イスラム国は国として認められていないので、集団だ。なので住んでいる人が即国民とは言い難い。自分で国民と言う人は別だが、ただ支配地域になってしまった人もいるだろう。
この人たちは、どう考えているのだろうか?また、イスラム国による他民族の虐殺は犯罪である。イスラム国は我々から見れば、イスラム教の1宗派にすぎない。宗派は選択自由なものである。
なので、やりたいことは、イスラム国から逃れたい人の保護と虐殺からの保護である。仮に、イスラム国が肥大し、教育や福祉を充実させたとしよう。住民はどう思うのだろう。米国は、これまでの経験から、自分達が手を下すと結果的に、住民にも反感をもたれることがわかった。イスラエルよりだから、兎に角そうなる。そのため今回はイスラム教国主体でと考えているのだろうか。
でも、イスラム教国は、イスラム国を容認できなくても自ら滅ぼす行動に出られるのだろうか?これまでも協力はするが自ら手を下すことはしなかったと思う。ある意味、教義に厳格である彼らを完全には否定しにくい感情を持つようである。米国は今回直接参加を呼び掛けているが、すでに内線状態のシリアはまだしも他の国はどうだろうか。
個人的には住民の保護と他民族の保護を中心に取り組むことになると思うが、それを敵対行為と言われることは許容しがたい。
住民の姿を報道しようとしたジャーナリストは人質となっている。彼の意志を汲もう。シリアの人を責めるまい。宗教も差別するまい。ただ、イスラム国の首謀者たちを憎もう。
日本人がイスラム国に人質としてとられました。
自称イスラム国は国ではありません。他国の一般人を人質にとることが許される国はありません。
彼らが国家なら、交戦状態となります。安倍氏がお金を出した段階で、参戦です。だが、彼らは国家ではない。ただの武力団体で違法な存在です。
ですから、身の代金を払うことはできません。一度払えば、全国民が世界中どこにいても危険となってしまう。だが、彼らを救わなければならない。極めて難しい問題ですが、身の代金を払うことだけはできない。
昔、日本赤軍のハイジャック事件の時は、囚人の釈放であり、他に派生する可能性は少なかったが、今回はエスカレートする可能性が高い。各国も許さないだろう。
私は、元々、イスラムの問題に首を突っ込むことには反対です。我々には、宗教的バックボーンがありません。宗教にリベラルな国家です。特に対立するものもありません。テロは許しがたいものですが、我々はテロ対象ではありません。だから良いのか?と言う人もいるでしょう。ですが、どちらかに組する必要がありますか?あるとしたら、米国の要請のみでしょう。彼らは、紛争の当事者です。ユダヤ・イスラエル問題など、まったく我々に関係ありません。
日本がなすべきことは、人道支援につきます。テロ集団に得とならないように、民衆を助けることしかできません。
ただ、戦争にお金を出すだけ、それが、これからは人も出すという。それほど、安倍氏は国民に人殺しをさせたいのか、おろかにもほどがあります。
綺麗事を言ってもうまくいかないかも知れません。しかし、戦争しても終わりません。続くだけです。そうして1000年以上続いているのです。
日本にしかできないこと、平和な外交をやれるならよいなと思います。

テロは犯罪なので、犯罪者は捕まえなければなりません。裁判しなければなりません。殺すことが目的の戦争ではいけないのです。

今回の事件が、無事に終わることはないでしょうが、無事に終わることを祈ります。それぐらいしかできないから。
これは一例です。
〈青山学院大教授(メディア倫理)の話〉
 日本のメディアでは「風刺」が軽んじられ、その評価に一貫性がない。風刺画は市民が社会で感じる漠然とした違和感や疑問を表現するもので、
抑圧の体験や歴史から生み出されてきた文化であり知恵だ。ヘイトスピーチとは違う。
 欧州では、多様な表現の自由が守られることで社会秩序が保たれると考えられる。日本では表現の自由は尊重するとしながら、社会秩序を乱して
まではどうかと考えるメディアがあり対応が割れている。改めて表現の自由や風刺に対する考え方を明確にしてほしい。

と言うような発言が2~3日前の朝日新聞のネット版に出ていました。
このような西洋かぶれな欧州が何でもすぐれているという思想は、勘弁してもらいたいと思います。
多様な表現の自由が守られているから社会秩序が保たれていると考えるのでどんな「風刺」も許されるということはないでしょう。
あくまで自分側から見たものの見方であり、宗教に無関係な日本人的発想だと思われます。
その結果として何をするかは別の話です。暴力に訴えることはしてはいけない。
欧州は、各大陸を武力で制覇してきたのであって、えらっそうなことを言う資格なんてないのです。
欧州が、世界に貢献するのは、やってきたことの埋め合わせとして当たり前のことです。

だいたい「風刺」はヘイトスピーチと違うと一括りにしてしまう発想が信じられません。発想が乏しい。
いろいろな社会、いろいろな思想があることに思い至っていない、自分たちの価値基準のみを押し付けようとしているだけです。
極端な意見として述べるのは自由なので、このようなレベルの低い意見も出てしまうのはしかたありません。

そもそも、この風刺で何を訴えようとしているのか、全く不明です。
風刺というものは、相手に反省を求めるものであって、そこには価値観がある程度同じである前提があるはずです。
その前提を無視して、言いたいことだけを一方的に言う、だから傲慢だというのですが、自分たちの傲慢さに気付かないのが仏人です。ここぞとば
かりに、結束する欧州はテロに対する口実を求めていると思われてもしかたがない。
それを褒め称える欧米化した日本人もどうかと思います。
何度も言いますが、テロを肯定するわけではなく、テロのきっかけを与えるような風刺画がセンスの良いやり方なのかということです。

本当の問題はそんなところにあるのではなく、なぜ彼らが暴力に訴えるのかということです。
風刺画が自由主義の証かどうかなんてどうでもよい。
根本は、彼らの貧困にあるのでしょう。兵士になった方が食えるし、自爆テロをした方が安らぎを得られるとしたら、
その環境を改善しない限り、この連鎖は終わらないです。
その方法を考えていただきたいものです。
どうせ、武器を提供している者たちは、欧米かロシア系かわからないけど、表で言うことと裏でやることが違うのが、自由の国々です。


あの風刺画は、彼らの貧困の改善を目指しているのですか?ただ、他人を貶めることを目的としているとしか思えません。
ということで、価値のないものを価値あるように言うのは止めてもらいたいです。