知恵を求める人のためのブログです。
私は人に生じるあらゆる出来事には法則が働いていると感じています。
ただし、「感じています」ですから、明確にこうだとは説明出来ません。
以下に述べることは、いわゆる「霊感」とは全く異なるものです。
日常の出来事の結果についての法則を述べているだけですから誤解の無いようにして下さい。
このように言うと「運命」「定め」などを連想する人がいるかも知れませんが、少し違います。
これらについては、あらかじめ初めから決まっているという意味で用いられていることが多いからです。
私のいう法則というのは、人が自分の意思で何かをすることに対する「反応」のようなもので、初めから物事が定まっているという考えではありません。
例えば、
物を落とすと重力で落下します。
意図的に落とす場合もありますが、落としてしまう場合もあります。
こうしたことは意図したこと、また、初めから決まっていたことではありません。
いわゆる、自然の法則です。
人の行いとその結果には、いわば、因果関係があると考えることは道理、または、理屈ですが、それを明確には証明出来ないので、「感じている」と述べています。
その感じ方は、
例えば、交通事故にしても、ケガをする時にしても、人が何らかの行動をしている時の出来事は、大河の流れのように「その流れを変えることは出来ない」と感じています。
その行動を起こした時、その発言をした時に「既にどのようなことが起きるかが決まってしまう」というものです。
つまり、交通事故にしても、ケガにしても「起きるべくして起きている」のです。
単に、理由や原因があるという問題ではありません。
スピードを出し過ぎたから、よそ見をしていたから、眠かったから、ブレーキとアクセルを踏み間違えたからなどが原因だという考える以前の問題なのです。
ある人がある行動をとったその瞬間に、自然の法則が働くようにその行いの結果が生じるというものです。
だからといって、すべての人が車を運転すると交通事故に遭遇する訳ではありません。
その危険性はすべてのドライバーに、常に付きまとうことは誰しもが理解しています。
ただ、事故を起こす人は「起こすべくして起こしている」ということです。
それを明確には証明することは出来ませんが、そうなっているのです。
例えば、日航ジャンボ機が墜落しましたが、その飛行機に乗るはずだった人が乗り損ねた人もいました。
何らかの理由があったと思いますが、その人は死なずに済んだのです。
こうしたことは「その人の運命」だと言う人が多いと思いますが、私の考えは違います。
偶然、死ぬべきして皆亡くなったのです。
なぜなら、その飛行機が墜落することになっていたからです。
後で分かったことですが、いわゆる隔壁にヒビが入っていて、それが離陸直後に破損しそれが原因で飛行機の操縦が不可能になって墜落したということです。
つまり、
その飛行機を羽田で始動した時にすでに墜落することが決まってしまったのです。
その飛行機を飛行させなければ墜落することはなかったのです。
その飛行機に搭乗して生き残った人は僅かに四人だったと記憶しています。
生存者は後部胴体の後方に着座していて、衝突時の姿勢や座席の状況などが衝撃を和らげたためその人たちは助かったと言われています。
その人たちはその場所に座るべくして座っているのです。
その内の一人の女の子が自衛隊のヘリコプターで救出され搬送される場面もテレビで見ていました。
その日の出来事は飛行機が離陸した直後からテレビで放送していましたので、初めからすベてを見ていました。
確か夕刻でしたが不穏な空気が漂っていたのを感じていました。
別に予感していた訳ではありませんし、霊感を持っている訳ではありません。
ただ、そう思っただけです。
日常的な例としては、
例えば、洗濯した時長い紐が絡み合うのを見ていつも何か法則が働いているように感じていました。
これは水の抵抗と重力がそうさせているということは理解しています。
洗濯ではなくても長い紐の扱い次第ではどうにもならない位絡まってしまうことは良くあることです。
人の不注意、考えが足りないなどと考えることも出来ますが、少し考えれば絡まないように出来るのに「そうしない」気持ち、感情があると「必ず紐は絡む」のです。
人は、「そのまますれば紐が絡む」ということを理解しまた直感もしているのです。
しかし、やってしまうことは良くあることです。
つまり、紐を絡めているのは「自分」だということです。
もう一つの点は、その紐の絡み方が一見して複雑に絡み合っている(ように見える)ことです。
ただ、洗濯機で回しているだけなのにすごく複雑に絡み合いほどくのに手間がかかったことのある人は多いと思います。
しかし、その絡み方を良く見ると「ただ、いわゆる入れ子になっているだけ」なのです。
これを理解しほどくと簡単に解けることに気が付いている人がいるでしょうか。
試しに、実際に長い紐をネットに入れないで他の衣類と一緒にそのまま洗濯して絡ませてみて下さい。
その時、洗濯機を見ていても絡み方が分かるかも知れません。
私は昔から「自分のこと」で、「何もしなければ何も起きない」と言い聞かせて問題の対処をして来ました。
幾ら物事を深く考えて振る舞っても、自分の思いや感情などで行動を起こすと自分の意図しない結果や大事になることがある場合もあります。
問題が生じ、自分だけではどうにもならないことに関しては、何もしない方がいわゆる「時間が解決」してくれる場合が多いものです。
もし、急いでしなければならない場合には、必然のみを行うことです。
自分の考えではなく、しなければならないことを自分の感情や考えを抑えて行うことです。
急がない場合には、何もしないことで、自分でも意識しない間に「問題の解決」が進んでいることが多いものです。
加えて、この間に解決するための「気持ちとアイデア」が自然と生まれ「その問題を上手く対処」出来ることは数多くあるものです。
いわば「ひらめき」が偶然に生まれることもあるのです。
自分に問題意識が生じた時には今でも同じようにしています。
その何もしない間にいろんな思いが自然と浮かんで来て、いわば最適解を選ぶことが出来るのです。
これは誰かとのトラブルという問題についてのことではありません。
自分自身に生じる出来事に関してです。
自分自身が感じたことや他人が直接自分に関わらない問題である場合です。
しかし、現実には人間関係でも「上手く行く」こともあります。
それは、いわゆる「深謀遠慮」ということかも知れません。
また、交通事故に関してもケガに関しても、自分で「直前に予知」していることが多いのです。
自分では「なんとなく」気が付いていても「無視」している場合が殆どです。
こうした思いは、虫の知らせなどという不安な気持ちとは異なるものです。
例えば、何かをしている時、失敗するとかケガをするという気持ちや考えが「一瞬」よぎることがあります。
これは、直感であって思考ではありません。
それを無視して続けると「案の定失敗やケガ」をしてしまう場合があるのです。
誰しもが経験していることです。
実際、柱やなにかにぶつかる、ぶつける直前、「体が勝手にぶつかる方に引っ張られているような、押されているような」「感覚」がよぎる場合があります。
手をナイフなどで切ってしまう場合も「手を切るのではないか」という予感があり「手が切るように動いてしまい」手を切っている場合が多いものです。
こうした時には殆ど同じような「感覚」が生じているものです。
しかし、これを「回避」する手段がないので、実際にものにぶつかったり手を切ってしまうのです。
(参考:あたかも「背後霊」がいて、その者がそうさせているように思ってしまうような「感覚」で
す)
こうしたこととは逆のこともあります。
つまり、絶対そういうことは起きないと理由もなく「確信」したり「感じる」場合もあり、実際その通りに事故やケガなどが起きない場合もあるのです。
人間は殆どの場合、こうした思いを抱いて物事を行っていて、実際、問題が起こることはいわゆる「万に一つ」なのです。
しかし、その「万に一つ」が大事になることがあるのです。
それは、偶然ではなく「自分がそのようにしている」のです。
皆さんは、こうした経験はありませんか?
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私はふと人間のすることには化学反応のような決まった法則、必然性があるように感じています。
人間のすることは偶然と必然で成り立っています。
いわゆる「因果応報」的な考えですが、聖書でもこうした考えを否定していません。
人間には少し先のことはある程度は予測出来ますが、現実にどのようになるかを正確に告げることの出来る人はいません。
しかし、私は人間のするこうしたことには法則や必然性があるように思うのです。
今、私はそれを確かめ、かつ、身に付けようとしています。
こうしたことは言葉では上手く伝えることは出来ません。
目には見えない事柄であり、確信を抱くことが難しいことだからです。
冒頭に述べましたが、いわゆる、霊的な事柄とも違う、あたかも引力のような法則のようなものです。
霊的な事柄は、いわば、人体の内部からのあるいは外部からの何らかの「力の働き」ですが、今私が伝えようとしている事柄はそうしたものではなく必然性、自然の法則のようなものです。
例えば、自分の欲しいものが手に入ると嬉しいという感情が「自然に心に生じる」ようなことです。
自分にとって悪いことが起こると怒りの感情が湧き出て来るようなことです。
感情ではなく、感情が生まれるという法則そのもののことを言っています。
人間が行う物事にもそのような法則があるように感じています。
人はこうしたことを知らず、いわば、直感的に行うことが多いので、物事を上手くやることが出来ない場合が多いのです。
もし、こうした法則を知り事前に対応出来れば、殆どのことは思い通りに上手く出来ると考えています。
物事は自分の考えているように、あるいは、思うように出来なかったり事故やケガをする最大の原因はこの法則を無視した自分の考えであり思いを持つためなのです。
しかし、今のところこれを回避する手段はありません。
それでも、例えれば、バッターがボールをヒットする瞬間の出来事で、選手の中には「その瞬間」が見える場合があることもあります。
川上哲治はそれを「繰り返し素振り」を繰り返すことで身に付けたとも言っています。
ボールが「止まって見える」と言っていました。
野村克也や落合博満などは「別の観点」でボールを捕え、数多くヒットを打っています。
この二人は川上のようにボールを点で捉えるのではなくボールの軌道とボールの当たる位置(上か下た)を意識しているということです。
同じすることでも「人によって異なる」のです。
人間はある意味欲望の塊のようなものです。
この欲望という思いも、思うように出来ない原因の一つとなる場合もあるのです。
人は、これを理解しないので、何でも自分の欲することを欲するままにしようとして、特に他人との関係では、大抵は上手く行かないのです。
人の思いと「目には見えない働き=法則」とが一致しない時物事は上手く運ばないのです。
しかし、この目には見えない働き=法則を察知し自分の思いとの調和というか整合性を持つことが出来れば物事は好転すると考えています。
従って、人に必要なことは「目には見えない働き=法則」を察知する能力ということになります。
これは、霊感ということではなく「目には見えない自然の法則」を常に意識するということです。
例えば、重力を常に意識していれば、ものを落とすことが減るかも知れないというものです。
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以下は、こうした事柄についての最近の出来事に関することです。
軽トラの購入に関して、前週の金曜日に電話し土曜日に見に行きそこで即決し日曜日に住民票をコンビニで取りそれをFaxし、お金をネットバンキングから振り込み月曜日には完了したとの電話あり火曜日には受け取りに行きました。
そして、保管場所の届け出を木曜日にし、やはり金曜日にガレージテントを注文し日曜日に届きました。
ガレージテントを建て終わるまでの間、車を一時的に止めさせて頂いて、アンカーボルトの確認、玉砂利の購入、必要なアンカボルトや、コンクリートブロックの購入などを揃え建て終わりました。
すべてがあっという間の出来事でした。
また、
畑の購入に関して農業委員会の手続きも面接も許可も時間通りに進み、その後、所有権の移転、売買契約等も多少の問題がありましたが殆どすべてが順調に行き無事に終わりました。
この間、上手く行かなかったらどうしようなどという焦りや心配はありませんでした。
そのような思いが去来しそうになる時には、ボーとして「ただ思いを巡らす」だけで、深く考えたり意識をしないようにしていました。
思うように上手く行かなくても必要なことや出来ることをすれば良いとだけ考えていました。
必要なことをしていれば、何もしなくても向こうから何をすべきかの知らせが来るものです。
いすれにしろ、必然を行い、先のことは余り意識を集中させないようにボーとして考えず「思いを巡らすだけ」で結果として「物事が上手く運ばれている」ように思います。
そうすると、思い通りにならなくても次を考え易くなります。
こうしなければならないという強い思い込みがないからです。
ただ、状況に合わせて行動するだけなのです。
こうした態度が物事を好転させていると考えています。
皆さんが、何かをする時の「ヒント」なれば幸いです。