文庫Xについて、TSUTAYAがタイトルなしのキャッチコピーだけのレンタルが好評ということだ。なぜだろう?と思った。
テレビによれば、自分が気付かない作品に出会えるからということだ。そういう人もいるだろうが、違う人も入るだろう。
たとえば、選ぶ時間がもったいないとか面倒と思う人。だが、他人任せにしたいのではないかと言うのが私の意見だ。潜在的に自分で選びたくないのだ。食べ物を自分で決められない、観たい映画も決められない、同じように読みたい本が選べない、そんな人たちが増えているのではないか?
選ぶということは自分の責任で選ぶので文句は言えないが、店の推奨を何も見ずに買えば責任を店に転嫁できる。失敗を極度に嫌うお受験世代にありがちな意識ではないだろうか?
小池知事によれば、オリンピックのゴルフ会場のゴルフ場、霞ヶ関カンツリー倶楽部は女性は正会員になれないそうだ。
今時と思う人も多いかも知れないが、私は別にいいと思う。その倶楽部がどう運営しようと構わない。ただ組織委員会はやはり選ぶべきではなかった。そういう配慮もできないのが、あの組織の能力なのだ。小池知事もできないことは言わなくなり、組織委員会に委ねた。私としては、オリンピックにゴルフなんか要らんと思っている。さらに、プロが世界的に存在する競技にオリンピックなんか不要だと思っている。そういう目標がないスポーツには祭典が必要だが、陸上でも世界大会はありオリンピックの意味はないんじゃないかな。
さらに組織委員会が異常なのは、仮説施設の費用負担だ。仮説施設の整備費はもともと組織委員会がすべて負担する予定だったそうだ。仮説の費用は2800億円だそうだが、そのうち800億円しか負担しないということだ。できないならやめればよい。ちょっと足りないとかのレベルではない。全然足りない。奢るからついてこいと言い出して金がないからと言って自分の分も負担させる上司みたいな奴だ。権力だけは振りかざす。これがどれだけ異常なことか、組織委員会に認識はあるのだろうか?所詮、無責任で森氏をかつぐような団体は信用できないのだ。でも、この体制でオリンピックに向かうんだよね。なくならないかな。
本日2017年1月15日の天声人語から。入間市の爪シールは、よいと思う。爪じゃなくてもよいが、必ず身に付け見えるところというと爪かな。
賠償責任で、JR側を非難するような言い方は気に入らない。JRは慈善事業ではない。認知症患者が事故を起こせば、その損害は誰かが負わねばならない。遺族に負わせるのが無理であったら、それは運賃になるだけだ。踏み切りをなくしたり、侵入が困難なように全線を改善するには、巨額の費用と時間がかかる。誰がその責務を負わせられるのか?
精神疾患での自殺はどうなのか?天声人語はどう判断するのか?安易な例外は混乱のもとだ。抑止のためにもJRは訴訟せざるを得ない。訴訟すれば、法的に判断せざるを得ない。一審も二審もそう判断した。特別の判断を行った最高裁がよい判断をしたのである。あのケースは、家族の相当な努力にも関わらず事故が起きたから最高裁判所は賠償責任がないと判断したはずだ。この記載では誤解を生じる。
最近の天声人語は、感情が先走りすぎ、内容がリベラルでない。高飛車な言い方も気に入らない。たかだか、新聞のコラムで、入試に使われることが自慢なだけなのに。
入試に使われるのは、記事が優れているからではない。文章が技巧的だからだ。長さも適当だしね。