わたしのブログにようこそ!
初めに申し上げたいことがあります。
「真理」を探究したい人に継続して読んで頂きたいと思っています。
「聖書の真理」を探究する人たちに継続して読んで頂くことがわたしの願いです。
ものみの塔の信者たちへ。
このブログを読んでも[聖書]に対する背教にはなりません。
ものみの塔の教えに偏るのではなく、聖書の正しい理解に努めましょう。
クリスチャンではない人たちへ。
聖書に対する思い込みや偏見をなくし実際に読んでみて下さい。
聖書は歴史の書でもあり物語風に書かれているので、例えば、創世記、出エジプト記、裁き人、ルツ記、などは興味深く読めます。
法律に関心のある人なら、申命記やレビ記などから律法の内容とその精神を知ることが出来ます。
また、これらを通じて神の考えも少なからず理解することも出来ます。
試練や苦難に直面している人ならヨブ記からヨブの精神とその報いについて知ることが出来ます。
知恵に関心のある人なら、箴言、伝道の書から多くの事を学ぶことが出来ます。
ダビデのついて関心のある人なら、サムエル記第一と第二の書からゴリアテを倒すことから始まりイスラエルの2代目の王となる経緯や王としての活動やバテシバとの罪、ソロモンの誕生、ソロモンが3代目の王になった経緯などを知ることが出来ます。
世界の趨勢、特に強国と言われる覇権を持つ国の歴史に関心のある人なら、ダニエル書から実名によりその変遷を知ることが出来ます。
イエス・キリストの活動や発言に関心のある人なら、四福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる書から、四人による記録から知ることが出来ます。
イエスが亡くなった後の弟子たちの活動に関心がある人なら使徒たちの活動から知ることが出来ます。この書は医師でもあったルカが記したものです。
ちなみに、このルカはイエスの十二使徒の一人ではありません。
マタイ、マルコ、ヨハネはイエスの十二使徒の一人です。
クリスチャンとしての振る舞いや助言に関心のある人ならローマ人への手紙からユダの手紙までの21通の手紙から多くのことを学ぶことが出来ます。
いきなり全体を、すべてを理解しようとするのではなく、関心のあるテーマについてのみに読んでも「価値のある内容」です。
また、聖書は預言の書でもあります。
神の預言は聖書全体を貫いているので、初めから理解することは難しいことです。
しかし、イエスが言われたご自身の「臨在」と「事物の体制の終わり」についてのしるしに、つまり、今の世の終わりに関心のある人なら、マタイ24章以降とヨハネへの啓示の書(最後の書)から知ることが出来ます。
人間としての道徳、生き方に関心のある人なら、マタイ5章から7章の、いわゆる山上の垂訓から学ぶことが出来ます。
聖書を読む時には、初めは言葉じりに捕らわれることなく、文脈から内容の意図を理解する必要があります。
そうしないと正しい理解、偏見のない知識にはなりません。
更に、聖書全体に精通し理解したいと思うなら、聖書の読み方に関する、わたしのブログ、
1 「聖書を読むべき理由」-2024年2月25日
2 「聖書のコラム-34(なぜ聖書の理解が深まらないのでしょうか)」-23年9月19日
の二つの記事を参考にして下さい。
きっと、役に立ちます。
前文です。
このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
もし、気になる言葉などがありましたら、わたしのサイト内検索をしてみて下さい。
その根拠は「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19
(参考:大小様々な災いが生じることになっていますが、それは、主に地上の人々に対する災いの
ことです。今生きている人々に様々な試練となる出来事が次々と生じることを教えています。
七番目のラッパが最後のラッパですが、その最後に七つの神の怒りの鉢が順番に注ぎ込まれるこ
とになっています。
その七番目の鉢が地上に注ぎ込まれることが、神が[今の地上]に対して行われる最後の部分の
最後の災いとなります。
参考:最後の行の「稲妻と声と雷と地震と大きな雹」は神の臨在のしるしです)
テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7
ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24
エフェソス6章10
終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
エフェソス6:11-18
エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。
-エフェソス5:1-7
ガラテア6章
7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。
9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
-ガラテア6:7-9
コリント(一)6章
9 あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,
10 盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
11 とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです。
略
18 淫行から逃げ去りなさい。人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです。
-コリント(一)6:9-11、18
(神の王国を受け継がないとは、神の王国もしくは神の王国の支配の下で地上で暮らす人々の一人
になれないということです。これは、既に亡くなった人々を含め今生きているすべての人々に適
用されます。
したがって、クリスチャンであろうがそうでなかろうが適用されるということです)
コリント(一)15章
33 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。
34 義にしたがって酔いから覚めなさい。罪を習わしにしてはなりません。神についての知識を持たない人たちがいるからです。
-コリント(一)15:33-34
創世記9章(ノアの大洪水直後に人類に与えらえた神の警告)
次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。
2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。
3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
4 ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。
7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。
(これは殺人だけではなく傷害もあるいは誰かを介しても同じ罪を問われるというものです。
この命令の神の意図は「血を神聖なものとして扱うように」というものです。
なぜなら、命は血によって支えられているからです。
つまり、血を神聖なものとして扱うということは、すなわち「命を神聖なものとする」というこ
となのです。
「神聖なものとする」とは、神によって「神のものとして取り分けられたもの」という意味があり
ます。
したがって、血も、血によって支えられる命も「神のもの」なのです。
では、自分の「命」を支えるために「自分や他人の血を用いる」こと(輸血など)はどうでしょ
うか。
全血ではなく血液の一部である「血漿」などを用いることはどうでしょうか。
こうしたことは明らかに「血を神聖なもの」として扱っていないことです。
神はこうしたことに対しても「血の返済」を求めるのです。
したがって、淫行と同じく血に関するあらゆることを「避ける」ことは、自分の命に係わること
なのです。
参考:神が定めた女性の生理は、聖書では「汚れ」であり「身体を清める」ようにと律法の中で
示されています。
女性の妊娠出産はいわば「血の代償」としての命でもあります。
ちなみに、生理のある生き物は他にも存在していますが、人間のように生理が長く、かつ、繰り
返しある生きものはいません)
今回は、「金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根」という話です。
今の世、誰しもが欲するものの一つ「お金」に関する話です。
しかし、守銭奴という言葉があるように貪欲さは良く思われないものです。
つまり、お金を得るにも道徳、あるいは、道理というものがあることは確かです。
その一方で、浪費というのもあり、お金の使い方にも道徳、あるいは、道理というものもあります。
中にはお金で幸せを買えると思っている人もいるのも事実です。
実際、お金で買えるのは「自己満足」であって「幸せ」ではありません。
最も、世の中の人が「幸せ」と思うことと、僧職者など宗教に専念している人の「幸せ」は全く異なるものです。
実際、満足、幸せというのは感情や感覚であって人によって異なるものです。
同じように金銭に対する「愛」と「愛情」は異なるものです。
愛情は文字通り感情や感覚のことであり、愛は感情を抜きにした実際の振る舞いや行動を意味するからです。
これらの違いに関しては、以下のブログを読んで下さい。
聖書のコラム-136(聖書の中の「神の愛」とは)
聖書のコラム-138(人間の愛と愛情-人は心変わりをする生き物です)
今回の話はこの「愛」つまりお金に対する態度についての話になりますので、この点を思いに留めて読んで頂きたいと思います。
有害な事柄の事実に関して具体的に示すことは今回は省略します。
今回はお金を得るという点に焦点を当てた話しとします。
この点をあらかじめ述べておきます。
トランプ関税などのやり方を見ても分かるように、アメリカは真面目に働くというより策を弄して金銭を奪い取ると言った方が的を得ていると誰しもが思うのではないでしょうか。
その貪欲なアメリカのやり方は、政治的には「脅し」を多用し、商取引きでは、例えば、相手に甘く美味しいものを与え、それを手放せなくさせることで利益を独占、永続させようとする手法です。
これは今の通販のアマゾン商法にも表れています。
つまり、最初は無料、もしくは、安く提供し、その後長きに渡り持続させることで利益を上げるというものです。
日本でもこの手法を真似ている企業もあります。
例えは良くありませんが、たばこや覚醒剤を与え、それから抜けられないようにすることで利益を貪るやり方は、現代の商法の「常套手段」なのです。
そもそもに於いて、商売は利益を上げるためであって社会貢献のためではないことは明らかです。
誰しもが商売を始める動機は「儲ける」ことです。
それによって豊かな生活をするためです。
独占禁止法と専売特許は相反する法律です。
専売特許は、それを考案した人がそれによって5、10、15年間のいずれかの期間は優先的に利益を確保出来るという法律です。
その一方で、企業などがいわゆる談合で物の値段を決めたり仕事の受注を決めたりすることは禁じられているのです。
どちらの気持ちは理解出来ますが、こうしたことは「金銭が支配している世界」だから生じる事柄です。
物々交換の世界なら難しいと言えますす。
あなたはお金に支配されている世界をどう思いますか。
当然だと思いますか。
「地獄の沙汰も金次第」と言われる世界が今の世界です。
もし、世界からお金を無くすとどうなるでしょうか。
ことごとく不自由な世界になってしまいます。
お金という「物の価値」を代用するものがあるのでわたしたちはいろんなものを入手出来るのです。
このお金が無くなると犯罪は著しく減ることも確かです。
宝石や金などを奪ってもそれを売ってお金に替えることも出来ないからです。
(参考:キリストの千年統治では、もしかするとお金が無くなるかも知れません。
第一に紙幣や硬貨を製造出来ない、もしくは、そのような設備そのものが無くなってしまうからで
す。
もし、古代のように金や銀を用いるならば、持ち運びにも不自由になり、また、大量に用いること
が出来ません)
究極的には欲を取るか安全を取るかという選択になるでしょう。
神のおきてから離反した人類の悲惨な状態が「お金にまつわる」今の現実の世界です。
お金は神が作った社会の仕組みではありません。
お金に関してパウロは次のように述べています。
テモテ(一)6:9-10
9 しかし,富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥り,それは人を滅びと破滅に投げ込みます。
10 金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです。
ヘブライ13:5
5 [あなた方の]生活態度は金銭に対する愛のないものとしなさい。そして,今あるもので満足しなさい。
この助言は、いわゆるキリストの弟子たちに述べた言葉ですが、
クリスチャンではないすべての人にも当てはまることは、おそらく誰しもが認識していると思います。
勿論、お金がすべてだと考える人も当然います。
しかし、そのような人はパウロの言う通りになってしまうのです。
とは言っても、今の世界では現実にお金がないと生活が出来ないことは事実です。
十分な年金を受給している人ならそれ程お金に執着することはないかも知れません。
働かなければ収入が得られない人にとっては大事な問題です。
さてどうやってバランスを保つことが出来るでしょうか。
それは、パウロが言うように「今あるもので満足しなさい」ということです。
必要なものは手に入れる必要がありますが、そうでないものまで手に入れる必要はないのです。
あるものが必要だと思い込んで買ってしまう場合もありますが実際手に入れるとそれ程使わないものは沢山あるものです。
良く考えてみれば同じようなものを持っている場合もあります。
人の性格は変わらないので、同じものを何度も欲しいと思うものなのです。
それでもパウロは次のように述べています。
テモテ(一)6:8
6 確かに,自ら足りて敬虔な専心を守ること,これは大きな利得の手段です。
7 わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできないからです。
8 ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです。
今の誘惑の多い世の中にあって「金銭に対する愛」を退けることは至難の業です。
果たして、「今あるもの」で、あるいは、「命を支える物と身を覆う物」で満足できるでしょうか。
個人的には「体裁」を気にしなければ出来ると考えています。
都会を離れて田舎で自給自足に近い生活をするなら出来るかも知れません。
それでも年金でも受給していない限りお金を得るために何らかの手段を用いる必要はあります。
電気、ガス、水道などの料金の他に衣服や様々な食材を買わなければならないからです。
更には、様々な税金も支払わなければなりません。
もし、子供がいれば学費も洋服代も文房具代も掛かりますしその他いろいろなことでお金が必要となります。
「生活態度は金銭に対する愛のないもの」としても必要なものは自ら備える必要があるのは当然のことです。
そのために働くことは「金銭に対する愛」ではありません。
必要以上に金銭を追求することが「金銭に対する愛」なのです。
だからと言って、少し働いて後の時間を無為に過ごして良いということでも、怠惰を勧めている訳でもありません。
将来の備えて、更に働いて貯蓄をすることも「立派なこと」です。
信仰を深めるために多くの時間を用いることも出来ます。
「金銭に対する愛」とは、「お金を沢山得る」とか「お金に執着する」ということだけではありません。
例えば、いわゆる贅沢品などのために多額のお金を使うことも含まれます。
つまり、欲望と深い関わりがあるということです。
今の世界、自分の欲望を満たすためには「多くのお金」を必要とします。
そのために多くの時間働いたり高額な収入を得る仕事に就こうとする場合もあります。
もし、高収入を得るという目的だけに仕事をするとすれば、それは「金銭に対する愛」だと言えます。
一方で、良い仕事に対しては相当の対価が得られるべきです。
それは当然の報酬だからです。
この場合は「金銭に対する愛」とはなりません。
したがって、裕福な人が必ずしも「金銭に対する愛」を抱いているとは限りません。
逆に貧しい人でも必要以上にお金に執着するなら、それは「金銭に対する愛」そのものです。
お金はいくらあっても困らないと人は言います。
確かにそうですが、
ある人々はその財産を維持、あるいは、守るために「24時間気を緩めることが出来ない」ものです。
人は持っているものを失いたくないし、さらに、欲しいと思うものです。
しかし、そうすることは無駄に終わるとイエスは述べています。
マタイ16章
24 それからイエスは弟子たちに言われた,「だれでもわたしに付いて来たいと思うなら,その人は自分を捨て,自分の苦しみの杭を取り上げて,絶えずわたしのあとに従いなさい。
25 だれでも自分の魂を救おうと思う者はそれを失うからです。しかし,だれでもわたしのために自分の魂を失う者はそれを見いだすのです。
26 というのは,全世界をかち得ても,それによって自分の魂を失うなら,その人にとって何の益になるでしょうか。また,人は自分の魂と引き換えに何を与えるのでしょうか。
したがって、人は多くの財産は必要ではないのです。
多くの人は、多くの財産を手に入れ裕福に暮らすことを望んでいます。
それが幸せだと思い込んでいるのです。
しかし、富のあるところには争いや憎しみがあり、また、様々な犯罪に巻き込まれる可能性が高いのです。
箴言15章
17 野菜の料理とそこに愛があれば,肥やし飼いにした牛とそれに憎しみが伴うのに勝る。
という言葉の意味をあなたはどのように捉えますか。
「金銭に対する愛」に関しての結論は、「あるもので満足すること」と「必要なものを備えること」とのバランスが求められているということです。
これをものみの塔の信者たちに適用して見ましょう。
パウロは次のようにも述べています。
テモテ(一)5:8
8 当然のことですが,自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです。
とハッキリ述べています。
ものみの塔の信者の両親であっても、[自分と]家族に必要な者を備える必要があり、それをしない人は信仰を否定していることになると述べています。
しかも、信仰のない人より悪いとも述べているのです。
この点は長年伝道のために労して来た年老いた信者でも同じことです。
いたずらに神に頼ることは信仰の欠如なのです。
ものみの塔の信者で、いわゆる開拓奉仕をしていても自分の必要は自分で備えるべきであるとパウロなの述べています。
実際、パウロは自らの必要を自分で働いて得ていました。
テサロニケ(一)2:9
9 兄弟たち,あなた方は,わたしたちの労と刻苦とを覚えているはずです。わたしたちは神の良いたよりをあなた方に宣べ伝えましたが,それは,あなた方のだれにも費用の面で重荷を負わせないようにするために,夜昼働きながらのことでした。
コリント(一)4:9-13
9 というのは,神はわたしたち使徒を,死に定められた者として,出し物の最後に置かれたように思えるのです。なぜなら,わたしたちは,世に対し,み使いたちに対し,また人々に対して,劇場の見せ物のようになっているからです。
10 わたしたちはキリストのゆえに愚かな者ですが,あなた方はキリストにあって思慮深い者となっています。わたしたちは弱いのに,あなた方は強いのです。あなた方は評判が良いのに,わたしたちは不名誉のうちにあります。
11 今この時に至るまで,わたしたちはずっと飢え,また渇き,着る物に乏しく,こづき回され,家もなく,
12 手ずから働いて労しています。ののしられれば祝福し,迫害されれば忍び,
13 名誉を損なわれても懇願するのです。わたしたちは,今に至るまで,世のくず,すべてのもののかすのようになってきました。
使徒パウロは仲間の信者たちを教え諭して来たのに「世のくず」のようになって来たと述べています。
パウロの表現は現代のホームレスそのものです。
それでも手ずから働いて仲間の信者たちを教え諭しまた支援もして来たのです。
あなたにはパウロのこうした姿を想像出来ますか。
正に、信念の人そのものです。
おそらく、イエスと出会う前にして来たことの罪の許しのためでもあったと思われます。
パウロがイエスに個人的な必要を求めても退けられたことを述べています。
コリント(二)12:1-10
12章
わたしは誇らねばなりません。なるほどそれは有益なことではありません。しかしわたしは,主の超自然の幻と啓示のことに移ります。
2 わたしはキリストと結ばれたひとりの人を知っています。その人は十四年前に―それが体においてであったかどうかわたしは知りません。体を出てであったかどうかも知りません。神が知っておられます―そのような者として第三の天に連れ去られました。
3 そうです,わたしはそのような人を知っています―それが体においてであったか体を離れてであったか,わたしは知りません。神が知っておられます―
4 その人はパラダイスに連れ去られ,人が話すことを許されず,口に出すことのできない言葉を聞いたのです。
5 そのような人についてわたしは誇ります。しかし自分自身については,[自分の]弱いところに関する以外には誇りません。
6 たとえわたしが誇りたいと思う場合があるとしても,それによって道理をわきまえない者となるわけではありません。わたしは真実を語るからです。しかしわたしは[それを]控えます。だれも,
7 ただその啓示の過大さのために,わたしについて見るところ,あるいはわたしから聞くところを越えて,わたしのことを高く評価するようなことのないためです。
それゆえ,高慢になることのないよう,わたしは肉体に一つのとげを与えられました。それはサタンの使いであって,わたしが高慢にならないよう,わたしに終始平手打ちを加えるためのものです。
8 これについては,それがわたしから離れるよう,わたしは三度主に懇願しました。
9 しかし[主]は,まさにこう言われました。「わたしの過分の親切はあなたに対してすでに十分である。[わたしの]力は弱さのうちに全うされるのである」。それゆえわたしは,自分の弱いところについてむしろ大いに喜んで誇り,こうしてキリストの力が天幕のごとくわたしの上にとどまるようにします。
10 したがって,わたしは弱いところを,侮辱,窮乏,迫害や困難を,キリストのゆえに喜びとするのです。わたしが弱いとき,その時わたしには力があるからです。
パウロが与えられた「肉体のとげ」とは病気のことです。-ガラテア4:13
「キリストと結ばれた一人の人」とはパウロ自身のことです。
使徒22:1-21
「皆さん,兄弟たちと父たち,今,あなた方に対するわたしの弁明を聞いてください」。
2 (さて,彼がヘブライ語で話しかけてくるのを聞いて,人々はいよいよ静かになった。そこで彼は言った,)
3 「わたしはユダヤ人で,キリキアのタルソスで生まれましたが,この都市においてガマリエルの足下で教育され,先祖の律法の厳格さに応じた教えを受けており,今日のあなた方すべてと同じように神に対して熱心な者です。
4 そして,この道[の者]を死に至らせるまでも迫害し,男も女も縛って獄に引き渡しました。
5 この点は,大祭司も年長者会の全員もわたしのことを証しできます。わたしはこの人たちからダマスカスにいる兄弟たちへの手紙も手に入れ,そこにいる者たちも罰するため,縛ってエルサレムに連れて来ようと道を進んでいました。
6 「ところが,わたしが旅をしてダマスカスのすぐ近くに来た時,真昼ごろでしたが,突然天から強烈な光がわたしのまわり一帯にぱっと光り,
7 わたしは地面に倒れて,『サウロ,サウロ,なぜあなたはわたしを迫害しているのか』と自分に言う声を聞きました。
8 わたしは,『主よ,あなたはどなたですか』と答えました。すると彼は,『わたしはナザレ人のイエス,あなたが迫害している者です』と言われました。
9 ところで,わたしと一緒にいた人たちは,光は確かに見たのですが,わたしに話している方の声は聞き取りませんでした。
10 そこでわたしは,『主よ,わたしはどうしたらよいのでしょうか』と言いました。主はわたしにこう言われました。『起きて,ダマスカスに入りなさい。そうすれば,あなたが行なうように定められている事柄はみな告げられるでしょう』。
11 しかしわたしはその光の輝きのために何も見ることができなかったので,一緒にいた者たちの手に引かれてダマスカスに着きました。
12 「さて,律法にかなった敬虔な人で,そこに住むすべてのユダヤ人からも良い評判のあるアナニアという人が,
13 わたしのところにやって来てそばに立ち,『サウロ,兄弟よ,再び視力を得なさい!』と言いました。まさにその時,わたしは目を上げて彼を見たのです。
14 彼はこう言いました。『わたしたちの父祖の神は,そのご意志を知り,義なる方を見,その口の声を聞くようにとあなたをお選びになりました。
15 あなたは,自分の見聞きした事柄につき,すべての人に対してその方の証人となるからです。
16 それで今,なぜためらうのですか。立って,バプテスマを受け,その名を呼び求めてあなたの罪を洗い去りなさい』。
17 「ところが,エルサレムに帰って神殿で祈りをしていると,わたしはこうこつとした状態になり,
18 その方がわたしに,『急いで,早くエルサレムから出なさい。彼らは,わたしについてのあなたの証しに同意しないからです』と言っておられるのを見ました。
19 それでわたしはこう言いました。『主よ,わたしが次から次へと会堂をまわり,あなたを信じて頼っている者たちを投獄したりむち打ったりしたことを,彼ら自身がよく知っています。
20 しかも,あなたの証人ステファノの血が流された時には,私もそばに立ってそれを是認し,彼を除き去ろうとしている者たちの外衣の番をしていたのです』。
21 でもその方は,『行きなさい。わたしは,あなたを遠く諸国民に遣わすからです』と言われました」。
イエス・キリストはパウロを諸国民の使徒とすることで以前の罪を拭い去ろうとしパウロもそれに応え実際その通りにしたのです。
コリント(一)9章
9章
わたしは自由ではないのですか。わたしは使徒ではないのですか。わたしは,わたしたちの主イエスを見たのではないのですか。あなた方は,主にあるわたしの業ではないのですか。
2 わたしはほかの人たちに対しては使徒ではないとしても,あなた方に対しては確かにそうです。あなた方は,主との関連においてわたしの使徒職を確認する証印なのです。
3 わたしを調べる人たちに対するわたしの弁明は次のとおりです。
4 わたしたちには飲食する権限があるのではありませんか。
5 わたしたちには,ほかの使徒や主の兄弟たち,またケファと同じように,姉妹を妻として連れて歩く権限があるのではありませんか。
6 また,[世俗の]仕事をやめる権限がないのは,バルナバとわたしだけなのですか。
7 自費で兵士として仕えたりするのはいったいだれでしょうか。だれがぶどう園を設けてその実を食べないでしょうか。また,だれが[羊の]群れを牧してその群れの乳にあずからないでしょうか。
8 わたしはこれらのことを人間的な標準で話しているのでしょうか。律法もそう言っているのではありませんか。
9 モーセの律法の中に,「脱穀している牛にくつこを掛けてはならない」と書かれているのです。神が気にかけておられるのは牛のことですか。それとも,専らわたしたちのためにそう言われるのですか。
10 まさにわたしたちのためにそれは書かれたのです。すき返す者は希望をもってすき返し,脱穀する者はそれにあずかる希望をもってそうすべきだからです。
11 わたしたちが霊的なものをあなた方にまいたのであれば,肉体のためのものをあなた方から刈り取ったとしても,それが何か大それたことになるのでしょうか。
12 他の人たちがあなた方に対するこの権限にあずかっているのであれば,ましてわたしたちはそうしてよいのではありませんか。しかしそうではあっても,わたしたちはこの権限を利用しませんでした。かえって,わたしたちはすべての事を忍び,キリストについての良いたよりに何の妨げも来たさないようにしています。
13 あなた方は,神聖な務めを行なう人たちが神殿のものを食べ,絶えず祭壇のことに仕える者たちが祭壇と分け合う分を持つことを知らないのですか。
14 これと同じように,主はまた,良いたよりをふれ告げる者が良いたよりによって生活することを定められたのです。
15 しかしわたしは,こうした[備え]を何一つ利用したことがありません。事実,わたしはこれらのことを,自分の場合にそうなるようにと思って書いたのではありません。[そうする]くらいなら,むしろ死んだほうがわたしにとっては良いからです―わたしの誇る理由をだれもむなしくすることはできません!
16 わたしが良いたよりを宣明しているとしても,それがわたしの誇る理由ではないのです。わたしにはその必要が課せられているからです。実際,もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなるのです!
17 もしこれを進んで行なえば,わたしには報いがあります。しかしそれを自分の意志に逆らってするとしても,わたしにはやはり家令の仕事が託されています。
18 では,わたしの報いとは何ですか。それは,良いたよりを宣明するに際し,良いたよりを価なしに提供し,良いたよりにおける自分の権限を乱用しないことです。
19 というのは,わたしはすべての人に対して自由ですが,できるだけ多くの人をかち得るために,自分をすべての人の奴隷としたからです。
20 こうしてわたしは,ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人をかち得るためです。律法のもとにある人たちに対しては律法のもとにある者のようになりました。わたし自身は律法のもとにいませんが,こうして律法のもとにある人たちをかち得るためです。
21 律法のない人たちに対しては律法のない者のようになりました。自分は神に対して律法のない者ではなく,キリストに対して律法のもとにある者ですが,こうして律法のない人たちをかち得るためです。
22 弱い人たちに対しては弱い者となりました。弱い人たちをかち得るためです。わたしはあらゆる人に対してあらゆるものとなってきました。何とかして幾人かでも救うためです。
23 わたしは良いたよりのためにすべての事をするのです。それを[他の人々]と分かち合う者となるためです。
24 競走の走者はみな走りはしますが,ただ一人だけが賞を受けることを,あなた方は知らないのですか。あなた方も,それを獲得するような仕方で走りなさい。
25 また,競技に参加する人は皆,すべてのことに自制を働かせます。もちろん彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが,わたしたちの場合は不朽の[冠のため]です。
26 ですから,わたしの走り方は[目標の]不確かなものではありません。わたしの打撃の仕方は空を打つようなものではありません。
27 むしろ,自分の体を打ちたたき,奴隷として引いて行くのです。それは,他の人たちに宣べ伝えておきながら,自分自身が何かのことで非とされるようなことにならないためです。
クリスチャンすべてはパウロのようではありませんし、また、おそらく誰一人出来ないでしょう。
こうした点でパウロが模範としたのはイエス・キリストでありイエス・キリストに見習って来たのです。
クリスチャンにとって、信仰と労働(収入)は絶えず付きまとう問題です。
金銭に対する「感覚」は人によって様々で、また、各々立場も異なります。
これなら良い、これなら悪いといわゆる線引きを出来るのものではありません。
しかし、それはその人の信仰の程度を示すものとなっているのです。
つまり、「金銭に対する感覚」はその人の「信仰の度合い」を示すものともなるのです。
もし、あなたがものみの塔の信者なら、仲間の信者たちを良く観察しその人の「金銭感覚と信仰の度合い」を注視してみて下さい。
ハッキリとそれは見えるでしょう。