テモテへの第二の手紙(概要)

  パウロからテモテへの手紙(キリストの兵士となりみ言葉を正しく扱うこと)

  ローマ AD65

内容

  健全な言葉の型を常に保つ(1:1-3:17

  奉仕の務めを十分に果たしなさい(4:1-4:22

 

**********************

関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

**********************

知恵を求める人のためのブログです。

昔より、今の時代、

 生き辛くさせている要因は、

 科学技術の発展により文明が進歩して来たからに他なりません。

 

「ン、それはおかしい」と思う人も少なくないと思います。

 

科学技術の発展は、

人類の幸福を目指したものですから、

 そのように思うのも「もっとも」です。

 

おそらく、殆どの人は、

科学技術が発展すれば「人類は平和で幸福になれる」と信じて来たと思います。

 

これを信じて、

多くの科学者たちは「人類のために」と思って研究開発を続けて来たのです。

 

数学、物理、化学などの分野での進歩により、

その知識を応用し、基礎となるアイデアを作り上げ、

それを新しい製品に繋げ商品化し大衆に提供して来たことは周知の事実です。

 

近年では、

太陽光発電リチウムバッテリーなどです。

ICつまり半導体の分野での発展は、

 もはやなくてはならない物そのものです。

 

コロナのmRNAワクチンという物質のアイデアもそうです。

最初は見向きもされなかった「技術」がコロナでその「必要性」が求められました。

 

そして、

これらを活用し「新しい製品」が次々と誕生し、

生活そのものを「激変」させています。

 

ところが、

新しい製品」主に

 スマホやAIなどの便利グッズが世の中に出現すると、

 それを素早く、上手く活用するのは、

 何時の時代も「若者」であり、

 そういう「若者」の「」が社会を動かしていくものです。

 

実は、

 こうした若者を取り込む製品が、

 「若者たちを生き辛く」させているのです。

 

こうしたことに「気が付いている人」はどれだけいるでしょうか?

 

生き辛い」ということは、

人間として「自然な生き方、活動」が難しい状況に「ある、あるいは置かれている」ということなのです。

 

********************

便利グッズだから「活動」活動しやすくなったり、範囲が広がるだろうと言われると思います。

 

しかし、

それが、「思考を固定化」させている場合もあるのです。

 

なければ

いろいろ工夫をするものですが、

便利グッズが登場し、それを使うと「手放せなく」なってしまうのです。

 

勿論、

こうした「グッズ」を利用することで、

やりたいことが「更に先に進む」ことにもなるものです。

 

こうしたことは、

「悪いこと」ではありません

 

人間の活動として「当然」のことです。

 

しかし、

 

例えば、

何処にいても、不便な田舎にいても、

 スマホは何処でも通じ、ネットとも繋がっているので、

 気分は都会にいる時と何ら変わりません

 

自然豊かな暮らしを求め里山や過疎地に移り住んだとしても、

 自然な暮らしの中に「便利さ」「効率」を求めてしまうのです。

 

こうしたことは「進歩的」なことではありますが、

 自然の暮らしを「妨げる」ものです。

 

今の若者たちは、

田舎に移り住んでも、

 都会での便利な生活や考え方から抜け出ることが出来ないのです。

 

そのため、

 時には、

 田舎に移り住んだ理由、目的を忘れ、

 田舎暮らしに付いて行けなくなるということが生じることもあるのです。

 

田舎に来て環境を変えても「心の中では」都会と同じ便利な暮らしを求めているのです。

 

今の若者は、

便利なものを活用することには長けていますが、

 自らが汗水たらして苦労するということが難しいのです。

 一時は出来ても長続きはしないのです。

 

効率や便利で楽な暮らしを求めてしまうからです。

 辛い労働は「無駄なこと」と思ったり、

 精神的に「苦手」なのです。

 

今更、世の中を変えることは出来ませんから、

 仕方がないことのように思えます

 

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田舎などの、いわば未開の土地のような場所に行って、

現代の「様々な道具や物」を用いて、

 作業を「楽で、簡単」にしたり、

 効率を上げたり、

 いろんな物を作ったりすることは、

良いこと」です。

 

現実のそうして「作物の収穫量」を増やしたり、

 土地の有効活用をしています。

 

「空き家」対策でも「有効」です。

 

ただ、

そのための「資金」が必要でもあります。

 

お金がなければ

良いアイデアも実現出来ないのです。

 

****************

しかし、

中には「考え方」を変え、

 田舎暮らしで成功している家族もいます。

 

それでも

子供たちが成長し、

 都会に希望を見出すことは「時間の問題」であり、

 進学も当然都会の「良い学校」にしたいと思うものです。

 

こうして、

折角始めた「良い暮らし」も、

 子供たちは、

 親が元居た「場所」に、

 つまり、

 便利で暮らしやすい都会、

 自分の能力を高めてくれる場所に

 戻ってしまうことは「良くあること」です。

 

もはや、何処に住んでも「思うようにはいかない」ものです。

 

****************

こうしたことに加えて、

 物価高による経済的困難、

 進学の難しさ、

 成績などの優劣の差、

 スポーツや何らかの優れた特技を持つ「マイノリティー」、

 親の収入による格差がそのまま子供の格差に繋がっている、

 自分の適性や能力に合わない就職、

 芸能人やスポーツ選手などを見て「幻想」を抱くこと、

 若者たちの「進路」の高低も幅も「広がり過ぎて」いること、

などなど、

様々な要因

 生きることを難しくし、

 生き辛さの原因となっています。

 

すべての原因は、

人類の幸福を求めた

 科学技術の発展により文明が進歩して来たことにあるのです。

 

悪いとは言っていません

 

ただ、

いわゆる時代の進歩が、

 生き辛さの要因であり、

 その進歩のレベルに達するのに「高い能力と努力とお金」が必要になり、

 それに付いて行くことが、

 進歩と共に難しくなっていると言いたいのです。

 

今の子供たちやこれから生まれてくる子供たちは、

初めから、

 しかも、急激に「高度な知識や技術」を身に付けなければならないのです。

 

丁度、

今、企業ではAI技術やプログラミングの能力の高い人を求めているように、

そうした人材になるには「高い能力と努力」が必要なのです。

 

こうしたことに、

付いていけない若者は、

 場合によっては「犯罪」に走るかも知れません。

 

現実に、

 直ぐに「キレる」人が増えており、

 犯罪も増加しています。

 

若者たちにとって

 現代は「生き辛い」ものなのです。

 

********************

マヤ文明インカ文明は、

おそらく、

 高度な知恵を持ち、

 理想の暮らしをしていたと思われます

 

しかし、

 インカ文明は、

 スペインの侵略者たちによって「滅ぼされてしまいました」

 マヤ文明が衰退した理由は分かっていません。

 

また、

インドとパキスタンの国境(インドよりの高地)にある「旧ラダック王国」では、

文明が入る以前のこの地の暮らしは、

 1975年頃までは「のどかで平和」な昔ながらの村のような所でした。

 

しかし、

文明が入り、お金を用いるようになってから、

 若者たちは便利で楽な(ように見える)都会に憧れ、村を出て行き、

 欲しいものを手に入れるため「お金に執着」するようになってしまい、

 昔ながらの生活を貧しい生活として「切り捨て」てしまったのです。

 

昔は、

殆どが自給自足で、

 お金も電気を不要だったのです。

 その暮らしを変えたのが、

 文明の侵略だったのです。

 

********************

人類は、

より良い生活を求めながら

現実は、

自分たちの暮らしを「生き辛い」ものにしているのです。

 

この「大いなる矛盾」は一体どこから来るのでしょうか?

 

人間の知恵の「愚かさ」から来るのでしょうか?

 

人間は、

自らを賢いと思いつつ、

 

やっていることは「愚かなこと」だということに、

いつ気が付く」のでしょうか?

 

プーチンのやっていることも、

バイデンがやっていることも、

岸田がやっていることも、

習近平がやっていることも、

金正恩がやっていることも、

・・・

皆「愚かなこと」です。

国家間の政治の駆け引き、争い、経済の競争、金融政策(操作)、

国内の勢力争い、反対勢力、経済対策、

などなど、すべて「愚かなこと」です。

 

進歩と言いながら

地球環境を破壊し、最新科学技術で「戦争」をし、ネットを介して「多額のお金を盗んだり」、誹謗中傷をしたり、フェイクを拡散させたり、犯罪の温床としたり・・・

 

科学技術の進歩は、

 人類に「益」より「悪」をもたらしていると言っても過言ではありません。

 

ですが

この世界から「逃れ出る」ことは出来ません

 

いわば「沈みゆく大きな客船」から「脱出」出来ないのです。

 

ただ、

中には救命ボートに乗れる人がいるかも知れません。

その人は「ラッキー」だと言えるでしょう。

 

人類は、正に「タイタニック号」に乗船しているのと同じなのです。

 

その日は突然やって来ました。

しかも、

 当時は(現在の設計でも)「不沈船」として宣伝されていたのです。

 そのため、乗客は「安心し切っていた」のです。

 

氷山に衝突した時にも、

 船が沈むとは思わず、何もしなかったと言われています。

 船が傾いて、

  乗客が「慌て」ましたが、

 その時には「遅かった」のです。

大勢の人が亡くなりました

 

テモテへの第一の手紙(概要)

  パウロからテモテへの手紙(奉仕の僕の資格)

  マケドニア AD61AD64

内容

  正しい良心による信仰の勧め(1:1-1:20

  会衆における崇拝と組織に関する指示(2:1-6:2

  自ら足りて敬虔な専心を守ることに関する助言(6:3-6:21

 

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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知恵を求める人のためのブログです。

エホバの証人は、

 

世の人々と違うことを、

世の人々に知られることを、

 

恐れたり恥ずかしいと思ったり引け目に感じたりするのはなぜでしょうか?、

 

エホバの証人の多くは、

自分の意思、考えで活動しているのではなく、

 

ものみの塔に誘導されて行っているのであって、

自分が考えて行動や活動をしている訳ではありません

 

例えば、

ものみの塔誕生日を祝わないように、

それを守ることは、

聖書の教えに従うことだとエホバの証人たちに話します。

 

勿論、聖書の根拠を示され当人も納得していると思います。

 

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実際は、

 「そうなんだ」という思うだけなのです。

   

 はっきりと明確に、

 「禁止されている」という意識も根拠も「持っていない」のです。

 

 持っているのは「ものみの塔の受け売りだけなのです。

 

その根拠とは、

 聖書の中で、

 神に是認された人々が誕生日を祝っていないこと、

 ファラオの誕生日にパン焼き人が処刑されたこと、

 ヘロデの誕生日に、ヘロデアの娘の褒美としてバプテストのヨハネ首を与えたこ 

 と、

 イスラエル国民の中で誕生日を祝った記録がないこと、

 イエスも弟子たちも誕生日を祝っていないこと、

 などを挙げています。

 

 他にも、

 死ぬ日は生まれる日に勝るという格言もあります。-伝道の書7:1

 

 イエスの誕生日として、

 世では12月25日としていますが、

 ものみの塔は「これは間違い」としていることもあります。

 

 イエスが生まれた時、羊飼いが屋外で羊の番をしていたのです。-ルカ2:8

 

 この季節(12月25日ごろ)は雨季であり、

 羊飼いが屋外で羊の番をしていないことも挙げています。

 

 この日は「太陽の誕生日」とする「異教徒の祝い」でもあります。

 

このように説明されると、

 聖書を学び始めた人は、

 「そうなんだ」として「受け入れる」しかないのです。

 

そして、

 なぜ誕生日を祝わないのかと聞かれると

 ものみの塔に「教えられた通り」に返答するのです。

 

誕生日を祝わないことに「確信」を抱くのは

 信者になって「ずっと後」のことです。

 

それは、

 実際に、世の人々が行う誕生日の祝いを見たり聞いたりしてからなのです。

 その時、改めて再確認するのです。

 

聖書を学ぶ前は、

 誕生日の祝いのことなど「気にもかけて」いなかったのです。

 

つまり、

 聖書の中で、神の民が誕生日を祝った記録がないことを挙げている訳です。

 

聖書の中で、

 明確に誕生日を祝ってはならないとは、「記されて」はいないのです。

 

*****************

 

つまり、

誕生日は祝ってはならないのだと思わされている訳です。

 

(必ずしも、信じている訳ではありません

 誕生日位良いではないかと思っているエホバの証人もいると思います)

 

ところが、

自分が誕生日を祝わないことを、

 

世の周囲の人に知られることを「恐れ」るのです。

 

これは、

偶像崇拝でも同様です。

国歌や国旗に対しても同様です。

 

また、

輸血などの「世間の評判、批判」なども、

エホバの証人であることを「隠そうとする原因」となっています。

 

こうした点で、

世の人々から「質問」されると、

 

返答は「ものみの塔の受け売り」なのです。

 

多くの場合、自分自身の確信で「答えている」訳ではないのです。

 

********************

1 周囲と違うことに対する恐れ

2 エホバの証人であることを知られることの恐れ

 

こうした「恐れ」の感情は、

 

自分の考え、自分の意思で行っていない証拠であり、

(ものみの塔の「誘導」に従っているだけ)

 

自分が信じ行っていることを「知識としては理解」していますが

 

「確信」がないために起こる現象です。

 

ものみの塔に「誘導され」「そうしなければならないと思い込んでいるだけ」なので、

 

エホバの証人であることや周囲と違っていることを「恐れたり」「恥ずかしい」と思うのです。

 

********************

逆に、

良い評判を得ることに関しても、

ものみの塔の教えに従うという態度を示します。

 

1 他人に親切にすること

2 正直であること

3 嘘をつかないこと

4 他人に悪さをしないこと

5 法律や規則を守ること

 (この点に関しては、

  世間の普通の人と同じ程度に犯しています。

  例えば、交通違反など)

こうしたことは、

必ずしも、すべての状況で行う訳ではありません。

 

家族内や「人に見られていない時」などは、

 やらない場合少なくありません

 

****************

要点は、

ものみの塔が「聖書を根拠」に説明する事柄を「納得させられ」それを「信じ」て、「守っていた」としても、

 

それは、

 自発的なこと、つまり、自分の意思ではない場合があるということです。

 

信仰は、

個人的なことで、自発的なものです。

 

相手の言うことを信じることも「自由」であり「自発的なもの」ですが、

 

永遠の命」「平和で安全な世での暮らし」「病気や死からの解放」などという報い

を得たいために、

 

「確信」がなくても

ものみの塔に従っている点に問題があるのです。

 

ものみの塔に「誘導」されているのです。

 

****************

実際、

 聖書の「希望」は、

 現実には「誰も目にしたことのない事柄」なので、

 世の人々に「反論されても

  確かな証拠を提示出来ません

 

 聖書の記述とものみの塔による説明だけなのです。

 

そのため、

 「堂々として」いられないのです。

 

+++++++++++++++++++++++

これは、丁度

「今持っているものよりも、新しく良い製品」を

 PRや説明だけで「買ってしまう」ようなものです。

 

殆どの場合は、

その製品を購入し使っても仕組みや性能などは「詳しくは知りません

 

ただ、

使い方だけを知っているだけです。

実際、これだけで「十分」だからです。

 

エホバの証人も、

 「新しい製品を買ってしまう人」のようなものなのです。

+++++++++++++++++++++++

 

確信のない信仰について、

 

イエス・キリストは「盲目の信仰」と言っています。

 

********************

エホバの証人であることを知られることを「恥ずかしい」と思ったり、あたかも「悪いことをしている

かのような感情を抱き、

 

エホバの証人であることを「隠そうとする人」は多いものです。

 

また、

 

エホバの証人であることが周囲に知られると、

差別やいじめを受けると思い込んでいる場合も少なくありません。

 

生活が脅かされるほどの差別やいじめを受けることは「珍しい」ことです。

 

こうしたことは、

主に家庭内や学校などで大半が起きることだからです。

 

職場では、

ちゃんと仕事をすれば問題にはされないものです。

仕事の「しずらさ」は、

 自分がそうしているのです。

会社や職場の人がしている訳ではないのです。

 

買い物もどこかへ出かけることも何の支障も生じません

 

差別やいじめや嫌がらせなどを気にして

あるいは、

世の慣習に従わないことを「悪いことをしている」ような気持ちになったりすることは、

 

いわば、

隠れキリスタンのような「振る舞い」のようなもので、

 真の信仰ではありません

 

1世紀のクリスチャンたちは、

命を懸けて」「イエス・キリストの証人」となり、

 実際に、処刑された人も多いのです。

 

真の信仰を実践する人は、

世を恐れることはありません

エホバの不興を買うことを「畏れる」のです。

 

********************

日本だけではなく外国でも

差別やいじめや嫌がらせなどは生じています。

 

しかし、日本人には、

周囲と違うことや差別やいじめや嫌がらせを「極端に恐れ過ぎる」ところがありす。

 

周囲と同じことをし、

周囲と同じ考えでいることで、

周囲と平和で仲良く暮らす、

と言った精神は「日本人には根強いもの」があります。

 

まず、家庭で祖父母や父母などから「皆と同じことをし穏やかに平和に暮らす」ことを求められて育つからです。

 

加えて、

社会も同じことを人々に「求めて」います

 

平和で穏やかに暮らそうとすることは「良い」ことですが、

それが、

自分の信念や宗教などと異なる場合に「問題」となるのです。

 

他と違うことを求める外国人とは異なるのです。

 

日本人は「一人で自立する」ことが苦手な国民です。

 

このような日本人が、

 

周囲から批判されている「エホバの証人」であることを「隠そうとする」ことは然なことです。

 

「信仰」の点では「間違っています

 

しかし、

弱さ」という点では「許容」されることもあります。

 

エホバの証人は、

仲間内では「楽しく振る舞って」も、

 

一端「世に出る」と硬くなって身構えてしまいます

 

それは世に対する「恐れ」の感情から来るものです。

 

自信のなさ、信仰の欠如から来るものです。

 

********************

ものみの塔の「教え」を信じ「理解」してエホバの証人になっているはずなのに、

 

なぜ恥ずかしいとか恐れという感情が生じるのでしょうか

 

それは、

 

知識や理解があっても「確信」がないからです。

 

この「確信」がないので、

 

周囲と違うことに対して「堂々」としていられないのです。

 

自発的な意思でエホバの証人になったはずなのに「確信」がないのはなぜなのでしょうか?

 

それは、

自らが実感したり調べ納得していないからです。

(実際、これを行い、

 ものみの塔と同じレベルで考えられるようになるには、

 時間が掛かります)

 

ものみの塔の

 誘導や教え

をそのまま「鵜呑み」にして従っているからです。

 

つまり、

エホバの証人であることに

「誇り」を持っていない

からでもあります。

 

そのため、「自分の言葉」で、

世の人々に「説明」や「自分の確信」を話すことが出来ないのです。

  

話すことは、

ものみの塔の「受け売り」だけなのです。

 

これは、

洗脳された人の態度です。

 

オーム真理教の信者と同じ態度です。

 

こうした「恐れ」などの感情や「恥ずかしい」という態度などは、

 

信仰を実践していると公言する人にとっては

不名誉であり、恥ずかしいことです。

 

********************

加えて

スマホなどの普及

様々な新製品の登場で、

旧態依然とした信仰生活」に「大きな影響」を与えていることも原因となっていま

す。

 

エホバの証人でも、

世で生活していますから、

 

自動車は必要ですし、当然電気自動車などにも関心は高いですし、

次々と出る新製品に対する関心も小さくはありません。

 

つまり、

世の中の変化に付いて行く必要を強く感じているのです。

 

世のものとならない」ことを目指しているエホバの証人も

 世の変化に付いて行こうとしているのです。

 

こうしたことに加えて、

学校の問題、

アパートや自宅などの住居の問題、

パートを含め収入の問題、

 

こうしたことが、

信仰生活を「困難」なものとしています。

 

こうしたことを自覚しているエホバの証人は、

 恥ずかしくて

私はエホバの証人です」なんて「周囲の人に言えるはずはないのです

 

********************

イエスは終わりの日に関して次のように語っています。

「というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと

 食糧不足や地震があるからです。

 

 これらすべては苦しみの劇痛始まりです。

 

「その時,人々あなた方を患難に渡し,あなた方を殺すでしょう。

 またあなた方は,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。

 

 またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。

 

 そして多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう。

 

 また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。

 

(参考:こうしたことは、

 自分や仲間に生じた「患難」のために起こるのです)

 

 しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。

 

 そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地

 で宣べ伝えられるでしょう。

 それから終わりが来るのです」

-マタイ24:7-14

 

真のクリスチャンたちには、

 あらゆる「困難」が最後まで「付き纏う」のです。

 

****************

恥や恐れを抱くエホバの証人たちは、

 真のクリスチャンではないことは「明白」です。

 

確信や誇りのない信仰」は、

 盲目的な信仰であり、

 

聖書の中では、

恐れ」は

 多くの場合「信仰の欠如」と結びつけられています。

 

テサロニケ人(会衆)への第二の手紙(概要)

  パウロからテサロニケ会衆への手紙(司法上の裁きを受ける人)

  コリント AD51

内容

  主イエス・キリストの表し示されること(1:1-1:12

  イエスの臨在に先立って背教がある(2:1-2:12

  信仰のうちにしっかりと立ちなさい(2:13-3:18

 

**********************

関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。


 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。


 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。


 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。


 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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テサロニケ人(会衆)への第一の手紙(概要)

  パウロからテサロニケ会衆への手紙(互いに慰め合うこと)

  コリント AD50

内容

  テサロニケの人たちは他の者たちの手本となっている(1:1-1:10

  テサロニケの人々に対するパウロの愛の気遣い(2:1-3:13

  聖化と誉れのうちに奉仕する(4:1-4:12

  復活の希望(4:13-4:18

  エホバの日が近づくのを見て目ざめていなさい(5:1-5:28

 

**********************

関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

 一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

 最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

 ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

 少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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知恵を求める人のためのブログです。

経済の好循環とは、

 働き盛りの20代から50代までの世代の収入が安定して、かつ、毎年定期昇給する

 ことが大前提です。

 昇給額は、さほど大きくなくて良いのですが、

  安定して昇給することが大事なのです。

 こうなることで、

 子供も持ち易くなりますし、レクレーションやリフレッシュなども活発になりま

 す。

 

 すると、

 行楽地も人で賑わい繁盛することになります。

 

消費も安定するので、

 様々な企業の業績も安定して来ます。

 

これで、毎年の昇給分を確保出来る循環が生まれる訳です。

 

経済は、

 生産-消費、つまり、需要と供給のバランスだと言われています。

 

しかし、

 そこに、安定した賃金がなければ消費は伸びない訳です。

 

普通、需要と供給のバランスが崩れる価格も変動します。

 

したがって、

経済が安定するには、

 需要と供給のバランス確保するために、

 給料が毎年定期昇給することによる消費の安定が必要なのです。

 

********************

給料が毎年定期昇給すると言っても、

 経済が「右肩上がり」である必要はありません。

 

社員は「ところてん」のようなもので、

 毎年新入社員が入って来るとともに、

 定年で社員が去って行くからです。

 

 この人数が同じであれば、

 会社が支払う賃金に変動はありません

 

この定期昇給以外に、

 いわゆるベースアップは「しない方が良い」のです。

 

こうして、

 企業の安定化を図ることが重要なのです。

 

********************

もし、ここで、

 企業が更なる収益を求め、新製品の開発に力を入れ、企業同士が競争するようにな

 ると、

 適正な価格を維持出来なくなり

 また、

 売れ残りの在庫を抱えたり、新製品が思ったように売れなかったりすると、

 逆に企業の収益が減ることになります。

 企業の収益が減ると社員の給料も上がらず

  結果として景気が悪くなってしまうのです。

 

ですから、

 次々と新製品を出し各企業が競争している現状では、

 景気の回復は不可能なのです。

 

企業は利益を増やすつもりが逆に減らしていることを「認識」すべきであり、

それが景気を悪くしインフレを招いていることを「理解」すべきなのです。

 

一企業の問題ではありません。

企業全体の問題なのです。

 

********************

経済は、

 人、物、金などが常に流動的であり、

 いわば生き物のような性質を持っています

 

そのため、

 冒頭に述べたような企業を全体的に構築しない限り、

 どこか一点だけ良くしても、

 景気は良くならない訳です。

 

全体のバランス、流れを安定される必要があります。

 

一度流れが安定したら、その流れを維持する必要があります。

 

1970~1980年代のように、

 すべてが右肩上がりでは、

 何時か、必ず、破綻を来すことは「必定」なのです。

 

朝上った太陽は夕方には必ず沈むのです。

これが自然のサイクルです。

 

経済の理屈も同じなのです。

 

しかし、

自然も非常に長いスパンで考えると、

 普遍であることが分かります。

 

経済も同様に出来るはずです。

 

四季の変動のような「変化(サイクル)」も考慮した、

 安定した経済の仕組みを構築することが必要なのです。

 

輸入など外国をも考慮に入れた経済の安定性を維持出来る仕組みを作ることです。

 

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日銀は市場に「お金をばらまき」、

 経済を好転させようとしていますが、

 お金だけで解決出来る問題ではありません

 

その肝心のお金が「働き盛りの人々」に渡っていないのですから、

 消費が増える訳がありません。

 

政府は企業に賃金を上げるように「要望」していますが、

 企業は、競争を生き残るために、

  内部留保を増やし、

 そして、

  その余剰金で、新製品の開発や設備投資をしているのが現状です。

 

 これでは、

 景気が良くなることは絶対にないのです。

 

高度成長期には、

 物価の上昇は、給料の上昇の「後から付いて来たのです。

 毎年ベースアップがあり、

  これに加えて定期昇給もあったのです。

  給料が10年で10倍になりました。

 

景気を向上させるには、

 ベースアップを除いた

 冒頭の形を作らなければならないのです。

 

 給料を上げることが「」なのです。

 

今は、

 物価が上がっても、給料が付いて来ません

 

なぜなら、

 企業間の競争、生き残りそうさせているからです。

 

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近年、倒産する企業が増えています。

 失業者も増えています。

 なかなか就職が出来ない状況が続いていました。

 

 その割には、

 経済が安定しているように見えます

 

これは、

 日銀がお金をばらまき、

  業績の良い企業や国民が「お金を貯め込んでいる」からです。

 

国民はお金がない訳ではありません

 安心して「使えない」のです。

 

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景気が悪くなる状況が続いているのは、

日銀が今の状況を作ったと言っても過言ではありません。

 

日銀が市場に介入するのではなく、

 市場の動きを「悪ければ悪いまま」に、

 つまり、

 自然に「委ねる」べきだったのです。

 

すると、

日本経済が悪化しますが、

 そこで新たな経済の仕組みが「登場」することになります。

 

日本経済は、

 根本から構築し直す「抜本的な改革」が必要だったのです。

 

端的に言えば、

 初めに述べたような「仕組み」を作り上げることが「必須」だったのです。

 

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経済の専門家、政治家、企業の経営者などが、

 こうした点を理解しておらず

 目先の状況に対処しているだけで、

 

 いわゆる対症療法に追われ、

 根本的な治療法を全く行って来なかったのです。

 

いわば、がん治療のようなもので、

 がん患者の殆どは「対症療法による治療」のために「寿命を縮めている」ように、

 

政府や企業の経済対策も同様なのです。

 

このままでは

 遠からず、日本経済は「破綻」するでしょう。

 世界経済も同様です。

 

しかし、

 これが「終わりの日のしるし」の一つなら

 決して「避けることは出来ません

 

科学技術の発展と経済の破綻という矛盾は、

 事物の体制の終結が目前であることの「兆候」となるかも知れません。

 

コロサイ人(会衆)への手紙(概要)

  パウロからコロサイ会衆への手紙(哲学や欺きなど古い人格を捨て去るべきこと)

  ローマ AD60AD61

内容

  会衆の頭なるキリストに信仰を抱きなさい(1:1-2:12

  肉の業に対して死んだ者となり、キリストに対して生きなさい(2:13-3:17

  他の人たちとの関係(3:18-4:18

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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ものみの塔は、

 信者に「世のものとならない」ようにと「指導」しています。

 

ヨハネ17:16の

わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」

というイエスの言葉を適用しているからです。

 

しかし、その一節前では、

ヨハネ17:15には、

「わたしは,彼らを世から取り去ることではなく,邪悪な者のゆえに彼らを見守ってく 

 ださるようにお願いいたします」

と述べています。

 

クリスチャンに、また、エホバの証人になったからと言って、

 世の中から「逸脱」する訳ではありません。

 実際、そのような人は一人もいません。

 

世に居ながら「世のものとならないように」とイエスは言っているのです。

 

これは、

 生き方と考え方を「世の人々と同じようにしない」ということです。

 

イエスの弟子、つまり、クリスチャンは、

 「飾り」ではないのです。

 つまり、

 実生活クリスチャンに「ふさわしい」生き方、考え方をしなければならないとい

 うことです。

 

*********************

これは、

 個人としての在り方であって、

 組織としても「同様」にあるべきだということではありません。

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生活の殆どは、

 世の普通の人々となんら変わりはありません

 

食事に関しても特に意識することなく「何を食べても良い」のです。

 

ただし、

 食事に限らず、

 聖書で禁じられている事柄を「意識」し、かつ、それを「行う」なら

 「罪」を犯すことになるということを忘れてはならないのです。

 

ものみの塔は、

信者たちが「世のものとならない」ために、

 つまり、

 世の人々と同じことをしないことで、

 世の人々とは「違うんだ」ということを示そうとしています。

 そのため、 

  多くの「禁止行為」を示し、

 「やらない」ようにと述べています。

 

勿論、

これは、強制ではなく

 自発的なものですが、

 守らない人は、

  助言されるか排斥されることもあるのです。

 

これをどのように考えるべきでしょうか

 強制しないが、

 守らない人は「もう仲間ではない」ということを「示している」のです。

 矛盾しています

 

信仰は個人的なことです。

 受け入れるも従うも「自分で決める」ことなのです。

 

しかし、

ものみの塔のように、

 守らない人を排斥するというのは、

 当然のことのように思えますが、

 矛盾しているのです。

 

*********************

パウロが次のように述べているからです。

「兄弟たち,あなた方は,正しいことをする点であきらめてはなりません。

 しかし,この手紙によるわたしたちの言葉に従順でない人がいれば,その人に特に注

 意するようにし,交わるのをやめなさい

 その人が恥じるようになるためです」-テサロニケ(二)3:13-14

 

同じ信仰にあったある者が、

 聖書で示されている禁止行為を行ったからと言って、

 排斥するということは聖書には記されていません

 

ただ、

 注意し交わることのないように

 別の個所では、

  あいさつの言葉を掛けてもなりません、

  共に食事をしないように、

とも記されているだけなのです。

 

一般的には、

 会衆の「清さ」を保つため、

 誤った考えが会衆内で広まることを「抑える」ため、

 こうした「排斥」という処置をとります。

 

繰り返しますが、

 信仰は個人的なことです。

 会衆の中で、

  誤った考えや行いをする人を除き去ることで「会衆が清くなる」訳ではありませ

  ん

(実際、エホバの証人は「完全な人」ではありませんから、

 誤った考えや行いを沢山しています。

 もし、

 会衆から、こうした人々を除き去るとしたら、

 「誰もいなくなってしまうでしょう」)

 

 「霊的清さ」を保つのは、

  会衆や会衆に属しているからではなく、

  個人の信仰なのです。

 

ものみの塔は、

 組織や会衆を「完全視」しているのです。

 これも「間違い」です。

 

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ですから、

排斥などと「極端」な対応をするのではなく

「忍耐強く」接していく必要があります。

 

将来「改心し悔い改めた」時に、

 再び受け入れる「用意」をしておく必要があります。

 

今のものみの塔のやり方で「排斥」された後は、

 本人が自ら再び会衆に交わる以外方法は残されていません

 

排斥して、いわゆる「霊的食物の供給」を断つなら、

 その人は「霊的命」の希望を再び得られるようになる「機会」取り去られてしまう

 ことになります。

(もし、

  ものみの塔が唯一神の組織であるならば、

 です。

 しかし、

 これも、

  間違いです)

 

ものみの塔は、

 排斥することで「自分たちの霊的清さ」を保とうとしているのです。

 

これは「間違い」です

 

*********************

これは、

 神とイエスの考えとは「一致」しません

 

 どういう形であれ、

 聖書で禁じていることや、間違ったことをしても、

  ご自分を崇拝する者を「正す」ことはしても「除き去る」ことはしないのです。

 

実際、

 イエスの宣教期間中、

 多くの人々がイエスの後を付いて行きました。

 その中には、

  イエスの言葉を信じていても

   「正しく理解していない者」、

   「イエスに反対している者」

   「悪行者」

  などもいました。

 しかし、

 イエスは「それらの人々を除いたり、離れるようにと命じた」ことはありません

 

 離れて行く人は、

  自らの意思で「去って行く」のです。

 

最も懸念されることは、

 会衆内で「誤った考えが広がる」ことです。

  こうしたことは、

  忍耐強く、その都度「正していけば良い」のです。

 

真の崇拝は「忍耐強い」のです。

 悪い事柄に関して「寛容」なのではありません。

 正しい振る舞いが出来るように「待っている」のです。

 

こうした点で、

 ものみの塔は、

 短絡的で「間違っている」のです。

 

*********************

ものみの塔は(エホバの証人は)

 世の中で世の人々と混ざりながら住んでいながら

 

会衆内、組織内では、

 混濁を許さないのです。

 

つまり、

 自分たちは「世の中と混濁」していながら、

 会衆内では「混濁」を許さないのです。

 

これは「矛盾」です。

間違っています

 

この点では、

 他のキリスト教の方が「マシ」と言えます。

 

********************

最後に、「交わることのないように」と述べたパウロは、

次のようにも述べています。

コリント(一)9:1-23

「わたしは自由ではないのですか。

 わたしは使徒ではないのですか。

 わたしは,わたしたちのイエスを見たのではないのですか。

 あなた方は,にあるわたしの業ではないのですか。

 

 わたしはほかの人たちに対しては使徒ではないとしても,あなた方に対しては確か

 にそうです。

 あなた方は,との関連においてわたしの使徒職を確認する証印なのです。

 

 わたしを調べる人たちに対するわたしの弁明は次のとおりです。

 

 わたしたちには飲食する権限があるのではありませんか。

 

 わたしたちには,ほかの使徒やの兄弟たち,またケファと同じように,姉妹を妻とし

 て連れて歩く権限があるのではありませんか。

 

 また,[世俗の]仕事をやめる権限がないのは,バルナバとわたしだけなのですか。

 

 自費で兵士として仕えたりするのはいったいだれでしょうか。

 だれがぶどう園を設けてその実を食べないでしょうか。

 また,だれが[羊の]群れを牧してその群れの乳にあずからないでしょうか。

 

 わたしはこれらのことを人間的な標準で話しているのでしょうか

 律法もそう言っているのではありませんか。

 

 モーセの律法の中に,「脱穀している牛にくつこを掛けてはならない」と書かれて

 いるのです。

 が気にかけておられるのは牛のことですか。

 それとも,専らわたしたちのためにそう言われるのですか。

 

 まさにわたしたちのためにそれは書かれたのです。

 すき返す者は希望をもってすき返し,脱穀する者はそれにあずかる希望をもってそ

 うすべきだからです。

 

 わたしたちが霊的なものをあなた方にまいたのであれば,肉体のためのものをあな

 た方から刈り取ったとしても,それが何か大それたことになるのでしょうか。

 

 他の人たちがあなた方に対するこの権限にあずかっているのであれば,ましてわた

 したちはそうしてよいのではありませんか。

 しかしそうではあっても,わたしたちはこの権限を利用しませんでした

 かえって,わたしたちはすべての事を忍び,キリストについての良いたよりに何の妨

 げも来たさないようにしています。

 

 あなた方は,神聖な務めを行なう人たちが神殿のものを食べ,絶えず祭壇のことに仕

 える者たちが祭壇と分け合う分を持つことを知らないのですか。

 

 これと同じように,はまた,良いたよりをふれ告げる者が良いたよりによって生活

 することを定められたのです。

 

 しかしわたしは,こうした[備え]を何一つ利用したことがありません

 事実,わたしはこれらのことを,自分の場合にそうなるようにと思って書いたのでは

 ありません。

 [そうする]くらいなら,むしろ死んだほうがわたしにとっては良いからです―わた

 しの誇る理由をだれもむなしくすることはできません! 

 

 わたしが良いたよりを宣明しているとしても,それがわたしの誇る理由ではない

 です。

 わたしにはその必要が課せられているからです。

 実際,もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなるので

 す! 

 

 もしこれを進んで行なえば,わたしには報いがあります。

 しかしそれを自分の意志に逆らってするとしても,わたしにはやはり家令の仕事

 託されています。

 

 では,わたしの報いとは何ですか

 それは,良いたよりを宣明するに際し,良いたよりを価なしに提供し,良いたよりにお

 ける自分の権限を乱用しないことです。

 

 というのは,わたしはすべての人に対して自由ですが,できるだけ多くの人をかち得

 るために,自分をすべての人の奴隷としたからです。

 

 こうしてわたしは,ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。

 ユダヤ人をかち得るためです。

 律法のもとにある人たちに対しては律法のもとにある者のようになりました。

 わたし自身は律法のもとにいませんが,こうして律法のもとにある人たちをかち得

 るためです。

 

 律法のない人たちに対しては律法のない者のようになりました。

 自分はに対して律法のない者ではなく,キリストに対して律法のもとにある者で

 すが,こうして律法のない人たちをかち得るためです。

 

 弱い人たちに対しては弱い者となりました。

 弱い人たちをかち得るためです。

 わたしはあらゆる人に対してあらゆるものとなってきました

 何とかして幾人かでも救うためです。

 

 わたしは良いたよりのためにすべての事をするのです。

 それを[他の人々]と分かち合う者となるためです」

 

使徒として、クリスチャンとしてのパウロの考え方、歩み方は、

ものみの塔に属する「エホバの証人」のようではありません