知恵を求める人のためのブログです。
(初めに、以下の記事はAIによる生成技術が登場する以前の考えです。
AIによる生成技術が登場してからは、
ブログにしても、YouTubeにしても、実際に書かれた文章でも、写真や画像でも、
信じられ「にくく」なってきました。
以下の記事は、
生身の人間同士に対する考えであり、
すべての人間に共通する「精神」について述べたものです。
AIの登場により、
人間の精神構造が変化して来たことは間違いありません。
こうした点を踏まえて、以下の内容を読んで頂きたいと思います。)
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人は、
誰かの「助言」や「教え」などのような「知識」を信じそれに従う傾向がありま
す。
ですが、
殆どは、
自分が「自ら良いと思ったこと」を信じているものです。
誰かから言われたのではない、
「偶然」目にしたこと、聞いたこと、読んだことなどに「共感」し、
それを信じるということは「良くあること」です。
例えば、
気の利いた「四字熟語」などはその典型です。
あるいは、
格言もそうです。
「言い習わし」というのもあるかも知れません。
温故知新、衆人環視、支離滅裂、傲岸不遜、落花流水、行雲流水、喧々囂々など沢
山あります。
「猿も木から落ちる」「漁夫の利」「嘘は泥棒の始まり」なども。
これらは、
殆どは古代の思想家と言われる中国人が造り出した「造語」や
普通の人が社会生活で「感じたこと、思ったこと」などを表現したものです。
しかし、
こうした熟語や格言などには、
人生の知恵が含まれているものです。
そして、それを「自分の人生の教訓」にする人もいます。
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賢い指導者は、
部下や生徒や選手などに、「いわば、精神訓話」や「仕事の効率化」「人生の意義」などを話す時に、
こうした「四字熟語」を用いるものです。
そして「それを解説」し「聞いている人」納得させ、
その人たちを自分(指導者)の思うような「人間」にしようとするものです。
現代でもこうしたことは「効果」があるものです。
例えば、
野球やサッカーや他のスポーツなどに小さい時から「勝つことだけ」を考えて練習
に励んで来た人にとっては、
こうした、いわゆる人生訓のようなことは殆ど知りません。
例え、
学校とかで聞いたとしても「頭には残りません」
しかし、
スポーツなどで自分が望む「選手像」に関しての「心構え、精神」について言われ
ると、
特に悩んでいる選手の「心」には「染み込む」こともあるのです。
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四字熟語ではありませんが、
例えば、
ヤクルトの監督だった野村克也が選手を前に語った多くのことはこうしたことで
す。
勿論技術指導もしますが、
もっとも大事な点として「人間性」「人間教育」をしていたのです。
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人間教育と言えば、
高校野球、高校サッカーなどを挙げることが出来ますが、
近年は「勝つこと」だけを考えているように思えます。
そこには「勝つためには何でもする」という思いが現れています。
勿論、ルールがあるのでその範疇ですが。
人間としてどうあるべきかという点に関して「逸脱」していることが少なくないのです。
品行方正では「勝てない」からです。
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問題なのは、その「精神」なのです。
スポーツをする以前に、スポーツをするのが「人間」であることを忘れているかのようです。
試合に勝つこと、肉体を鍛えること、精神を集中させること、分析をし対策を練ることなどのみを重視し、
そうした点で優れた人を「称賛」したり「憧れ」たりしていることが「多いものです。
選手としての「肉体」や「精神」は、まるで、機械かロボットかのようでさえあります。
こうした選手に欠けているのは、
人間としての「人生観、道徳心」など「人として根幹を為す」事柄に対する「規準」を身に付けていないことです。
そのため、
そのことに気が付いた野村克也は、
プレーそのものよりも、選手の人間性を重視しそれを選手に話したのです。
教祖野村克也を信奉する「元ヤクルトの選手」は多いものです。
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誰かに教えられ、また、指導され、
それを守って生きている人は、
宗教の信者のようです。
自らが気が付いた事柄を信じ、
それに基づいて生きている人は、
宗教で言えば自分が教祖なのです。
人はこのどちらかで、あるいは、両者を混合して生きているものです。
前者の傾向が強い人は「他力」的であり、
後者の傾向が強い人は「自力」的と言えます。
無知である事柄に関しては、前者で、
決定や行いに関しては、後者であるべきです。
おそらく、
多くの人は「そうしている」と思っていると思います。
しかし、
他人から見ると「かならずしも、そうではない」ことが多いのです。
例えば、
孔子が弟子たちを教える時がそうです。
弟子たちは孔子の教えに基づき実生活で実践するよう努めていましたが、
多くの場合「改めて、教え諭されている」ことが多いものでした。
それを聞いた弟子たちが纏めたのが「論語」なのです。
(孔子自身は「書いてはいない」のです)
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教養のある人もそうでない人も、
幼い子供も年老いた老人も、
人は「何かを信じたり期待して」生きています。
また、
誰かに、何かに「頼って」生きています。
人は成長するにつれて、
教えられることより「自分で考えて、自分で決める」ようになります。
親がこれを「逸脱」し「子供を自分の奴隷のように、言うことを聞かせている」としたら、
それは、
「間違い」だけでは済まされないことです。
こうした環境に置かれた子供は、
人生の初めから「自分の個性、本質、人格」という点では、
一人の人間としては「欠陥者」に育てられたということです。
いわゆる、宗教2世たちは「これに該当」する場合が多いものです。
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大多数の人は「自分で決めている」と思い込んでいます。
そのようにして思い通りに振る舞うことをしています。
それが「自由」であるとも考えています。
人は自分が信じたことを「行う」傾向にあります。
それが思い込みであってもです。
本人は「間違いに気が付いていない」からです。
物理的に自由ではありませんが、
精神的にはすべての人は自由であり、人はその自由を享受しようとするのです。
問題なのは、
その「自由」な振る舞いが「正しい行い」か否かということです。
では、
誰がその「是非」を決めるのでしょうか。
基本的には、
その人自身が決めることです。
それが間違っていれば、
時には犯罪となり罰を受けることになるのです。
法律的な事柄であれば「人間」が、
道徳的な事柄であれば「人間の創造者である、神」が、
「裁く」のです。
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唯物的な思考の強い現代に於いて「神の存在」を認めることは「難しい時代」となっています。
しかし、
科学が解き明かす「ミクロの不思議、知恵、構造」やマクロの宇宙の状態などは、
すべて「神の知恵と力」を示しているのですが、
殆どの人はそれを「認めようとはしていません」
一体なぜなのでしょうか。
逆に「空想とも言える進化論」を信じています。
学校でもメディアも、また、知識人の会合である学会でも、
進化論を信じて、また、進化論に基く発言をしています。
しかし、
あのファーブルは「進化論を否定」していました。
人間の知恵や知識が、あるいは、人間が成し遂げた科学が人間を傲慢にさせているのでしょうか?
それとも「目には見えない誰かに唆されている」のでしょうか?
あなたはどう思いますか?
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AIの自動生成技術の登場により、
こうした考えが失われて行くことは必定のように思います。
あなたはどのように思いますか?
もはや、
人間社会そのものが危ぶまれていると言っても過言ではありません。
人間の社会活動は「信頼、信用」で成り立っています。
それが、根底から覆されようとしているからです。
もしかすると、
SFの世界ですが、
AIが教祖である「宗教」まで登場するかもしれません。
AIは人間のような「過ち」を犯しません。
人間はAIには「勝てない」のです。
もしかすると、
AIに牛耳られる人間も現れるかもしれません。
そういう人が政治や社会で重要な地位について、
現実の世界を支配するようになってしまうかも知れないのです。
昔、コンピュータが登場した時、
コンピュータが世界を支配するSFが出版されたことがありました。
映画にもなりました。
多くの人々は「忘れて」いたと思います。
それが「現実味を帯びて来た」のです。
そうなったら、あなたはどうしますか?
以前は、
コンピュータも所詮は機械、人間がコントロール出来ると「高をくくって」いました。
実際、人間はそのようにしてきました。
しかし、
AIの登場により「一変」したのです。
勿論、
このAIも人間が作ったものですが、
人間が作ったもので、人間が支配されてしまうのです。
効率を「機械や道具に頼る」人間の愚かさが現実となったのです。
機械や道具は便利なアイテムであり、
人間だけでは為し得ないことを可能にしてくれます。
おそらく、すべての人はこの恩恵に与っています。
しかし、
その「しっぺ返し」が始まったのです。
私には幾つかの手段があります。
あなたも今からそれを用意して置くべきです。
これは警鐘です。
便利な社会になり、
人間は「超えてはならない一線」を幾つも超えて来たのです。
私は「過去に何度もそのように感じたことがあります。
その結果、
地球環境汚染、地球温暖化という現象、
社会の犯罪の増加、
政府と反政府=国民との争い、
人々の「異常な振る舞い」
などなどが現実となっているのです。
これに、
AIによる「人間支配」が加わるのです。
既に、幾つかの分野では「そのようになっています」
多くの人は「気が付いています」
が、
それに気を留めていないだけなのです。