般若波羅蜜多心経について書いています。

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般若波羅蜜多心経①【20240605】 | ジルのうつ日記 (ameblo.jp)

般若波羅蜜多心経②【20240606】 | ジルのうつ日記 (ameblo.jp)

般若波羅蜜多心経③【20240608】 | ジルのうつ日記 (ameblo.jp)

般若波羅蜜多心経④【20240609】 | ジルのうつ日記 (ameblo.jp)

般若波羅蜜多心経⑤【20240610】 | ジルのうつ日記 (ameblo.jp)

 

続きです。ここから一気に最後まで行きます。

 

(故知般若波羅蜜多 是大神呪)→こちはんにゃはらみった。こだいじんじゅ。故に人は知るべきである。般若波羅蜜多(智慧の修行)の偉大にて神秘的な真言(呪文)を。智慧の完成の大いなる真言を。

 

(是大明呪)→こだいみょうじゅ。明らかなる真言(呪文)を。大いなる悟りの真言を。

 

(是無上呪)→こむじょうじゅ。超えるものなき真言(呪文)を。無上の真言を。

 

(是無等等呪)→こむとうどうじゅ。並ぶものなき真言(呪文)を。無比の真言を。

 

(能除一切苦)→のぜいっさいく。それはすべての苦しみを取り除き…。それはすべての苦しみを鎮めるものであり…。

 

(真実不虚故)→しんじつふきょっこ。真実であり、偽りなきものである。偽りがないから真言である、と。

 

(説般若波羅蜜多呪)→ぜいはんにゃはらみったじゅ。では、その般若波羅蜜多(智慧の修行)の真言(呪文)を説こう。その真言は智慧の完成において説かれた。


(即説呪曰)→そくぜいじゅわく。それはつまり次のように説かれた。

 

(羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶)→ぎゃーてー。ぎゃーてー。はーらーぎゃーてー。はーらーそーぎゃーてー。ぼーじそわか。

 

ここはサンスクリット語で、「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディー スーヴァーハ」とか「ギャティ ギャティ ハラギャティ ハラソウギャティ ボウジンソウワカ」とも言うみたいです。

 

日本語に訳すと、「往けよ 往けよ 彼岸へと往けよ 彼岸へと完全に行きつく者よ それが悟りだ 幸あれ!」とか「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 彼岸にまったく往ける者よ さとりよ 幸あれ」となります。

 

(般若波羅蜜多心経)→はんにゃはらみったしんぎょう。ここに、智慧の完成の心が終わった。

 

以上で、般若波羅蜜多心経の全文が終わります。

 

 

最終盤は、どうだったでしょうか?

 

結局は、呪文を唱えて終わりじゃないか、と思ったでしょうか。

 

私もそう思いました。

 

結局のところ、人間は悟りの境地に行くために、真言(念仏)を唱えることしかできず、それに帰依し、一向に悟りの境地には行けない。

 

彼岸(死)を迎え、彼岸(死)を超えないと、悟りの世界には行けず、結局は生死の境が悟りの境なのか、と。

 

今までの教えは何だったのだ、と。

 

 

しかし…、そうは言っても、原始的な話に戻ると、我々の身体、ミクロの世界を構成している陽子、中性子、電子、ニュートリノ、マクロの世界を構成している星々、銀河、広大な(無限の)宇宙は果たして分かれているのでしょうか。

 

人間個体で見ると確かに生死はあります。しかし、人間種で見ると、次々に子孫は産まれ、今の今まで続いています。地球上の生命体というくくりで見ると、(これも単に進化論に立脚した考えですが)微生物、植物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と綿々と生命は紡いでいっています。

 

それも地球上の生命の話しだけです。

 

これを宇宙に転じれば、どこかに他の生命体がいるかもしれないし、いないかもしれない。

 

しかし、無限の宇宙の歴史からすると、どこかで繋がっているかもしれません。私たち人間がどこか誰かの祖先と繋がっているように。

 

 

ただ、この考え方も人間の認知、私の知識、知能の限界を突破することはできません。

 

だって、それ以外の感覚を持っているものからすると、こんな話は単なる浮世話かもしれません。

 

ウサギには私の考えは通じないだろうし、カブトムシは全然違う世界観で生きている、ミミズはどうなんでしょう。

 

そして、これも単に三次元を生きる生命体の話しです。

 

四次元、五次元だとどうなるのか(数学上では表せるらしいですが、おそらく直感的には人間には分からない)。

 

 

しかし、思うのです。

 

人間の認知の限界はある。確かにある。生きていれば悩む。苦しむ。嫌なこともある。良いこともある。

 

そして、人間はいつか必ず死ぬ。どうしてもそれは避けられない。ここは断言してもよいですが、必ず人間は100%死ぬ。ここだけは避けられない事実。

 

私たち人間は、それを日々無視して(無視はしていないのですが、真剣には考えない)生きている。

 

だって、そんなことを考えたら、陰鬱になるから。

 

でも、病気になると。うつ病になると、むくむくとこの「死」の足音が聞こえてくるときがある。

 

その渦中にいるときは本当につらい。

 

しかし、それは自分自身の声なのだ。実体は無いが、確かに自分の声なのだ。

 

何か変だ、何か違う、今の感覚は本当に合っているのか?その感覚はどうなんだ。おかしいだろ、と。

 

 

我々は顛倒した世界に生きている。

 

無いものをある、と感じ、あるものを無い、と感じて生きている。

 

そもそもあると無いとか無いのだけど。

 

 

その自分の感覚、その自分の考え、を何かおかしいと感じたら、それはチャンスなのかもしれない。

 

我々人間は、人間の認知の壁を突破できない。なら、突破できないものとして、あー、今、限界を感じている。限界が来ている、と気づくことができたら。

 

また、そこから歩けるのではないか、と思った次第です。

 

 

これで、ジルの般若波羅蜜多心経の読み方を終わります。

 

【参考文献】

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