わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです

ものみの塔の信者たちへ
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

 あなたの疑問にお答えします
  コメントではなくプロフィールからメッセージを下されば誰にも知られず質問出来ます。
  誰でも無償で質問出来ます

  ただし、議論には対応できかねますので、当方からの返答をよく吟味して頂きたいと思います。

クリスチャンではない人たちへ
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)  

 

今回は、政府の生活支援政策の誤りという話です。

この記事は、政府批判の記事です。

不快に思う人は読まないで下さい

あくまでも国民目線での話です。

コロナ以降政府は大規模支援を多発しています。
通帳を見ますと少なくとも1家当たり30万円から50万円以上政府の支援を受けています。

確かにこうした支援は一時的で助かる家庭もありますが、長期的に見た場合社会経済においてはマイナスの面が多いのです。
その煽りで、現実に普通に働いても生活出来ないという状況を、政府が作り出してしまったのです。

愚かな政治家たちはこうした見通しも立てずに政策を論じ多くの法案を成立させてきたのです。
特に、野党の主張はここぞとばかりに先の選挙やそれ以前から減税などお金に関する訴えを続けてきましたし、選挙では特に高市もこれに便乗し首相になるや公約実現を柱に政治を突っ走っています。
加えて、ICC問題でも明確にトランプ批判をせずに逃げています。

一見すると政治で経済を動かせると思いがちですか、政治は頭だけで振る舞いますが、経済は実体であり、必ずしも「理屈」で決まる訳ではありません

今の世界情勢の中で、最近の高市の言動から政治で経済を動かす気配が丸見えです。
各省庁の27年度概算要求も143兆円に達し過去最大と言われています。
これに財務省の主計局長がどう応じるかですが、国民の負担が益々増えることになります。
最近の噂では高市の言うことを聞かない官僚の首を入れ替えているということです。
高市は経済を活性化することだけにしか目が行っていません。

高市の経済論理は景気が良くなれば収入も増え実質的な負担は減るというものです。

しかし、この理屈が通る人は国民の10%以下です。

ですから、高市の経済政策では間違いなく国民の負担が増え不満が増加します。
まさに、日本のタカ派のトップです。
愚かな政治ですが国民が苦しむも苦しまないも先の選挙で自民党に投票した結果なので国民もその責任を負うことになるのです。

実際、経済は様々な要因で決まり、流動的であり、突発的な出来事の影響を大きく受けることがあるものです。
例えば、経済が順調でもパンデミックが生じた時世界経済はこの感染症対策のため殆どが停滞もしくは衰退してしまいました。
他にも自然災害の影響を受けますが、こうしたことは予測が難しいし、頭で考える経済対策では追い付かないのです。

今年は稲の生育が順調で豊作が予測されています。
例年お盆の頃に稲刈りを始めるのですが、今年はある地方では例年8月中旬には刈り終わっていた稲刈りが9月になってもまだ稲を刈らない農家が多いです。
稲が育ちすぎる懸念がありお米の品質が低下する可能性があります。

加えて、収穫の時期の天候不順で稲刈りもままなりません。
わたしは天気の様子を見て春に不作を予想しましたが見事に外れました
暑く雨が多かったことが成長に良かったようです。
しかも、新米が昨年産より安いという現象が起きて、今ではコメ余り現象が起きています。
場当たり的な政治がこのようなことを産むのです。
高市の政策で一番迷惑するのは国民なのです。

経済政府が陥る」となることが多いものです。
国民の支持を得るために必要以上の支援や対策を行うためです。
国政は本来は長きに渡る展望の上に行うべきものなのに、目先のことに余りにも対応し過ぎています。
国民の不満を解消する必要がありますが、その国民を説得するのも政府や政治家の責任です。
そうしたことに対して国会議員たちは「無能」なのです。

来年4月から消費税を1%に引き下げるという「公約の実現」を発表しています。
0%にすると消費税の計算をする機械が、今の装置のままだと作動しなくなるか誤作動を起こし社会が混乱してしまうからです。
消費税を1%にしたからと言って経済も家計も良くなる訳ではありません
それは目に見えていることです。

政治家が愚かなのは「公約」を実現すること「政治」だと「思い違いをしている」ことです。

選挙の時には自分が当選したいため「耳障りの良いこと」しか言いません。

あるいは、他党の政策批判をすることです。

国民はこうした発言「先にあるもの」を見据えて投票しなければならないのです。

選挙公約がそのまま実現した例はありません

選挙公約=政治の実現ではないのです。

政治も経済も常に流動的なものです。

職人が物事やタイミングを見極めて次の手を打つように、政治もこうでなければならないのです。

しかも、それは目先のことではなく本質を貫くものでなければならないのです。

今や、日本政府は少ない税金を如何に使うか、足りない分は借金でやりくりしようとしている、いわば「台所が火の車」状態であることは国民の誰もが知っています。
自民党は長年政治をこのような形で行って来たのです。
勿論、赤字国債を減らすべく努力をしていますが、コロナが起きたり度重なる災害が起きたり政策のミスから米が異常に高くなったりトランプ関税や中東から石油が入らない事態になったりして政府はその対応に追われ、その都度国民への支援のために多額のお金を使ってきました。
これではいつまで経っても国の借金は減りません
そして、予算編成の時に再び「思い出し」奇麗ごとを言って予算を成立させますが、赤字国債の解消には程遠い政策しか出来ないのです。
無能としか言いようがありません

国民に辛抱させるのも政治家の責任なのです。
国会議員はその責任を放棄しているのです。

国会議員の誤りの一つに政府にお金が不足したら、大量にお金を刷って世の中にばら撒けば良いくらいにしか考えていない議員もいる位です。
この数十年の間に日銀は大量のお金を刷って市場に供給し続けて来ました
それで日本経済が良くなると判断したからです。
これは間違いだったのです。
世界の評価もとても低いものとなっています。

このような政治を変えるのが政治の目標となっているはずなのですが、それを実現出来ないところに「今の国会議員の無能力」さが現れています。

高市はすべて「自分の思い通り」にしたがる性格です。
ですから、議論をさせてもそれは形だけで腹は最初から決まっている傲慢な人間でもあります。
人の言うことをまともに聞かない人間であることは日ごとのニュースでも明らかになって来ています。
そのため支持率も日毎に下がっています。
最もこれは経済が理由ですが、政治を本当に理解して支持が下がった訳ではないので国民の政治理解は信用ならない点でもあります。

ただ、先の選挙で自民党や野党が選挙公約に掲げたのでやっているだけです。
高市だって消費税を下げることを「良い」とは思っていないことも確かです。

  

本来、経済は市場に委ねるべきであり、政府はいたずらに介入すべきではないのです。
物価が上がるも下がるも需要と供給のバランスで自然に決まって行くものとすべきなのです。

需要が高くて供給が低い場合、当然値段が上がり、逆になると値段が下がるのが普通の経済です。
ところが政府は物価上昇率を2%を目標とし、これを実現するために賃金を上げるよう企業などに通達を出し、企業もこれに応じ今年度の賃金アップは軒並み満額回答でした。

その一方では、高い給料を払えない中小企業などは破産や営業停止に追い込まれていたのです。

おそらく、失業者が増えたと思います。

 

給料をアップして国民の暮しが良くなったでしょうか

相も変わらず物価が高いままでした。

確かに、トランプのせいで石油が入って来なかったこともありますが、政府が備蓄してある石油を放出し、しかもガソリン価格に補助金まで出し値上げを抑えたにもかかわらず殆どの商品で値上げしました

 

物価高は世界中で起きて日本だけではありません

加えて、円安を抑えるための圧力がアメリカから加えられ、日本はトランプのせいで二重に負担を強いられているのです。

 

一方で、米軍相手の商売は受注が伸びているというニュースがありました。

しかも、イランへの攻撃のための弾薬を供給したり空母など船舶の修理も行っているということでした。
明らかに、アメリカのイラン攻撃に加担していることになります。

  

国民はこれを黙って見ているつもりなのでしょうか

高市とアメリカにノー」を突き付けるべきなのではありませんか。

それなりに地位のある人たちからは声を上げられないかも知れませんが、生活の苦しい国民は声を上げ、デモをして政府を突き上げるべきではありませんか。

 

繰り返しますが、稲の問題もあります。

今年は豊作なのに雨のために未だに稲刈りを出来ないでいる農家も少なくありません

このままだと農家の家計は更に苦しくなります。

線状降水帯などの影響で稲や農作物がダメになってしまった農家もあります。

おそらく、遠からず政府は再び農家などのために補助金や支援金を出すことになり、国家財政は更に酷い状態になるでしょう。

 

災害は毎年のように起きています

政府は問題が起きた時の一時的な対処しかする能力がないのです。

無能と言っても過言ではないでしょう。

 

あなたはこういう政府をどう思いますか。

政府や国会を抜本的に変えるべきだと思いませんか

  

次回は、9月9日の聖書のコラム-162(心の拠り所-その2)の予定です。

内容は、誰でも同じような祈りをするということであり、これは人間として普通のことであるという話です。

祈りの対象物、例えば神社やお寺などの話ではありません。

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ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

※  あなたの疑問にお答えします

      コメントではなくプロフィールからメッセージを下されば誰にも知られず質問出来ます。

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聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)
 

 

今回は、神と神のみ子と一人のケルブについての物語の話です。

神のみ子はいわば神の長子であり、ケルブは次男のような者です。
長男は父に忠実で何事も父の命ずるままに振る舞っていました。
一方、次男は美しさの点ではひな型に封印する者と言われ、あらゆる宝石で覆われていました。
しかし、余りにも美しいさゆえに傲慢になり、父に逆らうようになってしまったのです。

この父は大富豪で大きな庭園や農地を持っていて大勢の働き手、つまり、労働者を使っていました。
ある時、次男は父のやり方が間違っていると言い、労働者たちは父が恐ろしい方なので従っているだけで難儀なことに遭えば父に逆らうようになると主張し、父の庭園や農地で働く労働者たちの動悸にいわば難癖をつけました。
父は次男の言うことが間違っていると分かっていましたが、他の兄弟たちのことを考えて次男の好きなようにさせていました。
こうして次男は父の代わりに労働者たちのいわば監視役のようになり大きな影響を与えるようになりました。
そして、事あるごとに労働者たちの振る舞いについて父に訴え続けていました。
次男は自分の考えでしか物事を見ていませんでした

次男は自らが労働者たちの上に立ち権威を振るいたかったのです。
それゆえ労働者たちを批判的な目でしか見ていなかったのです。
一方の長男は父の指示を受けて労働者たちの中を行き巡り次男の言うことが間違いであることを示しました。
長男は労働者たちの立場で物事を見ていましたので、労働者たちの気持ちも良く理解することが出来たのです。
そのため、父は長男を更に勝った立場、労働者たちに対する権威を与えました。
その後しばらくして、家の中で争いが起き、長男のグループと次男のグループが戦いましたが、次男とそのグループが負け家から追い出され労働者たちの近くに住むことになりました。
長男はまだ労働者たちに対する権威を行使していませんでしたから、次男の労働者たちに対する影響は依然として続いていました。
そして、ついに父が行動する時が来て、長男も父と共に行動し、まず次男の影響を受けた労働者たちを捕まえ、その後次男とそのグループを捉えて獄に入れました。
残りの労働者たちはしばらくの間長男の権威の下で平和に暮らしていましたが労働者たちの中に不満や不平を述べる者たちがいたので、次男を獄から解き放ち労働者たちのところへ行かせたところ、次男は彼らを唆し父に反抗させようとしました。
しかし、父はその時次男と反抗した労働者を捉え獄に入れることで父の庭園や農地から悪を一層しました。
残った労働者たちは父と長男と一層近しい関係となりいつまでも平和に暮らしました。

という話です。
さて、あなたはこの物語を読んでどう思いましたか

おそらく、誰しもが長男は良く、次男は悪者だと思うでしょう。

実際、労働者たちの父に対する反抗心を促がしたのは次男であり、すべては、次男の欲望と傲慢が起こしたことなのです。

一家の父に反抗する子供がいることはどの家庭でも良くあることです
その一方で父の言うことを良く聞く子供もいるものです。
こうした場合兄弟は大抵は仲が悪いものです。
父は当然言うことを聞く子供を良く思いいろんなことをしてあげるものですが、反抗する子供にも同じようにしてやりたいと思うのですが子供の方が父の考えや態度を批判し事あるごとに反発するので上手く行かないことが多いものです。
反抗する子供は大抵自己中心的であり父の気持ちを理解していないものです。
あなたの知っている家族にこのような家族はいませんか。

この物語は創作ではありません。
いわば、神の家族の中の例え話です。
神の世界にも人間の世界と同じようなことがあるのです。
なぜなら、神の子供であるみ使いにも理知があり、人間にも理知があり、初めからロボットのように造られた他の生き物のようではないからです。

おのおの皆個性や人格を持っているのです。

日々、世界や日本国内の出来事を苦々しく思っている人もいるかも知れません。
わたしもその一人です

 

人には誰しもが、物語の長男や父に従う労働者のようになるべきであり平和に暮らす権利があるのです。
あなたはどう思いますか。

 

人は一人では生きて行けないものです。

生きて行くための様々な要因のためです。

そのような中でも人は「幸福や満足」を求め続けてもいるのです。

こうしたことの妨げとなっていることについて、あなたは考えたことがありますか。


人が友を必要とするのは困ったことが起きた時です。
箴言17:17
17 真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり,苦難のときのために生まれた兄弟である。

あなたには「真の友」と言える友人がいますか。

真の友」とは、物語の長男のような人のことです。 

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです

ものみの塔の信者たちへ
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

クリスチャンではない人たちへ
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)

  

今回は、信仰の拠り所という話です。

信仰とは見えない実態つまり神に対する信頼と期待の現れであり希望です。
神を見ることが出来ないので信仰の拠り所を求めたくなるのは人情です。
人は言葉だけでも相手を信頼し期待を抱くことがあります。
しかし、時としてその期待は裏切られることもあります。
つまり、信頼しても保証となるものが曖昧なのです。
しかし、神の場合保証された期待であるとパウロは述べています。-ヘブライ11:1
人間にとってみれば何の確証もないのに神を信頼し期待を抱くことは難しいことです。
理屈では神は信頼に値すると理解出来ますが、その経験がない人間にとってみればやはり不安は残るものです。
そこで必要なことは「信仰の拠り所」となるものです。

あなたは信仰の拠り所を持っていますか
その根拠は何ですか
それは神を信頼していることですか。
そうであるなら、今迄神はあなたに何をしてくれましたか。
そうしてくれたという確証はありますか。

人は見えるものや感じるものに依存しています
見えないものに依存することは不確かであり危険を予期出来ません。
そのため、人は様々な迷信を作り出して来ました
神社、寺社、仏像や何かの像、獣を象った像、仁王像のような架空の像、お札(ふだ)など、
また、そうしたものに対する感謝として様々な供え物をすることもあります。
日本のお墓や仏壇にお供え物をするのは死者がまだどこかで生きていると信じ食べ物をいわば差し入れをしているのです。
現実にはその供え物を死者が食べることはありません、誰でも知っていることです。
なのに、折あるごとにお供え物をしています

 

こうしたことは社会の行いを見て「思い込み」あるいは先祖からの習わしとして親などが行うことを見て「そうするものだ」と「思い込まされているのです。

また、お墓参りはいわば先祖に対する「感謝」であったり「報告」であったり「亡くなった人に対する思い」であったりするものです。

確かに、こうした思いは世間の常識では「善い」ことです。

しかし、思いはそうでも対象物がお墓といういわば死者が眠る場所であることが問題となります。

実際、そこには「死んだ者の霊は存在」しないからです。

  

死者を弔い葬ることは「必要なこと」です。

しかし、それ以上のことは何もないのです。

参考:

ヤコブとヨセフの死について:創世記49:29-50:14、22-26

モーセの死について:申命記34:8

ダビデとバテシバとの間の最初の子の死についてのダビデの態度:サムエル記(二)12:15-23

イエスの埋葬:マタイ27:57-61

  

おそらく、人が神の姿を見ることが出来れば、それを像にしたり絵に描いて毎日それに向かって、つまり、神に向かって手を合わせ祈ったに違いありません。

しかし、神の姿を見ることは出来ません
当然です、この天地宇宙を創造したとてつもないエネルギーの存在、源だからです。
地上で最も強力なエネルギーは核爆弾です。
太陽はそれより遥かに強力なエネルギーを常に発しています。
宇宙には太陽のような恒星は無数にあり、その大きさも大小様々です。
宇宙が誕生してから138億年と言われ、しかも、今も宇宙は膨張しているとさえ言われています。
夜空を見上げて星を見ることが出来ますが、その星一個一個は実は銀河、あるいは銀河団です。
余りにも遠くにあるので一つの点、一つの星のようにしか見えないのです。
数万光年離れた遠くからの光が地上にも届いているのです。

これらを創造したのは神です
どうしてそのような方を人間の、肉の目て見ることが出来るでしょうか。
太陽ですら見ることが出来ないのです。
もし、太陽を直視したらしばらくは目が見えなくなります。
それ程強力なのです。
では、宇宙を創った神はもっと強力なのではありませんか。
肉の目では決して見ることは出来ません。
原子爆弾ですら人間の皮膚は溶け見るも無残な姿になったのです。

それゆえ、神は人間が見ることが出来ない霊的な天に、物質の天ではなく霊的な天におられるのです。

別に、神が隠れている訳ではありません

むしろ、神はすべての被造物のために日夜働いておられるのです。-ヨハネ5:17

なのに、人が、神の存在に「気が付かない」だけなのです。

神は人間がこの霊的な天や霊的な事柄を見ることが出来ないようにしていることは明らかです。
神が人間の目を開ければ、「神は光として他のみ使いたちはそのままの姿」を見ることが出来ます。

-使徒7:54-56、啓示4章
ですから、能力的に見ることが出来ない訳ではなさそうです
ただ、見ると言っても、いわゆる物理的に直接見るのではなく「」のように、映像で見ることが出来るということです。
神が、あるいは、キリストがそのようにして霊的な天を見せた人物にステファノがいます。
他にも幻で見せられた人物はエゼキエルや使徒ヨハネがいます。
また、神の使いとして人間に話かけたみ使いの声を聞いた人物はアダムとエバ、カイン、エノク、ノア、アブラハム、モーセ、ヨシュア、ヨブ、ヨナ、ダニエル、バプテストのヨハネの父ゼカリヤ、イエスの母マリア、人間イエス、パウロなどがいます。

声には「目に見える像」がありませんから、声を形にしてそれを対象にして祈ることも出来ません。
出来事の記念碑を建立しそれに祈ることは出来ます。
記念碑は目に見えるからです。

神が禁じているのは、自分以外を神としてはならないという点といかなる形の偶像を作りそれに身をかがめたり(拝んだり祈ったり)犠牲を捧げてはならないというものです。-申命記5:6-11

神は霊であられるので、霊と真理を持って神を崇拝しなければならないとイエスは述べています。-ヨハネ4:24

それでもやはり人間は目に見えるものを対象として祈りや祈願を捧げたいと思うものです。
キリストの世、新しい世ではこの点にも対処しなければなりません
神の考えは昔も今も将来も全く変わることはないのです。
おそらく、キリストの世でも人々は何らかの助けは必要であり、時には、助けを祈り求めることがあるかも知れません
すべての人々は「生かされている」ことを実感するに違いありません
その時、どのように感謝を示すべきかはその時になってみなければ分りません。
既に霊的な天祭司である神の王国が存在していますので、地上にも祭司を設ける必要があるとは思えません。
神の王国と人々を仲介する人物は必要ですが、それが誰なのかはやはりその時になって見ないと分りません。
アブラハムやモーセなどみ使いと話をしたり幻を見せられた人々が仲介者となるのが最も相応しいと思っています。
キリストの世では「聖なる者たち」の存在が示されています。
それが誰なのかは想像でしか分かりません。-啓示20:9
したがって、キリストの世では助けはこの「聖なる者たち」を仲介として天に伝えられ、それから「天からの指示」を受けると考えられます。
丁度モーセを通して神からの指示を受けたように。

古代イスラエルにとってモーセは「神への信仰の拠り所」でした。

ですから、この「聖なる者たち」は「間接的な、心の拠り所」と成り得ます。

キリストの世での体制について次のように示されています。
エゼキエル37:21-28
21 「また,彼らに話せ,『主権者なる主エホバはこのように言われた。「いまわたしはイスラエルの子らを彼らが行った諸国民の中から取る。わたしは彼らを周囲から集め,彼らの土地に連れて来る。
22 そしてわたしはその地で,イスラエルの山々で,彼らを実際に一つの国民とし,彼らはみな一人の王を王として持つことになる彼らはもはや二つの国民ではなくなり,もはや二つの王国に分けられることもない。
23 そして彼らはもはや,その糞像や嫌悪すべきものによって,そのあらゆる違犯によって身を汚すことはない。わたしは彼らをその罪をおかしたすべての住みかから必ず救い,彼らを清める。そして彼らは必ずわたしの民となり,わたしは彼らの神となるであろう。
24 「『「そして,わたしの僕ダビデは彼らを治める王となり,彼らはみな一人の牧者を持つことになる彼らはわたしの司法上の定めによって歩み,わたしの法令を守り,必ずそれを行なうであろう。
25 そして彼らは,わたしがわたしの僕に,ヤコブに与えた地,あなた方の父祖たちが住んだ[地]の上に実際に住むであろう。彼らは,彼らとその子らとその子らの子らとは,実際にそこに定めのない時に至るまで住み,わたしの僕ダビデは,定めのない時に至るまで彼らの長となるであろう。
26 「『「そして,わたしは彼らと平和の契約を結び,定めなく存続する契約が彼らとの間にあるであろう。また,わたしは彼らを置き,彼らを殖やし,定めのない時に至るまで彼らの中にわたしの聖なる所を置く
27 そしてわたしの幕屋は彼らの上に実際にあり,わたしは必ず彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう

28 そして,わたしの聖なる所が定めのない時に至るまで彼らの中にあるとき,諸国民は,わたしが,エホバが,イスラエルを神聖なものにしていることを知らなければならなくなる」』」。

これはイスラエルがバビロニア帝国に滅ぼされた後、バビロンに流刑されていたエゼキエルに与えられた神の幻です。
当然、ダビデは既に死んでおりイスラエルも二つに分裂し共に滅ぼされた後のことです。
したがって、この幻は間もなく到来すると思われる「遠い将来の出来事」「キリストの新しい世」を預言したものです。
イスラエルの子らとは、文字通りの今のイスラエルではなく「神の王国」のことです。
彼らの状態についての説明です。
ダビデは「天に戻られた王でもあるイエス・キリスト」のことです。
神の王国」は、神の司法上の定めによって歩み(生き)神の法令を必ず守ると示されています。
そして、神はその「神の王国」と定めなく存続する平和の契約を結ぶと述べています。
神は「神の王国」の神となり彼らは神の民となるとも述べています。

更に、啓示21:1-4の記述と一致します。
21章
それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない。
2 また,聖なる都市,新しいエルサレムが,天から,神のもとから下って来るのを,そして自分の夫のために飾った花嫁のように支度を整えたのを見た。
3 それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,[神]は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう
4 また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。

ただし、啓示21章の記述はキリストの世が終わった直後のことです。

 

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参考:「新しい契約」、イエスが言われた「契約の血」に関して。
勿論、エゼキエルの記述の内容は「神の王国」と一致する部分もありますが、「神の王国」は天において神の養子となったみ使いのような存在であり、かつ、神に対しては祭司となり地に対しては王となる存在です
しかも、「神の王国」はイエスが言われた「新しい契約」を結んだ人々のことであり、この時点では存在していなかったものです。

エレミヤ31:31-32
31 「見よ,日がやって来る」と,エホバはお告げになる,「わたしはイスラエルの家およびユダの家と新しい契約を結ぶ
32 それは,わたしが彼らの父祖たちの手を取ってエジプトから連れ出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。『わたしが彼らの夫としての所有権を持っていたにもかかわらず,彼らはわたしのその契約を破った』と,エホバはお告げになる」。
33 「これこそ,わたしがそれらの日の後にイスラエルの家と結ぶ契約だからである」と,エホバはお告げになる。「わたしは彼らの内にわたしの律法を置き,彼らの心の中にそれを書き記す。そして,わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう」
34 「そして,彼らはもはや各々その友を,各々その兄弟を教えて,『エホバを知れ!』とは言わない。彼らはその最も小なる者からその最も大なる者に至るまで,皆わたしを知るからである」と,エホバはお告げになる。「わたしは彼らのとがを許し,彼らの罪をもはや思い出さないからである」。

ルカ22:20
20 また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています。-参考マタイ26:28

ヘブライ8:7-13
7 もしその最初の契約がとがめるところのないものであったなら,第二のもののための余地が求められることはなかったでしょう。
8 ところが,こう述べて民をとがめておられるのです。「『見よ,[その]日が来ようとしている』と,エホバは言われる。『そしてわたしは,イスラエルの家およびユダの家と新しい契約を結ぶ。
9 それは,わたしがその手を取って[彼らの父祖たち]をエジプトの地から連れ出した日にその父祖たちと立てた契約によるのではない。彼らはわたしの契約のうちにとどまらなかったからである。そのためわたしは彼らを顧みることをやめた』と,エホバは言われる」。
10 「『これが,それらの日の後にわたしがイスラエルの家と締結する契約なのである』と,エホバは言われる。『わたしは,わたしの律法を彼らの思いの中に置き,それを彼らの心の中に書き記す。そして,わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう。
11 「『そして,彼らは決して,それぞれ仲間の市民に,またそれぞれ自分の兄弟に教えて,「エホバを知れ!」とは言わない。最も小なる者から最も大なる者に至るまで,すべての者がわたしを知るようになるからである。
12 わたしは彼らの不義の行ないに対して憐れみ深くし,彼らの罪をもはや決して思い出さないからである』」。
13 「新しい[契約]」と言うことによって,[神]は以前のものを廃れたものとされました。そして,廃れたものとされて古くなってゆくものは,近く消えてゆくのです。

(実際、律法契約はイエスが犠牲の死を遂げた後に廃されています)
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天において神とみ使いたちの関係主人と奴隷のような関係ですから、神ご自身が司法上の定めであり法令です。

また、
律法が与えられたのはイスラエルが「神に対して祭司の王国、聖なる国民」となるためでした。
つまり、本来のイスラエルはいわゆる地上における「祭司の王国」となるはずでしたが、彼らが「律法契約」を守らなかったので「新しい契約」を結ぶことになったと述べているのです。-出エジプト記19:5-6

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参考:
啓示7:4(イスラエルの十二部族)144000人
啓示14:1(144000人が子羊と共にシオンの山に立っていた)
啓示12:10(神の王国とそのキリストの権威とが実現した)
啓示11:15(神の王国=キリストの王国)
ルカ22:28-30(イエスの王国でイスラエルの十二部族を裁く)
啓示20:4-6(キリストと共に千年の間王として支配した。神およびキリストの祭司となり)
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キリストの世地上に住む者たちは「神の王国」の支配を受けることになります。
エゼキエル37:24
24 「『「そして,わたしの僕ダビデは彼らを治める王となり,彼らはみな一人の牧者を持つことになる。彼らはわたしの司法上の定めによって歩み,わたしの法令を守り,必ずそれを行なうであろう
25 そして彼らは,わたしがわたしの僕に,ヤコブに与えた地,あなた方の父祖たちが住んだ[地]の上に実際に住むであろう。彼らは,彼らとその子らとその子らの子らとは,実際にそこに定めのない時に至るまで住み,わたしの僕ダビデは,定めのない時に至るまで彼らの長となるであろう。

ですから、キリストの世での生活は神の司法上の定めと法令によるものとなります
司法上の定めとは崇拝に関することと罪と罰の規定であり、法令とは生活上の様々な出来事に対する規則のことです。
新しい世での生活はこの司法上の定めと法令に基づいて行われることになります。

その時生きている人々の「信仰の拠り所」はこの司法上の定めと法令になります。
更には、健康と平和と安定安心を生み出すことになります。
偶像などの崇拝の対象物はもはや存在しません。
人々は霊的天を仰ぎ見る必要もないのです。

こうした生活の中で人々が見い出す楽しみは、収穫の歓びであり美味しい果物などであり、もしかすると、様々な趣味もあるかも知れません。
罪を犯さない限り人は平和で楽しい生活を送ることが出来るのです。
しかも、病気も死も誰かと争うこともないのです。
代わりに、すべてのことは自分の能力に応じて様々なことを行うことが出来るのです。
例えば、ある人は立派な家を建てるかも知れませんし、もし楽器を作れれば音楽を楽しむことも出来ますし、絵の具と紙などを作ることが出来れば絵を描く楽しみもあります。
美しい花を栽培することも、世界中を食料も水も着替えも持たず旅することも出来るのです。
あるいは、美しい庭園を造ることも出来るかも知れません。
ダビデのように生きている楽しみや神を賛美する詩を作ることも出来るかも知れません。

それでも、すべての人は必ずしもこうした生活に満足するとは限りません
実際、キリストの世での最後に悪魔が解き放たれ悪魔の誘惑により惑わされ滅ぼされる人々が海の砂粒のようにいることが示されているからです。-啓示20:7-10
また、罪を犯し処刑される人もいることも述べられています。-イザヤ書65:20

そのキリストの世が終わり、最終的にすべての悪が取り除かれた後は、神あるいはキリストがみ使いを通して人に何かを伝達することもありません。
丁度、羊が囲いの中で草を食み平和で静かに暮らしているようになるのです。
神とキリストが直接その羊の世話をして下さるのです。
すべては、天も地もそして人も完全な状態になるのです。
ただし、この完全な状態は、神が天地人を初めに創造した時に神が意図した状態とは全く異なる状態です。
ですから、キリストの世が終わった後はもはや人間が地球を管理する必要もなくなります
最終的には、人間は天のみ使いのようになるのですが、み使いと異なるのは人間は地上で神のおきての中で平和で自由に暮らせるということです。
そこは、天と同じように「地に住む人々の目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」状態なのです。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

クリスチャンではない人たちへ
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)  

 

今回は、ものみの塔の指導は間違いという話です。

ものみの塔と信者の過ち
それは、ものみの塔の教えを信じ、いわば、洗脳され信者になると以前の考え方、物の見方が出来なくなることです。
ものみの塔に言わせれば「過去を悔い改め、新しい人格を身に付けた」ということですが、それによって何が信者に生じているかと言えば物事を客観的に見たり考えたりすることが出来なくなるということなのです。
そのため、一時期輸血や子供の躾(虐待)や国旗に対する態度や行事への不参加や選挙で投票に行かないなどということが事件のようになり世間の話題をさらったことがありました。

 

もし、あなたがものみの塔の信者なら会衆の誰かに、あるいは、長老に次の質問をしてみるのはどうですか。
ものみの塔が「神の組織」なら、なぜヨブの時のような悪魔の攻撃がないのでしょうか。
悪魔と悪霊たちは天から投げ落とされ地の近くにいるはずです。
地には大きな災いが起こると預言されています。
確かに犯罪も多く戦争があり経済も不安定です。
それらはプーチンとトランプのせいであることは明らかです。
悪魔がこの二人を誘導しているのでしょうか。
それよりももっと重要なことは悪魔は神の崇拝者を攻撃することですが、今世界中を見てもその気配がありません。
なぜでしょうか。
こうした中日本では比較的平和に宗教活動が出来ています。
なぜでしょうか。
おそらく、こうした問いに正しい返答が出来る長老たちは一人もいないと思います。
なぜなら、彼らは自分で考えている訳ではなくものみの塔の言うことと一致した返答しか出来ないからです。
そして、今現在起きている事柄に関する答えを持っていないので正しい返答が出来ないのです。
ものみの塔の言うことと違ったことを言うことは、いわば背教と見なされるからでもあります。
ものみの塔の信者たち暗黙の裡(うち)に個人的な見解を述べることを禁じられているのです。

今の、ものみの塔の信者たちはすべからくこのようであることは明白です。
つまり、公にはものみの塔の言うことと違ったことは言えないのです。
それは間違いとされているからです。
間違った考えを述べると大抵は直されることになります。
これでは迂闊に発言も出来ませんし、ものみの塔の誤った考えに洗脳されてしまうのです。
例えば、会衆の割り当てを実演する時に、個人的な聖句の適用や見解を話すと間違いなく長老に正されます。
もし、正されないとしたらその会衆の長老たちは聖書の知識も理解も不足しているということです。
敢えて、何も言わない長老もいるかも知れませんが、そうした振る舞いは長老としてふさわしいものではありません。

あなたは自分の考えを自由に発言できないことを疑問に思っていませんか

世の事柄に関して、あるいは聖句の理解や見解に関しても。

必ずしもすべての若者が該当する訳ではありませんが若者の多くがものみの塔を離れる原因の一つでもあります。
若者たちの思いや考えは本能的でありまた自由を望んでいるので、それを抑えつけられることは我慢が出来ないのです。
加えて、自分があまり望んでいないこと強制的であるかのように繰り返し言われるのでもはや会衆内に居場所を失ってしまうのです。

そして、その反動として世の誘惑に惑わされ自分のしたいことを追求したくなるのです。
若者であれば当然のことです、おそらく頭や体が求めているのです。
体の求めに脳が無意識に反応し、それが、思考を刺激するのです。
勿論、男女は体の求めも脳の反応もそれに対する思考の刺激も異なります
それが、男女の思考の違いとして現れるのです。

ものみの塔はこうした若者たちを正しく正しく理解していないので、適切な指導出来ないのです。
ただ、杓子定規に考え助言しているだけです。
知恵も工夫もないのです。

ただ、聖句を元に若者たちが嫌がる助言をするだけだからです。
実に愚かな指導者たちです。
これでは救われる者も救われないのです。

ものみの塔は折角良い土の上に蒔かれた種を、岩地や道路わきやいばらの間に移してしまっているのです。
信者が至らないのではなくものみの塔自身が間違っているからなのです。

初めは希望にあふれて信者になったものの次第に輝きを失い沈んている人はあなたの周囲にいませんか。
これはその信者の問題ではなくものみの塔が、会衆の長老たちが間違った指導をしているからなのです。
すべての人は同じではないのにものみの塔はすべての信者に同じことを要求しているのです。

確かに大会などに行くとものみの塔の信者が大勢集まって静かに話を聴いています。
しかし、信者の殆どはただ自分の命を失いたくない事物の体制の滅びを生き残りたいという一心で集まっているのです。
集まり合うことを止めてはならないと言うものみの塔を信じているので従っているだけなのです。

-ヘブライ10:25
もし、ものみの塔の言うことが間違いだと分ったら、あなたは一体どのような行動に出るでしょうか。
もはやものみの塔の言うことを聞かないのではありませんか。

人間を信じてはなりませんものみの塔の言うことも人間の言うことです。
聖書だけを信じ、聖書に記されている事柄に従うことです。
イエスは求め続ければ与えられると約束しています。
聖書を読んだ時の自分の感情と思いに従うことです。
他の人間の言うことを聞く理由はないのです。
本当の信仰自ら築き上げるものだからです。
人に伝えるにしろ自らの振る舞いや行動を改めるにしても誰かに言われてするものでもありません。
心から湧き上がる感情で行うものです。
それには知恵も理解も必要としません
ただ、思うがままに振る舞うことです。

なぜなら、そのような時には神とイエスがあなたの振る舞いを導き、また、あなたの口を通して語ってくれるからです。
誰かに言われたことはすべて捨て去るべきです。
そして、すべてのことを自分で確かめ確信を得ることで本当の理解をすることです
勿論、間違いもあるかも知れませんが気にしなくても良いのです。
間違いであれば、いずれ神が誰かの口や行いを通して、あるいは、直接あなたの思いと感情を動かし正してくれるからです。

聖書の理解に関し「思い込み」もあるかも知れませんが、この点思い上がりや自尊心や誇り誤った道に進むことになってしまいますので細心の注意が必要です。

理解出来ない点は理解出来るまで「無理に考え続けようとしない」ことです。

いずれ理解出来る時が来るからです。
肝心なのは自分の思いと感情と心の良心に従う」ことです。
そのようにして神を求め続ければ神もあなたに近づいてくれ、時には憐みを示して下さるかも知れないのです。-ヤコブ4:8
誰かに分かって貰う必要もありませんし、そういう考えは持たないことです
神はすべてをご存じだからです。

人間が何をしようと神に要求できる立場にはありません
すべては「神の過分のご親切と憐みによる」のです。
信仰の土台はこの点にあるのです。。
この点を忘れないだけでも神に対するあなたの振る舞いや行動は変わるはずです。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

クリスチャンではない人たちへ
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。 

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)

今回は、「人は善悪を知るようになった」と神が言われたことの意味についての話です。

テレビドラマで時代劇や戦前、戦中、戦後のことが多いのはその時代の人間模様を通し人の善悪について国民を啓発することが目的であることは明らかです。
実際、多くの視聴者がこうしたドラマを見てノスタルジックな気持ちになっていることは事実です。

 

いわゆる善悪に関しては学校でも習いません

善悪を「知っているもの」として生徒を扱っているのです。
また、学校で習う道徳も表面的なもので誰もそれを実践しようとは考えていないことは明らかです。

 

世の中の人々の考えや振る舞いを見ればこうしたことはハッキリしています。
世の中の悪や犯罪が無くならない理由の一つ幼い時から徹底した善と悪に関する教えをしてこなかったことを挙げることが出来ます。
教える大人自身もこれを法的に規制のない道徳としてしか捉えていないことや自分自身も多くの悪を行っているからでもあります。

つまり、人は「善悪を知る」ことに関して「正しい知識と理解」も実践もをしていないということです。

聖書の中で「」とされていることの一つに「怒り」があり、大抵の場合それはです。

怒りや憎しみで殺人をすることもあります。

創世記4章
さて,アダムはその妻エバと交わりを持ち,彼女は妊娠した。やがて彼女はカインを産んで,こう言った。「わたしはエホバの助けでひとりの男子を産み出した」。

2 後に彼女は再び子を産んだ。彼の兄弟アベルである。
そしてアベルは羊を飼う者となり,カインのほうは地面を耕す者となった。

3 そしてしばらくたってからのこと,カインは地の実りの中から幾らかをエホバへの捧げ物として携えて来た。

4 一方アベルのほうも,自分の羊の群れの初子の中から,その脂ののったところを携えて来た。さて,エホバはアベルとその捧げ物とを好意をもって見ておられたが,

5 カインとその捧げ物とは少しも好意をもってご覧にならなかった。するとカインは非常な怒りに燃え,その顔色は沈んでいった。

6 それに対しエホバはカインにこう言われた。「なぜあなたは怒りに燃えているのか。なぜあなたの顔色は沈んでいるのか。

7 善いことを行なうようになれば,高められるのではないか。しかし,善いことを行なうようにならなければ,罪が入口にうずくまっており,それが慕い求めているのはあなたである。あなたはそれを制するだろうか」。
8 その後カインは自分の兄弟アベルに言った,[「さあ野に行こう」。] そして,ふたりが野にいたときに,カインは自分の兄弟アベルに襲いかかってこれを殺した

(参考:神に捧げ物、例えば「神に仕える」ことも自分を「神に捧げる」行為と見なすなら、それが 

 自発的なものでも「最良」のものでなければならない、つまり、そこに偽りや怠惰があると神はそ 

 れを受け入れないことを示しています)

 

しかし、神も怒りを示す場合もあります。

神の怒りは「正当」なものであり、人間の罪による怒りとは全く異なるものです。

民数記11:1

11章
さて,民はつらいことがあってエホバの耳に不平を述べる者のようになった。それを聞いてエホバの怒りは燃え,エホバの火が彼らに対して燃え立って,宿営の端にいた者たちを焼き滅ぼすようになった。

 

啓示14:10、19

10 その者は,憤りの杯に薄めずに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲むことになり,聖なるみ使いたちの見るところで,また子羊の見るところで,火と硫黄による責め苦に遭わされるであろう。

11 そして,彼らの責め苦の煙は限りなく永久に上り,彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,まただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない。


14 またわたしが見ると,見よ,白い雲が[あり],その雲の上には人の子のような者が座っており,その頭には黄金の冠があり,その手には鋭い鎌があった。
15 また,別のみ使いが神殿[の聖なる所]から現われ出て,雲の上に座っている者に大声でこう叫んだ。「あなたの鎌を入れて刈り取ってください。刈り取る時が来たからです。地の収穫物はすっかり熟しているのです」。

16 すると,雲の上に座っている者がその鎌を地に突き入れ,地は刈り取られた。
17 また,さらに別のみ使いが天にある神殿[の聖なる所]から現われ出たが,彼も鋭い鎌を持っていた。
18 また,さらに別のみ使いが祭壇から現われ出たが,彼は火に対する権威を持っていた。そして,鋭い鎌を持つ者に大声で呼ばわって言った,「あなたの鋭い鎌を入れて,地のぶどうの木の房を集めなさい。そのぶどうは熟したからである」。

19 すると,み使いは鎌を地に突き入れて,地のぶどうの木の取り入れを行ない,それを神の怒りの大きなぶどう搾り場に投げ込んだ

20 そして,その搾り場は都市の外で踏まれ,搾り場から血が出て馬のくつわに届くほどになり,千六百ファーロングの距離に及んだ。
 

一方、人間の怒りに関しては次のように述べられているように、多くの場合は「」であり「」です。

コリント(二)12:20

20 わたしは,自分が着いたとき,あなた方がわたしの願うとおりでないのを見,わたしもあなた方にとって,あなた方の願うとおりではなかったということになりはしないか,そして,闘争,ねたみ,怒り,口論,陰口,ささやき,思い上がり,無秩序な事態がありはしないだろうかと気遣っているのです。

 

ガラテア5:20

19 さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,

20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。

 

エフェソス4:31

31 すべて悪意のある苦々しさ,怒り,憤り,わめき,ののしりのことばを,あらゆる悪と共にあなた方から除き去りなさい

 

しかし、義憤という言葉があるように、実際イエスも「怒り」を露わにしたこともあります。

マタイ21:10-13

10 さて,彼がエルサレムに入ると,市全体は「これはだれなのか」と言って騒ぎ立った。

11 群衆は,「これは預言者イエス,ガリラヤのナザレから来た方だ!」と告げていった。
12 それからイエスは神殿の中に入り,神殿で売り買いしていた者たちをみな追い出し,両替屋の台と,はとを売っていた者たちの腰掛けを倒された

13 そしてこう言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれるであろう』と書いてあるのに,あなた方はそれを強盗の洞くつとしている」。

 

ここで、少し自分に関することを述べたいと思います。

わたしは以前は、非常に短気で怒り易い「性格」でした。

正しくは「性格」だと思っていました。
今になって過去を振り返り、何が善くて何が悪いかを分かっていて物事を決めたり自分の感情のままに生きて来たと思っていました。
しかし、若い時には今ほど何が善くて何が悪いかを正しく判断出来ていなかったことは確かです。
わたしがこうしたことに着目したのは「怒る」ことを「意識的」に止めたからです。
それ以来、何度も怒りたくなる時がありましたがその都度自分を抑えることが出来ました。
一つは悪いことを意識的に忘れるようにし気にも留めないようにしたことと自分の感情より相手の考えや気持ちを受け入れるようにすることで「怒らないように[出来た]」のです。 
決して、「自分の感情を抑えてのことではなく」このようにすることで「怒る」という感情が消えていたのです。

過去に怒った時は、
一つは「こうでなければならない」「こうしなければならない」という「思い込みが強かった」ので誰かが自分のそういう思いと違ったことをすると「感情」を抑えることが出来なかったのです。
つまり、ある種の病気のようなものだったのです。
もう一つは物を探す時嫌な感情が湧き出て来てイライラすることがある」ので、わたしの物を誰かがわたしに黙って動かしたりすると「感情」を抑えることが出来なかったのです。
更には、「正義感」が悪に対して強い憤りを抱いています
この点は今でも変わりはありません。

他のことに関しては殆どのことは許容し寛容さを示し受け入れることが出来ていたのにこの三つの点だけは「感情」を抑えることが出来なかったのです。

自分の怒りの感情を抑えない実に嫌な気分になり、それが長引く度に後悔することが多かったのです。
当然、人間関係も悪くなり「気まずい」状態も長く続くのです。

しかし、「意識的に怒らない」と決めてからこうした自分の性格というか「感情」に変化が生じたことは明らかであり人は変われるということを実感しています。

罪や怒りなどとは異なりますが、

失敗や探し物などが見つからないと「いつまでも気にする」性格でした。

このことが他のことに影響を及ぼしたこともあります。

しかし、この点でも改善し、人間だからそういうこともあると「気にしない」「忘れる」ことにしたことも平穏な精神のためにもなっていることを改めて思い出しました。

意識的には自分の性格は変わったとは思ってはいません「気持ち」や「考え」が変わったことは事実です。
例えば、こうしたことを考えるきっかけになったのは妻の事を考えたからです。
妻はいろんなことをやってくれますがその動機が相手のことを思ってのことであることを改めて認識したからです。

それまでは、時々「自分勝手」だと思っていました。
妻も完璧ではないので時には上手く行かない時もあり、また、性格的に大雑把なところがあり、更には、頭の回転が早く、こちらが思ってもいないことを、ある意味穿った考えで返答することがあり、わたしのちょっとしたミスを大笑いすることがあります。
これは確かに性格という面もありますが緻密で繊細な能力という点わたしとは違うということを「強く認識」したのです。
今迄は頭では分かってはいましたがこうした点を意識しそれを受け入れることにしたのです。

例えば、今まで人間は皆「自分と同じだ」と考えていたように思います。
それは、丁度車の車種が1種類しかないようなものです。
しかし、実際には、普通車もあれば軽自動車、軽トラック、トラック、セダン、ワゴン、スポーツカー、EV車、ハイブリット車などなど沢山の車種が存在しています。
人間に性格や能力の違いからこうした違いのあることは理解していました
しかし、実際にはこうした違いを「意識」していなかったのです。

車は基本的な構造は同じで外見が異なるだけのように見えます。
しかし、性能や様々な機能は1車種ごとに違います
勿論、こうしたことも頭では理解していました
自分の車ではないので殆ど考えることはなかったのです。

妻は今でも何かあると直ぐにわたしに助けを求めて来ます。
妻とわたしは性格や器用さの面では全く正反対なのです。
こうしたことは長年一緒に暮らして来て「何となく分かっていました」がこのようにハッキリと認識したのは初めてでした。
それもこれも「怒らなくなった」ことが精神的に更に深い思いや考えが出来るようになったのだと自覚しています。

人間は誰しも欲があります
その欲は「良くないもの」であることもありますが、欲のすべてが悪いことや犯罪に繋がることばかりではなく善いことをする欲もあります。
人は常に「自分の思ったこと考えたことを行おうとする」ものです。
それは、善いものであれ悪いものであれ人とはそういうものなのです。
善いことをする人は善人で、悪いことをすれば悪人となるのです。

それを決めているのは自分自身なのです。
誰かに強制させられて善悪のいずれかをすることもありますが、それは、自分の意思とは異なるものなので、ある意味自分に責任があるとは言えません。
勿論、それに反発することも出来ますが必ずしもいつも反発出来る訳ではありませんし、意識的に反発しないことだってあるのです。
自分の思いや正しいことをすることを「諦めた」場合などです。

アダムとエバが罪を犯した時、神は「人は善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった」と言われましたが、それは善悪を正しく判断し分別ある振る舞いや行動を取るという意味ではなく
自分のことや周囲のことに関して「善悪を判断する、あるいは、善いか悪いかを考えられるようになった」という意味だったのです。-創世記3:22
善悪について正しい判断を下す、あるいは、行うという意味ではなかったのです。
判断をしたり行ったりすることについては、あくまでも自己責任なのです。
この点を誤解している人が沢山いると思います。

例えば、悪魔となった一人のみ使いは神の行うことに対し、自分が思ったことを「神とは逆のこと」を人に話すことでその反応を確かめたとも言えます。
つまり、み使いですから、神の言うように[何が善で何が悪]かについては知っていた訳です。
そして、このみ使い善悪を自分で判断し行動を起こしたのです。
そしてその判断は正しいものではなかったのです。
なぜなら、そのみ使いは自分のしたことにより神により裁きを、罰を与えられているからです。
悪魔の主張によれば、自分に対する神の裁きは「神が自分が間違っていたということを隠すためだと思ったことは間違いありません。
なぜなら、

その後も人間を惑わしたり人間の悪事や神に対する態度を6000年も「神に訴え続けていた」からです。
おそらく、悪魔が天から投げ落とされた時にこうしたことは終わっています
今は、自分の時の短いことを知り「地の近く」で暴れまくっているという状況です。-啓示12:7-12

人を騙した時このみ使いは自分の考えは正しいと思って行動したことは明らかです。
おそらく、悪魔は自分の考えを変えることが出来ず今でも将来も変わることはありません。
それはこのみ使いの「傲慢さ」がそのようにさせているのである。
エゼキエル28:11-19
11 また,エホバの言葉が引き続きわたしに臨んで言った,
12 「人の子よ,ティルスの王に関して哀歌を唱えよ。あなたは彼に言わなければならない,『主権者なる主エホバはこのように言われた。
「『「あなたは知恵に満ち,美しさの点で完全であり,ひな型に封印する者
(参考:ひな型ですから「完全であり変わることはない」のです)

13 あなたは神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石があなたの覆いであった。ルビー,トパーズ,碧玉,貴かんらん石,しまめのう,ひすい,サファイア,トルコ玉,エメラルド。あなたの中のはめ込み台と受け具の作りは金であった。あなたの創造された日にそれらは整えられていた。
(参考:この説明から人間ティルスに対して述べた事ではないことは明らかです)

14 あなたは覆うことをする油そそがれたケルブであり,わたしがあなたを置いたのである。神の聖なる山にあなたはいた。あなたは火の燃える石の中を歩き回った。
15 創造された日からあなたのうちに不義が見いだされるまでは,あなたはその道においてとがのない者であった。
16 「『「あなたの満ちあふれる商品のゆえに,人々はあなたの中に暴虐を満たし,あなたは罪を犯すようになった。それで,覆うことをするケルブよ,わたしはあなたを汚れた者として神の山から出し,あなたを火の燃える石の中から滅ぼすであろう。
17 「『「あなたの心はあなたの美しさのゆえにごう慢になった。あなたはその輝かしい光輝のゆえに自分の知恵を滅びに陥れた。わたしは地の上にあなたを投げ出す。わたしはあなたを王たちの前に置く。[彼らが]あなたをながめるためである。
18 「『「あなたの満ちあふれるとがのために,あなたの商品の不正のゆえに,あなたは自分の聖なる所を汚した。それで,わたしはあなたの中から火を出すであろう。それが必ずあなたをむさぼり食う。そしてわたしは,あなたを見るすべての者たちの目の前で,あなたを地上の灰とするであろう。
19 もろもろの民の中であなたを知っている者たちは皆,必ず驚いてあなたを見つめるであろう。あなたは必ず突然の恐怖となり,もはや定めのない時に至るまでいなくなるであろう」』」。

タルタロスに投げ込まれた「あるべき居所を捨てたみ使いたち」も同じなのです。
ペテロ(一)3章
18 キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。義なる方が不義の者たちのためにです。それはあなた方を神に導くためでした。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです。
19 この[状態]でまた,彼は獄にある霊たちのもとに行って宣べ伝えました
20 それは,かつてノアの日に神が辛抱して待っておられた時に不従順であった者たちであり

復活し天に戻ったキリストが「獄=タルタロス」に留め置かれたみ使いたちのもとに行って宣べ伝えたのは
彼らを改心させるためではなく罪を明らかにするため」だったのです。

この記述は、一人のみ使いがエデンで話したこと、行ったことが「悪」であり「間違い」であったこを、天のあるべき居所を捨てること「罪」であり「神に敵対する」ことであることを「教えている」のです。

つまり、悪魔の主張(創世記3:1-5)が「悪」であり「間違い」であることを「他のみ使いたちが理解していなかったこと」を示しているのです。
彼らは悪魔となったみ使い同様後悔も改心もすることはないのです。
ペテロ(二)2章
4 まさに神が,罪をおかしたみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡されたのであれば

人に関して言えば罪の報いは死」ですが、悪魔に関しては「火と硫黄とで燃える湖に投げ込まれ、永久に責め苦に遭」わされることです。
この中には、政府組織も含まれることが示されています。
-ローマ6:23、啓示20:10

人間個人だけではなく政府などの組織の行うことも「神の裁き」対象なのです。
政府などの組織は悪魔の支配の下にあり、悪魔の欲望と遂げようとしているからでもあります。
ヨハネ8:44
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。

この言葉を読むと、トランプやプーチンを思い起こす人もいるのではないでしょうか。
正に、トランプとプーチンは人殺しであり偽り者です。
それ以前に、トルーマンもヒトラーもスターリンもアサドもフセインもネタニヤフも東条も他にも大勢の人が人殺しであり偽り者です。
どうして神の裁きを逃れられるでしょうか
本人はこのことを自覚しているでしょうか、いえ、決して自覚することはなく滅ぼされるのです。

犯罪者はそれが犯罪だと自覚していても欲望に負けて犯罪を犯すのです。
その時点でその者たちは死んでいる」のです。
この人たちに改心は有り得ないのです。
もし、改心したと言う人がいればその人は嘘つきです。
人はこうした点では決して変わることが出来ないのです。
それゆえ、律法の中でもこのような人々は「死に渡されている」のです。
エジプトの奴隷から解放された後、神に不平を述べた者たちは天からの火で焼き尽くされ、神と接見するためにシナイ山に上ったモーセが下山するの待てず偶像を作りそれを神だと言い歌い踊っていた人々もすべてレビの子らの剣でおよそ三千人がその日の内に倒されたのです。-民数記11:1、出エジプト記32:1-29

イエスは「復活」に関しても述べていますが、こうした人々は決して「復活」して来ることはありません。

人間の世界では殺人を犯しても死刑になることは少なく、ある国では死刑が廃止されていますが、これは間違いなのです。
人を殺したら復讐を除き必ず死刑にしなければならないのです。
そのような人たちは決して、心から悔い改めることが出来ないからです。
例え、悔い改めたとしても罪は消えないのです。
このような意味でも罪の報いは死なのです。

加えて、すべての人は遺伝的に罪を背負っているので、罪の自覚がなくても人は死ぬのです。

再びローマ6:23を示しますと、
23 罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命だからです。

 

人は死によって罪から解放されているのです。

そして、「復活」によって再び「生かされる」のです。

復活」させられる人々は神とキリストにより「義人」と見なされた人々です。

中には、死を経験しないで罪から解放される人々」もいます。

その人々は「今生きている人々」の中にいるのです。

あなたは「そうであろう人々」を正しく見分けることが出来ますか

それらの人々は、いわゆる「世の中の善い人々」の事ではないのです

 

聖書にはイエスによる次の例え話が記されています。

あなたはその真意が分かりますか。

(注意:19節以降のはなしは罪を犯した人が死んだら文字通り[地獄]で責め苦に遭うということを

 示している訳ではありません。

 これは例え話なのです)

ルカ16:19-31 

14 さて,金を愛する者であるパリサイ人たちがこれらのすべてのことを聴いていて,彼のことを冷笑しはじめた。

15 そこで[イエス]は彼らに言われた,「あなた方は人の前で自分を義とする者たちですが,神はあなた方の心を知っておられます。人の間で高大なものは,神から見て嫌悪すべきものだからです。
16 「律法と預言者たちとはヨハネまででした。その時以来,神の王国は良いたよりとして宣明されており,あらゆるたぐいの人がそれに向かって押し進んでいます

17 実際,律法の文字の一画が成就されないでいるよりは,天と地の過ぎ去るほうが易しいのです。
18 「自分の妻を離婚して別の女をめとる者はみな姦淫を犯すのであり,夫から離婚された女をめとる者は姦淫を犯すことになります
19 「ところで,ある富んだ人がいて,紫と亜麻布で身を飾り,豪しゃな日々を楽しんでいました。

20 一方,ラザロという名のあるこじきは彼の門のところに置かれ,かいようだらけの身で,

21 その富んだ人の食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていました。そのうえまた,犬が来ては彼のかいようをなめるのでした。

22 さて,やがてこじきは死に,み使いたちによってアブラハムの懐[の位置]に運ばれました。
「また,富んだ人も死んで葬られました

23 そして,ハデスの中で目を上げると,自分は責め苦のうちにありましたが,はるか離れた所にアブラハムがおり,ラザロがその懐[の位置]にいるのが見えました

24 それで彼は呼びかけて言いました,『父アブラハムよ,わたしに憐れみをおかけになり,ラザロを遣わして,その指の先を水に浸してわたしの舌を冷やすようにさせてください。わたしはこの燃えさかる火の中で苦もんしているからです』。

25 しかしアブラハムは言いました,『子よ,あなたが自分の生きている間に,自分の良い物を全部受け,それに対してラザロが良くない物を[受けた]ことを思い出しなさい。しかし今,彼はここで慰めを得,あなたは苦もんのうちにある

26 そして,これらすべてに加えて,わたしたちとあなた方との間には大きくて深い裂け目が定められており,そのため,ここからあなた方のもとに行きたいと思う者たちもそれができず,人々がそこからわたしたちのところに渡って来ることもできない』。

27 すると彼は言いました,『それなら,お願いです,父よ,彼をわたしの父の家に遣わしてください

28 わたしには五人の兄弟がいますから。こうして彼が徹底的な証しをし,彼らもこの責め苦の場所に入ることがないようにするのです』。

29 しかしアブラハムは言いました,『彼らにはモーセと預言者たちがある。それに聴き従えばよい』。30 すると彼は言いました,『いいえ,そうではありません,父アブラハムよ,だれかが死人の中から行けば,彼らは悔い改めることでしょう』。

31 しかし[アブラハム]は彼に言いました,『モーセや預言者たちに聴き従わないなら,だれかが死人の中からよみがえっても,やはり説得に応じないであろう』」。

(参考:アブラハムは「神」を、ラザロは「アブラハムの神に従う者」を、「富んだ人」はお金を愛す

 るパリサイ人のような、今の世の中で富もうと思い定めている人々であり実際富んだ人々のことで

 す。

 この例えは、富むことを戒めているものではありません
 

あなたはこの記述を読んでどう思いますか。 

他にも自覚しないで神に滅ぼされる人間が数多くいると思われます。
あなたはどうですか。

あなたは神の賜物を受けるに値する人間になりたいと思いますか
それなら「悪」を憎み「善」を行い続けることです。

神を愛することは悪を憎むこと」です。

聖書には次のように記されています。

箴言8:4-21

4 「人々よ,わたしはあなた方に呼びかけている。わたしの声は人の子らに向けられている。

5 経験のない者たちよ,明敏さを理解せよ。愚鈍な者たちよ,心を理解せよ。

6 聴けわたしが話すことは最も重要な事柄についてであり,わたしが唇を開くのは廉直さについてだからである。

7 わたしの上あごは低い声でまさに真理を述べるからである。邪悪さはわたしの唇にとって忌むべきものである。

8 わたしの口のことばすべて義にかなっている。その中には,ねじけたことも曲がったことも全くない。

9 それはみな,識別力のある者にとっては正直であり,知識を見いだす者たちにとっては廉直である。

10 銀ではなく,わたしの懲らしめを,最良の金よりも,知識を受けよ

11 知恵はさんごに勝り,他のすべての喜びもこれに及ばないからである。
12 「わたし,知恵は,明敏さと共に住んだ。そして,思考力についての知識を見いだす。

13 エホバへの恐れは悪を憎むことを意味する。自分を高めること,誇り,悪い道,ゆがんだ口をわたしは憎んだ。

14 わたしには助言と実際的な知恵があるわたしには―理解が。わたしには力強さがある

15 わたしによって王たちは治め,高官たちは義の布告を出しつづける。

16 わたしによって君たちは君として支配を行ないつづけ,高貴な者たちはみな義にそって裁きを行なっている。

17 わたしを愛する者たちをわたしも自ら愛し,わたしを捜し求める者たちはわたしを見いだすのである。

18 富と栄光はわたしと共にあり,価値ある世襲財産と義も[そうである]。

19 わたしの実は金にも,いや,精錬された金にも勝り,わたしの産物は最良の銀にも[勝る]。

20 わたしは義の道筋を,裁きの通り道の真ん中を歩む

21 それは,わたしを愛する者たちに財産を所有させるためである。わたしは彼らの倉を常に満たしておく。

 

人間が「悪を憎む」ことは、神に見習っていることであり「正しい行い」です。  

神は完全な方なのです。
悪を決して見逃すことも許すこともないのです。
一人残らずです。
一方で、善を行い続ける者はその報いを受けることになります。
間もなく、と言っても人間の時間ではありませんが、これが現実となるのです。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。 

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません) 
 

 

今回は、罪の報いは死です-どうすれば罪の奴隷から解放されるでしょうかという話です。

人は特に悪い事柄に関して「第三者」の立場だと正義に加担し易いものです。
しかし、悪い事柄に関わる人たちは「自分たちの身勝手な理由」を言うものです。
それが悪を行う動機ともなっているのです。

人は、大勢の人々に対して自分は悪に関しては無関係だという立場を示したいと思うものです。
しかし、時として意図せずに自分が悪を行い、また、悪に加担することもあります。
あるいは、交通事故や失火による火事のように「不注意」が悪を招いてしまう場合もあります。
更には、自分が何らかの責任を負わされたりする場合、それを回避するために「」をつく場合もあります。
誰かをかばうために「」をつく場合さえあるのです。

 

生まれてから一度も「」をついたことのない人はいません

それは幼い無知の時を含めての話です。

このような人たちは他人に「嘘」をつく前に「自分を偽っている」のです。
つまり、本来はこうした「嘘」をつきたくないと思っているのですが、立場や状況によって「自分に正直ではなくなり嘘をついてしまう」のです。

」の始まりに関してイエスは次のように述べています。
分り易くするため途中の文を省いて示します。
ヨハネ8章

34 イエスは彼らに答えられた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,すべて罪を行なう者は罪の奴隷です。

36 それゆえ,もし子があなた方を自由にするならば,あなた方は本当に自由になるのです。

(参考:子とは、イエス・キリストのことです)

38 わたしは,自分の父のもとで見た事柄を話します。それであなた方は,[自分たちの]父から聞いた事柄を行なうのです」。

41 あなた方は自分たちの父の業を行なっているのです」。

(参考:自分たちの父とは悪魔のことです)

42 イエスは彼らに言われた,「もし神があなた方の父であるならば,あなた方はわたしを愛するはずです。わたしは神のもとから出てここにいるからです。そしてわたしは決して自分の考えで来ているのではありません。その方がわたしを遣わされたのです。
43 わたしの話している事柄があなた方に分からないのはなぜでしょうか。それは,あなた方がわたしの言葉を聴くことができないからです。
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。
45 他方,わたしは真理を告げるので,あなた方はわたし[のことば]を信じません。
46 あなた方のうちのだれが,わたしに罪があると証明するのですか。わたしが真実を話しているなら,あなた方がわたし[のことば]を信じないのはどうしてですか。
47 神からの者は神の言われることを聴きます。あなた方が聴かないのはこのため,つまり,神からの者ではないからです」。

」の始まりは悪魔であり、その者は人殺しであるとも述べています。
つまり、人が「」をつくことは「悪魔に見倣うこと」であり「悪魔の欲望」に加担している」ことになるとイエスは述べているのです。
なぜ「」をつくことが「悪魔の欲望」に加担することになるのでしょうか。
それは、悪魔の欲望自分が人に対して語ったことの正当性を示すことであり、神に逆らって、神のように人を支配することだからです。-創世記3:1-5
つまり、人が「」をつくこと「悪魔」の言うことが正しいと神に示しているようなものなのです。
-ヨブ記を参照

そして、神から人を遠ざけて自分が神となることが悪魔の目的なのです。

悪魔は事物の体制の神と言われているように、過去6000年間人類を支配して来た結果、悪魔の主張が間違いであることが立証されたので、悪魔と悪魔の欲望に加担する人々をこの地球上から一掃する時その初めから定めていたのです。-創世記3:15

 

神には初めから何が正しいかが分かっていましたが、悪魔と他のみ使いたちと人間それを理解していなかったので完全に立証するために長い時を定められたのです。

しかし、同時に「義なる人々」に救いの手を差し伸べた期間でもあるのです。

それゆえ、ある人々は神によって救われるのです。


勿論、殆どの人は聖書の知識もなく、また、聖書を読んだこともないのでイエスが言った言葉を知っている人は殆どいません。
それでも、「嘘は良くないこと」を子供でも知っています。
そのように親から教えられるからです。
加えて、「嘘をつく」と良心が痛むからでもあります。

嘘は泥棒の始まり」と言いますが、悪事を働く人は「嘘をつくこと」を常套手段として用いていることは事実です。

また、「」によって人を殺すこともあるのです。
」をつくのは大抵「他人に知られると都合の悪い」場合です。
つまり、本当のことを隠し自分の失敗を知られたくないないので本当のことを隠したり責任を回避するために嘘をつくことが多いのです。
その理由は様々です、必ずしも犯罪である場合とは限りません。

」をつくことは「」であり、「悪を行う者」は「罪人」であり「罪の奴隷」ですとイエスはハッキリ述べています。
更に、悪を行う者「悪魔の欲望」に加担していることになるのです。
それは、神に対して悪魔が自分の主張が正しいとすることの[嘘]に加担することになるからです。-ヨブ記を参照して下さい。

パウロはこの点次のようにも述べています。
ローマ5:12-14
12 それゆえ,一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が[入り],こうして死が,すべて[の人]が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がったのと同じように―。
13 というのは,律法以前にも罪は世にあったからです。ただ,律法がなければだれも罪の責めを受けないのです。
14 それにもかかわらず,死はアダムからモーセに至るまで,アダムの違犯と同様の罪をおかさなかった者に対しても王として支配しました。[アダム]は来たるべき方と類似していました。
(参考:律法は、人間の法律と同様に「人を罪に定める」ものなのです。
 ただ、神との[良い]関係を築くための正しい行いを示したものだけではないのです)

ローマ6:22-23
22 しかし,今あなた方は罪から自由にされて神に対する奴隷となったので,神聖さの面で自分の実を得ており,その終わりは永遠の命です。
23 罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命だからです。

この死から、つまり、罪の奴隷から「自由」にさせることが出来るのはイエスその人であると示されています。
それはすなわち自分を神の奴隷とすることです。
これは自らの意志で偽りのない心でイエスに従うなら自分を神の奴隷とすることが出来罪の報いである死から解放されるのです。
そしてそれを全う出来れば永遠の命を享受出来るのです。

ローマ5:15-6:23
15 しかし,賜物の場合は罪過の場合と異なっています。一人の人の罪過によって多くの者が死んだのであれば,神の過分のご親切と,一人の人イエス・キリストの過分のご親切を伴う[神]の無償の賜物とは,いよいよ多くの者に満ちあふれるからです。
16 また,無償の賜物の場合は,罪をおかした一人[の人]を通して物事が作用した場合と異なっています。裁きは一つの罪過から有罪宣告に至りましたが,賜物は多くの罪過から義の宣言に至ったからです。
17 というのは,一人[の人]の罪過により,その人を通して死が王として支配したのであれば,まして,過分のご親切と無償の賜物である義とを満ちあふれるほどに受ける者たちは,一人[の方]イエス・キリストを通し,命にあって王として支配するからです。
18 こうして,一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果有罪宣告であったのと同じように,正しさを立証する一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。
(これは、人間イエスとイエスの神に対する忠実な歩みのことであり、その結果神とイエスに信仰を働かせる者たちを命のため、つまり、生き続けられるようにするためにその者たちを義と宣することが出来るということです)

19 一人の人の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人[の方]の従順を通して多くの者が義とされるのです。
20 さて,律法は,罪過が満ちあふれるために入り込んで来ました。しかし,罪が満ちあふれたところでは,過分のご親切がなおいっそう満ちあふれました。
21 何のためですか。罪が死を伴って王として支配したのと同じように,過分のご親切もまた,わたしたちの主イエス・キリストを通して来る永遠の命の見込みを伴いつつ,義によって王として支配するためでした。

6章
そこで,わたしたちは何と言えばよいでしょうか。過分のご親切が満ちあふれるために,罪のうちにとどまるべきですか。
2 断じてそのようなことはないように! わたしたちは罪に関しては死んだのですから,どうしてなおもそのうちに生きつづけてよいでしょうか。
3 それともあなた方は知らないのですか。キリスト・イエスへのバプテスマを受けたわたしたちすべては,その死へのバプテスマを受けたのです。
4 ですから,彼の死へのバプテスマ[を受けたこと]によって,わたしたちは彼と共に葬られたのです。それは,キリストが父の栄光によって死人の中からよみがえらされたのと同じように,わたしたちも命の新たな状態の中を歩むためです。
5 彼の死と似た様になって彼と結ばれたのであれば,わたしたちは必ず,彼の復活と[似た様になって]やはり[彼と結ばれる]のです。
6 わたしたちが知るとおり,わたしたちの古い人格は[彼]と共に杭につけられたのであり,それは,罪深い体が無活動にされて,もはや罪に対する奴隷とはならないためです。
7 死んだ者は[自分の]罪から放免されているのです。
8 さらに,キリストと共に死んだのであれば,彼と共に生きるようになることをもわたしたちは信じています。

(参考:パウロがここで「信じています」と述べたのは、それがまだ文字通りになってはいなかったか 

 らです)
 

9 死人の中からよみがえらされた今,キリストはもはや死なないということを,わたしたちは知っているからです。死はもはや彼に対して主人ではありません。
10 彼の遂げた死,それは罪に関してただ一度かぎり遂げた死であったからです。また,[いま]生きておられる[命],それは神に関して生きておられる[命]なのです。
11 あなた方も同様です自分を,罪に関してはまさしく死んだもの,しかし,神に関してはキリスト・イエスによって生きているものとみなしなさい。
12 それゆえ,罪があなた方の死ぬべき体の中で引き続き王として支配し,あなた方が[体]の欲望に従うということがあってはなりません
13 また,あなた方の肢体を引き続き不義の武器として罪に差し出してもなりません。むしろ,自分を死人の中から生き[返っ]たものとして神に差し出し,また自分の肢体を義の武器として神に[差し出し]なさい。
14 律法のもとにではなく過分のご親切のもとにある以上,罪があなた方の主人となってはならないからです。
15 ではどうなりますか。わたしたちは,律法のもとにではなく過分のご親切のもとにいるがゆえに罪を犯すのですか。断じてそのようなことはないように! 
16 あなた方は,自分を奴隷としてだれかに差し出してそれに従ってゆくなら,その者に従うがゆえにその奴隷となり,死の見込みを伴う罪の[奴隷]とも,あるいは義の見込みを伴う従順の[奴隷]ともなることを知らないのですか。

17 しかし,神に感謝すべきことに,あなた方は罪の奴隷であったのに,その導き渡された教えの様式に心から従順になりました。
18 そうです,あなた方は罪から自由にされ,そのゆえに義に対する奴隷となったのです。
19 わたしは,あなた方の肉の弱さのために人間的な言い方をします。あなた方は,[かつて]自分の肢体を,不法の見込みを伴う不法と汚れに対する奴隷として差し出したように,今は自分の肢体を,神聖さの見込みを伴う義に対する奴隷として差し出しなさい。
20 罪の奴隷であった時,あなた方は義については自由であったのです。
21 では,あなた方がその当時得ていたのはどんな実でしたか。それは,あなた方が今では恥じているものです。その終わりは死であるからです。
22 しかし,今あなた方は罪から自由にされて神に対する奴隷となったので,神聖さの面で自分の実を得ており,その終わりは永遠の命です。
23 罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命だからです。

罪の奴隷から解放されることは、すなわち神の奴隷となることだとパウロは述べています。
人の罪、親から受け継いだ、いや、アダムから受け継いだ「罪」自分だけでは拭い去ることは出来ません
神とイエス・キリストの助けが必要なのです。

 

死から命への転換は「神の無償の賜物」である「憐み」により可能となるのです。
ただし、無償と言ってもこれには条件があります。
それは、神とイエス・キリストに「信仰を働かせる」ことです。
しかし、お二人を知らなければ信仰を働かせることは出来ません
ただ、名前を知って「信じる」というだけでは不十分なのです。
また、どんなに信じておきてを守っていると「言っても実際の行いが「正しいもの」でなければ、イエスに「知らない」と言われ退けられるのです。-マタイ7:23

信仰のついての具体的な事柄は、前回の
「聖書のコラム-152(熱中症で亡くなる人に対する責任を誰に取らせるのか)」の最後の部分に示していますので、こちらも参考にして下さい。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

 ものみの塔の信者たちへ
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

クリスチャンではない人たちへ
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。  

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)
  

 

今回は、結局人生は自分探しの旅のようなものという話です。

人は結局「自分探し」のために生きているようなもののようです。
幼い時や若い時には、自分の感性であれをしたいこうなりたいなどと思い、それを目標にして生きている場合が多いものです。
そこにその人の理性や道徳心や様々な思いが加わって、自分のしたいこと思うことが出来たり諦めたりしながら成長していきます。
そして、ある程度人生を経験すると自分や世の中のことが分かるようになって来ます
すると、人は何が自分にとって最も良いか、つまり、最善を求めるようになるものです。
勿論、そのように思っても出来ないことが多いのも事実です。
ある意味、自分の考えているように生きられる人は一人も存在しないと思った方が良い位です。
例えば、大谷翔平は[大雑把]には自分の思い通りに出来、今やMLBのスター選手の中でも特別な存在となっています。
それは、彼が自分の夢を必死に追いかけて来た結果であり、しかも、まだ途中経過でもあります。
彼も人生が何たるかを殆ど理解していないと思います。
人より幸福そうに見えますが、目立つ存在なので苦労も人一倍多く、ただ、一生懸命に生きているだけなのです。

人の振り見て我が振り直せ」という言い習わしがありますが、他人のことは良く見えるものです。

その一方で、自分のことは、例えば仕事や人間関係ややりたいことなどが先に立ち見えていないものです。

ただ何となく、毎日の仕事を無事に続け毎月に給料を貰い生活が出来れば、取り敢えず「いいか」と思いがちなのです。

そして、休日や休暇を利用し旅行に出たりスポーツをしたり普段出来ないことをすることもある位です。

中には、休日は家族のために何かをすることもあるかも知れません。

暮れに1年を振り返り新年の抱負を計画したり、年末年始の行事に参加することもあります。

その他節分や端午の節句や五月の連休、梅雨の鬱陶しさに耐え、夏の暑さに耐え、お盆を迎え、秋の収穫を迎え、ハローウィンやクリスマスをしたりすることが多いと思います。

その他家族や友人の誕生祝いをしたり、結婚祝いをしたり、短い連休も数多くありその都度計画を立て家族で何かをしたりと何かと1年中やることがあり忙しいものです。

主婦であれば、子供の弁当を毎日作ったり洗濯や掃除をしたり、時には友人などとお茶をしたりすることもあるかも知れません。

こうして日々、月々、年々があっという間に過ぎ去っていくのです。

結構人生について考える余裕があるのですが改めて考えるには資料や情報も乏しく中々しないものです。

それでも、人は日常の何気ない時にふと自分や家族や良心などの人生を考える時もあるものです。

 

人が人生を真剣に考えるのは、自分の身に何か大きな問題が生じた時が多いものですがあなたはいかがですか。

 

人が「人生が何たるか」を理解するのは人生も終わりに近づいた頃である場合です。
比較的若い時に「人生が何たるか」を理解する場合は、大抵は「思い込み」や「決めつけ」による場合が多いものです。
そうでない場合は、その若い人が幼い時から宗教などに親しみ大勢の人の人生を見、そして、考え洞察し推論をし思考を重ねた結果ある考えに至った場合などです。
しかし、宗教などを離れたその考えはあくまでも「人間社会だけを見た考え」に過ぎません。
ある意味、これは「哲学」と言った方が分かり易いと思います。

人間の考えを超越した考えは、宗教による真理」にしか存在しません。
あらゆる宗教は人間の存在理由や人として生きて行くための指針を示しているものです。
勿論、聖書でも同じです。

人間がどのように生きるべきかは、人間の創造者の考え、人間を創造した理由などを知り、また、理解する必要があります。
そこには、なぜ人間やあらゆる生き物は死んで行くのか、なぜ病気になるのか、なぜ失敗をし事故を起こすのか、
なぜ身内の誰かが亡くなると悲しいのか、なぜ人は異性を好きになるのか、なぜ人間は働く必要があるのか、
なぜ人間は他の生きものとは大きく異なるのか、なぜ子供を産む時陣痛で激しい痛みを伴うのか、なぜ人は犯罪など悪事を憎むのか、なぜ平和に穏やかに暮らせないのか、なぜ人間はいろんなことを考えるのかなどなど「多くの、いや、すべての疑問」に対する答えを持っていなければ人間がどのように生きるべきかの[正しい]答えを見い出すことは出来ないのです。
そうでない場合は、「思い込み」「決めつけ」による結論に過ぎません
それは「真理」ではありません、つまり、正しい答えではないということです。

したがって、殆どの人は「自分がどう生きるべきかの正しい答えを見い出せないまま人生を終える」ことになります。
しかし、だからと言ってその人の人生が不幸かと言えばそうではない場合が多いのです。
つまり、「どう生きるべきかの正しい答えを知らない」ので、人はそれなりに満足しながら生きているという訳です。

逆にどう生きるべきかの正しい答えを見い出した」としたら、かえって窮屈で辛い人生となることさえあるのです。
仏教用語で言えば「悟りを開く」あるいは「悟る」ということです。

イエスも次のように述べています。

マタイ13:23

23 りっぱな土の上にまかれたもの,これはみ言葉を聞いて,その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び,ある者は百倍,ある者は六十倍,ある者は三十倍を生み出すのです」。

わたしは長年聖書を読んで来て聖書の中に「真理」を見い出しました
他のことは事実は事実として受け入れ、物事の因果応報に対する「真理」を聖書の中に見い出すことが出来たのです。
そして、自分の思いや感情を抜きにした人として生きるべき真理」を理解し、それを、追い求め続けています。

ある意味、「自分の至らなさ」との戦いのようなものです。
これさえ全う出来ればいつ死んでも悔いはありません

 

人間は他の生き物より特別な存在」ですが、生きるという、生命活動に関してだけを言えば他の生き物と何ら変わりはありません。
例えば、昆虫や家畜、野生の動物などどんな生き物とも「命」に関しては全く同一なのです。
人も、虫けらと同じように死ぬのです。
人が蚊を手で叩くと死ぬように人も事故などで一瞬にして死ぬこともあるのです。

人の「命」はあたかも「ガラスの器」のように、一瞬の気の緩みや災害やあるいは故意に投げたりして「ヒビが入ったり割れたり」して壊れてしまうようなものです。
 

その一方では長寿を全うする生き物もいます。
例えば、ウミガメなどはおそらく争いなどはしないと思いますし、長寿ですがいつどのように死んでいるかは殆どの人は知らないと思いますし、考えもしないと思います。
しかも、それら野性の動物の「死骸」を殆ど目にすることはありません。
毎日、多くの野生の動物は死んでいるはずですが、なぜか人間の目には殆ど触れることが無いのです。

 

このようなことを考えますと、 寿命と人間の知能とは無関係であることが分かります。

つまり、人の寿命も猫や犬の寿命や、あるいは、野生の動物などの寿命、更には、昆虫の寿命なども、

初めから、創造の初めから「決まっている」のです。

 

人間の平均寿命が延びているのは、医療や衛生状態がよくなったからであり、もっと長く生きられると思いがちですが、昔も今もせいぜい長くて85才前後なのです。

現代では、長生きをした人で120才を超えた人はいません。

 

人間の寿命はノアの大洪水後は著しく短くなったのです。

それは神が大洪水を起こした時地球環境を大きく変えたからです。
そのため、人間にそれまでは許していなかった「肉」を食べることを許したことからも明らかです。

 

植物の種の不思議もあります。
保存状態が良ければ何千年経っても条件が整えば再び芽を出し成長を始めるのです。
人間の精子や卵子凍結保存すれば100年後、あるいは、1000年後でも解凍し受精させれば「人」に成長するのです。
ところが、一端受精し生命活動を始めると寿命」が決まってしまいます。

これは、地球上のあらゆる生命が決して絶えないようにするための「仕組み」なのです。
例え、地球が氷河期になって人類が絶滅したように思えても「生命」の元は何処かに存在しているのです。

そして、最後の疑問として、なぜ地球にだけこれ程多くの「生命」が存在しているのかというものです。
敢えて、神による創造、あるいは、進化論などを論じるつもりはありません
すべては事実が物語っているのです。
理知ある人間だけがその答えに、「真理」に到達出来る可能性があるのです。
可能性があると書いたのはすべての、それも頭の良い人間だけがこの「真理」を見い出すことが出来る訳ではないからです。

神による裁きの日を待ち望んではいますが、一人でも多くの「善人」が救われることも期待しています。
この善人たちが平和で穏やかな生活を送れることを願ってもいます。
神のおきてを守ることは「窮屈」のように思えますが、それは「悪」に対することで「」に対しては全くの自由なのです。

どんな生き方をしても、悪事や犯罪でない限り、誰かに問われることはありません。

自分の生き方の責任は自分にあることは自明です。

しかし、「自分探し」と言っても「正しい生き方」つまり「人の生きるべき目的、真理は一つ」なのです。
そこにいわゆる多様性はないのです。
すべては「神への崇拝において神の考えと一致すること」、ただこれだけなのです。
ただ、人は「正しい崇拝方式」を知らないだけだとも言えます。
それを教えてくれる人がいないからです。
聖書の中でイエスは次のように述べています。
ヨハネ4:23-24
23 とはいえ,真の崇拝者霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。
24 神は霊であられるので,[神]を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」

これが「正しい崇拝方式」なのですが、「霊と真理を持って崇拝」するとはどういうことかを人は理解していません
簡単に言えば「心から偽りもなく正しい行いをする」ということです。
では、正しい行いとは何でしょうか。

この点についてイエスは、
ヨハネ14:6-11
6 イエスは彼に言われた,「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません。
7 あなた方がわたしを知っていたなら,わたしの父をも知っていたでしょう。今この時から,あなた方は[父]を知っており,また見たのです」。
8 フィリポが彼に言った,「主よ,わたしたちに父をお示しください。それで十分です」。
9 イエスは彼に言われた,「わたしはこれほど長い間あなた方と過ごしてきたのに,フィリポ,あなたはまだわたしを知らないのですか。わたしを見た者は,父を[も]見たのです。どうしてあなたは,『わたしたちに父を示してください』と言うのですか。
10 わたしが父と結びついており,父がわたしと結びついておられることを,あなたは信じていないのですか。わたしがあなた方に言う事柄は,独自の考えで話しているのではありません。わたしとずっと結びついておられる父が,ご自分の業を行なっておられるのです。
11 わたしは父と結びついており,父はわたしと結びついておられると[言う]わたしを信じなさい

実際、イエスについては次のように述べられています。
ヨハネ1:1-18
1章
初めに言葉がおり,言葉は神と共におり,言葉は神であった
2 この方は初めに神と共にいた
3 すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない。
彼によって存在するようになったもの 
4 は命であり,命は人の光であった。

10 彼は世にいたのであり,世は彼を通して存在するようになったのに,世は彼を知らなかった
11 彼は自分のところに来たのに,その民は彼を迎え入れなかった。
12 しかし,彼を迎えた者,そうした者たちすべてに対しては,神の子供となる権限を与えたのである。その者たちが,彼の名に信仰を働かせていたからである。
13 彼らは,血から,肉的な意志から,また人の意志から生まれたのではなく,神から[生まれた]のである。
14 こうして,言葉は肉体となってわたしたちの間に宿り,わたしたちはその栄光,父の独り子が持つような栄光を目にしたのである。彼は過分の親切と真理とに満ちていた。
15 (ヨハネは彼について証しをし,実に―この人こそ[それを]言った人であった―こう叫んだのである。「わたしの後に来る方は,わたしの前を進まれた。わたしより先に存在されたからである」。)
16 というのは,わたしたちはみな彼に満ち満ちたものの中から,しかも過分の親切の上にさらに過分の親切を受けたからである。
17 なぜなら,律法はモーセを通して与えられ,過分の親切と真理とはイエス・キリストを通して存するようになったからである。
18 いまだ神を見た人はいない父に対してその懐[の位置]にいる独り子の神こそ,彼について説明したのである

18節の最初の神は「唯一真の神」の事であり、二番目の「独り子の神」とはイエスのことです。
興味深いことにイエスも神と呼ばれています。-ヨハネ1:1、18
二人の関係は父と子という関係です。

したがって、正しいこと、正しい行い、つまり、真理イエス・キリストを通して存するようになったと記されているように、真理はイエスの言葉であり振る舞いであり行いの中にあるということです。

しかし、この真理をすべて覚えていて実行している人をわたしは知りませんし見たこともありません
真似たり見倣おうとしている人は見たことはあります
だからと言って、その人はイエスや使徒たちのような「真の崇拝者」という訳ではありません

イエスは自分を見習うようにと述べています。
マタイ10:24-25
24 「弟子は師より上でなく,奴隷も主より上ではありません。
25 弟子が自分の師のように,また奴隷が自分の主のようになれば,それで十分です

ヨハネ13:16-17
16 きわめて真実にあなた方に言いますが,奴隷はその主人より偉くはなく,また,遣わされた者はそれを遣わした者より偉くはありません
17 これらのことを知っているなら,それを行なうときに,あなた方は幸福です。
18 わたしはあなた方のすべてについて語っているのではありません。わたしは自分が選んだ者たちを知っています。しかしそれは,『常々わたしのパンを食していた者が,わたしに向かってかかとを挙げた』と[述べる]聖書が成就するためなのです。
19 わたしは今この時から,それが起きる前にあなた方に告げておきます。それが実際に起きる時,わたしが[その者]であることをあなた方が信じるためです
(このことは実際に、しかも、直ぐに起きました。つまり、ユダ・イスカリオテの裏切りです)

20 きわめて真実にあなた方に言いますが,わたしが遣わした者を迎える人はわたしを[も]迎えるのです。また,わたしを迎える人はわたしを遣わした方を[も]迎えるのです」。

 

イエスのこの言葉の意味はどのようなものでしょうか。

それは、イエスの語ったことを超えて話してはならないという意味です。

イエスの話すことは完全であり、すべてが「正しい」ことです。

これを超えるということは、それは、「人間の考え」であり悪魔が「エデンで人に話したこと」同じことだからです。

このイエスが遣わした者とは一体誰の事でしょうか。
それは、ユダ・イスカリオテを除く11人の使徒たちと彼らの言葉を信じ「聖霊」を受けた者たちのことです。
しかし、現代ではその者たちは地上に残っていないと考えています、残念ながら。
したがって、現代の人々はただ聖書のみが頼りなのです。
人間の解釈は必要ありません
自分で聖書を読み神とキリストを感じることが重要なのです。
そして、人はその感じ方により信仰を持つかどうかが決まるのです。
実際、聖書を読んで「感じる」人には「神の霊」が働きやすいのです。
これは本人しか分からないことです。
最も本人も確信や自覚がある訳ではありません
また、常にと言う訳ではなくその時その状況によることは確かです。
したがって、神の言葉を、聖書の言葉実践した時に何かを感じるなら確信が得られる可能性があるのです。
もし何も感じなくても、同じことを「続ける」ことで「神の真意」を理解することが出来るのです。
その時に「確信」と「神に対する信仰が芽生える」かも知れないのです。

初めから、神に信仰を抱く人はいません
神の言葉を聞いて信じる人素直な人であり盲信に近いものがあります。
盲信だからと言って「間違い」だという訳ではありません。
ただ信じ従っているだけでも神の真意」を理解することが出来ることもあるのです。
これはいわば経験を通して知るということです。
神の言葉を聞いてそれを自ら進んで行うことにより、また、続けることにより神の真意」を実感する場合もあります。
実感すること理解と信仰が深まるのです。

 

神の言葉を聞くとは、教会に行って牧師の話を聴くとかものみの塔の書籍などを読んだり集会に行って話を聴いたり信者の話を聞くということではありません

聖書そのものを読んで書かれてある事柄に従うという意味です。

これには、聖書に対する「自分の理解」も関係しているように思えますがそうではありません

人の心を動かすのは「神ご自身」なのです。

しかし、それを受け入れるかどうかを決めるのはその人によるのです。

イエスは次のように言われました。
ルカ11:28
28 しかし[イエス]は言われた,「いいえ,むしろ,神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです!」

さらに、この点イエスは四つのパターンがあると述べています。
マタイ13:18-23
18 「では,あなた方は,[種を]まいた人の例えを聴きなさい。
19 人が王国の言葉を聞きながらその意味を悟らない場合,邪悪な者がやって来て,その心にまかれたものをさらって行きます。これが道路のわきにまかれたものです。
20 岩地にまかれたもの,これはみ言葉を聞き,喜んですぐにそれを受け入れる人のことです。
21 けれども,自分に根がなく,一時は続きますが,み言葉のために患難や迫害が生じると,すぐにつまずいてしまいます。
22 いばらの間にまかれたもの,これはみ言葉を聞きますが,この事物の体制の思い煩いや富の欺きの力がみ言葉をふさぐ人のことであり,その人は実らなくなります。
23 りっぱな土の上にまかれたもの,これはみ言葉を聞いて,その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び,ある者は百倍,ある者は六十倍,ある者は三十倍を生み出すのです」。

  

わたしは普段野菜を育てていますから「土」重要性は良く知っています。
作物は「」によってよく育つかどうかが決まります。
それゆえ、どんな農家の人でも作物を作る時には「土づくり」から始めます。
そして、種や苗を植え、肥料や水を与えることでそれらは成長します。
こうしたことは誰でも知っています。

しかし、次のことを知っている人は少ないものです。
先ず、土に関して言えば、酸素と水分と土の割合が重要です。
作物も呼吸をし水を[飲んで]いるからです。

環境としての気温や地温も重要な要素です。
栄養の面では窒素、リン、カリ(N、P、K)が必要なことも誰でも知っていますが、人間と同じようにビタミンやミネラルも必要でこれを与える人は少ないものです。
また、
作物の性質によっては、水を沢山欲しがるものと水を嫌うものもあります。
例えば、ナスやキュウリは水を沢山必要です。
一方で、トマトは水を与えすぎると実が割れてしまいます。
また、

成長段階で与える肥料も異なります
種や苗の成長のためにはNやKを多く必要とし、実をつける頃にはNを抑えPもしくはPとKを与えることで沢山実をつけることが出来ます。

実際、ホームセンターで注意して見ているとこうした肥料が売られているものです。
無論、知らない人は目も向けず普通の肥料や苗だけを見ています。

更に言えば、獣や害虫被害と作物の病気などや風雨や日照りなどにも対処しなければなりません。

  

イエスは単純に育てやすさを引き合いに「」を取り上げました現実には「多くのことが関係」しているのです

現実の信仰でも同様です。 

 

確かに、聖書に記されている言葉、イエスが語った言葉に信仰を持つ人は世界中で数億人から数十億人いると言われています。

しかし、これらの言葉を理解し真の崇拝者となっている人を殆ど見たことがありません

カトリックのトップであるローマ教皇でもです。

 

それは、信仰で生きるには、今の世では「試練となること(誘惑)が余りにも多い」からでもあります。

しかし、神とイエスはこの試練に耐え抜くことを求めているのです。

ただ、聖書の知識を理解し信仰を抱いているだけでは、この試練を乗り越えることが出来ないことも事実です。(道路わき、岩地、いばらの間に蒔かれた種の例え)

いわゆる「新約聖書」の中の、「使徒たちの活動」から「ユダの手紙」迄の中にはこうした試練にどのように立ち向かうかが示されていることからも分かることです。 

 

神とイエスの要求は「完全なもの」ですが、寛容さと過分の親切により人は将来の命の保証を与えられていることも忘れてはなりません。

イエスのような完全な人間は一人もいないからです。

イエスでさえ犠牲の死からの復活は「神の力によるもの」です。

過ち、あるいは、弱さという点からすれば、

あのペテロでさえ、イエスが捕縛された連れて行かれた時、イエスのことを三度も否定したのです。

改宗した後のパウロ唯一完全に最も近い人間だったと思います。 

  

さて、あなたは人間の創造者の考えに沿った[自分の]人生を見い出すことが出来るでしょうか。 

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

 ものみの塔の信者たちへ
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

クリスチャンではない人たちへ
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。 

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません) 
  

  

今回は、繰り返しになりますが、事物の体制を生き残る可能性のある人々はどんな人々かという話です。

 

神の側に属するかそうでないかという選択肢の話ではありません

人の性格や知識や理解という観点からの話です。

人は生まれ育った環境で考えや思考方法や食べ物や衣類や生活習慣や嗜好が異なることは誰でもが理解していることです。

神の力をもってすればすべての人の考えや思いや記憶を一瞬にして神の思うように変えることが出来ます。
しかし、そのようにすることは人間を創造した時の目的に反することなので決してすることはありません。
むしろ、神は人を尊重し、人が自分で物事を決定するようにさせるのです。

神は人間をロボットのように創造された訳ではないのです。

「神とキリストと神の王国と天と地」に関する神の考えを全く知らない人々の内このような多種多様な人々は、一体どのようにして新しいキリストの世で適応して生きて行くことが出来るのでしょうか
それは分りません

事物の体制の滅びを生き残るのは、「神とキリストと神の王国と天と地」に関する理解をしている人々だけとは限りません
もしかすると、「核となる人々」は神とキリストに信仰を持つ忠実な人々であり、その一族が例えば復活した時の教育係となり知識と理解を与えられるのではないかと思われます。

事物の体制を生き残るのは神とキリストに信仰を持ち忠実な人々だけではなく、生き残された後真実を知り悔い改めるいわゆる普通の「善人」の数も少なくないと思います。

クリスチャンの内死に至るまで厳しい試練に遭う人々神の養子として天でキリストと共に神の王国の一人となる144000人だけではないかと思っています。

イエスが亡くなって既に2000年程経過していますが、今の終わりの時の現状を観察すると事物の体制を生き残る人々に信仰の試練はそれ程生じないのではないかと思われます。
ただ、事物の諸体制に属する人々に対する神の裁きが臨む時にその影響を受けることは間違いないと思います。

その時の凄まじさは、あたかも子を産む劇痛のようなものかも知れないからです。

人の性格は変えることは出来ません
変えることが出来るのは理知、すなわち思考と理解です。
つまり、人は意識で自分の性格を抑制することが出来ますし、実際そのようにしているものです。
おそらく、多くの人はこれを意識しないで行っているのです。
中には、自分の[悪い]性格意識的に「隠している」「抑えている」人もいることは確かです。

信仰においてこれが出来る人が救われる者となる可能性があります。
それが上記で述べた「善人」なのです。

人間生まれ育った環境の影響を拭い去ることは出来ません
ある意味その人の原点だからです。
しかし、人は悔い改め変わることが出来るのです。
その最たる者がパウロです。
いわゆるイエスの十二人の弟子たちは外見上は「素直な普通の善人」だったのです。
彼らは、イエスの招きに応じすべてを捨ててイエスの追随者になったのです。
そして、絶えずイエスに教えられる必要のある者たちでもありました。
特別律法に通じてもいませんでした
思想において過激でもなく仕事において怠惰でもない普通に健全に働き生活していた人たちだったのです。
ペテロに至っては物事を性急に、また、単純に考える傾向にあったと思われます。
それでも、イエスから王国のための三つのカギを委ねられたのです。

しかし、これらの人々は「キリストの死のバプテスマ」という厳しい試練を耐え抜く必要がありました。
一方で、律法に通じたパウロは悔い改め、いわゆる改宗をした後は諸国民の使徒としてイエスにより任じられました。
パウロの改宗は、いわば、現代のカトリックの僧職者で聖書に通じた者が悔い改め改宗したようなものです。

おそらく、事物の体制を生き残る人々はこの二種類の人々ではないかと「予想」されるのです。

人間の考えや行いや人間関係や娯楽や快楽や欲望、そして、現在の世界の体制、政治や経済や会社・仕事に執着している人々、つまり「世に属する人々」「今の世に執着する人々」は除き去られることは間違いありません

つまり、人間の前には「この二つの選択」が置かれているのです。
聖書の言葉に素直に従うか、悔い改めるか」と「この世に執着するか」の二つの事柄です。
どちらを取るも人間の自由でありそれはその人の意志による決定です。
しかし、神とキリストはそれによって人を一人ひとり分けるのです。
イエスが言われたように「一方は連れて行かれ、他方は捨てられる」のです。

決めるのは神とキリストでも、ある意味、生き残るかどうかは「あなた自身」に掛かっているのです。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです

 ものみの塔の信者たちへ
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

クリスチャンではない人たちへ
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。 

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)
  

 

今回は、(続)「金銭に対する愛-あらゆる事柄の有害な根」-実生活偏という話です。

その国、または、地域の統治が成り立つのは経済活動があり活気があるからです。
統治するには支配者または権力者はその土地の者たちからいわゆる税を取る必要があります。
しかし、その土地の者たちに何らかの収入がなければ取りたくても取れないことになります。
特に田舎や閑散とし他地域では人の数も少なく収入源と言えば農作物や果物などですがそれらを売る手段を持たなければ現金収入はないので税金を払うことが出来ません。
物納すると農家にとっては一層生活が苦しくなるばかりです。
この点都会では様々な仕事があり働く人も多く経済活動も盛んであり人々に活気があります。
このような地域では沢山の税金を取ることが出来そこを統治する支配者または権力者は沢山の資金を得ることが出来、それによってその地域のいわゆるインフラを整備したり商業施設を作ったり娯楽施設を作ったりすることでそこに住む者たちの生活が豊かなものとなります。
正に、東京はそのような都市です。

その一方で犯罪が多いのも東京です。
つまり、人やお金や物が沢山あるところには犯罪も多いのです。

人々の生活を支えているのは特に食料の面では農家でありその農家の大半は田舎に住んでいます。
更には、衣類や生活に必要な様々なものを作るの工場も都会を離れたところにあることが多いものです。

その工場では働く人も多く、生産品の収入や労働者の収益も「総合的」に考えると数十億、あるいは、数兆円規模になることさえあります。

最近の半導体製造工場などがそうです。

自動車製造工場などもそうです。

例えば、トヨタに属する社員は数万人規模になり、トヨタ銀行などと呼ばれることさえあります。

それだけ、人、物が溢れている訳です。

他にも、国家の経済を支える重要な産業もあります。

いわゆる防衛産業、医療関係、鉄鋼関係、半導体関係、最近ではAI関連企業に加えて輸送・運送関係などの基幹産業があります。

そこでは工場の収益だけではなく、沢山の人が働き収入を得て、税金を納めています。

 

つまり、膨大な量のお金が動いている訳です。

その結果、社会は活気を帯びることになります。

 

健全な労働者だけなら問題は殆ど起きませんが、中には、十分に働かず「お金だけを欲する」人々も少なくないのです。

そうした人々が犯罪を犯すことが殆どです。

お金のあるところに「犯罪」ありなのです。

人間は基本的には衣食住が必要でありこれらが完備していないところでは暮らしていけないことは誰でも分かっていることです。
つまり、
その地域を支配する者、あるいは、権力者は政治によりこの衣食住を統治する必要があるということです。
もし、お金という存在がなければこの経済活動は円滑には行きません
当然、人々の活気もない訳です。

今世界が活気を呈しているのは経済活動のお陰でありそれを支えているのはお金です。
そのため、お金に対する執着や欲というものが必然的に生じてくるものです。
それによって人々は争い、奪い合い、プーチンやトランプのように殺し合ってもいるのです。

 

パウロが言うように、お金に対する執着は「金銭に対する愛」であり「あらゆる事柄の有害な根」であることは明白です。

その一方で、人々の暮しを豊かにするのも「お金」です。

もし、世界からお金が無くなるとどうなるでしょうか

当然、人々の活気がなくなります
 

しかし、上記のような経済活動が失われても自給自足などによって生活が落ち着くと世界は非常に安定した住み良いところとなることは必然です。

キリストと神の王国が支配する新しい世はこのような場所となると予想されます。

すべての人に、すべての家族に各々十分な土地が与えられ「そこで暮らす」ことになります。

さて、都会生活やお金のある生活になれた「あなた」はこうした新しい世での生活に順応出来るでしょうか。
もし、出来なければ新しい世での生活は「あなた」にとって暮らしの良いもの、考えていた理想とは掛け離れたものとなり、おそらく「不満」を口にし、モーセによってエジプトの奴隷状態から解放されたヤコブの子孫つまりイスラエルの人々がエジプトから解放されて間もなくモーセに不満を言い、また、「エジプトの方が良かった」などと言う者が出、「神の怒りを買った」ようになると考えられます。

キリストと神の王国の支配は人々の生活態度に関するものでその他の活動には一切関与しないと思われます。
また、人々から税金を徴収する必要もありませんから、人々は税で苦しむことも無くなります
更に、人々はいわゆる経済活動を、物の売り買いを行うこともないのでお金も不要です。
つまり、衣食住は自分で備える必要があるということです。

イザヤ65:17-25

17 「いまわたしは新しい天と新しい地を創造しているからである。以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない。

参考:新しい天とは

 啓示14:1

 またわたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼と共に,十四万四千人の者が,彼の名と彼

 の父の名をその額に書かれて[立っていた]。

 キリストの世での「支配者たち」のことです。

 新しい地とは

 啓示7:9

 9 これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつ

 くすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には, 

 やしの枝があった。

 キリストの世での「地上で暮らす人々」のことです。

 啓示21:1
 それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやな 

 い。)

18 しかし,あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,[それを]喜べ。いまわたしは,エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造しているからである。

19 そして,わたしはエルサレムを喜び,わたしの民に歓喜する。その中で泣き声や,悲しげな叫び声が聞かれることはもはやない」。

参考:このエルサレムは今のエルサレムではなく新しいエルサレムのことです。

 啓示21:2

 2 また,聖なる都市,新しいエルサレムが,天から,神のもとから下って来るのを,そして自分の夫のため

 に飾った花嫁のように支度を整えたのを見た。

 この新しいエルサレムは、いわば「神の国の首都」のような都市のことです)

20 「数日[しか生きない]乳飲み子も,自分の日を全うしない老人も,その場所からはもはや出ない。人は百歳であっても,ほんの少年として死ぬからである。罪人については,その者が百歳であっても,その身の上に災いを呼び求められるであろう。

21 そして,彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶどう園を設けて[その]実を食べる

22 彼らが建てて,だれかほかの者が住むことはない。彼らが植えて,だれかほかの者が食べることはない。わたしの民の日数は木の日数のようになり,わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである。

23 彼らはいたずらに労することなく,騒乱のために産み出すこともない。彼らはエホバの祝福された者たちからなる子孫であり,彼らと共にいるその末孫もそうだからである。

24 そして,彼らが呼ばわる前に,わたし自身が答え,彼らがまだ話しているうちに,わたし自身が聞くことになる。
25 「おおかみと子羊が一つになって食べ,ライオンは雄牛のようにわらを食べる。蛇に関しては,その食物は塵となる。これらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない」と,エホバは言われた。

(これは、新しい地での人々の暮しのことです)

キリストの世では、人々を支配する法崇拝に関することといわゆる悪に関してのみとなるのです。
それゆえ、人々の暮しは平和で安全なものとなりますが、すべてを自らが働き開拓していく必要があります。

新しい世ではお金が無くなりますから、金銭に対する愛今の世で「終わる」ことになります。

物が豊かにあり便利な世の中で暮らすのが良いか、田舎で自給自足で暮らすのが良いかと問えば、今の暮しになれた人々は大抵は前者と答えます。
お金で何でも手に入ることは便利で楽なことです。
自給自足はすべてを自ら働いて手に入れるしかなく、その苦労は大変なものであり、中には手に入らないものも多くあります。
しかし、平和や安全を考慮すれば後者を選ぶ人も増えることになります。

それでも、今では、犯罪も田舎にまで浸透して来ています。
その殆どはお金を奪うことであり性的な欲望を満たすためです。
単に、恨みや憎しみやそねみや羨望だけで人は犯罪を犯す訳ではありません。
これらは自らの欲望との関連で生じるものだからです。

お金がなければ病気や死などを除き今の世の中の大半の問題はすべて解決するのです。
人は自然と共に暮らし自然がなせるままに死んで行くのです。
誰かの物を奪うにしても運搬する手段がないので大量には奪うことも出来ませんし大量に奪っても売ることも出来ません。
人は知らないと悪いことは殆ど考えないものです。
ですから、お金のない世界で生まれた子供たちは必然的に健全に育つことになるのです。

勿論、物質欲を抱くこともあると思いますが、家族で暮らし誰かと比較することも殆どなければ人を羨むこともない訳です。

お金がなければ「新しい世」が来なくても比較的安全で平和な世の中になるのです。
心配事はその年の作物の出来具合などだけになるからです。
新しい世では、人々は義を学ぶ必要はありますが、今学校などで学習している知識を学ぶ必要はないのです。
というより今学校で学習している事柄すべてを必要としないのです。
おそらく、人々は高度な計算をする必要さえなくなります

イザヤ26章

7 義なる者の道筋は廉直です。あなたは廉直であり,義なる者の行路を平らにされます

8 そうです,エホバよ,わたしはあなたの裁きの道筋を求めて,あなたを待ち望みました。魂の願いはあなたのみ名とあなたの記念に向けられました。

9 夜,わたしは自分の魂をこめてあなたを望みました。そうです,わたしの内にあるわたしの霊をこめてあなたを捜し求めるのです。地に対してあなたの裁きがあるとき,産出的な地に住む者たちは必ず義を学ぶからです

10 邪悪な者は恵みを示されることがあっても,全く義を学びません。彼は正直の地で不正の行ないをし,エホバの卓逸性を認めません。
11 エホバよ,あなたのみ手は高く上がりました。[しかし]彼らは[それを]見ません。彼らは[あなたの]民に対する熱心さを見て恥じるでしょう。そうです,あなたに敵対する者たちのための火が彼らを食い尽くすのです。

12 エホバよ,あなたは判決によってわたしたちに平和を与えてくださいます。あなたはわたしたちのために,実にわたしたちのすべての業を行なってくださったからです。

13 わたしたちの神エホバよ,あなた以外の他の主人たちが,わたしたちを所有する者として行動しました。わたしたちはただあなたによってのみ,あなたのみ名を語り告げるのです。

14 彼らは死んでおり,生きることはありません。死んで無力であり,起き上がることはありません。それゆえ,あなたはご自分の注意を向けられました。彼らを滅ぼし尽くして,彼らのことが語り告げられるのを全く滅ぼすためです

それでも、人は幸せとは何かというものを考えると思います。
毎日何の変哲もないもない暮らしには直ぐに飽きるからです。
幸せとは、自己満足の裏返しでもあります。
自己満足するには目標、計画、実行、結果を反省し新たな目標や計画を立てるというスパイラルな活動が必要です。
このような中で自分の持つ能力が発揮され思い通りになることで自己満足感が得られるのです。

また、人は簡単な目標よりもより難しい目標を立てたがるものです。
それは自尊心があるからです。
難しいことが出来て自尊心も満たされるのです。
こうした知恵自分の能力と親に教えられるだけで十分です。

また、人は巧みに物事を行うことが出来る能力に差が出るものです。
ある事柄に関して優れた能力を表わす者いつの時代にも必ず出現するものです。
そうした者の存在が生活を豊かにしていくことになるのです。

人間にとって最も肝心なことは、健康で生き続けることです。
次に大事なことは神が人間に必要なものを備えて下さった自然の中で平和に暮らすことです。
これらの土台として「真の神への真の崇拝」があるのです。
すべてはこの土台の上に成り立つことです。

今は「人間が試されている時」でもあります。
あなたはその「神の試験」に合格するでしょうか。
試験」なら、その対策が必要です。
知識を取り入れ、様々な問題を解く必要があります。
そのような準備を十分にした者だけが合格出来ることは、今の世の中の人であれば誰でも知っていることです。

 

イエスは次のように述べています。

マタイ24:32-44

32 「では,いちじくの木から例えとしてこの点を学びなさい。その若枝が柔らかくなり,それが葉を出すと,あなた方はすぐに,夏の近いことを知ります

33 同じようにあなた方は,これらのすべてのことを見たなら,彼が近づいて戸口にいることを知りなさい。

34 あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。35 天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしの言葉は決して過ぎ去らないのです。
36 「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]。

37 人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。

38 洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。

39 そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在[の時]もそのようになるのです。

40 その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。

41 二人の女が手臼をひいているでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。

42 それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。
43 「しかし,一つのことを知っておきなさい。家あるじは,盗人がどの見張り時に来るかを知っていたなら,目を覚ましていて,自分の家に押し入られるようなことを許さなかったでしょう。

44 このゆえに,あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです。

  

新しい世でも、人間には神から与えらえた地球を管理するという命令がありそれをする必要もあります。
各々はこの命令を達成するためにスパイラルな活動を行い続けるのです。
それを首尾よく成し遂げた時に自己満足と自尊心が得られるのです。
人間にはそのために必要な「能力」も与えられています
新しい世」になったとしても、「自分勝手な生き方」をしても良いというものでもないのです。

これは今の世でも新しい世でも同じだと考えています。
聖書の知識と理解を持つあなたならどう思いますか。

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「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

 ものみの塔の信者たちへ
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

クリスチャンではない人たちへ
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。 

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)   
  

今回は、政治を行う者についての話です。

権力者の政道とは一体何なのでしょうか。
政道とは国を治めることですが権力者によってその政策は異なります。
国民を上手く治める者がいる一方で国民の反発を受ける者もいます。
選挙はいわば人気投票のようでもあり仲間を何人集めるかということでもあります。
多数の票を取った人が政治家に選出され政治に携わることになる訳です。
議会は民主主義に基づいて多数決で法案が成立します。
法律は国民をいわば縛るものです。
一方政策は国民を導くものです。
今の国会を見れば分かるように、減税は予算が関係していますから財源を確保するための法律も必要となります。
予算が関係していない場合大抵その法律は規制や制限を設けるものです。
国会で多数党の党首になれば、それは同時に国家権力を手にすることになります。
この権力者は国民が直接選んだわけではありません
ですが、国民の代表であり権力者でもある訳です。
石破茂が首相になった時国民は大いに期待したものです。
国民の人気や支持があったからです。
ところが、選挙をしたら負けたのです。
おかしいと思いませんか。
国民の人気があったはずの石破自民党が選挙で大敗したのです。
一方、国民の人気が余りなかった高市早苗が首相になり選挙をしたら自民党が大勝したのです。
どう見ても矛盾しています
つまり、裏で誰かが操っていたとしか考えられません。
その裏とはアメリカ政府です。
石破の考えや政策をトランプが良く思っていなかったことは明らかです。
突然関税を言い出したのも石破が首相になってからです。
これにより日本の政治や経済は混乱し対応を迫られた石破は野党との兼ね合いもあり上手く政策を実現出来ませんでした。
ところがアメリカ寄りで右翼的思考の高市が首相になると政治は一変しました。
その一つが高市の台湾有事発言が中国を刺激したことに合わせてトランプがいわば擦り寄って来て、殆ど直ぐに来日をしました。
石破の時には直ぐに来日せずぐずぐずしていたのに、トランプのこうした振る舞いは日本に対してだけではありませんが、日本がアメリカの影響を大きく受けアメリカ寄りの政策をしないと「アメリカからのしっぺ返しを食らう」という状況であることは昔から今に至るまで歴然としています。
また、今回の政府による為替介入はアメリカとの話し合いによることが報道されていました。
つまり、円安はアメリカ経済にとっても好ましくないという結論なので日本政府に圧力をかけて来たのです。

つまり、日本はアメリカに逆らわなければ政治や経済が平穏だということです。
同じことが国内政治にも言えるのです。
つまり、時の権力者に逆らわなければ国民は平穏に落ち着いた生活が出来るのと全く同じ構造です。
これは、「権力者の善し悪し」には余り関係はありません
権力者が酷い政治を行っても国民が逆らわなければ平穏なのです。
逆にどんなに立派な権力者でも国民がそれを理解せず反発すると混乱が生じ不安定となる訳です。
こうしたことが国内だけの事ならば、ある意味国民の総意ということですが、外国が関係していると、その外国に自国が操られることです。
例えば、イランが宗教体制になる以前は国王による統治でした。
これはイギリスが画策して力づくで王政に変えたのです。
しかし、これは国民の反対により宗教国家に戻りました。
ところが、今度はアメリカのCIAが内乱を画策し政府の転覆を謀りましたが失敗しました。
そこでトランプが今年の2月イランを攻撃しアメリカに敵対する最高指導者や幹部たちを次々を殺害しました。
こんな暴挙がなぜ許されるのでしょうか
同様に、ウクライナやガザやホルムズ海峡などに対する今のアメリカのやり方も全く酷いものです。

アメリカがイランを攻撃しなければホルムズ海峡も平穏であり石油もいつも通りに入って来ていたことは誰でも知っていることです。

トランプ関税も同様です。

つまり、今の事物の体制では、誰が政権を取っても、国民が大人しくしていれば平穏だということです。
政権を維持するのに収賄などの不正が絡んでいてもです。
逆に、どんなに良い政策を取っても国民が不満を抱けばデモや暴動が起きたり社会は不穏になるということです。
国民は基本的に我儘なもので常に良いことを望みます。

例えば、田中角栄はロッキード事件で失脚しましたが、彼の行った政策は日本を活気づけるものであり国民に勇気を与えたのです。
田中角栄はいわゆる金権政治と揶揄され多くの批判の的になって来ましたがそれによって政治も国民もある程度満足していたのです。
それをマスコミや一部の人々の正義感だけで彼から政治を奪い取ったのです。
確かに、収賄は犯罪ですが政治や国民生活が順調なら「良しとすべきだった」のではないでしょうか。
金丸信についても同様です。

今の世界各国では権力者の収賄や差別や不公平などにより内情が不安定な国は多いものです。
更には、トランプによって「経済が貧しくされた」国もあります。
このような中でもしたたかな国もあります。
それはインドであり比較的大人しくして力を蓄えている国です。
イギリス、ドイツ、フランス、トルコなどヨーロッパの国々とエジプトなどアフリカ諸国です。
中東は今当事者でトランプに引っかき回されつつも自国の保身に走っていることは確かです。
アラブ人というのはそういう人種なのです。
彼らは忍耐強いのです。

国家の情勢はいつも安定しているとは限りません。
トランプのような者が現れ世界を混乱に貶めたり、プーチンのように戦争を起こしたり、アメリカがイランを攻撃したりイスラエルがガザやレバノンを攻撃したり大規模噴火や大地震や大型台風や津波あるいは干ばつや洪水など自然災害が生じたりすることもあるからです。
日本のように政治に無関心な国民が多い国は政府の言いなりになり、ある国ように国民が政策に直ぐに反応する国では頻繁にデモや抗議運動が行われています。
それが今の「事物の体制」なのです。

例えは良くありませんが、裏では犯罪を行っている者が表では善行を行っているようなものです。
表で善行を行っているなら反対する理由はないのかも知れません。

逆に、悪法も法という言葉があり、その悪法にも従うべきだと言う考えもあるように、犯罪者であっても表向き善行を行っているならそれは許されるべきだとは思いませんか。
それとも正義感を前面に出し、善人による善政でなければ受け入れられませんか。
これは理想であって、もしそうであれば永久に善政を望むことは出来ないのです。
例えば、石破政権は良い政権であり善政を行いましたが国民がこれを理解せず辞任に追い込んだのです。
逆に、高市政権は数にものを言わせて「自分の思う政治」を他の人の意見を殆ど聞かずに法案を実現しています。

正に、悪政そのものの手法なのです。
最近では支持率がかなり低下して来ました。
わたしは事前に国民に警告しましたが国民は高市のやり方に反発する時が来るかも知れません。
高市のやることは国家重視であり国民を危険に晒すことになるからです。

今の世では、すべての人が「罪人」なのです。
実際「罪を犯さない人は一人もいない」のです。-ローマ3:23
それゆえ、誰が政権を取っても、政策に違いがあっても「結果」はそれよりも大きな「力」が働き誰もが納得する政治は出来ないのです。

この点イエスは次のように述べています。
マタイ5:38-42
38 「『目には目,歯には歯』と言われたのをあなた方は聞きました。
39 しかし,わたしはあなた方に言いますが,邪悪な者に手向かってはなりません。だれでもあなたの右のほほを平手打ちする者には,他[のほほ]をも向けなさい。
40 そして,もし人があなたと一緒に法廷に行ってあなたの内衣を手に入れようとするならば,その者には外衣をも取らせなさい。
41 また,だれか権威のもとにある者があなたを一マイルの奉仕に徴用するならば,その者と一緒に二マイル行きなさい
42 求める者に与え,あなたから[利息なしで]借りようとする者に背を向けてはなりません。

パウロも同じことを述べています
ローマ13:1-3
13章
すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです。
2 したがって,権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます
3 支配者たちは,善行にではなく,悪行にとって,恐れるべきものとなるのです。それで,あなたは権威に対する恐れを持たないでいたいと思うのですか。善を行なってゆきなさい。そうすれば,あなたはそれから称賛を受けるでしょう。
4 それはあなたの益のための神の奉仕者だからです。しかし,もしあなたが悪を行なっているのであれば,恐れなさい。それはいたずらに剣を帯びているのではないからです。それは神の奉仕者であり,悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者なのです。
5 したがって,あなた方がどうしても服従するべき理由があります。その憤りのためだけではなく,[あなた方の]良心のためでもあります。
6 それゆえに,あなた方は税を納めてもいるのです。彼らは,まさにこのために絶えず奉仕する神の公僕だからです。

7 すべての者に,その当然受けるべきものを返しなさい。税を[要求する]者には税を,貢ぎを[要求する]者には貢ぎを,恐れを[要求する]者にはしかるべき恐れを,誉れを[要求する]者にはしかるべき誉れを。

確かに、人は悪事や不正を嫌います
しかし、それで国民が平穏に暮らせたら「良し」とすべきではないでしょうか。
これは政治に無関心であって良いということではありません
政治が何を行うかは常に注視し、批判をし続けなければならないのです。
そして、選挙の時には「候補者を含め誰かの言いなりになるのではなく」自分の考えで投票すべきなのです。
主権は国民にあるというのは「」です。
表向きの大義に過ぎないのです。
実際、国民が主権を行使するのは選挙の時だけだからです。
実際、国で最も力を持つのは政権を担当している政府であり彼らが国を「国民の意思とは無関係に動かしている」のです。
このような不合理な世界今の事物の体制なのです。

あなたもこうした事物の体制が滅び、公平で平和と安全をもたらす「新しい体制」を望むのではありませんか