知恵を求める人のためのぶろぐです。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

※  あなたの疑問にお答えします。
  コメントではなくプロフィールからメッセージを下されば誰にも知られず質問出来ます。
  誰でも無償で質問出来ます。
  ただし、議論には対応できかねますので、当方からの返答をよく吟味して頂きたいと思います。

クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

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今回は、悪魔の仕業はこのように行われるという話です。

いきなり聖書の話から入ります。
この手の話は普通の人が殆ど経験したことのない話なので具体的な例を挙げることが出来ないからです。
悪魔や悪霊の話は、実感がないので普通の人には分かりにくくまた説明も難しいものです。
例え、こうした話を聞いたとしても何となくそういう気がする程度で聖書の知識がない人にとっては殆ど理解することはありません。

悪魔は神のように人の心を動かすことは出来ません。
出来るのは、人の心を誘惑することです。
しかも、それとは分からずに行うのです。
つまり、人はそれに気が付かないことも多いのです。
また、力で人間を襲うことも神に許されていません。
ヨブに起きた出来事は神がサタンが自分の言うことを確かめさせることを許したので起きた特別な出来事なのです。
イエスの時代、悪霊たちが人に憑りついていた記録がありますが、おそらく、現代はないと考えています。
少なくても現代ではそのような事例は聞いたことがありません。

イエスは悪魔の誘惑を受けるために霊によって荒野に導かれたことがあります。
悪魔は直接イエスに語り掛けています。
丁度、エデンでエバに話しかけたように。
しかし、普通の人間の場合、悪魔や悪霊の声を聞くことは出来ません。
つまり、人間は普通は神の使いたちと会話が出来るようにはされていないのです。
神の使いとして人間の前に現れた時特別に聞こえるようにされるのです。
それ以外は夢か幻で「神のご意志」が人に伝えられるのです。
悪魔はこうしたことも許されてはいないのです。
つまり、悪魔は直接人間に働き掛けることは許されてはいないし出来ないのです。
それでも悪魔は策略を用いて人を誘惑することも人をサタン(神の考えと反対のことをしたりさせたりする行為)的にすることも出来るのです。
悪魔の目的は人を真の神から引き離すことです。
人が神とイエスを信じ信仰を持っているとしても、その行いや振る舞いが悪魔的サタン的なことをする場合もあるのです。
人はこの点特に注意する必要があります。

悪魔的とは神を冒涜したり中傷したり呪ったりすることであり、
サタン的とは神の考えや目的に反したり敵対するようなことの行いのすべてです。

人が悪霊に憑りつかれると「てんかん」のように体を硬直させ倒れるようなことがあると昔から言われていたことがあります。
それでも、
確かに「てんかん」は昔からあり今でもありますがその人たちに悪霊が憑りついていたという話は現代では聞いたことがありません。
実際、「てんかん」は今では脳の病気の一つとされています。
その治療法も薬もあります。
聖書の中ではこの二つは分けられています。-マタイ4:24

悪霊に憑りつかれると、狂暴になったり口がきけなくなったり、時には食べることをしなかったり盲目にしたり気が狂ったように振る舞ったり、あるいは予言をさせたり、
あるいは、サタンとなり自分をいつも光の使いに変様させたり、
悪霊の霊感による表現として、人を惑わす霊感のことばや悪霊の教え(間違ったことや断食など)などに注意を寄せるようになると記されています。

小説や妄想の中での話を誰かが信じたり、暗闇や人影のない屋外の自然のざわめきを恐れそこに目には見えない誰かがいて悪さをしていると思い込んでいる場合もあります。
もし、こうした恐恐の中で何かが起きたとしたら暗闇の中で活動する野生の動物などのせいか自分自身の気のせいか風に吹かれて枝葉などが自分に触れたとかあるいは誰か人間が故意に何かをした時です。

確かに悪魔の人に対する挑戦は続いていることは確かです。
ただ、人間がそれに気が付かないだけなのです。
人間に分かることは起きた事柄だけです。

例えば、トルーマンが日本への原爆投下の命令を下したことは、原爆投下された日本人が神を呪うことを意図した、人を神から引き離すことを目的をとした悪魔の誘惑あるいは悪魔の仕業と考えられるかも知れません。
しかしながら、終わりの時代のこれ程の大事件について聖書が直接悪魔の仕業だと述べていません。
間接的に、別の野獣が龍から権威を受けた野獣の権威をこの野獣が人類の前で火を天から地に下らせることさえすると聖書には記されているだけです。-啓示13:11-13

日本への原爆投下で世界中で起きた事柄は原爆禁止運動であり反核運動です。
被害に遭った日本人は原爆を悪魔のせいだと考える人は一人もいなかったのです。
そう思った人もいたかも知れませんが、アメリカがしたという認識の方が強かったのす。
日本人も世界の人々も現実的だったのです。
ヒトラーのホロコースト、ソ連によるポーランド人虐殺、日本軍による南京虐殺などなどが有名ですがこれらも人間の仕業であり悪魔の仕業だと言う人は一人もいません。
他にも歴史上大勢の人を虐殺した例は沢山あると思いますがそれらは殆ど公にはされていません。
聖書の中でも、1日に数万人が神によって殺された例が幾つか出て来ますが、それはその人たちが「悪」を行ったからであり、人間の虐殺とは真逆の出来事です。

世の中には一人を殺せば犯罪者だが大勢を殺すとヒーローだなどと言う人さえいます。
チャップリンの映画[殺人狂時代」の中の台詞です。
「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる。」 
これは当時のナチスドイツのヒットラーに対して発せられたチャップリンの痛烈な批判の言葉です。
被害者数のあまりの多さと、事の重大さは、犯罪という言葉自体すらをも凌駕してしまうようだと述べているのです。
ましてや、その怪物のような人物が対抗すべき力を金の力で抑えつけた時にはなおさらだとも。

最も、現代では上に挙げた大量虐殺は直ぐに世界中に知れ渡り非難と暴動が起こるに違いありません。
しかし、現実に起きた事柄なのです。
そして、大量虐殺の犯罪ではすべての事例は殆ど立証されず大抵は1、2件の犯罪を立証するに留まることが多いのです。

加えて、戦争による殺人は犯罪とはみなされないのが一般的です。
ですから、極東軍事裁判は異例の裁判だったのです。
もし戦争による殺人を犯罪と見なせば、スターリンもヒトラーもトルーマンもプーチンもトランプも、更には兵士として人を殺したことのある人は皆当然死刑です。
しかし、現実には彼らは未だに殺人を行い続けているのです。

こうした仕業は元を正せば悪魔のせいですが、実際に行うのは人間なのです。
悪魔は原因を作ったり誘惑するだけなのです。
それに屈するか否かはその人個人の領域であり責任なのです。

悪魔の別の姿である龍は自分の力と座と大きな権威を野獣に与えただけで、後は野獣がどのように振る舞うかに関しては「野獣がすること」を見ているだけなのです。-啓示13章以降
こうした出来事は悪魔とその使いたち(悪霊たち)が天から投げ落とされた後の出来事です。-啓示12章

しかしながら、繰り返しになりますが悪い事柄はすべて悪魔のせいにするというのは正しくはありません。
特に、聖書的なことではないことについてはなおさらです。
ヨハネ8章でイエスは次のように語っているからです。
23 それで[イエス]はさらに彼らに言われた,「あなた方は下の領域からの者ですが,わたしは上の領域からの者です。あなた方はこの世からの者ですが,わたしはこの世からの者ではありません。
24 それゆえわたしは,あなた方は自分の罪のうちに死ぬと言ったのです。わたしが[その者]であることを信じないなら,あなた方は自分の罪のうちに死ぬことになるのです」。

ある時、ペテロに向かってイエスは「サタンよ離れ去れ」と言ったことがありますが、この時ペテロが悪魔になったとか、ペテロに悪魔が乗り移ったとかそのような意味ではありませんでした。
マタイ16:22
21 その時以後,イエス・キリストは,ご自分がエルサレムに行って年長者・祭司長・書士たちから多くの苦しみを受け,かつ殺され,三日目によみがえらされねばならないことを弟子たちに示し始められた。
22 すると,ペテロは彼をわきに連れて行き,「主よ,ご自分を大切になさってください。あなたは決してそのような[運命]にはならないでしょう」と言って叱り始めた。
23 しかし,[イエス]はペテロに背を向けて言われた,「わたしの後ろに下がれ,サタンよ! あなたはわたしをつまずかせるものです。あなたは,神の考えではなく,人間の考えを抱いているからです」。
つまり、どんなに善いと思われることでも「神のご意志に反するすべてのこと」はサタン的であり人間の考えなのです。

ユダ・イスカリオテがイエスを裏切る時にやはりサタンが入ったという記録があります。
ヨハネ13:1-2、21-30
13章
さてイエスは,過ぎ越しの祭りの前に,自分がこの世を出て父のもとに行くべき時が来たことを知ったので,[それまでも]世にあるご自分の者たちを愛してこられたのであるが,彼らを最後まで愛された。
2 それで,晩さんが進んでいる間に,悪魔はそのときすでにシモンの子ユダ・イスカリオテの心に彼を裏切る[考え]を入れていたのであるが,
・・・
21 これらのことを言ったのち,イエスは霊において苦しまれ,証しをして言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,あなた方のうちの一人がわたしを裏切るでしょう」。
22 弟子たちは,だれについて[そう]言っておられるのかと戸惑いながら互いを見まわした。
23 イエスの懐の前に弟子の一人が横になっており,イエスはこれを愛しておられた。
24 それゆえ,シモン・ペテロはこの者にうなずいて合図をしながら言った,「だれのことを言っておられるのか話しなさい」。
25 それで,その者はイエスの胸もとにそり返って言った,「主よ,それはだれですか」。
26 それゆえイエスは答えられた,「わたしが一口の食物を浸して与えるのがその人です」。そうして彼は,一口の食物を浸してから,それを取ってシモン・イスカリオテの子ユダに与えた。
27 すると,その一口の食物[を受けた]あとすぐ,サタンがその者に入った。

つまり、悪魔は時として人の心に入ることが出来ることを示しています。
文字通り人の心に入ったのかあるいは神に敵対する、あるいは、神のご意志に反する言動や行動に対してサタンという言葉を使ったのかは分かりません。
もっと言えば、悪魔は自分が思うことを「人の心」にも仕向けることが出来るのかも知れません。
この場合、悪魔が人の心に入るとは心の中で「悪魔の考え」を抱くようになるということです。

もっと別の言い方をしますと、
わたしたちは心の中で葛藤をすることがあることを知っています。
こうすれば正しいことだが、こうもしたいという悪い思いが交錯する時です。
いわば心の中で善悪の問答をしている訳です。
これは、もし悪魔の考えが心に入ったとしても人はこれを退けることが出来ることをも示しているということです。

ここが肝心な点です。
悪魔の誘惑をそのまま受け入れてしまうかそれを退けるかはその人の心の中で生じているという点です。
これは神以外誰にも見えないことですがそれは外見や振る舞いや行動に現れることは事実です。
ある意味、人は外見で判断することも出来るということでもあります。
それゆえ、人は自分に荷を、つまり責任を負うことになり神といえどもそこには介入しないのです。
そのようにしないと神は人を裁くことが出来ないことになってしまいます。

ペテロの場合はイエスに対する善意から出た言葉ですがその言葉は神の目的を阻むという点ではサタンと言わざるを得ないのです。
つまり、ペテロは一時でもサタン的な考えを抱いたということであり、必ずしも悪魔がペテロの心に入った訳ではないのです。

ユダの場合は、ユダはお金を管理していましたからお金に対する執着心が他の弟子たちよりは強かったことは確かです。-ヨハネ12:5
そのためお金の誘惑に負けてイエスを裏切ることになってしまいました。
ユダにサタンが入ったというのはこの誘惑に負けたことを示しています。
そしてそれを現実なものにして大罪を犯してしまったのです。
後悔先に立たずで、かつ、自殺するという更なる罪を重ねて死んでしまったのです。-マタイ27:3-5
イエスはユダのことを生まれて来なかった方が良かったとさえ述べています。-マタイ26:24

つまり、人の心にサタンが入るとは「神に敵対する、あるいは、反抗する考えを心に抱く」ことを指しているものと思われるということです。
それは悪魔からのものである場合や自分自身からのものである場合もあるということです。

例えば、悪魔はこの世の支配者と言われていますが、現実の世界を見て人間は直接その実体を感じることすらありません。-参考ヨハネ12:31、16:11
悪い事柄すべてを悪魔に起因することも出来るかも知れませんが人はそれを退けることも出来るのです。
悪魔は外からだけではなく人間の心に誘惑を仕掛けることが出来るという点も良く覚えておくべき事柄です。

パウロは悪魔の策略の備えをするようにと述べています。
エフェソス6:10-17
10 終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。

要約すると、真理、義、宣教、信仰、救い、神の言葉=聖書、祈りと祈願ということになります。
つまり、悪魔の策略に立ち向かうにはこれらを身に付ける必要があることを教えています。
これらを行うのは人の心です。
ですから、箴言には次のように記されています。
箴言4:20-27
20 我が子よ,わたしの言葉に注意を払え。わたしのことばに耳を傾けよ。
21 それがあなたの目から離れ去ることのないように。それをあなたの心の中に保て。
22 それは,これを見いだす者たちにとっての命であり,その全身に健康[を保たせるもの]だからである。
23 守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ。命はそこに源を発しているからである。
24 曲がった話し方を自分から取り除き,ねじくれた唇を自分から遠ざけよ。
25 あなたの目はまっすぐ前方を見るべきである。あなたの輝く目は自分の前をまっすぐ見つめるべきである。
26 あなたの足の行路を平らにせよ。あなたのすべての道が堅く据えられるように。
27 右にも左にも傾いてはならない。あなたの足を悪いことから遠ざけよ。

イエスは次のようにも述べています。
マタイ15:18
18 しかし,口から出るものは心から出て来るのであり,それが人を汚します。
19 たとえば,心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,冒とくが出て来ます。
20 これらは人を汚すものです。

人に罪を加えたのは神です。
人はその罪のために多くの過ちや悪いことを行います。
その一方で義や多くの善いことも行います。
それはその人の心の問題なのです。
神が人間をこのような状況に置いたのは、エデンの蛇のせいです。
蛇による神への、いわば、挑戦とも思える発言のため、人は善悪に対する決定をせざるを得なくなったのです。
-創世記3章

では、イエスの次の出来事は何を教えているでしょうか。
ヨハネ8章
しかしイエスはオリーブ山に行かれた。
2 それでも,夜明けには再び神殿に姿を現わされ,民はみなそのもとに来るのであった。そして[イエス]は腰を下ろして彼らに教えはじめられた。
3 そこへ,書士とパリサイ人たちが,姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来た。そして,彼女を自分たちの真ん中に立たせてから,
4 彼にこう言った。「師よ,この女は現に姦淫を犯しているところを捕らえられました。
5 モーセは律法の中で,このような女を石打ちにすることをわたしたちに規定しました。あなたはいったい何と言われますか」。
6 もとより彼らは,[イエス]を試して,訴える手がかりを得ようとしてこれを言っていたのである。しかしイエスは身をかがめ,指で地面に[何か]書きはじめられた。
7 彼らが執ように尋ねると,[イエス]は身をまっすぐに起こして彼らに言われた,「あなた方の中で罪のない人が,彼女に対して最初に石を投げなさい」。
8 そしてもう一度かがんで,地面に[何か]書きつづけておられた。
9 ところが,これを聞いた者たちは,年長者たちから始めて一人ずつ出て行き,やがて彼ひとり,そして彼らの真ん中にいた女だけが残った。
10 イエスは身をまっすぐに起こして彼女に言われた,「女よ,彼らはどこにいるのですか。だれもあなたを罪に定めなかったのですか」。
11 彼女は言った,「だれも,だんな様」。イエスは言われた,「わたしもあなたを罪には定めません。行きなさい。今からは,もう罪を習わしにしてはなりません」。
12 それゆえ,イエスは彼らに再び話してこう言われた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は決して闇の中を歩むことがなく,命の光を持つようになります」。
13 ゆえにパリサイ人たちは彼に言った,「あなたは自分自身について証しをしています。あなたの証しは真実ではありません」。
14 それに答えてイエスは彼らに言われた,「たとえわたしが自分自身について証しするとしても,わたしの証しは真実です。わたしは,自分がどこから来たか,そしてどこへ行こうとしているかを知っているからです。しかしあなた方は,わたしがどこから来たか,そしてどこへ行こうとしているかを知りません。
15 あなた方は肉にしたがって裁きます。わたしはだれをも裁きません。
16 ですが,もしわたしが裁くとすれば,わたしの裁きは真実です。わたしは独りではなく,わたしを遣わした父が共におられるからです。
17 また,あなた方自身の律法の中に,『二人の証しは真実である』と書いてあります。
18 わたしは,自分について証しする者であり,わたしを遣わした父もわたしについて証しされるのです」。
19 それゆえ彼らはさらに言った,「あなたの父とはどこにいるのですか」。イエスは答えられた,「あなた方はわたしも,わたしの父も知りません。もしあなた方がわたしを知っているとすれば,わたしの父をも知っているはずです」。
20 [イエス]はこれらのことばを,神殿で教えていた際,宝物庫の所で話された。しかしだれも彼を捕まえなかった。彼の時はまだ来ていなかったからである。
21 そこで[イエス]は再び彼らに言われた,「わたしは去って行こうとしています。そしてあなた方はわたしを捜すことでしょう。それでも,あなた方は自分の罪のうちに死にます。わたしが行こうとしている所へ,あなた方は来ることができません」。
(これは彼らはすなわち神の王国の一人となれないということ断言したものです。
 神の王国の144000人を選ぶのはイエスご自身だからでもあります)

22 それゆえ,ユダヤ人たちは言いはじめた,「彼は自殺するつもりなのではあるまい。『わたしが行こうとしている所へ,あなた方は来ることができない』と言っているが」。
(おそらく、ユダヤ人たちはイエスが死んで墓に行くという意味で捉えたことも明らかです)

23 それで[イエス]はさらに彼らに言われた,「あなた方は下の領域からの者ですが,わたしは上の領域からの者です。あなた方はこの世からの者ですが,わたしはこの世からの者ではありません。
24 それゆえわたしは,あなた方は自分の罪のうちに死ぬと言ったのです。わたしが[その者]であることを信じないなら,あなた方は自分の罪のうちに死ぬことになるのです」。
25 そこで彼らは,「あなたはだれなのですか」と言いだした。イエスは彼らに言われた,「一体なぜわたしはあえてあなた方に話しているのでしょうか。
26 わたしには,あなた方について話すべきこと,また裁きを下すべきことがたくさんあります。実際のところ,わたしを遣わした方は真実な方であり,その方から聞いたこと,それをわたしは世で話しているのです」。
27 [イエス]が父について話しておられることを,彼らは会得しなかった。
28 それゆえイエスは言われた,「ひとたび人の子を挙げてしまうと,そのときあなた方は,わたしが[その者]であり,わたしが何事も自分の考えで行なっているのではないことを知るでしょう。わたしはこれらのことを,ちょうど父が教えてくださったとおりに話しているのです。
29 そして,わたしを遣わした方は共にいてくださいます。わたしを独りだけにして見捨てたりはされませんでした。わたしは常に,その方の喜ばれることを行なうからです」。
(これはイエスに関する神の預言のことを言っています)

30 これらのことを話しておられる間に,多くの者が彼に信仰を持った。
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,
32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。
(イエスに信仰を持つ者すべてをイエスが受け入れるのではないことを示しています)

33 彼らは答えた,「わたしたちはアブラハムの子孫であって,だれにも奴隷になったことなどありません。『あなた方は自由になるでしょう』と言われるのはどうしてですか」。
34 イエスは彼らに答えられた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,すべて罪を行なう者は罪の奴隷です。
35 そして,奴隷は家の者たちの中にいつまでもとどまっているわけではありません。子はいつまでもとどまっています。
(これはユダヤ人たちが神から捨てられることを述べています)

36 それゆえ,もし子があなた方を自由にするならば,あなた方は本当に自由になるのです。
37 わたしは,あなた方がアブラハムの子孫であることを知っています。しかしあなた方はわたしを殺そうとしています。それは,わたしの言葉があなた方の間で進んでゆかないからです。
38 わたしは,自分の父のもとで見た事柄を話します。それであなた方は,[自分たちの]父から聞いた事柄を行なうのです」。
39 彼らは答えて言った,「わたしたちの父はアブラハムです」。イエスは彼らに言われた,「アブラハムの子供であるというなら,アブラハムの業を行ないなさい。
40 しかし今,あなた方は,わたしを,神から聞いた真理をあなた方に告げた者を殺そうとしています。アブラハムはそのようなことを行ないませんでした。
41 あなた方は自分たちの父の業を行なっているのです」。彼らは言った,「わたしたちは淫行によって生まれたのではありません。わたしたちには一人の父,神がいるのです」。
42 イエスは彼らに言われた,「もし神があなた方の父であるならば,あなた方はわたしを愛するはずです。わたしは神のもとから出てここにいるからです。そしてわたしは決して自分の考えで来ているのではありません。その方がわたしを遣わされたのです。
43 わたしの話している事柄があなた方に分からないのはなぜでしょうか。それは,あなた方がわたしの言葉を聴くことができないからです。
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。
45 他方,わたしは真理を告げるので,あなた方はわたし[のことば]を信じません。
46 あなた方のうちのだれが,わたしに罪があると証明するのですか。わたしが真実を話しているなら,あなた方がわたし[のことば]を信じないのはどうしてですか。
47 神からの者は神の言われることを聴きます。あなた方が聴かないのはこのため,つまり,神からの者ではないからです」。
48 それに答えてユダヤ人たちは彼に言った,「わたしたちが,あなたはサマリア人で,悪霊につかれている,と言うのは正しいのではありませんか」。
49 イエスは答えられた,「わたしは悪霊につかれてはいません。わたしの父を尊んでいるのであり,あなた方はそのわたしを辱めています。
50 といっても,わたしは自分のために栄光を求めているのではありません。求め,かつ裁いておられる方がいます。
51 きわめて真実にあなた方に言いますが,だれでもわたしの言葉を守り行なうなら,その人は決して死を見ることがありません」。
52 ユダヤ人たちは彼に言った,「今わたしたちは,あなたが悪霊につかれていることがはっきり分かります。アブラハムは死にましたし,預言者たちもそうです。それなのにあなたは,『だれでもわたしの言葉を守り行なうなら,その人は決して死を味わうことがない』と言っています。
53 あなたは,死んだわたしたちの父アブラハムよりも偉いわけではないでしょう。そして,預言者たちも死んだのです。あなたは,自分が何者であると唱えるのですか」。
(ユダヤ人たちはイエスの言ったことを素直に受け止めず、いわば難癖をつけて信じようとはしません

 でした。
 こうした傾向は現代の人々にもありがちなことです。
 人は聖書を読む時にこの点を注視して読まなければ、神は決してその人の心を動かすことはないので

 す。
 例えば、天地人の創造の記述を素直に信じて受け入れますか、それとも有り得ないことだとして退

 けますか?)

54 イエスは答えられた,「わたしが自分に栄光を付すのであれば,わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父,あなた方が自分たちの神であると言うその方です。
55 それでいて,あなた方はその方を知っていません。しかし,わたしはその方を知っています。そして,その方を知らないと言えば,わたしはあなた方のように,つまり偽り者になります。しかしわたしは確かにその方を知っており,その方の言葉を守り行なっています。
56 あなた方の父アブラハムは,わたしの日を見ることを見越して大いに歓び,それを見て歓んだのです」。
57 それゆえユダヤ人たちは彼に言った,「あなたはまだ五十歳になってもいないのに,アブラハムを見たことがあるのですか」。
58 イエスは彼らに言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,アブラハムが存在する前からわたしはいるのです」。
59 そのため彼らは,[イエス]に投げつけようとして石を拾った。しかしイエスは隠れ,神殿から出て行かれた。
(ユダヤ人たちはイエスを神から遣わされた者であることを全く理解していなかったのです。
 そのためイエスを受け入れなかったのです。
 理解していないから罪にはならないという訳ではないこともイエスは示しています。
 知らないではなく理解していないのは理解しようとはしない心の頑なさを表わしています)

9章
さて,進んで行かれる際,[イエス]は生まれた時から盲目の人をご覧になった。
2 そこで,弟子たちが彼に尋ねた,「ラビ,この人が盲人として生まれたのは,だれが罪をおかしたためですか。当人ですか,それともその親たちですか」。
3 イエスは答えられた,「この人が罪をおかしたのでも,その親たちでもなく,神のみ業がこの人の場合に明らかにされるためだったのです。
4 わたしたちは,わたしを遣わした方の業を昼のうちに行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ようとしています。
5 わたしが世にいる間,わたしは世の光なのです」。
(つまり、イエスはユダヤ人にとっての救いと希望となる存在であることを示しています)

6 これらのことを言ってから,[イエス]は地面につばを吐いて,だ液で粘土を作り,その[人の]両目にその粘土を当てて,
7 こう言われた。「行って,シロアムの池で洗いなさい」([シロアム]とは,『送り出された』と訳される)。それで彼は去って行って洗い,見えるようになって戻って来た。
8 それゆえ,隣人たちや,彼がこじきであるのを以前に見ていた人々は,「これは,いつも座って物ごいをしていた男ではないか」と言いはじめた。
9 ある者たちは,「これはその人だ」と言い,ほかの者たちは,「いや,違う,ただ似ているだけだ」と言った。当人は,「わたしは[その者]です」と言うのであった。
10 そこで彼らはその人に言いだした,「では,どうしてあなたの目は開いたのか」。
11 彼は答えた,「イエスという人が粘土を作ってわたしの両目になすりつけ,『シロアムに行って洗いなさい』と言いました。それで,行って洗いましたところ,見えるようになったのです」。
(この素直さが神が心を開いてくれるという証にもなります)

12 すると彼らは言った,「その[人]はどこにいるのか」。彼は言った,「知りません」。
13 彼らは,以前に盲目であったその人をパリサイ人たちのところに連れて行った。
14 なお,イエスが粘土を作って彼の目を開けたのは安息日であった。
15 それで,今度はパリサイ人たちが,どのようにして見えるようになったのかと彼に尋ねはじめた。彼は言った,「その人が粘土をわたしの両目に当てました。そしてわたしが洗いましたところ,今は見えるのです」。
16 それで,パリサイ人のある者たちが言いはじめた,「これは神からの人ではない。安息日を守っていないからだ」。ほかの者たちは言いだした,「罪人である人が,どうしてこのようなしるしを行なえるだろうか」。こうして,彼らの間には分裂があった。
17 そのため,彼らはその盲人に再び言った,「彼があなたの目を開けたことからして,あなたは彼について何と言うか」。その[人]は言った,「彼は預言者です」。
18 しかしユダヤ人たちは,この人に関して,つまりこの人が盲目であったのに見えるようになったということを信じず,見えるようになったその人の親たちを呼ぶことになった。
19 そして彼らにこう尋ねた。「これは,生まれつき目が見えなかったという,あなた方の息子か。では,現在見えるのはどうしてなのか」。
20 すると,彼の親たちは答えて言った,「これがわたしどもの息子で,生まれつき目が見えなかったことは知っております。
21 でも,今見えるのがどうしてかは知りませんし,だれがその目を開けたのかも知りません。彼にお聞きください。彼は大人です。自分で話すはずです」。
22 彼の親たちはユダヤ人を恐れていたので,こうしたことを言った。ユダヤ人たちはすでに,だれでも[イエス]をキリストと告白する者がいれば,その者は会堂から追放するとの合意に達していたからである。
23 そのために親たちは,「彼は大人です。彼に尋ねてください」と言ったのである。
24 それゆえ彼らは,盲目であった人を二度目に呼んで,こう言った。「神に栄光をささげなさい。わたしたちはこの人が罪人であることを知っているのだ」。
25 これに対して彼は答えた,「その人が罪人かどうかわたしは知りません。一つのことは知っています。わたしは目が見えませんでしたが,現在は見えるということです」。
26 それゆえ彼らは言った,「彼はあなたに何をしたのか。どのようにしてあなたの目を開けたのか」。
27 彼は答えた,「わたしはもうお話ししましたのに,お聴きになりませんでした。なぜもう一度お聞きになりたいのですか。あなた方もあの人の弟子になりたいわけではないのでしょうに」。
28 すると彼らはその人をののしって言った,「お前はあの[男]の弟子だが,我々はモーセの弟子なのだ。
29 我々は,神がモーセに語られたことを知っている。だが,この[男]については,どこからの者か知らない」。
30 それに答えてその人は彼らに言った,「これはいかにも驚いたことです,あの人がどこからの者かをご存じないとは。わたしの目を開けた人ですのに。
31 神は罪人たちにはお聴きになりませんが,だれでも神を恐れてそのご意志を行なうなら,その者にはお聴きになることを,わたしたちは知っております。
32 昔から,盲人として生まれた者の目を開けたというようなことは聞いたためしがありません。
33 神からの人でないなら,この人は全く何もできないはずです」。
34 それに答えて彼らは言った,「お前は全く罪のうちに生まれながら,我々を教えるというのか」。こうして彼らは,その人を追い出してしまった。
(彼らの傲慢さがこの言葉に現れています)

35 イエスは,彼らがその人を追い出したことをお聞きになった。そして,彼を見つけると,こう言われた。「あなたは人の子に信仰を持っていますか」。
36 その[人]は答えた,「ですが,だんな様,それはどなたのことでしょうか。わたしがその方に信仰を持てますように」。
37 イエスは彼に言われた,「あなたはその者を見ました。しかも,あなたと話しているのがその者です」。
38 すると彼は言った,「わたしはほんとうに[その方に]信仰を持っています,主よ」。そして彼は[イエス]に敬意をささげた。
39 するとイエスは言われた,「[この]裁きのためにわたしはこの世に来ました。すなわち,見えない者が見えるようになり,見える者が盲目になるためです」。
(ユダ人たちを裁くために来たとも述べています)

40 パリサイ人のうち[イエス]と一緒にいた者たちがこれらのことを聞いて,彼に言った,「わたしたちも盲目であるというわけではないでしょうね」。
41 イエスは彼らに言われた,「あなた方が盲目であったなら,あなた方には罪がなかったでしょう。しかしあなた方は今,『わたしたちは見える』と言います。あなた方の罪は残るのです」。

(これを読み返して、なぜマタイにご自分についてくるようにと話したかが分かるようです。
ルカは医者でしたから物事を論理的に見る傾向にありますが、マタイは収税人でしたから記録を正確に付ける能力に丈ていたのでイエスに誘われたのだと思います。
マタイも即座にイエスの追随者となったのもマタイの心を読んでのことだったと思います。
この点はペテロ兄弟なども同様だったと思います。
イエスが選んだ十二人にはそれぞれいわば特技や特質というものが備わっていて、その十二人で弟子としての、あるいは、使徒としての完成した一つの集団を形成することを意図したものと推測されます。
三人寄れば文殊の知恵という言葉がありますが、一人では能力に限りがありますが十二人で一つを形成する点は聖書的であると言えます。
イスラエルも十二部族で一つの国家を形成していることに倣ったものかも知れません。
ちなみに、ルカは十二使徒の一人ではありません。
ですが、後に聖書を編纂した人々はルカが書いた二つの本を聖書の一部として組み込みました)

ユダヤ人たちはイエスが言われたことを全く理解しようともイエスが行ったことが神からのものであることを信じようともしませんでした。
治された当事者にはイエスの言うことや振る舞いは良く理解出来ました。
しかし、周りで見ているユダヤ人たちはただその不思議(奇跡)に対してあれこれ言うだけです。
その理由はイエスをメシア、神の子との認識も信じることもせず絶えず疑いの目て見ていたからであり、イエスの行うことが自分たちから出ていないので、こうした傲慢な態度がユダヤ人たちの間に、そして、書士やパリサイ人、そして特にユダヤ人の最高法廷であるサンヘドリンの面々にもそうした態度がいわば伝染病のように広まっていたことが目に見えるようです。
彼らの傲慢さが目に見えるようです。
こうしたことは、例えば高い地位のある人が下のものから間違いを指摘されるとそれを受け入れないのに似ています。
彼らはイエスの行う奇跡を悪魔からのものだと言いましたが、こうした態度に関して、逆にイエスは、
「44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。」
と言われたのです。

イエスはユダヤ人の人々に対して神により遣わされた者です。
それは、神がアブラハムと関係を持ってからのことでありそしてエデンでの宣言通り人類を救うための女の胤をイスラエルから興すため律法を与えその備えをさせたことはパウロの発言からもハッキリしています。-ローマ4章
しかし、多くのユダヤ人たちはイエスを信じませんでしたし、ついには、イエスを死に追いやったのです。
勿論、こうしたことは神の筋書き通りなのですが、ユダヤ人たちにはそれが分からず理解しようともしなかったのです。

この点初めにも書きましたが今の人間の方がイエスのことばを信じやすいのです。
その当時の当事者であるユダヤ人ではないからです。
今日多くの人は聖書の記述を神話のように見ていることは明らかです。

しかし、当時と同じようなことが今日まで世界で起き続けているのです。

イエスの時代からおよそ2000年経過しているため、イエスに関する聖書の記述は普通の人々には神話か伝説のようにしか見えないのです。
つまり、その当時の背景を知らず、また、その当時を生きていて見ていないので信じやすくなっているということです。
現実にユダヤ人のような期待や希望を持っていない世界中の普通の人々には、この神話のような話を現実としてではなくいわば美談として期待を抱き、ある人々は信仰心を抱いているのです。
もし、現代の人々がユダヤ人のような立場ならイエスを信じ信仰を持つ人が世界中に数億人から数十億人も存在することは有り得ないのです。
今世界中にこれ程のクリスチャンが存在するのは、いわば、悪魔からの者であり真実さが彼らの内にないからです。彼らが偽りを語るときには,自分の性向のままに語るからです。
つまり、真の神を信じていると言うかも知れませんが、世の支配者悪魔からのものであることを自らが示しているのです。
なぜなら、(ものみの塔を含めキリスト教の信者たち)彼らの信仰は聖書の真理に基づくものではなく、自分たちが作り上げたものの上に立っている信仰だからです。

悪魔の目的は一人でも多くの人を神から引き離すことです。
あなたはこれを理解していますか。
おそらく理解しておらず普通の生活を続けていることでしょう。

しかし、世の終わりが近づいていることは現実なのです。
物思いや空想や幻想に浸っている場合ではありません。

正に、ビルの屋上の隅に立っているような状況なのにそれを認識していないので、そのような危険な場所でも普通にしていられるのです。
しかし、そのビルの屋上から、いわば滑り落ちるのは時間の問題なのです。

もっとも、こうしたことを知らず「死を当たり前」という認識で生きている人にとっては「生き残る」ことはどうでも良いことです。
長生きをしたいとは思いますがいつかは死んでしまうことを全く受け入れてしまっているからです。
つまり、ビルの屋上から落ちて死ぬのは仕方がないことだと考えているのです。

おそらく、あなたもその一人かも知れません。
長生きをしたいとは思っても、今の世が終わることやその時を生き残ることなどは、丁度、イエスに対するユダヤ人のように信じることが出来ないのです。
イエスの弟子のうち直接イエスから指名されたのは十二人です。
その他の多くの弟子たちはイエスの行った奇跡を見たことによるものだと思われます。
更に、その弟子たちの言うことを信じた者たちが信者となって行きました。
それでも、イエスに信仰を持つ者すべてをイエスが受け入れる訳ではないことも示しています。
この点を殆どの人は気が付いていません。
もっと注意深く聖書を読むべきです。

最後の使徒ヨハネが亡くなった後、誰も「霊と真理」を持って神を崇拝することを指導出来る人がいなくなってしまいました。
そして、そこに悪魔が入り込んで今のキリスト教世界を作り上げたのです。
あなたにはこうしたことが理解出来ますか。
いわば、キリスト教の裏側の世界を見るようなものです。
それでもあなたはカトリックやプロテスタントなどの教会へ、ものみの塔の集会へ行きますか。
わたしなら決して行きません。
彼らに惑わされるだけだからです。
そうではなく、自分で聖書を読み神が心を開いて下さることを選びます。
聖書を読み素直に受け入れることは人間の常識や自分の理解に頼っている訳ではないことを示すものともなるのです。
ユダヤ人たちの例にあるように疑って見ることは物事の本質を見失うことになる場合もあるのです。
特に、頭が良く知識と唱えられているものを良く知っている人に見られる特徴です。
パウロはテモテに次のように助言しています。
テモテ(一)6:20
20 テモテよ,あなたに託されているものを守り,聖なる事柄を汚すむだ話や,誤って「知識」ととなえられているものによる反対論から離れなさい。
21 ある人たちは,そうした[知識]を見せびらかそうとしたために信仰からそれて行きました。

ヤコブは次のように述べています。
ヤコブ1:5-8
5 それで,あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。[神]はすべての人に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば,それは与えられます。
6 しかし,信仰のうちに求めつづけるべきであり,疑うようなことがあってはなりません。疑う人は,風に吹かれて揺れ動く海の波のようだからです。
7 実際,その人は自分がエホバから何かをいただけるなどと思ってはなりません。
8 その人は優柔不断であり,そのすべての道において不安定です。

人は自分の心をコントロールしなくてはなりません。
時として、自分の気持ち、感情、立場、誇りなどを考えもっと重要な点を見過ごしている場合は多いものです。
自分の思いが常に優先されているので気が付きにくいものです。
特に欲望や誘惑に関しては。
誰かに諭されて初めて気が付くという場合もあります。
人間の過ちの多くはこうしたことから生まれているのです。
実際、わたしも出来事を振り返るまでこの点に気が付かない場合も多々あります。
わたしの場合は何事においても物事を熟慮するので、遅れても最も重要な点を理解出来る場合が少なくありません。
これはわたしの能力と言っても良いかも知れません。
あなたにも同じ能力が備わっているのです。
後は、それを意識して活用することです。

そうすれば世界が違って見えるかも知れませんョ。

最後に、もう一度繰り返します。
ヨハネ8章
30 これらのことを話しておられる間に,多くの者が彼に信仰を持った。

しかし、彼らに次のようにも語っています。
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。
そして、そのユダヤ人たちはイエスと問答の上、イエスから離れて行きました。

つまり、イエスに信仰を持ってもイエスに受け入れられる訳ではないということです。
イエスに信仰を持ちそれが受け入れられる人は、
ヨハネ8章
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,
32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。

人は真理をすべて理解している訳でも出来る訳でもありません。
残された道はただ一つです。
神とイエスを信じることです。
そして、理由を知らなくても理解出来なくてもお二人に従うことです。
イエスの十二使徒のたちもそのようにしてきました。
これ以外に正しい生き方をすることは人には出来ないのです。
どんなに能力があっても傲慢になってはならずむしろ謙遜になる必要があるのです。

例えば、誰かに苦情などを言われたら、苦情のことを考えるのではなく相手を理解することです。
そうすれば相手がなぜ苦情を言ったのかを理解し自分を改めさせることを容易にするのです。
誰でも苦情を言うにはそれなりの理由があるのです。
その理由を探ることから始めるべきなのです。
決して、苦情を言われた不快な感情のままに口論をしてはならないのです。
人は賢くあるべきなのです。

わたしは自分の思いでこうしたことを書いています。
以前にも書きましたが、わたしは神とイエスに全幅の信頼を置いています。
そのため、聖書に関する事柄で理解や用語の用い方で誤りがあったとしても本質的な齟齬は殆どないと思っています。
それは聖書に齟齬が全くないからでもあります。
神の考えは初めから終わりまで一貫しています。
ですから、わたしも安心して自分の思いを書くことが出来ているのです。
例え、間違っていたとしてもそれはいつか神が正してくれるからです。
それはわたしが傲慢でも意地を張ることもしないからです。
あらゆる考えを神とイエスと一致するよう日々努力を続けています。
それでも時として正義感が強すぎて誰かを批判することも少なくありません。
そのような時でも聖書から正しい答えを見い出すことに努めています。
悪魔に誘惑されないためでもあります。

パウロはクリスチャンたちに次のように述べています。
エフェソス4:26-32
26 憤っても,罪を犯してはなりません。あなた方が怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい。
27 悪魔にすきを与えてもなりません。
28 盗む者はもう盗んではなりません。むしろ,骨折って働き,自分の手で良い業を行ない,窮乏している人に分け与えることができるようにしなさい。
29 腐ったことばをあなた方の口から出さないようにしなさい。むしろ,必要に応じ,どんなことにせよ築き上げるのに良いことばを[出して],聞く人たちに恵みとなるようにしなさい。
30 また,神の聖霊を悲しませることのないようにしなさい。贖いによる釈放の日のために,あなた方はそれをもって証印を押されたのです。
(聖霊を悲しませると述べて、聖霊に感情があるかのような表現になっていますが、これは聖霊の源で

 ある神を悲しませることの無いようにという意味です。
 聖霊は神の活動力、つまり、エネルギーのような存在であり感情を持っている訳ではありません)

31 すべて悪意のある苦々しさ,怒り,憤り,わめき,ののしりのことばを,あらゆる悪と共にあなた方から除き去りなさい。
32 そして,互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなく許してくださったように,あなた方も互いに惜しみなく許し合いなさい。

世の中のすべての人にこのようにあるべきだと述べた訳ではありませんのでこの点誤解のないように。

知恵を求める人のブログです。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

※  あなたの疑問にお答えします。
  コメントではなくプロフィールからメッセージを下されば誰にも知られず質問出来ます。
  誰でも無償で質問出来ます。
  ただし、議論には対応できかねますので、当方からの返答をよく吟味して頂きたいと思います。

クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

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今回は、誰が予想した今の世界-目覚ましい科学の発展?脅威となっている世界?という話です。

今世界は非常に悪い状態にあります。
その原因はトランプとプーチンとネタニヤフの三人です。
世界はたったこの三人によって酷い状態にさせられているのです。
これに災害が加わり人々の暮しはこの先どうなるのでしょうか。
今後更に悪くなって行くでしょう。

科学の世界では日毎に新しい製品や技術や医療が開発され将来の見通しが明るいように思えますが、
その一方で、大雨が続き災害も多発しており物価も毎日のように上がりトランプが世界を掻き乱しあらゆることに害をもたらしている今の状態をどのように感じていますか。
しかも、戦争にドローンが用いられたりAIが様々な方面で活用されたりAI「クロード・ミュトス」なるものが登場しコンピュータ世界に恐怖をもたらしています。
すでに生成AIを人間がコントロール出来ない状況となり多くの人は脅威と感じています。
おそらく、多くの人は不安な毎日を送っていると思います。

最大の問題点は「人間のモラル」です。
これさえ保てれば科学は非常に良い物となりますがこれを逸脱した時科学は最悪の道具となってしまうのです。
原爆がその最たるものです。
一方では原子力発電という無限のエネルギーですが他方では人を殺す大量殺戮の爆弾ともなっています。
つまり、人間の能力ではなく、人間の心が今の世界を酷いものにしているのです。

イエスは次のように述べています。
マタイ15章
18 しかし,口から出るものは心から出て来るのであり,それが人を汚します。
19 たとえば,心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,冒とくが出て来ます。
20 これらは人を汚すものです。

少なくとも、上に挙げた三人は「殺人者」であり「偽つき」であり、「邪悪な推論」をしている者であり、神と人を「冒とく」する者たちです、つまり、汚れた者たちなのです。

あなたは知っていましたか、神はこのような者たちを「裁くための時」を定めていることを。
心配しなくてもこれら三人は間違いなく「神の裁き」を受けます。
生きたまま「硫黄と火とで燃える湖に投げ込まれる」かどうかは分かりませんがそれに近いものとなるでしょう。(多くの人は神がそうして下さることを期待していると思います)

他にも、ヒトラーやスターリンやこれらに似た大勢の人がそうなるのです、既に亡くなっているかどうかは問題ありません。
人には死者の復活という希望がありますが、こうした者たちにその復活はなく「既に、[その湖]に投げ込まれているかも知れません。

こうした者たちの行いは「その邪悪さ」にあります。
その「邪悪さ」はその人の心から出て来るのです。
神はそうした者を裁かずにはおかないのです。

悪魔は人は神のようになって善悪を知るようになると主張しましたが嘘だったのです。
創世記3章
4 それに対して蛇は女に言った,「あなた方は決して死ぬようなことはありません。
5 その[木]から食べる日には,あなた方の目が必ず開け,あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになることを,神は知っているのです」。

イエスはこの点次のように述べています。
ヨハネ8章
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。

人間は神のようになって善悪を知るようにはなっていないのは事実です。
実際、神は善悪を知っていますが悪を行うことは一つもありません。
しかし、人間は神のようになってはいませんし、人間がすることは悪いことが大半なのです。

 

人々を不安に貶めているのが「人の心の邪悪さ」であることは明白です。
したがって、人はこの不安に対処出来なければ自由で満足のいく生活が出来ないのです。

人は突然支えとなるものを失うと不安になるものです。
支えとなっているものは普段当然あるべきものとして身近にあるものです。
例えば、災害や事故などで夫婦の一方や子供の誰かを失ったりする場合です。
災害で家を失ってどうにもならない場合もあります。
度重なる大雨で米や作物がダメになって生計が成り立たなくなった農家も沢山いると思います。
若ければ借金をし立て直すことも出来るでしょうが年配者になるとそうはいきません。
かつて、原発事故で先行きの見通しが立たなくなりこれを悲観し自殺した老人もいました。
今は台風も過ぎ去り晴れが続くことで世の中は活気を取り戻すと思いますが、逆に今度は雨が降らないという現象が起きるかも知れません。
こうした天候で最も困るのは農家ですが、社会が順調でないと支障が出る会社は沢山あります。
経済も金融も順調ではなくなり、あらゆる商売が上手く機能しなくなるのです。
これにトランプのような身勝手な輩が出て世界を更に混乱と不調をもたらしているのです。

このように地に災いが起こることは聖書の中で預言されていました。

天での戦争について、「ミカエルとその使いたちが龍とその使いたちと戦った」ことをあなたは知っていましたか。
それは、啓示12章に記されています。
12章
また,大きなしるしが天に見えた。それは太陽で身を装った女で,月がその足の下にあり,頭には十二の星の冠があって,
2 彼女は妊娠していた。そして,苦痛と子を産むもだえのために叫ぶ。
3 また,別のしるしが天に見えた。見よ,火のような色の大きな龍であって,七つの頭と十本の角があり,その頭には七つの王冠があった。
4 その尾は天の星の三分の一を引きずって,それを地に投げ落とした。そして龍は,子を産もうとする女の前に立っていた。彼女が子を産んだ時に,その子供をむさぼり食うためであった。
5 そして彼女は子を産んだ。男子であり,あらゆる国民を鉄の杖で牧する者である。そして彼女の子供は神のもとに,そのみ座のもとに連れ去られた。
6 それから女は,神によって備えられた自分の場所がある荒野に逃げた。それは,彼らが千二百六十日の間そこで彼女を養うためであった。
7 また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,
8 優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。
9 こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた。
10 そして,わたしは大きな声が天でこう言うのを聞いた。
「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。
11 そして彼らは,子羊の血のゆえに,また自分たちの証しの言葉のゆえに彼を征服し,死に面してさえ自分の魂を愛さなかった。
12 このゆえに,天と[天]に住む者よ,喜べ! 地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。
13 さて,自分が地に投げ落とされたのを見た時,龍は,男の子を産んだ女を迫害した。
14 しかし,大きな鷲の二つの翼が女に与えられた。荒野の中の自分の場所に飛んで行くためであった。そこは,一時と[二]時と半時のあいだ彼女が蛇の顔から離れて養われるところである。
15 それから,蛇は口から川のような水を女の後ろに吐き出した。彼女をその川によっておぼれさせるためである。

16 しかし地が女の救助にまわり,地は口を開いて,龍が自分の口から吐き出した川を呑み込んだ。
17 それで龍は女に向かって憤り,彼女の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り行ない,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った。

女とは天の神のみ使いたちの内の忠実な者たちのグループのことであり、男の子とはキリストと神の王国のことです。
女が苦痛と子を産む苦しみのもだえのために叫ぶとは、「忠実なみ使いたち」と「悪魔と不忠実な悪魔の使いたち」との間に対立もしくは争いがあることを示しています。

(参考:この点思い違いをするべきではありません。

 悪魔とその使いたちは神と戦った訳ではないのです。

 彼らは神と闘うことすら出来ない存在だからです。)


そしてこの天での争いは1260日、太陰暦で3年半続くと示されています。
その結果、「大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた」のです。
同時にそれは「救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した」瞬間でもあり「天と[天]に住む者(の),喜」びの時でもあり、「地と海にとっては災い」の時でもあるということです。

次いで龍が現れ女を迫害しますが蛇の顔から逃れるために女に大きな翼が与えられ[神が備えた]荒野の中の自分の場所に逃げ込み、[神の忠実なみ使いたち]がこの女を養うことになります。
そして蛇は口から川を吐き出し女を迫害しようとしますが、それを地が飲み込み女の救助にまわっています。

これらの理解はハッキリとはしてはいませんが、
その結果、龍が女に対して憤りますが、女ではなく「彼女の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り行ない,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った」と記されています。

この「女の胤」とはキリストとキリストと共に神の王国となる「地から買い取られた人々144000人」のことであり、天でこうした出来事があったその時、それらの人々のうち何人かはまだ地上に存在していたか選ぶことがまだ終わっていなかったことを示しています。

こうしたことが起こる時期は、
啓示9章で、
12 一つの災いが過ぎた。見よ,これらのことの後なお二つの災いが来る。
と示された後、
啓示11章で、
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。

15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 

17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。

18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。

と示されています。
「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった」のはこの「災い」と同時なのです。
そして、それは、
神が「ご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められた」時であり、「諸国民は憤り,あなた(神)ご自身の憤り」の時でもあり、また,「死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時」でもあるのです。-啓示11:17-18

その後、啓示12章の出来事、女が子を産み、また、天で戦争が起こり龍とその使いたちも地に投げ落とされ、地に大きな災いが生じるのです。

そして、それと同時に天では「救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した」のです。

つまり、世の王国がキリストの王国となったという宣言の後に、天で戦争が起こり、その結果神の王国とキリストの権威が実現すると言うものです。
そして、同時に地上では三つの災いが生じることになっていますが既に二つは過ぎ今は三つ目の災い真っ最中であると考えられます。

聖書の他の記述から今が「地に大きな災いが生じ」ている時だと言えます。

つまり、地上での「災い」はその時を知らせる「しるし」でもあるのです。

聖書には事物の体制の終わりに関する数々の出来事がしるしによって記されています。

イエスも述べていますし(その多くはユダヤ人の体制が滅んだ時に成就しました)、ヨハネへの啓示の書にはしるし以外では述べられてはいません。

ヨハネへの啓示がキリストを通して与えらえた時期から考えて、この預言は現代のわたしたちに及ぶ出来事であることは明らかです。
それらのしるしの意味は分からなくても、地上で起きている多くの災いのよって今が終わりの時であることは理解出来ると思います。

正に、啓示12章にあるように悪魔が大きな怒りを抱いて天から投げ落とされ地に災いをもたらしているのです。

神とキリストを[正しく]崇拝する者にとっては、今の災いの世界は喜ばしいことです。
なぜなら、神が「ご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められ」「神の王国とそのキリストの権威とが実現した」からです。

しかし、世界の現状まで変るところまでは、つまり、今の事物の体制が終わりキリストの権威が地上に及ぶところまで来た訳ではありません。
いわば、現代はキリストの世になる前の産みの苦しみのような状態なのです。
ですから、これから益々混乱と悲惨な状態が続くと思われますのでその心構えが必要です。
しかし、今まで安穏として暮らして来た人類にとってこれから臨む数々の災いを上手く乗り切れるでしょうか。
世界中で嘆き悲しみのうめき声が聞こえて来るのが目に見えるようです。

しかし、どうあがいてもこの状況から逃げ出すことは出来ません、ひたすら耐えるしかないのです。

それでも子供が誕生するとそれまでの耐えがたい程の苦しみをケロッと忘れてしまうように、事物の体制が終わると正に霧が晴れたようにスッキリとした世界が待っているのです。
ただし、これを経験できるのは神とキリストに認められた人々だけなのです。
イエスは次のように言われました。
マタイ24章
37 人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。
38 洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。
39 そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在[の時]もそのようになるのです。
40 その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。
41 二人の女が手臼をひいているでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。
42 それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。
43 「しかし,一つのことを知っておきなさい。家あるじは,盗人がどの見張り時に来るかを知っていたなら,目を覚ましていて,自分の家に押し入られるようなことを許さなかったでしょう。
44 このゆえに,あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです。

さてあなたはこの連れて行かれた人になれるでしょうか。
黙って何もしないで普通の生活をしているだけでは捨てられることは定まっているのです。
ここが思案のしどころです。
あなたはどういう決定をするでしょうか。
その決定は一方では命を他方は死を意味するのです。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言う言葉がありますがその結果は交通事故で皆死んでしまうことになります。
皆が死ぬならそれでも良いではないかと思う人もいるかも知れません。

しかし、そう思わない人も大勢いることは確かです。

あなたは理解していますか、「神が心を開いてくれない限り人は聖書に対する正しい考えを持つことは出来ない」ということを。
誰かに言われたことを「真に受けて」それが正しい考え、理解していると思っていませんか。
実際、聖書に対する[神の理解、正しい考え]は立場、人種、年齢、男女に関わりなく「個人」に生じるのです。
繰り返します、神が人の心を開いてくれない限り人は神のご意志と神の行いを理解することは出来ないのです。
あなたはその一人となるのでしょうか。

つまり、神に選ばれた人の一人になれるでしょうか。
ただし、無条件ではありません。
一度死を経験しているか(こうした人々はキリストの世で復活の可能性があります)、生きているなら神の崇拝者として正しい理解と行いをしているか、アダムから受け継いだ罪以外の自分の罪に関して善人となっているでしょうか。
こうしたことが神とキリストに選ばれる条件となるのです。

知恵を求める人のためのブログです。

わたしのブログにようこそ!
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「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

※  あなたの疑問にお答えします。
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クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

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今回は、占いは害のないものですかという話です。

時々占いに関して目にすることがあります。
世の中には沢山の占いがあります。
占星術、易、四柱推命、トランプ占いなど。
これらに加え、霊媒や占い師によって占ってもらう場合もあります。
あるいは、手相占いなどなど。

誰しもが先のことを知りたいと思うものです。
それは単に政治や経済だけではなく、自分がこれからすることが上手く行くかどうかも知りたいと思うものです。
あるいは、自分が必要とするものが手に入るかどうかも気になるものです。

大抵占いでは、恋愛の相性、進学の合否、就職の合否、物事の吉凶などを占うものです。

占いについて少し考察してみたいと思います。
占いにはその方法によって幾つかに分けられます。
1 統計的手法
2 自然現象(風、海、川、山、雷や稲妻、雨、干ばつや洪水など)を適用する手法
3 自然のサイクル(太陽や月や星の運行、季節など)を適用する方法
4 迷信や諺や格言など(人間の経験から生じる癖、失敗、繰り返しなどを人間が短い表現にしたも

   の)を用いる手法

人はなぜ占いに頼ろうとするのでしょうか。
それは、この先どうなるかを知りそれによって物事を上手く、また、適切に対応したいからです。
つまり、失敗や損失や害となることを避けるためです。

もし、こうしたことを全く気にしないのであれば、自分の考えに従うのも一つの方法です。

最近経済が安定せず、追い打ちをかけるように災害も多発しています。
そのため人々は行政を頼りにするものです。
人々を観察していると、特別問題がない場合、自分の考えで行う傾向が殆どのようです。
災害があっても多くの人は自分の考えで行動するものですが、その中の一つとして行政に頼ることも選択肢の中にはあるのです。
災害時においても、まず自らが考えて行動すべきで、行政の支援はあくまでも二次的なものにしないと何も出来ないかしないまま、いたずらに時を過ごすことになってしまいます。

もし、事前に起こることが分かっていたならそれなりに対処したと思います。
しかし、台風や大雨は予想されていた事柄ですが十分な対応が出来ていませんでした。
そのため各地に大きな災害をもたらしています。
これは人間のせいそれともただ自然のせいなのでしょうか。

占いに関して言えば、いつどこで何が起こると言うようなものです。
つまり、[不確かではありますが]事前に災害やあるいは良い出来事を教えてくれるものです。
占いも予想も似たようなものです。
予告は事前に決めていたことを行うことですから大抵はその通りに行うものですから、占いや予想とは異なるものです。

しかし、中には占いをあたかも予告であるかのように考える人もいるのも事実です。

ちなみに、将来について述べる預言は占いとは異なるものです。
神の預言は確かなもので、いわば、予告ですが占いは予想と同じく不確かなものです。
更には、
神からの預言と人間の統計などよる予想に分けられます。

統計による手法は、目には見えない傾向を可視化出来る優れた手法です。
実際、様々な事柄に対する対応策を検討する時には必ず用いられます。
しかしこれとて完全ではありません。
災害はこの予想や予測を超えて発生しているからです。
また、社会規模が余りにも大きすぎて対策を講じる必要があっても対応が間に合わないということも少なくありません。
その良い例が、上下水道管の老朽化です。
また、経済活動を停止させる恐れのある事柄についても実施することは困難です。
経済活動は人間の生死に関わる事柄でもあるので常に優先されるからです。
温暖化対策も環境破壊もです。

大抵、占いは害のないものと考えている人が多いように思えます。
つまり、占いには悪意がないと多くの人が考えているということです。
占いは、善意で行われていると。

確かに、誰かを貶めるために占う人は殆どいないと思います。
中には「愉快犯」がいて人々を騙すことを、人々が騙されることを見て「いい気分」になっている人もいるかも知れませんが、こうした人は希だと考えて良いと思います。

しかし、聖書では偽預言者や出来事の職業的予告者に頼ることを禁じています。
それは、神を信じる者が不確かな人間を頼り災いに、あるいは、間違った方向へ誘導されないためです。
更に、悪霊が関係している霊媒や偽預言者の目的は「人々を真の神から引き離す」ことが目的でもあるからです。
申命記18:9-13
9 「あなたの神エホバの与えてくださる土地に入ったとき,あなたはそれら諸国民の行なう忌むべき事柄を見習ってはならない。
10 あなたの中に,自分の息子や娘に火の中を通らせる者,占いに頼る者,魔術を行なう者,[吉凶の]兆しを求める者,呪術を行なう者,
11 また,まじないで他の人を縛る者,霊媒に相談する者,出来事の職業的予告者,死者に問い尋ねる者などがいてはいけない。
12 すべてこうした事を行なう者はエホバにとって忌むべきものであり,これら忌むべき事柄のゆえにあなたの神エホバは彼らをあなたの前から打ち払われるのである。
13 あなたは,あなたの神エホバに対してとがのない者となるべきである。

使徒16:16
16 また,わたしたちがその祈りの場所に行く時であったが,霊,つまり占いの悪霊につかれたある下女がわたしたちと出会った。彼女は予言を業として,自分の主人たちに多くの利益を得させていた。

占いの悪霊とは霊媒や出来事の職業的予告者のことです。

レビ記20:6
6 「『霊媒や出来事の職業的予告者に身を寄せてこれと不倫な交わりを持つ魂,わたしは自分の顔を必ずその魂に敵して向け,これを民の中から断つであろう。

ここで神はこれらに身を寄せることを不倫な交わりと述べています。

同じような表現が啓示2章にも出て来ます。
啓示2:2:14、
12 「また,ペルガモンにある会衆の使いにこう書き送りなさい。鋭くて長いもろ刃の剣を持つ者がこう言う。
13 『わたしはあなたが住んでいる所を知っている。それはサタンの座のある所である。それでもあなたはわたしの名をしっかり守りつづけており,あなた方の傍ら,サタンの住むところで殺された,わたしの証人,また忠実な者であるアンテパスの日にも,わたしに対する信仰を否定しなかった。
14 「『とはいえ,わたしには,あなたを責めるべきことが幾つかある。すなわち,あなたのところにはバラムの教えを堅く守っている者たちがいる。彼はバラクを教えて,つまずきのもとをイスラエルの子らの前に置かせ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせ,また淫行を犯させた。

啓示2:20
18 「また,テアテラにある会衆の使いにこう書き送りなさい。火の炎のような目を持ち,足は純良な銅のような者である,神の子がこう言う。
19 『わたしは,あなたの行ない,また,あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を,そして,あなたの最近の行ないが以前のものより多いことを知っている。
20 「『とはいえ,わたしにはあなたを責めるべき[こと]がある。あなたがかの女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女預言者と称し,わたしの奴隷たちを教えて惑わし,淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせる。

啓示14:8
8 また,別の,二人目のみ使いがそのあとに従って,こう言った。「彼女は倒れた! 大いなるバビロン,あらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた者は倒れた!」

大いなるバビロンと言われたこの女は
啓示17:2
また,七つの鉢を持つ七人のみ使いの一人が来て,わたしと話してこう言った。「さあ,多くの水の上に座る大娼婦に対する裁きをあなたに見せよう。

2 地の王たちは彼女と淫行を犯し,地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた」。
3 そして彼は,霊[の力]のうちにわたしを荒野に運んで行った。そこでわたしは,冒とく的な名で満ちた,七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣の上に,ひとりの女が座っているのを目にした。
4 また,その女は紫と緋で装い,金と宝石と真珠で身を飾り,手には,嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたものとで満ちた黄金の杯を持っていた。
5 そして,額にはひとつの名が書いてあった。それは秘義であって,「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」というものであった。
6 またわたしは,その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。

地の王たちと淫行を犯し地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされたと述べられています。

こうした聖書の記述から、占いは悪霊や霊媒と関わりがあり、神の民すなわり真の神に信仰を持つ者がこうしたことに関わることを淫行と述べています。
つまり、本来は真の神を頼るべきところを他の者特に神が禁じているもの神が敵対している者に頼ることを不倫、または、淫行と述べているということです。

この女、つまり、大いなるバビロンの場合は本来関係を持ってはならない者と関係を持ったので淫行と述べている訳です。

文字通りの不倫や淫行も罪ですがこうした占いや霊媒や更には偶像礼拝などは真の神にとっては忌むべきものであり除き去られるものとして示されています。
分り易く言えば滅ぼされるということです。

このように、占いはすべて悪霊が関係しているとは限りませんが、それでも神とキリストの見地から見れば「悪」なのです。

日本では神社などに行くと必ず吉凶を占った「おみくじ」などが売られていることが多いものです。
実際、このおみくじを引いた(偶然による)結果で喜んだりしていることが多いものです。
大抵は、「遊び」でおみくじを引いているので、それが吉でも凶でも余り気にしないものです。
直ぐに忘れてしまうからです。
世界各地にはおみくじに似たようなものが幾つかはあると思います。
幾つかの観光地にも似たようなものがあったように思います。

今の時代、余程困ったことが無い限りこうした占いを頼ることは殆どないと思います。
実際、そのような人はいるとは思いますが身近にはいませんしわたしは会ったこともありません。

占いとは異なりますが、
日本では毎日出かける前に「神棚」に手を合わせる人がいることは確かです。
また、商売をしている人は必ずと言って良い程「神棚」に商売繁盛、安全祈願をするものです。
社内に「仮の神社」を設け社員に参拝させている企業もあるくらいです。

結局、こうした神棚や占いに頼ることは不確かなものに頼っていることになるのです。
確かなことは聖書の預言ですが、正しく理解しその解釈通りになったという話は全く聞きません。

加えて、個人的なことで神が預言することもありません。

神は時として人間が眠っている時に夢を見させ、これからご自分がすることを教えることがあります。
また、起きている時に幻を与えて同じことをすることもあります、ヨハネへの啓示がそれです。
更には、アブラハムやモーセのように、直接神と(実際には神のみ使いと)話す者もいます。
こうしたことは誰にでも起こる訳ではありません。
神に選ばれた特別な人だけに起こる出来事です。

現代にはこうした人は一人もいません。
もし、いることが分かっていたらわたしは直ちにすべてを投げ打ってその人の元に行きます。
それが地球の反対側に住んでいてもです。

神の事柄は神が教えてくれなければその意味もその真意も誰にも分からないからであり、現代にダニエルのような人は一人もいないことは明らかです。
実際神ご自身は次のようにイザヤに語っています。
イザヤ46:8-11
8 「このことを思い出せ。あなた方が勇気を奮い起こすためである。違犯をおかす者たちよ,それを心に留めよ。
9 昔の最初のことを思い出せ。わたしは神たる者であり,ほかに神もわたしのような者もいないことを。
10 終わりのことを初めから,また,まだ行なわれていなかったことを昔から告げる者。『わたしの計り事は立ち,わたしは自分の喜びとすることをみな行なう』と言う者。
11 猛きんを日の昇る方から,わたしの計り事を遂行する人を遠い地から呼ぶ者。わたしは[それを]話したのである。わたしはまた,それをもたらすであろう。わたしは[それを]形造ったのであり,また,それを行なうであろう。

また神の預言者アモスは次のようにも述べています。
アモス3:7
7 主権者なる主エホバは,内密の事柄を自分の僕である預言者たちに啓示してからでなければ何一つ事を行なわないのである。

創世記40:8
8 すると彼らは言った,「わたしたちは夢を見たのですが,解き明かしをしてくれる人がいないのです」。それでヨセフはふたりに言った,「解き明かしは神によるのではありませんか。それをどうぞわたしに話してください」。

ダニエル2:17:19、26-30、44-49
17 その後ダニエルは自分の家に行った。そして,自分の友ハナニヤ,ミシャエル,アザリヤにその件について知らせた。
18 [彼ら]もまた,この秘密に関して天の神の憐れみを求めるためである。それは,人々がダニエルとその友をバビロンの他の賢人たちと共に滅ぼし去ることのないようにするためであった。
19 その時,夜の幻の中で,ダニエルにその秘密が明らかにされた。そのためダニエルは天の神をほめたたえた。
・・
26 王は答えて,その名をベルテシャザルというダニエルにこう言うのであった。「お前は,わたしの見た夢を,またその解き明かしをわたしに知らせることができるのか」。
27 ダニエルは王の前で答えて言うのであった,「王が尋ねておられる秘密は,賢人も,まじない師も,魔術を行なう祭司も,占星術者たちも,これを王に示すことはできません。
28 しかし,天に神が,秘密を明らかにされる方がおられます。その方が,末の日に起きるはずの事柄をネブカドネザル王にお知らせになったのです。あなたの夢,また床の上でのあなたの頭の中の幻,それはこうです。
29 「王よ,あなたは,床の上にあって,これから後に起きる事柄について思い巡らされました。そして,秘密を明らかにされる方が,起きるはずの事柄をあなたにお知らせになりました。
30 そして,わたしについて言えば,この秘密がわたしに明らかにされていますのは,他の生ける者すべてに勝ってわたしに知恵があるからではありません。ただそれは,その解き明かしを王ご自身にお知らせするため,そしてご自分の心の考えをあなたがお知りになるためにほかなりません。
・・
44 「そして,それらの王たちの日に,天の神は決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます。
45 あなたは,山からひとつの石が人手によらないで切り出され,それが鉄,銅,成形した粘土,銀,金を打ち砕いたのをご覧になったのです。これから後に起きる事柄を,大いなる神ご自身が王にお知らせになりました。そして,この夢は確かであり,その解き明かしは信頼できます」。
46 その時,ネブカドネザル王はひれ伏してダニエルに恭敬の意を示し,礼物や香をささげるようにと言った。
47 王はダニエルに答えて言うのであった,「まことにあなた方の神は神々の神,王たちの主,秘密を明らかにされる方だ。あなたはこの秘密を明らかにすることができたのだから」。
48 こうして王はダニエルを大いなる者とし,沢山の大きな贈り物を与え,彼をバビロンの全管轄地域の支配者,またバビロンのすべての賢人たちの大長官とした。
49 また,ダニエルのほうからも王に願いを述べ,[王]はバビロンの管轄地域の管理を,シャデラク,メシャク,アベデネゴに任せた。しかしダニエル自身は王の宮廷にいた。

イエスの誕生も預言されていましたが当時のユダヤ人たちや律法に通じた者たちですら誰一人分かっていませんでした。
イエスに関する預言の多くはイエス自身が教えてくれました。
そうした教えに関して聖書に記されていなくても、復活後40日間に渉って弟子たちにだけ現れ預言についても教えてくれたのです。
そうでなければ、そうした預言とその成就については知らないままだったかも知れません。

当たるも八卦当たらぬも八卦というように、占いはただ予想が外れただけのように見えますが、
占いの多くは、単純にやるかやらないかというような、あるいは、右に行くか左に行くかというものではありません。
その多くは現状から判断して起こるだろうことを統計的に、つまり、確率の高い事柄や方法を話しているだけのように思えます。
占いの中には四柱推命のように複雑な計算をするものや易のように状況を当てはめてどうするかを判断するものなどがあります。
これらは自然から学んだ事柄を人間の活動と照らし合わせたもののように思えます。
一見すると害がないように思えますがそうとも限りません。
誰に頼るかという問題もあるからです。
更に、占星術では特定の星が持つ特徴を人間が推測や思い付きで関連付け述べているだけのように思えます。
風水に関しては方角に特定の意味を持たせ吉凶を論じるものです。
タロット占いなどのカード占いなどは出た絵柄で吉凶などを論じるものです。
殆ど偶然出たカードについて話しているだけのように思えます。
こうしたものの多くはその通りにはならないものです。

それでも、困っている人に与える助言のようにある意味それらしく適切なことを言う場合もあります。
この場合は占いの手段を離れた「その人の感じ、思い、考え」に基づく助言であるものです。
こうした助言はその通りになることも少なくないのです。
占いの手段とは全く別のものと考えるべき事柄です。
その占い師はその時には単に助言者、心理カウンセラー、メンタルケアなど人間の観点から述べているだけなのです。
この場合の占いは「形式」であり、その占いの結果現れた現象を相談者に適用して述べているだけで必ずしも悪霊が関係しているとは限りません。
しかし、それでも聖書では出来事の職業的予告者などを頼ることを禁じています。

先のことをどうしても知りたいと思う気持ちは分りますが、先のことは「何が起こるか分からない」のです。
先のことは神の預言を除いて、初めから決まっている訳ではありません。
例えば、人の前に二本の道があった時左右どちらの道に進むことも出来ますが一方しか進めないのです。
そして、その道を行くことは予め決まっている訳ではないのです。
それを決めるのはその人自身なのです。
こうして人は自分の人生を、先のことを自分で決めているのです。
神は人間をそのように造られたのです。
そのために他の生き物にはない知能や思考や理解力や洞察力を与え、神のようなものに人間を造ったのです。

イエスは次のようにも述べています。
マタイ15:12-20
12 その時,弟子たちがやって来て彼に言った,「あなたの言われたことを聞いてパリサイ人たちがつまずいたのをご存じですか」。
13 [イエス]は答えて言われた,「わたしの天の父がお植えになったのでない植物はみな根こぎにされます。
14 彼らのことはほっておきなさい。彼らは盲目の案内人なのです。それで,盲人が盲人を案内するなら,二人とも穴に落ち込むのです」。
15 ペテロはそれにこたえて言った,「その例えをわたしたちに分かりやすくしてください」。
16 すると[イエス]は言われた,「あなた方もまだ理解していないのですか。
17 口の中に入るものはみな腸に進んで行き,下水に排出されることに気づいていないのですか。
18 しかし,口から出るものは心から出て来るのであり,それが人を汚します。
19 たとえば,心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,冒とくが出て来ます。
20 これらは人を汚すものです。しかし,洗ってない手で食事を取ることは人を汚しません」。

占いの頼ることはイエスの言われた盲目人に頼ることと同じことです。
あなたはどう思いますか。

 

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ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

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ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
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いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

 

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前回は、悪魔について一般的な考えと聖書からの概要を述べました。
今回は、聖書から具体的に述べたいと思います。

はじめに、聖書に記されている「悪魔」については、多くの人が考えているような者ではありません。
また、悪魔に関して想像上の存在、空想上の存在、あるいは、悪い事柄や恐怖と言った概念でもありません。
悪魔は人格を持った一人の存在、人間の目には見えない霊者、また、神のみ使いだった者です。

聖書には、悪魔について直接間接合わせて沢山出て来ます。
聖書の初めの書である創世記から最後の書ヨハネによる啓示の書まで多くの事柄で出て来ます。
つまり、
聖書は天地人の創造と悪魔と人類の罪の始まりなどの「起源」に関する事柄とその「回復」を示す書でもあります。
人間各人にとってはその神の回復の恩恵にあずかる機会、すなわち「救い」に関係した書でもあります。
つまり、悪魔について知ることは、裏を返せば神に仕える者の考えや振る舞いに関して神に是認されるための知識でもあるということです。

聖書を読むと人類が最初の罪を犯した時点から最後の救いに至るまで悪魔が深く関わっていることが分かります。
それゆえ、救われたいと思うならばこの悪魔とその使いたち=悪霊たちについて無知でいることは出来ません。
信仰の闘いはこの悪魔と悪霊たちに対するものでもあるからです。
エフェソス6章
10 終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
(参考:パウロがこの手紙を書いた時点では闇の世の支配者と邪悪な霊の勢力は天すなわり神がおら

 れる霊的天にいました。
 後に、その天から追放され地の近くで暴れることになっていますが、我々が現在目にする世界の出来

 事の背後にはこの悪魔と邪悪な霊たちがいるということを教えています)

神と救いに関しては、しばらく中断していました「聖書の見解のシリーズ」の中で述べる予定でいます。

先ずは、人類を不幸に陥れた悪魔の存在について述べたいと思います。
聖書では前回でも示しましたように以下のような表現で何度も出て来ます。
サタンという表現で記されている最初の書は時代的にはヨブ記です。
蛇という表現で記されている最初の書は創世記です(文字通りの蛇という表現は除きます)
龍という表現で出て来るのはヨハネへの啓示の書です。
悪魔という表現で出て来る最初の書のはマタイによる書です。
更にイエスはこの者を「偽りの父」「人殺し」とも述べています。
「事物の体制の神」「この世の支配者」という表現で出て来ることもあります。
これらはすべて「同じ者=悪魔と呼ばれる者」のことです。

そして、この悪魔がどのような存在かを最初に明確に述べたのはイエスです。
ヨハネ8:44
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。

神によりイエスが地上に遣わされ、その業を行う前にこの悪魔の誘惑を受けたことを記したのはマタイとルカです。
マタイ4:1-11、ルカ4:1-13
マタイ4章
それからイエスは,悪魔の誘惑を受けるため,霊によって荒野へ導かれた。
2 四十日四十夜断食したのちに,[イエス]は飢えを感じられた。
3 さらに,誘惑者が来て,彼にこう言った。「あなたが神の子であるなら,これらの石に,パンになるように命じなさい」。
4 しかし[イエス]は答えて言われた,「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」。
5 ついで悪魔は彼を聖都の中に連れて行き,神殿の胸壁の上に立たせて,
6 こう言った。「あなたが神の子であるなら,身を下に投じなさい。『[神]はあなたに関してご自分の使いたちに指図を与え,彼らはその手に載せてあなたを運び,あなたが石に足を打ちつけることのないようにする』と書いてありますから」。
(この記述から、悪魔が詩編91:11-12から引用し述べていることから聖書の内容を知っていたこと

 が分かります)

7 イエスは彼に言われた,「『あなたの神エホバを試みてはならない』とも書いてあります」。
8 また,悪魔は彼をとりわけ高い山に連れて行き,世のすべての王国とその栄光とを見せて,
9 こう言った。「もしあなたがひれ伏してわたしに崇拝の行為をするならば,わたしはこれらのすべてをあなたに上げましょう」。
10 その時,イエスは彼に言われた,「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」。
11 その時,悪魔は彼を離れた。すると,見よ,み使いたちが来て彼に仕えはじめた。

悪魔の誘惑に対して、イエスはすべて聖書の中から返答し退けています。
これは、クリスチャンに臨む試練に対処する時の「模範を示したもの」ともなっています。
一つはパンつまり食べることに関して、
二つは試練や苦難の時に神に助けを願い求めることや祈りで神を試すことなどに関して、
三つは地位や富や財産や自分の名誉や栄光などの欲望などに関して、
大別すると悪魔の誘惑はこの三つに要約されるのです。

イエスが弟子たちに祈りの仕方を教えた時にこれらすべてに対応する祈りとなっています。
マタイ6:7-13
7 しかし,祈る際には,諸国の人々がするように同じことを何度も繰り返し言ってはなりません。彼らは言葉を多くすれば聞かれると思っているのです。
(これは、同じ言葉を何度も繰り返す仏教の念仏のようなことです)

8 それで,彼らのようになってはなりません。あなた方の父であられる神は,まだ求めないうちから,あなた方がどんなものを必要としているかを知っておられるのです。
9 「そこで,あなた方はこのように祈らなければなりません。
「『天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。
10 あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように。
11 今日この日のためのパンをわたしたちにお与えください。
12 また,わたしたちに負い目のある人々をわたしたちが許しましたように,わたしたちの負い目をもお許しください。
13 そして,わたしたちを誘惑に陥らせないで,邪悪な者から救い出してください』。

そして、こうした祈りの仕方を教えた後にクリスチャンとしてのあるべき振る舞いについて多くのことを述べています。

悪魔といえども、神の権威と力を否定できませんし、神と対等の立場にある訳でもありません。
イエスが述べた通り悪魔も神を崇拝しなけらばならない立場にあるのです。
こういう意味ではイエスと悪魔は対等の立場にあったと言えます。

実際のところ、悪魔も神の存在を認めまた従う者の一人なのです。
ヤコブ2:19
19 あなたは,ただひとりの神がおられることを信じているというのですね。なるほどそれはりっぱです。ですが,悪霊たちも信じておののいているのです。

参考:マタイ8:28-32
28 [イエス]が向こう側に着いて,ガダラ人の地方に入ると,悪霊に取りつかれた二人の男が記念の墓の間から出て来て彼に会ったが,[この二人は]ことのほか狂暴であったので,だれもその道を行ってそばを通る勇気がなかった。
29 ところが,見よ,彼らが絶叫してこう言った。「神の子よ,わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしたちを責め苦に遭わせようとして,<定められた時よりも前にここに来たのですか」。
30 ところで,彼らから遠く離れた所で豚の大きな群れが放牧されていた。
31 それで悪霊たちは彼に懇願しはじめ,「わたしたちを追い出すのでしたら,あの豚の群れの中に送り込んでください」と言った。
32 そこで[イエス]は,「行け!」と言われた。彼らは出て来てから,豚の中に入り込んだ。すると,見よ,その群れ全体が突進して断がいから海に落ち,水の中で死んだ。

ルカ4:31-36
31 それから[イエス]はガリラヤの都市カペルナウムに下って行かれた。そして,安息日に人々を教えておられた。
32 すると彼らはその教え方にすっかり驚くのであった。彼の話すことには権威があったからである。
33 さて,会堂には,霊つまり汚れた悪霊につかれた人がいて,大声でこうどなった。
34 「ああ,ナザレ人イエスよ,わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしたちを滅ぼそうとしてやって来たのですか。わたしはあなたがだれかをはっきり知っています,神の聖なる者です」。
35 しかし,イエスはそれを叱りつけてこう言われた。「黙っていなさい。そして,彼から出て来なさい」。そこで,悪霊は,その人を人々の真ん中に投げ倒してから出て来たが,彼を傷つけてはいなかった。
36 すると,非常な驚きがすべての者に臨み,彼らは互いに語り合ってこう言った。「これは何という話なのだろう。彼が権威と力とをもって命じると,汚れた霊たちは出て来るのだ」。

また、イエスは世のすべての王国が悪魔のものであることを否定していません。
この悪魔が神の敵対者であることを示したのもイエスです。
マタイ13:36-39
36 それから,群衆を解散させた後,[イエス]は家の中に入られた。すると弟子たちがそのもとに来て,「畑の雑草の例えをわたしたちに説明してください」と言った。
37 [イエス]は応じて言われた,「りっぱな種をまく者は人の子です。
38 畑は世界です。りっぱな種,それは王国の子たちです。それに対し,雑草は邪悪な者の子たちであり,
39 それをまいた敵は悪魔です。収穫は事物の体制の終結であり,刈り取る者はみ使いたち<です。

ペテロも次のように語っています。
ペテロ(一)5:8、
8 冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,[だれかを]むさぼり食おうとしています。

悪魔が将来どのような結末になるかを示したのもイエスです。
マタイ25:41
41 「ついで彼は自分の左にいる者たちにこう言います。『のろわれた者たちよ,わたしから離れ,悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入りなさい。

悪魔とその使いたちが神のいる天から放逐されたことはヨハネへの啓示の書に記されています。
啓示12:9
7 また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,
8 優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。
9 こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた。
10 そして,わたしは大きな声が天でこう言うのを聞いた。
「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。
11 そして彼らは,子羊の血のゆえに,また自分たちの証しの言葉のゆえに彼を征服し,死に面してさえ自分の魂を愛さなかった。
12 このゆえに,天と[天]に住む者よ,喜べ!地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。

天から放逐された悪魔とその使いたちがその後行うことが次のように記されています。
啓示12章
12章
また,大きなしるしが天に見えた。それは太陽で身を装った女で,月がその足の下にあり,頭には十二の星の冠があって,
2 彼女は妊娠していた。そして,苦痛と子を産むもだえのために叫ぶ。
3 また,別のしるしが天に見えた。見よ,火のような色の大きな龍であって,七つの頭と十本の角があり,その頭には七つの王冠があった。
4 その尾は天の星の三分の一を引きずって,それを地に投げ落とした。そして龍は,子を産もうとする女の前に立っていた。彼女が子を産んだ時に,その子供をむさぼり食うためであった。
5 そして彼女は子を産んだ。男子であり,あらゆる国民を鉄の杖で牧する者である。そして彼女の子供は神のもとに,そのみ座のもとに連れ去られた。
6 それから女は,神によって備えられた自分の場所がある荒野に逃げた。それは,彼らが千二百六十日の間そこで彼女を養うためであった。
7 また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,
8 優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。
9 こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた。
10 そして,わたしは大きな声が天でこう言うのを聞いた。
「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。
11 そして彼らは,子羊の血のゆえに,また自分たちの証しの言葉のゆえに彼を征服し,死に面してさえ自分の魂を愛さなかった。
12 このゆえに,天と[天]に住む者よ,喜べ! 地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。
13 さて,自分が地に投げ落とされたのを見た時,龍は,男の子を産んだ女を迫害した。
14 しかし,大きな鷲の二つの翼が女に与えられた。荒野の中の自分の場所に飛んで行くためであった。そこは,一時と[二]時と半時のあいだ彼女が蛇の顔から離れて養われるところである。
15 それから,蛇は口から川のような水を女の後ろに吐き出した。彼女をその川によっておぼれさせるためである。
16 しかし地が女の救助にまわり,地は口を開いて,龍が自分の口から吐き出した川を呑み込んだ。
17 それで龍は女に向かって憤り,彼女の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り行ない,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った。
(参考:ここで、龍は女に向かって憤りを示していることから、この女は人間の女ではないことは明ら

 かです。
 川も川を飲み込んだ地も文字通りの川や地ではないことも明らかです。
 女の胤のうち残っている者たちとは神の王国の144000人の内、まだ、地上に残っている者たち、つ

 まり、生きている者たちのことです。
 したがって、悪魔が天から投げ落とされた時、地上にはその残りの者たちが存命していたと思われま

 す)

そして、龍は次の事も行います。
啓示13章
そして[龍]は海の砂の上に立ち止まった。
また,わたしは一匹の野獣が海から上って行くのを見た。十本の角と七つの頭があり,その角の上には十の王冠があったが,その頭には冒とく的な名があった。
(参考:この表現は啓示12:3の大いなる龍の姿によく似ています)

2 さて,わたしの見た野獣はひょうに似ていたが,その足は熊の[足]のようであり,その口はライオンの口のようであった。そして,龍は自分の力と座と大きな権威を[その野獣]に与えた。

参考:啓示17:1-18
また,七つの鉢を持つ七人のみ使いの一人が来て,わたしと話してこう言った。「さあ,多くの水の上に座る大娼婦に対する裁きをあなたに見せよう。
2 地の王たちは彼女と淫行を犯し,地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた」。
3 そして彼は,霊[の力]のうちにわたしを荒野に運んで行った。そこでわたしは,冒とく的な名で満ちた,七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣の上に,ひとりの女が座っているのを目にした。
(ヨハネが連れて行かれた荒野は男の子を産んだ女が逃げた場所と同じと思われます。
 悪魔がこの時まだ天から投げ落とされる前のことです。
 それは神によって供えられた男の子を生んだ女の場所があるところと述べられています。
 おそらく、同じ荒野でヨハネはこの緋色の野獣の姿を見ています。
 これは、おそらく神のおられる霊的天でもなく、地上でもない、別のいわば不毛地帯がどこかに存

 在していると思われます。
 イエスが悪魔の誘惑を受けるために霊によって導かれた荒野と同じ場所かもしれません。

 -マタイ4:1
 男の子を生んだ女にとっては隠れる場所であり、イエスにとっては悪魔の誘惑を受けた場所であり、

 ヨハネにとっては緋色の野獣を見せられた場所です。
 見せられただけであって実際のその場所にこの野獣が存在していた訳ではないと思われます。
 実際、ヨハネが見せられたのは「幻」だからです)

4 また,その女は紫と緋で装い,金と宝石と真珠で身を飾り,手には,嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたものとで満ちた黄金の杯を持っていた。
5 そして,額にはひとつの名が書いてあった。それは秘義であって,「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」というものであった。
6 またわたしは,その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っていのを見た。
略
わたしは,女とその女を運んでいる、七つの頭と十本の角を持つ野獣の秘義をあなたに告げよう。
8 あなたの見た野獣はかつていたが,今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとしており,そして去って滅びに至ることになっている。こうして,その野獣がかつてはいたが,今はおらず,後に現われるようになるのを見る時,地に住む者たちは驚いて感心するであろう。しかし彼らの名は世の基が置かれて以来命の巻き物に書かれていない。
9 「ここが知恵の伴うそう明さの関係してくるところである。七つの頭は七つの山を表わしており,その上にこの女が座っている。
10 そして七人の王がいる。五人はすでに倒れ,一人は今おり,他の一人はまだ到来していない。しかし到来したなら,少しの間とどまらなければならない。
11 そして,かつていたが今はいない野獣,それ自身は八人目[の王]でもあるが,その七つから出,去って滅びに至る。
12 「また,あなたが見た十本の角は十人の王を表わしている。彼らはまだ王国を受けていないが,一時のあいだ野獣と共に王としての権威を受けるのである。
13 これらの者は一つの考えを抱き,それゆえに自分たちの力と権威を野獣に与える。
14 これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼と共に[征服する]」。
15 また彼はわたしに言う,「あなたの見た水,娼婦が座っているところは,[もろもろの]民と群衆と国民と国語を表わしている。
16 そして,あなたの見た十本の角,また野獣,これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼き尽くすであろう。
17神は,ご自分の考えを遂行することを彼らの心の中に入れたからである。すなわち,彼らの王国を野獣に与えて[彼らの]一つの考えを遂行し,神の言葉の成し遂げられるに至ることである。
18 そして,あなたの見た女は,地の王たちの上に王国を持つ大いなる都市を表わしている」。

13章の「野獣」の表現は12章の「大いなる龍」の表現に似ています。
17章の表現は13章の表現と似ていますが、異なる存在だと思われます。
しかし、17章の緋色の表現は12章の火のような色の表現とも似ています。
啓示13章と啓示17章の大きな違いは、啓示17章の野獣の十本の角で表わされている王がまだ王国を受けていないと表現されている点です。
野獣は龍のいわば申し子のような存在なのです。

そして、この十本の角で表わされている十人の王たちは、自分たちの力と権威をこの野獣に与えていることから、七つの頭で示されている王とは別の存在であることも分かります。

頭で表わされている王は歴代の王であり、その存在は常に一人だということも分かります。
それはその時代最も力のある国かも知れません。
つまり、龍で表わされる悪魔が与えた自分の座と力と権威をこの歴代の力ある王が受け継いでいるということです。
したがって、七人目の王、さらには、八人目の王もこれを受け継いでいるのです。
そして、この緋色の野獣の上に座っている女、娼婦は十人の王たちと七人目の王もしくは八人目の王によって滅ぼされることになっています。
また、この緋色の野獣の上に座っている女は、いわば、悪魔が与えた力と座と権威の上にいる存在と言えます。
もし、乗っているという表現ならば、この女は野獣を支配する存在ですが、ただ座っているだけなので、いわばおんぶされているような存在だということです。
しかも、この女は一人の女の事ではなく、地の王たちの上に「王国」を持つ都市を表わしているということですから、大きな組織のような存在であることも分かります。
しかも、「地の王たちと淫行を犯し地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた」と述べられていますから、政治にも関与する存在です。
更に、「大いなるバビロン」とも述べられています。

この女の存在が何を示しているかは見当は付きますがハッキリ分かっている訳ではありません。
野獣で示されている政府が背負っている存在、日本でははっきりしませんが西洋ではおそらくキリスト教でありアジアではイスラム教が最も多いです。
日本でも天皇の関係で神道、お墓の関係で仏教を背負っていると言えるかも知れません。

ものみの塔はこの女の主要な部分を「キリスト教世界」であると述べていますが、世界の状況を観察しても正しいとは言い切れません。
更に、この女「大いなるバビロン」を「偽りの宗教の一つの世界帝国」と述べています。
「聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている」とも示されていますが、同じようにそのような兆候も見えていませんし状況にもなっていません。

したがって、野獣の正体をはっきりさせるこの女「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」についてもその存在はハッキリ分かっていないのです。
しかも、この出来事は事物の体制の終わりに生じることになっています。

世界の状況は事物の体制の終わりであることを示しています。
それなのに、この「秘儀」に関する実体は未だに明確に現れていないのです。
ということは、野獣や七人の王や十人の王たちの存在が政治組織であることはハッキリしていますがそれ以外のことやこの女「大いなるバビロン」に関しては今のところ明確ではないのです。

野獣によって滅ぼされるとありますが、その野獣を構成する人たちは現代においては野獣的な振る舞いをしてるロシアやアメリカは大統領を含め国民の殆どがクリスチャンですから、ものみの塔によるとこの女の主要な部分が「キリスト教世界」であり「偽りの宗教の世界帝国」と述べていることは、いわば、同じクリスチャンによって滅ぼされるということになります。
ここに一つの矛盾があります。
つまりは、これはいわばキリスト教世界の内部分裂を示しているからです。

宗教は政治支配者たちの上に座って、つまり、運ばれているという点では分かるような気がします。
なぜなら、宗教組織はどの国においても特別扱いされ一般的には政教分離とされ政治には直接参加しませんが政治による保護を受けていることは間違いありません。
例えば、大抵の国には信教の自由が認められており、また、宗教法人は税金が免除されています。

野獣がこの女を滅ぼすことは、
分り易く言えば、1国の政治権力者、支配者が一部の宗教法人とその信者を弾圧し滅ぼすようなものです。
日本で例えれば、オーム真理教や旧統一教会の解散命令と保有財産による補償などが相当するかも知れません。

聖書ではこうしたことが地の半分、地球上の半分の地域で起こることを意味しています。
こうしたことが有り得るでしょうか。
有り得るのです、神の力に制限はありません。
しかし、ハッキリするのはその時になってからです。
今は分りません。

野獣の頭は歴代の[強国]の王を表わしており、十本の角は七つの頭に分散してついているものです。
つまり、大抵は1つの頭に1つの角がついていますが、ある頭には2本の角が付いていてその合計が十本なのです。
頭は七つしかありませんから2本の角が付いた頭は三つあることになります。
2本の角はいわば連合国を表わしています。
かつて、バビロニア帝国を倒したメディア-ペルシャのように。
メディア人は今のシリアとイラク北部当たりに住んでいた民族のようですが、ペルシャは今のイランです。
バビロニア帝国は今のイラク南部を中心とした大きな帝国でした。

ちなみに、啓示13章の地から上って来る野獣にも「子羊のような二本の角」が付いています。
この角は大きな角ではなく「小さいコブ」のようなものかも知れません。
したがって、この野獣はかつてのバビロニア帝国やローマ帝国のような強力な帝国ではないことを示しています。
つまり、海から上がって来た野獣の七つの頭ような強力な帝国ではないということです。

現代の野獣の頭である[強国]に相当する頭に角が何本ついているかは不明です。
そして、これら頭と角はいわば同盟関係にあると言えます。
しかし、アメリアやロシア、または、アメリカとイギリスが主導して陸地の半分の地域でこの「娼婦」の存在を滅ぼすことが現実的あるいは道理に適っているでしょうか。

別の観点から考えますと、
キリスト教はローマ帝国の時代と現代では大きく異なり、政治と宗教は分離しています。
この点、イスラム教は政治と一体となっています。
それゆえ、野獣が娼婦を憎み荒れ廃れて裸にし、火で焼き尽くすというのは、
キリスト教を奉じる国々がイスラム教を奉じる[一部]の国を滅ぼすということが道理に適っているように思えます。
注意:あくまでも人間の考えです。

 

アメリカはイスラム教を憎んでいることは歴然とした事実です。
加えて、火で、つまり、戦争による攻撃で滅ぼそうとしている現実を世界中の人々が目の当たりにみています。

結論を言いますと、アメリカなどの野獣的存在が、他の地の王たちと関係を持つ娼婦であるイランを代表するイスラム教を荒れ廃れて、裸にし、火で焼き尽くすと考えることも出来るかも知れません。
イスラム教は[もろもろの]民と群衆と国民と国語の上に、中東から東南アジアの地域に、座っている存在でもあります。

もし、このままイスラム教が衰退していけば、これが聖書の預言の成就、もしくは、実体であると言えます。

その通りになるかどうかは、これからの進展を見守る以外ありません。

第一次と第二次世界大戦は少なくともクリスチャン同士の戦いでした。
日本とアメリカは、仏教、神道とキリスト教の戦いでした。
中東などでの精油を巡る戦いはキリスト教徒とイスラム教の戦いです。
そこにユダヤ教のイスラエルが紛れ込んで来たという構図です。

啓示の書の野獣について簡単に纏めると、
頭は山を表わし、それは王を示す別の表現であること、角も王を表わしています。
つまり、この野獣の姿は人々を支配する王を象徴的に表現したものであることが分かります。
人々を支配する王の歴史、または、変遷であることも示されています。
そして、龍、すなわち、悪魔はこの野獣に自分の力と座と権威を与えています。
つまり、龍は、野獣という[人間の組織]に自分の力と座と権威を与えたことになります。

★ 悪魔が人間の組織である野獣に自分の力と権威を与えた目的は何でしょうか。
それは、地上での神との戦いの備えをするためであることが分かります。
啓示16章
そして,わたしは聖なる所から出る大きな声が七人のみ使いにこう言うのを聞いた。「行って,神の怒りの七つの鉢の中から地に注ぎ出しなさい」。
略
12 また,第六の者がその鉢の中から大川ユーフラテスの上に注ぎ出した。すると,その水はかれてしまった。日の昇る[方角]から来る王たちのために道が備えられるためであった。
13 そしてわたしは,かえるのように[見える]三つの汚れた霊感の表現が,龍の口から,野獣の口から,偽預言者の口から出るのを見た。
14 それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行ない,また人の住む全地の王たちのもとに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである。
15 「見よ,わたしは盗人のように来る。目ざめていて自分の外衣を守り,裸で歩いて自分の恥を人に見られることがないようにする者は幸いである」。
16 そして,それらは[王たち]を,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた。

★ その神の戦いの結末は以下の通りです。
啓示19章
17 わたしはまた,ひとりのみ使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び,中天を飛ぶすべての鳥に言った,「さあ,来なさい,神の大きな晩さんに集まれ。
18 王たちの肉,軍司令官たちの肉,強い者たちの肉,馬とそれに乗る者たちの肉,そしてすべての者,すなわち自由人ならびに奴隷および小なる者と大なる者の肉を食べるためである」。
19 そしてわたしは,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っている方とその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを見た。
20 そして,野獣は捕らえられ,それと共に,[野獣]の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした偽預言者も[捕らえられた]。彼らは両方とも生きたまま,硫黄で燃える火の湖に投げ込まれた。
21 しかし,そのほかの者たちは,馬に乗っている者の長い剣で殺された。その[剣]は彼の口から出ているものであった。そして,すべての鳥は,彼らの肉[を食べて]満ち足りた。

事物の体制が滅んだ直後に、悪魔が捉えられ底知れぬ深みに投げ込まれることが記されています。
啓示20:1-3
それからわたしは,ひとりのみ使いが底知れぬ深みのかぎと大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。
2 そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇を捕らえて,千年のあいだ縛った。
3 そして彼を底知れぬ深みに投げ込み,[それを]閉じて彼の上から封印し,千年が終わるまでもはや諸国民を惑わすことができないようにした。これらのことの後,彼はしばらくのあいだ解き放されるはずである。
(参考:この千年という期間はキリストの世の期間のことです。この間悪魔は人々に害を及ぼすことが

 出来ないようにされるということです。

 つまり、人々は悪魔の影響を受けない暮らし、真の神への崇拝のみの下で、病気も死も争いもない状

 況での暮らしをすることで悪魔の支配が間違いであることを証明する期間となるということです。

 そして、その終わりにアダムやイエスが受けたのと同じような誘惑を受けることで人々は最後の試み

 を受けることになっています。

 この試みを退けた人々のみがイエスが言われた永遠の命を享受出来るとされているのです。

 悪魔に与えられた六千年に比べれば短い期間ですがこれで十分なのです)

この底知れぬ深みとはどのようなところかははっきりしませんが、いわゆる牢獄のような場所だと思います。
あるいは、ブラックホールのような場所かも知れません。

★ 悪魔の最後について次のように記されています。
啓示20:7-10
7 さて,千年が終わると,サタンはすぐにその獄から解き放される。
8 彼は出て行って,地の四隅の諸国民,ゴグとマゴグを惑わし,彼らを戦争のために集めるであろう。それらの者の数は海の砂のようである。
9 そして,彼らは地いっぱいに広がって進み,聖なる者たちの宿営と愛されている都市を取り囲んだ。しかし,天から火が下って彼らをむさぼり食った。
10 そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは野獣と偽預言者の両方が[すでにいる]ところであった。そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。

悪魔は霊者であり本来は不老不死なので、火と硫黄との湖に投げ込まれて文字通り死ぬかどうかは分りません。
ここに記されているように永久に責め苦に遭わせられるということがどのような状態なのかははっきりとは分かりませんが二度とその場所から出てこられないことは確かです。

★ 悪魔は人間個人に対してはどのようなことをするのでしょうか。
悪魔に言及した他の記述から悪魔が人間にどのようなことをするかが分かります。
使徒10:38
38 すなわち,ナザレから来たイエスのことで,神がどのように聖霊と力をもってこの方に油そそがれたかということです。この方は善いことを行ないながら,また悪魔に虐げられている者すべてをいやしながら,国じゅうを回りました。神が共におられたからです。

ルカ13:16
16 それなら,アブラハムの娘で,サタンが,見よ,十八年も縛っていたこの女が,安息日にこのかせから解かれるのは当然ではありませんでしたか」。

使徒13:10
9 サウロ,つまりパウロは,聖霊に満たされ,彼をじっと見て,
10 こう言った。「ああ,あらゆる詐欺とあらゆる罪悪に満ちた者,悪魔の子,すべて義にかなったことの敵よ,エホバの正しい道をゆがめてやめないのか。

ヨハネ(一)3:8
8 罪を行ないつづける者は悪魔から出ています。悪魔は初めから罪をおかしてきたからです。神の子が現わされたのはこのためです。すなわち,悪魔の業を打ち壊すためです。
9 神から生まれた者はだれも罪を行ないつづけません。[神]の[再生する]種がその人のうちにとどまっているからです。そしてその人は罪を習わしにすることができません。神から生まれているからです。
10 神の子供と悪魔の子供はこのことから明白です。すなわち,すべて義を行ないつづけない者は神から出ていません。自分の兄弟を愛さない者もそうです。

★ 悪魔に隙を与える要因を捨て去るべきことが次のように記されています。
エフェソス4:27
17 それゆえ,わたしは主にあってこのことを言い,また証しします。すなわち,あなた方はもはや,思いのむなしさのままに歩む諸国民と同じように歩んではいません。
18 彼らは精神的な暗闇にあり,神に属する命から疎外されています。それは彼らのうちにある無知のため,またその心の無感覚さのためです。
19 彼らはいっさいの道徳感覚を通り越し,貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身をみだらな行ないにゆだねたのです。
20 しかしあなた方は,キリストがそのようであるとは学びませんでした。
21 本当にあなた方が,イエスのうちにある真理のとおりにその[ことば]を聞き,彼によって教えられたのであればです。
22 [その教えとは,]あなた方の以前の生き方にかない,またその欺きの欲望にしたがって腐敗してゆく古い人格を捨て去るべきこと,
23 そして,あなた方の思いを活動させる力において新たにされ,
24 神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けるべきことでした。
25 それゆえ,あなた方は偽りを捨て去ったのですから,おのおの隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは肢体として互いのものだからです。
26 憤っても,罪を犯してはなりません。あなた方が怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい。
27 悪魔にすきを与えてもなりません。
28 盗む者はもう盗んではなりません。むしろ,骨折って働き,自分の手で良い業を行ない,窮乏している人に分け与えることができるようにしなさい。
29 腐ったことばをあなた方の口から出さないようにしなさい。むしろ,必要に応じ,どんなことにせよ築き上げるのに良いことばを[出して],聞く人たちに恵みとなるようにしなさい。
30 また,神の聖霊を悲しませることのないようにしなさい。贖いによる釈放の日のために,あなた方はそれをもって証印を押されたのです。
31 すべて悪意のある苦々しさ,怒り,憤り,わめき,ののしりのことばを,あらゆる悪と共にあなた方から除き去りなさい。
32 そして,互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなく許してくださったように,あなた方も互いに惜しみなく許し合いなさい。

★ 悪魔から身を守る方法について次のように記されています。
エフェソス6:11―18
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。

★ その他、悪魔や悪霊たちに関連する記述は沢山あります。
その一部を以下に示します。
創世記3:1、
さて,エホバ神が造られた野のすべての野獣のうち蛇が最も用心深かった。それで[蛇]が女にこう言いはじめた。「あなた方は園のすべての木からは食べてはならない,と神が言われたのは本当ですか」。

創世記3:14、15
14 それからエホバ神は蛇に言われた,「この事を行なったゆえに,お前はすべての家畜のうち,また野のすべての野獣のうちののろわれたものである。お前は腹ばいになって進み,命の日のかぎり塵がお前の食らうところとなろう。
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。

歴代(一)21:1、
それから,サタンがイスラエルに逆らって立ち上がり,ダビデを駆り立ててイスラエルを数えさせようとした。(参考:悪魔がダビデに罪を犯させようとし、実際ダビデはイスラエルを数えさせたので、イスラエルは神によって打倒されています)

ヨブ記1:12
12 それゆえエホバはサタンに言われた,「見よ,彼の持っているものはみな,あなたの手中にある。ただ彼の身に対しては,あなたの手を出してはならない!」 そこで,サタンはエホバのみ前から出て行った。

ヨブ記2:6、7
6 それゆえ,エホバはサタンに言われた,「さあ,彼はあなたの手中にある! ただし彼の魂には用心せよ!」
7 そこでサタンはエホバのみ前から出て行き,ヨブの足の裏から頭のてっぺんまで悪性のはれ物で彼を打った。

ダニエル10:13
13 しかし,ペルシャの王土の君が二十一日間わたしに逆らって立ちつづけた。すると,見よ,主立った君のひとりミカエルがわたしを助けに来た。それでわたしはそこにいて,ペルシャの王たちの傍らにとどまった。
(ペルシャの王土の君とは、ミカエルと意見を異にした(ユダ9)悪魔か悪魔の使いのことです)

ゼカリヤ3:1、2
それから彼は,大祭司ヨシュアがエホバのみ使いの前に立っているのを見せてくれた。そしてサタンは,彼に抵抗しようとしてその右に立っていた。
2 その時,エホバ[のみ使い]がサタンに言った,「サタンよ,エホバがあなたを叱責されるように。エルサレムを選び取られるエホバがあなたを叱責されるように。この者は,火の中からつかみ出された丸太ではないか」。

マタイ4:1、
それからイエスは,悪魔の誘惑を受けるため,霊によって荒野へ導かれた。

マタイ4:10、
10 その時,イエスは彼に言われた,「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」。

ルカ8:9-15
9 しかし弟子たちは,この例えはどういう意味なのでしょうかと彼に尋ねはじめた。
10 [イエス]は言われた,「あなた方は,神の王国の神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが,残りの人々にとって,それは例えによるのです。彼らが見ていてもむだに見,聞いていても意味を悟らないようにするためです。
11 さて,例えの意味はこうです。種は神の言葉です。
12 道路のわきのものとは,聞いた者たちですが,そののち悪魔がやって来て,信じて救われることがないようにその心からみ言葉を取り去るのです。
13 岩塊の上のものは,み言葉を聞くと喜んでそれを受ける者たちですが,これらには根がありません。しばらくは信じますが,試みの時期になると離れ去ってしまいます。
14 いばらの間に落ちたもの,これは聞いた者たちですが,生活上の思い煩いや富や快楽にさらわれてしまい,すっかりふさがれて,何も完成させません。
15 りっぱな土の上のものについていえば,これは,りっぱな良い心でみ言葉を聞いたのち,それをしっかり保ち,耐え忍んで実を結ぶ者たちです。

ルカ8:26-33
26 こうして彼らはゲラサ人の地方の岸に着いた。それはガリラヤの向かい側である。
27 ところが,[イエス]が陸に上がると,そこの都市の者で,悪霊たちにつかれている男が彼に出会った。そしてこの男はかなり長いこと衣服を着たことがなく,家にではなく,墓場に住みついていたのである。
28 彼はイエスを見ると大声で叫び,その前にひれ伏して,大きな声でこう言った。「至高の神の子イエスよ,わたしはあなたと何のかかわりがあるのですか。お願いします,わたしを責め苦に遭わせないでください」。
29 (というのは,その男から出て来るようにと,[イエス]がその汚れた霊に命じておられたからである。その[霊]は長いあいだ彼を堅くとらえてきたのであり,男は何度も監視のもとに置かれて鎖と足かせでつながれたが,かせは断ち切り,悪霊によって寂しい場所へと追いやられるのであった。)
30 イエスは彼に,「あなたの名は何か」とお尋ねになった。彼は,「軍団<レギオン>です」と言った。数多くの悪霊が彼に入り込んでいたからである。
31 そして彼らは,去って底知れぬ深みに行けとはお命じにならないようにと,しきりに彼に懇願するのであった。
32 ところで,かなりの数の豚の群れがそこの山で物を食べていた。それで彼らは,その中に入ることを許してくださるようにと彼に懇願した。すると[イエス]は,彼らにその許しをお与えになった。
33 そこで,悪霊たちは男から出て行って,豚の中に入った。すると,その群れは突進して行き,断がいから湖に落ちておぼれ死んだ。

ルカ10:18、
18 すると[イエス]は彼らに言われた,「わたしには,サタンがすでに稲妻のように天から落ちたのが見えるようになりました。

ルカ22:31、
31 「シモン,シモン,見よ,サタンは,あなた方を小麦のようにふるいにかけるため,あなた方を手に入れることを要求しました。

ヨハネ8:44
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。

ヨハネ12:31
31 今,この世の裁きがなされています。今やこの世の支配者は追い出されるのです。

ヨハネ13:27、
27 すると,その一口の食物[を受けた]あとすぐ,サタンがその者に入った。そこで,イエスは彼に言われた,「あなたのしている事をもっと早く済ませなさい」。
(参考:これは、イエスを裏切ったユダ・イスカリオテに対して述べた言葉です)

ヨハネ16:33、
33 あなた方がわたしによって平安を得るために,わたしはこれらのことを言いました。世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。
(この世とは、サタンの支配する世という意味です)

ローマ16:20、
20 平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなた方の足の下に砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの過分のご親切があなた方と共にありますように。

コリント(二)11:3、
3 しかしわたしは,へびがそのこうかつさによってエバをたぶらかしたように,あなた方の思いが何かのことで腐敗させられて,キリストに示されるべき誠実さと貞潔さから離れるようなことになりはしまいかと気遣っているのです。

エフェソス6:11
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。

テサロニケ(二)2:9
9 しかし,不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い

テモテ(一)3:6、7
6 また,新しく転向した人であってはなりません。[誇りのために]思い上がり,悪魔に下された裁きに陥るようなことがあってはいけないからです。
7 さらに,その人は外部の人々からもりっぱな証言を得ているべきです。非難と悪魔のわなに陥ることのないためです。

テモテ(二)2:26
23 さらに,愚かで無知な質問を退けなさい。それが争いを生むことをあなたは知っています。
24 主の奴隷は争う必要はありません。むしろ,すべての人に対して穏やかで,教える資格を備え,苦境のもとでも自分を制し,
25 好意的でない人たちを温和な態度で諭すことが必要です。神が彼らに悔い改めを授け,真理の正確な知識に至らせてくださるかもしれないからです。
26 そして彼らは,悪魔の意志に仕えるべくその者に生きながら捕らえられていたことを知り,そのわなから出て本心に立ち返るかもしれません。

ヘブライ2:14
14 そこで,「幼子たち」が血と肉を持つ者なので,彼も同様にその同じものにあずかりました。それは,自分の死によって,死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔を無に帰せしめるためでした。

ペテロ(一)5:8
8 冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,[だれかを]むさぼり食おうとしています。

ヤコブ4:7
7 したがって,神に服しなさい。しかし,悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば,彼はあなたから逃げ去ります。

ヨハネ(一)3:8
8 罪を行ないつづける者は悪魔から出ています。悪魔は初めから罪をおかしてきたからです。神の子が現わされたのはこのためです。すなわち,悪魔の業を打ち壊すためです。

ヨハネ(一)3:10
10 神の子供と悪魔の子供はこのことから明白です。すなわち,すべて義を行ないつづけない者は神から出ていません。自分の兄弟を愛さない者もそうです。

ユダ9
9 しかし,み使いの頭ミカエルは,悪魔と意見を異にし,モーセの体について論じ合った時,彼に対しあえてあしざまな言い方で裁きをもたらそうとはせず,ただ,「エホバがあなたを叱責されるように」と言いました。

啓示2:10
10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない。見よ,悪魔はあなた方のうちのある者たちを次々に獄に入れるであろう。それは,あなた方が十分に試されるため,また十日のあいだ患難に遭うためである。忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう。

啓示12:3
3 また,別のしるしが天に見えた。見よ,火のような色の大きな龍であって,七つの頭と十本の角があり,その頭には七つの王冠があった。

啓示12:7-12
7 また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,
8 優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。
9 こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた。
10 そして,わたしは大きな声が天でこう言うのを聞いた。
「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。
12 このゆえに,天と[天]に住む者よ,喜べ! 地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。

啓示12:14
14 しかし,大きな鷲の二つの翼が女に与えられた。荒野の中の自分の場所に飛んで行くためであった。そこは,一時と[二]時と半時のあいだ彼女が蛇の顔から離れて養われるところである。

啓示13:1-2
そして[龍]は海の砂の上に立ち止まった。
また,わたしは一匹の野獣が海から上って行くのを見た。十本の角と七つの頭があり,その角の上には十の王冠があったが,その頭には冒とく的な名があった。
2 さて,わたしの見た野獣はひょうに似ていたが,その足は熊の[足]のようであり,その口はライオンの口のようであった。そして,龍は自分の力と座と大きな権威を[その野獣]に与えた。

啓示20:2、3
2 そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇を捕らえて,千年のあいだ縛った。
3 そして彼を底知れぬ深みに投げ込み,[それを]閉じて彼の上から封印し,千年が終わるまでもはや諸国民を惑わすことができないようにした。

啓示20:10
10 そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは野獣と偽預言者の両方が[すでにいる]ところであった。そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。

★ 最後に、悪魔となったみ使いに対する神の言葉。
エゼキエル28:11-19
11 また,エホバの言葉が引き続きわたしに臨んで言った,
12 「人の子よ,ティルスの王に関して哀歌を唱えよ。あなたは彼に言わなければならない,『主権者なる主エホバはこのように言われた。
「『「あなたは知恵に満ち,美しさの点で完全であり,ひな型に封印する者。
13 あなたは神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石があなたの覆いであった。ルビー,トパーズ,碧玉,貴かんらん石,しまめのう,ひすい,サファイア,トルコ玉,エメラルド。あなたの中のはめ込み台と受け具の作りは金であった。あなたの創造された日にそれらは整えられていた。
14 あなたは覆うことをする油そそがれたケルブであり,わたしがあなたを置いたのである。神の聖なる山にあなたはいた。あなたは火の燃える石の中を歩き回った。
15 創造された日からあなたのうちに不義が見いだされるまでは,あなたはその道においてとがのない者であった。
16 「『「あなたの満ちあふれる商品のゆえに,人々はあなたの中に暴虐を満たし,あなたは罪を犯すようになった。それで,覆うことをするケルブよ,わたしはあなたを汚れた者として神の山から出し,あなたを火の燃える石の中から滅ぼすであろう。
17 「『「あなたの心はあなたの美しさのゆえにごう慢になった。あなたはその輝かしい光輝のゆえに自分の知恵を滅びに陥れた。わたしは地の上にあなたを投げ出す。わたしはあなたを王たちの前に置く。[彼らが]あなたをながめるためである。
18 「『「あなたの満ちあふれるとがのために,あなたの商品の不正のゆえに,あなたは自分の聖なる所を汚した。それで,わたしはあなたの中から火を出すであろう。それが必ずあなたをむさぼり食う。そしてわたしは,あなたを見るすべての者たちの目の前で,あなたを地上の灰とするであろう。
19 もろもろの民の中であなたを知っている者たちは皆,必ず驚いてあなたを見つめるであろう。あなたは必ず突然の恐怖となり,もはや定めのない時に至るまでいなくなるであろう」』」。
 
ティルスの王に関する哀歌の中での神の説明について。
内容からして、ティルスの王には当てはまらない部分の記述も含まれています。
これは何を意味するのでしょうか。
神がエデンに言及していることから、エバを誑(たぶら)かした蛇、イエスが偽りの父と言及した者について述べていることは明らかです。

このような記述は、イエスが実在したのと同様悪魔も実在している証拠となるものです。
神もイエスも悪魔も人間が作ったものではなく、実在する者です。
ただ、いずれも人間の目には見えないだけなのです。

神及び悪魔に関して、事細かく述べるなら切りがありません。
上記に述べた事柄から「悪魔がどのような者」かを知り、また、対処することは「すべての人の命にとって最も有用な事柄」となります。

さて、あなたはこの目には見えない存在についてどのように考えますか。
どのように考えても、真実は変わりません。
同様に神もキリストも変わりません。
つまり、起こることは既に定まっているからです。
敢えて言うならば、あなた自身の考えを変える必要はありません。
あなたの心を動かすのは神だからです。
この点人間の思惑は通用しません。
すべて神からの者はイエスの下に行くのです。-ヨハネ6:45
つまり、神にとってみれば既に誰が是認された者かははっきりしていて、おそらく、それは変わることはないからです。
裏を返せば、誰が救われる者で誰が滅ぼされる者かは既に定まっているとも言えるからです。
偽りの心はすべて見抜かれるのです。

最後に一言。
ヘブライ4:12
12 神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣よりも鋭く,魂と霊,また関節と[その]骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができるのです。
13 そして,[神]のみ前に明らかでない創造物は一つもなく,すべてのものはその目に裸で,あらわにされており,この方に対してわたしたちは言い開きをしなければなりません。
14 それゆえ,わたしたちには,もろもろの天を通られた偉大な大祭司,神の子イエスがおられるのですから,[この方]についての告白を堅く守りましょう。
15 わたしたちは,わたしたちの弱いところを思いやることのできない方ではなく,すべての点でわたしたちと同じように試され,しかも罪のない方を,大祭司として持っているのです。
16 それゆえ,時にかなった助けとして憐れみを得,また過分のご親切を見いだすために,はばかりのないことばで過分のご親切のみ座に近づこうではありませんか。

参考:悪魔に関する記述はこれですべてではありません。
もし、すべてを列挙するなら聖書のすべてを述べることに等しいことになってしまいます。
それでは要点を述べることが出来ず理解も出来なくなくなってしまうからです。
後は、自分で聖書を読み確かめて下さい。
聖書の理解はテーマごとに調べることがベストです。

次回の聖書の見解は「霊媒術」に関するものです。

知恵を求める人のためのブログです。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

※  あなたの疑問にお答えします。
  コメントではなくプロフィールからメッセージを下されば誰にも知られず質問出来ます。
  誰でも無償で質問出来ます。
  ただし、議論には対応できかねますので、当方からの返答をよく吟味して頂きたいと思います。

クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

 

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長い間中断していました聖書の見解です。

再び続けたいと思います。

 

悪魔というテーマは「神」に対すると同じ程多くのことが関連しています。
そのため、一言でこうだと説明することは難しいものです。

敢えて言うなら、神とキリストの敵対者であり人間に悪事を働くみ使いです。
み使いとは霊者のことで人間の目には普通は見えない存在です。

聖書の中にも具体的に悪魔が何をしたという記述は、
エデンで蛇を用いてエバを騙したこと、
ヨブの忠誠を疑い2度に渡って害を及ぼしたこと、
イエスを誘惑したこと、
などです。
他にも悪魔が関わったとされている記述もありますが、それは必ずしも悪魔自身が関わったことではない場合もあります。

大雑把にはこのようですが、その前に世の中でどのように思われているかを示したいと思います。
その多くは、人間の妄想である場合が殆どです。

悪魔について一般的な考えは、
特定の宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在をあらわす言葉であるとされています。
そのため、
人を傷つけ、あるいは悪い感情を誘発するなど、人を不幸にするような神秘的力を持つものについて話す時、それが人格を持って語られる場合、それを悪魔または悪魔的なものと考える傾向にあります。

1 悪魔の存在に関して。
仏教では
「災いをなす原因と想定されるもの」とされているように、
 災いを成す人、物、現象などを指して用います。

キリスト教では、
神に反抗し、また、人間に害を及ぼす「特定の存在」を指して用います。
悪魔もまた神の被造物であって、完全に神から独立した存在ではないとする捉え方が一般的です。

イスラム教では、悪魔は神の特別な許可に拠って活動するのであって、神の計画の一部であるとされています。

他にもヒンズー教など沢山の宗教の考え方があります。

多くの場合、宗教で悪の根源を説明する時や、災難や悪事に関連して用いられます。

2 悪魔の姿に関して。
悪魔と悪霊たちの姿を見た、という伝承は古来から様々な形で残るものの、信頼に足る記録などは現在のところ存在しないとされています。 

悪魔の観念が固定しつつあった11世紀ごろの芝居に登場する悪魔は黒い服を着たグロテスクな異形であり、今日でもロマネスク様式やゴシック様式の建造物のレリーフにそういったいわゆるデーモンを見ることが出来ます。 

よくある類型的な悪魔像は、
ある程度「人間に似た形」をし、
肌が紺色、あるいは黒や赤色で、
目は赤く、
とがった耳を持ち、
牙や裂けた口を持ち、
頭部にはヤギのような角を生やし、
とがった爪の付いたコウモリのような翼に、
矢印のように鋭く尖った尻尾を持つ、
といったものです。
また、かかとがないことも重要な特徴とされています。

絵に描かれた悪魔は、これらの特徴のほぼすべてを備えているものもあれば、一部のみを有するものもあるといわれています。

3 神話に関して。
ペルシア神話や初期ゾロアスター教の悪魔アンラ・マンユは、トカゲ・ヘビ・人間の若者と姿形を変化させることができるとされましたが、後期の文献では、実体を持った物質世界は神の創造した善の領域であり、悪魔は実体を持たず人間や動物の中に住むと説明されています。

4 比喩的な用い方に関して。
悪魔という言葉は、残忍・非道でずる賢い人間の喩えとしても用いられることもあります。
「小悪魔」という表現は、見せかけの可愛らしさと性的魅力とで男性を誘惑する女性を指すことがあります。

「悪魔のささやき」は、つまり、人に対するささやきは常に甘美なもの、つまり、誘惑である場合でが殆どです。
神に従うのは潔癖さや信仰への忠誠が求められるなど厳しい道ですが、悪魔に従うのは堕落であり、むしろこちらの方が魅力的な場合が多いとされています。

5 小説に関して。
ゲーテの『ファウスト』で描かれるところのメフィストフェレスは「理性は持っているが悟性は持たない」ことになっています。 

6 科学の分野に関して。
科学の分野でも悪魔の存在を仮定する例がある。「ラプラスの悪魔」や「マクスウェルの悪魔」が有名で、いずれもパラドックスに関わっています。 

近年でも、化学兵器や核兵器など大量破壊兵器に関わる学者は「悪魔の科学者」といわれることがあります。
創作の中でのマッドサイエンティストはその例です。 

などと考えられています。

実際、 悪魔は、人間の前に姿を現さず、神秘的な現象のみ引き起こす存在とされ、誰も見た者はいません。
そのため、超自然的な災害や残虐な行為を「悪魔の仕業」と見なす人も少なくありません。

7 語源に関して。
悪魔を意味する英語デビル(Devil)は、
ヘブライ語のサタンのギリシャ語訳ディアボロス( Διάβολος、Diabolus)から派生した言葉です。

ギリシア語:ディアボロスδιάβολοςは中傷者、告発者という意味です。

悪魔または悪霊を意味する英語デーモン(Demon)は、語源は、ギリシャ語のダイモーン( δαίμων、ラテン翻字 daimon)です。

参考として、ラテン語で悪魔はディアボルス(diabolus)で神はデウス (deus)です。

仏教では、悪魔は、サンスクリット語のマーラの音訳「魔羅」「魔」と同義語とされ、災いをなす原因と想定されるものを漠然と擬人化し「悪魔」と呼んでいます

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、悪魔を、人間をそそのかして罪を犯させたり悪行をはたらいたりするひとりの反逆的な(堕落した)天使ないしデーモン(悪霊)とみなしています。 
悪魔は元来、神とその使いを除く超越的な存在の全てであったと見なされていました。
唯一神教であるユダヤ教は、他宗教の神々を悪魔と称して否定していますし、その派生であるキリスト教とイスラム教も同様であったとされています。

一方、
サタンについては、
サタン(ヘブライ語: שָּׂטָן‎、アラム語:שָׂטָנָא、ギリシア語:Σατᾶν, Σατανᾶς、ラテン語: Satan, Satanās)は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教における悪魔。
アラビア語のアッ=シャイターン(الشيطان、DMG方式: aš-Šayṭān)がこれに相当すると言われています。 
ユダヤ教、キリスト教では神の敵対者、イスラム教では人間の敵対者とされています。 

ヘブライ語のサタン(サーターン שָּׂטָן)は「敵対者」「妨げる者」「誹謗する者」「訴える者」を意味すると言われています。

悪魔もサタンも、どちらも似たような意味であることが分かります。
敢えて意味付けをするとすれば、
悪魔は、神を中傷する者
サタンは、神に敵対する者
龍は、力、立場、権威を持つ者
蛇は、用心深さ、毒を持つ、狡猾な者
と考えることが出来ます。
これらは、「一人のみ使い」の性質を表現する比喩なのです。

この四つの語の用い方は、以後、このような意味で用いたいと思います。

イエス・キリストは、悪魔のことを「人殺し、偽りの父」とも述べています。-ヨハネ8:44

つまり、実在する者として語っています。

上記の説明のように、
一般的には、悪魔も悪霊もサタンも明確に区別されていません。
ただ、人間に害を及ぼす「目に見えない超越的な存在」でありながら、それを比喩的に残虐な人間性に当てはめている場合もあるということです。

では、この悪魔と悪霊たちに関する聖書の見解はどのようなものでしょうか。
この点は、聖書の見解-第17回(悪魔と悪霊たち)その2で示したいと思います。

悪魔は目には見えない存在ではありますが、人間に大きな影響を与えていることは確かです。
しかし、聖書を別にしてこれを確かめる方法はありません。
聖書に書かれている悪魔に関する事柄を現実の世界に当てはめ、あるいは、適用して初めて実感出来るものだからです。

これを実践している人は、限りなく少数であることも確かです。
したがって、今も世界は悪魔の思うがままになっているのです。
キリスト教の信者でも、あるいは、聖書の内容に精通した人でも、実践する人は少ないのです。
そうした人々の多くは、ただ聖書の言う「善」を行う努力をしているだけである場合が殆どなのです。
ものみの塔の信者でも集会で教えられてはいても実感はないのです。
ただ、自分の身に悪いことがあった時何でも悪魔のせいにしているという愚かな面もあり、悪魔が笑っている姿が目に見えるようです。

ものみの塔は信者に対し悪いことより善い事柄に[意識的]に目を向けさせていることは確かです。
そのため、彼らの多くは「悪」については教理に反することや聖書で悪とされていることや道徳的な観念でしか考えていない場合が殆どです。
自分の目で人々の悪がどのように行われているのかを確かめることをしていないのです。
つまり、悪から目をそらしているのです。
おそらく、ものみの塔の信者たちは「生死に関わる程の試練が臨む」と耐えられる人は少なく、雲散霧消してしまうと思われます。
つまり、闘うのではなく表の世界から隠れて縮こまって嵐が過ぎ去るのを待っているだけのように思えます。
それでも救われる可能性はありますが、闘わない姿を神とキリストはどのように見るでしょうか。
上位の権威に服することと信仰において闘うこととはその精神は同じでも振る舞いは異なるのです。
実際、彼らの中には世の権威にもものみの塔の権威にも逆らっている者たちも少なくないのです。
権威に服するということの意味を理解していないからです。
同じように信仰において闘う点においても集会や伝道活動に参加することやものみの塔の言う禁止行為を守っているだけのことでその実体は信仰における真の姿とは大きく掛け離れたものであることも事実です。
ただ教えられたことを、言われたことをしているだけの存在だと言われて否定出来るでしょうか。

もし、否定出来る人がいるとすれば、その人は長年信者をして来た人だと思います。

何となく悪魔の実体を実感しているからです。

  

聖書の見解-第17回(悪魔と悪霊たち)その2に続く。

わたしのブログにようこそ!
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「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
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聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 
 

 

今回は、余りにも酷いトランプに対するアンチアメリカ対策と神の裁きという話です。

初めに、

この記事を書いたのかなり前だったので、と言っても4週間位前だったのですが最近の報道番組でも同じような考えの人が、あるいは、同じ考えの国の動きが出て来たので、いわば二番煎じになってしまいましたがそのまま公表したいと思います。

幾つかの点では加筆しています。

先ず初めに、アメリカが戦争をしたのは、第一次世界大戦を含め第二次世界大戦もその後の朝鮮半島での戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタンでの戦争そしてイランへの侵攻これらのすべての土台となっているのは、対共産主義であり石油利権の確保のためです。

そもそもにおいて、アメリカはどの戦争においても参戦する必要も義務も道理もなかったのです。
アメリカは自国の利益のためだけに戦争で戦って来たのです。

かつて、アメリカを世界の警察と言われた時代がありましたが、決定的な間違いだったのです。
アメリカのすることを誰もが正義だと思い込まされていたのです。
それは自由と民主主義と人権という、いわば「偽の旗印」だったのです。
アメリカは自国の国内だけにとどまらず世界中に自分の考えをいわば「押し付け」て来たのです、今でもそうです。
イランの原子力開発に難癖をつけて侵攻する野獣のような国であることは世界中の人々が認めているところです。

アメリカの矛盾は、なぜソ連今のロシアを攻撃しないのでしょうか。
なぜ、イラクやイランは攻撃したのでしょうか。
なぜ、初めはアフガニスタンを支援し、その後敵対し無責任にも突然撤退をしたのでしょうか。
なぜ、北朝鮮を攻撃しないのでしょうか。
なぜ、中国を攻撃しないのでしょうか。
更に言えば、
軍事的には何もしていないベネゼイラの大統領を拘束したり、キューバを攻撃すると言ったり法律的な根拠を示さず経済制裁をしています。

理由の一つは、アメリカは反撃能力のある国には絶対攻撃しないのです。
米兵の多くが戦死するからです。
アメリカの身勝手は、相手を殺すのは良いが米兵が死ぬのはダメだという考えです。
それなら、初めから戦争をするなと誰もが思います。

なぜ、トランプ関税に現れているようなアメリカに世界がソッポを向かずに付き合っているのでしょうか。

アメリカこそ「テロ国家」であり「悪の枢軸」だと断言出来ます。
このようなアメリカになぜ世界は制裁を加えないのでしょうか。
その方法の一つとして、

敵対する必要はありませんが徹底してアメリカを相手にしないことです。
世界中がこのような態度に出ることで少なくとも今のような影響を少なく出来ます。

世界の経済圏構想からアメリカを除外するのはどうでしょうか。
つまり、アメリカを孤立させることです。
それでもアメリカは潰れることはありません。

つまり、世界をアメリカVS他の国々という対立構造を作り上げることです。

なぜアメリカはイランを敵対視するのか、その理由はイスラエルの敵だからです。
トランプは娘婿がユダヤ教徒であるためイスラエルを守りたいのです。
二つ目の理由はイスラム教国でありアメリカの要求をことごとく受け入れないからです。
三つ目の理由は石油価格の高騰により、また、今迄通り石油が入らなくすることで経済的にアメリカを有利にしようという魂胆だからです。
四つ目の理由は核兵器を持ってしまうと攻撃出来なくなるからです。

しかし、現実に嘘でもイランは核兵器を持たず原子力の平和利用だと主張し続けていました、今でも。

なのにイランを攻撃したのです。

もっとひどい北朝鮮を攻撃しないで。

トランプの大きな矛盾です。

アメリカは正当な理由なしにイランを攻撃しただけではなく最高指導者をも殺害したのです。
もし、世界に正義というものが存在するなら、間違いなくトランプは死刑です。
プーチンも同じです。
エネルギー源を思いのままにしたいという点でもプーチンと同じく独占したいのです。
そうすれば世界の経済を牛耳れるからです。

しかし、イランはイラクよりも領土が広く容易には征服出来ない国です。
おそくらアメリカの中間選挙後イランはアメリカを攻撃するでしょう。
中間選挙前ではトランプを利するだけだと考えているからです。
トランプも中間選挙前はほぼ間違いなく大規模攻撃はしません。
もし、攻撃をし米兵が多数死ねば国民は黙っていませんし、中間選挙では大敗することは確実だからです。

イランを先に攻撃したのはアメリカなのでイランはその報復としての攻撃を今すべきなのです。
イランは世界中にこれを発信してから行うべきです。
イランはアメリカに対抗する発言を繰り返していますが、アメリカの先制攻撃を非難し続けることです。
対話ではなく力で支配しようとするアメリカを非難し続けることです。
イランはアメリカの言う通りの国ではありません。
政治的宗教的にアメリカと対峙していますが、アメリカの脅威とはなっていませんでした。
なぜイギリスもアメリカもイランに関心を持ったかと言えばそれはイスラエルとイランが仲が悪いからです。
ある意味、イランを懐柔したり攻撃するのはイスラエルのためなのです。
ですから、イランはイスラエルを叩き潰せばイギリスとアメリカに吠え面をかかせることが出来るのです。
勿論、イギリスもアメリカもイランに反撃するでしょうが、イランとしてはイスラエルを叩き潰したことである程度は満足するのです。

アメリカを叩き潰すにはアメリカの世論を味方に付けること以外に方法はありません。
同時に、アメリカ国内に分裂を誘発させることです。

アメリカ国民は雇用が安定せず物価が高騰すれば必ず不満を表します。
すると国民はその時の政権に対し反発するようになります。

他の国はこうしたことを念頭にアメリカとの貿易を行うことです。
そして、アメリカの思い通りの交渉では契約しないことです。

アメリカの考え過ぎ、思い込み過ぎでありトランプ周辺の「思惑」に乗せられている「愚かなトランプ」のやったことです。
トランプは何事も商売の時の交渉を政治に持ち込んだ「愚か者」なのです。
最近では側近も少しずつ離れて行っていると聞いています。
1期目の時には、周辺にトランプの考えを戒める側近がいましたが、2期目の今は皆無です。
ルビオもベッセントも他の大臣クラスもトランプに尻尾を振る無能な、トランプに何も言えない政治信念のない政治家ばかりです。

一見すると政治で金融や経済を動かせると思いがちですか、政治は頭だけで振る舞いますが、金融や経済は現実の行動であり、必ずしも「理屈」で決まる訳ではありません。
金融にしろ経済にしろ市場の状態を見て金利にしろ物価にしろ対症療法的政策しか出来ないのです。

あるいは、社会の仕組みそのものを変えてしまう以外政治がこれらを完全にコントロールすることは出来ません。

世界にはもっと大きな力で動いています。
世界で国家間を裁く法律と力が存在しません。
国連は全く役に立ちません。
国連平和維持軍は戦争が終わった後にしか活動しません。
本当に必要なのは、戦う前と戦っている最中なのです。
その力が無ければ、誰も戦争を止めることが出来ません。
唯一、ICCがその一翼を担うかのように考えられてきましたが、アメリカは加入していないばかりかこれを潰そうとしています。
狂人トランプは悪魔の申し子と言わずして何と言えばいいのでしょうか、皆さんもそう思いませんか。
おそらく、トランプはいつ暗殺されてもしょうがないと思っていると思いますョ。
不要な戦争を起こし外国の指導者を拘束したり殺害する権利は誰にもないのです。

世界はアメリカという野獣に、トランプという狂人に屈してしまうのでしょうか。
なぜ世界は一致団結してこの野獣に立ち向かわないのでしょうか。
高市は依然としてアメリカに迎合した姿勢を示しています。
これは日本の立場をより危険なものにしているのです。

既に、多くの国ではトランプ関税の時にわたしが指摘したように貿易などでアメリカ離れが進んでいます。
今アメリカはイラン戦争、イスラエルへの戦争支援、ウクライナへの支援により膨大なお金が流出しました。
先日アメリカのトランプ政権が赤根智子所長ら2人を制裁対象に指定したことを発表したり、これを受けてルビオ国務長官は18日の声明で、ICCについて「腐敗し、悪意を持って権限を乱用している」としたうえで「国家の主権に対する攻撃を容認しない」と主張。さらに、「必要に応じて追加の措置を講じ、ICCを解体する用意がある」とけん制しました。
アメリカは極東軍事裁判でもそうでしたが国際司法で裁かれることが最も脅威なのです。

それゆえ、極東軍事裁判にもICCにも加わっていないのです。
自己主張を出来ないからであり言い訳出来ないからです。
イラクの攻撃も嘘の情報でしたしイランの小学校攻撃を古い情報に基づく発表していますがアメリカがこのような発表をする時には嘘をついている場合です。
つまり、分かっていて攻撃しイランの小学生160人余りを、つまり、何の関係もない子供を殺したのです。
誰が考えてもトランプの刑事責任を問う起訴を行うべきです。
トランプがICCを攻撃したのはこれをさせないための姑息な手段です。
なぜ、世界はこうしたことを許すのでしょうか。
なぜ、アメリカを非難しあらゆる取引を止めないのでしょうか。

ICCに対するトランプの発言を聴いて、最後の悪あがき、あるいは、断末魔のようにも聞こえました。
更に、イランを再び攻撃する発言をもしています。
勿論、中間選挙の思惑もありますが、アメリカ国民は戦争反対が多数であることを認識していないようです。
というより側近が国民は戦争を支持していると煽っているのです。

そうすることがトランプを「いい気にさせる」からです。

実にあくどい側近たちです。

既にヨーロッパのある国は自国の保身のためにだと思いますが、日本との経済連携を申し出る国が幾つか出て来ています。
これは、日本とアメリカの関係から来るもので、いわば、日本をアメリカに対する中間に位置付けアメリカへの対応を日本から読み取るためだとも考えられます。

もう一つの方法は、アメリカに対抗している中国とロシアの経済を活性化することです。
つまり、中国をアメリカの「当て馬」にするという手法です。
アメリカ抜きでのこうした世界の動きはアメリカの死活問題となりますので、トランプも何らかの手を打ってくると思いますがそれに応じないことです。
日本は高市のせいで中国との関係が悪化し、戦略的な貿易関係を築くことが出来ません。
高市政権の出鼻がくじかれた形となってしまいました。
最も、中国は高市については調査済みで台湾有事発言がなくても中国は対抗措置を取ったに違いありません。
この点、中国にとっては石破政権が良くアメリカにとっては高市政権が良いという構図だったのです。
そのため高市が首相になるようにアメリカが裏で糸を引いた可能性もあります。
日本に経済面や外交面で圧力をかけ国民の不満が石破に向かうように仕向けたのです。
CIAを含めアメリカのやりそうなことです。
表現が悪いですが高市もこの点バカ丸出しです。

トランプは中国と取引をした国に制裁を課すと脅しをかけていますが、それだけこのことはアメリカにとって脅威なのです。

おそらく、トランプやルビオには見えていないと思いますが、彼らの突然の終わりが来るような気がしました。
勿論、これは直感であって根拠のあることではありませんが一種の胸騒ぎが生じました。
この胸騒ぎはイラン戦争の更なる拡大かも知れませんが、それが「神のご意志」ならそのようになるでしょう。
つまり、神の考えがそのようにして遂行するのです。
啓示17:17
神は,ご自分の考えを遂行することを彼らの心の中に入れたからである。すなわち,彼らの王国を野獣に与えて[彼らの]一つの考えを遂行し,神の言葉の成し遂げられるに至ることである。

しかし、イランが崩壊してもその後野獣であるアメリカ自身も「神により、生きたまま火と硫黄とで燃える湖に投げ込まれる」ことは既成の事実なのです。
啓示19:14-21
14 また,天にある軍勢が白い馬に乗って彼の後に従っていたが,彼らは白くて清い上等の亜麻布をまとっていた。
15 そして,彼の口からは鋭くて長い剣が突き出ている。それによって諸国民を討つためである。また彼は,鉄の杖で彼らを牧する。また,全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場も踏む。
16 そして,彼の外衣に,実にその股[のところ]に,王の王また主の主と書かれた名がある。
17 わたしはまた,ひとりのみ使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び,中天を飛ぶすべての鳥に言った,「さあ,来なさい,神の大きな晩さんに集まれ。
18 王たちの肉,軍司令官たちの肉,強い者たちの肉,馬とそれに乗る者たちの肉,そしてすべての者,すなわち自由人ならびに奴隷および小なる者と大なる者の肉を食べるためである」。
19 そしてわたしは,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っている方とその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを見た。
20 そして,野獣は捕らえられ,それと共に,[野獣]の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした偽預言者も[捕らえられた]。彼らは両方とも生きたまま,硫黄で燃える火の湖に投げ込まれた。
21 しかし,そのほかの者たちは,馬に乗っている者の長い剣で殺された。その[剣]は彼の口から出ているものであった。そして,すべての鳥は,彼らの肉[を食べて]満ち足りた。

ここで示されているように、馬に乗っている方と天の軍勢と戦うために「集まった」ところで戦わずして滅ぼされるので、この戦いは一方的なものとなります。
おそらく、彼らの死骸は跡形もなく片づけられるので、生き残る人々はいわゆる残骸を目にすることはないと思います。

突然やって来るその日、生き残る人々はただ目をしっかりと開けてじっとしているか、目を閉じて裁きが過ぎ去るのを待つ以外出来ることはないのです。
もしかすると、隣にいる人が馬に乗っている者の長い剣で殺されるかも知れません。
その時、生き残る人は「恐怖」を抱いてはならず、むしろ、神の裁きの行使を喜び、神に感謝し、神に栄光と誉れを帰し神を崇拝すべきなのです。
啓示14:6-7
6 また,わたしは別のみ使いが中天を飛んでいるのを見た。彼は,地に住む者たちに,またあらゆる国民・部族・国語・民に喜ばしいおとずれとして宣明する永遠の良いたよりを携えており,
7 大声でこう言った。「神を恐れ,[神]に栄光を帰せよ。[神]による裁きの時が到来したからである。それゆえ,天と地と海と水のわき出るところとを造られた方を崇拝せよ」。

ですから、神を崇拝する者にとって今は世界で何か起こっても「我慢と忍耐」の時期なのです。
しかも、更に凄まじいことが起こることになっていますから「心の準備も必要」です。
神の裁きが始まると世界は、おそらく悪人もしくは不義の人々に対する「情け容赦ない」結果が「生き残る人々」の前で起こるからです。
それも後少なくとも10年以内の出来事だと感じて、また、考えています。

わたしはこの出来事を確認したいと思っています。

ですから、イエスの言われた「準備の出来ていること」を示し続ける必要があります。
マタイ24:43、44
43 「しかし,一つのことを知っておきなさい。家あるじは,盗人がどの見張り時に来るかを知っていたなら,目を覚ましていて,自分の家に押し入られるようなことを許さなかったでしょう。
44 このゆえに,あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです。

こうした世界に対する、いや人類に対する神の裁きは、
大いなるバビロンの滅びに関しても野獣の滅びに関しても、最初は組織に対するものでした。
しかし、聖書のその後の記述を読むとその組織に属するか加担するすべての人々にも及ぶことが分かります。

理解力と識別力のある人にはもしかすると「改心する最後のチャンス」がほんの1日あるかないかですがその機会があるかも知れません。
つまり、組織に対する神の攻撃が始まりそれが人々に及ぶほんのわずか時間です。
さて、あなたはこの時どうするでしょうか。
惨いことですがこの最後の機会を逃すと「鳥の餌食」になってしまうかも知れないのです。
そうして亡くなった人を嘆く人は一人も残ってはいないのです。

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世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

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ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。


聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

字数の関係で前文と一部を割愛しています。

今回は、人が死ぬ本当の理由という話です。
命と死、永遠の命と滅びは聖書の中のテーマでもあります。
イエス・キリストの最終目的はこの点にあると言えます。

これから来る「この世の滅び」を生き残りたいと思うなら、今の生活の仕方を改める必要があります。
しかし、聖書を読んだことの無い人は、何をどのように改めたら良いのかを知りません。

「悔い改める」ということは「罪を悔いる」ことから始まります。
罪とはいわば「悪い性質」や「悪い行い」のことです。
簡単に言えば、嘘をついたり、騙したり、暴力的であったり、殺人や盗みをしたり、傲慢であったり、誇りのために思い上がったりなどなどのことであり他にも沢山あります。
この記事の終わりの部分で具体的な事柄を載せてあります。

悔いるとはそれまでの生き方を後悔するということですが、殆どの人は何かを失敗した時の反省のように思うかも知れません。
今日の話はそうではありません。

殆どの人が悪いことだと思っていないこと、生きるための賢さや知恵だと思っていることが聖書では悪とされている場合がありそうした行いを改めるようにという話です。

聖書には「すべての人は罪人(つみびと)です」という表現が何度も出て来ます。
こういわれると「心外」だと思う人もいるかも知れませんし、これを自覚している人は殆どいません。
なぜなら、人間は人間が作った法律を守っていれば罪には問われないと考えているからです。
加えて、こう述べているのは聖書だけであり、殆どの人は聖書をつぶさに読んだことがありません。

パウロも同じようなことを述べています。
ローマ7:7-8
7 では,わたしたちは何と言えばよいでしょうか。律法が罪なのですか。断じてそうはならないように! 実際,律法がなかったなら,わたしは罪を知ることはなかったでしょう。たとえば,律法が,「あなたは貪ってはならない」と言っていなかったら,わたしは貪欲ということを知らなかったでしょう。
8 しかし,罪はおきてを通して誘いを受け,わたしのうちにあらゆる貪欲を生み出しました。律法がなければ,罪は死んでいたのです。
(参考:つまり、法がなければ誰も罪に問われないということです。

 しかし、法がなくても、人は神に対して罪を犯しています)

9 事実,わたしはかつて律法なしに生きていました。しかしおきてが到来した時,罪は生き返り,わたしは死にました
(参考:つまり、それまでは罪に問われなかったことも律法の下に入った時罪が問われるようになり裁
 かれていたら[神との関係で]死んだと述べているのです。
 しかし、こう述べたパウロはその後イエスによっていわば復活(改宗)させられ使徒として死ぬまで
 熱心に活動しました)

人を罪に定めるのは律法やおきてやいわゆる法律です。

ローマ3:23では、「すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しない」とも述べられています。
聖書の論理からすれば「罪の報いは死です」。-ローマ6:23
つまり、人が死ぬのは罪のせいだということです。

しかし、現実には、律法やおきてや法律に関係なく人は死んでいます。
普通に考えれば、人が死ぬことは当たり前のことです。
誰もが死なないことを望んではいますが、すべての人は死ぬことを知っています。

聖書で罪や死について述べられているには理由があるのです。
それは、罪や死について「その原因や理由」があり、逆に「罪と死」から解放されて「永遠の命」の希望があるとされているからです。

この点パウロは次のように述べています。
ローマ5:12-14
12 それゆえ,一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が[入り],こうして死が,すべて[の人]が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がったのと同じように―。
13 というのは,律法以前にも罪は世にあったからです。ただ,律法がなければだれも罪の責めを受けないのです。
14 それにもかかわらず,死はアダムからモーセに至るまで,アダムの違犯と同様の罪をおかさなかった者に対しても王として支配しました。アダムは来たるべき方と類似していました。

つまり、人が罪の責めを受けるのは律法やおきてや法律などがあるからで、もし、これらのものがなければ誰も罪の責めを受けないと述べているのです。
しかし、「にもかかわらず、すべての人に死が広がった」とも述べています。

当然ここで疑問が生じます。
それは、罪がなぜ生じるようになり死ぬようになったのかという疑問です。
聖書によるとその経緯は以下の通りです。
創世記2:17
15 それからエホバ神は人を取ってエデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせた。
16 また,エホバ神は人に命令を与えてこう言われた。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。
17 しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。

創世記3章-4:2
3章
さて,エホバ神が造られた野のすべての野獣のうち蛇が最も用心深かった。それで[蛇]が女にこう言いはじめた。「あなた方は園のすべての木からは食べてはならない,と神が言われたのは本当ですか」。
2 それに対して女は蛇に言った,「園の木の実をわたしたちは食べてよいのです。
3 でも,園の真ん中にある木の実を[食べること]について,神は,『あなた方はそれから食べてはならない。いや,それに触れてもならない。あなた方が死ぬことのないためだ』と言われました」。
4 それに対して蛇は女に言った,「あなた方は決して死ぬようなことはありません。
5 その[木]から食べる日には,あなた方の目が必ず開け,あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになることを,神は知っているのです」。
6 そこで女は見て,その木が食物として良く,目に慕わしいものであるのを知った。たしかに,その木は眺めて好ましいものであった。それで彼女はその実を取って食べはじめた。その後,共にいたときに夫にも与え,彼もそれを食べはじめた。
7 すると,その二人の目は開け,ふたりは自分たちが裸であることに気づくようになった。そのため,彼らはいちじくの葉をつづり合わせて自分たちのために腰覆いを作った。
8 後に,日のそよ風のころに園の中を歩かれるエホバ神の声が聞こえ,人とその妻はエホバ神の顔を避けて園の木々の間に隠れようとした。
9 それでエホバ神は人に呼びかけて,「あなたはどこにいるのか」と繰り返し言われた。
10 ついに彼は言った,「あなたの声が園の中で聞こえました。ですが,自分が裸なので怖くなり,そのために身を隠したのです」。
11 それに対して[神]は言われた,「あなたが裸であると,だれがあなたに告げたのか。食べてはいけないとわたしが命じた木からあなたは食べたのか」。
12 すると人はさらに言った,「わたしと一緒にいるようにと与えてくださった女,その女がその木から[実を]くれたので,わたしは食べました」。
13 そこでエホバ神は女に言われた,「あなたがしたこの事はどういうことなのか」。これに対して女は言った,「蛇です,それがわたしを欺いたので,そのためにわたしは食べたのです」。
14 それからエホバ神は蛇に言われた,「この事を行なったゆえに,お前はすべての家畜のうち,また野のすべての野獣のうちののろわれたものである。お前は腹ばいになって進み,命の日のかぎり塵がお前の食らうところとなろう。
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。
16 女に対してはこう言われた。「わたしはあなたの妊娠の苦痛を大いに増す。あなたは産みの苦しみをもって子を産む。あなたが慕い求めるのはあなたの夫であり,彼はあなたを支配するであろう」。
17 また,アダムに対してこう言われた。「あなたが妻の声に従い,わたしが命じて,『それから食べてはならない』と言っておいたその木から食べるようになったため,地面はあなたのゆえにのろわれた。あなたは,命の日のかぎり,その産物を苦痛のうちに食べるであろう。
18 そして,それはいばらとあざみをあなたのために生えさせ,あなたは野の草木を食べなければならない。
19 あなたは顔に汗してパンを食べ,ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る」。
20 この後,アダムは自分の妻をエバと名づけた。彼女は生きているすべての者の母となるからであった。
21 それからエホバ神は,アダムとその妻のために皮の長い衣を作って,ふたりにお着せになった。
22 次いでエホバ神はこう言われた。「さあ,人は善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった。今,彼が手を出してまさに命の木からも[実を]取って食べ,定めのない時まで生きることのないように―」。
23 そうしてエホバ神は彼をエデンの園から出し,彼が取られたその地面を耕させた。
24 こうして[神]は人を追い出し,エデンの園の東にケルブたちと自ら回転しつづける剣の燃える刃とを配置して命の木への道を守らせた。
4章
さて,アダムはその妻エバと交わりを持ち,彼女は妊娠した。やがて彼女はカインを産んで,こう言った。「わたしはエホバの助けでひとりの男子を産み出した」。
2 後に彼女は再び子を産んだ。彼の兄弟アベルである。
そしてアベルは羊を飼う者となり,カインのほうは地面を耕す者となった。

アダムの子孫は、つまり、人類すべてはアダムが罪を犯した後で産まれた子供たちです。
それゆえ、アダムの罪はすべての人に「受け継がれた」のです。

この罪は、例えば親が殺人者なら子供も殺人者になるということではありません。
この罪は、いわば両親が白人なら子供も白人に生まれると言ったようなものです。
受け継いだ「性質」と言えるものです。

このため、アダムが自分の罪のために死んだように、アダムの子孫すべても「受け継いだ罪」のために死ぬようになったのです。

あなたは、人が死ぬようになった理由を知ってどう思いますか。
自分は罪を犯していないのに、親の罪のために死ぬと言われているようなものなのです。
普通なら「そんな理不尽な」と思うはずです。

しかし、すべての人は実際多くの罪を犯しているのは事実です。
人は咎められないので罪を自覚していないだけなのです。
繰り返しますが、ローマ3:23で、「すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しない」と述べられている通りなのです。
この罪はアダムから受け継いだ罪とは別のもの、自分が犯した罪のことです。
自分で犯した罪に関しては自分が負うべきものです。
実際、神が人を裁く時には自分の振る舞いや行いや犯した罪(神から見た罪)に関してなのです。

自分は罪を犯していないと断言出来る人がいるでしょうか。
答えは「否」です、一人もいないのです。
したがって、人は自分が犯した罪と、「自分が犯したのではない[受け継いだ罪]の[二つの理由]で死んで行く」のです。

神に対するこうした罪を人は自分の力では塗り消すことは出来ません。
そこで神はその「死をもたらすアダムから受け継いだ罪から解放する手段」を講じて下さったのです。
そうしなくても神は人が死なないように出来るはずではないか、なぜそのようにしないのかという疑問もあると思います。

これには神が人をどのような者として創造したのかという点と深い関わりがあるのです。

神は人を人間以外の生き物のように創造したのではありません。
創世記1章には次のように記されています。
26 次いで神は言われた,「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。
27 そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された。
28 さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。
29 次いで神は言われた,「さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。
30 そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。

人間は「神の像」に創造されたのです。
分り易く簡単に言えば、神のように「自分で考え行動」する者として造られたということです。
そして、神は人間のすることを自由にさせ殆ど介入しません。
それゆえ、いろんな人が出てきたりいろんなことをする人がいる訳です。
初めから人の考えや行動に制限を加えることはしていないのです。
神が人間に与えた命令はアダムが罪を犯しても少しも変わってはいません。
しかし、人間が自分ですることに対しては神はその責任を問うのです。
アダムの罪と罰がそれを示しています。
アダムの罪は神の初めの命令に従わなかったのではなく、後で付け加えられた「食べてはならない」という、いわば「おきて」に従わなかったことなのです。

しかし、この出来事は、神が「おきて」を与え人の行動に制限を加えたことが正しいものだったのかという疑問を生じさせたことは間違いありません。(神の人を支配するその方法に対する疑問)

また、人は試練に遭うと神の「おきて」に従わない、あるいは、従えないのではないかという疑問も生じさせることになったのです。(神に対する人の忠誠心に対する疑問)

こうした経緯(いきさつ)を見ていた神のみ使いたちには何が正しいのかは分りません。

そのため、神はこのすべてを見ていたみ使いたちにその答えを示す必要が生じたのです。
この疑問はエデンの蛇(実際には、エデンの園で二人を見守っていたケルブ)が提起したものです。
-創世記3:1-5

加えて、神は「食べたら死ぬ」とも言われましたので、神は力を持って罪を犯した人間を強制的に「変える」ことが出来ないのです。

神は蛇である悪魔と人間が明確な答えを示すための時間を設けられました。
その時間は6000年という非常に長い期間です。
ですから、未だに人は死んで行くのです。

答えは既にイエスによって証明されていますから、後はその時が満了するだけなのです。
満了した時がすなわち、今の世の終わりなのです。

イエスによって証明されてから、世の終わりまで「長い時間」が掛かっているのは、別の理由があるのです。
それは、義人である大勢の人々を救うための時間でもあるのです。

では、このアダムから受け継いだ罪から人は解放されることは出来ないのでしょうか。
つまり、病気や死や争いや犯罪などから逃れることは出来ないのでしょうか。

人が救われるとは、「アダムから受け継いだ罪を塗り消していただく」ということなのです。

その方法については以下に示します。

罪の許しに関してイエスは次のように述べています。
マタイ20:28
28 ちょうど人の子が,仕えてもらうためではなく,むしろ仕え,自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来たのと同じです」。

マタイ26:28
28 これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。

バプテストのヨハネはイエスのことを次のように述べています。
ヨハネ1:29
29 次の日,彼は,イエスが自分のほうに来るのに目を留めて,こう言った。「見なさい,世の罪を取り去る,神の子羊です!
 30 これこそ,わたしの後に,わたしの前を進んだ人が来る,わたしより先に存在された方だから,とわたしが言ったその方です。
31 わたしもこの方を知りませんでしたが,わたしが水でバプテスマを施しに来たのは,この方がイスラエルに明らかにされるためでした」。
32 ヨハネはまた証しをしてこう言った。「わたしは,霊が天からはとのように下って来るのを見ましたが,それはこの方の上にとどまりました。
33 わたしもその方を知りませんでしたが,水でバプテスマを施すようにわたしを遣わした方が,『あなたは霊が下ってある人の上にとどまるのを見るが,それがだれであろうと,その者こそ聖霊でバプテスマを施す者である』とわたしに言われました。
34 そしてわたしは[それを]見たので,この方こそ神の子であると証ししたのです」。

パウロは次のように述べています。
ローマ7:15-21
15 しかし,賜物の場合は罪過の場合と異なっています。一人の人の罪過によって多くの者が死んだのであれば,神の過分のご親切と,一人の人イエス・キリストの過分のご親切を伴う[神]の無償の賜物とは,いよいよ多くの者に満ちあふれるからです。
16 また,無償の賜物の場合は,罪をおかした一人[の人]を通して物事が作用した場合と異なっています。裁きは一つの罪過から有罪宣告に至りましたが,賜物は多くの罪過から義の宣言に至ったからです。
17 というのは,一人[の人]の罪過により,その人を通して死が王として支配したのであれば,まして,過分のご親切と無償の賜物である義とを満ちあふれるほどに受ける者たちは,一人[の方]イエス・キリストを通し,命にあって王として支配するからです。
18 こうして,一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果が有罪宣告であったのと同じように,正しさを立証する一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。
19 一人の人の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人[の方]の従順を通して多くの者が義とされるのです。
20 さて,律法は,罪過が満ちあふれるために入り込んで来ました。しかし,罪が満ちあふれたところでは,過分のご親切がなおいっそう満ちあふれました。
21 何のためですか。罪が死を伴って王として支配したのと同じように,過分のご親切もまた,わたしたちの主イエス・キリストを通して来る永遠の命の見込みを伴いつつ,義によって王として支配するためでした。

コリント(一)15:20‐22、45
20 しかしながら,今やキリストは死人の中からよみがえらされ,[死の]眠りについている者たちの初穂となられたのです。
21 死がひとりの人を通して来たので,死人の復活もまたひとりの人を通して来るのです。
22 アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです。
45 まさにそう書かれています。「最初の人アダムは生きた魂になった」。最後のアダムは命を与える霊になったのです。(最後のアダムとはイエス・キリストのことです)

ローマ3:24
24 彼らがキリスト・イエスの[払った]贖いによる釈放を通し,[神]の過分のご親切によって義と宣せられるのは,無償の賜物としてなのです。

エフェソス1:7
7 わたしたちはこの方により,その血を通してなされた贖いによる釈放,そうです,[わたしたちの]罪過の許しを,その過分のご親切の富によって得ているのです。

コロサイ1:14
14 この[み子]によって,わたしたちは贖いによる釈放,すなわち罪の許しを得ています。
15 彼は見えない神の像であって,全創造物の初子です。
16 なぜなら,[他の]すべてのものは,天においても地においても,見えるものも見えないものも,王座であれ主権であれ政府であれ権威であれ,彼によって創造されたからです。[他の]すべてのものは彼を通して,また彼のために創造されているのです。
17 また,彼は[他の]すべてのものより前からあり,[他の]すべてのものは彼によって存在するようになりました。
18 そして彼は体である会衆の頭です。彼は初めであり,死人の中からの初子です。それは,彼がすべての事において最初の者となるためでした。
19 なぜなら,[神]は満ち満ちたさまが余すところなく彼のうちに宿ることをよしとし,
20 また,苦しみの杭の上で[彼の流した]血を通して平和を作ることにより,地上のものであれ天にあるものであれ,[他の]すべてのものを彼を通して再びご自分と和解させることを[よしとされた]からです。
21 そうです,思いが邪悪な業に向けられていたためにかつては疎外され,また敵となっていたあなた方を,
22 [神]は今やこの方の肉の体により,[その]死を通して,再び和解させてくださったのです。

テモテ(一)2:5-6
4 [神]のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ることなのです。
5 神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであって,
6 この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです―[このことは]そのために特に定められた時に証しされるのであり,
7 わたしはその証しのために,宣べ伝える者,また使徒―わたしは真実を告げており,偽りを語ってはいません―信仰と真理に関して諸国民を教える者として任命されました。

神が「アダムの犯した罪を受け継いだ人類のその罪から解放する」には、アダムと同等の人間がアダムが犯した罪を贖う必要があるのです。
これは道理です。

実際、アダムは神により創造され、イエスは天における創造の初めであり、いわばともに「神の子」でした。
神がアダムの犯した罪を「ただ塗り消す」ことの方が理屈に合いません。
それゆえ、罪に対する罰は死ですが、その罪は子孫に受け継がれいつまでも残ったままです。
この罪を塗り消していただくにはその代償が必要なのです。
しかしながら、アダムの犯した罪を贖うことの出来る人間は一人もいないのも事実です。
なぜなら、すべての人はアダムの子孫でありアダムの罪を受け継いでいるからです。
そこで、神はアダムの犯した罪を贖う「人」をアダムの子孫のために「備えて下さった」のです。
それが人間イエス・キリストであり、イエス・キリストの犠牲の死を「贖い」と述べられてもいるのです。
この人間イエス・キリストは神の力によって天から遣わされた者です。
天で神のみ使いの一人として存在していた神の独り子の命を人間の女(処女マリア)の胎内に移され生まれたのが人間イエス・キリストなのです。

ですから、人間イエス・キリストは他の人間が持っているアダムから受け継がれた罪を持っていないのです。
そして、イエスは自分が神により人間として地上に遣わされた理由を人々に伝え自分の犠牲の死を通して人々が救われ「永遠の命」を持てる「道を開いてくれた」のです。

この点使徒ヨハネは次のように記しています。
ヨハネ3:1-17
さて,ひとりのパリサイ人がいた。ニコデモというのがその名であり,ユダヤ人の支配者のひとりであった。
2 この人が夜に彼のところに来て,こう言った。「ラビ,わたしたちは,あなたが教師として神のもとから来られたことを知っております。神が共におられない限り,あなたがなさるこうしたしるしを行なえる者はいないからです」。

3 イエスは答えて言われた,「きわめて真実にあなたに言いますが,再び生まれなければ,だれも神の王国を見ることはできません」。
4 ニコデモは彼に言った,「どうして人は年を取ってから生まれることができるでしょうか。自分の母の胎にもう一度入って生まれてくることなどできないではありませんか」。
5 イエスは答えられた,「きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです。
6 肉から生まれたものは肉であり,霊から生まれたものは霊です。
7 わたしがあなたに,あなた方は再び生まれなければならないと言ったからといって,驚いてはなりません。
8 風はその望む所に吹き,あなたはその音を聞いても,それがどこから来てどこへ行くのかを知りません。霊から生まれた者も皆そのようです」。
9 ニコデモは答えて彼に言った,「どうしてそのような事が起こるのでしょうか」。
10 それに答えてイエスは彼に言われた,「あなたはイスラエルの教師でありながら,こうしたことが分からないのですか。
11 きわめて真実にあなたに言いますが,わたしたちは自分の知っていることを話し,自分の見たことについて証しするのですが,あなた方はわたしたちのする証しを受け入れません。
12 わたしが地上の事柄を話してもあなた方が信じないのであれば,天の事柄を話したとしても,どうして信じるでしょうか。
13 そのうえ,天から下った者,すなわち人の子のほかには,だれも天に上ったことがありません。
14 そして,モーセが荒野で蛇を挙げたと同じように,人の子も挙げられねばなりません。
15 それは,彼を信じる者がみな永遠の命を持つためです。
16 「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされたからです。
17 神はご自分の子を世に遣わされましたが,それは,彼が世を裁くためではなく,世が彼を通して救われるためなのです。

このイエスは次のように述べています。
ヨハネ14:6
6 イエスは彼に言われた,「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません。

罪とその贖いに関してパウロは次のようにハッキリと述べています。
少し長いですが要点をくみ取って頂きたいと思います。
ローマ4:13-8:2
13 というのは,世の相続人となるという約束をアブラハムとその胤が得たのは,律法を通してではなく,信仰による義を通してであったからです。
14 律法を堅く守る者たちが相続人であるのなら,信仰は無用となり,その約束は廃棄されたことになります。
15 実際のところ,律法は憤りを生じさせ,律法のないところには違犯もないのです。
16 このような訳で,それは信仰の結果でした。それが過分のご親切によるものとなって,その約束が彼の胤すべてに,すなわち,律法を堅く守る者だけでなく,アブラハムの信仰を堅く守る者に対しても,確かなものとなるためでした。(彼はわたしたちすべての父であり,
17 「わたしはあなたを任じて多くの国の民の父とした」と書かれているとおりです。)これは,彼が信仰を抱いていた方,すなわち,死人を生かし,無い物を有るかのように呼ばれる,その神のみ前においてのことでした。
18 達しがたい希望ではありましたが,それでも希望をよりどころとして彼は信仰を抱きました。それは,「あなたの胤もそのようであろう」と言われたところにしたがって,彼が多くの国の民の父となるためでした。
19 そして彼は,信仰においては弱くなりませんでしたが,およそ百歳であったので,自分の体がすでに死んだも同然であること,またサラの胎が死んだ状態にあることを思い見ました。
20 しかし,神の約束のゆえに,信仰を欠いてたじろいだりすることなく,むしろ信仰によって強力になり,神に栄光を帰し,
21 また,[神]はご自分の約束した事を果たすこともできるのだと十分に確信していました。
22 ゆえに,「彼に対してそれは義とみなされた」のです。
23 しかしながら,「彼に対してそれが[そのように]みなされた」ということは,ただ彼のためだけでなく,
24 [同じように]みなしていただくことになっているわたしたちのためにも書かれたのです。わたしたちは,わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせた方を信じて頼っているからです。
25 [イエス]はわたしたちの罪過のために引き渡され,わたしたちを義と宣するためによみがえらされたのです。
5章
それゆえ,わたしたちは信仰の結果義と宣せられたのですから,わたしたちの主イエス・キリストを通して神との平和を楽しもうではありませんか。
2 この[キリスト]を通して,わたしたちは,自分たちがいま立っているこの過分のご親切に,信仰によって近づくことができました。それで,神の栄光の希望をよりどころとして,歓喜しようではありませんか。
3 それだけでなく,患難にあっても歓喜しましょう。患難が忍耐を生じさせることをわたしたちは知っているからです。
4 かわって,忍耐は是認を受けた状態を,是認を受けた状態は希望を[生じさせ],
5 その希望が失望に至ることはありません。神の愛が,わたしたちに与えられた聖霊を通して,わたしたちの心の中に注ぎ出されているからです。
6 実に,キリストは,わたしたちがまだ弱かった間に,不敬虔な者たちのため,定められた時に死んでくださったのです。
7 義なる[人]のために死ぬ者はまずいません。もっとも,善良な[人]のためなら,あるいはだれかがあえて死ぬこともあるかもしれません。
8 ところが神は,わたしたちがまだ罪人であった間にキリストがわたしたちのために死んでくださったことにおいて,ご自身の愛をわたしたちに示しておられるのです。
9 それゆえ,わたしたちは[キリスト]の血によって今や義と宣せられたのですから,ましてこの方を通して憤りから救われるはずです。
10 わたしたちが敵であった時にみ子の死を通して神と和解したのであれば,まして和解した今,[み子]の命によって救われるはずだからです。
11 それだけではありません。わたしたちはさらに,わたしたちの主イエス・キリストを通し,神にあって歓喜しています。この[キリスト]を通して,わたしたちは今や和解を授かったのです。
12 それゆえ,一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が[入り],こうして死が,すべて[の人]が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がったのと同じように―。
13 というのは,律法以前にも罪は世にあったからです。ただ,律法がなければだれも罪の責めを受けないのです。
14 それにもかかわらず,死はアダムからモーセに至るまで,アダムの違犯と同様の罪をおかさなかった者に対しても王として支配しました。[アダム]は来たるべき方と類似していました。
15 しかし,賜物の場合は罪過の場合と異なっています。一人の人の罪過によって多くの者が死んだのであれば,神の過分のご親切と,一人の人イエス・キリストの過分のご親切を伴う[神]の無償の賜物とは,いよいよ多くの者に満ちあふれるからです。
16 また,無償の賜物の場合は,罪をおかした一人[の人]を通して物事が作用した場合と異なっています。裁きは一つの罪過から有罪宣告に至りましたが,賜物は多くの罪過から義の宣言に至ったからです。
17 というのは,一人[の人]の罪過により,その人を通して死が王として支配したのであれば,まして,過分のご親切と無償の賜物である義とを満ちあふれるほどに受ける者たちは,一人[の方]イエス・キリストを通し,命にあって王として支配するからです。
18 こうして,一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果が有罪宣告であったのと同じように,正しさを立証する一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。
19 一人の人の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人[の方]の従順を通して多くの者が義とされるのです。
20 さて,律法は,罪過が満ちあふれるために入り込んで来ました。しかし,罪が満ちあふれたところでは,過分のご親切がなおいっそう満ちあふれました。
21 何のためですか。罪が死を伴って王として支配したのと同じように,過分のご親切もまた,わたしたちの主イエス・キリストを通して来る永遠の命の見込みを伴いつつ,義によって王として支配するためでした。
6章
そこで,わたしたちは何と言えばよいでしょうか。過分のご親切が満ちあふれるために,罪のうちにとどまるべきですか。
2 断じてそのようなことはないように! わたしたちは罪に関しては死んだのですから,どうしてなおもそのうちに生きつづけてよいでしょうか。
3 それともあなた方は知らないのですか。キリスト・イエスへのバプテスマを受けたわたしたちすべては,その死へのバプテスマを受けたのです。
4 ですから,彼の死へのバプテスマ[を受けたこと]によって,わたしたちは彼と共に葬られたのです。それは,キリストが父の栄光によって死人の中からよみがえらされたのと同じように,わたしたちも命の新たな状態の中を歩むためです。
5 彼の死と似た様になって彼と結ばれたのであれば,わたしたちは必ず,彼の復活と[似た様になって]やはり[彼と結ばれる]のです。
6 わたしたちが知るとおり,わたしたちの古い人格は[彼]と共に杭につけられたのであり,それは,罪深い体が無活動にされて,もはや罪に対する奴隷とはならないためです。
7 死んだ者は[自分の]罪から放免されているのです。
8 さらに,キリストと共に死んだのであれば,彼と共に生きるようになることをもわたしたちは信じています。
9 死人の中からよみがえらされた今,キリストはもはや死なないということを,わたしたちは知っているからです。死はもはや彼に対して主人ではありません。
10 彼の遂げた死,それは罪に関してただ一度かぎり遂げた死であったからです。また,[いま]生きておられる[命],それは神に関して生きておられる[命]なのです。
11 あなた方も同様です。自分を,罪に関してはまさしく死んだもの,しかし,神に関してはキリスト・イエスによって生きているものとみなしなさい。
12 それゆえ,罪があなた方の死ぬべき体の中で引き続き王として支配し,あなた方が[体]の欲望に従うということがあってはなりません。
13 また,あなた方の肢体を引き続き不義の武器として罪に差し出してもなりません。むしろ,自分を死人の中から生き[返っ]たものとして神に差し出し,また自分の肢体を義の武器として神に[差し出し]なさい。
14 律法のもとにではなく過分のご親切のもとにある以上,罪があなた方の主人となってはならないからです。
15 ではどうなりますか。わたしたちは,律法のもとにではなく過分のご親切のもとにいるがゆえに罪を犯すのですか。断じてそのようなことはないように!
16 あなた方は,自分を奴隷としてだれかに差し出してそれに従ってゆくなら,その者に従うがゆえにその奴隷となり,死の見込みを伴う罪の[奴隷]とも,あるいは義の見込みを伴う従順の[奴隷]ともなることを知らないのですか。
17 しかし,神に感謝すべきことに,あなた方は罪の奴隷であったのに,その導き渡された教えの様式に心から従順になりました。
18 そうです,あなた方は罪から自由にされ,そのゆえに義に対する奴隷となったのです。
19 わたしは,あなた方の肉の弱さのために人間的な言い方をします。あなた方は,[かつて]自分の肢体を,不法の見込みを伴う不法と汚れに対する奴隷として差し出したように,今は自分の肢体を,神聖さの見込みを伴う義に対する奴隷として差し出しなさい。
20 罪の奴隷であった時,あなた方は義については自由であったのです。
21 では,あなた方がその当時得ていたのはどんな実でしたか。それは,あなた方が今では恥じているものです。その終わりは死であるからです。
22 しかし,今あなた方は罪から自由にされて神に対する奴隷となったので,神聖さの面で自分の実を得ており,その終わりは永遠の命です。
23 罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命だからです。
7章
兄弟たち,律法が人に対して主人となるのはその人が生きている間であるということを,あなた方は知らないのでしょうか。(わたしは,律法を知っている人たちに話しているのです。)
2 例えば,結婚している女は,夫が生きている間は律法によって彼のもとに縛られています。しかし,夫が死ねば,彼女は夫の律法から解かれます。
3 それですから,夫が生きている間に別の男のものとなったとすれば,その女は姦婦ととなえられるでしょう。しかし,夫が死ねば,その女は彼の律法から自由になるので,別の男のものとなったとしても,姦婦ではありません。
4 それで,わたしの兄弟たち,あなた方も,キリストの体により律法に対して死んだものとされたのです。それは,あなた方が別の方のもの,死人の中からよみがえらされた方のものとなって,わたしたちが神への実を結ぶためです。
5 わたしたちが肉にしたがっていた時には,律法によってかき立てられた罪深い情欲がわたしたちの肢体のうちに働いて,わたしたちに死への実を生み出させていたのです。
6 しかし,今やわたしたちは律法から解かれました。自分たちが堅く抑えられていたものに対して死んだからです。それは,霊によって新しい意味での奴隷となり,書かれた法典による,古い意味での[奴隷とはなら]ないためです。
7 では,わたしたちは何と言えばよいでしょうか。律法が罪なのですか。断じてそうはならないように! 実際,律法がなかったなら,わたしは罪を知ることはなかったでしょう。たとえば,律法が,「あなたは貪ってはならない」と言っていなかったら,わたしは貪欲ということを知らなかったでしょう。
8 しかし,罪はおきてを通して誘いを受け,わたしのうちにあらゆる貪欲を生み出しました。律法がなければ,罪は死んでいたのです。
9 事実,わたしはかつて律法なしに生きていました。しかしおきてが到来した時,罪は生き返り,わたしは死にました。
10 そして,命に至らせるおきて,わたしはこれが,死に至らせるものであることを見いだしました。
11 罪はおきてを通して誘いを受け,わたしをたぶらかし,それを通してわたしを殺したのです。
12 それゆえに,律法そのものは聖なるものであって,おきては聖にして義にかない,良いものです。
13 では,良いものがわたしにとって死となったのですか。断じてそのようなことはないように! そうではなく,罪がそうなったのです。それが良いものを通してわたしに死を生み出すそうした罪として示されるためであり,罪がおきてを通していよいよ罪深いものとなるためでした。
14 わたしたちが知っているとおり,律法は霊的なものであるからです。しかしわたしは肉的であって,罪のもとに売られているのです。
15 わたしは自分の生み出しているものを知らないからです。自分の願うところ,それをわたしは実践せず,かえって自分の憎むところ,それを行なっているのです。
16 しかし,自分の願わないところ,それがわたしの行なうところとなっているなら,わたしは,律法がりっぱなものであることに同意しているのです。
17 しかし今,それを生み出しているのはもはやわたしではなく,わたしのうちに住む罪です。
18 わたしは自分のうち,つまり自分の肉のうちに,良いものが何も宿っていないことを知っているのです。願う能力はわたしにあるのですが,りっぱな事柄を生み出す能力はないからです。
19 自分の願う良い事柄は行なわず,自分の願わない悪い事柄,それが自分の常に行なうところとなっているのです。
20 では,自分の願わない事柄,それがわたしの行なうところであるなら,それを生み出しているのはもはやわたしではなく,わたしのうちに宿っている罪です。
21 そこでわたしは,自分の場合にこの法則を見いだします。自分では正しいことをしたいと願うのに,悪が自分にあるということです。
22 わたしは,内なる人にしたがえば神の律法をほんとうに喜んでいますが,
23 自分の肢体の中では別の律法がわたしの思いの律法と戦い,わたしをとりこにして肢体の中にある罪の律法へと引いて行くのを見ます。
24 わたしは実に惨めな人間です! こうして死につつある体から,だれがわたしを救い出してくれるでしょうか。
25 わたしたちの主イエス・キリストを通してただ神に感謝すべきです! こうして,わたし自身は,思いでは神の律法に対する奴隷ですが,肉においては罪の律法に対する[奴隷]なのです。
8章
こういうわけで,キリスト・イエスと結ばれた者たちに対して有罪宣告はありません。
2 キリスト・イエスと結びついた命を与える霊,その[霊]の律法が,あなたを罪と死の律法から自由にしたからです。
(参考:罪と死から自由にされましたが、実際彼らは皆死にました。
 しかし、霊によって生かされたのです。
 つまり、イエス・キリストと同じように一度死にましたが復活し今も生きています)

信仰の重要性とイエス・キリストの贖いの犠牲とそれに対する信仰によって、霊の律法へと導かれ「アダムから受け継いだ」「罪と死」から自由に、つまり、それを塗り消していただけるということです。
そして、これは神の無償の賜物、つまり、神の過分のご親切だということなのです。
神に対してどんなに立派なことをしても義人、忠実な人であっても人間の方から神に要求出来るものではありません。
すべては神の賜物であり、過分のご親切によるものなのです。

したがって、アダムから受け継いだ罪と死を塗り消すことが出来るのは神とイエス・キリストのみであり、それはイエス・キリストに信仰を働かせることで罪から義へ、死から命へと移して頂けるのです。
繰り返しますが、これは神の無償の賜物、過分のご親切なのです。

では、ただ神とイエス・キリストに信仰を働かせるだけで十分なのでしょうか。
ヤコブは次のように述べています。
ヤコブ2:14-26
14 わたしの兄弟たち,ある人が,自分には信仰があると言いながら,業が伴っていないなら,それは何の益になるでしょうか。その信仰はその人を救うことができないではありませんか。
15 兄弟か姉妹が裸の状態でいて,その日の食物にも事欠くのに,
16 あなた方のうちのだれかが,「安らかに行きなさい。暖かくして,じゅうぶん食べなさい」と言うだけで,体に必要な物を与えないなら,それは何の益になりますか。
17 このように信仰も,業が伴っていないなら,それだけでは死んでいるのです。
18 しかしながら,ある人はこう言うことでしょう。「あなたには信仰があり,わたしには業があります。業を別にしたあなたの信仰をわたしに見せてください。そうすれば,わたしは自分の信仰を自分の業によってあなたに見せてあげましょう」。
19 あなたは,ただひとりの神がおられることを信じているというのですね。なるほどそれはりっぱです。ですが,悪霊たちも信じておののいているのです。
20 しかし,ああ,むなしい人よ,あなたは,業を別にした信仰が無活動であることを知りたいと思いますか。
21 わたしたちの父アブラハムは,自分の息子イサクを祭壇の上にささげた後に業によって義と宣せられたのではありませんでしたか。
22 あなた方は,[彼の]信仰がその業と共に働き,[彼の]業によって[その]信仰が完全にされたのを見ています。
23 そして,「アブラハムはエホバに信仰を置き,彼に対してそれは義とみなされた」と述べる聖句が成就され,彼は「エホバの友」と呼ばれるようになりました。
24 これで分かるように,人は業によって義と宣せられるのであって,ただ信仰だけによって[義と宣せられ]るのではありません。
25 同じように,娼婦ラハブも,使者たちを親切に迎え,彼らを別の道から送り出したのち,業によって義と宣せられたのではありませんでしたか。
26 実際に,霊のない体が死んだものであるように,業のない信仰も死んだものなのです。

では、イエス・キリストに信仰を働かせるとはどいうことでしょうか。
それは、以前の生き方を悔い改め、神を全幅に信頼し神が与えてくれると約束している事柄に希望と期待を抱くことであり神とイエスの教えに従った新しい生き方をするということです。

すべての人には「悔い改め」が必要です。-マタイ24:44-47
ただし、今の命で満足しているか、あるいは、今の生活を望むならこの限りではありません。

なぜなら、その人たちには「死」しかないからです。
また、初めから命の書から除外されている人々もいることも事実です。-啓示13:8

誰しも病気もせずに長生きをし自分の生きたいように生きることを望むものです。
それでも生まれ育った環境などのために思うような生き方を出来ない人は地球上には大勢います。
80億人すべての人がそうと言えるかも知れません。

しかし、自分が置かれている状況について正しく知っている人は少ないものです。
例えば、今の事物の体制の神は「悪魔」であることを意識し、また、自覚している人は殆どいません。
人がなぜ病気になり死んで行くのかその理由を知っている人は殆どいません。
人はなぜ争い、殺し合いをするのかその理由を知っている人は殆どいません。
地球や人類の将来がどうなるかを知っている人は殆どいません。
聖書に永遠の命について書かれていることを知っている人は少ないものです。
イエス・キリストについて名前や生涯について知っていてもイエスの父なる神について知っている人は少ないものです。

すべてを初めから知ることは不可能です。
しかし、肝心な点を示すことは出来ます。

繰り返しになりますが、聖書にはすべての人は罪人であると記されています。-ローマ5:12-14
これを生まれつき自覚している人はいませんし、殆どの人は法律や道徳に反しない限り罪を犯したと考える人はいません。
物心つく前の子供たちは善悪に関して何も知らないので善いことも悪いことも思いのままに振る舞うものです。
知らないから罪はないと考えることは出来ませんし、すべての人は多くの過ちを犯すことも事実です。
罪を犯したのが人間でその人間に罰を与えたのは神であることを知っている人は少ないものです。
この罪は祖先から受け継いだものですから誰も神とキリストの介在なしにこれを取り除くことは出来ないのです。
それを教えているのが聖書なのです。

「悔い改める」とは、無知であった時の生き方を悔い改め、神のご意志と調和した生き方に転向することです。
したがって、それまでの生き方、生活上の振る舞いなどを改める必要があります。

その以前の生き方とは、神を知らなかった時に普通にやっていたことで特に犯罪のことを述べている訳ではありません。
「悪」とは神の考えに反する考えや神がしてはならないと述べていることなどをすることですから、生活が180度一変する訳でもありません。
悔い改めたら今日から突然修行僧や修道女や僧職者のような生き方をしなければならないというものではないということです。
今迄の生き方、考え方を少し変えるだけで済む場合が殆どなのです。

悔い改めには、悔い改めにふさわしい行動が求められますが、初めは「心の中」だけでも良いのです。
少しずつ変わることが出来れば良いのです。
神はすべての人が救われることを望んでおられ、親切と辛抱を耐え忍んでおられるからです。

 

ペテロ(二)3:8-9
8 しかし,愛する者たちよ,この一事を見過ごしてはなりません。エホバにあっては,一日は千年のようであり,千年は一日のようであるということです。
9 エホバはご自分の約束に関し,ある人々が遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなた方に対して辛抱しておられるのです。

テモテ(一)2:4
4 [神]のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ることなのです。

更に、悔い改めるべき事柄として次のことが列挙されています。
参考にしてみて下さい。
ペテロ(一)4:3
3 というのは,過ぎ去った時の間,あなた方は,みだらな行ない,欲情,過度の飲酒,浮かれ騒ぎ,飲みくらべ,無法な偶像礼拝に傾いていましたが,諸国民の欲するところを行なうのは[それで]十分だからです。

ヨハネ(一)2:15-17
15 世も世にあるものをも愛していてはなりません。世を愛する者がいれば,父の愛はその人のうちにありません。
16 すべて世にあるもの―肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと―は父から出るのではなく,世から出るからです。
17 さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります。

詩編141:3、4
3 エホバよ,わたしの口のために見張りを置いてください。
わたしの唇の戸に監視を置いてください。
4 わたしの心をどんな悪にも傾けさせないでください。
有害なことを習わしにしている者たちと共に,
重大な悪事を行なうことのないためです。
それは,わたしが彼らの美食で自分を養うことのないためです。

箴言6:16-19
16 エホバの憎まれるものが六つある。いや,その魂にとって忌むべきものが七つある。
17 高ぶる目,偽りの舌,罪のない血を流している手,
18 有害な企てをたくらむ心,急いで悪に走る足,
19 うそを吐く偽りの証人,そして兄弟の間に口論を送り出す者である。

ヤコブ2:9、4:13-17
9 しかし,相変わらず[人を]偏り見るのであれば,あなた方は罪をおかしているのです。律法により違犯者として戒められていることになるからです。

13 さあ,「今日か明日,わたしたちはこの都市に旅してそこで一年過ごし,商売をしてもうけることにしよう」と言う人たちよ,
14 あなた方は,あす自分の命がどうなるかも知らないのです。あなた方は,少しのあいだ現われては消えてゆく霧のようなものだからです。
15 むしろ,「もしエホバのご意志であれば,わたしたちは生きていて,これを,あるいは,あれをすることでしょう」と言うべきです。
16 しかし今,あなた方は独り善がりの自慢を誇りとしています。そのような誇りはすべてよこしまなものです。
17 したがって,正しいことをどのように行なうかを知っていながら行なわないなら,それはその人にとって罪なのです。 

更に、
テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。
2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6-テモテ(二)3:1-5 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
-ガラテア5:19-21

エフェソス5章
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。
5 淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。   
-エフェソス5:1-6

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-8 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
略
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告)
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。

さて、心の拠り所として神に従い神に祈るならこうした「悪」から遠ざかることです。
そうすれば、神の憐みと過分のご親切を受けることになるかも知れません。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

※  あなたの疑問にお答えします。
  コメントではなくプロフィールからメッセージを下されば誰にも知られず質問出来ます。
  誰でも無償で質問出来ます。
  ただし、議論には対応できかねますので、当方からの返答をよく吟味して頂きたいと思います。

クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

前文です。
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。
略
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告)
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)
  

 

今回は、神との向き合い方という話です。

神との向き合い方を考えた人はそれ程いないかもしれません。
しかし、神に祈願をするなら、人はまず神を知る必要があります。

まず初めに、神にはいわゆる人と同じように「人格」があるということです。

神はご自分の造った天地人の自然の法則を維持しなければなりません。
このために日夜働いているとイエスは述べています。-ヨハネ5:17
加えて、一度話した発言や考えや振る舞いを変えることが出来ません。
これは、いわゆるおきてや律法や裁きなどに関してです。
変えることは神が間違っていたことを示す場合もあるからです。
しかし、物事の進展に合わせて調整することはあります。
つまり、初めから物事を決めていないなどの場合です。
例えば、神は人を創造し命令と一つおきてを与えましたがそれ以外は何も述べてはいません。

-創世記1:26-30、2:1-17

神は人間を「神の像」に創造されたので、人間も、理知も人格も初めから、生まれた時から備わっているのです。
つまり、神は命令した事柄以外は初めから人間をどうするかあるいはどうなるかということは決めてはいないということです。
ですから、ノアの大洪水前の地上の[悪い]状態を悔やみ滅ぼすことを決めたのです。-創世記6:1-8
人々の各々の生き方についても同じです。

つまり、罰や報いを与えたりご自分の考えを伝えたり何かをする時など以外人間のすることに、個人であれ組織あるいは集団であれ介入しないということです。
ですから、いろんな人がいたり出てきたり集団が出来たりするわけです。

それゆえ、神がアブラハムと関係を持たれたことは特別なことだったのです。
神は人々の考え、振る舞い、行いなどを観察し善人と悪人、義人、不義の人、聖なる者、愚かな者、糞土のような者、どうしようもない者などに区別していることも確かです。
例えば、ソドムとゴモラの人々は天からの火によって滅ぼされました。
神の民であったイスラエルも結果的には滅ぼされました。
イスラエルが神に忠実に律法を守っていれば滅ぼされることはなかったのです。
そして、人類の中で特別な存在、国家となることが約束されていたのです。-出エジプト記19:3-6
こうした一方で、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨブ、ヨシュア、裁き人、サムエル、ダビデ、ダニエル、エズラ、ネヘミヤ、エレミヤ、エゼキエル、そして、バプテストのヨハネ、改宗したパウロ、ペテロやヨハネなどの使徒たちなどがいて彼らは神に是認された人々です。
こうした人々はキリストの世で神により復活させられ歓ばしい報いを受けることになります。

 

また、神は人に関わることに関しては何事も告げてから出ないと行いません。-イザヤ46:10

神は「預言者」でもあります。

神はモーセに話した通りの存在なのです。
出エジプト記34:4-7
4 そこでモーセは初めのものと同じような石の書き板二枚を切り出し,朝早く起きて,エホバが命じたとおりシナイ山に上って行った。その手に石の書き板二枚を携えていた。
5 するとエホバは雲のうちにあって下って来られ,彼と共にそこに立ち,エホバの名を宣明された。
6 そしてエホバは彼の顔の前を過ぎ行きつつ,こう宣明された。「エホバ,エホバ,憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神,
7 愛ある親切を幾千[代]までも保ち,とがと違犯と罪とを赦す者。しかし,処罰を免れさせることは決してせず,父のとがに対する処罰を子や孫にもたらして,三代,四代に及ぼす」。

さらには、
出エジプト記3:13-15
13 それでもモーセは[まことの]神に言った,「わたしが今イスラエルの子らのもとに行って,『あなた方の父祖の神がわたしをあなた方のもとに遣わした』と言うとしても,『その方の名は何というのか』と彼らが言うとすれば,わたしはこれに何と言えばよいでしょうか」。
14 すると神はモーセに言われた,「わたしは自分がなるところのものとなる」。そしてさらに言われた,「あなたはイスラエルの子らにこう言うように。『わたしはなるという方がわたしをあなた方のもとに遣わされた』」。
15 そののち神はもう一度モーセに言われた,
「あなたはイスラエルの子らにこう言うように。『あなた方の父祖の神,アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神エホバがわたしをあなた方のもとに遣わされた』。これは定めのない時に至るわたしの名,代々にわたるわたしの記念である。

 

こうして神は自分がどういう存在であるかをハッキリと明かしました。

更に、イエスは次のように述べています。
マタイ19:26
26 イエスは彼らの顔をまともに見て言われた,「人にとってこれは不可能でも,神にとってはすべてのことが可能です」。

ヨハネ5:17
17 しかし[イエス]は彼らにこう答えられた。「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」。

あなたは神をどのように考えていますか。
天のある場所にただ座しているだけだと思いますか。
そうではありません、その場にいながら「すべてのことを行う」ことが出来るのです。
人とのつながりで必要に応じ「ご自分のみ使い」を遣わすことも出来ますし、ご自分の、いわば分身でもある「聖霊」を遣わすことも出来るのです。

「神の聖霊」はあらゆることを可能にする「神の力」でもあります。
また、すべてのことを見通すことも出来るのです。
神から隠されているものは一つもありません。
勿論、こうして書いているわたしのことも、この記事を読んでいるあなたのことも、世の中のすべての人のこともすべて知っているのです。

-ヘブライ4:12-13

12 神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣よりも鋭く,魂と霊,また関節と[その]骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができるのです。

13 そして,[神]のみ前に明らかでない創造物は一つもなく,すべてのものはその目に裸で,あらわにされており,この方に対してわたしたちは言い開きをしなければなりません。


まさしく、神は全知全能なのです。-創世記17:1、啓示1:8
他に聖書の神のような神は存在しません。
この神に最も近い存在がいわゆる神の独り子イエス・キリストです。
実際、イエスも神と呼ばれています。
ヨハネ1:1
初めに言葉がおり,言葉は神と共におり,言葉は神であった。
2 この方は初めに神と共にいた。
3 すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない。

神とイエスの関係は父子という関係です。

天のみ使いたちに関しては人間とは異なり初めからその役割を与えていますから神に命じられる以外他のことは出来ないのです。

つまり、天のみ使いたちはいわば「神の奴隷」であり「神の所有物」なのです。
ですから、そのあるべき居所を捨てたみ使いたちは、いわば神のもとから逃げたみ使いたちは神により拘束されることになっています。
そして、その後は二度と人に取り付いたり悪さをすることが出来ないようにされます。
マタイ8:29
28 [イエス]が向こう側に着いて,ガダラ人の地方に入ると,悪霊に取りつかれた二人の男が記念の墓の間から出て来て彼に会ったが,[この二人は]ことのほか狂暴であったので,だれもその道を行ってそばを通る勇気がなかった。
29 ところが,見よ,彼らが絶叫してこう言った。「神の子よ,わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしたちを責め苦に遭わせようとして,定められた時よりも前にここに来たのですか」。

ユダ6
6 また,自分本来の立場を保たず,そのあるべき居所を捨てたみ使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密な闇のもとに留め置いておられます。

ペテロ(一)3:20
18 キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。義なる方が不義の者たちのためにです。それはあなた方を神に導くためでした。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです。
19 この[状態]でまた,彼は獄にある霊たちのもとに行って宣べ伝えました。
20 それは,かつてノアの日に神が辛抱して待っておられた時に不従順であった者たちであり,その間に箱船が建造され,その中にあって少数の人々,つまり八つの魂が無事に水を切り抜けました。
(参考:その間にとは、神が辛抱して待っている間ということです)

ペテロ(二)2:4
4 まさに神が,罪をおかしたみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡されたのであれば

更に、悪魔に至っては火と硫黄とで燃える湖に投げ込まれることになっています。
この者の悪、罪の重さを物語っています。
啓示12:7
7 また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,
8 優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。
9 こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた。
10 そして,わたしは大きな声が天でこう言うのを聞いた。
「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。

啓示20:10
10 そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは野獣と偽預言者の両方が[すでにいる]ところであった。そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。
11 またわたしは,大きな白い座とそれに座っておられる方とを見た。その方の前から地と天が逃げ去り,それらのための場所は見いだされなかった。
12 そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,[数々の]巻き物が開かれた。しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。
13 そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた。
14 そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。
15 また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた。

人は、「悪や不義に対しては厳しく、善に対しては親切でやさしい神」を知り神との関係を築く必要があります。
しかしながら、こうしたことは聖書を学び始めたころは聞いてはいても十分に理解が出来ていないものです。
長年、神に仕えて来て初めて「実感」出来るものなのです。

さて、あなたは神と良い関係を築くことが出来ますか。
頭だけでも振る舞いや行いだけでも不十分だとわたしは考えています。
「心の良心を神の考えと完全に一致させる」ことが必要なのです。
それには時間が掛かりますが不可能ではありません。
長い年月をかけて「しずくが岩をくり抜く」ように、一見不可能に思えることも可能となるのです。
そのためには続けることが最も重要なことなのです。

一瞬で物事が変わるという奇跡的なことは殆どないと思った方が良いです。
例えば、人と女の創造、ノアの大洪水、ソドムとゴモラの滅び、モーセに率いられたヤコブの子孫が乾いた紅海を通ったこと、モーセが神から十戒を記した岩の板を渡されたこと、荒野でマナや水を与えられたこと、荒野での40年間サンダルや衣類が擦り切れなかったこと、ヨシュアに連れられて約束の地に入る時ヨルダン川が堰き止められたこと、エリコの城壁が崩れたこと、アヤロンの戦いでおよそ1日分の時間太陽がゆっくりと進んだこと、燃える火やライオンの穴の中のダニエル、バビロンの滅びの時の閂(かんぬき)や川が干上がったこと、ヒゼキヤの時影が十段戻ったこと、イエスの誕生、バプテストのヨハネの誕生、イエスの復活と昇天などなどは神の目的に沿って必要に応じて神が起こされたことですが、今はその必要がないので起きないのです。
(参考:アヤロンと影が十段戻ったことで、おそらく太陽が1日分運行を停止したと思われています。
 天文学者によると宇宙の天体の運行で地球の好転が1日分ずれていることが観測されたとされていま

 す)

次に起こるとしたら事物の体制の滅びの時です。
おそらく10年以内にそれは来ます。

神による出来事つまり奇跡は、実際、そのようなことを、「今は聞いたことがありません」

さて、あなたはこの事物の体制の滅びの目撃者になれるでしょうか。
出来事が起きてもそれを認識できなければただの出来事で終わってしまいます。
そして、場合によっては身に裁きを受けることになるかも知れないのです。
もう一度言います。
神は悪や不義に関しては厳しい方で、善や義に対してはやさしく親切な方なのです。
人間でもこのような人は尊敬され、また、安心して接することが出来るのではありませんか。

こうしたことは神の特質の一部です。
更に、天地人の創造者であり全知全能の神であり不可能なことは何もなく話したことはすべてそのようになる神です。
人間が付けた名ではなく自ら名乗った名前とその意味を語った神でもあります。
(参考:他の宗教の神はすべて人間が付けた名前です。
 神道の神、神話の神、仏教の様々な仏像の名前、イスラム教の名前、ヒンズー教の神の名前などなど

 すべて人間が付けた名前です)
 

しかし、神の名を用いる時には注意が必要です。
出エジプト記20章
それから神はこれらのすべての言葉を話してこう言われた。
2 「わたしはあなたの神エホバ,あなたをエジプトの地から,奴隷の家から携え出した者である。
3 あなたはわたしの顔に逆らって他のいかなるものをも神としてはならない。
4 「あなたは自分のために,上は天にあるもの,下は地にあるもの,また地の下の水の中にあるものに似せたいかなる彫刻像や形も作ってはならない。
5 それに身をかがめてはならず,さそわれてそれに仕えてもならない。あなたの神であるわたしエホバは全き専心を要求する神であり,わたしを憎む者については父のとがに対する処罰を子にもたらして三代,四代に及ぼし,
6 わたしを愛してわたしのおきてを守る者については愛ある親切を千代にまで施すからである。
7 「あなたの神エホバの名をいたずらに取り上げてはならない。その名をいたずらに取り上げる者をエホバは処罰せずにはおかないからである。
8 「安息日を覚えてそれを神聖なものとするように。
9 あなたは六日のあいだ務めをなし,自分のすべての仕事をしなければならない。
10 しかし,七日目はあなたの神エホバに対する安息日である。どんな仕事もしてはならない。あなたもあなたの息子や娘も,あなたの男奴隷や女奴隷も,あなたの家畜,そしてあなたの門の内にいる外人居留者も。
11 エホバは六日の間に天と地[と]海とその中のすべてのものを造り,そののち七日目に休みに入ったからである。それゆえにエホバは安息日を祝福して,それを神聖なものとしているのである。
12 「あなたの父と母を敬いなさい。それはあなたの神エホバの与える地においてあなたの[命の]日が長くなるためである。
13 「あなたは殺人をしてはならない。
14 「あなたは姦淫を犯してはならない。
15 「あなたは盗んではならない。
16 「あなたは仲間の者に対する証人となるとき偽りの証言をしてはならない。
17 「あなたは仲間の者の家を欲してはならない。仲間の者の妻を,またその男奴隷,女奴隷,牛,ろば,仲間の者に属するどんなものも欲してはならない」。
18 さて,民は皆,雷,稲妻のひらめき,角笛の音,煙る山を見ていた。それを見て民はわななき,離れた所に立っていた。

19 そしてモーセに向かってこう言いだした。「あなたがわたしたちに話して,[それを]わたしたちが聴くようにさせてください。神がわたしたちに話されることのないようにしてください。そうしないとわたしたちは死んでしまいます」。
20 それでモーセは民に言った,「恐れてはいけません。あなた方を試みるために[まことの]神は来られたのです。またそれは,[神]への恐れが常にあなた方の顔の前にあって,あなた方が罪をおかさないようにするためなのです」。

21 それで民は離れた所にずっと立っていたが,モーセは[まことの]神のおられる暗い雲塊に近づいて行った。
(参考:それでも後にダニエルが祈っているようにイスラエルは神のおきてを守らずに罪を犯したため、アッシリア帝国やバビロニア帝国によって滅ぼされ大勢の民がバビロンに流刑にされました)

これがいわゆるモーセの十戒です。
これはモーセの律法、神がモーセを通してイスラエルに与えた[法律]ですが、この神の考えは今でも変わってはいないのです。
勿論、現代のわたしたちには要求されてはいませんが、この神を崇拝するなら守るべき重要な事柄の一つなのです。

さてこうした聖書の神とあなたはどのように向き合いますか。
聖書の中でも神に対して畏怖の念を抱くようにとも述べられています。
詩編47:2
2 至高者なるエホバは畏怖の念を起こさせる方,全地を治める大いなる王だからである。

また、ダニエルは神にイスラエルの罪の告白をし流刑の力の解放を祈り求めた時、神はさらに大きな事柄に関する預言を与えてくれました。
それはメシア、つまり、イエスの登場についての詳細でした。
ダニエル9章
9章
メディア人の胤アハシュエロスの子ダリウス,すなわちカルデア人の王国の王とされた者の第一年,
2 その統治の第一年に,わたしダニエルは,エルサレムの荒廃が満了するまでの年の数を幾つかの書によって知った。それに関してエホバの言葉が預言者エレミヤに臨んだのであり,[すなわち,]七十年とあった。
3 それでわたしは自分の顔を[まことの]神エホバに向けた。祈りと懇願により,断食と粗布と灰のうちにあって[神]を求めるためであった。
4 そしてわたしは,わたしの神エホバに祈り,告白してこう言った。
「ああ,[まことの]神エホバ,大いにして畏怖の念を抱かせる方,[神]を愛してそのおきてを守る者に対して契約と愛ある親切とを守られる方よ,
5 わたしたちは罪をおかし,悪を行ない,よこしまに振る舞い,[あなたに]逆らいました。あなたのおきてから,あなたの司法上の定めからそれました。
6 またわたしたちは,あなたの僕である預言者たちに聴き従いませんでした。彼らは,わたしたちの王たち,君や父祖たち,またこの地のすべての民に,あなたの名において語ったのです。
7 エホバよ,あなたには義が帰せられています。しかしわたしたちには,ユダの者たちにも,エルサレムの住民にも,またイスラエルのすべての者にも,今日見るとおり顔の恥があります。近くにいる者たちにも,また遠くに,すなわちあなたに逆らった不忠実さのゆえにあなたが離散させたそのすべての地にいる者たちにもです。
8 「エホバよ,わたしたちには,王たちにも,君や父祖たちにも顔の恥があります。わたしたちはあなたに対して罪をおかしたからです。
9 わたしたちの神エホバには憐れみと許しがあります。わたしたちは背いたのです。
10 そしてわたしたちは,わたしたちの神エホバの声に従いませんでした。その僕である預言者たちの手によってわたしたちの前に置かれた律法のうちを歩まなかったのです。
11 そして,イスラエルのすべての者はあなたの律法を踏み越えました。あなたの声に従わないでそれて行きました。そのためにあなたは,[まことの]神の僕モーセの律法の中に記されたのろいと誓いをわたしたちの上に注がれました。わたしたちが[神]に罪をおかしたからです。
12 そして[神]は,わたしたちまたわたしたちを裁いた裁き人たちに語られたみ言葉を実行して,わたしたちに大きな災いを下されました。全天下でかつてなされたことがないほどのもの,それがエルサレムでなされました。
13 モーセの律法の中に記されているとおりのこのすべての災い,それがわたしたちに臨んだのです。それでもわたしたちは,わたしたちの神エホバの顔を和めようとはしませんでした。自分たちのとがから離れず,あなたの真実さに洞察力を働かせなかったのです。
14 「そのためエホバは災いに目ざとくなられ,ついにそれをわたしたちの上に下されました。わたしたちの神エホバはその行なわれたすべての業において義にかなっておられるのです。わたしたちはその声に従いませんでした。
15 「それで今,わたしたちの神エホバ,強いみ手によってご自分の民をエジプトの地から携え出し,今日見るとおりにご自身の名を揚げられた方よ,わたしたちは罪をおかし,よこしまに振る舞いました。
16 エホバよ,あなたのすべての義の業にしたがい,どうかあなたの怒り,その激しいみ怒りが,あなたの都市エルサレムから,あなたの聖なる山から離れますように。わたしたちの罪のため,またわたしたちの父祖たちのとがのために,エルサレムとあなたの民とは,周囲のすべての者のそしりの的となっているのです。
17 それで今,わたしたちの神よ,僕の祈りと懇願を聴き入れ,荒廃しているあなたの聖なる所の上にみ顔を輝かせてください。エホバのために[そうなさってください]。
18 わたしの神よ,耳を傾けてお聞きください。どうぞみ目を開いてわたしたちの荒廃の様を,あなたのみ名によって呼ばれた都市をご覧ください。わたしたちの義の業に基づいてこの懇願をみ前にささげているのではありません。ただ,あなたの多大の憐れみによるのです。
19 エホバよ,どうぞお聞きください。エホバよ,どうぞお許しください。エホバよ,どうぞ注意を向けて,行動なさってください。わたしの神よ,ご自身のために,遅れないでください。あなたの都市の上,あなたの民の上には,あなたのみ名がとなえられているのです」。
20 わたしがまだ話し,祈り,自分の罪また自分の民イスラエルの罪を告白し,わたしの神の聖なる山に関して恵みを請う願いを自分の神エホバのみ前にささげている間,
21 まだ祈りの中で話している[間]に,わたしが幻の中で始めに見た人ガブリエルが,疲労しきって,夕方の供え物をする時分にわたしのそばにやって来るのであった。
22 そうして彼は[わたしに]理解を得させながら,わたしと話してこう言った。
「ダニエルよ,今わたしは,理解とともに洞察力をもあなたに得させるために出て来た。
23 あなたの懇願が始まった時にひとつの言葉が発せられ,報告を行なうためにわたし自らここに来た。あなたは大いに望ましい人だからである。ゆえにこの事をよく考え,見た事柄について理解を得よ。
24 「あなたの民とあなたの聖なる都市に関して定められた七十週がある。これは,違犯を終結させ,罪を終わらせ,とがの贖いをし,定めのない時に至る義を携え入り,幻と預言者とに証印を押し,聖の聖なる所に油をそそぐためである。
25 そして,あなたが知り,また洞察するべきことであるが,エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまでに,七週,そしてさらに六十二週があるであろう。それは元どおりにされ,公共広場や堀と共にまさしく建て直されるが,それは苦境の時になされるであろう。
26 「そして,その六十二週の後にメシアは断たれる。自らのためには何も持たないであろう。
「そして,その都市と聖なる場所とは,やって来るひとりの指導者の民がこれを滅びに至らせる。それで,その終わりは洪水によるものとなる。そして,終わりに至るまで戦争がある。定められているものは荒廃である。
27 「また彼は多くの者のために一週のあいだ契約の効力を保たねばならない。そして,週の半ばに,彼は犠牲と供え物とを絶えさせる。
「また,嫌悪すべきものの翼の上には,荒廃をもたらす者がいるであろう。そして,絶滅に至るまでは,定められている事柄が,荒廃に横たわるものの上にも常に注ぎ出されるであろう」。

繰り返しますが、このメシアこそ預言されたイエス・キリストなのです。

同時に律法の廃止とエルサレムの滅びも告げています。
イエスの活動の詳細はマタイなどの四福音書と使徒たちの活動の書の中で記されています。

神はこのメシアの登場により人類と「新しい契約」を結ばれました。
それは、神と人間の仲介者としてイエスを置き、人間はこのイエスを通してのみ神に近づけるようにされたのです。
新しい契約それはこれから来る事物の体制の滅び、つまり、今の世が滅んだ後全地を支配する「神の王国」に関する契約のことです。
この「神の王国」に入れる人の数は144000人と定められています。
霊的イスラエルとも呼ばれています。
あるいは、イエスが言われた「囲いの中の羊」のことです。
これらの人々を集める業、つまり、伝道活動は既に終了しています。
その他の人々は、「囲いの外の羊」と言われています。
間もなく来る今の世の滅び、神の裁きを生き残る人々はこの「囲いの外の羊」「他の羊」たちです。

-ヨハネ10:16
これらの人々は、次のように述べられています。
啓示7章
この後わたしは,四人のみ使いが地の四隅に立ち,地の四方の風をしっかり押さえて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないようにしているのを見た。
2 また,別のみ使いが日の昇る[方角]から,生ける神の証印を携えて上って行くのを見た。彼は,地と海を損なうことを許された四人のみ使いに大声で叫んで 
3 こう言った。「わたしたちが,わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損なってはならない」。
4 そしてわたしは,証印を押された者たちの数を聞いたが,それは十四万四千であり,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。
5 ユダの部族の中から一万二千人が証印を押され,
ルベンの部族の中から一万二千人,
ガドの部族の中から一万二千人,
6 アシェルの部族の中から一万二千人,
ナフタリの部族の中から一万二千人,
マナセの部族の中から一万二千人,
7 シメオンの部族の中から一万二千人,
レビの部族の中から一万二千人,
イッサカルの部族の中から一万二千人,
8 ゼブルンの部族の中から一万二千人,
ヨセフの部族の中から一万二千人,
ベニヤミンの部族の中から一万二千人が証印を押された。
9 これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。
10 そして大声でこう叫びつづける。「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とに[よります]」。
11 そして,すべてのみ使いたちは,み座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが,彼らはみ座の前にひれ伏し,神を崇拝して 
12 こう言った。「アーメン! 祝福と栄光と知恵と感謝と誉れと力と強さが,わたしたちの神に限りなく永久に[ありますように]。アーメン」。
13 すると,長老の一人がこれに応じてわたしに言った,「白くて長い衣を着たこれらの者,これはだれか,またどこから来たのか」。
14 それでわたしはすぐ彼に言った,「わたしの主よ,あなたが知っておられます」。すると彼はわたしに言った,「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。
15 それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も[神]に神聖な奉仕をささげている。また,み座に座っておられる方は彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう。
16 彼らはもはや飢えることも渇くこともなく,太陽が彼らの上に照りつけることも,どんな炎熱に[冒されること]もない。
17 み座の真ん中におられる子羊が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからである。そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。

もしあなたが今の世の終わりを生き残りたいと思うなら、
聖書の神と神の独り子イエス・キリストを知りその指示や命令に従う必要があります。
つまり、聖書を深く学ぶ必要があるということです。
そして、学んだことをすべて実行することが生き残る条件でもあります。

悪に関しては厳しいこの神にあなたは従うことが出来ますか。

では、誰から聖書の内容を学ぶべきでしょうか。
いいえ、誰からも学ぶ必要はありません。
自分で聖書を何度も読んで理解を深めて下さい。
聖書の読み方に関しては、このブログの冒頭部分に述べていますから、これに基づいて聖書の理解を進めることです。
誰かに教わることは早道でですが、思いとは違った方向へと導かれる危険性があります。
例えば、ものみの塔の信者からものみの塔の書籍(本)で聖書に関して学ぶと間違いなく特定の方向へと誘導されることになります。
そして、後でものみの塔の組織の在り方に矛盾を抱くことになるのです。
これは断言します。
では、他のキリスト教の牧師などから教わるのはどうでしょうか。
彼らは間違いなくモーセの十戒の1番目と2番目に違反しています。
教会を組織化し儀式化もしています。
そうした多くの事柄は聖書の考えに反することなのです。
ですから、自分で聖書を読んで理解することがベストなのです。
勿論、時間は掛かります。
それは、あなたの熱意と救われたいという思いの強さが継続を生じさせることでしょう。
もし、聖書、あるいは、世の中の出来事などに関して質問があればこのブログの冒頭で述べたようにメッセージを頂ければ参考となることをお答えしたします。

聖書の理解が進みバプテスマを受けたいと望むかも知れませんが、今は必ずしも必要ではありません。
重要なのは「心の良心を神の考えと一致させておく」ことです。
バプテスマとは簡単に言えば、以前の生き方を悔い改め、いわば一度死に再び新しく生きることを神に示すことであり、公の宣言となるものです。
もし、どうしてもバプテスマを受けたいと思うなら誰かに(誰でも良いのですが)水没しそこから引き上げて貰えばそれで済むことです。
勿論、その初めと終わりにイエス・キリストを通して神に祈る必要がありますが。

バプテスマはその行為が大事なのであってその行為を助けてくれる人が重要なのではありません。
これを思い違いをしないことです。
おそらく資格も必要ありません。
誰でも良いのです。
参考
使徒8章
サウロとしては,彼の殺害をよしとしていた。
その日,エルサレムにあった会衆に対して激しい迫害が起こった。使徒たちのほかは皆,ユダヤ,サマリア地方全域に散らされた。
2 しかし,敬虔な人々はステファノを埋葬所に運び,彼のことで大いに嘆き悲しんだ。
3 だが,サウロは会衆に対して粗暴な振る舞いをするようになった。次々と家に侵入しては男も女も引きずり出し,これを獄に引き渡すのであった。
4 しかし,散らされた人々は,み言葉の良いたよりを宣明しながら全土を回った。
5 そのひとりフィリポは,サマリア市に下り,人々にキリストを宣べ伝えはじめた。
6 群衆は聴き,また彼が行なうしるしを見ながら,フィリポの語る事柄にこぞって注意を払っていた。
7 汚れた霊につかれた者が大勢おり,それらが大声で叫んでは出て来たからである。また,まひした足なえの人も大勢が治された。
8 こうしてその都市には非常な喜びが生じた。
9 さて,その都市にはシモンという名の人がおり,それまで魔術を行なってサマリア国民を驚嘆させ,自分は何か偉い者であると称していた。
10 そして,最も小さな者から最も大きな者に至るまで,すべての者が彼に注目し,「この人は神の力であり,“偉大”とも呼ぶべきものだ」などと言った。
11 それで,かなりの間その魔術によって人々を驚嘆させてきたために,人々は彼に注目するのであった。
12 しかし,神の王国とイエス・キリストの名についての良いたよりを宣明していたフィリポ[のことば]を信じた時,彼らはついで,男も女もバプテスマを受けた。
13 シモン自身も信者となり,バプテスマを受けてからは,絶えずフィリポに付き添っていた。そして,しるしや,大きくて強力な業がなされるのを見て驚嘆した。
14 サマリアが神の言葉を受け入れたことを聞くと,エルサレムにいる使徒たちはペテロとヨハネを彼らのもとに派遣した。
15 それでふたりは下って行き,彼らが聖霊を受けるようにと祈った。
16 それは彼らのうちのだれにもまだ下っておらず,彼らはただ主イエスの名においてバプテスマを受けていただけだったからである。
17 それからふたりが彼らの上に手を置いてゆくと,彼らは聖霊を受けるようになった。
18 さて,使徒たちが手を置くことによって霊が与えられるのを見た時,シモンは彼らに金を差し出して,
19 こう言った。「わたしにもその権威を与えて,だれでもわたしが手を置く人が聖霊を受けられるようにしてください」。
20 しかしペテロは彼に言った,「あなたの銀はあなたと共に滅びてしまうように。あなたは神の無償の賜物を金銭によって手に入れようと考えたからです。
21 この事においてあなたにはあずかる分も受け分もありません。あなたの心は神から見てまっすぐではないからです。
22 それゆえ,あなたのこの悪を悔い改め,できることならあなたの心のたくらみが許されるようにとエホバに祈願しなさい。
23 わたしは,あなたが有毒な胆汁,また不義のほだしであることが分かるのです」。
24 それに答えてシモンは言った,「あなた方の言ったことが何もわたしの身に起こらないよう,皆さん,わたしのためにエホバに祈願をしてください」。
25 こうして,徹底的に証しをしてエホバの言葉を語ってから,彼らはエルサレムに引き返したが,サマリア人の多くの村に良いたよりを宣明していった。
26 しかし,エホバのみ使いがフィリポに語って言った,「立って,南へ,エルサレムからガザへ下る道に行きなさい」。(これは砂漠の道である。)
27 そこで彼が立って出かけて行くと,見よ,エチオピアの宦官が[やって来た]。エチオピア人の女王カンダケのもとで権力のある人であり,その財宝すべてをつかさどる人であった。彼は崇拝のためにエルサレムに行ってきたのであるが,
28 その帰りに,兵車の中に座って預言者イザヤ[の書]を声を出して読んでいるところであった。
29 そこで霊がフィリポに言った,「近づいて,この兵車と一緒になりなさい」。

(参考:神のみ使いのことを「霊」と述べています。

 神のみ使いは「霊者」なのです。

 普通は見えない存在なのですが、神のご意思を人に伝える時には人間に姿を現すこともあります)


30 フィリポは並んで走り,彼が預言者イザヤ[の書]を声を出して読んでいるのを聞いて,こう言った。「あなたは自分の読んでいる事柄がほんとうに分かりますか」。
31 彼は言った,「だれかが手引きしてくれなければ,いったいどうして[分かる]でしょうか」。そして,乗って,一緒に座るようにとフィリポに懇願した。
32 さて,彼が声を出して読んでいた聖書の句はこうであった。「羊のように,彼はほふられるために連れて来られた。そして,毛を刈る者の前で声を出さない子羊のように,彼は口を開かない。
33 辱めを受けている間,裁きは彼から取り去られた。だれが彼の世代について詳細を語るだろうか。彼の命は地から取り去られるからである」。
34 宦官は答えてフィリポに言った,「お願いします,預言者はだれについてこう言っているのでしょうか。自分自身についてですか,それともだれかほかの人についてですか」。
35 フィリポは口を開き,聖書のこのところから始めて,イエスについての良いたよりを彼に告げ知らせた。
36 さて,彼らが道を進んで行くと,水のあるところに来た。すると宦官は言った,「ご覧なさい,水があります。わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるでしょうか」。
37 ―― 
38 そうして彼は,兵車に,止まるように命令し,ふたりは共に,フィリポも宦官も水の中に下りて行った。そして[フィリポ]は彼にバプテスマを施した。

(参考:この宦官は聖霊を受けてはいません)


39 彼らが水から上がって来ると,エホバの霊がフィリポを急いで連れ去り,宦官はもう彼を見なかったが,歓びながら自分の道を進んで行った。
40 しかしフィリポはアシュドドに来ていた。そして,その地域一帯を回り,カエサレアに着くまで,すべての都市に良いたよりを宣明していった。

このような体験をしなくても、あなたは宇宙や地上のあらゆる事柄を見て不思議に思うことはありませんか。
地上では重力のため人は地面を歩くことが出来ています。
しかし、太陽系だけを見ても、太陽も地球も他の惑星も皆宙に浮いているのです。
つまり、何の支えもないのに浮いているのです。
例えば、支えがないように見えて磁石の反発のような現象が起きているのではないかと考えるかも知れませんが、
太陽系そのものがほぼ平面の運動系であり、いわゆる上下には何も他の天体は存在していないのでそういう考えは有り得ないことになります。

可能とする原理は、太陽の重力で公転しているという点です。
しかし、その太陽そのものも宙に浮いているのです。

地上に重力と大気があるので昆虫も鳥も飛行機も飛ぶことが出来ています。
人工衛星も地球の重力のお陰で静止したり周回することが出来ています。
地球の重力圏から離れると推進力がなければ動くことも方向を変えることも出来ません。
あたかも、そこに大気があるかのようですが、そのようなものは確認されてはいません。
水中で漂っている場合手や足て水をかけばそれによって望む方向に移動することは出来ますが二つ以上の支点が必要です。
支点が一つだとただその場で回転するだけです。
宇宙では手足をもがいても望む方向に移動することも出来ません。
もし、宇宙に放り出されれば、他の天体の重力圏内に入るまではいわゆる慣性の法則により何処までも等速直線運動を続けることになります。

これは丁度物質の内部と外部の関係に似ています。

つまり、内部の分子レベルの世界と外部の世界が異なるのに似ているということです。

一つの物体でありながら、外部はニュートン力学に従い内部は量子力学に従うのです。

量子力学はあのアインシュタインも十分に理解していなかった世界です。

では、なぜ太陽系の惑星はこのような動きをしないのでしょうか。
他の天体についても同じです。
つまり、宇宙には沢山の星や銀河がありますが飛び散っている訳ではなくすべてが秩序を保って運行しているのです。
しかも、すべては宙に浮いているのです。
不思議だと思いませんか。

地球内と宇宙(地球の外部)では全く異なるのです。
地球の生物はすべて重力がなければおそらく生きてはいけません。
宇宙のいわゆる無重力で様々な実験がなされ植物などが成長することなどを確認出来ています。
地球上では重力の関係で水分を下から汲み上げる必要がありますが、無重力では全方向水を汲み上げるのを妨げないのでどのような姿勢でも成長すると思われます。
地球上では、もし、根が上にあると水分は下の方に集まってしまうのでおそらく成長はしませんし、種から育てる場合根は上には伸びないし茎も下には伸びないと思われます。
つる性の植物も何かにつかまりながらでも上に上にと伸びて行きます。
無重力では360度全方向に伸びることになると思います。
そうなると収拾がつかなくなってしまいます。

万有引力の法則は相互作用なので互いに大きな惑星などであれば遠く離れても大きな力が生じますが、例えば地球と人工衛星や人間では余りにも大きさが違い過ぎるので比較的近距離で力が働かなくなります。
ですから、宇宙飛行士がロケットである程度の高度に達すると衛星内で無重力になってしまうのです。
国際宇宙ステーションは地上から僅か400㎞上空を周回していますが、中の人間は無重力なのです。
また、静止衛星は地上から36000㎞の高さが必要となります。
しかも、赤道上空と限られた範囲でしが静止出来ないのです。
一方で月はもっと離れていますが地球の重力と月の重力で丁度良くバランスが保たれているのでいつまでも地球の衛星でいられるのです。

こうした現象を不思議に思いませんか。
人間は自然から多くのことを学んで科学を発展させてきました。
数学、物理(電気も含む)、化学などは自然科学です。
つまり、自然の中にある多くの知恵や現象は無からは生じることはないのです。
つまり、自然は人間より賢い知恵を沢山持っているのです。
人間が優れているのは知恵や知識を活用する能力に丈ているからなのです。
つまり、工夫することが出来るからなのです。
宇宙や地球上の生物や現象などあらゆる事柄は誰かによって創造されたことは明らかです。
それは聖書の神なのです。

おそらく、余りにも途方もないことなのでにわかには信じがたいので進化論や無神論や唯物論などが出て来るのです。
冷静に、また、謙虚になればすべてのものを造られたのは神であることを認めると思います。
創世記2:1-3
こうして天と地およびその全軍は完成した。
2 そして,七日目までに神はその行なわれた業を完了し,次いで七日目に,行なわれたすべての業を休まれた。
3 それから神は七日目を祝福してそれを神聖にされた。その[日]に,造るために神が創造を行なったそのすべての業を休んでおられるのである。

ヘブライ3:4
4 言うまでもなく,家はすべてだれかによって造られるのであり,すべてのものを造られたのは神です。

エフェソス3:8-12
8 すべての聖なる者たちの中で最も小さな者よりさらに小さな者であるわたしにこの過分のご親切が与えられ,こうしてわたしは,キリストの測りがたい富に関する良いたよりを諸国民に宣明し,
9 定めのない過去から,すべてのものを創造された神のうちに隠されてきた神聖な奥義がどのように管理されるかを人々に示すことになりました。
10 [これは,]天の場所にあるもろもろの政府と権威に対して,きわめて多様な神の知恵が,今や会衆を通して知らされるためであって,
11 それは,キリスト,すなわちわたしたちの主イエスに関連して[神]がお立てになったとこしえの目的にかなうところでした。
12 その[イエス]により,彼に対する信仰によって,わたしたちはこうしてはばかりのないことばで語ることができ,また確信を抱いて近づくことができます。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

※  あなたの疑問にお答えします。
  コメントではなくプロフィールからメッセージを下されば誰にも知られず質問出来ます。
  誰でも無償で質問出来ます。
  ただし、議論には対応できかねますので、当方からの返答をよく吟味して頂きたいと思います。

クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 

クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

前文です。
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。
略
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告)
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)
  

 

今回は、信仰[心]の拠り所-その1の続きの話です。

    信仰[心]の拠り所-その2。

例えば夫婦や友人や会社の同僚などの拠り所は何でしょうか。

それは互いに対する「信頼」ではないでしょうか。

そこには規則のようなものは存在しません。

互いを良く理解し互いに心の支えとなっている場合です。

 

しかし、神と人との関係ではこのようには行きません。

誰も神と話が出来ないし、神を見ることも出来ないからです。

それでも、人は神に祈り、時にはその教えやおきて(規則)を拠り所にするものです。

これはキリスト教や仏教や神道やイスラム教やヒンズー教などでも同じです。
こうしたことは信仰を持つ人の場合です。

一方で、具体的に信仰を持っていなくても、多くの人々は神社、お寺などに行ってお参りをしていますし、そうしたことを良く見かけるものです。

 

人が何かに祈願することは自然なことです。
ものみの塔はこれを偶像礼拝と言って「神による禁止行為」としています。
確かに、そういう記述が聖書では随所に記されています。

今回は人々がなぜ神社やお寺に行ってお参りするのかという「気持ち」について話です。
無論、こうした神社やお寺に祈願してもその願いは達成されることはありません。
なぜなら、神社やお寺で手を合わせて祈ってもそれらに「その力」が無いからです。
ですから、神社やお寺そのものではなく、祈願する人の気持ちについて話したいと思います。

人々の様々な願いは、人間として生きている限り当然なことが多いものです。
おそらく、神社やお寺で他人を貶めたり呪ったりすることを祈願する人はいないと思います。

人の願いは多かれ少なかれ皆同じようなものです。
大抵は、自分や家族などに関して良いことを願うものです。
ある人は神社で、ある人はお寺で、ある人は教会のマリア像やキリスト像に向かって、イスラム教徒ならばメッカに向かって、ユダヤ教ならばエルサレムにある嘆きの壁に向かって、ある人は[ものみの塔の信者]のように場所を問わず心で祈願をします。

キリスト教には懺悔、つまり、罪を悔い告白し許しを求める祈りもあります。
しかし、「悔い改めなさい」というイエスの勧めは今考える悔い改めとは異なるものでした。

 

マタイ4:17では、イエスが伝道を開始した時「あなた方は悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と言いはじめられたと記されています。
ここでイエスが誰に向かって話しているのでしょうか。
それは、ユダヤ人に対してです。
何を悔い改めるようにと述べていたのでしょうか。
律法を忠実に守らなかったことを咎め律法を守るように教えていたとは考えにくいことです。
なぜなら、律法は新しい契約に取って代わることになっていたからです。
律法が指し示していたものそれはイエス・キリストであり、イエスの登場によって律法は廃されることになっていました。
ユダヤ人たちは毎日のように神殿で祈りをしますが生活態度や振る舞いは神に対する信仰の欠如を、更には多くの罪を犯していたので、これからイエスが宣べ伝える「天の王国=神の王国」に入るためにふさわしい者になるように人々を促がしたのです。
これに応じた人々は罪を告白しバプテスマを受けました。

後に、これは少し変化し、誰でもイエスについての良いたよりを信じた者がバプテスマを受け、そして神の聖霊を受けることが出来ました。

しかし、現代はバプテスマを受けても神の聖霊を受けることはありません。

一般の人は罪を犯さない限り懺悔をすることはありませんし、自分が罪人であることを自覚している人もいないものです。

聖書の知識を持たないからです。

ですから、多くの人の祈願の内容は、家内安全、交通安全、無病息災、健康、合格、問題解決、出世、商売繁盛、願望など自然なこと当然のことばかりです。
祈りの対象を考慮せず、内容だけを見るならば何の問題もない極自然な事柄なのです。

何かの対象に祈るという姿勢は万国共通の事柄です。

政治、経済の将来あるいは個人の将来について祈ることもあるかも知れません。
こうしたことは誰かと論じ合ったりニュースの情報を元に考えたり話し合うこともあります。

祈るということは「力ある超人間的な存在」に助けを求めることです。
人は誰でも「苦しい時の神頼み」をするものです。
わたしも昔はそうしていましたが、今ではしません。
苦しいと思える時でも神に祈ることはしません。
自分で努力し、上手く対処出来なければ「諦める」という姿勢を貫いています。
この点は以前にも申し上げましたが、私事の些細なことで神を煩わせたくないからですし、仮に祈るとしても祈る前から神はすべてのことを知っているからです。
必要なら「神の憐みや親切」がわたしが抱えるであろう問題を上手く処理して下さりますし、わたしが思うような結果にならない場合は何か他に原因があるのだろうと考えます。
そして、後のある時に「あの時なぜ思うようにならなかった」のかその理由が分かることが多いのです。

わたしの神に対する「信頼は揺るぎない」ものです。
信仰というより「信頼しきっている」のです。
神は決して裏切らないからです。
だらかといって、すべてが自分の思うようになるということではありません。
わたしの思いや考えが間違っていることもあるからです。
しかし、パウロの次の言葉に同意もしているのです。
コリント(一)2:14-16
14 しかし,物質の人は神の霊の事柄を受け入れません。それはその人には愚かなことだからです。また彼は[それを]知ることができません。それは霊的に調べるべき事柄だからです。
15 一方,霊的な人は実にすべての事柄を調べますが,その人自身はいかなる人によっても調べられません。
16 「だれがエホバの思いを知って,彼を教え諭すようになったであろうか」とあるのです。それでもわたしたちは,キリストの思いを持っているのです。
(参考:物質の人とは「罪深い欲望に従う人」と訳されている場合もあります。
 霊的な人とは「聖なる力に導かれる人」と訳されている場合もあります。
 一見するとこの訳も正しいように思えますが、わたしの考えは違います。
 必ずしも「罪深い欲望」あるいは「聖なる力に導かれる」とは限らないからです。
 つまり、物質的な人の欲は必ずしも罪深いものではありませんし、霊的な人が必ずしも聖霊に導かれ

 ている訳ではないということです。
 これは聖書が間違っているのではなく、翻訳が「極端な場合」「厳格な適用」になっているというこ

 とです)

わたしの場合も、自分の罪に関しては調べることも考えることもしません。
間違っていたら正されるからです。
ただ、自分の「良心に従う」よう努力するだけで結果は考えないのです。
この点でも「全く神を信頼」しています。

それでも、もし祈るとすれば、聖書の神、唯一真の神に祈ります。
神との仲介者であるイエス・キリストを通して祈ることになります。

わたしの信仰[心]の拠り所は、
1 神を全幅に信頼していること
2 願望は神の事柄がその通りになること
です。
もはやわたしには、永遠の命の希望も神のおきてもつまり司法上の定めも法令も必要ないのです。
前回の信仰[心]の拠り所-その1の記事では司法上の定めと法令が心の拠り所となると書きましたが、それは、神に従う、あるいは、従っているということを実感することで心に安心感を抱くことが出来るからです。

つまり、神とのつながりを示す一つの実体として見える形であり生きる術そのものなのです。
パウロや次にように述べています。
ローマ2:12-16
12 例えば,律法なしに罪をおかした者は皆,やはり律法なしに滅びます。しかし,律法のもとにあって罪をおかした者はみな律法によって裁かれます。
13 律法を聞く者が神のみ前で義なる者なのではなく,律法を行なう者が義なる者と宣せられるからです。
14 律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法にある事柄を行なう場合,その人たちは律法を持ってはいなくても,自分自身が律法なのです。
15 彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,その良心が彼らと共に証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです。
16 わたしが宣明する良いたよりにしたがえば,神がキリスト・イエスを通して人類の隠れた事柄を裁く日に,このことはなされます。

パウロはこれを心の割礼と述べています。-ローマ2:23-29
23 律法を誇りとしているあなたが,自分では律法に違犯して神を辱めるのですか。
24 「神の名はあなた方のために諸国民の間で冒とくされている」とあるのであり,書かれているそのとおりです。
25 実際のところ,割礼は,あなたが律法を実践してはじめて益があるのです。しかし,もしあなたが律法の違犯者であれば,あなたの割礼は無割礼になっています。
26 したがって,もし無割礼の人が律法の義の要求を守るなら,その人の無割礼は割礼とみなされるのではありませんか。
27 そして,本来無割礼であるその[人]は,律法を実行することによって,その書かれた法典と割礼とがありながら律法の違犯者となっているあなたを裁くことになります。
28 外面の[ユダヤ人]がユダヤ人ではなく,また,外面の肉の上での割礼が[割礼]でもないのです。
29 内面の[ユダヤ人]がユダヤ人なのであって,[その人の]割礼は霊による心の[割礼]で,書かれた法典によるものではありません。その人に対する称賛は,人間からではなく,神から来ます。

  

大抵、人が祈る時には自分の普段の行いに関して殆ど考えることなく祈ることが多いものです。
しかし、祈りが聴かれるかどうかは誰に祈るかということと祈る前の普段の行いが重要であることが分かります。

 

もし、信仰[心]の拠り所として聖書の神に祈るならこのようにする必要があるということです。

つまり、前回書きましたように「神の司法上の定めと法令」を守り行うことです。

 

わたしたちはユダヤ人ではありませんしモーセの律法の下にはありませんから、律法に記されていることを守るべき義務はありません。

しかしながら「人間に対する神の考えは変わってはいない」のです。

つまり、「神が悪であると言うことは悪」であり「神が不義であると言うことは不義」であることは今でもかわらないのです。

これらに加えて、四福音書の中でイエスが言われた「すべてのこと」を守り行う必要があります。

 

これらをすべてこのブログの中で示すことは出来ません。

それで、「神の司法上の定めと法令」について詳しく確かめたければ、

出エジプト記、レビ記(これは参考程度で構いません。祭司に対する要求だからです)、民数記、申命記、そして、裁き人を注意深く読んでみて下さい。

何かに列挙することは勧めません。

なぜなら、その量は多く大変であり、書き写している間に頭が混乱してくるからです。

先ずは読むことを、何度も繰り返し読むことをお勧めします。

次いで、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの書からイエスが言われた事柄を良く確かめることです。

重複している部分もありますが、していない部分もあります。

そして、これらを頭の中に叩き込み、それを自分の思いとすることです。

そうすれば「自ずとあなたの人格は神のご意志に沿って変化します」

すると物事が上手く行くことが多くなるのです。

自分の良心が神の言葉とイエスの言葉で「鍛えられていれば」結果は自然の法則と同じように生じるのです。

必ずそうなるのです。

嘘をついたり悪いことを考えるとその悪いことが自分に跳ね返って来るのです。
逆に、誰に対しも親切で神とイエスに忠実なら善いことが自分に跳ね返って来るのです。 

因果応報はキリスト教でも同じなのです。

わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。

ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。

※  あなたの疑問にお答えします。
  コメントではなくプロフィールからメッセージを下されば誰にも知られず質問出来ます。
  誰でも無償で質問出来ます。

  ただし、議論には対応できかねますので、当方からの返答をよく吟味して頂きたいと思います。

クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。 

法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
 
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。

ダビデについて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。

世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。

イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
 
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。

 いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。

また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。

しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。

人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。

聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。

 更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。

前文です。
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの 
 ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。      
 七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
 とになっています。
 その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の 
 最後の災いとなります。 
 参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。
略
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
 用されます。
 したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)

コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34

創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告)
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
 この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
 なぜなら、命は血によって支えられているからです。
 つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
 となのです。
 「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
 ます。
 したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。

 では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ 
 うか。
 全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
 こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
 神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
 したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること 
 なのです。 
 
 参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で 
 示されています。
 女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。 
 ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り 
 返しある生きものはいません)  

 

今回は、政府の生活支援政策の誤りという話です。

この記事は、政府批判の記事です。

不快に思う人は読まないで下さい。

あくまでも国民目線での話です。

コロナ以降政府は大規模支援を多発しています。
通帳を見ますと少なくとも1家当たり30万円から50万円以上政府の支援を受けています。

確かにこうした支援は一時的で助かる家庭もありますが、長期的に見た場合社会経済においてはマイナスの面が多いのです。
その煽りで、現実に普通に働いても生活出来ないという状況を、政府が作り出してしまったのです。

愚かな政治家たちはこうした見通しも立てずに政策を論じ多くの法案を成立させてきたのです。
特に、野党の主張はここぞとばかりに先の選挙やそれ以前から減税などお金に関する訴えを続けてきましたし、選挙では特に高市もこれに便乗し首相になるや公約実現を柱に政治を突っ走っています。
加えて、ICC問題でも明確にトランプ批判をせずに逃げています。

一見すると政治で経済を動かせると思いがちですか、政治は頭だけで振る舞いますが、経済は実体であり、必ずしも「理屈」で決まる訳ではありません。

今の世界情勢の中で、最近の高市の言動から政治で経済を動かす気配が丸見えです。
各省庁の27年度概算要求も143兆円に達し過去最大と言われています。
これに財務省の主計局長がどう応じるかですが、国民の負担が益々増えることになります。
最近の噂では高市の言うことを聞かない官僚の首を入れ替えているということです。
高市は経済を活性化することだけにしか目が行っていません。

高市の経済論理は景気が良くなれば収入も増え実質的な負担は減るというものです。

しかし、この理屈が通る人は国民の10%以下です。

ですから、高市の経済政策では間違いなく国民の負担が増え不満が増加します。
まさに、日本のタカ派のトップです。
愚かな政治ですが国民が苦しむも苦しまないも先の選挙で自民党に投票した結果なので国民もその責任を負うことになるのです。

実際、経済は様々な要因で決まり、流動的であり、突発的な出来事の影響を大きく受けることがあるものです。
例えば、経済が順調でもパンデミックが生じた時世界経済はこの感染症対策のため殆どが停滞もしくは衰退してしまいました。
他にも自然災害の影響を受けますが、こうしたことは予測が難しいし、頭で考える経済対策では追い付かないのです。

今年は稲の生育が順調で豊作が予測されています。
例年お盆の頃に稲刈りを始めるのですが、今年はある地方では例年8月中旬には刈り終わっていた稲刈りが9月になってもまだ稲を刈らない農家が多いです。
稲が育ちすぎる懸念がありお米の品質が低下する可能性があります。

加えて、収穫の時期の天候不順で稲刈りもままなりません。
わたしは天気の様子を見て春に不作を予想しましたが見事に外れました。
暑く雨が多かったことが成長に良かったようです。
しかも、新米が昨年産より安いという現象が起きて、今ではコメ余り現象が起きています。
場当たり的な政治がこのようなことを産むのです。
高市の政策で一番迷惑するのは国民なのです。

経済は政府が陥る「罠」となることが多いものです。
国民の支持を得るために必要以上の支援や対策を行うためです。
国政は本来は長きに渡る展望の上に行うべきものなのに、目先のことに余りにも対応し過ぎています。
国民の不満を解消する必要がありますが、その国民を説得するのも政府や政治家の責任です。
そうしたことに対して国会議員たちは「無能」なのです。

来年4月から消費税を1%に引き下げるという「公約の実現」を発表しています。
0%にすると消費税の計算をする機械が、今の装置のままだと作動しなくなるか誤作動を起こし社会が混乱してしまうからです。
消費税を1%にしたからと言って経済も家計も良くなる訳ではありません。
それは目に見えていることです。

政治家が愚かなのは「公約」を実現することが「政治」だと「思い違いをしている」ことです。

選挙の時には自分が当選したいため「耳障りの良いこと」しか言いません。

あるいは、他党の政策批判をすることです。

国民はこうした発言の「先にあるもの」を見据えて投票しなければならないのです。

選挙公約がそのまま実現した例はありません。

選挙公約=政治の実現ではないのです。

政治も経済も常に流動的なものです。

職人が物事やタイミングを見極めて次の手を打つように、政治もこうでなければならないのです。

しかも、それは目先のことではなく本質を貫くものでなければならないのです。

今や、日本政府は少ない税金を如何に使うか、足りない分は借金でやりくりしようとしている、いわば「台所が火の車」状態であることは国民の誰もが知っています。
自民党は長年政治をこのような形で行って来たのです。
勿論、赤字国債を減らすべく努力をしていますが、コロナが起きたり度重なる災害が起きたり政策のミスから米が異常に高くなったりトランプ関税や中東から石油が入らない事態になったりして政府はその対応に追われ、その都度国民への支援のために多額のお金を使ってきました。
これではいつまで経っても国の借金は減りません。
そして、予算編成の時に再び「思い出し」奇麗ごとを言って予算を成立させますが、赤字国債の解消には程遠い政策しか出来ないのです。
無能としか言いようがありません。

国民に辛抱させるのも政治家の責任なのです。
国会議員はその責任を放棄しているのです。

国会議員の誤りの一つに政府にお金が不足したら、大量にお金を刷って世の中にばら撒けば良いくらいにしか考えていない議員もいる位です。
この数十年の間に日銀は大量のお金を刷って市場に供給し続けて来ました。
それで日本経済が良くなると判断したからです。
これは間違いだったのです。
世界の評価もとても低いものとなっています。

このような政治を変えるのが政治の目標となっているはずなのですが、それを実現出来ないところに「今の国会議員の無能力」さが現れています。

高市はすべて「自分の思い通り」にしたがる性格です。
ですから、議論をさせてもそれは形だけで腹は最初から決まっている傲慢な人間でもあります。
人の言うことをまともに聞かない人間であることは日ごとのニュースでも明らかになって来ています。
そのため支持率も日毎に下がっています。
最もこれは経済が理由ですが、政治を本当に理解して支持が下がった訳ではないので国民の政治理解は信用ならない点でもあります。

ただ、先の選挙で自民党や野党が選挙公約に掲げたのでやっているだけです。
高市だって消費税を下げることを「良い」とは思っていないことも確かです。

  

本来、経済は市場に委ねるべきであり、政府はいたずらに介入すべきではないのです。
物価が上がるも下がるも需要と供給のバランスで自然に決まって行くものとすべきなのです。

需要が高くて供給が低い場合、当然値段が上がり、逆になると値段が下がるのが普通の経済です。
ところが政府は物価上昇率を2%を目標とし、これを実現するために賃金を上げるよう企業などに通達を出し、企業もこれに応じ今年度の賃金アップは軒並み満額回答でした。

その一方では、高い給料を払えない中小企業などは破産や営業停止に追い込まれていたのです。

おそらく、失業者が増えたと思います。

 

給料をアップして国民の暮しが良くなったでしょうか。

相も変わらず物価が高いままでした。

確かに、トランプのせいで石油が入って来なかったこともありますが、政府が備蓄してある石油を放出し、しかもガソリン価格に補助金まで出し値上げを抑えたにもかかわらず殆どの商品で値上げしました。

 

物価高は世界中で起きて日本だけではありません。

加えて、円安を抑えるための圧力がアメリカから加えられ、日本はトランプのせいで二重に負担を強いられているのです。

 

一方で、米軍相手の商売は受注が伸びているというニュースがありました。

しかも、イランへの攻撃のための弾薬を供給したり空母など船舶の修理も行っているということでした。
明らかに、アメリカのイラン攻撃に加担していることになります。

  

国民はこれを黙って見ているつもりなのでしょうか。

高市とアメリカに「ノー」を突き付けるべきなのではありませんか。

それなりに地位のある人たちからは声を上げられないかも知れませんが、生活の苦しい国民は声を上げ、デモをして政府を突き上げるべきではありませんか。

 

繰り返しますが、稲の問題もあります。

今年は豊作なのに雨のために未だに稲刈りを出来ないでいる農家も少なくありません。

このままだと農家の家計は更に苦しくなります。

線状降水帯などの影響で稲や農作物がダメになってしまった農家もあります。

おそらく、遠からず政府は再び農家などのために補助金や支援金を出すことになり、国家財政は更に酷い状態になるでしょう。

 

災害は毎年のように起きています。

政府は問題が起きた時の一時的な対処しかする能力がないのです。

無能と言っても過言ではないでしょう。

 

あなたはこういう政府をどう思いますか。

政府や国会を抜本的に変えるべきだと思いませんか。

  

次回は、9月9日の聖書のコラム-162(信仰[心]の拠り所-その2)の予定です。

内容は、誰でも同じような祈りをするということであり、これは人間として普通のことであるという話です。

祈りの対象物、例えば神社やお寺などの話ではありません。