塩窯陶芸家のゆるゆる道楽日和:宮良太陽

塩窯陶芸家のゆるゆる道楽日和:宮良太陽

最近、人生の目的を「修行」から「人生を楽しみ尽くす」ことにシフトしました。
自作の陶芸薪窯《風神窯》で塩釉焼(えんゆうやき)の食器や神具、飾り物をつくる陶芸家の、趣味日記。
今日もしあわせをありがとう!


幸せを受け入れるのに抵抗がなくなってから、もう半年が経ちました。この間、今まで全然やってこなかった「人生を楽しむ」ことが、自然とできるようになってきました。旅を楽しんだり、美味しいものを食べたり、服を選んだり、何気ない日常を楽しんだり――そんな小さな楽しみがたくさんあります。






気づけば、人生ってそのままでも意外と楽しめるんですね。そして、その楽しみを感じるには、まず「楽しもう」という意識を持つことが大事なんだなって分かりました。そんな喜びで心が満たされた七月に、ようやく陶芸を再開しました。今では、陶芸も仕事というより、人生を楽しむための趣味の一つになりました。





宮良太陽として迎える初めての窯焚きは、九月上旬になりそうです。楽しみ!


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おまけ:


ずっとAIの勉強がしたいと思ってたけど、本だと難しいし、質問もできないから挫折気味でした。

ネットのサービスもあんまり中身がなくて微妙。

でも先日、ついにしっかり学べる教材を見つけた!

内容が濃すぎて逆に大変だけど、これだけで仕事が作れるのは誇大広告じゃないなと感じています。


同じようにAIを学びたい方には、これめっちゃおすすめです!

AIの勉強はのんびり進めてますが、その一環で公式LINEを作ってます。メルマガみたいなことは初めてだけど、気合入れてやってみるので、ぜひ登録お願いします!

🔗公式LINEおともだち追加URLリンク




LINEのデータが全部飛んでしまいました!

諸々ご指導いただいている先生方から、友達や家族まで、連絡先がわからない状態です。

器のご注文をいただいているお客さまに限っては、ご要望通りの制作ができるよう、予め記録を取ってあるのでご安心ください。

とはいえ容易に連絡ができない状態には変わりなく、大変申し訳ございません…。

InstagramやFacebook、Gmail、BASEのメッセージ機能等には問題ないので、そちらはこれまで通りご利用ください。

ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。


久々の投稿がLINEアカウント消失だけだと寂しいので近況を少々。

本日のお仕事は、自在カメ板の試作と試運転。

カメ板というのは、ろくろの天板にはめて使う板で、ろくろ挽き後の成形物に触らずに板ごと持ち運ぶための道具です。

で、これをアレンジ。

取り外しと、量産がしやすい構造に。

実際に使ってみて使い勝手も良いので、仕事が捗ります。

写真はご依頼品の六寸鉢。

挽いていて楽しいサイズだ。







写真三枚目は、今日咲いていることに気付いた畑のマリーゴールド。

俺、この花結構好きです。




今日のつぶやき

LINEもそうだが、近頃のアプリは複雑じゃ…。

君もそう思わんかのぅ…😂


#LINEデータ消失

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#ご注文はお早めに


陶芸修行で伊勢に暮らしていたのが、丁度10年前。

振り返ればあっという間の10年。

今回、伊勢から長野に越して以来ずっと会うことのなかった師匠の店を訪ね、師匠本人とも会うことが出来た。

当時の師弟関係を思い出すと苦笑いの出ることばかりだけれど、今はそこに否定的感情を伴うこともなくなった。

でも今回師匠と会って、さらに身軽になれた気がする。

そういえば、時は半月後まで飛ぶけど、長野で友達の彼氏と話していたら、偶然にも師匠の先輩だとわかった。

何の関係もないように生きていて、皆どこかで繋がっている。

不思議だね。


さて、伊勢神宮には内宮外宮以外に主要な社として別宮があるけれど、弟子の頃は16歳で車も無く、今回初めて全ての別宮に詣ることが出来た。

いまでこそ一番好きな別宮は荒祭宮だけど、当時は月夜見宮が一番好きだったな。





当時を思い出して久々に詣でた後、月夜見宮正面に伸びる神路通を歩いていると、綺麗な羽の蛾を見つけた。





きれいだねと話していたら、妻が教えてくれた。

かつて月の女神アルテミスの名を学名に冠していた蛾「オオミズアオ」というらしい。

蛾なのに美しく、月の女神の名を持ち、月の宮の前で佇んでいる。

月夜見さんが、よく来たねと言っている気がして嬉しかったな。


記事的には前回の内容だけど、内宮御垣内参拝後、珍しい礼服姿にて。



6/29、畑の見回りの後、車に荷物を積み込んだ。

七日分×ふたりで車が狭かったのを思い出す。


今回は伊勢から奈良へと抜ける旅で、一週間の夏休みを過ごしてきたけど、とても楽しい時間になった!

伊勢に四泊、大和に二泊。

その旅を振り返る!


6/30、というか正確には移動日である前日の29日、何と出発してすぐに妻が熱を出してしまった。

しかも結構高熱。

夕方には伊勢に着いたが、熱は上がるばかり。僕も心配で眠っちゃいられない。

朝になったら随分落ち着いたけど、「今日はホテルに缶詰だな」と思ったもの。

実は今回、メインの目的がふたつあった。


1、伊勢神宮の御垣内参拝(正式参拝)

2、SKP(小林正観さんのお弟子さん)の講演会


これらは6/30から翌日へと続く一連の行事で、正直参加は半ば諦めてたけど、奇跡的に参加が叶い、予定通り楽しい旅のスタートとなった。

半年前に同じく伊勢を訪れた時とは全く違う明るい気持ちで過ごせているいまを支えているのは、小林正観さんやその弟子のひすいこたろうさんが言う【幸せに生きるための物の見方】だ。


……目の前にある現象そのものには意味がない。

しかしこの脳みそは、そこに無意識に意味を見出し、しかも長年の癖として不幸な意味づけをしてしまう。

けれども、その常時発動の癖を幸せな物の見方に教育し直すことが出来たなら……。

というのがこの半年の間に僕を大きく変えてくれた根底の考えだったんだ。

そして本当に幸せばかりの日々になった。


【何事もなく過ぎていく日常こそが幸せの本質】

そう言っていたという小林正観さんに、ご存命中に会いたかったなと思いながら次の目的地へ。







さんぽ道で木いちごを発見した妻の後ろ姿。

でも草刈りで切られちゃってた。

ちょっとシュンとしていたら、その後すぐにラズベリー苗を見つけてきたね。

ふたりして運は最強だぜ。


昨年の末頃、生きることを喜べていなかった時にふと湧いてきた疑問。

「そもそもの疑問だが、何かを成せなければ、その人生に価値はないのだろうか?」

僕はこれまでずっと、あらゆることには意味があると信じてきたし、意味がなくてはつまらないと思っていた。

だから何事にも意味を求めて生きていたし、それがわからなければ苦悩する日々を送っていた。

けれど、そうして目の前の全てと真っ向から向き合った結果として得たものは、ぼろぼろの心身だけだった。

「向き合う」と言うと、如何にも格好良い生き様のように感じたものだけれど、言い方を変えれば、それは世界の全てと対峙……対決してきたということで、敵に回してきたとさえ言えると思うんだ。

いよいよ心は追い詰められて鬱っぽくなり、身体はガリガリの45kgにまで痩せ、漸く、この生き方ではもうダメだと理解した。

僕はそこで初めて、いままで当たり前だと思っていた全てを忘れようと決めたんだ。

価値観だとか、思考の癖だとか、心の偏りだとか、思い込みだとか、そういうのを見つけるたびに捨てていった。

その結果、僕の心には劇的な変化が起こった。

「本当は人生に何かを成す必要などない。生きていることを素直に喜べるならば、それが最高の収穫だ」


今日僕は幸せだ。

いま生きている。

ご飯が美味しいと感じる。

隣には愛する人がいて、心地好い時間が流れている。


笑顔の種はいまも目の前に隠れている。

シンプルに生きていこうじゃないか。

たったいまから人生を楽しもう。


本日のデザート

心が晴れていれば、目の前の単なる現象に振り回されることなく幸せでいられるね。

【晴る】





”生まれてきたことを喜べるようになりたい”と思い始めた昨年末、僕のなかで”人生を楽しむ”とか”人生を楽しいものにする”という積極的な願いが生まれた。
すると「休日はなるべく出掛けよう」とか、「気になった事は小さくてもすぐに実行しよう」とか、人生を楽しむためのちょっとした秘訣が生まれてくる。
さて、そうして出かけた先で自分を再発見する出来事があった。
好きな植物の苗を見つければ、植える場所も考えずに取り敢えず買っちゃうとか、寒冷地すぎて枯れちゃうとわかっていても、食べた後に残るパイナップルの芯やマンゴーの種は衝動的に芽出しさせている自分を再発見したんだ。
そこで漸く僕は、自分が本当に植物が好きなんだと気付いた。
ここだけの話、陶芸は真剣になりすぎて楽しんでいる余裕がないから、実は畑の方が好きである。
だから、そんなに好きなら、そいつをもっともっと楽しもうということで耕運機を購入することにした。
最初は車椅子くらいのサイズを想定していたのに、実際に手元にやってきたのは、軽トラの荷台にギリギリ乗らないくらいの乗用トラクター。





こんなにでかいのを買うなんて、過去の自分にとってはありえないことだけど、思い切った選択をすることで手に入った喜びが沢山ある。
おかげでめちゃくちゃ幸せだ。
だから今年は農産物の出荷も計画します。
タイトルの“やっちまった”とは、「トラクター(命名 : みかん君)買っちゃった」という話でした。
早速耕作放棄地を開墾して、頂いたトマト苗36本を植え付けた。
妻も一緒になってやってくれるから、さらに楽しいぜ。
これからは農家もやるからよろしくね。



という訳で、今日のまとめ。
“「気付いたらやっている」の裏に、自分が本当にしたいことが隠れている”

笑顔の種はいまも目の前に隠れている。
たったいまから人生を楽しもう。

ぽんぽこ ぽんたろう農園(仮)
宮良太陽



本日のデザート
元気な時にも、元気になりたい時にも。
俺の好きな歌。







漸く諸々落ち着いて参りましたので、ご連絡頂いておりました皆さまにはメールをお送りしております。

メールが届いていない方がいらっしゃいましたら、ご迷惑をおかけいたしますが、以下の内容をご確認いただけましたら幸いです。


——様

こんばんは、お久しぶりです。先日、冬の出稼ぎ期間を終え、長野に戻ってきました。

通販サイトも再開できましたので、ご連絡差し上げます。

https://raise178.theshop.jp/

冬至から宮良太陽と名乗り始めた関係で、器の裏側に刻んでいた旧雅号の雷青印(ひらがなで“らい”の繋げ字)は在庫限りとなります。

現物の色合いや歪みなどの説明がしにくく、通販サイトの方に載せていない作品も沢山あるので、もしご要望がありましたらメールでご相談いただけましたら幸いです。作品の写真をお送りいたします。

宮良太陽 : jinenjo.fujinkiln@gmail.com

ちなみにこれからは、人生も陶芸も楽しくしていくことを第一にしたいと思っているので、今年の窯焚きは一回か二回のみになりそうです。オーダーメイドのご希望がございましたら、お早めにご連絡いただければ幸いです。

——さんの人生も、もっと楽しくなりますように!

 

そう。

メールにも書いておりますが、今年から僕は人生を楽しむと決めたのです。

内側で抑圧されていた(自ら抑えつけていた)希望を認めて実現させる時が来たのだ。

そんな自分の願いを自覚するきっかけとなった12/12の伊勢神宮弾丸旅行を思い出し、夏至の頃にまた伊勢へ行きたいと考えていたら、偶然ある企画を見つけました。

実は、人生を楽しむと決めたことで訪れた変化があります。

“積極的に人と関わって、人生を楽しむ友と沢山出会っていこう”という想いが生まれたこと。

工房に引きこもっていたこれまでの僕には、願いのままに世界に飛び出していくだなんて想像すらしなかった。

心を弾ませながら決めた、最初のひとつ。

SKPの伊勢神宮お礼参り : https://skp358.com/

俺、小林正観さんが大好きなんだよね。

 

器の裏に刻む新しい雅号印も何になるかな。

わくわくしながら決めて行こう。


宮良太陽





今日のおすすめ
↓本当はもう幸せなんだと気付かせてくれるお話です。

魂の構造~小林正観さん3時間講座 構造シリーズ2

 



僕はこれまであらゆることに抵抗しながら生きてきた。

それは決して楽しいことではない。

抵抗というのは、ベクトルが正であれ負であれ、エネルギーとエネルギーを喧嘩させること。

そんなことを続けていると、本当に多くのモノを消耗する。

この冬、僕はいままで続けてきた健康のための多くの習慣を辞めた。

それだけでなく、不健康だと遠ざけてきた多くのことにNOと言わなくなった。

それからしばらく経って、最近気が付いたこと。

健康を意識していた頃、ふとした時に痛んでいた様々な傷が、殆ど痛まなくなっているということ。

信仰のように強く信じ続けてきた価値観が変わり始めている。

自分の内側にあった“〇〇は嫌だ”という沢山の否定的な想いが消えていくと共に、僕の心身が元気になっているのだ。

健康になった訳ではないだろう。

でも痛みは無くなり、元気になって活力が出てきた。

そしていま、僕は、自分を生かしている力に対してさえ喧嘩を仕掛け続けてきたのだということに漸く気が付き始めたんだ。

健康を求めるのは、病気や怪我による肉体的苦痛があるよりは、無い方が一般的に幸せだと考えるからだ。

でも、健康でも幸せを感じられない事だってあるし、不健康でも幸せに感謝できる事はある。

極論、目的が幸せなら、健康でなくとも良いのだ。

だけど、不健康さを受け入れた途端に、僕の身体から少しずつ痛みや不具合は去っていった。

失敗を恐れて挑戦のチャンスを捨てるかのように、負を否定したら正のエネルギーも同時に損なうのだ。

「健康のためにと食物を選ぶよりも、与えられた食物を身体の感覚に従って美味しい美味しいと言って喜べる方がよっぽど元気に生きられる」ということの意味を知ったこの頃です。

不健康なものを喜べという事ではなく、かと言って喜びのない健康を推進するでもない。

健康も不健康もなく、ただ目の前のことを有難がれれば、もっと元気で幸せな人生を過ごせると気付けたというだけの話なんだ。

 

いまこの瞬間に受け取っているものを喜ぶことこそが、最高の健康法だね。

 

桜も満開の四月上旬、これにて冬季休業中の出稼ぎ期間終了です!

長野に戻り次第、ご注文やご依頼、ご相談等を戴いている皆さまへメッセージをお送りして参りますので、よろしくお願いいたします。

引っ越しの計画も進めないとなぁ。

 

宮良太陽



今日のおすすめ

Watach over my dreams / Leo Rojas




色々なことに追い詰められて突然旅に出た12/12から冬至にかけて、初めて気が付いたこと。

自分と向き合って生きてきたつもりが、俺は全然自分の本音が見えていなかった。

小さな頃の自分が掲げた大きすぎる理想が、いつの間にか強迫観念のように凝り固まって、ずっと心を抑圧していたんだ。

それが自分の全てを縛り付け、攻撃しているとも気付かず。

生きていることに喜びを感じられていない日々に気付いて、本当はそこから解放されたいと願っていると知った。

理想を掲げても、「手の届く範囲は限られている」ということを今更理解したんだ。

その範囲内で如何に幸せを感じられるか、そしてその範囲をどうやって広げていくか。

本当はそれが大切だったんだ。

いずれにしても、まずは理想を大きく持つのではなく、小さな心の声に耳を傾けて自分の器を満たしていくことからだ。

“もっと自由に、もっと身軽に、もっとあたたかく”

自覚したその日から、多くのことが変わり始めた。

けれども、心の声はめちゃくちゃ小さい。

最初の内は、どうやってそれを聞き取れば良いのかすら分からない自分に悲しくもなった。

「俺はこんなにも自分の本音を無視して生きていたのか……」

だからまずは、好きなものを再認識する度に、それを手帳に記していった。

それだって、自分のことなのに、最初は好きなものがパッと思いつかないんだ。

ページが一枚埋まる頃、漸く自分の好きなモノを思い出し始めた。

音楽、場所、趣味、時間、色、香り、食べ物。

それらを片っ端から日常に取り戻していくとどんどん元気になって、ある時遂に生を実感して喜べるようになった。

それは「自分の内側に神さまを取り戻したような」感覚だった。

きっと俺は、エゴで作った理想に合致しない、あらゆるものに反抗して生きていたのだ。

それらを創造した神さまにさえも。

だけどこの世界には、気に入らないモノと同じくらい、好ましいモノも創造されているのだ。

 

神さまへの反抗期を卒業すれば、人生はずっと楽しくなる。

 

まずは手帳のページを好きなモノで埋めていこう。

それが幸せを実現する道しるべになるから。


宮良太陽




こっちは今日のオススメだぜ。

元気出して行こうよ。






 

「運って良い時と悪い時がある」

運と言うと抽象的過ぎるかな。

「調子って良い時と悪い時がある」と言えば、多分皆に通じる。

ところで、どうして好調だったり不調だったり、運や調子は一定しないのだろうか。

ということで、調子の良い時と悪い時で、自分にどんな違いがあるのか分析してみる。

行きついたのは、めちゃくちゃシンプルな答え。

“元気”

“明るい”

“楽しい”

現象に影響されて機嫌が変わるのって当然なんだね。

だから容易に不機嫌になりもする。

だけど、起こった現象に関係なく自分を上機嫌に保つことも、本当は出来る。

そして、現象に影響されて機嫌が変わるのなら、逆もそうなのだと漸く実感できたんだ。

現象も機嫌の影響を受ける。

くたびれていても「元気!」と言い、余裕がなくても「OK!」と言い、だるくても「絶好調!」と言う。

言ったら、その言葉通りの自分になるように、定着するくらい最高の自分を演じ続ける。

これが楽じゃない。

けれど、それで現実が変わっていくと理解したから、なるべくそうしていきたいね。

 

運が良い時の自分を再現することで、後から運がついてくる。

 

人間生きていれば、色々なことがある。

不機嫌になる時もある。

だけど不機嫌に留まり続けるのって、それこそエネルギーを消耗しちゃうし、良いことがない。

落ち込んでいる自分に気付いた瞬間から、積極的に自分を上機嫌にしていきたいね。

 

宮良太陽




伊豆、大瀬崎にて。