今日もどこかの市長が、小学生の卒業式での袴について苦言を呈したようだ。内容を見たら、華美に過ぎるまではよいが、その後に服装で優劣が出ないようにとある。
貧富の差が多少あるのはこの現代しかたがないのに、それを隠してあたかもみな同じように見せることが教育だろうか?
そうではないだろう。たとえ貧富の差があり服装の違いがあったとしても、人として平等という意識が大切なのではないのか?そういう教育もせず、貧富の差が見える服装はやめようというのは本末転倒である。
今の教育者も有識者も差別を見せないことが解決だと思う向きが多いが、差があることを見せることは問題ではない。見かけの差を人としての差だと思う心が問題なのだ。
卒業式で一人悔しい思いをするかもしれないが、見かけの同情的な親切よりもそれを乗り越える経験の方が重要ではないのか?少なくとも私はそう思う。
結局、学校も自治体も日本的ことなかれ主義なのだ。臭いものにはふたをしたいのだけなんだろう。それを正義ぶるから偽善者なのだ。