わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。
ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。
クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。
法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。
ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。
世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。
イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。
いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。
また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。
しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。
人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。
聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。
更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。
前文です。
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。
その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの
ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。
七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
とになっています。
その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の
最後の災いとなります。
参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです)
テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7
ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24
エフェソス6章10
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18
エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。
-エフェソス5:1-7
ガラテア6章
7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9
コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。
略
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
用されます。
したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)
コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34
創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告)
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
なぜなら、命は血によって支えられているからです。
つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
となのです。
「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
ます。
したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。
では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ
うか。
全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること
なのです。
参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で
示されています。
女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。
ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り
返しある生きものはいません)
今回は、世界中で熱中症で亡くなる人が大勢出ています。
一体、この責任をを誰がとるのでしょうか。
熱中症を災害と捉えている人がいるかも知れませんが、これは人災です。
ある意味、大型台風も地球温暖化が原因とされていますから人災と言えます。
先ずは、熱中症についての話です。
生き物の体は、丁度かまどのようです。
鍋に水を入れて下から火を焚くことでお湯を沸かしますが、薪をくべて火を燃やし続け、鍋の水が無くならない限りお湯が沸き続けることになります。
つまり、人間は食べ物を食べそれをエネルギーに変えることで「体温」を保つことが出来生き続けられるということです。
人間は食事などから摂取した栄養と、酸素を利用することでエネルギーを生み出していますが、この時に熱を発生させます。
ですから、人間の体温は主に代謝によって生じていることが分かります。
人間の体は約60%が水分だと言われています。
それゆえ、体全体の体温をほぼ一定に保つことが出来る訳です。
スポーツや肉体労働などをするとエネルギーを大量に消費することで筋肉が熱を発します。
その熱を汗をかいて体温調節をしていることは誰でも知っています。
体温が36℃前後で落ち着いていれれるのは体にある水分のお陰です。
眠っている時には体温が少し下がりますが、それでも、コップ一杯の汗をかくと言われています。
ホメオスタシスは、生態恒常性と呼ばれるものですが、これは主に体の機能面での恒常性を保つ働きのことです。
この他に、血液やリンパ液や細胞内の水分なども体温を平均化する上では役に立っています。
今年も猛暑が続いていますが、45℃のお湯に長く入っていられないように気温が40℃を超えると「体の芯から熱くなり過ぎ」体の調節機能が十分に働くことが出来なくなってしまいます。
この点、極寒の方が過ごし易いと言えます。
体を温める衣服を沢山着れば済むからです。
しかし、暑さは冷やす以外方法はありません。
しかも、一度温まった「体の芯」は温まったお湯が直ぐには冷えないように簡単には冷えません。
急激に冷やすと、体の機能が破壊されてしまい、場合によっては死んでしまうかも知れません。
このような時に仕事をしなければならない人にとってはとても辛い思いをすることになり、場合によっては、やはり死んでしまうかも知れないのです。
体力のある若者でさえ暑さに耐えることは辛いものです。
体を冷やすのに効果的なのは、日陰で休んで水を沢山飲んで汗を沢山かくことです。
体が熱ければ自然と汗は沢山出て、体が体温を調節してくれることが重要なのです。
水に浸かるのは体の表面温度を下げることになりますが、汗が出にくくなりまた冷やし過ぎになる場合もあるので注意が必要です。
プールで泳いでいる人の唇が夏でも紫色になっている人を見ることがありますが、注意信号なのです。
大抵、そのような人は体が冷え過ぎてブルブル震えている場合もあります。
体の芯まで熱くなり過ぎても、時間を掛けてゆっくり冷やしていく必要があります。
凍傷になった時、時間を掛けてゆっくり温めるように、熱中症などの場合も同様にゆっくり冷やす必要があるのです。
この点、人間は短気なので物事を性急にしてしまい、思わぬ事故に遭ってしまうこともあるのです。
暑さ対策として、エアコンを用いて周囲の気温を下げることをしています。
他の方法として着ている衣類、特に、下着は体温を下げる働きがあることを自覚している人は多くありません。
下着は肌を保護し温めるだけのものではないのです。
以前ブログで「裸で寝ると暖かい」と述べたことがありますが、裸に毛布だけを掛けると肌の周囲は熱が籠り暖かくなるのです。
これとは逆に、夏の暑い時に汗をかきますが、その汗を下着に吸わせると「その汗が乾く時に肌の熱を下げる効果がある」のです。
汗びっしょりの下着を着ていると「気持ち悪い」ものですが、体を冷やす効果もあるのです。
いわゆる「気化熱」です。
また、太陽光線を通す衣類ではなく、これを遮断する衣類を着ることも体温が上昇するのをある程度防いでくれるものです。
今年も異常気象で異常に暑い夏となっています。
この原因は既に明らかです。
しかし、欲の皮が張ったトランプやトランプ支持者はこれを否定し、また、地球温暖化に対応している職員を大量解雇し、CO2の削減を行わず、世界中の人々の考えや思いと真逆の事をし続け、まさに地球を破壊している張本人です。
イランを攻撃し平和を乱し世界中に物価の高騰の原因を作り人々を更に窮地に追い込んでいるのです。
トランプには良心というものがないのです。
聖書には次のように記されています。
前文の、最初の聖書の言葉にもありますように、
啓示11:18
「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」
そうです、地球を破壊する者たちを破滅に至らせることは事前に定められていたのです。
ということは、神にはあらかじめ地球を破壊する者たちが出現することが分かっていたのです。
ある意味、今の地球の状態は「神の想定内」だということになります。
まさに、トランプやトランプ支持者たち、地球温暖化を認めない人々、地球温暖化を日々行っている企業、最近ではデータセンターでコンピュータから出る大量を冷やすために大量の電力を必要とし、そのために大量のCO2を放出している企業、などなど、
こうした人々は破滅させられることは神によって「定められている」のです。
一人の人間が普通に生活する時に排出するCO2(呼吸)は全く問題になりません。
例え、森林がなくても海がすべてを吸収してくれます。
煮たり焼いたり火を使う仕事をしたりしても森林があればすべて吸収されます。
大規模な工場の排出する煙やその他の汚染物資や自動車が出す排気ガスなど大量にCO2を出すことだけを止めるだけでも地球の温暖化は防げるのです。
しかし、今の経済活動ではこれを止めることは出来ません。
貧しい国の焼き畑農業も小規模もなら問題はありません。
アマゾンのように森林を破壊するほど大きくなれば問題となります。
地球の環境破壊が大勢の人の命を奪っていることは事実です。
戦争や感染症や貧困だけではありません。
確かに、地球温暖化や環境破壊がなくても、火山の噴火、大型台風、大地震、津波、干ばつ、豪雨などの自然災害でも大勢の人が亡くなるのも事実です。
しかし、これらは天体としての地球の活動上止むを得ないことです。
これによって地球環境が破壊されることはありません。
一方、温暖化や環境破壊は人為的なことで、防ごうと思えば防げることです。
ある意味交通事故のようなものかも知れません。
自動車は移動や運搬の手段としては効果的ですが、一方で事故は避けられません。
例えば、すべての自動車にセンサーとAIを搭載しあらゆる危険を未然に防止出来れば、一般道路での交通事故を最小限にすることが出来るかも知れません。
現在、世界の工場をストップすることは出来ません。
それにより、あらゆる物流に支障が出、極端な話し大勢の人が亡くなるかも知れないからです。
物流の中には人々の暮らしに、あるいは、命に欠かせないものもあるからです。
このように考えると、寿命を含めて人間の死はどうしても避けられません。
そうであれば、病気や事故死などの宿命をを受け入れざるを得ません。
しかし、
聖書では「永遠の命」が可能であることが記されています。
この「永遠の命」に最初に言及したのは、皆さんもご存じのイエス・キリストです。
マタイ19章
19章
さて,これらの言葉を[語り]終えてから,イエスはガリラヤを出発し,ヨルダンを越えてユダヤの国境地方に来られた。
2 また,大群衆が彼のあとに従い,[イエス]はそこでその人々[の病]を治された。
3 すると,パリサイ人たちがそのもとにやって来て,何とか誘惑しようとして,こう言った。「人が自分の妻を離婚することは,どんな根拠による場合でも許されるのですか」。
4 [イエス]は答えて言われた,「あなた方は読まなかったのですか。人を創造された方は,これを初めから男性と女性に造り,
5 『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅く付き,二人は一体となる』と言われたのです。
6 したがって,彼らはもはや二つではなく,一体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」。
7 彼らは言った,「では,なぜモーセは,離縁証書を与えて[妻を]離婚することを規定したのですか」。
8 [イエス]は彼らに言われた,「モーセは,あなた方の心のかたくなさを考え,妻を離婚することであなた方に譲歩したのであり,初めからそうなっていたわけではありません。
9 あなた方に言いますが,だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」。
10 弟子たちが彼に言った,「妻に対して男の立場がそのようなものであれば,結婚することは勧められません」。
11 [イエス]は彼らに言われた,「すべての人がそのことばを受け入れるわけではなく,ただその賜物を持つ人たちだけ[がそうします]。
12 母の胎からそのように生まれついた閹人があり,人によって閹人にされた閹人があり,天の王国のゆえに自らを閹人とした閹人がいるのです。それを受け入れることのできる人は,受け入れなさい」。
13 その時,幼子たちが彼のところに連れて来られた。手をその上に置いて祈りをしていただくためであった。ところが弟子たちは彼らをたしなめた。
14 しかしイエスはこう言われた。「幼子たちを構わずにおき,わたしのところに来ることを妨げるのをやめなさい。天の王国はこのような者たちのものだからです」。
15 こうして,手をその上に置いてから,そこを去って行かれた。
16 さて,見よ,ある人が彼のところに来て,こう言った。「師よ,永遠の命を得るために,わたしはどんな善いことを行なわなければならないでしょうか」。
17 [イエス]は彼に言われた,「なぜあなたは善いことについてわたしに尋ねるのですか。善い方はお一人だけなのです。しかし,命に入りたいと思うならば,おきてを絶えず守り行ないなさい」。
18 彼は言った,「どの[おきて]ですか」。イエスは言われた,「ほかでもない,あなたは殺人をしてはならない,姦淫を犯してはならない,盗んではならない,偽りの証しをしてはならない,
19 [あなたの]父と母を敬いなさい,そして,隣人を自分自身のように愛さねばならない」。
20 その青年は言った,「わたしはそれらをみな守ってきました。まだ何が足りないのですか」。
21 イエスは言われた,「完全でありたいと思うなら,行って,自分の持ち物を売り,貧しい人たちに与えなさい。そうすれば,天に宝を持つようになるでしょう。それから,来て,わたしの追随者になりなさい」。
22 このことばを聞くと,青年は悲嘆して去って行った。多くの資産を有していたからである。
23 しかしイエスは弟子たちにこう言われた。「あなた方に真実に言いますが,富んだ人が天の王国に入るのは難しいことでしょう。
24 再びあなた方に言いますが,富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しいのです」。
25 それを聞くと,弟子たちは非常な驚きを表わして,「いったいだれが救いを得られるのでしょうか」と言った。
26 イエスは彼らの顔をまともに見て言われた,「人にとってこれは不可能でも,神にとってはすべてのことが可能です」。
27 その時ペテロが答えて言った,「ご覧ください,わたしたちはすべてのものを後にして,あなたに従ってまいりました。実際のところ,わたしたちのためには何があるのでしょうか」。
28 イエスは彼らに言われた,「あなた方に真実に言いますが,再創造のさい,人の子が自分の栄光の座に座るときには,わたしに従ってきたあなた方自身も十二の座に座り,イスラエルの十二の部族を裁くでしょう。
29 そして,わたしの名のために,家,兄弟,姉妹,父,母,子供,あるいは地所を後にした者は皆,その幾倍も受け,また永遠の命を受け継ぐでしょう。
30 「しかし,多くの最初の者が最後に,最後の者が最初になるでしょう。
いわゆる死んだら天国に行くという「空想」ではありません。
イエスの時代、ユダヤ人にとってメシアの登場と永遠の命は最大の関心事だったのです。
しかし、同時にその対比として「永遠の切断」に言及したのもイエスでした。
イエス・キリストが亡くなってからほぼ2000年も経つのに、未だにそれが現実になっていないではないかと誰しもが思うかも知れません。
確かに、死はすべての人に臨みます。
しかし、誰しもがその死を望んでいる訳ではありません。
人間だけが長い年月家族や誰かの死を悲しみ、また、嘆くのです。
進化論的に考えれば実に奇妙なことです。
進化論では説明出来ないのです。
進化論では人の死も動物の死も「当然」の出来事だからです。
進化論では生死の繰り返しによってあらゆる生物が「進化」するという考えですが、現実に「進化」を目の当たりに見た人は一人もいません。
進化と環境適応は別の考えです。
ただ、化石のみに頼り数万年から数億年という「空想時間」による変化を進化だと思い込んでいるのです。
進化論では「永遠の命」という考えは存在しません。
しかし、人間は「永遠の命」を望んでいます、なぜでしょうか。
では、なぜ人間だけが死を悲しみ嘆くのでしょうか。
それは初めから人間は死ぬようには「創造」されていなかったからであり、その人間の創造者である神は人間が罪を犯し死ぬようになってからも「死にたくない」という思いを人の心に残したからです。
初めは誰も死ぬようにはなっていなかったのです。
あなたはこれを信じられますか。
信じるには「神に対する信仰」が必要です。
しかし、ただ聖書に記されているから信じるというのも間違いです。
パウロはこの点次のように述べています。
ヘブライ11章
11章
信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です。
2 これによって昔の人々は証しされたのです。
3 信仰によって,わたしたちは,事物の諸体制が神の言葉によって配列され,それゆえ,見えるものが,現われていないものから出ていることを悟ります。
4 信仰によって,アベルはカインよりさらに価値のある犠牲を神にささげ,その[信仰]によって義なる者と証しされました。神が彼の供え物について証しされたのです。またそれによって,彼は死んだとはいえなお語っているのです。
5 信仰によって,エノクは死を見ないように移され,神が彼を移されたので,彼はどこにも見いだされなくなりました。彼は,移される前に,神を十分に喜ばせたと証しされたのです。
6 そして,信仰がなければ,[神]を十分に喜ばせることはできません。神に近づく者は,[神]がおられること,また,ご自分を切に求める者に報いてくださることを信じなければならないからです。
7 信仰によって,ノアは,まだ見ていない事柄について神の警告を与えられた後,敬虔な恐れを示し,自分の家の者たちを救うために箱船を建造しました。そして,この[信仰]によって,彼は世を罪に定め,信仰による義の相続人となりました。
8 信仰によって,アブラハムは,召された時[それに]従い,自分が相続財産として受けるはずの場所へ出て行きました。しかも,自分がどこへ行くのかを知らないのに出て行ったのです。
9 信仰によって,彼は,異国にいるようにして,約束の地に外国人として居留し,自分と共にその同じ約束の相続人であるイサクやヤコブと共に天幕に住みました。
10 彼は真の土台を持つ都市を待ち望んでいたのです。その[都市]の建設者また造り主は神です。
11 信仰によって,サラも,年齢の限界を過ぎていたのに,胤を宿す力を受けました。約束してくださった方を忠実な方とみなしたからです。
12 そのゆえにも,一人の[人]から,しかも死んだも同然の人から,数の多い点で天の星のような,また海辺の砂のような,数えきれないほどの[子供]が生まれたのです。
(参考:ユダヤ人たちが、自分たちをアブラハムの胤であると主張する根拠です)
13 これらの人はみな信仰のうちに死にました。彼らは約束[の成就]にあずかりませんでしたが,それをはるかに見て迎え入れ,自分たちがその土地ではよそからの者,また一時的居留者であることを公に宣明しました。
14 そのように言う者は,自分自身の場所を切に求めていることを明らかにしているのです。
15 しかも,もし彼らが,自分たちの出て来たその[場所]をいつも思い出していたのであれば,帰る機会もあったはずです。
(参考:自分たちが出て来た場所とはエジプトのことです)
16 しかし今,彼らは,さらに勝った[場所],すなわち天に属する[場所]をとらえようとしているのです。ゆえに神は,彼らを,[そして]彼らの神として呼び求められることを恥とはされません。彼らのために都市を用意されたからです。
17 信仰によって,アブラハムは,試された時,イサクをささげたも同然でした。約束を喜びのもとに受けた人が,[自分の]独り[子]をささげようとしたのです。
18 しかも,「『あなたの胤』と呼ばれるものはイサクを通してであろう」と言われていたのです。
19 しかし彼は,神は死人の中からでもこれをよみがえらせることができると考えました。そしてまた,ひとつの例えとして,確かに彼をそこから受けました。
20 また信仰によって,イサクは,来たらんとする事柄に関してヤコブとエサウを祝福しました。
21 信仰によって,ヤコブは,死に臨んだ時,ヨセフの子を一人一人祝福し,杖の先にすがって崇拝しました。
22 信仰によって,ヨセフは,自分の終わりに近づいた時,イスラエルの子らの脱出について述べ,また,自分の骨について命令を与えました。
23 信仰によって,モーセは,その両親により,誕生後三月のあいだ隠されました。彼らは,その幼子が美しいのを見て王の命令を恐れなかったのです。
24 信仰によって,モーセは,成人した時,ファラオの娘の子と呼ばれることを拒み,
25 罪の一時的な楽しみを持つよりは,むしろ神の民と共に虐待されることを選びました。
26 キリストの非難をエジプトの宝に勝る富とみなしたからです。彼は報いを一心に見つめたのです。
27 信仰によって,彼はエジプトを去りましたが,王の怒りを恐れることはありませんでした。彼は,見えない方を見ているように終始確固としていたのです。
28 信仰によって,彼は過ぎ越しと血を掛けることとを執り行ない,滅ぼす者が自分たちの初子に触れないようにしました。
(これは、神によってエジプトにもたらされた十の災いの十番目の災い「初子の死」のことです。
初子とは男子である長子のことです)
29 信仰によって,彼らは乾いた陸地を行くかのようにして紅海を通りました。しかし,あえてそこに乗り出したエジプト人たちは呑み込まれました。
30 信仰によって,エリコの城壁は,七日のあいだ[彼らが]周囲を回った後に倒れ落ちました。
31 信仰によって,娼婦ラハブは,不従順に行動した者たちと共に滅びないですみました。彼女は斥候たちを平和に迎えたからです。
32 そして,このうえ何を言いましょうか。さらにギデオン,バラク,サムソン,エフタ,ダビデ,またサムエルや[ほかの]預言者たちについて語ってゆくなら,時間が足りなくなるでしょう。
(参考:興味深いことに、ここでパウロはソロモンの名を上げていません。
その理由はソロモンが後に背教となる偶像礼拝をおこなったからです。
それでも、背教する以前は神の是認を得ていたことは確かです。
それゆえ、箴言や伝道の書やソロモンの歌が聖書の一部として加えられているのです)
33 彼らは信仰により,王国を闘いで撃ち破り,義を成し遂げ,約束を得,ライオンの口をふさぎ,
34 火の勢いをくい止め,剣の刃を逃れ,弱かったのに強力な者とされ,戦いにおいて勇敢な者となり,異国の軍勢を敗走させました。
35 女たちはその死者を復活によって[再び]受けました。またほかの人々は,何かの贖いによる釈放を受け入れようとはしなかったので拷問にかけられました。彼らはさらに勝った復活を得ようとしたのです。
36 そうです,ほかの人々はあざけりやむち打ち,いえ,それだけでなく,なわめや獄によっても試練を受けました。
37 彼らは石打ちにされ,試練に遭わされ,のこぎりで切り裂かれ,剣による殺りくに遭って死に,羊の皮ややぎの皮をまとって行き巡り,また窮乏にあり,患難に遭い,虐待のもとにありました。
38 世は彼らに値しなかったのです。彼らは砂漠や山々,また洞くつや地のほら穴をさまよいました。
39 しかしなお,これらの人々は皆,その信仰によって証しされながらも,約束[の成就]にあずかりませんでした。
40 神はわたしたちのためにさらに勝ったものを予見し,わたしたちを別にして彼らが完全にされることのないようにされたからです。
(参考:ユダヤ人たちよりイエスの弟子たちが先に、優先されること、あるいは、その必要を述べたも
のです)
そして、パウロは次のようにも述べています。
12章
こうして,これほど大勢の,雲のような証人たちに囲まれているのですから,わたしたちも,あらゆる重荷と容易に絡みつく罪とを捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか。
2 わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめながら。この方は,自分の前に置かれた喜びのために,恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右に座られたのです。
3 そうです,罪人たちの,自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだ方のことを深く考えなさい。それは,あなた方が疲れて,あなた方の魂が弱り果ててしまうことのないためです。
この「自分たちの前に置かれた競争」とは、イエス・キリストが言われた「神の王国」に入ることです。
そこには死も嘆きも苦しみも一切ないのです。
この「(真の)神の王国」について言及したのもイエス・キリストです。
-参考:マタイ12:28、19:24、21:31、43
聖書にはこれ程具体的に「永遠の命」に関連したことが沢山出て来ます。
聖書の別のテーマは「イエス・キリストによる永遠の命」でもあるのです。
あなたは知っていましたか?
今生きている者と既に亡くなった死者の希望は「聖書による永遠の命」だけなのです。
他にはありません。
他の宗教のように、死んだら天国に行くという話は「すべて空想」です。
それゆえ、聖書以外の地獄の話も「すべて空想」です。
こうしたことが仏教や他の宗教で述べられているのは「勧善懲悪」のためです。
世の中の悪に対してのことなのです。
テレビで放送される映画やドラマの殆どはこの「勧善懲悪」に関するものです。
つまり、殆どの人は「善を勧め悪を憎んでいる」のです。
これは聖書を含めすべての宗教に言えることです。
さて、みなさんはこれ程具体的に記されている聖書の中の「永遠の命」に関することをどのように思いますか。
イエス・キリストは信じるが「永遠の命はどうも」という人もいるかも知れません。
あなたはどうですか?
おそらく、誰しもが「永遠の命」を欲しいと思うに違いありません。
聖書では望むものにそれを与えると約束しているのです。
啓示22:16-17
16 「『わたしイエスは自分の使いを遣わし,諸会衆のためにこれらのことについてあなた方に証しした。わたしはダビデの根また子孫であり,輝く明けの星である』」。
17 そして,霊と花嫁は,「来なさい!」と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,「来なさい!」と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい。
(参考:聞く、渇くとは「霊的な事柄を聴いて理解し従う者たちの事であり、真の平和と安全を切望し
ている者たちのことです)
(参考:霊とは、神の活動する力「聖霊」のことであり、花嫁とは「神の王国の144000人」特別な
人々のことです)
これが、いわば、聖書の最後の言葉です。
聖書の最初の書「創世記」では、人が死ぬようになった原因が、最後の書(に置かれている)「ヨハネへの啓示」では、永遠の命について言及しているのです。
聖書は初めから終わりまで「一貫している」のです。
そして、齟齬(そご)つまり食い違いは一切ないのです。
聖書はおよそ1600年かけて神が人の手によって記したものなのです。
ある意味、人間的な見地から言えば、聖書の目的はすべて「この1点にある」と言っても過言ではないのです。
このような書物は他にはありません。
これ程具体的に述べられている書物も他にはないのです。
これを聞いても、あなたは聖書に無関心でいられますか?
いえ、無関心なら無関心でも「良い」のです。
しかし、それでは「永遠の命」の希望も期待も得られないことは真実なのです。
これは、脅しではありません、注意、勧告、警告です。
決めるのはあなた自身です、あなたの責任で決めるべき事柄なのです。
究極的には、すべては唯一真の神の存在を認め従うかどうかという話なのです。
あなたはどのように考えますか。
そうしたいけど、現実の生活があるから仕事があるから他にもやりたいことがあるから「出来ない」と言うかも知れません。
何を優先するかはあなた自身が決めることです。
やりたいことをすべてやってから聖書に関心を示したいと言う人もいるかも知れません。
しかし、残されている時間は少ないのです。
と言っても、神による時間であり、人間的にはまだ少し時間があります。
それでも、後少しの時間しか残されていないのです。
こうしたことを良く考慮すべきです。
聖書を読みながらでも、今の生活も仕事もやりたいことも「出来る」のです。
要は、気持ちの問題です。
やろうと思えばいつでもどこでも出来るのです。