今日もどこかの市長が、小学生の卒業式での袴について苦言を呈したようだ。内容を見たら、華美に過ぎるまではよいが、その後に服装で優劣が出ないようにとある。
貧富の差が多少あるのはこの現代しかたがないのに、それを隠してあたかもみな同じように見せることが教育だろうか?
そうではないだろう。たとえ貧富の差があり服装の違いがあったとしても、人として平等という意識が大切なのではないのか?そういう教育もせず、貧富の差が見える服装はやめようというのは本末転倒である。
今の教育者も有識者も差別を見せないことが解決だと思う向きが多いが、差があることを見せることは問題ではない。見かけの差を人としての差だと思う心が問題なのだ。
卒業式で一人悔しい思いをするかもしれないが、見かけの同情的な親切よりもそれを乗り越える経験の方が重要ではないのか?少なくとも私はそう思う。
結局、学校も自治体も日本的ことなかれ主義なのだ。臭いものにはふたをしたいのだけなんだろう。それを正義ぶるから偽善者なのだ。
漫才は面白くなかったが、場外乱闘は面白い。とろサーモンの久保田氏とスーパーマラドーナの武智氏は、酔って審査員の上沼氏に暴言を吐いた姿をネットに上げてしまった。
前にも言ったが若手がくだをまくのはどの世界でもあること。ただ、ネットに上げるなら漫才師なんだから面白おかしく笑いを取れるような内容にしてほしかった。
これでは、芸もできずに審査員を批判しして暴言を吐くだけの人間である。しかも、スーパーマラドーナは上沼氏の番組に出演させてもらっていたらしく、恩知らずなことである。
ただ、今回の事象はよってたかってたたくほどのことでもない。後輩を元気づけようと思って極端なことを言ったのを動画取って酔った勢いでSNSに上げてしまった感じだ。最後のSNSに上げたのが間違ったことだ。サラリーマンが酒を飲んで上司の悪口を言って憂さを晴らしているのと同じだが、サラリーマンはSNSにはあげないしあげたとしても取り上げられたりしない。本当にそう思っているわけではなく、うまくいかない憂さ晴らしに上司の悪口を言っていることも多い。上沼氏もわかっていて教育もかねて激怒しているとか話題性を出して救うつもりなのではないかと思う。ここで彼らを救うためには、上沼氏が彼ら以上の悪人にならないといけないのだから、激怒とか言っているだけなのではないか。そう考えないと、芸能界って心の狭い世界だなぁと思ってしまう。
ちなみに謝罪の仕方がださくて、こちらも芸のなさを感じさせる。謝罪なのでまじめさが必要だが、芸人なんだからつまらない謝罪の仕方はどうなのかな。ネットでの謝罪も本人への謝罪っぽくなく、ネットの人間への謝罪のようで誠意も感じない。誠意も感じられず、芸もない謝罪なんて何の意味があるのだろうか。
ネットの炎上はよくあることだが、やはりバカの所業としか思えない。どうも自分の主張を認めてほしいという思いがあるだけで、自分が間違っている可能性も他人の意見も聞かない。見るからに悪いことは悪いと言うのはいいが、大したことでもないのに極端な暴言を吐くのはどうかと思うし見方によっては意見が異なる人もいて当然だが、それを認めないのもどうかと思う。また、相手のSNSを混乱させるだけなら面白くもない。炎上は批判側の満足のためだけに行われる。そこは微々たる正義をあたかも鬼の首をとったかのようにして自分を正義のカリスマのように思いたい衝動がある。炎上で物事は解決しないし、表面上の問題解決があるだけだ。そこは些細なことでその人間を貶めるヘイトの塊である。ヘイトの本当の問題は、ヘイト集会やヘイト発言ではなく、相手の主張を聞き入れないネットの炎上である。
反対意見を言う人間を攻撃する、それがヘイトの根源であり炎上の発生原因なのだ。ヘイト防止法を施行するなら、ネットの炎上も問題にすべきことである。逆にヘイト集会やヘイト発言は、主張がはっきりしていて本人を特定できるのであれば、話し合いは可能だ。
ネット炎上はそういうことができない。自己満足のバカが気晴らしにやっているだけで見る価値もない。多くの人は見ないだろうが、炎上騒ぎが好きなネット人間とマスメディアだけが見て喜ぶだけのイベントになってしまった。