ペテロの第一の手紙(概要)

  ペテロから各地のクリスチャンへの手紙(ペテロによるクリスチャンとしての歩み方)

  バビロン AD62AD64

内容 

  キリストによる生ける希望への新たな誕生(1:1-1:25

  諸国民の間でりっぱな行状を保つ(2:1-3:22

  苦しみに遭っても、クリスチャンとしての神のご意志を行うことを歓びとする(4:1-5:14

**********************

関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

**********************

 

知恵を求める人のためのブログです。

いわゆる話術というのは、

 自転車に乗る時の「コツ」のようなものです。

 

 なかなか自転車に乗れなかった人が、

 ある日突然乗れるようになることがあり、

  それを決して忘れることはありません。

 

 バランスの取り方の感覚が分かったのです。

 

話術も同じで、

 その「コツ」を身に付けると、

 二度と忘れることはないでしょう。

 

ただし、

 これが無意識に出来るようになるには

 常に「意識」して使い続ける必要があります。

 

***************

人を笑わすことが得意な人、

聴いている人を惹きつけることの出来る人、

 

これらは、

 天性の才能で「出来る」ことが多いですが、

 これは「技術」なのです。

 

自然に出来る人もいれば、

 努力して身に付ける人もいます。

 

どんなことでも、

 笑いに繋げられる人、

 誉めることが上手い人、

どうすれば、

 人に感動を与えられるかを

  知っているだけでなく、身に付けている人、

 

こうした「特技」は、

 良い人間関係を築くには「重要な要素」です。

 

逆に、

 話の上げ足を取る人、

  いわゆる「突っ込み」です。

 直ぐに大声を出す人、

 直ぐに怒り出す人、

 何でも反対する人、

 など、

こうした人は、

 気が短く物事を性急に考えている人多く

 良い人間関係を築くのは難しいものです。

 

***************

何事も「裏表がない」とか「正直」だというのは、

 善いことです。

 

ですが、

 それだけでは

 良い人間関係を築くことは出来ません

 

正直に話したら「ケンカ」なったということは誰にでもあることです。

その後は「気まずい」思いを続けることになってしまいます。

会話としても、人間関係としても、

 失敗なのです。

 

また、

裏表がないというのは、

 プライバシーや「人に話してはならないこと」を

 曝け出しているようなもので、

 そのような人は、

 「秘密」を他人に知られたり、

 「大事なこと」を漏らしたり、

  することもあり、

  それが「他人に話されたり、利用」されてしまうこともあるのです。

 

暴露された「裏表のない人」怒りは相当なものとなってしまいます。

 

どちらも

 良い人間関係を難しくしてしまうのです。

 

***************

ですから、

話術=話し方は重要なのです。

 

これは「技術」ですから、

 生まれ持って見に付いている人以外は、

 努力して身に付けるものです。

 

そのためには、

 自分で、

 何時、何を、どのように「話す」べきかということを、

 常に「意識」していなければなりません。

 

丁度、

 精密部品の「加工」「組み立て」をしている時のようなものです。

 細心の注意が必要なのです。

 

なれない人にとっては、

 疲れることです。

 

ですが、

 失敗した時の「後悔」を考えれば、

 努力した「報い」は得られます。

 

***************

人は、

 誰か言い方を真似をすることも「出来ます」。

 

ですから、

初めは、

 話術の優れた人の「言い方、話し方」を真似ることから練習すると良いかも知れま

 せん。

 

 そうしている内に、

 どういう話し方をすれば、

  人はどのような反応をするか

  明確に「意識」することが出来ます。

 

 つまり、

 自分の話し方を「コントロール」出来るようになるのです。

 

 時宜に適った適切な「話術」の本質が分かり、

「達人」の息に達することが出来るかも知れません。

 

聖書の中では、

「人は自分の口の答えに歓びを得る。

 時宜にかなった言葉は,ああ,何と良いものであろう」-箴言15:23

「適切な時に話される言葉は,銀の彫り物の中の金のりんごのようだ」-箴言25:11

 

適切なことを「話すことの価値」が示されています。

 

そのような人は、

 大抵、誰とでも良い人間関係を築けるものです。

 

***************

一方で、

注意点もあります。

 

話し方「思慮深く」ない人は、

 粗暴で品がなく暴力的な人が「少なく」ありません。

 

また、

巧みに「人を騙す」場合の「話術」には、

1 利害を口にする

2 金銭のことを口にする

3 褒めた上で「物を売り込もうとする」

4 親切を装いながら不安を煽り「対処方法として、お金や設備」の話しをする

という特徴があります。

 

勧誘」する人の「話術」でもあります。

 

話し方に「巧みな」人に対する、

 注意すべき事柄です。

 

テレビのCM、テレビショッピングなども、

「商品」を」売り込むため、

 便利さ、効果、不安、安さを「利用」しています。

 

誇大表現」であることも「少なくありません

 

商品を売ることが目的ですから、

 そのためには「何でも」するのです。

 

もっとも「悪辣」なのは、

ネット上の「詐欺」です。

 

お金を振り込ませてから、

1 粗悪な商品を送ったり、

2 商品を送らなかった

 

する場合です。

 

テレビショッピングやネットでの、

いわゆる「通販」は「要注意」です。

 

確実に「返品」を約束している「通販」以外は、

 信用しない方が「良い」です。

(参考:

  アマゾンやヨドバシ・カメラなどの通販は、

  素早く返品、返金に応じてくれます)

 

それでも、

中には「返品」「返金」に応じない「ネット上の店舗」もあります。

この場合、連絡が取れないということもあり、

 殆どの場合、

 泣き寝入りしています。

 

いわゆる「売り込むための謳い文句」は、

信用出来ないことが多い」ものです。

 

皆さん、注意しましょう

 

***************

話し方という点で、

 評論家、専門家、作家、ルポライター、文章や言葉の表現を考える人、

 アナウンサー、ニュースキャスター、DJ、教師、教授、

 テレビショッピングで「商品」を売り込む人、

 などは、

 話術を認識している職業です。

 

 話し上手の人は、

 人気のある人であることが多いものです。

 

話し下手の人や良い人間関係を築きたい人は、

 こうした人々の話し方を学び、

  自分に適した話し方、

  自分が願う話し方、

 を身に付けることは、

 人生を有意義にするものとなります。

 

***************

ちなみに、

勧誘や宣教活動良い成果を上げている人の多くは、

 話術に長けた人です。

 

ただし、

 人の善悪とは「関係ない」ことも「知っておくべき」です。

 

 その人が「善い人か悪い人」かは、

 粗暴な人や品のない人を除き、

 話し方で決まる訳ではありません

 

「人を騙す人」の多くは、

 自分を「善い人」のように「見せる(振る舞う)」ものです。

 

ヤコブの手紙(概要)

  ヤコブから各地に散っている十二部族(クリスチャンたち)への手紙(ヤコブによるクリス

  チャンとしての歩み方)

  エルサレム AD62以前

内容

  み言葉を行なう者として辛抱強く忍耐する(1:1-1:27

  信仰は正しい業によって全うされる(2:1-2:26

  舌を制御して、人に知恵を教える(3:1-3:18

  肉欲の快楽や世との交友を避けなさい(4:1-4:17

  義のうちに忍耐する人は幸いです(5:1-5:20

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。
 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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知恵を求める人のためのブログです。

人間はものを考える時、

 特に大事なことを考える時には、

 ある程度計画性を持って思考する必要があります。

 

思考を計画?

「計画することが思考」ではないのか

 と言う人がいるかも知れません。

 

ある物事を成し遂げるために、

 普通、計画(考える、思考)するものです。

 

しかし、

今回は、

 思考の「方法」に付いて考えたいと思います。

 

思考を計画する」とは、

 何をどのような順番で「考えるか」ということです。

 

そうでないと、

 思考がランダムになり、

  あちこち飛んでしまい、纏まりが付かなくなって

  いわば、時間の無駄のようになってしまいます。

 

普段の思考は、

 ちょっと考えては別のことを考えるということを繰り返しています

 その場合の思考は、

  考えるというより「思い付き」であることが多いものです。

 

しかし、

より重要なことを考える(思考)時や、

何か答えを導く必要がある場合には、

 思考を体系化した方が「効果的」です。

 

思考を体系化するなどという発想は、

 普通は考えないものです。

 

 意識して初めて可能となるものです。

 

***************

例えば、

 研究者は日夜自分の研究テーマについて考えています。

 研究者の悩みの種は、

  テーマの概念が掴めなかったり、

  問題を解決するアイデアが出なかったり、

  アイデアが出ても、それを確かめたり証明することが出来ないことです。

 そのため、

  殆どは、非常に細かい点や非常に難解な部分だけを考えている場合が多いもので

  す。

 その部分が解決できれば、

 研究が完成すると思っても、

  解決しても、

  新たな問題が発生することもあります。

 こうして、

  研究は更に「深みに嵌(はま)って行き」、

  解決が見えなくなる場合もあります

 

 更には、

 思い込みが解決を妨げていることさえあるのです。

  

 つまり、

 思考の方向性が間違っている場合です。

 

 おそらく、

 これに気が付けば

 その研究を改めて初めから「見直す」ということをすることになるでしょう。

 

初めに言いましたように、

 研究も体系化して考える必要があるのです。

 そこで、方向性が間違っていると、

  期待している、あるいは、望んでいる結果は出ないものです。

 あるいは、

  無理にこじ付けた結果として論文を書くと

  後日、誤りを指摘され「恥」を書くことになることも少なくないのです。

 

****************

思考を体系化するとはどういうことでしょうか?

 

重要な思考は、

 大雑把な事柄を紙に書き出すのが最善の方法です。

 こうすることで、

 常に全体を見て考えることが出来るからです。

 

 次いで、

 各項目毎に、同様に書き出して、

 より具体的に詳細を考えて行くのです。

 

更に、

 具体的に考えて行くと、

 アイデアは良いが実現が難しいということも出て来ます。

 

もし、

 体系化して思考していないと、

 この時点で行き詰ってしまうことになります。

 

しかし、

 体系化しより細分化して思考出来るように紙に書いて置けば

 いつでも原点に戻れますし、過ちにも気付きやすくなります

 

また、

 問題点がどこにあるのかも明確に分かるものです。

 

***************

こうした思考は、

 人生計画、

 大学受験に合格すること、

 国家試験に合格すること、

 目標達成すること、

などだけではなく

 

 日常の小さい目標にも役立ち

 失敗や上手く行かない原因も自ら判断することが出来るものです。

 

几帳面な人は、

一日のスケジュールを綿密の計画しているものです。

 そのようにして活動しているので、

  生活のリズムも変わらないものです。

 いわば、

  気まぐれということは少ないものです。

また、

 思い付きを「直ぐに実行する人ではなく

 その考えを十分に考えてから行動する人です。

 

こうした人は、

 人生で失敗をすることが少ないです。

 

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気まぐれに、自由(思いつくまま)に生きることも「気分の良いこと」かも知れません。

 

しかし、

他人とのトラブルや事故や病気や災害などがあった時、

 狼狽(うろた)えるかも知れませんし、

 問題を上手く解決出来ないかも知れません。

 

順調に行っている時には、

 何も悩むことはありません

 

問題が生じた時に、

 どのように対処するかで、

 安心や平穏な生活を維持出来るか否かが決まることが殆どです。

 

普段から、

 人生を俯瞰して、体系的に考えて置くことは大事なことです。

 目標だけではなく、

 病気や事故や災害などについても考え、

 必要に応じて備えもして置くことです。

 

こうしたことを、

 紙に書いて「時々見直す」ことは大事なことです。

 

自分の人生の方向性が間違っていないかどうかを自ら「考察」出来るからです。

 

ヘブライ人への手紙(概要)

  (パウロがヘブライ人当てに書いた手紙とされている)

  (キリストについてのパウロの教理)

  ローマ AD61

内容

  キリストの高められた地位(1:1-3:6

  信仰と従順によって神の休みに入る(3:7-4:13

  キリストの祭司職の優越性に対する円熟した見方(4:14-7:28

  新しい契約の優越性(8:1-10:31

  信仰について説明され、例証される(10:32-12:3

  信仰の闘いにおける忍耐(12:4-12:39

  崇拝の問題に関するさまざまな勧め(13:1-13:25

 

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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知恵を求める人のためのブログです。

地上では植物は、

 一般的に分かり易く言えば、

 「光のエネルギーによって水を分解して酸素を発生し、二酸化炭素をデンプンなど

  の有機物に固定する反応」という光合成を行っています。  

 

 別の言い方をすると、

 人間や動物たちが排出する二酸化炭素を吸収し酸素を放出します。

 それにより、

 人間や動物や他の生物が生きて行けます。

 

海や川の中でも、

 海中や水中の植物が光合成をして同様のことをして、

 海や水の中に酸素を放出するため、

  海中や川の中の生物が生きて行けます。

 

****************

(参考

 空気中には約250mg/Lの酸素が含まれています。

  体重50kgの人の場合の一日の呼吸量(こきゅうりょう)を計算すると

   20回/分の呼吸で0.5Lの空気を吸っていると言われていますから、

   24時間では、

   0.5リットル×28,800回=14,400リットルで約20kgと言われています。

  その中で、

  人間が必要な酸素量は33ml/kg/分と言われています。

  平常時、0.3L/分の量の酸素が肺から血液に取り込まれていると言われていま

  すから、

  人間や動物が生きて行くのに十分な量です。 

  大気中のおよそ21%が酸素だと言われています。

 

  参考:血中酸素濃度は95-98%が正常とされています。

     正に、は酸素ボンベであり、

     血管は酸素供給管と言えます。

 

 一方、

 海中の酸素量は12mg/L程度と言われています。

 魚は3mg/L以上あれば良いとされています。

  魚が生きて行くのに十分な量です。

 

  参考:ですから、

     魚には人間や動物程血液がありません

 

 大気中のCO2 の量は通常0.03%であり、

 海中に存在するCO2 の量は、大気中のおよそ60倍に及び、
 人間活動によって大気中に放出されたCO2 の30%以上を、海洋が吸収してい

 ると見られています)

 

****************

人間や動物の老廃物や植物の枯れ葉などは、

 地中の微生物が分解し、植物の栄養(成分)となり、

 食物連鎖を形成し、

 人間や動植物はこうした「永遠のサイクル」の中で生きているいるということが分

 かります。

これは、

 海や川の中の生物でも同様です。

 これらの生物の老廃物を微生物が分解し、藻などの食物が成長し、

 こうして、

 陸でも水中でも食物連鎖が完成されています。

 

これにより、

 すべての生き物は、

 限りある命繋ぎながら永遠に存在出来る仕組みが完成しているのです。

 

こうしたことは、

 学校で習いますので誰でも知っていることです。

 

大気の循環により、

 大気の気温が極端になることもなく少しずつ変化することで、

 体が順応できることや、

 空気が清浄化され新鮮な空気を吸うことが出来ています。

 

水の循環により、

 水の中に有害な微生物が増殖するのを防ぎ、

 水を何時も奇麗に、新鮮なものとすることで、

 人間は安心して水を飲んで渇きをいやすことが出来ます。

 

加えて、

水は万能です。

 

生命維持には欠かせないものの一つです。

 

いわゆる、

炭素化合物である有機質は、

 腐敗という現象を通して循環に寄与しています。

 

いわゆる、無機質なものは、

 有機質のような速さでは変化しません。

 何十年から何万年もかかるとされています。

 これらには、

 生命が関わっていません

 

有機質は、

 生命が関わっているので、

 短いサイクルでないと、

 生物は生きて行けません。

  毎日食べて消化し排泄するからです。

 

生物の命のサイクルは、

 生物によって様々ですが、

 有機質の短いサイクルが、

 生物の長い命のサイクルを可能にしているのです。

 

動物の体の新陳代謝も、

 それぞれの生き物を長く生きるために必要なことです。

 細胞は毎日血液も時々刻々ろ過され奇麗にされています。

 

血液は体の隅々に至るまで流れていますが、

 体の各部分は、

 その血液の中に混じっている様々な成分

 脳や筋肉や内臓などが必要なものだけ吸収したり、

 老廃物を血液に排出し、

 それを腎臓でろ過することによって、

 血液が常に新鮮な状態を保てるような仕組みとなっています。

 

体内のエネルギー循環も同様です。

 

植物は、

 水から酸素を放出し、二酸化炭素をデンプンなど変え、

 

動物は、

 酸素から二酸化炭素を放出しています。

 

こうした動植物の依存性は、

生命の維持、継続には不可欠です。

 

****************

この世界に不変なもの存在しているのは、

 動植物の「」です。

 

は老化したりケガや事故で障害を負ったりすることはありますが、

命そのものは、

 生きている限り生まれた時から「不変」なのです。

 

を支えている肉体が死ぬと「消滅」してしまうのです。

あたかも「空気」のようにな存在と言えます。

 

その時までは「不変」なのです。

 

」が老化する訳ではありません

」が病気になることもありません

 

」は、「」なのです。

 

み使いのような「」そのものなのです。

見えない存在」なのです。

 

ですから「」に「老化」などというものはないのです。

 

エネルギーのような「動力源」とも言えるかも知れません。

 

****************

動植物のエネルギー代謝については知られています。

その仕組みも知られています。

 

ですが、

 なぜそういう仕組みなのかは「誰も知らない」のです。

 勿論、

 化学的な作用に関しては「理論」付けられてはいます。

 

 ただ極端な話しとしては、

 原因と結果だけしか知らないのです。

 

も同様です。

 原因と結果だけしか知らないのです。

 

誰も、自分や他人の「命」を増やしたり減らすことも出来ません

 

ただ、

 誕生させることと失うことだけしか出来ないのです。

 

動植物の生体(内部構造や仕組み)は、

あらゆる器具や機械を用いて見て知ることが出来ていますが、

「命」そのものは見ることが出来ていないのです。

 

エネルギーそのものを見ることは出来ませんが、

例えば、

 ガソリンなどの内燃機関は、

 ガソリンを気化し引火し爆発させることで動力を生み出しています。

 

 ガスコンロで、

 ガスに火をつけ燃やすことで、

 難しい言葉を用いるならば、

 熱のエントロピーによる熱伝導により、水を温めたり沸騰させたりして調理するこ

 とが出来ます。

 

このように仕組みは分かるのですが、

 エネルギーそのものは見ることは出来ません

 

大学時代、

 放射線の実験(測定)をした時、

 先生に「放射能」とは何ですか「ゴミ」のようなものですか?と質問したことがあ

 りましたが、

 余りにも愚問だったのか、

  明確な返答をしてもらえなかったように思います。

 (私が理解していなかっただけなのかも知れません)

 

今にして考えれば、

 放射能は「エネルギー」のようなもので、

 感知することは出来ても見ることは出来ないものだということだと理解していま

 す。

 例えば、

 熱した鉄(ウランなど)が放出する熱(放射線)ようなもので、

  時間と共に下がって(減少して)行きます。

 

も同様です。

 感知することは出来ても「ある条件の下ではないと見えません

 

例えば、

 鉄を熱すると赤く発光します。

 そのである程度温度が分かるものです。

 サーモグラフで見ることも出来ます。

 

同じように、

酸素見えませんが、呼吸が出来たり物が燃えることで酸素の存在が分かります。

重力や引力見えませんが、物を投げたり落としたりすることで重力の存在が分かります。

 

世界は、

 見えるもの見えないものによって「支えられている」ことが良く分かると思いま

 す。

 

実に不思議な世界です

 

無機質だけの世界なら、

おそらく、

現代科学は推測している通りに宇宙が存在したと思います。

 

しかし、

有機質の存在命やエネルギーなどの目には見えない存在が加わると、

誰も正確には理解出来ないのです。

 

****************

人間は、

こうした不思議な事柄を

 経験から当然のことと見なして、

 作物を育てたり畜類を飼ったりしています。

 これらのものを食べて生きている訳です。

 

人間は、自分勝手なことを考えたり行ったり発言したりしていますが、

 自然の法則や働きを考えると

 人間のすることは「小さい」ことに思えないでしょうか?

 

例えとしてふさわしくないかも知れませんが、

 人間は何をしても、

 「釈迦の手の平から出られない孫悟空」のようのものと言えます。

 

(釈迦を神に置き換えると、

  反発する人が出てくるので、

  敢えて、釈迦にしてみました)

 

生命としての人間の命は、

 他の生き物と変わりはありません

 言葉は悪いですが

 いわば、

 犬やネコや牛や豚、そして、野の獣などと変わりはないのです。

 

聖書では、

 人も動物も「同じ魂」と説明されています。

 これは、

 いわゆる「霊魂」のことではなく、

  魂=肉体という意味です。

 

しかし、

神を崇拝するという点においては、

 人間は他の生き物よりは価値があるのです。

 

もし、

 神を崇拝するということをしなければ、

 人間としての価値は他の生き物と変わらないということです。

 

ただし、

 神と言っても「真の神」に対してです。

 

神を崇拝すると言っても、

偶像崇拝を行うことに関しては、

 その信仰心や崇拝行為によって、

 その人の価値が定まると言っても過言ではありません。

 そして、

 「真の神」の「裁き」を受けることになります。

 

そうです、

真の神を崇拝しない限り、

 人間の価値は殆どないさえ言えるのです。

 

例え、どんなに立派なことをしてもです。

 真の神から見れば、

 人間の知恵や行いは、

  些細なことなのです。

 

少し話しが飛躍しましたが、

これが現実なのです。

 

あなたは理解出来るでしょうか?

 

 

フィレモン(会衆)への手紙(概要)

  パウロからフィレモンと会衆への手紙(オネシモについて)

  ローマ AD60AD61

内容

  オネシモは奴隷以上のものとして主人のもとに送り返される(1-25

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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知恵を求める人のためのブログです。

神社に祀られているご神体は、

 見てはならないものとして一番奥の部屋に隠されています

 人が近寄ってその場所を汚すことがないようにするためです。

 つまり、

 居場所ははっきりしていますが見えないようにしているのです。

 

ご神体は、

 昔の神話や伝説に基づいたや、や、何か謂れのあるものが多いようです。

 

(そういう物に力があるとは考えにくいですが、

 神話や伝説を信じていることが多いようです)

 

あるいは、

 明治神宮(明治天皇)や

 乃木神社(乃木希典)や天満宮(菅原道真)などのように、

 昔の人物神格化した神社もあります。

 また、

 高野山金剛峯寺は空海

 比叡山延暦寺は最澄

  開創した寺社ですが、

  各々空海、最澄を慕って参拝する場所となっています。

 

寺に祀られている仏像は姿を様々な形(空想上の人物が多い)で表しています。

 

神社の社殿などの横に狛犬(一対の獅子に似た獣の像)を配置し魔除けとしています。

(神と悪霊とを分けて考え、悪霊が入り込まないようにしているのです)

 

あるいは、

稲荷神社のように、狐の像を配置しているところもあります。

商売、五穀豊穣を祈願する神社として全国各地にあります。

 

日本は至るところに、

神社や寺社が点在しています。

中には人目に付かないところにさえあるものもあります。

容易に人がいけないところにあるものもあります。

 

おそらく、

外国でも同様だと思います。

 

神様は「人目に触れてはならないもの」という認識が強いようです。

昭和の敗戦までは、

 天皇は「」扱いのため、

 庶民は見てはならないものとされていました。

 

伊勢神宮や鹿島神宮のように、

パワースポットとされているところもあります。

 

しかし、

多くは、

神は見えないまでも「居場所」ははっきりさせているものです。

 

人はやはり見えない神より居場所がはっきりしている神の方が信心し易いようです。

 

日本人は信心深いのか、

 なんでも「神」にしてしまうことがあります。

 

例えば、

 500年、1000年の大樹を神としているところもあります。

 石や岩などを崇める対象としているものが多いようです。

 

****************

神出鬼没」という言葉があります。

 これは、

 神や鬼がたちまち現れたり隠れたり、

 出没が変幻自在であることを示しています。

 

(中国の『淮南子(えなんじ)』が出典とされています)

 

ですから、

 神や悪霊たち「特定の場所」にいる訳ではないと考えている人の方が多いので 

 す。

 

****************

なのに

 人々は、特定の神社や寺社や、

 あるいは、

 キリスト教の「大聖堂」のようなところに「行って」

 いわゆる「参拝」をしているのです。

 

理由は、

 日本の神社や寺社は、

 各々、「ご利益」が異なるからです。

 

つまり、

 人々が「」として崇める対象に、

 各々特定の「能力」しか認めていないということです。

 

例えば、

 この神社の神は「縁結びの神」だとか、

 天満宮や天神は「学問の神様」だとか、

 あるいは、

 「安産」「家内安全」「五穀豊穣」などを銘打った神社が多いものです。

  

実際、

 天満宮という名の神社は全国に100ヶ所かそれ以上あります。

 日本人は「怨霊」を祓うとか「頭が良くなりたい」という「気持ち」が強いようで 

 す。

 

盆踊り」という行事は先祖を供養するための「踊り」とされています。

 墓参りもしますが、「盆踊り」もするのです。

(しかし、盆踊りに参加する人の多くは、

 祭りや踊りを楽しんでいるだけのように「見えます」)

 

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神社や寺社というはっきりした場所を作るのは、

 見えない存在に対する人間の知恵」かも知れません。

 

 つまり、

 その「特定の場所」に天から降りて来て「願いを叶えて欲しい」との思いが込めら

 れているのです。

 

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イスラエルの神、エホバがモーセと接見するのに、

1 人里離れた山(シナイ山、ホレブ山、)の奥、頂き

2 幕屋(後の神殿)の至聖所

  荒野では「組み立て式」の幕屋でした。

  ソロモンの時に神殿を建設しました。

3 ヨシュアはゲリジム山とエバル山の間で、

  イスラエル国民に、「エホバに誓い」を立てさせました。

という「特定の場所」でした。

 

荒野では、

エホバがイスラエル国民と共にあることを示すために、

昼は「雲の柱」、夜は「火の柱」で民を先導しました

 

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しかし、

神との接見を許されていたのは、

 モーセやヨシュアや大祭司だけだったので、

神の民と言われたイスラエル国民は、

 人々自身が直接見える神(偶像)を崇拝するようになり

 その都度、神に罰を与えられています

 

(日本の場合、

 神社では宮司が、

 寺では住職が、

  祈祷を行いますが、

 

 比叡山延暦寺のように、

  天台座主(僧侶の最も高い地位)や多くの僧侶が行うところもあります。

 高野山金剛峰寺では、

  空海は「今でも生きている」とされているため、

  天台座主のような存在はいませんが、

  僧侶は学侶、行人、聖の三つに区分されていると言われています。

 祈祷は、

  多くの場合僧侶が行います)

  

キリスト教でイエス・キリスト像を用いたりマリア像を用いるのは、

見えない存在より見える存在の方が「崇拝し易い」ためでしょう。

 

そして、

誰でも、それらの像」に対し「祈る」ことが許されています。

 

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崇拝の対象ではありませんが

 宗教的な壁画や絵画も沢山あります。

 

ただ、神そのものの像や絵画はありません

誰も神を見たことがないからです。

 

もし、誰かが描いたとすれば

 それは空想によるものです。

 

例えば、

悪魔の絵がそうです。

悪魔を見た人はいません

 

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また、

人は、

 ある特定の生きている人

 神のようだ、あるいは、鬼や悪魔のようだなどと表現することもあります。

 

現実に、

 神も鬼も悪魔も見たこともないのにです。

 

これは、

 姿形ではなく

 各々の性質を似ていると言っているのですが、

 ただ、

 善いことは神の性質で、

 悪いことは鬼や悪魔の性質である、

 と人々が認識していることを示しています

 

また、時には、

 災害があると「神様の祟り」だと考える時代もありました。

 現代ではこのように考える人は殆どいないと思いますが。

 

 残虐な出来事悪魔のせいだと思う人も少なくありません。

 

 例えば、

 プーチンやスターリンやヒトラーを悪魔の化身と考える人もいるでしょう。

 

人は、

 理解出来ない出来事や残虐な行為神や悪魔に結び付けて考える傾向にあるようで

 す。

 

あなたもこのように考えたり思ったことがあるのではありませんか?

 

こうした人類の特徴は、

 人間に信仰心が「初めから備わっている」という証拠になるでしょう。

 

聖書の中でも、

 神による「裁き(罰)」として、

 大洪水、地割れ、疫病、飢きん、雹、雷(稲光)、天からの火と硫黄、

 など自然災害と思われるような出来事が記述されています。

 

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ところが、

文明や科学が進歩した現代では、

 この信仰心が薄れていることは確かです。

文明とは

 生活水準の向上、近代的な社会や生活、

 更には、

 宗教、道徳、学芸などの精神文化よりも

 人間の技術や物質を重んじることを言います)

 

 文明とは

 人間の「知恵」と「工夫」の結晶のようなものです。

 つまり、

 科学の産物です。

 

 科学とは「神仏」に関わらないということでもあります。

  

現代は、

 科学中心の時代ですが、

 年末年始なのど「初詣」などの人口を見て見ますと、

  国民の9割ほどの人々が、

  何らかの形で「神頼み」をしていることが分かります。

 

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かつて、

ノアの大洪水前、

 神は、

「人の悪が地にあふれ,その心の考えのすべての傾向が終始ただ悪に向かうのをご覧

 になった」

「地は[まことの]の前に損なわれ,地は暴虐で満ちるようになった

 と言われています。

 

この時の人間は「何でも、やりたい放題」なことをしていたのです。

 神のことなど「全く考えていなかった」か、

 あるいは、「神を軽視していた」のです。

 

地上が暴虐で満ちたため

は大洪水で「その時の世を滅ぼした」のです。

 

その同じ神が、

 現代の人間の態度見過ごすでしょうか

 有り得ないことです

 

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ロシアによるウクライナ侵攻だけではなく、

パレスチナ(ハマス)とイスラエルとの戦闘も激化しています。

 

ロシアやハマスやイスラエルは、

 民間の施設を攻撃しています。

ウクライナはロシアの軍事施設だけを攻撃しています。

ただ、

ウクライナ以外の

反ロシア勢力は、ロシアの民間施設も攻撃しています。

 

場合によっては、

 イランがイスラエルを攻撃するかも知れません。

 ハマスに武器や資金を供与しているのがイランだと言われているからです。

 

インドと中国がチベット付近で戦争を始めるかも知れません。

 

こうした「雰囲気」というのは、

 世界中に拡散(伝染)し易いものです。

 

世界中に「小さな小競り合いが拡散」するかも知れません。

 

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ロシアがウクライナ侵攻をする前、

世界は「平和に向かっている」かのような雰囲気でした。

 

犯罪が多発していましたが、

地域の安全保障の連携や経済や科学が政治課題の中心だったからです。

 

正に、

人々が「安心」「油断」している状況の時に、

 

悪魔の仕業のような出来事が起きたのです。

 

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悪魔は現実に「存在」しているのです。

悪魔は、

 信仰や救いに関して「光の使い」として現れる時もあり、

 残虐な事柄や災いだけではないのです

 

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あなたも見えない神よりも見える神の方が良いですか?

 

真の神も悪魔も悪霊も「見えないのです。

 

見えないことがら」を信じるには、

信仰」と「確信」が必要です。

 

これは、

あらゆる「自然の法則」の存在を信じることに似ています。

 

自然の法則」そのものは「見えません」が、

 その出来事は観測出来ます

 

 

テトスへの手紙(概要)

  パウロからテトスへの手紙(監督の資格)

  マケドニア? AD61AD64

内容

  監督たちは健全な教えによって説き勧めるべき(1:1-1:16

  健全な思いと義と敬虔な専心とをもって生活する(2:1-3:15

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

**********************

知恵を求める人のためのブログです。

前回、イエスの言われた「世のものとならない」とは、

「世」に住んでいながら、生き方と考え方を「世の人々と同じようにしない

 こと、

 実生活クリスチャンに「ふさわしい」生き方、考え方をしなければならない

ということであると説明しましたが、

 

少し補足します。

 

********************

「世」という言い方は「漠然」としていて「分かりにくい」です。

 

「世の生き方や考え方」とはどんなものなのかという疑問が生じるからです。

 

それは、

 世の中の一般的な生き方や考え方に「同調した生き方や考え方」のことであり、

 クリスチャンとしての「信仰」の歩み相容れない「生き方や考え方」のこと

 す。

 

具体的に述べるために、

聖書を根拠にして説明しますと、

 非常に多くの事柄が含まれており、

 ブログでは、

  すべてを取り上げることは「困難」です。

 

その多くの点は、

 箴言伝道の書、マタイによる書の「山上の垂訓」、

 ローマ人への手紙からユダの手紙までのパウロの言葉

 などに含まれていますので、

 そこを読んで下さいとしか「言いようがありません

 

聖書を読むしかありませんが、

聖書を読んだことのない人には「見当もつかない」ことです。

ですが、

 聖書は無料」手に入ります

 ネットからダウンロードも出来ます。

 

是非とも、

 ダウンロードして「無償で聖書を読んで欲しい」と思っています。

 

******************** 

世のものとならない」という表現は、

「世」を全否定しているような「印象」を与えるものです。

 

そうではなく

「世」の中で「世」の人々と共に住みながら

 聖書、つまり、神とイエスの「おきて、命令、教え」にしたがった生き方や考え方

 をするということです。

 

「世の人々」と混じり合って生きていながら

 クリスチャンとしての生き方をするということです。

 

*******************

世のものとならない」という表現は、

「世の中」で、

 聖書で避けるべき事柄として示されている様々な事柄を避ける(しない)という

 考えは「間違ってはいません

 

この中には、

いわゆる「世(世間一般)の考え」「世(世間一般)の常識」というものも含まれ ている場合もあります。

 

この点、

ものみの塔では、

悪魔が世の支配者であると言う観点から、

世の中のすべて」が「悪いこと」のように見なし、

「世」を全否定する傾向にあります

 

現実に、この「世の中」で生活や活動をしているにも拘らずです。

 

これは、

明らかに「間違い」です。

 

「世の事柄」で避けるべき事柄「世の一部」に過ぎないということです。

 

そうでなければ

イエスの言葉に反して、

世から出なければならないことになります

 

実際、

エホバの証人は「すべて、今の世の中で生活」しています。

 

********************

実際、世の事柄を避けるということは「一部」であっても「状況によっては難しい」ものです。

 

しかし、

立ち位置を変えると「容易」になります

 

避ける」(しない)という立ち位置から、

自分の信念を貫く」(守る)という立ち位置に変えることです。

 

避ける」ということは「時に、漠然として曖昧」であることが多いものです。

 そのため、

 避けなくても良いことまで

  理由もなく避けるということもあるのです。

また、

避ける」という態度は、

 世の人々に

  嫌だからとか、やりたくないからしないという「個人の我儘」と捉えられること

  もあり、

 相手に誤解を招くこともあります。

 

避ける」ということは、

 周囲の人に対して「拒絶」する態度です。

 

こういう態度は周囲に「受け入れられる」ことは殆どありません

 

これに対して、

同じことでも、

自分の信念を貫く」ということは、

 自分自身のことなので「比較的容易」なことです。

 

自分の信念を貫く」ということは、

 神とイエスの、おきて、命令、教えを守るという信念です。

 これは、

「○○だから××しません、あるいは、します」という「明確な態度」示すことにな 

 ります。

 

世の人々は、

 大抵はこうした態度を受け入れるものです。

 人の「自由」を認めているからです。

 

こうすることで、注意したり避けるべき事柄が、

」という全対象から、

信念」という限定されたものに変化させることが出来るのです。

 

同じ、

世のものとならない」ということですが、

 立ち位置を変えることで、

 対応や「世の人々に対する説明」容易になるのです。

 

避ける」ということは「消極的」です。

信念を貫く」ということは「能動的」です。

 

避ける」というのは、

 いわば「逃げることに等しい」ですが、

信念を貫く」というのは、

 いわば「立ち向かう」ということです。

 

どちらが「良いか」は明確です。

 

真のクリスチャンは、

避ける人」のではなく、

「信念」を貫く人なのです。