前文です。このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。
このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。
それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。
そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。
このブログは、人々に対する「警告」でもあります。
その根拠の多くは「聖書」です。
ヨハネによる啓示11章
14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。
15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。
16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。
-啓示11:14-19
テモテ(二)3章
しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,
3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,
4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,
5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。
6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,
7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。
-テモテ(二)3:1-7
ガラテア5章
19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,
20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,
21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,
23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。
24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。
-ガラテア5:19-24
エフェソス6章
10 終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。
11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。
12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。
14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,
15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。
16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。
17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。
18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。
-エフェソス6:11-18
エフェソス5章
それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。
2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。
3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。
4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。
5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。
6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。
7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。
-エフェソス5:1-7
今回は、なぜ人間に欲が生まれるのかという話です。
人は一人で暮らしていても、やりたいことが沢山あるものです。
それは、健全な欲望と言えるものが多いと思います。
しかし、そこに他の誰かが加わると、各々思いも考えも違う場合が出ています。
そうなると、自分の思っていることが出来なくなることが生じます。
兎角、人が集まるとこのようなことが起きるものです。
もし、人の心や行いから「悪」とされているすべてのことを除くとどうなるでしょうか。
人間の心や思いの中から「利己的な願望、欲望、思惑、策略、悪意、妬み、羨望」など「悪いことに通じる観念や思いや感情」をすべて排除し、純粋に人間の諸行を考察し道徳を考えるなら、
そこは平和、親切、穏やかな生活などだけの世界になるでしょう。
聖書の律法やイエスの山上の垂訓は、人間に多くの問題があるので、このような律法や助言をしたのであって、人間に何の問題もなければ律法もおきても司法上の定めも、イエスの数多くの助言や書士やパリサイ人に対する非難も必要はなかったのです。
しかし、無知で何も教えられずに、例えば、山中に一人で暮らすと自ずとすべては自分の思いや考えで物事を行うことになります。
人間的に考えれば、いわゆる「野性」そのものですが、他人に対する思いや欲望などは一切生じません。
周囲に誰も人がいないからです。
そこに誰かが来たとしても、おそらく、警戒はしません。
他人から害を受けたことがないからです。
自分の能力に応じてですが、何でも、自分の思うように出来るのです。
そこには我儘も自己本位もありません。
人は誰かと生活や仕事などを共にするので多くの問題が生まれるのです。
こうしたことを考えると、神は集団ではなく家族単位で自立した生活することを意図していたように思います。
人間が生き続けるには子孫を設ける必要があります。
つまり、妻と妻の支えが必要であることは言うまでもないことです。
人との交わりを最小限に、家族に限定すると物事は大抵大きな問題もなく行うことが出来ます。
人は誰かと比べることで「余計な思いや感情」が芽生えるのです。
人は一人で生活していても欲は生まれますが、例えば、収穫を増やしたいということなどは自然の欲求です。
しかし、誰かと比べることで欲望が増幅されることも事実です。
つまり、人は誰かと比べることで、本来の自分自身から逸脱し、分不相応な欲望に執着するようになるのです。
人は集団(社会)で暮らしている以上、常に誰かを見ており、見ることで自然に自分と比べてしまうものです。
従って、大勢の人と接していても、誰かと比べることをしないだけでも欲望は半減するのです。
人と比べてではなく、自分自身の向上心による欲であるならば自分自身を見失うことはなく健全な思いを持ち続けることができます。
人と比べないことの他の利点は、誰かが立派なことや良いことあるいは優れたことを成し遂げた時に、素直に、喜べるという点です。
比べてはいないので、妬む気持ちも起こりません。
ただ、すごいとか良くやったとか褒めるだけで済むのです。
それ以上の思いも感情も持つことはないのです。
さて、あなたはどのような欲を抱いていますか。
それは、誰かと比べているのではありませんか。
犯罪や悪事と言われること、あるいは、誰かと競争することでなければ、人として「健全な生き方」が出来ます。
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神の律法下にあったAD33年当時のユダヤ人の中で、いわゆるサンヘドリンに出入りする人々、特に書士やパリサイ人などは常に人を見、律法に逆らう者たちを批判し迫害をしていました。
そして、ユダヤ人社会で「優位な立場」を得ようとしていました。
つまり、人々から「敬意」を抱かれることを「欲していた」のです。
イエスはそうした彼らの振る舞いを批判することで、神への崇拝の「正しい行い」を示しました。
一方、イエスの弟子たちは、イエスに敬意を抱いておりイエスから学び神の是認を得ることに「思いを集中」させていました。
ある時、ヤコブとヨハネの母がイエスに近づき「あなたの王国で一人はあなたの右に、一人はあなたの左に座るようお申し付けください」と言いました。
弟子ではなく、弟子の母が言ったことです。
このことを聞くと他の十人はその二人の兄弟のことで憤慨しました。
そして、イエスは十ニ人の弟子たちに次のように言われたのです。
「25 しかしイエスは,彼らを自分のところに呼んでこう言われた。「あなた方は,諸国民の支配者たちが人々に対して威張り,偉い者たちが人々の上に権威を振るうことを知っています。
26 あなた方の間ではそうではありません。かえって,だれでもあなた方の間で偉くなりたいと思う者はあなた方の奉仕者でなければならず,
27 また,だれでもあなた方の間で第一でありたいと思う者はあなた方の奴隷でなければなりません。
28 ちょうど人の子が,仕えてもらうためではなく,むしろ仕え,自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来たのと同じです」。 -マタイ20:20-28
イエスは十二人の弟子たちに、偉くなりたい(高い立場、立派な立場を欲すること)と思うなら「互いの奉仕者、奴隷でなければならない」と言われたのです。
また、パウロも次のように語っています。
テモテ(一)6章
くびきのもとにあって奴隷である人は皆,自分の所有者を,全く尊敬すべきものとみなしてゆきなさい。それは,神のみ名と教えが決して悪く言われることのないためです。
2 さらに,信者である所有者のいる人は,それが兄弟であるからといって見下げることがあってはなりません。むしろ,自分の良い奉仕の益を受けるのが信者であり,自分の愛する者であるからこそ,いよいよ快く奴隷として仕えなさい。
これらのことを絶えず教え,またこうした勧めを与えてゆきなさい。
3 もしだれかがほかの教理を教え,健全な言葉,すなわちわたしたちの主イエス・キリストの[言葉]に同意せず,また敬虔な専心にかなう教えに[同意し]ないなら,
4 その人は[誇りのために]思い上がっているのであり,何も理解しておらず,疑問をはさむことや言葉をめぐる論争で精神的に病んでいるのです。そうした事から,そねみ,闘争,ののしりのことば,悪意のうたぐりが起こり,
5 また,思いが腐って真理を奪い取られ,敬虔な専心を利得の手段と考える人々の,ささいな事をめぐる激しい言い争いが[起こり]ます。
6 確かに,自ら足りて敬虔な専心を守ること,これは大きな利得の手段です。
7 わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできないからです。
8 ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです。
9 しかし,富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥り,それは人を滅びと破滅に投げ込みます。
10 金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです。
11 しかし,神の人よ,あなたはこうした事から逃げ去りなさい。そして,義,敬虔な専心,信仰,愛,忍耐,温和な気質を追い求めなさい。
12 信仰の戦いをりっぱに戦い,永遠の命をしっかりとらえなさい。あなたはそのために召され,多くの証人たちの前でりっぱに公の宣言をしたのです。
(信仰とは戦いであると述べています。
それは、世と世にあるものに対する欲望との闘いということです)
13 すべてのものを生かしておられる神,また,証人としてポンテオ・ピラトの前でりっぱに公の宣言をされたキリスト・イエスのみ前であなたに命じます。
14 わたしたちの主イエス・キリストの顕現の時まで,汚点のない,またとがめられるところのない仕方でおきてを守り行ないなさい。
15 その[顕現]は,幸福な唯一の大能者がその定めの時に示されるのです。[その方は]王として支配する者たちの王,主として支配する者たちの主であり,
16 ただひとり不滅性を持ち,近づき難い光の中に住み,人はだれも見たことがなく,また見ることのできない方です。この方に永遠の誉れと偉力とがありますように。アーメン。
(幸福な唯一の大能者とは神のことです)
17 今の事物の体制で富んでいる人たちに命じなさい。高慢になることなく,また,不確かな富にではなく,わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を託すように。
18 そして,善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,進んで分け合い,
19 自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え,こうして真の命をしっかりとらえるようにと。
(この助言は、富んでいる信者に対するものです)
20 テモテよ,あなたに託されているものを守り,聖なる事柄を汚すむだ話や,誤って「知識」ととなえられているものによる反対論から離れなさい。
(当時の会衆内にもこのような人々がいて、パウロの言う「真理」に対して反対する者たちがいたことを示しています)
21 ある人たちは,そうした[知識]を見せびらかそうとしたために信仰からそれて行きました。
過分のご親切があなた方と共にありますように。
パウロは、そうした「知識」を見せびらかそうとすることを批判しています。
あなたは知っていますか、ものみの塔の教えの中にも「このような教えが含まれている」ことを。
これらの「動機」は、人々からの敬意を受けたい、高い立場に立ちたいという「欲望」なのです。
こうしたことを「イエスは非としている」のです。
クリスチャンは「肉をその情欲や欲望と共に杭につけた」だけでは「不十分」なのです。
肉(肉体)だけではなく、心からそうした「精神、つまり、霊」を「死んだもの」とするようにと言っているのです。