わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。
ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。
クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。
法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。
ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。
世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。
イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。
いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。
また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。
しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。
人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。
聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。
更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。
前文です。
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。
その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの
ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。
七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
とになっています。
その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の
最後の災いとなります。
参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです)
テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7
ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24
エフェソス6章10
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18
エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。
-エフェソス5:1-7
ガラテア6章
7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9
コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。
略
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
用されます。
したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)
コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34
創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告)
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
なぜなら、命は血によって支えられているからです。
つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
となのです。
「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
ます。
したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。
では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ
うか。
全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること
なのです。
参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で
示されています。
女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。
ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り
返しある生きものはいません)
今回は、「人は善悪を知るようになった」と神が言われたことの意味についての話です。
テレビドラマで時代劇や戦前、戦中、戦後のことが多いのはその時代の人間模様を通し人の善悪について国民を啓発することが目的であることは明らかです。
実際、多くの視聴者がこうしたドラマを見てノスタルジックな気持ちになっていることは事実です。
いわゆる善悪に関しては学校でも習いません。
善悪を「知っているもの」として生徒を扱っているのです。
また、学校で習う道徳も表面的なもので誰もそれを実践しようとは考えていないことは明らかです。
世の中の人々の考えや振る舞いを見ればこうしたことはハッキリしています。
世の中の悪や犯罪が無くならない理由の一つに幼い時から徹底した善と悪に関する教えをしてこなかったことを挙げることが出来ます。
教える大人自身もこれを法的に規制のない道徳としてしか捉えていないことや自分自身も多くの悪を行っているからでもあります。
つまり、人は「善悪を知る」ことに関して「正しい知識と理解」も実践もをしていないということです。
聖書の中で「悪」とされていることの一つに「怒り」があり、大抵の場合それは罪です。
怒りや憎しみで殺人をすることもあります。
創世記4章
さて,アダムはその妻エバと交わりを持ち,彼女は妊娠した。やがて彼女はカインを産んで,こう言った。「わたしはエホバの助けでひとりの男子を産み出した」。
2 後に彼女は再び子を産んだ。彼の兄弟アベルである。
そしてアベルは羊を飼う者となり,カインのほうは地面を耕す者となった。
3 そしてしばらくたってからのこと,カインは地の実りの中から幾らかをエホバへの捧げ物として携えて来た。
4 一方アベルのほうも,自分の羊の群れの初子の中から,その脂ののったところを携えて来た。さて,エホバはアベルとその捧げ物とを好意をもって見ておられたが,
5 カインとその捧げ物とは少しも好意をもってご覧にならなかった。するとカインは非常な怒りに燃え,その顔色は沈んでいった。
6 それに対しエホバはカインにこう言われた。「なぜあなたは怒りに燃えているのか。なぜあなたの顔色は沈んでいるのか。
7 善いことを行なうようになれば,高められるのではないか。しかし,善いことを行なうようにならなければ,罪が入口にうずくまっており,それが慕い求めているのはあなたである。あなたはそれを制するだろうか」。
8 その後カインは自分の兄弟アベルに言った,[「さあ野に行こう」。] そして,ふたりが野にいたときに,カインは自分の兄弟アベルに襲いかかってこれを殺した。
(参考:神に捧げ物、例えば「神に仕える」ことも自分を「神に捧げる」行為と見なすなら、それが
自発的なものでも「最良」のものでなければならない、つまり、そこに偽りや怠惰があると神はそ
れを受け入れないことを示しています)
しかし、神も怒りを示す場合もあります。
神の怒りは「正当」なものであり、人間の罪による怒りとは全く異なるものです。
民数記11:1
11章
さて,民はつらいことがあってエホバの耳に不平を述べる者のようになった。それを聞いてエホバの怒りは燃え,エホバの火が彼らに対して燃え立って,宿営の端にいた者たちを焼き滅ぼすようになった。
啓示14:10、19
10 その者は,憤りの杯に薄めずに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲むことになり,聖なるみ使いたちの見るところで,また子羊の見るところで,火と硫黄による責め苦に遭わされるであろう。
11 そして,彼らの責め苦の煙は限りなく永久に上り,彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,まただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない。
略
14 またわたしが見ると,見よ,白い雲が[あり],その雲の上には人の子のような者が座っており,その頭には黄金の冠があり,その手には鋭い鎌があった。
15 また,別のみ使いが神殿[の聖なる所]から現われ出て,雲の上に座っている者に大声でこう叫んだ。「あなたの鎌を入れて刈り取ってください。刈り取る時が来たからです。地の収穫物はすっかり熟しているのです」。
16 すると,雲の上に座っている者がその鎌を地に突き入れ,地は刈り取られた。
17 また,さらに別のみ使いが天にある神殿[の聖なる所]から現われ出たが,彼も鋭い鎌を持っていた。
18 また,さらに別のみ使いが祭壇から現われ出たが,彼は火に対する権威を持っていた。そして,鋭い鎌を持つ者に大声で呼ばわって言った,「あなたの鋭い鎌を入れて,地のぶどうの木の房を集めなさい。そのぶどうは熟したからである」。
19 すると,み使いは鎌を地に突き入れて,地のぶどうの木の取り入れを行ない,それを神の怒りの大きなぶどう搾り場に投げ込んだ。
20 そして,その搾り場は都市の外で踏まれ,搾り場から血が出て馬のくつわに届くほどになり,千六百ファーロングの距離に及んだ。
一方、人間の怒りに関しては次のように述べられているように、多くの場合は「悪」であり「罪」です。
コリント(二)12:20
20 わたしは,自分が着いたとき,あなた方がわたしの願うとおりでないのを見,わたしもあなた方にとって,あなた方の願うとおりではなかったということになりはしないか,そして,闘争,ねたみ,怒り,口論,陰口,ささやき,思い上がり,無秩序な事態がありはしないだろうかと気遣っているのです。
ガラテア5:20
19 さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
エフェソス4:31
31 すべて悪意のある苦々しさ,怒り,憤り,わめき,ののしりのことばを,あらゆる悪と共にあなた方から除き去りなさい。
しかし、義憤という言葉があるように、実際イエスも「怒り」を露わにしたこともあります。
マタイ21:10-13
10 さて,彼がエルサレムに入ると,市全体は「これはだれなのか」と言って騒ぎ立った。
11 群衆は,「これは預言者イエス,ガリラヤのナザレから来た方だ!」と告げていった。
12 それからイエスは神殿の中に入り,神殿で売り買いしていた者たちをみな追い出し,両替屋の台と,はとを売っていた者たちの腰掛けを倒された。
13 そしてこう言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれるであろう』と書いてあるのに,あなた方はそれを強盗の洞くつとしている」。
ここで、少し自分に関することを述べたいと思います。
わたしは以前は、非常に短気で怒り易い「性格」でした。
正しくは「性格」だと思っていました。
今になって過去を振り返り、何が善くて何が悪いかを分かっていて物事を決めたり自分の感情のままに生きて来たと思っていました。
しかし、若い時には今ほど何が善くて何が悪いかを正しく判断出来ていなかったことは確かです。
わたしがこうしたことに着目したのは「怒る」ことを「意識的」に止めたからです。
それ以来、何度も怒りたくなる時がありましたがその都度自分を抑えることが出来ました。
一つは悪いことを意識的に忘れるようにし気にも留めないようにしたことと自分の感情より相手の考えや気持ちを受け入れるようにすることで「怒らないように[出来た]」のです。
決して、「自分の感情を抑えてのことではなく」このようにすることで「怒る」という感情が消えていたのです。
過去に怒った時は、
一つは「こうでなければならない」「こうしなければならない」という「思い込みが強かった」ので誰かが自分のそういう思いと違ったことをすると「感情」を抑えることが出来なかったのです。
つまり、ある種の病気のようなものだったのです。
もう一つは「物を探す時に嫌な感情が湧き出て来てイライラすることがある」ので、わたしの物を誰かがわたしに黙って動かしたりすると「感情」を抑えることが出来なかったのです。
更には、「正義感」が悪に対して強い憤りを抱いています。
この点は今でも変わりはありません。
他のことに関しては殆どのことは許容し寛容さを示し受け入れることが出来ていたのにこの三つの点だけは「感情」を抑えることが出来なかったのです。
自分の怒りの感情を抑えないと実に嫌な気分になり、それが長引く度に後悔することが多かったのです。
当然、人間関係も悪くなり「気まずい」状態も長く続くのです。
しかし、「意識的に怒らない」と決めてからこうした自分の性格というか「感情」に変化が生じたことは明らかであり人は変われるということを実感しています。
罪や怒りなどとは異なりますが、
失敗や探し物などが見つからないと「いつまでも気にする」性格でした。
このことが他のことに影響を及ぼしたこともあります。
しかし、この点でも改善し、人間だからそういうこともあると「気にしない」「忘れる」ことにしたことも平穏な精神のためにもなっていることを改めて思い出しました。
意識的には自分の性格は変わったとは思ってはいませんが「気持ち」や「考え」が変わったことは事実です。
例えば、こうしたことを考えるきっかけになったのは妻の事を考えたからです。
妻はいろんなことをやってくれますがその動機が相手のことを思ってのことであることを改めて認識したからです。
それまでは、時々「自分勝手」だと思っていました。
妻も完璧ではないので時には上手く行かない時もあり、また、性格的に大雑把なところがあり、更には、頭の回転が早く、こちらが思ってもいないことを、ある意味穿った考えで返答することがあり、わたしのちょっとしたミスを大笑いすることがあります。
これは確かに性格という面もありますが緻密で繊細な能力という点でわたしとは違うということを「強く認識」したのです。
今迄は頭では分かってはいましたがこうした点を意識しそれを受け入れることにしたのです。
例えば、今まで人間は皆「自分と同じだ」と考えていたように思います。
それは、丁度車の車種が1種類しかないようなものです。
しかし、実際には、普通車もあれば軽自動車、軽トラック、トラック、セダン、ワゴン、スポーツカー、EV車、ハイブリット車などなど沢山の車種が存在しています。
人間に性格や能力の違いからこうした違いのあることは理解していました。
しかし、実際にはこうした違いを「意識」していなかったのです。
車は基本的な構造は同じで外見が異なるだけのように見えます。
しかし、性能や様々な機能は1車種ごとに違います。
勿論、こうしたことも頭では理解していました。
自分の車ではないので殆ど考えることはなかったのです。
妻は今でも何かあると直ぐにわたしに助けを求めて来ます。
妻とわたしは性格や器用さの面では全く正反対なのです。
こうしたことは長年一緒に暮らして来て「何となく分かっていました」がこのようにハッキリと認識したのは初めてでした。
それもこれも「怒らなくなった」ことが精神的に更に深い思いや考えが出来るようになったのだと自覚しています。
人間は誰しも欲があります。
その欲は「良くないもの」であることもありますが、欲のすべてが悪いことや犯罪に繋がることばかりではなく、善いことをする欲もあります。
人は常に「自分の思ったこと考えたことを行おうとする」ものです。
それは、善いものであれ悪いものであれ人とはそういうものなのです。
善いことをする人は善人で、悪いことをすれば悪人となるのです。
それを決めているのは自分自身なのです。
誰かに強制させられて善悪のいずれかをすることもありますが、それは、自分の意思とは異なるものなので、ある意味自分に責任があるとは言えません。
勿論、それに反発することも出来ますが必ずしもいつも反発出来る訳ではありませんし、意識的に反発しないことだってあるのです。
自分の思いや正しいことをすることを「諦めた」場合などです。
アダムとエバが罪を犯した時、神は「人は善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった」と言われましたが、それは善悪を正しく判断し分別ある振る舞いや行動を取るという意味ではなく、
自分のことや周囲のことに関して「善悪を判断する、あるいは、善いか悪いかを考えられるようになった」という意味だったのです。-創世記3:22
善悪について正しい判断を下す、あるいは、行うという意味ではなかったのです。
判断をしたり行ったりすることについては、あくまでも自己責任なのです。
この点を誤解している人が沢山いると思います。
例えば、悪魔となった一人のみ使いは神の行うことに対し、自分が思ったことを「神とは逆のこと」を人に話すことでその反応を確かめたとも言えます。
つまり、み使いですから、神の言うように[何が善で何が悪]かについては知っていた訳です。
そして、このみ使いは善悪を自分で判断し行動を起こしたのです。
そしてその判断は正しいものではなかったのです。
なぜなら、そのみ使いは自分のしたことにより神により裁きを、罰を与えられているからです。
悪魔の主張によれば、自分に対する神の裁きは「神が自分が間違っていたということを隠すためだ」と思ったことは間違いありません。
なぜなら、
その後も人間を惑わしたり人間の悪事や神に対する態度を6000年も「神に訴え続けていた」からです。
おそらく、悪魔が天から投げ落とされた時にこうしたことは終わっています。
今は、自分の時の短いことを知り「地の近く」で暴れまくっているという状況です。-啓示12:7-12
人を騙した時、このみ使いは自分の考えは正しいと思って行動したことは明らかです。
おそらく、悪魔は自分の考えを変えることが出来ず今でも将来も変わることはありません。
それはこのみ使いの「傲慢さ」がそのようにさせているのである。
エゼキエル28:11-19
11 また,エホバの言葉が引き続きわたしに臨んで言った,
12 「人の子よ,ティルスの王に関して哀歌を唱えよ。あなたは彼に言わなければならない,『主権者なる主エホバはこのように言われた。
「『「あなたは知恵に満ち,美しさの点で完全であり,ひな型に封印する者。
(参考:ひな型ですから「完全であり変わることはない」のです)
13 あなたは神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石があなたの覆いであった。ルビー,トパーズ,碧玉,貴かんらん石,しまめのう,ひすい,サファイア,トルコ玉,エメラルド。あなたの中のはめ込み台と受け具の作りは金であった。あなたの創造された日にそれらは整えられていた。
(参考:この説明から人間ティルスに対して述べた事ではないことは明らかです)
14 あなたは覆うことをする油そそがれたケルブであり,わたしがあなたを置いたのである。神の聖なる山にあなたはいた。あなたは火の燃える石の中を歩き回った。
15 創造された日からあなたのうちに不義が見いだされるまでは,あなたはその道においてとがのない者であった。
16 「『「あなたの満ちあふれる商品のゆえに,人々はあなたの中に暴虐を満たし,あなたは罪を犯すようになった。それで,覆うことをするケルブよ,わたしはあなたを汚れた者として神の山から出し,あなたを火の燃える石の中から滅ぼすであろう。
17 「『「あなたの心はあなたの美しさのゆえにごう慢になった。あなたはその輝かしい光輝のゆえに自分の知恵を滅びに陥れた。わたしは地の上にあなたを投げ出す。わたしはあなたを王たちの前に置く。[彼らが]あなたをながめるためである。
18 「『「あなたの満ちあふれるとがのために,あなたの商品の不正のゆえに,あなたは自分の聖なる所を汚した。それで,わたしはあなたの中から火を出すであろう。それが必ずあなたをむさぼり食う。そしてわたしは,あなたを見るすべての者たちの目の前で,あなたを地上の灰とするであろう。
19 もろもろの民の中であなたを知っている者たちは皆,必ず驚いてあなたを見つめるであろう。あなたは必ず突然の恐怖となり,もはや定めのない時に至るまでいなくなるであろう」』」。
タルタロスに投げ込まれた「あるべき居所を捨てたみ使いたち」も同じなのです。
ペテロ(一)3章
18 キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。義なる方が不義の者たちのためにです。それはあなた方を神に導くためでした。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです。
19 この[状態]でまた,彼は獄にある霊たちのもとに行って宣べ伝えました。
20 それは,かつてノアの日に神が辛抱して待っておられた時に不従順であった者たちであり
復活し天に戻ったキリストが「獄=タルタロス」に留め置かれたみ使いたちのもとに行って宣べ伝えたのは、
彼らを改心させるためではなく「罪を明らかにするため」だったのです。
この記述は、一人のみ使いがエデンで話したこと、行ったことが「悪」であり「間違い」であったこを、天のあるべき居所を捨てることが「罪」であり「神に敵対する」ことであることを「教えている」のです。
つまり、悪魔の主張(創世記3:1-5)が「悪」であり「間違い」であることを「他のみ使いたちが理解していなかったこと」を示しているのです。
彼らは悪魔となったみ使い同様後悔も改心もすることはないのです。
ペテロ(二)2章
4 まさに神が,罪をおかしたみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡されたのであれば
人に関して言えば「罪の報いは死」ですが、悪魔に関しては「火と硫黄とで燃える湖に投げ込まれ、永久に責め苦に遭」わされることです。
この中には、政府組織も含まれることが示されています。
-ローマ6:23、啓示20:10
人間個人だけではなく、政府などの組織の行うことも「神の裁き」対象なのです。
政府などの組織は悪魔の支配の下にあり、悪魔の欲望と遂げようとしているからでもあります。
ヨハネ8:44
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。
この言葉を読むと、トランプやプーチンを思い起こす人もいるのではないでしょうか。
正に、トランプとプーチンは人殺しであり偽り者です。
それ以前に、トルーマンもヒトラーもスターリンもアサドもフセインもネタニヤフも東条も他にも大勢の人が人殺しであり偽り者です。
どうして神の裁きを逃れられるでしょうか。
本人はこのことを自覚しているでしょうか、いえ、決して自覚することはなく滅ぼされるのです。
犯罪者はそれが犯罪だと自覚していても欲望に負けて犯罪を犯すのです。
その時点でその者たちは「死んでいる」のです。
この人たちに改心は有り得ないのです。
もし、改心したと言う人がいればその人は嘘つきです。
人はこうした点では決して変わることが出来ないのです。
それゆえ、律法の中でもこのような人々は「死に渡されている」のです。
エジプトの奴隷から解放された後、神に不平を述べた者たちは天からの火で焼き尽くされ、神と接見するためにシナイ山に上ったモーセが下山するの待てず偶像を作りそれを神だと言い歌い踊っていた人々もすべてレビの子らの剣でおよそ三千人がその日の内に倒されたのです。-民数記11:1、出エジプト記32:1-29
イエスは「復活」に関しても述べていますが、こうした人々は決して「復活」して来ることはありません。
人間の世界では殺人を犯しても死刑になることは少なく、ある国では死刑が廃止されていますが、これは間違いなのです。
人を殺したら復讐を除き必ず死刑にしなければならないのです。
そのような人たちは決して、心から悔い改めることが出来ないからです。
例え、悔い改めたとしても罪は消えないのです。
このような意味でも罪の報いは死なのです。
加えて、すべての人は遺伝的に罪を背負っているので、罪の自覚がなくても人は死ぬのです。
再びローマ6:23を示しますと、
23 罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命だからです。
人は死によって罪から解放されているのです。
そして、「復活」によって再び「生かされる」のです。
「復活」させられる人々は神とキリストにより「義人」と見なされた人々です。
中には、死を経験しないで「罪から解放される人々」もいます。
その人々は「今生きている人々」の中にいるのです。
あなたは「そうであろう人々」を正しく見分けることが出来ますか。
それらの人々は、いわゆる「世の中の善い人々」の事ではないのです。
聖書にはイエスによる次の例え話が記されています。
あなたはその真意が分かりますか。
(注意:19節以降のはなしは罪を犯した人が死んだら文字通り[地獄]で責め苦に遭うということを
示している訳ではありません。
これは例え話なのです)
ルカ16:19-31
14 さて,金を愛する者であるパリサイ人たちがこれらのすべてのことを聴いていて,彼のことを冷笑しはじめた。
15 そこで[イエス]は彼らに言われた,「あなた方は人の前で自分を義とする者たちですが,神はあなた方の心を知っておられます。人の間で高大なものは,神から見て嫌悪すべきものだからです。
16 「律法と預言者たちとはヨハネまででした。その時以来,神の王国は良いたよりとして宣明されており,あらゆるたぐいの人がそれに向かって押し進んでいます。
17 実際,律法の文字の一画が成就されないでいるよりは,天と地の過ぎ去るほうが易しいのです。
18 「自分の妻を離婚して別の女をめとる者はみな姦淫を犯すのであり,夫から離婚された女をめとる者は姦淫を犯すことになります。
19 「ところで,ある富んだ人がいて,紫と亜麻布で身を飾り,豪しゃな日々を楽しんでいました。
20 一方,ラザロという名のあるこじきは彼の門のところに置かれ,かいようだらけの身で,
21 その富んだ人の食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていました。そのうえまた,犬が来ては彼のかいようをなめるのでした。
22 さて,やがてこじきは死に,み使いたちによってアブラハムの懐[の位置]に運ばれました。
「また,富んだ人も死んで葬られました。
23 そして,ハデスの中で目を上げると,自分は責め苦のうちにありましたが,はるか離れた所にアブラハムがおり,ラザロがその懐[の位置]にいるのが見えました。
24 それで彼は呼びかけて言いました,『父アブラハムよ,わたしに憐れみをおかけになり,ラザロを遣わして,その指の先を水に浸してわたしの舌を冷やすようにさせてください。わたしはこの燃えさかる火の中で苦もんしているからです』。
25 しかしアブラハムは言いました,『子よ,あなたが自分の生きている間に,自分の良い物を全部受け,それに対してラザロが良くない物を[受けた]ことを思い出しなさい。しかし今,彼はここで慰めを得,あなたは苦もんのうちにある。
26 そして,これらすべてに加えて,わたしたちとあなた方との間には大きくて深い裂け目が定められており,そのため,ここからあなた方のもとに行きたいと思う者たちもそれができず,人々がそこからわたしたちのところに渡って来ることもできない』。
27 すると彼は言いました,『それなら,お願いです,父よ,彼をわたしの父の家に遣わしてください。
28 わたしには五人の兄弟がいますから。こうして彼が徹底的な証しをし,彼らもこの責め苦の場所に入ることがないようにするのです』。
29 しかしアブラハムは言いました,『彼らにはモーセと預言者たちがある。それに聴き従えばよい』。30 すると彼は言いました,『いいえ,そうではありません,父アブラハムよ,だれかが死人の中から行けば,彼らは悔い改めることでしょう』。
31 しかし[アブラハム]は彼に言いました,『モーセや預言者たちに聴き従わないなら,だれかが死人の中からよみがえっても,やはり説得に応じないであろう』」。
(参考:アブラハムは「神」を、ラザロは「アブラハムの神に従う者」を、「富んだ人」はお金を愛す
るパリサイ人のような、今の世の中で富もうと思い定めている人々であり実際富んだ人々のことで
す。
この例えは、富むことを戒めているものではありません)
あなたはこの記述を読んでどう思いますか。
他にも自覚しないで神に滅ぼされる人間が数多くいると思われます。
あなたはどうですか。
あなたは神の賜物を受けるに値する人間になりたいと思いますか。
それなら「悪」を憎み「善」を行い続けることです。
「神を愛することは悪を憎むこと」です。
聖書には次のように記されています。
箴言8:4-21
4 「人々よ,わたしはあなた方に呼びかけている。わたしの声は人の子らに向けられている。
5 経験のない者たちよ,明敏さを理解せよ。愚鈍な者たちよ,心を理解せよ。
6 聴け。わたしが話すことは最も重要な事柄についてであり,わたしが唇を開くのは廉直さについてだからである。
7 わたしの上あごは低い声でまさに真理を述べるからである。邪悪さはわたしの唇にとって忌むべきものである。
8 わたしの口のことばはすべて義にかなっている。その中には,ねじけたことも曲がったことも全くない。
9 それはみな,識別力のある者にとっては正直であり,知識を見いだす者たちにとっては廉直である。
10 銀ではなく,わたしの懲らしめを,最良の金よりも,知識を受けよ。
11 知恵はさんごに勝り,他のすべての喜びもこれに及ばないからである。
12 「わたし,知恵は,明敏さと共に住んだ。そして,思考力についての知識を見いだす。
13 エホバへの恐れは悪を憎むことを意味する。自分を高めること,誇り,悪い道,ゆがんだ口をわたしは憎んだ。
14 わたしには助言と実際的な知恵がある。わたしには―理解が。わたしには力強さがある。
15 わたしによって王たちは治め,高官たちは義の布告を出しつづける。
16 わたしによって君たちは君として支配を行ないつづけ,高貴な者たちはみな義にそって裁きを行なっている。
17 わたしを愛する者たちをわたしも自ら愛し,わたしを捜し求める者たちはわたしを見いだすのである。
18 富と栄光はわたしと共にあり,価値ある世襲財産と義も[そうである]。
19 わたしの実は金にも,いや,精錬された金にも勝り,わたしの産物は最良の銀にも[勝る]。
20 わたしは義の道筋を,裁きの通り道の真ん中を歩む。
21 それは,わたしを愛する者たちに財産を所有させるためである。わたしは彼らの倉を常に満たしておく。
人間が「悪を憎む」ことは、神に見習っていることであり「正しい行い」です。
神は完全な方なのです。
悪を決して見逃すことも許すこともないのです。
一人残らずです。
一方で、善を行い続ける者はその報いを受けることになります。
間もなく、と言っても人間の時間ではありませんが、これが現実となるのです。