは、『書經』の「迪(みち)に恵(したが)えば吉(よ)し」から。

 

ここ数年、京都大学吉田寮の存続に関する報道を耳にします。学生運動の再燃を気にする側や、京の街を汚す看板が問題だとする市民がいることは確か。

学生時代に、バイト先で仲良くなった京大生に吉田寮を案内されたことがあります。普段なら泊まってもいいことになっていましたが、吉田寮の行事で騒がしい時だったので一宿一飯のお世話様とはなりませんでした。今思えば無理に一泊でもすればよかったなと思います。

 

いつか世界文化遺産に加えてほしい吉田寮も絶滅危惧種の運命にあるようです。梁山泊のようなイメージで、違う学年や学部の学生と相部屋になることに憬れて入寮する学生もいるでしょう。旧制高校の雰囲気に憬れる学生もいるでしょう。時代錯誤の田舎学生もいるでしょう。そのような哲学の彼らを受け入れる場所を残してほしいものです。

 

全国の学生寮が限界集落になりませんように・・・

 

 

学生寮関連拙ブログ:

 

羊群声なく牧舎に帰り (2014/12/30)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526980198.html

 

東京音楽学校寄宿舎日誌 1~7(2014/01/14~01/24)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526978832.html
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526978842.html

https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526978859.html

 

https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526978868.html
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526978872.html
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526978877.html
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526978881.html

 

東京藝大「石神井寮」寮祭で披露した漫才1~2
(2014/03/07)
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526979059.html
https://ameblo.jp/jksta-322/entry-12526979066.htm

 

 

今、思い出しました。

東北大(仙台市)の学生自治寮「明善寮」をめぐり、禁酒の約束が守られていないとして大学側が寮生全員に退去通知。寮生側は「事前の通告なしに、禁酒を守っていた(学部1、2年の大半が未成年の)男子学生にも退去を命じるのは納得できない」と反発した報道がありました。

 

どうなんでしょうね。喧嘩両成敗というわけにはいきませんか。 

 

このままだと、喧嘩寮生敗になりそうです。



 
 

 

前回からの続きです。きょうのブログは2回あります。

 

当時、北大恵迪(けいてき)寮は、、東大駒場寮(01年強制執行により廃寮)、京大吉田寮、東北大明善寮と並ぶ日本4大学生自治寮と呼ばれていました。

その恵迪寮舎が老朽化のため翌年83年(昭和58年)に閉寮するとのニュースを聞き、最優先で旅の予定に入れたものです。

 

農学部の木立の中に建つ二代目恵迪寮(当時は新寮) 

撮影日:1982/12/29

 

泊めていただいた南寮は玄関手前。翌年の昭和58年に閉寮します。

1903年(明治36)年、札幌農学校(現北海道大学)の寄宿舎として

現在の札幌時計台あたりに竣工したのがルーツ。

その後北大がある現在地に寄宿舎移転・閉寮。

1905(明治38)年、初代恵迪寮舎新築。

1984年(昭和59年)、二代目恵迪寮は札幌市厚別区北海道開拓の村へ移築復元。

第三代の恵迪寮舎(新々寮)は鉄筋コンクリート製。

キャンパス北部の北17条西方の下手稲通りにあります。

 

恵迪寮のイメージは、日本で一番バンカラな、旧制高校の雰囲気が色濃く残る自治寮。時代錯誤、無頼派、応援団系、学生運動派が集う梁山泊のような学生寮というものでした。

あの頃、札幌の風物詩として、恵迪寮の2階窓から裸の寮生が積もった雪の上に飛び降りるシーンがテレビでよく流れました。

 

そして、ぼろ羽織袴の応援団みたいな寮生たちが、列を連ねて雪の札幌市街を練り歩き円山公園を目指す。 部屋でのコンパは安いトリス瓶を飲みながら夜を徹して議論する。寮祭は♪瓔珞みがく~石狩の~源遠く~訪いくれば~ と全寮生が肩を組み、飲んで、歌って、踊りまくる。 そんなイメージでした。そんな学生寮が閉寮すると知って、行かないわけがありません。 行きました…

 

 
寮生の名札と太鼓 1982/12/29

太鼓は急を告げる時とお祭り時が出番です。

 

かかっている名札は帰省しなかった寮生でしょうか。正月年越し帰省の学生が多く、アルバイトや交通事情で帰省しない寮生が20人ほど。

泊めてもらった前日が寮歌忘年会だったせいか、残った寮生はぐったりしていました。(恵迪寮OBは約11,000人に達するそうです。)

 

わたしが大学入学後に入った学生寮もこのようなカオス状態でした。

魔窟と呼んだ先輩もいました。

 

個室の壁、共用スペースの壁、天井、壁一面の落書きは先輩たちのマーキング跡です。

 哲学的なもの、学生運動系まで様々。

 

通学困難な道内・道外の寮生や、経済的に困窮な寮生の

誇りと気負いが感じられます。

 

寮務事務室前の掲示 

「訪問者に告ぐ」「私のスキーを返して下さい」の張り紙に注目。

 

事務室 

アルバイトの放送はここから。

連絡文や謝罪文があります。 

スマホのない青春時代、

ピンク電話が連絡ツールでした。

 

事務室に張られた謝罪文が面白い

(個人名を写真加工しています)

 

 

 

 

この年流行った「ハロー・グッバイ」の柏原芳恵さんポスターにニヤリ。

 

1982年は名曲ぞろいでした。わたしが好きな歌でも「赤いスイートピー」松田聖子、「待つわ」 あみん、 「悪女」 中島みゆき、「チャコの海岸物語」 サザンオールスターズ 、「聖母たちのララバイ」 岩崎宏美、「シルエット・ロマンス」 大橋純子、「哀愁のカサブランカ」 郷ひろみ、「少女A 」中森明菜、「セーラー服と機関銃」薬師丸ひろ子などなど、実力歌手の黄金時代でした。

 

追加:「北酒場」 細川たかし や、「みちのくひとり旅」 山本譲二もありました。

 

 

スチームが通っていたので意外と暖かかった部屋。

スチームが入る明け方、室内に響くカチンカチンという音が旧寮生の想い出になっているそうです。

 

年末に帰省しなかった寮生と、深夜まで酒を交した部屋。

万年布団と机の上に紐を渡し、洗濯物を吊るしています。

 

次回に続きます。