三社の参拝は妻の希望だった。
戸隠・妙高・能生・糸魚川と、九頭龍神や奴奈川姫等にまつわる神社を訪ねて回った先の白山。
つまりは龍神にまつわる神社にはまっていたんだね。
昔みたいに長くなるが、予告した気付きまで一気に行くぜ。
戸隠神社の伝説に「戸隠」の意味が語られている。
ひとつ、神代に天照大御神が隠れた天岩戸が飛来したことに由来する“戸”。
ふたつ、仏教の栄える場所を求めていた僧の前に九頭龍が現れ、この戸隠山に大伽藍を建てるように告げた後、宝窟の中に入り、大きな岩で入口を閉ざしたという伝説。龍が岩の戸で隠れ封じ込められていることに由来する“戸隠”。
そして聞くところによると、戸隠、妙高、能生は、順に九頭龍の頭・胴・尾に対応するという。
これらの伝説を繋ぐものがあるはずだ。
つまり、九頭龍は何故“戸”に入ったかということ。
戸の字には扉という意味以外に「止める、留める」という意味がある。
これは前回の内容にも重なる。
伝説や字源から考えてみても、やはり九頭龍は、戸隠五社の思兼命一族によって封印(戸)されたと考えるのが妥当なのではないか。
天照大御神が隠れた戸という意味ではなく、岩戸という言葉で封印側が天照サイドであると匂わせていると考えることはできないか。
そう捉えれば、前回ホツマツタエから引っ張ってきた内容にも、一層納得がいく。
戸隠から、新潟富山を抜けると、今回の目的地である石川県。
三社それぞれの解説は一旦置いて、この地には九頭龍の母もしくは叔母と伝わる菊理姫を祀る白山比咩神社がある。
菊理姫を祀る当地の信仰は、白山を拝む信仰であり、そのトーテムは白蛇。
つまり白蛇とは菊理姫(白山比咩)の眷属であり、九頭龍の龍に非常に近いものを備えている。
というより属性的に同じ原始日本の“龍蛇信仰”グループと言える。
菊理姫と九頭龍が親戚であることも納得だが、ここでひとつの疑問。
菊理姫は天照の父イザナギの妹であり、系図をそのまま受け入れれば、菊理姫も天照サイドと言える。
九頭龍もまた同じく、天照大御神の十二人の后の一人であるから、属するグループは天照側と言える。
しかし龍は封印され、蛇は生き残った。
その理由は何か。
これはあくまで考察。
ヒントになったのは菊理姫の神徳。
彼女の神話は、死者イザナミと生者イザナギが黄泉平坂で仲違いした折に仲裁したことで知られている。
もしかして、彼女は「死者と生者の仲を仲裁した」のではなく、当時の国内の「情勢をまとめた」のではないか。
系図ではなく神話の出自的に考えると、菊理姫もイザナギイザナミも、共に出雲の神話に属す。
しかしその子である天照は大和の神話に属し、ここに不思議な分類を見るのだ。
出雲と大和。
即ち、国津神(出雲)と天津神(大和)。
この見方はこれまでは重要視していなかったが、実はかなり重要な分類で現代に取り戻すべき物の見方だと分かった。
まず現代に繋がる天照の直系子孫である天皇家の性質から考えた時、その王権は万世一系として一族の男子に受け継がれるものである。
よって、イザナギは出雲神話に属しながらも、天照の父として大和の流れをより強く汲むと仮定。
大和イザナギ・出雲イザナミを仲裁する菊理姫(縄文龍蛇信仰=出雲の巫女)と捉え、「仲裁=大和と出雲の統合合意」と再定義。
一方菊理姫と同じグループに属しながらも、封印された九頭龍はこの合意に賛同せず対立した側だったと考えれば……。
合意派のトーテムが蛇、抗戦派のトーテムが龍となる。
つまり、大和と統合された新しい縄文出雲のグループが蛇であり、大和と統合されることで弱体化(龍が蛇になった)したと考えることは出来ないか。
こうして、出雲大和が統合されたことで生まれた新しいグループを“天孫族”と考えると、実に興味深い。
石川から新潟までの信仰と歴史を辿りながら帰ってみると、実際土地の信仰としては出雲色が強いが、初代国造として伝える開拓神は主に天孫ニニギノミコトグループだと分かる。
石川県: 加賀は天香山命(天孫系)、能登は彦背戸命(出雲系)。
富山県: 布都怒志命または大友垂命(天孫系・大和系)。
新潟県: 天香山命(天孫系)。
ということで、結論。
菊理姫と九頭龍の神話・土地の信仰を通じて見えるテーマは、一言で“統合”なのだ。
そして、それを踏まえて一族の歴史を遡った時に、自分のルーツがどちら側かが分かると、どんな土地・文化に自分のエネルギーが一致するか(受け入れられやすいか)が分かる。
対極と統合することは難しい。
しかし、エネルギー的に喧嘩しない環境や在り方を選ぶというのも、ひとつの統合だと気付くのだ。
それこそが今回、戸隠から白山を目指す参拝で得た、面白い発見だった。
自分の居場所をルーツに求めることは、実はかなり賢い選択かも知れない。
移動手段の発達により、気付けば先祖代々の土地や文化とはかけ離れた場所で苦労しているという人も多いはず。
僕もまた気付けば遠いところに来た。
やはり、そろそろ心の故郷に帰る時だなと思うのだ。