箸休め-2回目です。

少し早かったかも知れませんが、ま、善いでしょう。
この記事は、いつもの聖書の考えを元にした[善悪]などの記事を離れ「一服」しましょうという内容のものです。
分かってはいても、少し興味深いかも知れません。

気楽に読んで下さい

もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

不定期投稿です。

第2回は栄養バランスは本当に大事かというものです。  

世の中では栄養バランスが大事だと毎日テレビやネットで言われています。
サプリメントにおいては、これが最も重要だなどと言って観ている人に自社のサプリを売り込もうとしています。
これにつられて購入した人も非常に多いと思います。
しかし、現実に本当にそうでしょうか
サプリメントは健康補助食品つまり食べ物です。
確かに食べ物で体調が変化したり悪くなるということはあります。

個人的には、サプリメントで善くなったことも悪くなったこともありません

つまり、効果があるのかないのかはっきりしません。

ある意味、無害ではあるが不要のものかも知れません。

実際、飲まなくてもその後何の変化もありません。

食事の現実を良く見て見ますと、
野菜中心だけの人もいます、肉中心だけの人もいます。
しかし、これらの人々は必ずしも健康を害している訳でもなく、むしろ健康な場合が多いものです。
これは、必ずしも「栄養バランスが悪いと
健康を害する」ということが正しい訳ではないことを証明しているのではありませんか

人間の体は良く出来ています
人間は絶えず新陳代謝を繰り返しているので常に体がリフレッシュされ健康で生きていられるものです。
例えば、新陳代謝にはコレステロールが必要であり、コルステロールの大部分は肝臓で作られています。
不足分を食物で補っている訳です。

そして、使用されず余ったコレステロールは再び肝臓の戻って来ます。

このようにして、コレステロールは肝臓を通していわば循環しており、常に必要なコレステロール値を維持しているのです。

これは痛風の原因でもある血中尿酸の量に関しても同様です。

大部分は肝臓で作られています。

このため、食事では血中尿酸値をコントロールすることは「不可能」に近いです。

わたしは長年に渉って尿酸値を下げるよう様々な方法を試しましたどれも効果がありませんでした

ついに、意を決して薬を服用することにしたところ、たちどころに治りました

その後、尿酸が原因の関節の痛み、痛風は一切でなくなり快適な毎日を過ごしています。

畑の重労働での筋肉痛や疲労以外は関節を含め全く問題ありません。
 

健康診断を受けますと、尿酸値やコレステロール値の問題を指摘する医師などが大部分ですが、その指摘は必ずしも正しいとは限らないのです。
新陳代謝量には個人差があります。
これを無視した医師の助言ナンセンスなのです。
とわたしは考えてコレステロール値を下げる薬の処方には同意しませんし、一度医師の処方に従って服用したことがありますが、2、3日で調子が悪くなったので中止し、それ以降は一度も服用していません。
コレステロールというと直ぐに脂肪(筋肉や骨の間に蓄積されている黄色のゼラチン質のようなもの)と結びつけますが、これさえも適度に必要なのです。
人間は脂肪がなければ、おそらく直ぐに死んでしまいます。
体を維持出来なくなるからです。

人間の、いや、すべての動物の消化器官は、毒以外の何を食べても大抵は消化し、体内に吸収しやすい形に分解します。
そして、その分解されたものが肝臓などで体に蓄積しやすいように変化させ溜めて置き、エネルギーや栄養素が必要な時にこれらを用いることが出来るようにしているのです。
それゆえ、野菜中心の食事でも健康でいられるし、適度な運動をすると筋肉質の体にすることも出来るのです。
肉中心の食事でも同様です。

例えば、牛や豚や鶏は草や穀物や飼料しか食べておらず、肉などは一切食べてはいません
なのに体中が筋肉の塊のようです。
人間はその肉を食べているのです。
牛の乳を飲み、鶏の卵を食べているのです。

神は初め人間の食物として果物と種を結ぶ草木を与えました。-創世記1章を見て下さい。
基本的に人間はこれだけで十分なのです。
しかし、ノアの大洪水の後、地球の環境が変わり、直射日光が地面にまで到達するようになりました。
当然、人間にも大きな影響を与えました。
神はその時以降人間に肉を食べることを許しました
おそらく、直射日光に当たることは人間のエネルギーの消費をそれまでよりも多くするので、野菜だけではエネルギーを補うには不足だったのです。

それゆえ、神は人間が肉や油を食べることを許したのです。
肉や油はエネルギー源としては余り効果的ではありません。

糖質には即効性がありますので取り過ぎには注意が必要です。

つまり、肉や油はいわば「車の潤滑剤、グリース」のようなもので、糖質は「車のガソリン」のようなものです。
直射日光に当たらなければ野菜と果物だけで十分なエネルギーなのです。

また、糖質は余ると、いわゆる、牛などの霜降りとまでは行きませんが内臓や肉の周囲の脂肪として体内に蓄積され、必要に応じてこれらは消費されますが、消費よりも蓄積が勝ると太る訳です。

そして、蓄積された脂肪は血管や神経や臓器を圧迫したり機能を疎外することがあるので健康被害をもたらします。(グルコースの働きを参照してください)
したがって、
人間は甘いものは極力控えるべきだと考えています。
食べ過ぎは、間違いなく寿命を縮めます

医学的にも、長寿遺伝子「サーチュイン遺伝子」に大きな影響があることが分かっています。

これは果物の食べ過ぎでも同様です。
特に人工甘味料はおそらく「毒」の一種と見なしても良いとさえ考えています

人間は雑食ですから何でも食べますが、必要な食べ物の種類は僅かなのです。
今や、食べ物が豊かにあり飽食の時代でもあります。
人々は美味しいものを求め続けています

しかし、
ある意味、ラーメンなどは幾ら美味しくても健康を考えると「最悪の食物」かも知れません。
他にも、様々なケーキの類や甘いお菓子やアイスクリームやこういったものは、たまには食べても良いとしてもいつも食べるのは命を縮めるのです。
もしかすると、人生でこうした甘味料の食べる限界量が決まっているのかも知れません
例えば、人間生涯に渉って甘味料の食べる量が甘味料の量だけで10㎏を超えると「必ず病気になり死に至る」と。
何となくそのように思います。

 

(追記)

が、あながち根拠のない話ではありません。

食べ過ぎと関係ありますが、例えばすい臓のインシュリンの生成量もしくは消費量に限界があり、あるいは、すい臓に負担がかかり過ぎるとすい臓に炎症あるいはガンが生じるかも知れません。

すい臓は肝臓と同じく「沈黙」の臓器に近い所があり、長年違和感や痛みなどがあっても、専門医でもこれを発見出来ず、分かった時には手遅れということがしばしば起きています。

すい臓が悪くなり、糖尿病になったりすい臓がんになってしまう人は少なくありません。

すい臓がんは最も致死率の高い病気の一つと言われています。

(追記-終わり)  

 

わたしも甘いものは嫌いではありませんが、例えば、コーヒーにオリゴ糖や砂糖を入れることがありますが、1杯目でも既に兆候が出て来ます。

2杯目になるとてき面に体に変調を、特に、胃の調子が悪くなりなんとなく体に異変を感じます
以前、胃や腸の動きが悪い時に甘いコーヒーを飲むと胃が落ち着きやすくなるためよく飲んでいましたが、2杯飲んだだけでそれ以上に胃の調子が悪くなるのです。
これは、体自身がわたしに教えているのです。
ですから、基本的に甘いものはあまり食べなくなりました
最近では塩味も感じやすくなり、飲食店で食べても家で食べてもしょっぱく感じています
こうしたことは年のせいかも知れません。
若い時ほどエネルギーを使っていませんから

人間「塩分」も適量必要なことも分かっています。
畑仕事は重労働でエネルギーを沢山使い汗も沢山かきますが、年寄りの肉体ではそれ程多くはないということでしょう。

そのため、少量の塩とビタミンCをスポーツ飲料水(電解質で体内に吸収し易い)に混ぜたものを作業の合間に飲んでいます。

風邪を引かないための予防効果は十分あり、昔から実証されていることでもあります。
従って、今では、体の要求や指示[反応]に逆らわずにいます
それが健康の秘訣かも知れません。
今でも、畑で作業をする日は基本1食で済ませています。

ある意味、毎日短時間の断食をしているということです。
疲れてはいますが、健康そのものです。
持病がありますが今のところ悪くなっていないようです。

 

(追記)

ちなみに、わたしの家系の遺伝では、発症はしませんが糖尿病の疑いが祖父や父にあり、また、高血圧の部類に入ります。

若い時から糖尿病には最も気を遣っていました。

しかし、痛風は聞いたことがありませんし、わたしも飲酒は殆どしませんし飽食は一度もしたことが無いのに痛風になってしまいました

もしかすると、母親の家系の遺伝かも知れません。

母が存命の時にこうした話をしたことが無いので分かりません。
(追記―終わり)


昔良く、癇に障る疳の虫あるいは癇の虫という表現を聞いたことがあります。
つまり、怒り易い、あるいは、怒ること、怒りを表現した言葉です。
小さい時甘いものを食べると良く言われたものです。
癇とは癇癪の癇のことです。
そのため、今でも甘いものを避ける人がいます。

 

興味深いのは、細菌や虫や動物も「甘いものによく寄ってきます

これは、臭いが原因かも知れません。

甘いものにカビは生えやすく、虫は甘いものに寄って来ますし、動物も好んで食べます。

正し、濃度の濃いものにはこれらのようにはならないものもあります

 

人間に必要なのは体が必要なものを作るための「要素=必要なものを作るための分子」だと考えています。

医師や栄養士などはこれを「栄養」という言葉で済ませていることが多いです。

つまり、三大栄養素やミネラルやビタミンなどのことを「一括り」で言っているのです。

 

この点、わたしの考えは少し違います。

野菜を食べても肉を食べても消化され分解されれば肝臓で蓄積される時の分子や分子構造に、あるいは、化学的には大きな違いはないのではないかと思います。

つまり、栄養素ではなく、それらが分解された後の成分の事を言っています。

同じではないかと言う人もいるかも知れませんが、そうではありません。

肉にしても野菜にしてもタンパク質、炭水化物、脂肪という要因で考えるのではなく、例えば、たんぱく質であれば、アミノ酸かそれを更に分解した物質の単位の事を言っているのです。

 

ある意味、iPS細胞の如く、食物が「再生できる最小単位(分子)に分解」され、それを用いて体に必要な様々な物質や酵素やホルモンなどを生成しているのです。

更には、血液やリンパ液などのように脊髄や臓器によって造られる様々な物質もあります。

また、様々な免疫細胞によって不要な細胞や細菌やウィルスや物質などを除去することで健康が維持されています。

このために最も重要な働きをするのが、ホメオスタシス(生体恒常性)で身体の外から受ける環境や体内部の変化にかかわらず、身体の状態(体温・血糖・免疫)などを一定に保つことです。

何らかの原因でこれが乱れると人間は「病気」になり易くなるのです。

 

話を食べ物に戻しますと、内臓は外部から取り入れたものを体に必要なものに変える「変換装置」のようなものです。

 

人間が生き続けるために必要なものの殆どは肝臓で作られています

しかし、人間が生きるために必要ではありますが肝臓で作れないものも存在します。

そうしたものは食べて補うしかありません

良く必須アミノ酸という言葉を聞いたことがあると思います。

たんぱく質を構成している20種類のアミノ酸のうち9種類のアミノ酸は、体内で合成することができません。 これを必須アミノ酸と呼び、食物から摂取する必要があります。

  

L-イソロイシン、L-スレオニン(トレオニン)、L-トリプトファン、L-バリン、L-ヒスチジン、L-フェニルアラニン、L-メチオニン、リシン(リジン)、L-ロイシンの9種類です。

アミノ酸にはL体とD体という2種類の立体異性体が存在し、生体を構成するタンパク質のアミノ酸はほとんどがL体です。
L体とはアミノ酸は、中心となる炭素原子にアミノ基、カルボキシル基、水素原子、そして側鎖が結合しています。これらの配置の違いによって、L体とD体という鏡像異性体が生じます。

L体は、アミノ基が左側に配置されている構造を指します。

必須アミノ酸のリシン以外はすべてL体という構造をしています。

 

こうしたことを知っている人は多いと思います。

これらすべてを摂取出来る食物は、肉だけでも可能ですし、3種類を除いて野菜だけでも可能です。

更に人間に必要な要素はビタミン類です。
例えば、ビタミンB が欠乏すると脚気になり、最悪死に至ります。
かつての日本陸軍は白いご飯だけを主食としていたので脚気で死ぬ人が多かったと言われています。
それに対して海軍は米に麦を混ぜたりパン食だったので脚気に罹る人はいなかったと言われています。
有名な話しです。

兵士になる前は殆ど食べられなかった「白米=銀シャリ」を食べさせることで兵士の徴用と兵士に満足感を与えたことは間違いありません。

これは、それぞれの軍医の考え方の影響であったことも分かっています。
そこで、登場してくるのが北里柴三郎(細菌学者)や森鴎外(後に作家となりました)です。

参考までに、現在、自衛隊では米と麦(昭和50年代でも米3分に麦7分と言われたものです。米も古古古米という古いお米と聞いています)を混ぜたご飯を食べさせています。

わたしは50代のころは、麦飯(ビタバレー100%麦)だけを食べていました


以下を参考にしてみて下さい。 

  

体内で作れない上に蓄えることの出来ないのがビタミンです。  

このビタミンは体の機能を正常に働かせるためには必要不可欠なものです。

このビタミンが欠乏すると体の調子が悪くなります。

  

更に必要なのがミネラル成分です。  

体内でのミネラルの働きは大きく分けて3つにまとめられます。
①身体の構成材料として働く・・・骨、歯などの身体の構成成分になる。
②生体機能の調整を行う・・・体液に溶けてph・浸透圧を調整する。神経・筋肉の興奮性の調整をする。
③タンパク質などと結合して働く・・・酵素の構成成分となる

と言われています。

  

ビタミンやミネラルの多くは野菜に含まれています。

ですから、一部のアミノ酸を除けばすべて野菜だけで十分健康でいられることが分かります。

必ずしも、三大、いや、五大栄養素をバランスよく摂る必要はないと考えています。

 

私自身は小さい時から肉や魚が好きではなく殆ど食べませんでした

大人になって「宴会」などの時にはわざわざ私のために野菜中心の料理にしてくれたこともありました。

今でも、野菜中心の食事です。

ちなみに、ある時からご飯を殆ど食べないようにもしています。

お腹の調子が悪くなるからです。

理由は分かりません

おそらく、小腸か大腸の働きが弱くなったからかも知れません

更に、最近では蕎麦やうどんやスパゲッティさえも余り食べなくなりました

当然、ラーメンやピザなども余り食べません

ケーキやクリスピスやアイスなどのお菓子も殆ど食べません

というより、あると食べたくなるので買わないようにしています

食べない自制心は弱いですが、買わない自制心は強いのです。

これは意図的にコントロールしているのです。

蕎麦やうどんやスパゲッティは「腹持ち」はいいのですが「食べ過ぎ」になってしまうからです。

つまり、太り過ぎる原因になっているからです。

60㎏前後の体重を維持していますが、これを超えると体が重く感じます。

体重が増えると肉体労働では体の負担が大きくなってしまうのです。

それでも、体は元気ですが体力が著しく落ちています

年のせいです。

かつて、三日間ぐらいの絶食=断食を何度もしたことがありますが、その時の爽快さは「最高の気分」でした。

加えて、宿便まで出るので内臓のすべても生き返ったようになったものです。

当然、頭もスッキリとしました。

残念ながら今では出来ません、なぜなら、命に関わるからです。

年と共に体力がなくなったからです。

断食には基礎的な体力が必要なのです。

 

みなさんも健康と食事について、少し深く考えて見るのはどうですか?

もしかすると、健康寿命が長くなるかも知れませんよ。

前文です。
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネへの啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです) 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章
10 終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18 
神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人 になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適 用されます したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです) 

今回は、ものみの塔の集会や活動や行い神とキリストに是認されたものではないという話です。

ものみの塔聖書などの個人研究を勧めておきながら研究をさせる時間を奪っています
それは、週ごとの様々な集会でのプログラムやいわゆる伝道活動など個人でじっくり聖書の内容やものみの塔の述べる事柄などに関してより深く調べる時間を妨げていると言うことです。

 

具体的には、ものみの塔の研究記事の討議と予習、書籍の討議と予習、神権宣教学校の割り当てとその準備、日々の聖句の討議と予習、週ごとの聖句の朗読、個人による聖書通読、奉仕会による伝道活道の指示を行うこと、伝道活動、関心ある人との討議、関心ある人への再訪問、巡回大会と地域大会への準備と参加、記念式への出席、公開講演への出席などなどやるべきことが沢山あり、とてもじゃないが個人的な疑問や知らないことなどを調べたり研究したりする時間を取ることを難しくしているのです。-マタイ23:13

 

疑問な点を調べたり研究するには「集中した多くの時間」を必要とするものです。

毎日少しの時間を継続するという方法では「無理」なのです。

 

ものみの塔は意図的に忙しくさせることで、いわゆる「霊的な事柄で心を満たす」ことで「世のものとならない」ことが出来ると主張していた時期もありました

しかし、このことで逆に信者は自分の時間を持てず疑問があっても十分に調べることも出来ず「盲目的にされている」ことは事実です。

つまり、他のことを考える「いとま」を与えず、また、ものみの塔の言うことや見解はすべて正しいと思い込ませているということは、そうすることでいわば「洗脳している」のです。

ある意味、幼い子供を「騙す時のようにしている」のです。

幼い子供は知らないことが多いので大人の言うことを「真に受ける」ものです。

ものみの塔の信者はまさしくこの状態なのです。

 

その「罠」に捕まった多くの人他の人の意見も考えも聞かず考えることもしない盲目的な信者」となっています
初めに述べたようなものみの塔による信者の活動や振る舞いなどは、すべてものみの塔の指示であり、必ずしも聖書に根拠のある事柄ではないのです。

すべて「ものみの塔がある意図を持ってそのようにさせている」のです。

こうしたことは、「人間の考え」です。
こうした点でも、ものみの塔は人間の命令をおきてとして教えていることは明白です。-マタイ15:8、9

 

こうした行為は、つまり、個人や組織としての信者の振る舞いや活動に関して「助言、指図、指導」を行うことは、ペテロやパウロなどの「使徒」と「自分たちを同列に置いている振る舞いです。

現実には、ものみの塔はそうした「権限」「権威」を誰からも受けてはいないのです。

従って、

こうした行為や信者の活動神とキリストの命令や指示によるものではなく「自発的な宗教集団、あるいは、団体としての活動」ということなのです。

発言や振る舞いや教えや活動などは、ある意味、カルト集団と同じということです。

 

それでも、個人的に聖書について話したり聖書の教えに従ったり守ったりすことは「誰にも止められてはいません

ものみの塔に限らず誰にでも「許されている」のです。

ものみの塔の「助言や指図や指導」推奨であって強制や規則ではないので従わないことも休むことも本人の自由です。

それなのに、ものみの塔も信者もものみの塔の聖書の解釈による「助言や指図や指導」に「従ったり守る」ことを、あたかも、神とキリストの命令であるかのように考え、また、教えて、いわば、他の信者を「牛耳って来た、そして、いる」のです。
 

例えば、会衆の長老たちは信者が集会や大会などを休むことを快く思いません
それゆえ、度々集会を休んだりすると長老たちは「その人に探りを入れつつ、助言を与える」のです。
ものみの塔も会衆の長老たちも信者全員がすべてに出席し「学ぶこと」を期待しているのです。
その期待のそぐわないと助言が[剣やこん棒]のように「飛んで来て」信者を痛めつけるのです。

まるで、キリストが活動していた時代の書士やパリサイ人のようです。

 

ものみの塔とその信者は「神とキリスト」に対する期待を「余りにも大きく持ち過ぎて」常軌を逸しているとさえ言えるのです。

こうしたことは
背教の兆候の一つです。
わたしには、イエスの時代
書士やパリサイ人たちがユダヤ人たちの間で、いわば律法を司っているかのように振る舞っていたであろう様子が目に見えるようです。

あたかも、現代の警察官が市中を見回り監視しているようなものです。
殆どのユダヤ人たちは律法に関して彼らの言うことを聞いたに違いありません。
彼らはユダ人の最高法廷であるサンヘドリンに出席出来る人の一人でもあったからです。-使徒4:5、6、23:6

おそらく、そこではユダヤ人たちを如何に律法に従わさせるかが議論されたに違いありません。

実際、イエスもこの場で「詰問」されています
ユダヤ人たちにとって律法は神からのおきてであり命令だからです。

 

ユダ人であれば誰か一人の[神に対する罪]のせいで全体が神の災いを被ることを何度も教えられいたに違いありません。
ですから、律法の内容に通じている彼らは、事あるごとに律法を持ち出し、律法に従うよう求めたのです。

こうして、約束のメシアが登場するのを今か今かと待ちわびていました。
今で言うならことあるごとに聖書を持ち出したということです。
実際、彼らはイエスに対しても律法の内容に関して、何度も質問をし「イエスを試して」いました

しかし、彼らは律法に通じていても、活動に熱心であっても「目の前にいるメシア」に気が付かないか、認めようとはしませんでした

現代には四福音書があり、書士やパリサイ人たちがイエスに退けられたことを知っていますが、当時のユダヤ人の大多数は知らず、イエスの側にいた弟子たちやイエスの話を聴いた群衆位しか知らなかったし、イエスを「メシア、神の子」として殆どのユダヤ人人たちは認めていなかったのです。

その証拠として、パウロ自身、サウロと呼ばれていた時イエスの弟子たちを探し出し捕まえて投獄することに熱心でした。

神に対する強い信仰がそのようにさせたのです。

おそらく、サウロ(パウロ)は自分では「罰を与える」ことはしていません

自分の立場を良く理解していたからです。
ステファノはそんな彼らに殺されたのです。
サウロもその場にいて、それを良しと思っていました。-使徒6:1-8:3、9:1、2

律法に通じていて熱心に活動していても、パウロの活動は「間違いだった」のです。

(この点も、ものみの塔も「サウロ」に似ています

 しかし、改宗する以前のサウロ律法に通じていて、しかも、熱心に活動していました神にもキリ

 ストにも「受け入れられてはいなかった」のです)

 

後にサウロは[昇天]したイエスにより「改宗」させられて、諸国民への使徒として任命されています

それは、律法に通じていたからであり、サウロの「神に対する精神態度」をイエスが認めたからであり、書士やパリサイ人のような「邪悪な精神」を持っていなかったからです。

サウロの知識の不足や思い違いを正すだけで良かったのです。

今日、書士とパリサイ人と同じ精神態度を示しているのがものみの塔という組織であり会衆の長老たちです。
彼らは何かあると神とキリストに任命された裁き人でもないのに聖書を持ち出し信者たちを裁いています。
一体誰が彼らにその権限を与えたのでしょうか

特に、年若い「経験も知識も理解も少ない長老」と呼ばれる人たちは、その立場により「驕りと傲慢と思い違いと思い込み」により、まるで、神から裁き人に任命されたかのように振る舞っているのです。
ものみの塔や会衆の長老たちにその権限もなければ、権限を与える資格もないのです。
実際、彼らはその権限がないにも拘らずそうしたことをしているのです。
正に、当時の書士やパリサイ人と「瓜二つ」ではありませんか。

ユダヤ人の社会には会堂と呼ばれる場所があり、そこでは週ごとに、おそらく、安息日である日曜日にヘブライ語聖書、つまり、旧約聖書の巻き物の一部の朗読が行われていました。
人々は
[自発的に]その朗読や聖書に関する話を聴くために集まっていました。
勿論、完成された聖書はなく、イザヤ書など預言の書と呼ばれるものなどがあっただけだと思います。-マタイ4:16-21
当時は、聖書の巻き物が手元になかったので週ごとに会堂に集まって話を聴いていたのです。

そして、イエスもパウロも会堂で教えることが多かったのです。マタイ4:23、使徒13:13-52
そこには聖書、つまり、神の言葉を聞きたいと思う人が大勢集まるからです。

イエスは神殿内で教えていた時、群衆と弟子たちに彼ら(書士やパリサイ人)の告げることはみな行ない、また、守りなさい、しかし、その行ないに倣ってはなりませんと言ったのです。-マタイ23:1-12
その後イエスは彼らを大きな声を上げて非難しています。-マタイ23:13-36

このイエスの彼らに対する非難そのままものみの塔に当てはまると考えるのは妥当なことです。
なぜなら、ものみの塔は書士とパリサイ人と同じことをしているからです。

あなたには「こうしたことが見えていますか?

さて、ものみの塔の信者であるあなたはどう思いますか?

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネへの啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章
10 終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者いずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18  

今回は、今日のものみの塔は創設者ラッセルの考えとは異なるという話です。

ものみの塔は創設者のラッセルの時代1800年代後半では、特に、カトリックやプロテスタントなどの教会の教えと自分たちの考えと異なることを強調していました。
つまり、自分たちが聖書に忠実で他のキリスト教は間違っているという点を大々的に宣伝したのです。
加えて、天的な希望と地的な希望の2種類があること、今の事物の体制が滅びることとこの滅びを生き残る人々がいること、キリストの千年支配が行われること、そこでは犯罪も苦しみも悲しみの死も無くなり地上は楽園のような場所になるということを宣伝することに全精力を使っていました。
更には、死者の復活の希望についても宣伝していました。
そして、1914年のその時を待っていました
ところが、何も起きませんでした
しかし、宣伝活動はその後も続けられ、1916年にラッセル自身はその最中に列車の中で亡くなっています
おそらく、ラッセルは今のような大々的な組織は全く考えていなかったと思いますが、ラザフォード、ノアと会長が変わる度により組織化と効率化を図って今日があるのは歴然としています。
ラッセルの始めたことは他のキリスト教の牧師や僧侶の怒りを買い、時には、彼らは政治的な手段を講じて弾圧をしました。
後に、ものみの塔はこの弾圧を聖書の預言に適用させ、あたかも自分たちが神の導きを受けている「唯一の組織」であることを強調してきたとは明らかです。
特に、試練や弾圧に関することと神の導きとを結びつけることものみの塔が良く用いる手段です。

 

しかし、良く考えると「もし、神の導き」で助けられたり高官などに対する良い証言となったというのであれば、
その後の彼らは一体どうなったのでしょうか。
なぜ、その時「神の導きがあった」と言えるのか、現代における神の関与の仕方と導きに関する神の目的と一致していたかの検証がなされてはいません
単に、苦難から助けられたとか高官に証言できたというだけのことであれば、余り意味のないことです。
既に、そうしたことはイエスや使徒たちの時代に生じており改めてそのような出来事に「神が関与する理由」はないのです。
終わりの時には多くの試練が臨むと預言されていたのです。

ものみの塔は自分たちのしていることや自分たちに起きていることがらに対して、明らかに「人間の考え」を抱いており、人間の考えで行動しており、そのため、多くの間違いを犯して来たのです。
彼らの言うことは、初めはもっともらしく聞こえますが、よくよく確かめてみると疑問が噴出するのです。
加えて、何かあるとすぐに「神とキリスト」の名を持ち出し、信仰や忠実を訴えるのです。

よくある例は、

何か良いことがあると「エホバのお陰だ」と言い、悪いことが起きたりすると「悪魔のせいだ」などと身勝手な言い方をすることです。

また、自分たちの伝道に対する反応が悪いと、その家の人やその地域を「山羊」とか「山羊村」などと言う人さえいます。

明らかにこうしたことは「間違い」であり、「神を愚弄しているとは露程も考えないのです。

実に愚かな人たちです。

神もキリストもそのような方ではないことを理解していません
しかも、その実態は「神とキリスト」に従うのではなく、自分たちに従わせるように画策して来たのです。

その理由は、人間の組織だからです。

人間の組織では、どの組織でも組織内での混乱や分裂や争い、また、犯罪などが行われないように「多くの規則」を作ります。

 

ものみの塔も「多くの規則」を作って来たのです。

そして、その組織に忠実であるように「画策」し続けているのです、現在も。

創設者のラッセルにこのような考えはありませんでした

後代のものみの塔の会長が今の組織を作って来たのです。

人間の法律のように、今でさえ「新たな規則」を作り続けています。

それは、今の世の中と同じように、ものみの塔の信者も多種多様、複雑になって、以前の規則では解決出来ない問題が山積しているからです。

すべて、ものみの塔の「人間の考え」が原因なのです。-マタイ15:9

 

もし、ものみの塔やその信者のある者が規則的な内容ではイスラエル国民に与えた律法」も同じではないかと言う人がいるとすれば、その人は「自分を神に等しいとする傲慢な人」です。

そもそも律法が与えられた理由を理解していないのです。

今のものみの塔の規則と律法とはその目的においても価値においても全く異なるものです。

あなたには「それが見えますか?

ちなみに、律法はおよそ1600年間全く変わってはいません

 
ものみの塔も「バカではありませんから物事を抜け目なく行っています」
つまり、ずる賢いのです。
狡猾とも言います。
ものみの塔やその信者が最も嫌う言葉の一つですが、彼らが行っていることは 正に狡猾そのものです。
もっとも、純粋に信じている信者にとっては、ものみの塔は「神」のような存在です。

あたかも、解散命令を出された旧統一教会とその信者のようです。

結論は、現在のものみの塔創設者ラッセルの時とは全く異なる組織に発展してしまったということです。
それでも、これまで聖書に関して調べて来た事柄に関しては「特段の偏見」が見られないように感じます。
しかし、その解釈には「人間の思い込みと偏見」が含まれていることと信者全体の「世の影響と淫行」には甚だしいものがあり「神とキリストに見捨てられている」ことは明らかです。

 

啓示の書の冒頭の七つの手紙を参照してください。

例えイエスに褒められることをしても「悔い改めなければ、報いは得られない」のです。

 

ものみの塔の新しい信者ではこうしたことは分からないでしょう。

なぜなら、ものみの塔を信じ切って、活動や振る舞いにおいて従い続けているからです。

正に、イエスが言われたように「盲目の案内人」であり、共に穴に落ちるのです。-マタイ15:14

前文です。
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このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネへの啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章
10 終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者いずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18 
今回は、四福音書とヨハネへの啓示と使徒たちの活動をを除く手紙についての話です。

パウロは手紙を通して、イエスの弟子たちつまりクリスチャンとなった人々に対して数々の助言を与えています。
内容を読むと実に具体的です。
これは個人的な見解ですが、これらの手紙や使徒たちの活動やペテロやヤコブやユダヤヨハネなども彼らの思いで書いたものと考えています。

テモテに宛てた手紙の中で聖書全体は神の霊感を受けたもので・・・という説明はヘブライ語聖書について述べたものであることは明らかです。-テモテ(二)3:16
なぜなら、クリスチャン・ギリシャ聖書はまだ存在していなかったからです。

勿論、パウロたちが霊に導かれ、あるいは、霊感によって手紙を書いたことを否定しません
しかし、書いた当人たちは自分の持つ聖書の知識と真理に基づいて書いたことは間違いありません
それでも、後の時代にそれらも聖書の一部として組み入れられたのです。

特に、パウロは彼らの中でも律法に最も通じた人であり、ユダヤ人たちを説得するのに最もふさわしかったと言えます。
それゆえ、イエスはパウロを諸国民への使徒として任命したと思われます。
つまり、パウロが設立した会衆の中には、諸国民だけでなくユダヤ人たちも含まれており、そのユダヤ人たちが律法を持ち出しなんくせ」を付けることが容易に予想出来たからです。
それでも、特に割礼に関しては、パウロは独自の判断をせずエルサレムにいるペテロなど使徒たちにそれを委ねています。

こうした事柄と「聖書の預言」は扱いが異なります。-ペテロ(二)1:20-21
また、聖書は出来事の記録という側面もあります。
さらに聖書の他の部分では、神の約束、神の怒り、神の裁き、神の報いについても記されています。

いわゆる四福音書イエスの活動の記録であり、約束であり、おきてであり、預言であり、報いを示し、不義と悪を断罪し、裁き、神の王国についての説明であり招きの書です。
加えて、新しい契約の仲介者であり、人類の命の贖い主であり、唯一神の子であり、死後復活し天に上った最初の人であり、天と地に対するすべての権威を与えられていることの証の書です。

使徒たちの活動の書は彼らの活動そのものの記録です。
ヨハネへの啓示の書イエスがヨハネに与えたもので、いわば、聖書の完結編です。

その他のすべての手紙はパウロ、ペテロ、ヤコブ、ユダ、ヨハネによる手紙であり当時の弟子たちの知識と理解と振る舞いなどに関して「憂いを覚え、正すべきだ」と言う思いから出たものであることは間違いありません。
このように書くとあたかも個人的な手紙のように感じますが、実際そのような手紙もありますが、なぜ聖書の一部として組み込まれたのでしょうか
それは、神の壮大な事柄と神の真理を説明し、かつ、イエスについての証をし、クリスチャンとしての振る舞いを正しているからです。
仮に、彼らが独自の思いであったとしても、それは「正しい知識と正しい理解に基づいたものなのです。
いわば、神の事柄を補足している書とも言えます。

神の約束に関して新しい契約はいわば付け加えられたものです。

それを人々につぶさに説明する必要があったのです。

アブラハムもモーセもサムエルもダビデもダニエルもバプテストのヨハネでさえも「知らなかった契約」なのです。

そして、新しい契約である神の王国の一人としてふさわしい者にする、あるいは、そうした人々を選ぶことを目的としているのです。
 

さて、あなたはどう思いますか?
これらの手紙創世記やモーセ五書や預言の書や四福音書に対すると同じ気持ちで読んでいませんか
確かに、パウロが述べたように聖書全体は神の霊感を受けたものと言えますが、パウロがこれを述べた時の聖書はヘブライ語聖書のことを指していることは明らかです。
クリスチャン・ギリシャ語聖書、つまり、新約聖書は含まれていないのです。
なぜなら、まだ、世に存在していなかったからです。

ですから、わたしが上記のようの述べたとしても何の不思議もないのです。

わたしはこれらの手紙の価値を下げようとしているのではありません
皆さんと同じように、創世記などと同じ価値があり、霊感を受けたものであると思っています。
そして、実際そこに記されている事柄を聖句として適用もしているからです。

ただ、内容が他の書とは異なる性質も持っているという点を言いたいだけなのです。
もし、イエスが実際に手紙を書いたとすればその手紙は聖書の他のどんな書よりも価値があるものとして重宝されるのではありませんか?
イエスと違って、パウロやペテロなどの手紙ではそのような価値はないのでしょうか
そのようなことはありません
非常に高い価値のあるものなのです。
特にクリスチャンとしての歩みをする上ではこの上ない手紙=書なのです。
箴言や伝道の書などもありますが、これらは殆ど格言です。
しかし、これらの手紙は目の前で実際に起きていた出来事に対して「具体的に述べたもの」なので分り易く自分に当てはめ易いものとなっています
このような内容の書は聖書の他の部分には殆ど見られない特徴です。

 

わたしには、これらの手紙を読むと「そこでどんなことが起きているか」が見えるようです。
聖書の他の部分でも見えることがありますが、パウロやペテロなどの気持ちまで分かるような気がするのです。
勿論、聖書の他の部分でも同じように思う時もあります。

こうしたことは特別なことのように思うかも知れませんがそうではありません
例えば、何かの卓越した職人であれば、普通の人が見えない事柄まで良く見えるものです。
川上哲治のように座禅をしたり素振りを繰り返すことで、ボールが止まって見えるということもあるのです。
職人も川上哲治も普通の人と言えば普通の人です。
つまり、
努力すれば、また、経験を長く続けると自ずと見えるものがある」のです。
だからと言って、その人が預言者かと言えばそうではないし、誰もそのようには考えません。

もし、聖書に精通している人がいれば、誰しもがそのように「思う」箇所は幾つもあるものです。

さてこうしたことを聞いてあなたはどのように思いますか。

わたしは聖書を断定して述べているのではありません

いわば、状況説明をしているようなものなのです。

その中で、聖書の他の部分との違い、特徴を客観的に述べただけなのです。

 

いずれにしろ、ヘブライ語聖書=旧約聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書=新約聖書のすべては、内容に齟齬がなく、神に対する考えも一致しており、聖書の中の預言と成就についてもその通りになっており、イエス・キリストの立場や役割についての説明もすべて一致しており、創世記における出来事から最後の書として位置づけられているヨハネへの啓示の書まで神の目的が一貫していることに間違いはありません。

しかも、聖書全巻はおよそ1700年間かけて、別々の時代の人々が神の指示を、神の導きを受けて書かれたものなのです。

聖書の各々を書いた人々は、直接、間接を問わず、正に神の霊によって記したのです。

 

興味深いのは、最後の使徒ヨハネが亡くなった後に、聖書全巻が編纂されたということです。

この時には、神やイエスにより直接指示を受けられる人は存在していなかったのです。

なのに、聖書全巻は完成を見たのです。

余程聖書の内容に精通していなければこのようなことは出来なかったと思います。

 

しかも、他にも聖書に組み入れても良いと思われる、いわゆる「写本が存在していた」と思われるのです。

あるいは、パウロやペテロの「別の手紙」も存在していたかも知れません。

ですが、それらは何らかの理由で聖書に組み入れられることはなかったのです。

 

聖書全巻は、あたかも「一人の人が書いたかのようにすべての内容が一致しています」

  

個人的には、聖書の編纂に当たり「神の霊が働いた」と思っています。
それは、職人が他の人には見えないことがらが見えるように、聖書の内容に関して、一致しない点すべてを除外したものと思われます
それゆえ、聖書全体は内容に関して、一つの齟齬(そご)もないのです。
聖書の編纂者たちは「人間の考えではなく、神の考えを一貫して貫いた」のです。 

その正しさをいわば「真理」と言っていますが、

その「正しさの完全性」は、あたかも自然の法則のようなものです。

例えば、皆さんも良く知っている「ピタゴラスの定理」(別名、三平方の定理)ですが、公理となっています。

昔の人々は自然を観察しこのような法則を発見して来ました。

つまり、神による創造物を観測し法則を発見して来たのです。

他にもこのような法則が沢山ありますが、そのすべてを作られたのは「聖書の神、イエス・キリストの神」なのです。  

聖書はその神に導かれた「完全」な書なのです。

前文です
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それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者いずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18   

今回は、キリストの体=会衆は多くの肢体からなっておりそのすべてが調和していることを求められているという話です。

聖書の中で「キリストの体」という表現はクリスチャン会衆を表していますが、人間の体と同じように多くの肢体からなっていると説明されています。

これがどのような意味なのかを説明したいと思います。

 

初めに、「キリストの体」で表わされている「会衆」はいわゆる「神の王国」の一人となる人々からなる集団のことであり、地上で生きる希望を持つ人々の集団に対するものではないということを明記しておきたいと思います。

 

ですから、世界中にあるキリスト教の教会やものみの塔の会衆は「該当しない」ということです。

つまり、立場が異なるのです。

 

この点誤解がないようにする必要があります。

 

ちなみに、ものみの塔は今の会衆にも適用して説明していますが間違い」だということです。

 

それでは、説明に入りたいと思います。

簡単に言いますと、人間の体は様々な部位から出来ており、それらの働きが調和しているので「人間としての上手く活動が出来ている」ように、会衆内でも同様の働きによって全体として調和がとれているというものです。
しかし、それらを活動させている霊は一つだとも示されています。

この霊は約60兆個の細胞内に存在する命のようなものではなく、一人の人間を活動させている意識のようなものであり、また、その賜物であるその人の能力を発揮させる動力、あるいは、エネルギーであるということです。
つまり、そのエネルギーの元を正せば皆同じところから「来ている」という意味です。

これを神の導きとか、神の霊の賜物などと言ったりするわけです。

 

キリストの体の肢体、つまり、会衆内における「肢体」とは「クリスチャン一人ひとりの働き」のことです。

こうしたことについての話となっています。

この点についてパウロは次のように述べています。
コリント(一)12章
さて,賜物はさまざまですが,霊は同じです。
5 奉仕の務めはさまざまでも,主は同じです。
6 働きはさまざまでも,すべての人の中であらゆる働きをされる神は同じです。
7 しかし,霊の顕現は,有益な事柄を目的として各々に与えられます。

(霊の顕現とは、神の霊が人に働き各々の賜物を発揮することと言うことです)


8 たとえば,ある人には霊によって知恵のことば,ある人には同じ霊にしたがって知識のことば,
9 ある人には同じ霊によって信仰,ある人にはその一つの霊によっていやしの賜物,
10 さらにある人には強力な業の働き,ある人には預言すること,ある人には霊感のことばを識別する力,ある人には種々の異言,そしてある人には異言を解釈する力が与えられています。
11 しかし,これらのすべての働きを同一の霊が行なうのであり,その欲するとおりに各々に分配するのです。
12 体は一つであっても多くの肢体に分かれており,また体の肢体は多くあっても,その全部が一つの体を成しますが,キリストもそれと同じなのです。
13 まさしくわたしたちは,ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと,奴隷であろうと自由であろうと,みな一つの霊によって一つの体へのバプテスマを受け,みな一つの霊を飲むようにされたからです。

27 さて,あなた方はキリストの体であって,それぞれが肢体です。
28 そして神は会衆内にそれぞれの人を置かれました。第一に使徒,第二に預言者,第三に教える者,次いで強力な業,次いでいやしの賜物,助けになる奉仕,指揮する能力,種々の異言です。
29 すべてが使徒ではないでしょう。すべてが預言者ではないでしょう。すべてが教える者ではないでしょう。すべてが強力な業をするわけではないでしょう。
30 すべてがいやしの賜物を持つわけではないでしょう。すべてが異言を話すわけではないでしょう。すべてが翻訳者ではないでしょう。
31 それでもより大きな賜物を熱心に求めてゆきなさい。ですが,わたしはさらに勝った道をあなた方に示します。
-コリント(一)12:4-30

より大きな賜物を熱心に求めてゆきなさいとパウロは述べています。
これは、各人の能力を高めるよう努力するようにと言っているのです。
分かり易く言えば、聖書の知識を高める、資格を取る、あるいは、捉える、異言つまり外国語を習得する、預言を話す能力を高める、人を癒す(慰めを与えたり、励ましたりなど)能力を培う、熱心に活動するなどを追い求め、
会衆の体であるキリストの体のために資することを「自分の才能、能力」に応じて追い求めなさいという助言です。

また、
11 そして彼は,ある者を使徒,ある者を預言者,ある者を福音宣明者,ある者を牧者また教える者として与えました。
12 それは,奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的としてであり,
13 ついにわたしたちは皆,信仰と神の子についての正確な知識との一致に達し,十分に成長した大人,キリストの満ち満ちたさまに属する丈の高さに[達する]のです。

14 それは,わたしたちがもはやみどりごでなくなり,人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすることのないためです。

15 そうです,わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう

16 この[キリスト]をもととして,体の各部すべては,調和よく組み合わされることにより,また必要なものを与えるすべての関節を通して協働することにより,それぞれの部分が定めの機能を果たすにつれて,愛のうちに自らを築き上げることを目ざした体の成長に資するのです。
-エフェソス4:11-16

また、会衆の信者には様々な賜物がありそれぞれ役割が異なることも指摘しています。
しかし、最も大事なことは信仰と希望と愛」であり、このうち最大なものは「」だとも述べています。
-コリント(一)13:13

この愛とはアガペーつまり利他的な無私の愛のことです。
この点における重要性についてパウロは次のように述べています。
コリント(一)13章
たとえわたしが人間やみ使いの[いろいろな]ことばを話しても,愛がなければ,音を立てる[一片の]しんちゅうか,ただ鳴り響くシンバルとなっています。
2 そして,たとえ預言[の賜物]を持ち,すべての神聖な奥義とすべての知識に通じていても,また,たとえ山を移すほどの全き信仰を持っていても,愛がなければ,何の価値もありません。
3 そして,ほかの人たちに食物を与えるために自分のすべての持ち物を施しても,また,自分の体を渡して自分を誇れるようにしたとしても,愛がなければ,わたしには何の益にもなりません。
4 愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,
5 みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず,

6 不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。
7 すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。
8 愛は決して絶えません。それに対し,預言[の賜物]があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識が
あっても,それは廃されます。
9 わたしたちの知識は部分的なものであり,預言も部分的なものだからです。
10 全きものが到来すると,部分的なものは廃されるのです。
11 わたしがみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていま
した。しかし,大人となった今,みどりごの[時の]ことをやめたのです。
12 現在わたしたちは金属の鏡でぼんやりした輪郭を見ていますが,その時には顔と顔を向かい合わせて[見るの]で
す。現在わたしが知っているのは部分的なことですが,その時には,自分が正確に知られているのと同じように,正確に知ることになります。
13 しかし今,信仰,希望,愛,これら三つは残ります。しかし,このうち最大のものは愛です。
-コリント(一)13:1-13

また、
4 わたしたちが一つの体に多くの肢体を持っていても,その肢体がみな同じ機能を持つわけではないのと同じように,
5 わたしたちも,数多くいるにしても,キリストと結ばれた一つの体であり,また,それぞれ互いに所属し合う肢体であるからです。
6 こうしてわたしたちは,自分に与えられた過分のご親切に応じてそれぞれ異なった賜物を持っているのですから,それが預言であれば,[自分に]あてがわれた信仰に応じて[預言をし],
7 奉仕の務めであれば,その奉仕の務めに[携わりましょう]。また,教える者はその教えの業に[携わり],
8 説き勧める者はその勧めの業に[携わり],分け与える者は惜しみなく[分け与え],主宰の任に当たる者は真剣に[それを行ない],憐れみを示す者は快く[示しなさい]。
9 [あなた方の]愛を偽善のないものにしなさい。邪悪なことは憎悪し,善良なことにはしっかりと付きなさい
10 兄弟愛のうちに互いに対する優しい愛情を抱きなさい。互いを敬う点で率先しなさい。
11 自分の務めを怠ってはなりません。霊に燃えなさい。エホバに奴隷として仕えなさい。
12 希望によって歓びなさい。患難のもとで耐え忍びなさい。たゆまず祈りなさい。
13 聖なる者たちと,その必要に応じて分け合いなさい。人をもてなすことに努めなさい。
14 迫害する人を祝福しつづけなさい。祝福するのであって,のろってはなりません。
15 歓ぶ人たちと共に歓び,泣く人たちと共に泣きなさい。
16 他の人たちのことを,自分自身に対すると同じような気持ちで考えなさい。高ぶった事柄を思わず,むしろ,へりくだった事柄を求めなさい。[ただ]自分の目から見て思慮深い者となってはなりません。
17 だれに対しても,悪に悪を返してはなりません。すべての人の前に良いものを備えなさい。
18 できるなら,あなた方に関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい
19 [わたしの]愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ[神の]憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる」。
20 そしてこうあるのです。「あなたの敵が飢えているなら,食べさせなさい。渇いているなら,飲む物を与えなさい。そうすれば,燃える炭火を彼の頭に積むことになるのである」。
21 悪に征服されてはなりませんむしろ,善をもって悪を征服してゆきなさい
-ローマ12:4-21

別の言い方をしますと、
神のおきての最も大事なものです。
イエスは次のように語っています。
36 「師よ,律法の中で最大のおきてはどれですか」。
37 [イエス]は彼に言われた,「『あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』。
38 これが最大で第一のおきてです。
39 第二もそれと同様であって,こうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』。
-マタイ22:34-36

したがって、賜物というのは一人ひとりの能力に応じて与えられるものであるということです。
すなわち、突然奇跡的に「与えられるもの」ではなく、すでに持っている能力を「霊の力によって」各々発揮されるということです。

ですから、パウロが述べているように、皆が使徒になれる訳でも、異言を話せる訳でも、癒しを行える訳ではないのです。
この賜物は「行い」に関する事柄です。
聖書の知識や理解、あるいは洞察力に関してはすべての人に対して成長するする」ことを求めています。
しかし、悪に関しては「みどりご」であるべきだとも述べています。-コリント(一)14:20

また、すべてが預言者ではないと述べていることから、クリスチャンすべてが活発な伝道者、あるいは宣教者ではないということです。
これらにその賜物を持つ者、その能力に丈た者がいるということです。
つまり、多くの人を信者に導くことに才能を持つ者がいる一方で別の面で才能を発揮出来る人もいるということです。
この点、自分を良く知るということも大事なことです。
つまり、キリストの体の中での自分の役割、会衆内での自分の役割を自覚出来るからです。
ですから、
今のものみの塔のように、すべての信者に一律に伝道活動を求めることは間違いです。
会衆内にいろんな人がいて、調和がとれていると述べています。-エフェソス4:15―16
全体としてはすべてにおいてバランスが整っているということです。
自分が不得意でもある人にとっては得意分野かも知れないのです。
こうして、会衆全体が「完全な体」を構成しているのです。
そのようにキリストが導くのです。

ですが、それは「もう終わったこと」なのです。
キリストの体を構成しているのは神の王国の144000人」のことだからであり、彼らはすべて「キリストの体として調和がとれている」のであり、そうでない人は神の王国の一員には召されないのです。

現在このような会衆が存在していません
カトリックやプロテスタントのみならずものみの塔の会衆も聖書のこの基準を満たしていないからです。

現在の真のクリスチャンは世界各地に散らばって個々に存在しているだけなのです。
それでも、クリスチャンとして、啓示の書の七つの会衆に宛てた内容を個人的に適用することには「大きな価値」があります。
報いは違っても大きな価値」があるのです。

参考
ものみの塔の聖書の説明や解釈は字句」によるものが殆どです。
聖書全体、あるいは、文章全体の文脈と推敲から聖書の筆者が「何を伝えたいか」を解説することは、ものみの塔では殆ど出来ていません。
ある意味「憶測」ともとれる事柄だからです。
しかし、聖書に精通している人は確信を持って[その点]を話すことが出来るのです」
あなたはどう思いますか?
あなたも聖書の内容を解説する時に「確信を持って話すことが出来る部分がある」のではありませんか。
ものみの塔は「間違いを恐れ」こうしたことを避けて来たのです。
しかし、それは知識と理解力そして洞察力において「不足」しているからと断言出来ます。
もはや、ものみの塔聖書に関する「調査」以外信用出来る部分はありません
彼らの預言の解釈のある部分は間違っており、聖書の部分的な適用も間違っているのです。
第一、組織そのものが間違っているのです。

 

この点についても、あなたはどう思いますか?

  

ちなみに、聖書の中で大事なことは、

第一に神と神の霊、第二にキリスト、第三に神に仕えるみ使いたちの集団、第四に神の王国です。

すべて、いわゆる霊的な世界、天の事柄です。

その次が地上の人々であり、ある意味「その他大勢」という範疇なのです。

これは、いわば収穫した大豆を良いものと悪いものとを選別するかのように、選別された人々のことです。

重要なのはそのような「存在」がいるという点だけなのです。

ですから、これらの人々が自分のことや立場を強く意識することに殆ど意味はないのです。

 

そうではあっても「選別される必要」はあります。

天の「神の王国」に関する事柄は、この必要に応えるものです。

  

ものみの塔は信者を集めることで「神の大義」を行っている、「神とキリストの是認を得ている」と思い、あるいは、願っていますが、人々の選別はみ使いが行うのです。

 

人間の手を必要とはしてはいないのです。
この時、み使いの声に反応するのはその声の波長に合いその人の心が動かされることで起こるのです。

み使いの言葉は普通では人間には聞こえません
しかし、反応はするのです。
丁度、人間には聞こえない音に犬などが反応するように。 

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者いずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
 
今回は、ヨハネへの啓示の書の冒頭の七つの会衆に宛てた手紙から分かることという話です。

ヨハネがこのしるしをみ使いを通してイエスから受けたのはAD96頃のことです。
ヨハネ以外の使徒たちが亡くなって少なくとも26年以上も経っています。
ペテロやパウロが生きている間ですら信者たちには多くの問題があり数多くの助言がなされ、その内容がクリスチャン・ギリシャ語聖書の大部分を占めています

 

しかし、ヨハネへの啓示の書の冒頭、七つの会衆に宛てられた手紙を読むと興味深いことが分ります。
会衆の使いに対しての手紙ですが、それは会衆のイエスの弟子たちに対するものであることは言うまでもないことです。
1 この時になって、まだ会衆と呼ばれるものが存在していたという事実です。
 クリスチャンたちに対する迫害はユダヤ人による迫害だったものが、イエスが亡くなった後今度はユ

 ダヤ人のローマに対する反発からとローマ皇帝ネロの捏造によりクリスチャンたちを含めユダヤ人 

 すべてに対する迫害に変わりました
 そして、それがピークに達したのがAD70のエルサレムの滅びです。 
 その後もコンスタンチヌスの時代にローマ帝国がキリスト教を取り入れるまでは迫害や試練となる

 ことが続いていました。

 ということは、迫害の最中(さなか)にあっても、キリスト教が「目立つ形で存続していた」という

 ことです。
 そして、会衆内では背教や分裂や分派が起きており、また、淫行や偶像礼拝なども行われていまし 

 た
 

 当然、信者たちは迫害を恐れ、隠れるようにして集まりあっていたに違いありません
 いずれにしろ、この啓示の書により会衆が存在し活動していたことは事実だということです。

2 イエスは七つの会衆に宛てた手紙の中で、初めは善い行いを褒めていますが、最後に責めるべき点 

 を指摘しています。
 そして、弟子たちの行いに関しては「悔い改めるように」と述べており、迫害や試練に対して、ま 

 た、悪行や淫行や偶像礼拝などに対しては「征服する」ようにと述べています。

その内容は以下の通りです。
ヨハネへの啓示1章
9 あなた方の兄弟であり,イエスと共になって患難と王国と忍耐をあなた方と分け合う者であるわたしヨハネは,神について語り,イエスについて証ししたために,パトモスと呼ばれる島に来ることになった。
10 わたしは霊感によって主の日に来ており,ラッパの[音]のような強い声がわたしの後ろでこう言うのを聞いた。
11 「あなたが見ることを巻き物に書き,それを,エフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオデキアにある,七つの会衆に送りなさい」。
12 そこでわたしは,わたしと話している声[のほう]を見ようとして振り向いた。そして,振り向いたわたしは,七つの黄金の燭台を見た。

(黄金の燭台は、モーセの時代の幕屋=神殿の中に置かれていました。

 その中にいるは大祭司です。

 つまり、

 七つの会衆は、各々黄金の燭台で表されているということであり、それは、神の神殿の中にいるとい 

 うことです。

 したがって、七つの会衆の「イエスに是認された者たち」は神の神殿の中の奉仕者だということにな

 ります)


13 また,それらの燭台の真ん中に,人の子のような者が,足まで届く衣をまとい,胸に黄金の帯を締めて[立っているのを見た]。
14 しかも,その頭と髪の毛は白い羊毛のように,また雪のように白くその目は火の炎のようであった。
15 そして,その足は,炉の中で白熱しているときの純良な銅に似ていた。また,その声多くの水の音のようであった。
16 そして,右の手に七つの星を持ち,その口からは鋭くて長いもろ刃の剣が突き出ており,その容ぼうは力いっぱいに輝くときの太陽のようであった。
17 それで,彼を見た時,わたしは死んだようになってその足もとに倒れた。
すると彼は右手をわたしの上に置いて,こう言った。「恐れてはいけない。わたしは最初であり最後であり,
18 また,生きている者である。わたしは死んだが,見よ,限りなく永久に生きており,死とハデスのかぎを持っている
19 それゆえ,あなたの見たこと,そして,今あることと,この後に起きることとを書き留めなさい。
20 あなたがわたしの右手にあるのを見た七つの星と,七つの黄金の燭台とに関する神聖な奥義について言えば,七つの星は七つの会衆の使いたちを表わし,七つの燭台七つの会衆を表わしている。

 

エフェソスにある会衆の使いに書き送りなさい。右手に七つの星をつかむ者,七つの黄金の燭台の真ん中を歩く者がこう言う。
2 『わたしはあなたの行ないを知っている。また,あなたの労苦と忍耐を,そしてあなたが悪人たちに耐えることができず,使徒であると言いはするが[実は]そうでない者たちを試して,それが偽り者であるのを見いだしたことを[知っている]。
3 またあなた方は忍耐を示しており,わたしの名のために耐えてきた。そしてうみ疲れたことがない。
4 とはいえ,わたしにはあなたを責めるべき[こと]がある。それは,あなたが,最初に抱いていた愛を離れたことである。
5 「『それゆえ,自分が何から落ちたかを思い出し,悔い改めて以前の行ないをしなさい。もしそうしないなら,わたしはあなたのところに来て,あなたの燭台をその場所から取り除く。あなたが悔い改めなければ[そのようにする]。

6 しかし,あなたにはこの点がある。すなわち,ニコラオ派の行ないを憎んでいることである。わたしもこれを憎む。
7 耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者に,わたしは,神のパラダイスにある命の木から食べることを許そう』。

 

8 「また,スミルナにある会衆の使いにこう書き送りなさい。『最初であり,最後である者』,死んで,生き[返った]者がこのように言う。
9 『わたしはあなたの患難と貧しさを知っている ― しかしあなたは富んでいるのである ― また,自分はユダヤ人であると言いながら,[実は]そうではなく,むしろサタンの会堂[に属する]者たちによる冒とくを[知っている]。
10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない。見よ,悪魔はあなた方のうちのある者たちを次々に獄に入れるであろう。それは,あなた方が十分に試されるため,また十日のあいだ患難に遭うためである。忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう
11 耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者は決して第二の死に損なわれることがない』。

 

12 「また,ペルガモンにある会衆の使いにこう書き送りなさい。鋭くて長いもろ刃の剣を持つ者がこう言う。

13 『わたしはあなたが住んでいる所を知っている。それはサタンの座のある所である。それでもあなたはわたしの名をしっかり守りつづけており,あなた方の傍ら,サタンの住むところで殺された,わたしの証人,また忠実な者であるアンテパスの日にも,わたしに対する信仰を否定しなかった。
14 「『とはいえ,わたしには,あなたを責めるべきことが幾つかある。すなわち,あなたのところにはバラムの教えを堅く守っている者たちがいる。彼はバラクを教えて,つまずきのもとをイスラエルの子らの前に置かせ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせ,また淫行を犯させた。
15 あなたのところには,同じようにニコラオ派の教えを堅く守る者たちもいる。
16 それゆえ,悔い改めなさい。そうしないなら,わたしは速やかにあなたのところに行き,わたしの口の長い剣で彼らと戦うであろう。
17 「『耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者には,隠されているマナの幾らかを与えよう。また,白い小石を与えよう。その小石には,それを受ける者以外にはだれも知らない新しい名が書かれている』。

 

18 「また,テアテラにある会衆の使いにこう書き送りなさい。火の炎のような目を持ち,足は純良な銅のような者である,神の子がこう言う。
19 『わたしは,あなたの行ない,また,あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を,そして,あなたの最近の行ないが以前のものより多いことを知っている
20 「『とはいえ,わたしにはあなたを責めるべき[こと]がある。あなたがかの女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女預言者と称し,わたしの奴隷たちを教えて惑わし,淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせる。
21 そして,わたしは悔い改めの時間を与えたが,彼女は自分の淫行を悔い改めようとはしない
22 見よ,わたしは彼女を病の床に投げ込む。また,彼女と姦淫を犯している者たちが彼女の行ないについて悔い改めないなら,その者たちを大患難に[投げ込む]。
23 そして,彼女の子供たちをわたしは死の災厄で殺す。それによってすべての会衆は,わたしが腎と心を探る者であることを知るであろう。そしてわたしは,あなた方一人一人にその行ないにしたがって与えよう。
24 「『しかしわたしは,テアテラにいるあなた方のうちのほかの者,すなわち,この教えを持たない者すべて,彼らの言う「サタンの奥深い事柄」を知るようにならなかった者たちに言う: わたしはこれ以外の重荷をあなた方に負わせない。
25 それにしても,あなた方が持っているものを,わたしが行くまでしっかり守りなさい。
26 そして,征服する者,わたしの行ないを終わりまで守り通す者には,わたしは諸国民に対する権威を与え
27 その者は鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれるであろう。それは,わたしが自分の父から受けたのと同様であり
28 わたしはその者に明けの星を与える
29 耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい』。

 

「また,サルデスにある会衆の使いにこう書き送りなさい。神の七つの霊と,七つの星を持つ者がこのように言う。『わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは生きているとの名を持ってはいるが,[実は]死んでいるのである。
2 油断なく見張っていなさい。今にも死ぬ状態にあった残りのものを強めなさい。わたしは,あなたの行ないがわたしの神の前で十分になされたのを見ていないからである。
3 それゆえ,あなたがどのように受けてきたか,またどのように聞いたかを思いにとどめ,[それを]守りつづけ,そして悔い改めなさい。あなたが目ざめないなら,必ずわたしは盗人のように来る。そしてあなたは,わたしがどの時刻にあなたのもとに来るかを全く知らないであろう。
4 「『とはいえ,サルデスのあなたのところには,自分の外衣を汚さなかった少数の名があるにはある。彼らは白い[外衣]を着てわたしと共に歩くであろう。[それに]ふさわしい者だからである。
5 征服する者はこのようにして白い外衣で身を装うのである。そしてわたしは彼の名を命の書から決して塗り消さず,わたしの父の前またそのみ使いたちの前で彼の名を認める
6 耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい』。

 

7 「また,フィラデルフィアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。聖なる者,真実な者,ダビデのかぎを持つ者,開けてだれも閉じないようにし,閉じてだれも開けないようにする者がこのように言う。
8 『わたしはあなたの行ないを知っている ― 見よ,わたしはあなたの前に開かれた戸を置いた。それはだれも閉じることができない ― すなわち,あなたには少しの力があり,わたしの言葉を守って,わたしの名に不実な者とはならなかった。
9 見よ,わたしは,ユダヤ人であると言いながら[実は]そうではなく,偽りを語る,サタンの会堂の者たちを与える ― 見よ,わたしは彼らを来させてあなたの足もとに敬意をささげさせ,わたしがあなたを愛したことを悟らせる。

10 あなたがわたしの忍耐に関する言葉を守ったので,わたしもあなたを,地に住む者たちを試みるため人の住む地全体に臨もうとしている試みの時から守る。
11 わたしは速やかに来る。自分が持っているものをしっかり守りつづけ,あなたの冠をだれにも取られないようにしなさい。
12 「『征服する者 ― わたしはその者をわたしの神の神殿の中の柱とし,彼はもはや[そこから]決して出ないであろう。そしてわたしは,わたしの神の名と,わたしの神の都市,すなわち天のわたしの神のもとから下る新しいエルサレムの名と,わたしの新しい名とをその者の上に書く
13 耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい』。

 

14 「また,ラオデキアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。アーメンなる者,忠実で真実な証人,神による創造の初めである者がこのように言う。
15 『わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくも熱くもない。わたしは,あなたが冷たいか熱いかのどちらかであってくれればと思う。
16 このように,あなたがなまぬるく,熱くも冷たくもないので,わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。

17 あなたは,「わたしは富んでおり,富を得たのだから,何一つ必要なものはない」と言いながら,自分が惨めで,哀れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない。だから,
18 わたしはあなたが,富んだ者となるために火で精錬された金を,また,身にまとってあなたの裸の恥が現われないようにするために白い外衣を,そして見えるようになるため自分の目に塗る目薬をわたしから買うように忠告する。
19 「『すべてわたしが愛情を抱く者を,わたしは戒め,また懲らしめる。それゆえ,熱心になり,そして悔い改めなさい
20 見よ,わたしは戸口に立ってたたいている。わたしの声を聞いて戸を開けるなら,わたしはその者の[家]に入って彼と,そして彼はわたしと晩さんを共にするであろう。
21 征服する者には,わたしと共にわたしの座に座することを許そう。わたしが征服して,わたしの父と共にその座に座したのと同様である。

22 耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい』」。

耳のある者とは、キリストの弟子たちの中で「イエスの助言に従うことを望む人々」のことです。
霊が諸会衆に述べることを聞きなさいとはこの手紙の内容を真剣に受け止めなさいという命令です。

この手紙の主一人の人の特徴を示しており、それによって、会衆内で生じている事柄に関して助言しています。
このように述べることにより、この七つの手紙キリストの弟子たちの会衆全体を示していることは明らかです。
西暦1世紀末ごろに、実際にこの七つの会衆が会衆として機能していたかは分りません。
そして、この手紙が当時のクリスチャンに宛てただけの手紙ではないことも明らかです。
なぜなら、終わりの日の出来事やキリストの千年統治やその後の悪魔の誘惑と滅び、そして、神による再創造に関しても述べられているからです。

つまり、この手紙の指針単なる警告と助言と報いという話ではなくすべてのクリスチャン」に対する警告と報いでもあるということです。
特に、神の王国の144000人の一人としてキリストに召される人々にとっては。
なぜなら、この手紙に示されている報いのすべては彼らに対するもので、地上の人々に対するものではないからです。
さらに、
西暦2世紀以降、クリスチャンたちに生じる出来事を暗示しているとも言えます。
このしるしがヨハネに与えられたのはAD96頃だからです。
それゆえ、144000人の人々だけではなく、報いは異なりますが、地上のクリスチャンすべてに対する助言と警告でもあるということです。

この手紙の主に関する容貌に関しての参考
七つの黄金の燭台を見た。
13 また,それらの燭台の真ん中に,人の子のような者が,足まで届く衣をまとい,胸に黄金の帯を締めて[立っているのを見た]。
14 しかも,その頭と髪の毛は白い羊毛のように,また雪のように白く,その目は火の炎のようであった。
15 そして,その足は,炉の中で白熱しているときの純良な銅に似ていた。また,その声は多くの水の音のようであった。
16 そして,右の手に七つの星を持ち,その口からは鋭くて長いもろ刃の剣が突き出ており,その容ぼうは力いっぱいに輝くときの太陽のようであった。-啓示1章

11 また,わたしは天が開かれているのを見た。すると,見よ,白い馬が[いた]。そして,それに乗っている者は忠実また真実ととなえられ,その者は義をもって裁き,また戦う。
12 彼の目は火の炎であり,頭には多くの王冠がある。彼には記された名があるが,彼自身のほかはだれもそれを知らない。
13 そして,彼は血の振り掛かった外衣で身を装っており,そのとなえられる名は神の言葉である。
14 また,天にある軍勢が白い馬に乗って彼の後に従っていたが,彼らは白くて清い上等の亜麻布をまとっていた。

15 そして,彼の口からは鋭くて長い剣が突き出ている。それによって諸国民を討つためである。また彼は,鉄の杖で彼らを牧する。また,全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場も踏む。
16 そして,彼の外衣に,実にその股[のところ]に,王の王また主の主と書かれた名がある
-啓示19章

それからわたしは,ひとりのみ使いが底知れぬ深みのかぎと大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。
2 そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇を捕らえて,千年のあいだ縛った
3 そして彼を底知れぬ深みに投げ込み,[それを]閉じて彼の上から封印し,千年が終わるまでもはや諸国民を惑わすことができないようにした。これらのことの後,彼はしばらくのあいだ解き放されるはずである

7 さて,千年が終わると,サタンはすぐにその獄から解き放される。-啓示20章

などの表現はこの手紙の主と一致しています。

七つの会衆の中心にいて、自分に与えられた権威を行使てしているのがイエス・キリストであり、七つの会衆はクリスチャン全体を表していると考えることは必然だと思われます。
なぜなら、彼らが与えられる報い神の王国に属する人々に対してであり、各々別に与えられるものではなく全員に与えられるものだからです。
例えば、誰かにだけ命の冠を与えられ他の人に与えられないということはないのです。
つまり、七つの会衆に宛てられた手紙となってはいますが、クリスチャン[会衆]全員に宛てられたものであることは明らかです。

そして、啓示の書がヨハネに与えられたことからその後のクリスチャンに対するものであることも示しています。
つまり、それは現代の私たちにまで及ぶということですすでに神の王国の144000人すべてに証印を押された今、「地上で生きる希望」を抱いている人々には、このイエスの言葉は直接は適用されないということです。

しかし、それでも学べる点があります。
それは、これらの手紙から、
どんなに忠実で善い行いをしても「悔い改めるべき点がある」ということと、
イエスの命令に従い「征服」する必要があるということです。
これが出来ないと天においても地においても「報いは得られない」のです。
神とイエスの「人に対する基準は平等、公平」だからです。
天の召しに与る人々は確かに特別ですが人に対する扱いという点では平等、公平なのです。
つまり、二重の基準を持ったりはされないということです。
天の召しに与る人々でも、地上で生きる希望に与る人々でも同じ基準が適用されるのです。
例えば、淫行や偶像礼拝を行う人は、どちらにしても許されないのです。

 

こうしたことを聞いて、イエスの「七つの会衆に対する手紙の内容」をどのように受け止めますか?

一つひとつの言葉に「深い意味」が含まれているので、表面上だけの説明では十分に理解出来ないはずです。

それでも、イエスは報いを与えられるために何をすべきかを明確に示した」のです。

神とイエスに対する信仰とこの手紙に助言に従うなら報いは得られますがそれ以前に、信仰を持つために神とイエスに関する「正しい知識と正しい理解」が必要となります。

報いを与えられるには厳しい道のりが待っていますが、与えられる報いは「最高のもの」です。

金や宝石や地位や名誉やあらゆる財産にも勝るもの」です。

あなたはこれを手に入れたいと思いませんか。

 

ちなみに、七という数字は「霊的な意味で完全を表す数字です

地的な意味では10が完全を表す数字です。

例えば、モーセの十戒があります。

ファラオに、エジプトにもたらした災厄も十でした。

神の組織としては12、あるいは、12X12=144が完全数です。

例えば、

12X1000=12000は組織、あるいは、地から取られた天の集団として三重に完全なことを示しています。

神の王国はこうした組織であり、正に、宇宙の最高権威者たる「唯一真の神」に仕える組織として最高にふさわしいということです。

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさいあなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
  

今回の話は、人の本音は心にあるというものです。

人の本音は心にあります
その心をコントロールするのが意識であり思考です。
心にあるものをそのまま出すと、人間関係は決して上手くは行きません。
意識でコントロールし制御しているから人間関係を何とか保っている状態だと言えます。
それは、時には我慢であったり、気分転換であったりすることで「うさを晴らす」こともあります。
また、心にあるものが「動機」となって表に現れることもあります。
人は心にあるものをすべて外に出している訳ではありません

そこで登場するのがAIに自分の思いをぶつけてみることです。
すると、その人は自分の思いが増幅されコントロールされていたはずの本音動機となって表に現れる、あるいは、行動に出るということもあり得るのです。

本来は意識でコントロールされていた本音が、コントロール出来なくなり「人間性」を失うことになるかも知れないのです。

 

現代の若者詐欺の受け子になったり、安易に高額なバイト料に誘惑されて悪事に手を染める人が少なくありませんが、こうした人々は善悪に関して、意識で自分をコントロールする]という「人間性失ってしまったのです。
 

その理由現代の科学の進歩でありバーチャルでありテレビの影響(ドラマや映画やニュースやCMなど)でありスマホの影響であることは明白です。
また、○○活というのは幻想を現実にしたもので「健全なものではない」ことは明らかです。
良かれ悪しかれ自然、偶然」による出会いが人を成長させるのであって、いわば「据え膳」など楽な、安易な手段では人間としての成長は望めません

単に、自分の欲望を満たそうとする手段に過ぎないのです。
もし、人間として成長したいのなら安易な方法に手を出さないことです。

わたしは面倒なこと、複雑なことが嫌いですが、敢えて面倒なことをしていることがあります。
それは、防犯上の事柄です。
犯罪を犯す人の大半は、目立たず、隠れて、素早く、簡単に出来るところに「目を付け」機会を窺っていることが多いものです。
昔、車のカバーを何度も盗まれたことがありました。
そのため車に防犯装置を自分で作りつけました。
自分でも時々間違って大きな音を出してしまうことさえありましたが、それ以降は一度も盗まれませんでした
つまり、盗む人はわたしのしていることを見ていたのです。

今でも犯罪防止のために面倒な装置を取り付けたりすることがあります

人の本音は心にあります、これを人は本心といいます。
しかし、殆どの人はこの本心を隠していることは事実です。
ところが、人間性を失うと、つまり、意識で自分をコントロール出来なくなってしまい、こうして「人は犯罪を犯す」のです。

年寄りのアクセルとブレーキの踏み間違い同じです。
意識で自分をコントロール出来なくなっているのです。
このような人が車を運転することは刃物を振り回している」ようなものです。
こうした年寄りのために「貴重な若者の、働き盛りの人たちなど」の命が失われるのは「悲劇」です。
高齢者講習が義務付けられていますが、これで高齢者による事故は減らないと思います。
むしろ、高齢者の運転を禁止し、代替手段を国が全国津々浦々迄浸透させることです。
都会では移動手段はありますが、田舎では殆どないからです。
タクシーのようにするか乗り合いバスのようにするか多くのアイデアを募ることです。
電車の代わり、自動のトロリーバスなども有効です。
防衛費や物価対策に多額の税金を使うよりこうしたことに使うべきです。
また、これは多くの雇用も生み出します
普通のサラリーマンではなくこうした職業に就きたい、あるいは、向いている若者は大勢いるのです。

あなたは善悪に関して、意識で自分の心をコントロールしていますか
あなたは本心を意識して正しく、また、悪事に関してコントロールしていますか

完璧ではないにしろ、人は大抵のことに対しては出来ていると思います。
こうしたことが出来ない、しないことによって「人間性を失った人間」になりたいですか。
こうした点で努力しない人は、生まれてこない方が良かったと思う人間になってしまうかも知れませんよ

  

イエス・キリストを裏切った十二使徒の一人ユダ・イスカリオテは「僅かなお金のために、最も大事なものを失いました」

イエスはこのユダに対して「生まれてこない方が良かったでしょう」とさえ述べています。-マタイ26:24

最も、ユダの裏切りは初めから預言されていたことですが。

 

個人的には人に嘘を付いて騙したり、暴力を振るったり、人を殺したり、淫行を習わしにしたり、貪欲にも金銭を搾取したり、盗んだり、悪事に手を染める人は「生まれてこない方が良かった」と思います。

そうすれば、世界は平和で安全な場所となるからです。

 

勿論、誰しも生まれたばかりの赤ん坊の未来が分かる訳ではありません

生まれてから様々な理由や原因で犯罪などに至ったと思いますが、世の中の大多数の人は犯罪を犯さないように努力しているのです。

 

こうしたことを考慮すれば、やはり、犯罪を犯す人は「精神が健全には育たなかった」ということであり、その時点で「アウト」と言えます。

それは、誰の責任でもありません、すべて自分の責任なのです。

例えば、いじめに遭った人が仕返しをして犯罪を犯す人は少ないものです。

貧しい人が皆犯罪を犯すわけではありません。

人に対する恨みは耐え難いものですが、それでも皆苦難を耐えているのです。

 

犯罪者の多く「感情」を抑えることが出来なかった人です。

自分の感情を抑えられない人は、可能な限り「人と接しないこと、交わらないこと」です。

そうすれば、誰かに対して悪態をつかずに済みます

一人になって、落ち着くまで人と会わないことです。

もし、仕事があるのであれば仕事を休んだ方が身のためです

不機嫌のまま仕事をしても、何かのきっかけで感情が爆発しないとも限りません。

人生を後悔したくなければ落ちつくまで仕事を休み人との接触を避けることです。

snsで不満を、鬱憤を晴らすことは「卑劣な行為です

そういう人は「万死に値します

人は、人生において多くはない機会、耐え忍ぶことを学び実践する必要があるのです。

人には個性があり皆違うからです。

しかし、この数少ない「忍耐」の機会を「忍耐せずに人生を棒に振る程愚かなことはありません

 

山上徹也被告の家族は悲惨です。

一人の人(母親)のために、被告の父、兄などを失い家族は生活苦に喘ぎ普通に生きることさえ奪われたのです。

もし、普通に生きることが出来ていれば、優秀な社員として活躍していたかも知れないのです。

有能な人であっても、事件を起こしてしまう程追い詰められていたのです。

しかし、

それでも忍耐しなければならないのです。

そうしなければ自分を壊してしまうからです。

人生を棒に振ることになるからです。

 

それでもある人は言うかも知れません。

恨みを晴らせるなら死んでも構わないと

おそらく、山上徹也被告もそう考えたに違いありません

人を殺害することがどういうことかを理解していたはずだからです。

 

個人的には山上徹也被告は家庭が異常な状態の時、家を出て遠く外国にでも行って生活することも出来たと思います。

あるいは母親を家から追い出すことも出来たかも知れません。

あるいは、母親一人残して皆で家を出ることも出来たと思います。

 

なにがしかの方法があったと思いますが、誰にも相談出来ず苦しい思いをして来たことを考える同情します。

 

あるいは、ある人は耐えて何か良いことでもあるのかと言うかも知れません。

確かに、山上徹也被告のようではなくても、人生には苦難が付きまとうものです。

耐えて辛抱すると同時に、改善手段を講じていればいつかは報われるものです。

その時、事件を起こさなくて良かったと思うものです。

 

山上徹也被告の「家」は元は裕福な普通の家庭だったと思われます。

多額の献金を出来る程だからです。

しかし、母親の「エゴ」が悪徳宗教にのめり込ませたのです。

母親の動機は家族のためを思ってのことだったことは本人の弁によります。 

母親の悪徳宗教による間違った思い、騙された思いと欲」が事件の引き金になったのです。

  

山上家にとって、この母親は「悪魔のような存在」となってしまったのです。

山上徹也被告が事件を起こして逮捕、拘留、裁判となっても、この母親は何も変わらず普通に暮らしているのです。

自分の息子が自分のせいで事件を起こし裁判にかけられているにも拘わらずです。

本当に悪いのはこの母親であることは誰の目にも明らかなのに、裁きにかけることさえ出来ないのです。

そして、何よりも悪いのは悪徳宗教=旧統一教会です。

世の中矛盾していませんか?

 

ちなみに、旧統一教会は献金およそ1億円の内、5000万円を返金した、あるいは、返金途上にあるとしています。

母親はこれを心苦しいとさえ述べ、自身が過程を壊したことに対して「全く反省も後悔もしていません」

事件を起こしてからでは「後の祭り」です。

殆ど意味をなさない、旧統一教会の保身に過ぎません。

 

しかし、憲法による「信教の自由」という壁が、旧オーム真理教や旧統一教会を抹殺し信者を一人も許さないということが実現されていないのです。

 

話が山上徹也被告と彼の家のことになりましたが、すべては「心の問題」なのです。

  

犯罪の原因は、殆どの場合「自己満足や欲望を満たそうとする心が原因です。

個人的にはこの欲望を捨て去るだけで日々を平和で落ち着いた生活が出来ると考えています。

それでも、他の誰かが原因でその災難が降りかかることもあります。

その時も、感情に流されず感情的にならず「するべきこと(ただし、悪を除きます)をするだけで良いのです」

そうすれば自ずと問題は解決するものです。

時には、時間が解決してくれることもあります。

 

例えば、いつも顔を合わせていると意見が合わなかったり、いわゆる「反りが合わない」人はいるものです。

しかし、離れてしばらく会わないと、そうした感情は薄れ、また、忘れてしまうこともあります。

特に、親子の間柄というのは、兎角、このような場合が多いのです。

 

聖書の格言に次のような言葉があります。

23 守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ命はそこに源を発しているからである。

-箴言4:23

 

イエスは次のように語っています。

19 たとえば,心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,冒とくが出て来ます

20 これらは人を汚すものです。

-マタイ15:19

 

聖書には心に関する事柄が3403回も出て来ます。

それほど、心を守ることは命と同じくらい大事なことなのです。

心を守るとは、悪事を行おうとする自分の心を抑えること、コントロールすることです。

逆に正しいこと、善いことでも、必ずしもやっていいわけではありません

これとて、分別を働かせコントロールする必要があるのです。

正しいことをして逆に自分が加害者あるいは被害者になることさえある「世の中」だからです。

心をコントロールするのは意識です

  

あなたはどう思いますか?

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネへの啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章
10 終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさいあなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
  

今回は、現実と非現実[想像と空想]という話です。

ここ10日間殆どテレビを観ないようにしています。

ニュースや天気予報すら観ていません。
こうして情報をシャットアウトしたら、気が付いたことがあります。
誰しもがあることですが、最近、自分の中で現実と非現実(想像や空想など)が少し混一しつつあることに気が付いていました。
しかし、このように外からの情報をシャットアウトすることで、意識を他の情報による影響を排除し、いわば、自分だけの世界にしたのです。

ただし、現実に社会で働いている人などは外部からの情報をシャットアウトしたら仕事になりませんから長くは続きません2、3日あるいは1週間位が限界だと思います

わたしのように年金生活をしている人や一人で仕事をしている人などならば可能かも知れません。

 

そして、思ったことは
キリストの千年王国、つまり、神の王国の支配の下で暮らす地上の人間に求められていること」についてです。

 

当然、新体制ではテレビもラジオもネットも新聞もなくなります。

もしかすると、様々な本もないかも知れません。  

その時、もし生きていたら、野性の動物のように「その日の食べ物」など日常のこと以外することが殆どありません。

そうなると「日常すること以外に何かすることを見つけ、いわゆるやりがいを見い出せるかどうかは、その本人の能力による」ことになります

時には、リフレッシュも必要となるかも知れません。

 

さて、その時あなたはどうするでしょうか。

日々、農作業で頭が一杯の私でも、時には疲れリフレッシュすることが必要となる時があります。

 

既に、過去に知識として、あるいは、経験上分かっていたことも、改めて再認識させられることもあります。
人は、問題のない生活をしていると様々な問題を殆ど意識しなくなり問題に対処することに「疎く」なってしまうものです。
人間万事完璧ではないのです。

それでも、問題が全くない世界に住んでいたら、これすら問題にならなくなってしまいます。
キリストによる新体制になれば、今社会で起きている盗みや殺人や強姦や淫行や暴力や様々なハラスメントなど問題は無くなります。

加えて、前文の中で示されている「不義や悪行を行う人々」もいなくなります。

今の政治組織も企業も工場も車もスマホも電気もガスも水道も無くなるのです。

つまりは、あらゆる「悪」となるものは無くなり原始生活のような生活になってしまうのです。
大きな社会や組織やインフラ、そして、「悪」が無くなっても、人を騙すことや怒ることや苛立つことなど「人間性まで失われる」ことはありません。
当然、恐れも喜びも感動することもある訳です。

  

以前はキリストによる新体制になったら、今のものみの塔の信者のように信仰一辺倒な人々だけの世界になると考えていました。

しかし、現実の生活を「思い描く」と様々な点について疑問が起きてくるはずです。

日常の詳細についてはどこにも説明していないからです。


勿論、必要なものはすべて「備えてくれるはずだ」という信仰は大事なことですが、現実を考えると様々な想像や空想をしてしまうものです。

キリストと神の王国の統治下では、もはや信仰は不要となります。

人の希望や期待が現実となるからです。

というより、神とキリストの預言が実現するからです。-コリント(一)13:10
残るのは、信仰ではなく「神への崇拝とその精神」です。
現在は信仰=崇拝行為ですが、信仰が叶った後残るのは崇拝=確信だけです。

 

人間にとって「不足」だと思えても必要なものはすべて「備えられています」 

後は、各人の知恵と工夫でそれらのものをいかに活用するかということなのです。

当然、物事が思うように行かなかったり失敗するということもあります

マタイ24:21-31までと啓示7:1-17の記述から、大患難から出て来る、すなわち、生き残る人々の数が「すべての国民の中から来た、だれも数え尽くすことのできない大群衆」と示されているように、この預言は事物の体制、すなわち、今の「世の終わりの時のこと」であることは明らかです。

「天の召しに与らない人々」にとっての希望神の王国の下で暮らすことであり、「今生きている人々」にとっては大患難を生き残ることです。

この希望を抱くには神とキリストに対する信仰」が求められています。
自分の長い衣を子羊の血で洗って白く」する、つまり、イエス・キリストとイエス・キリストが行ってくれるすべてのことに信仰を抱く必要があるのです。
しかし、「望んでいることが到来するともはや信仰はもはや不要になります

そのため、神の王国の下で暮らす人々に求められていること神への崇拝と「不義と悪いことをせず真剣に働くこと」なのです。

 

日夜神の神殿で神性な奉仕を捧げるのは、この時ではなく、キリストの千年統治が終わって、最後の試練が終わった後のことです。
なぜなら、命の水の泉に導かれ、すべての涙が拭い去られるのはこの時だからです。-啓示22:1、2

繰り返しますと
今求められていることは信仰=崇拝行為であり、神の王国下では神への崇拝と「不義と悪事をせず真剣に働くこと」です。
そうすれば少なくともキリストの統治下で1000年生きることが出来るかも知れません
そして、その直後の悪魔の誘惑も退けるなら、命の水に導いていただけるかも知れないのです。
・・・知れませんというのは推測ではなく各個人に対しては確定していないという意味です。
これから起こることはハッキリしているからであり、これに与れるかは一人ひとりの行いに掛かっているからです。

この点、誰かの助言が役に立つとしても、その人に従うことではなく自らの意思と責任で行う必要があります。
いつまでも親から食べさせてもらっている幼子のようであってはならないのです。-コリント(一)14:20

話を始めに戻しますと、
今後も外からの情報をシャットアウトし目の前の現実と自分の世界のみの状態にすることで、「世と世にあるもの」を可能な限り排除したいと考えています。-参考ヨハネ(一)2:15-17


皆さん、テレビやネットやスマホは「時間泥棒」です。
この被害に遭わないようにしましょう
加えて、現実と非現実(想像や空想など)を混一しないようにしましょう。 

スマホに熱中したり気を取られていると「大事なこと」を忘れてしまうかも知れませんよ。

  

ちなみに、わたしは以前社会で仕事をしていた時には「携帯」を持っていましたが、辞めた時に破棄しました。
そして、今もスマホをもっていません。

必要ないからです。
妻は、必要があり持っています。

ただし、ネットは家の固定電話と同じくらい必要なので1995年頃から継続してやっています。

固定電話も今では「ひかり電話」で、間接的にネット上の電話となり、全国一律8.5円/分だったと思います。

それでも、相手がスマホだと通話料金が高くなります。

いわゆる「箸休め」です。
この記事は、いつもの聖書の考えを元にした[善悪]などの記事を離れ「一服」しましょうという内容のものです。
分かってはいても、少し興味深いかも知れません。

不定期投稿です。

第1回は漢字忘れにどのように対処するかというものです。
漢字を使う国は中国、台湾、韓国そして日本です。
韓国では殆ど漢字を使いませんから余り自覚がないかもしれませんが、日本では漢字能力が著しく低下しています
その原因ワープロの登場であり、現代のスマホやパソコンによる漢字変換機能であることは言うまでもないことです。
これにより、漢字を書くことが出来なくても機械が教えてくれるので「書ける必要が無くなった」のです。
その漢字を知っていて識別できればそれで用は足りるのです。

かくいう私も例に洩れず漢字を思い出せない時があります
漢字変換は役に立ちます
それでも、その漢字が文章の意味として正しいのかを新ためて確認する必要がある場合もあります。
日常的に「ことば」としては使っていても、いざ書くとなると思い出せないことが多いのです。

幼い時から漢字を覚えることを苦手にしている人は多いものです。
おそらく、現代では殆どの人が苦手だと思います。

漢字を書ける、思い出すということにどれほどの価値があるかと言えば、「道具を使って正しく書ける」のであれば、敢えて覚える必要がないのではないかという考えも当然出て来ます。
漢字変換で正しく選択出来れば良いのです。
書ける必要性はそれ程ないとも言えます。

しかし、現状では手書きで書かなければならない場面は多くあります
それは何かの申請書を書く場合などです。
それでも、フォーマットをダウンロード出来れば、漢字変換だけで済みます。
このように入力をサポートするソフトも数多く出回っています。

益々漢字を「書ける必要性」が少なくなってきているのも事実です。

こうした実情は兎も角として、漢字を書けることは脳の機能の低下を予防するのには効果があると考えられます。
皆さんならどのようにして漢字を覚えますか。
漢字練習帳などを買って来てそれで練習しますか?
この方法だと覚えても忘れることが多いものです。

記憶は「印象」を付加することで覚えやすくなるということは証明済みです。
例えば、一度に沢山のことを覚える「記憶術」などは典型的な例です。
実は、漢字を偏と旁に分けて覚えるという方法もあります。
皆さんは知っていましたか?
受験生などは参考になると思います。
思い出せない時「状態から連想」することが出来るからです。
例えば、忘れるのという漢字です。
これを心を亡くすと覚えるというものです。

忙しいのという漢字です。
これも同じく心を亡くすと覚えるものです。

実は漢字はすべてこのような成り立ちになっているのです。

他にも、糞という漢字では、米が異なるという構成になっています。
つまり、米=ご飯を食べると消化されて糞=うんこになって出て来るというものです。

最も優れた覚え方は、
関心のある本を読んで、その感想文を書くことです。
こうすることで、
読んで覚え、書いて覚えるということが出来るからです。
本の内容からも連想することも出来ます。
これは、その漢字に印象を与えるものとなります。
こうなると大抵はその漢字を生涯忘れることはないと思います。
見る、書く、考える、思い(感情)、想像するなどにより脳に強く印象付ける訳です。

また、読書を音声で聞くと、文字ではなく言葉による脳の刺激で、聞いた内容をイメージしたり想像したり様々な思いが去来し、読んだ時以上の考えが浮かぶ時もあります。
これは、いわば、会話をしている時の脳の反応の速さと同じ感覚です。
会話よりも話の内容が文脈として確立していますので、「聞く力のある人にとっては思考と思いの訓練ともなります。

文字で読んでも同じですが、音声で聞くとやはり「自分の良く知っている事柄や言葉」に脳が反応していることが分かります
勿論、知らないことに関する疑問というものも発生しますが、テープなどで聞いている時にはテープの再生を止めない限りその疑問は後回しになってしまい、時には忘れてしまいます。

それでも、話の全体を掴むにはテープなどで聞きならが考えるのが最善です。
それは自分の印象に残ったより重要な事柄だけに思考が働くからです。

これは、同じテープを聞いても他の人とは当然異なるものです。
それは、聞いた人の関心事や知識や経験や理解力が異なるからです。

つまり、十人十色なのです。

それでも、肝心の脳が老化してしまったら何をやっても効果は薄いと思います。
第一、年を取ると記憶が長続きしません。
それに、意味もなく沢山覚えることに抵抗を感じる人は多いものです。
漢字は使ってこそ「意味がある」のです。

漢字に関する問題は思い出して書くということだけではありません。
漢字をどのように読むかということも問題となります。
現代の若者の多くは漢字の読み方を知らないことが多いのです。
漢字の読み方とその意味を知らないことは、その人にとってその漢字は全く意味をなさないものなのです。

難しい漢字を大抵の人は読めません。
大抵は辞書で調べたり、ネットで調べることも出来ます。
その意味も同時に教えてくれます。
しかし、この手軽さが逆に忘れやすくしているのです。

アルファベットであれば筆記体というものがあり、また、読み方を知らないという場合があります。
最近では筆記体で書かれた文章を読めないということもあるようです
英語の場合、ドイツ語の方言が英語になったと言われていて、ドイツ語の発音の名残りが残っているので、時々混乱する場合もあります。
同じスペルでも発音が異なるからです。

外国人でも名前を聞いた時スペルも聞くことが多いものですが、日本人でもどういう漢字を書くかを確かめることがあります。
外国ではスペルと発音(読み方)を、日本では漢字と読み方を確かめる必要があります。

漢字の音訓読みもあります。
この音訓読みは日本だけです。
ひらがなやカタカナも日本だけです。
更に日本語には連用形、未然形、などいわゆる五段活用というものが6種類あります。
これに加えて、音便変化というものがあります。
音便とは,もとの音の一部が発音しやすいように変化することです。
いわゆる方言として考えている人も多いです。
例えば、京都弁や大阪弁などがその類に入ると思います。
分り易く言えば、堅苦しい標準語ではなく「言いやすい言葉」であり「自分の気持ちや感情」を最も良く表現した言い方とも言えるものです。

当然ながら、学校ではあまり音便変化は習いません。
多くの人はその地域に住み、その地域で使われている表現をその意味と共に身に付けて行くものです。

更には、日本語には送り仮名というものがあります。

話す時には問題にならなくても、書く時に問題となることがあるのです。

ただ、この送り仮名に関しては文科省も融通を持たせている場合もあり「混乱を招く」こともあります。

例えば、「あらわす」を漢字にした時「表す」「表わす」などどちらでも許される場合があるからです。

はなし」にしても「」と「話し」のように、二通りの使い方がある漢字もあります。

日本語の難しさはドイツ語並みです。
日本人ですら良く分かりません
国語の試験の時に覚えるくらいで、生涯これを意識して話したり文章を書いたりすることはありません。
しかし、現実には普通に使っているのです。
ですから、外国人にしてみれば沢山の言語があるように感じ、日本語は難しいと考える人が多いのです。
難しいドイツ語でも同じだと思います。

いずれにしろ、言語習得は文法を考えると難しくなります
そのため、会話などから入るのが良いのです。
理由は兎も角として、例えば、英語のように「こんにちは」はHow do you do. How are you doing. Hollow. Hi, などと「覚える」ことです。
英語の場合、これに、聞き取りという難解なことが出て来ます。
特に、英語の場合は、前の単語の語尾と次の単語の頭をくっつけて発音することが多いので、普通に単語を知っていても、全く聞き取りが出来ないということがしばしば生じます。
しかも、早口なのです。
日本語はゆっくりとした発音ですから、とても、英語の発音にはついていけないのです。

更に、どの言語でもアルファベットによる表記が出来ます。
日本語も出来ますが、日本語には同音異義語があるので「混乱」します。
文脈や会話などから特定されるものですが、それでも、その意味を確かめる場合も少なくありません

ということで、箸休めにはならなかったかも知れませんが、漢字、言葉という重要なコミュニケーションツールであり、日常使っているものでありながら「突き詰めると大変難しい」ものです。

しかし、それでも、誕生してから5歳ぐらいまでには十分会話が出来るまでの理解し、また、使えるようになっているものです。
人間の脳の優れた一面です。
他の生き物では不可能です。
しかし、オームのように言葉を覚えて、しかも、正しく発音し、また、正しく用いることの出来る動物もいます。
さらには、動物は訓練によって人間の言葉に反応、あるいは、従います。

これは、神が人間を創造した時人間に与えた命令によります。
26 次いで神は言われた,「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。
27 そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された。
28 さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。-創世記1:26-28

これは、現代のように武器などを用いた「威嚇」などによって従わせるというものではありません。
神に似た知恵と特質によって行わせるというものです。

人間にはこれらの生き物を正しく管理するように命じられているのです。
そのために、付与された知能でもあります。

この点、人間がこの知能を悪用していることは明白です。

最後は、少し堅苦しい話になってしましました。
成り行きです。
  

前文です
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。

その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して 
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 

テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7 

ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24

エフェソス6章10 
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい
エフェソス6:11-18

エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    
-エフェソス5:1-7

ガラテア6章 
 7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9 

コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。

18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18

今回は、日本の、文科省によるの学校の在り方の間違いという話です。

国立大学を除いて、大学は市立、私立で設立されます。
日本には大学が多すぎるのです。
高校も同じです。
公立の小中学校は人数が減ると統合され学校自体が減少しています。
今や、少子化の時代なのに高校も大学もその数が減っていないので赤字経営となることは当然のことです。
就学人口に対する学校の数が多いことは明らかです。

国は公私立を問わず補助金を出して学校の運営をサポートしています。
これ自体は問題ではありませんが、学校の現状を悪化させる要因となっていることは事実です。
高校も大学もその数は多すぎるのです。
加えて、今や余り優秀でなくても、将来の展望を持っていなくても大学へ進学する人が多いです。
それは、単に就職に有利だからという理由で入学し入学してから将来のことを考えるなどと言っています。
大学で専門知識や技術を身に付けるということが少なく、学生の多くは大学生活で「真剣に学んでいる」のではなくただ「学生生活を楽しんでいる人が多いのです」
これでは、いくら日本人が勤勉だと言っても世界に負けてしまします。
今、世界で技術や物作りで質の良いものを作り、自動車や他の優れた製品を輸出したりしていますが、そうしたノウハウの殆どは伝統や年配の技術者たちが土台となっているのです。
年配の技術者の多くは、いわゆる叩き上げで学歴は、例えば中卒という人も少なくありません。

今日本の若者の多くが望んでいるのは大学を出て良い企業に就職をし多額の収入を得手豊かに暮らすという「ホワイトカラー」です。
ホワイトカラーと言われる人々はいわば汚れない仕事をするサラリーマンです。
肉体労働者や技術者でもありません。
こうした「物を作らない」サラリーマンがいくら増えても社会は良くなりません

確かに、物作りの世界では「設計をする人、それを実際に作る人、作ったものを宣伝したり売り込む人、作ったものをアフターサービスをする人」などに加えて「経理」という金銭を管理したり「マテリアル=製品を作るための材料」を確保したり、会社の方針を決定する部門なども必要です。
ですから「ホワイトカラー」も必要なことは言うまでもありません

日本は工業国でありますが、自給自足の必要のある国でもあるのです。
そのため、
大学ではなく、農業や林業や漁業などの専門学校を増やし、野菜や米などを作る人を増やすべきなのです。
あるいは、建築の専門学校を作り、ビル、家、道路、橋、トンネルなどを作ったり保守管理する専門技術者の育成をしたり、
現在ある料理学校、調理師学校、洋裁、和裁の専門学校、理容・美容師学校、保育・養護・介護・ケアマネージャー、自動車整備学校、農機具整備学校、野生動物管理、飼育、保護などの専門学校などがありますが、
大学以外の受け皿を多くし若者の進路を広げることが重要です。

今は、余程のことが無い限り、大抵は大学へ進学する傾向にあります。

  

とりあえず大学を出ておこう」という安易な気持ちの人が非常に多いと思います。
あるいは、大学で将来やりたいことを見つけようという考えの人もいます。
あるいは、大学のサークル活動を楽しみたい部活で将来プロを目指したいなど様々な理由があると思います。

野球、ゴルフ、サッカー、バスケ、バレーボール、陸上競技、相撲などなど。

しかし、こうした世界で成功し生涯仕事として携わることのできる人はごく少数です。

大半の人たちは短い選手生活の後、新しい仕事に就くことになります。

この時点で既に他の人に負けているのです。

夢を追いかけるのも「人生」ですが、生活を支える仕事において「出遅れる」ことは、その後の人生を困難なものにします


大半の人はこうして人生の4年間かそれ以上を、ある意味「無駄」に過ごすことになります。
無駄」にはならなくても「良い経験」「知識を学ぶ」などの点で利点はあり、その後の人生に役に立つこともあります。
特に、精神面や気持ちの面では明らかに役に立っていると思います。

 

今の世の中では人生は「他人との競争」です。

人生において、この4年間を「将来やりたい職業の専門知識を学ぶ時間とするか否かで人生の成功が大きく変わって来ます。

 

将来の目標を定め、専門知識や技術を大学で学ぶという目的を持った人ではない多くの人は、

大学を出て、口先だけの人間となってしまう」ことが多くみられ、こうしたことにどんな価値があるというのでしょうか。

確かに、それでも「アイデア」という点では無駄にはなりません。

しかし、それで「自分自身が何かを作ったり生み出せるわけではない」のです。

 

人の能力としての価値は、人格を別にして考える自立し自力で仕事が出来る人です。

今は、大抵の人は「雇われ」で仕事をしています。

小さい会社であれ大企業であれ公務員であれ国会議員や地方議員でも「雇われ」なのです。

つまり、集団の中の「一つの歯車」的存在でしかないのです。

 

農業のようにすべてを自分で行っている訳ではありません

 

以前のブログでも述べましたが、学校はいわば労働者の育成なのです。

そのための「必要最小限の知識を学ぶ場所」です。

こうして社会における共通認識を持つことは、互いに協力し合って仕事をする上においては重要なことです。

読み書きそろばん」と言いますがこうした素養、教養は何をするにしても「その地域で仕事をしたり生活する上においては重要なことなのです」

専門知識を除き、仕事をし生きて行くための素養義務教育の中学校までで十分です。

しかし、物事を成し遂げるには更なる知識と技術などの能力」が必要であることは言うまでもないことです。

 

わたしは70歳近くになってやっと畑を借りることが出来、畑を耕し種や苗を植え育て収穫を楽しんでいますが、

農業資材を手に入れる時以外は殆ど誰の助けも借りず一人でやっています。

自立している感」があります。 

すべて自己責任で行っています。

上手く行くこともあれば上手く行かないこともあります。

上手く行かない時には考えてやり直せば済むことです。

失敗したという考えも思いもありません。

ただ、すべきことをすれば良いだけのことです。

上手く行かなかったのは知識が不足し、するべきことをしなかっただけなのです。

余り成果を期待はしていません、上手く収穫できたときに喜ぶだけです。

農業で自給自足を目ざしていますが、これで生計を立てている訳ではないのです。

生計は僅かな年金で立てているからです。

つまり、

自立感はありますが、他人から見ればただの道楽」に見えます。

 

そのため、世の中で働いている人を見ると忍びない気持ちになります

昔「雇われていた時の様々な嫌な思い」があり、人に雇われることは「簡単ではない」のです。

その中で「上手くやっていくには、様々な条件」があります。

その条件をクリアするためにもいたずらに大学へ進むことは推奨しません

専門学校で「早くから知識と技術を学ぶ」ことは良いことなのです。

 

昔の教え子の中に、とても優秀な子がいました。

その子は大学へ進学せず専門学校へ行き「親の後を継ぐ」という選択をしました。

少し驚きましたがその子はその通りの人生を今も歩んでいます

それでも、その子は高校生の時から他の生徒とは「考えが少し変わっていました」(悪い意味ではありません)

明確に自分の考えを持っていた子でした。

わたしはこのような子が好きでした。

 

今は、農業を大学で学ぶ人は少なくありません

それはそれで良いのです。

しかし、大学はいわば「研究者を育成する場」という考えが強いのです。

農業大学は農業の専従者を育成する場ではないのです。

大学で農業を学ぶのは、単に農業の仕方を学ぶのではなく、作物を育て方や効率、土壌汚染、化学物質の影響、肥料などの種類とその活用、連作障害などの影響、水質汚染、殺虫剤など農薬を用いた時の人体に対する影響、良い土質、大規模農業と小規模農家との経営の違い、農業の法人化などなどを研究者として学ぶことは沢山あります

 

実際、農業では、

肥料や殺虫剤や消毒剤や除草剤、更には土壌改良材などを扱いますから「ある程度の化学知識」を必要とします。

不用意に扱うと健康被害を受けてしまうからです。

作物を管理するための統計や分析、遺伝子改良などの知識も必要とします。

こうしたことは、一般的には高卒程度の学力で十分です。

農家のお婆さんたちでさえ「教えられ、また、経験上」こうした知識を持ち合わせているものです。

農家のお婆さんたちの中には高学歴の人は殆どいません

しかし、農作物を作ることにおいては「達人並み」であることは少なくないものです。

  

単に農作物を作るためではなく、こうしたことを学び実践の中で研究をしたいなら大学へ行くことを勧めますが、それ以外では勧めません。
農業はするべきことが決まっていますから、大学での専門知識や技術は必ずしも必要ではないのです。

実際、農業をしている有能な人の大半高卒、あるいは、中卒です。

わたしのような素人でも出来るのです。
ただ、上手く行くか否かの問題だけです。
大きな問題ではありません。

農業で生計を立てている親がいれば、学ぶ時間は沢山あるからです。

それでも、農業で生計を立てている人は苦労が多く大変であることも事実です。
今年のように「米不足」になり、米価が高騰し「米が売れなくなることを心配する農家」は非常に多いのです

野菜も高騰しています。
加えて天候に左右されますから、もし台風や干ばつや昆虫や病気などで十分作物が穫れないと農家にとっては命取りになってしまいます。

逆に収穫が多すぎても価格が下がり過ぎるので、時には、大事に育てた作物を廃棄することさえあります。
そのため農業という不安定な職業に就く人が減っているのも事実です。

一例として農業を挙げましたが漁業でも林業でも同様です。
しかし、
人間は「食べて生きている」ことを忘れてはなりません。
これらの職業は決してなくならないのです。
国もこれらの職業を重視し毎年対策を講じているのも事実です。

 

大学教育を否定しているのではありません

大学に行かなければ就けない職業や取得出来ない資格も少なくありません。

例えば、医師、教師、弁護士(司法試験は誰でも受けられますが専門知識を必要とします)、税理士、会計士、地質学、考古学、政治経済・金融の専門家、芸術(大学へ行かなくてもなれますが、教養が不足します)、災害などの研究者、気象学、宇宙工学、情報工学、通信工学など工学系の知識と技術、言語学、宗教学、文化人類学、社会環境工学、都市計画などなど専門性のある学問は非常に多いです。

 

こうした知識を学び、将来その道の専門家を目指す人にとっては大学で学ぶことは重要なことです。

しかし、若者の人口が減少しているのです。

当然、学校の数も減らすべきです。

 

ちなみに、天才的な人、優秀な人、普通の人、少し能力の劣る人、障害者級の人の、人口比率はほぼ決まっているのです。

しかし、近年、障害者が増加しています。

これは、科学と進歩を求めた社会の責任です。

 

仮に、もしわたしが考えている国にすることが出来ればこうした問題はすべてなくなります

以前のブログを読んで頂ければと思います。

 

  

今の国の在り方が間違っているのです。

あなたはどう思いますか?