知恵を求める人のためのブログです。神とイエス・キリストからの恵みがありますように。
最後まで読んで頂いた人に「神とイエス・キリスト」からの「霊的恵み」があることを願っています。
++++++++++++++++++++++++++
今の世界情勢は、
ある意味、ネットが作り出したものと言えます。
ある国の出来事ニュースが、
瞬時に世界中に拡散され、
その影響が他国の国民に大きな影響を与えるからです。
こうしたことは、
日本にいる多くの人々にも、
田舎の農家の人々にさえ影響を与えているのです。
+++++++++++++
第一次、第二次世界大戦の時には、
海外のニュースは、
殆どは電報で速報が伝えられました。
手紙だと、
税関を含めて、
ヨーロッパと日本ではおよそ3か月、
アメリカと日本ではおよそ1か月、
掛かったと言われています。
それは、船便が主だったからです。
(参考:
今は、アメリカまでは2週間程で着くようです。
しかし、貨物便だと、
今でも、
香港でさえ1か月位掛かります。
これは、税関のせいです。)
今では、
時差はありますが、
ライブ映像を見ることが出来ます。
ヨーロッパだと時差はおよそ9時間で、
アメリカだと時差はおよそ12時間で。
正に、
今世界中で起きていることを見ることが出来るのです。
+++++++++++++
この記事の終わりの部分で、
「事物の体制の終結のしるし」に関する「イエスの預言」とその解釈を載せています。
以下の内容は、
その「預言」に基づく、
世界の「進展」について述べたものです。
****************************
第一次、第二次世界大戦の時には、
民族の対立から端を発し、それが、国と国との戦いに発展しましたが、
国民同士が敵対し立ち上がるということはありませんでした。
むしろ、団結していました。
しかし、
1945年以降、
世界が経済的に発展を遂げるにしたがって、
国家間に貧富の差が生じ、
特に貧しい国では、
国内で政府に対する「反発」が少しずつ現れるようになって来ました。
それが、
今日では、
武装し政府側と対立するようになり、
いわば、内戦状態になっている国もあります。
内戦にはならなくても、
どの国でも、
政府と反政府の対立が「明確」になって来ました。
それを可能にしたのが、
ネットでありスマホです。
こうして、いわゆる「反発する空気感=自由を渇望する精神」が世界中を漂っているのです。
どこの国でもです。
これは「紛れもなく」イエスが言われた、
事物の体制の終結の時に現れる「しるし」の一つである「国民は国民に敵対」するということと合致すると考えられます。
(参考:ものみの塔が、これを1914年以降の出来事として説明しています。
つまり、
内乱と戦争と飢きんと地震が起こると。
ですが、
現実には、特に内乱に関しては、
必ずしも「合致していません」
民族の対立は国家間の対立と発展したのです。)
そして、
ロシアのウクライナ侵攻で表面化したように、
アフリカなど貧しい国々では「食糧難」に陥っています。
また、
それが、富んでいる国々でも、
輸入して食料を確保しているため、
それらの輸入が滞り「品不足」「物価上昇」という形で、人々の生活を脅かしています。
今や、どこの国でも「食糧難」に陥っているのです。
これらに、
鳥インフルエンザ、豚コレラなど家畜の疫病、
気候変動による食物生産の異常、
自然破壊のため、
野生動物の食べ物まで少なくなり、
市街地に現れるようになって来ました。
地震もかつて無いほどの頻度で発生しています。
そこからここへと食糧不足や地震があるというイエスの預言が、
正に、
今、世界中に生じていると「ほぼ、断言出来る」と考えられます。
+++++++++++++
(参考:
こうした出来事は「いつの時代にもあった」と言う人がいることは知っています。
その主張は「事実」です。
ですが、
今のような世界的規模では生じてはいませんでした。
また、
ものみの塔は「これら(しるし)が一世代の内」(1914年当時生きていた人々)
に生じると言う主張して来ました。
ですが、
その世代は「皆、亡くなっています」
ですから、
これらの主張は、
預言と合致していないことは「明白」です。)
+++++++++++++
イエスが言われたように、
これらは、
苦しみの激痛の始まりに過ぎないのです。
おそらく、
こうしたことが続くと、
つまり、
人智を超えた「様々な現象」が生じると、
ある人々は「神」に祈るようになります。
「苦しい時の神頼み」です。
そのため、
いろんなことを言う人(偽預言者)が現れ、人々を「惑わ」すかも知れません。
しかし、
事態は変わることはないのです。
すると、今度は、
人々は、
神や宗教を頼ることを諦め、逆に神を憎むようになるかも知れません。
いわば、
「可愛さ余って憎さ百倍」となるのです。
それだけではありません。
人々の心は、苦難のため「荒(すさ)んで」
自暴自棄になったり自己本位や自分勝手になるかも知れません。
そうなると、
犯罪が増え、互いを警戒するようになり、
「人々の愛が冷える」ようになるでしょう。
そして、
今まで、宗教の名の下に「様々な発言」をして来た人々に対する「迫害」が生じ、
時には、信者同士が互いに「憎しみ合う」かも知れません。
世界中の人々は、
「イエスの名の故に」クリスチャンたちを憎しみの的にするかも知れません。
これらを終わりまで耐え忍んだ者が救われるとも言われました。
+++++++++++++
ですから、
今のエホバの証人たちのように、
ある意味「平和」の中で「脳天気」に伝道している姿は、
イエスの預言とは「合致」しません。
啓示の書の預言とも「合致」しません。
+++++++++++++
(参考:
ユダヤ人に対するホロコーストは、
ジェノサイドであって、
イエスの名の故に「あらゆる国民の憎しみの的」になった訳でもありません。
ヒトラーだけがユダヤ人を抹殺しようとしただけなのです。
世界中の人々がユダヤ人を憎んだわけではありません。)
+++++++++++++
更に、
救われる者、神の王国にとって、こうした「しるし」は「良いたより」であり、
それが、人の住む全地で宣べ伝えられてから「終わりが来る」と言われました。
(どのような形で全地で宣べ伝えられるかは、はっきりしませんが、
もしかすると、
迫害に関するニュースによるかも知れません。)
この宣教は、
迫害の下で行われるのです。
こうしたことから、
イエスの臨在は、
「しるし」が生じることで明らかになりますが、
事態の進展は「すべてが一瞬の出来事として、一度に現れる」訳でなく、
少しずつ進展して行くことは「明白」です。
従って、
イエス・キリストの臨在は、
すでに起きているかも知れませんが、
すべての人がこれを認識するという点では、
「成就」していないとも言えます。
また、
「事物の体制の終結に関しては、
ものみの塔の「解釈」である1914年でも、1975年でもなく、
2034年と予想されます。(これは、私個人の予想です)
あくまでも予想です、預言ではありません。
+++++++++++++
もしかすると、
戦争の知らせは、
二度ではなく、三度聞くことになるかも知れません。
神は、
預言が必ずその通りになることを示すため、
二度繰り返すことがあります。
ということは、
しるしに三度目はなく、
二度で終わりということです。
と考えると、
既にイエスは臨在していると考えることは「妥当」なように思えます。
+++++++++++++
いずれにしても、
世界の惨劇に対して、人々の目が「神や宗教」に向くと考えられますが、
まだ、そのことが生じていません。
もし、
それが生じても、
終わりはまだ来ないということです。
「事物の体制の終結のしるし」は
いわば「証=証拠」として「良いたより」となって、
世界中で宣べ伝えられるまで、
あるいは、
世界中の人々が「しるし」の「意味は知らなくても」「認識」しなければ「終わりは来ない」のです。
これは、
神が人に対して行われる事からすれば「道理」に適ったことです。
神の道理とは、
1 ご自分のなさることを「必ず事前に知らせる」
2 必ず起こるということを「人に確信させるために」「二度繰り返す」
というものです。
この「良いたより」に対する人々の反応は、
人々に対する「裁き」の根拠ともなるのです。
現実には、
裁きの根拠は「これだけではありません」
**************
こうして分かるように、
ものみの塔の「終わりの日」に関する「解釈」「説明」は、
早過ぎたのです。
ものみの塔は、
イエスの預言の「一部」を、それも、小規模の出来事を適用させたに過ぎず、
彼らの説明通りのことが起きなかったのです。
**************
しかし、
今日起きていることは、
まさに、
世界規模で生じているのです。
ここが「思案」の為所(しどころ)なのです。
ものみの塔の「解釈」を信じた人たちの中には、
初めの出来事(しるし)で、
動いた人が大勢いることは確かです。
それらの人々の多くはエホバの証人になりました。
しかし、その後、
予想したことが起きなかったことで「騙された」と思って「離れた」人も多くいるのも事実です。
この責任は、
ものみの塔にあるのです。
二度目が生じる前に、
最初に動いて、後に騙されたと思った人は「信じない」ことによって、
いわば「篩に掛けられている」のです。
**************
しかし、
この度の「終わり」つまり「事物の体制の終結」では、
本当の「終わり」つまり「命の書に名前が記されていない人々」の終わりではありません。
ですから、
キリストの千年統治の後には、
この度の「終わり」のような「試練」はなく、
別の形で「篩」に掛けられる「本当の試練」があるということを忘れてはなりませ
ん。
ですから、
今の事物の体制の終わりを生き残る人々は、
少なからず「いる」ことは「明白」です。
ですから、
神とイエス・キリストに忠実ではない人々も「生き残る可能性」はあるのです。
つまり、
多少の「罪」を犯した人々も「生き残る可能性」があるということです。
ですが、
この「可能性」に関しては「どれだけ許容される」のかは誰にも分かりません。
いすれにしろ、
こうした人々の中から
キリストの千年統治の間に、
罪を犯すかも知れない人々が出ると予想されます。
+++++++++++++
生き残る人々には、
傷のない人と、少し傷のある人がいるということです。
その少し傷のある人は、
キリストの統治の間に、
傷のない者になる「機会」「時間」を与えられることになるのです。
そして、
最後に、
適正な数の人々だけが「地に残され」
真の崇拝を永久に、み使いのように行うことになるのです。
こうして、
神の地に対する最初の目的が完遂されるのです。
****************************
イエス・キリストが「預言」された、
「事物の体制の終結」の「展開」は次の通りです。
マタイ24:3-51
「[イエス]がオリーブ山の上で座っておられたところ,弟子たちが自分たちだけで近
づいて来て,こう言った。
「わたしたちにお話しください。
そのようなことはいつあるのでしょうか。
そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。
(この二つの出来事は「同時」に起こるということです)
そこでイエスは答えて言われた,「だれにも惑わされないように気を付けなさい。
多くの者がわたしの名によってやって来て,『わたしがキリストだ』と言って多く
の者を惑わすからです。
(これから話す様々な「しるし」つまり出来事によって、
偽預言が出現することを、
弟子たちに、最初に「念を押して」います。)
あなた方は戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにし
なさい。
これらは必ず起きる事だからです。しかし終わりはまだなのです。
「というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと
食糧不足や地震があるからです。
これらすべては苦しみの劇痛の始まりです。
「その時,人々はあなた方を患難に渡し,あなた方を殺すでしょう。
またあなた方は,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。
またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。
そして多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう。
また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。
しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。
そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地
で宣べ伝えられるでしょう。
(宣教は、一つの証拠であると述べています。
「王国のこの良いたより」とは、
イエス・キリストの再臨と事物の体制の終結のことです。)
それから終わりが来るのです。
+++++++++++++
「それゆえ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとお
り,聖なる場所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい,)
その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。
屋上にいる人は,家から物を取り出そうとして下りてはならず,
野にいる人は,外衣を拾おうとして家に帰ってはなりません。
その日,妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります!
あなた方の逃げるのが冬期または安息日にならないように祈っていなさい。
(注釈:
この部分の預言は、
エルサレムがローマ軍によって滅ぼされ、ユダヤ人が各地に散らされたAD70に「成就」したと考えられます。
しかし、
現代でも、
同様のことが生じるかも知れません。
特に問題となる点は、
「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる
場所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい)」
という点です。
現代に於いては、
偶像礼拝者が聖なる場所(崇拝の場所)に「踏み入る」ことを差しています。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
これは「憶測」ですが、
もし、エホバを崇拝する世界的な拠点である「ものみの塔の世界本部」が、
現代の「聖なる場所」であるとするなら、
その場所に「偶像礼拝者」が「立ち入り、偶像を据えることを意味しています。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
現代に於いて、
これは、まだ「成就」していません。)
+++++++++++++
その時,世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような
大患難があるからです。
実際,その日が短くされないとすれば,肉なる者はだれも救われないでしょう。
しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです。
「その時,『見よ,ここにキリストがいる』とか,『あそこに!』とか言う者がいても,
それを信じてはなりません。
偽キリストや偽預言者が起こり,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,大
きなしるしや不思議を行なうからです。
(大患難が生じると、
人々は混乱に陥り、
様々なことを「発言」する人が「現れ」、「ある程度」その「発言」がその通り
になることを意味しています。)
ご覧なさい,わたしはあなた方にあらかじめ警告しました。
それゆえ,人々が,『見よ,彼は荒野にいる』と言っても,出て行ってはなりません。
『見よ,奥の間にいる』[と言っても],それを信じてはなりません。
稲妻が東の方から出て西の方に輝き渡るように,人の子の臨在もそのようだからで
す。
(人の子の臨在は、
「稲妻」のように、人々を「恐れさせる」ような事柄が、
誰の目にも明らかに「生じる」ことを示しています。
つまり、
イエス・キリストの再臨をすべての人々が認識するということです。)
どこでも死がいのある所,そこには鷲が集まっているでしょう。
「それらの日の患難のすぐ後に,
太陽は暗くなり,
月はその光を放たず,
星は天から落ち,天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう。
(これは、
文字通りの天変地異ではありません。
「大患難が生じると、政治支配者や著名な研究者などが「動揺」することを意味して
います。)
またその時,人の子のしるしが天に現われます。
そしてその時,地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が力
と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう。
(そのしるしがどのようなものであるかは「分かりません」
しかし、
そのしるし(出来事、あるいは、現象)を見ると、
すべての人々は「嘆きの余り身を打ちたたく」と言われています。
その時まで「自分たちがして来た」ことを「後悔」することを示しています。
○○しておけば良かったなどと。)
そして彼は,大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし,彼らは,四方の風か
ら,天の一つの果てから他の果てにまで,その選ばれた者たちを集めるでしょう。
「では,いちじくの木から例えとしてこの点を学びなさい。
その若枝が柔らかくなり,それが葉を出すと,あなた方はすぐに,夏の近いことを知り
ます。
同じようにあなた方は,これらのすべてのことを見たなら,彼が近づいて戸口にいる
ことを知りなさい。
あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して
過ぎ去りません。
(この世代とは、
これらすべてのことを見聞きする人々がいることを示しています。
その人たちが亡くなるまでに、すべてのことが起こるということです。
実際、
このことは「成就」していません。
したがって、
ものみの塔が「世代」を
1914年当時からの出来事を「見聞き」した世代と解釈していますが、
ものみの塔の「解釈」は間違っていたのです。
イエス・キリストが言われた「しるし」がすべて現れていませんし、
2023年の現在、その世代の人々はすべて亡くなっていることは「事実」だらかで
す。
その世代とは、
2023年、今生きている人々かも知れないのです。)
天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしの言葉は決して過ぎ去らないのです。
(天と地が過ぎ去るとは、
事物の体制が終わるということです。
そして、
「わたしの言葉は決して過ぎ去らない」とは、
イエス・キリストの、この「預言」は必ず「成就」するという意味です。)
「その日と時刻についてはだれも知りません。
天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]。
人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。
洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり
嫁いだりしていました。
そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在
[の時]もそのようになるのです。
(人々は、
人の子の臨在[の時]に、
普通の日常を過ごしていることを示しています。
つまり、
危機感を抱いて生活している訳ではないということです。)
その時二人の男が野にいるでしょう。
一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。
二人の女が手臼をひいているでしょう。
一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。
それゆえ,ずっと見張っていなさい。
あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。
「しかし,一つのことを知っておきなさい。
家あるじは,盗人がどの見張り時に来るかを知っていたなら,目を覚ましていて,自分
の家に押し入られるようなことを許さなかったでしょう。
このゆえに,あなた方も用意のできていることを示しなさい。
あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです。
(これは、
警告を示しています。
つまり、
イエス・キリストが再臨する時までは、
各人の責任なのです。)
「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠
実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。
主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。
あなた方に真実に言いますが,[主人]は彼を任命して自分のすべての持ち物をつか
さどらせるでしょう。
(これは、
イエス・キリスト-僧職者-信者という構図です。
主人-奴隷-召使いという構図です。
奴隷とは「僧職者」を意味します。
イエスの時代であれば、
主人(イエス)奴隷(使徒たち)召使い(弟子たち)ということになります。
現代に於いて、
使徒たちは「存在」しません。
しかし、
その「立場」に立つ人や「立っていると言う」人は「存在」しています。
例えば、
ローマカトリックの教皇や司祭たち、
ものみの塔の「統治体」
旧統一教会の「文鮮明」
他の、キリスト教の「牧師」たち、
などです。
従って、
イエスの言われた「忠実で思慮深い奴隷」が誰であるかは、
主人が到着した時、
つまり、
イエス・キリストが再臨した時に「明らか」になるのです。
イエスは、
ご自分の臨在について語った冒頭で、
「惑わされないように気を付けなさい」と警告をされました。
ですから、
聖書を読むとき「思慮深さ」と「理解力」が必要なのです。
そして、そのようにして「識別力」を身に付けなければならないのです。
「人=ものみの塔の「言う」ことを聞いて従っているだけでは、
「識別力」を「身に付ける」ことは「不可能」なのです。
敢えて「不可能」と言ったのは、
絶え間なく「ものみの塔」の「声」に「晒されている」からです。
ものみの塔から「出て」初めて、
「識別力」を身に付けることが出来るのです。
これは、
他力では「不可」なのです。
自力で身に付ける必要のある事柄なのです。)
「しかし,もしそのよこしまな奴隷が,心の中で,『わたしの主人は遅れている』と言
い,
仲間の奴隷たちをたたき始め,のんだくれたちと共に食べたり飲んだりするような
ことがあるならば,
その奴隷の主人は,彼の予期していない日,彼の知らない時刻に来て,
最も厳しく彼を罰し,その受け分を偽善者たちと共にならせるでしょう。
そこで[彼は]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするのです。」
イエス・キリストの預言と解釈はここまでです。
黒字は本文、赤字は強調、緑字は解釈です。
**************
「事物の体制の終結のしるし」に関しては、
ものみの塔が、その初めから「宣べ伝えて来た」事柄です。
ですが、
彼らが解釈した時には、
「人が理解するために必要な出来事」が、
まだ、十分進展していなかったのです。
そのため、
彼らなりの「解釈」を行い、
それを「聖書の預言」として、「伝道」して来ました。
そして、
ものみの塔の「解釈の説明」の通りにはなりませんでした。
ですから、
ものみの塔は「偽預言」の一人なのです。
ですが、
時代が進み21世紀に入って、
イエス・キリストの「預言の実体」が少しずつ「はっきりと見えるようになって来
たのです」
**************
最後に、
上記で「解釈」し説明しましたが、
その通りになるかどうかは「分かりません」
当たっていれば「その通りになる」でしょう。
イエスの預言は「すべて成就」していませんから、
クリスチャンとしての「歩み」を続けながら、
事態の推移を「見守る」以外「方法はない」のです。
この「記事」を最後まで読んで下さった人は、
この点には十分「留意」して頂きたいと思います。
先走った発言や行動をしないで下さい。
皆さん、イエス・キリストの言われた「識別力」を養いましょう。