「安倍はアジア外交の大黒柱だった」(キッシンジャー)。

  これを引き継ぐ政治力はみられない。

  フィリピンではオバマ時代、 ASEAN諸国首脳を呼び集め 「中国と起こすな、そうなっても米国はどちらの肩を持つこともしない」 と言い渡していた。

  バイデン政権になって、米国内での反中国機運の盛り上がりに抗しきれず、というより大統領選挙に向けてここでもトランプ政策をより強く導入する道に大転換。

  「米国は断固としてフィリピンを支持する」 としてここでも日本を取り込んで日・米・フィリピン3国連携強化を進めている。

  我が国も反対する意味合いはない。

 

  ウクライナは初期の段階では 「安倍晋三立会いの下、プーチン-ゼレンスキー交渉が可能では」 という声が上がっていたと言う。

  だが、バイデンのバカ力による介入でで大袈裟な国際戦闘に拡大され、そんな声は吹き飛んでしまった。

  G7の総意としての欧米リベラルの力の見せ所とでも考えたに違いない。

  今となってはこの道を突っ走るしかメンツを保つ道はない。

  アジアの先進国日本らしく 「この問題は2国間問題であり、プーチン-ゼレンスキー交渉の立ち合いを引きうける用意がある」 と言える首脳など出てくることはない。

 

  プーチンはかつて 「オバマは同盟国を求めているのではない、子分を求めているのだ」 と公言したことがある。

  その通りでバイデンもこれを引き継いでいる。  民主党に定着した考えとみるべきなのだ。

  米・中・韓3首脳協調して日本の歴史認識なるものを攻撃しうるとオバマが確信したのが、その根拠として習近平の 「日本国憲法に書いてある」 があったのだ。  世界へ向けて宣言、即ち ‘前文’ こそがそれだ。

  バイデンの 「日本の憲法は我々が作った」 豪語を許しているし、我が国政府に実行して見せているのだ。

  勿論プーチン発言もそこをついているのだ。

  

  

 

 

 アベノミクスによる物価上昇率2%未達、長期低金利下での金融システムの苦境。

 だが何より低失業率の長期安定は、かつての円高デフレ下のみじめな時代を思えば、物価上昇率という単なる指標など二の次の問題に過ぎず、ようやくタイミングよく堰を切ったように税収も増えインフレ志向の流れになっている。

 

 確かにゼロ金利政策は金融業の仕事をなくす思想だが、逆に欧米では一気の利上げが銀行の破綻を引き起こしてもいる。

 わが国銀行、冬の時代もあると言うことだ。

 

 国際発行額が、国民の借金が1200兆円になる、半分が日銀保有だと言う。

 国民の借金?  借金取りは誰?  借金取りの居ない600兆円は借金とは言わない。  ないのと同じ。

 「氷河にぶつかる」 とか 「将来の国民に負担を負わせる」 など何の具体的論拠もない表面的観念論でしかないのだ。

 

 原発では連日のように 「活断層、活断層」 と煽っていたが、最近の地震災害では全く言われない。

 武漢ウィルスでの 「人流、人流」 も、もっともらしく重視していたがどんな立証がなされていたのだろうか。

 論拠のない言葉遊びがいかに多いかということだ。

 

 20世紀の経済理論の非現実性もこれに近づいているようだ。

 恐らく実体経済の基本が 「人、企業、社会のマインド」 にあること、しかもこれの変化を把握することが重要であると言うことを示しているのだ。

 これが極端なデフレ・円高社会へと向かわせたと言うことか。

 バブル崩壊後、経済成長を始めた中国の影響が大きく、企業はコスト削減を、消費者は物価安へと極端ともいえるほどの ‘コスト’ ‘物価’ に対する敏感さにあったように。

 それゆえ 「安倍政治」 が 「学術」 の上位に居続けられたのであろう。  常に現実を見、的確に把握する能力がいかに重要かを示しているのだ。

 

 アベノミクスも、これを評価して日本社会への信頼度を高めた米国投資家バフェットの言動も、まさにこのマインド把握の的確さが卓越したものであることを示しているのだ。

 安倍の実行力と胆力、バフェットの影響力、すなわち ‘個人’ の卓越した力によって社会は前へ進んでいく。

 

 

 

 長い間、野党・マスコミ・憲法学者一体となった左翼集団による 「平和憲法を守れ」 と言う馬鹿げた呪文のようなものが国民にも行きわたっていた。

 これに対して、やっと我が国の政治リーダーとして初めて安倍晋三が 「戦後レジームからの脱却」 という明確な光明を示し、その本質的第一歩として 「憲法9条への自衛隊明記」 を提示したのである。

 

 だが、緊急時の権力行使の特例を憲法に明確にしておくべきだと言う声など 「憲法改正点の議論」 が加わり、これではダラダラ例によって決められない政治が続くしかない。

 武漢ウィルス対応で安倍政権が示した 「他国に見られるロック・ダウンは、我が国の国情に合わない」 として緊急事態宣言で乗り切ったことにより議論の枠が狭まったように、リーダーの達見が期待できない現状では、国会でどこへ向かうかさえ頼りない。

 

 今のG7に追随して、ウクライナに入れ上げる外交など政権の弱体化そのもので主体性がない。

 確かに、ソ連時代から友好的な人々との関係もあったが、今回のウクライナ紛争はあくまでロシアとの二国間問題で、我が国が立ち入る意味はない。

 G7の 「民主主義と専制主義の戦いだとか、戦後国際体制への挑戦だ」 など大袈裟な ‘リベラル’ の舞い上がりそのものなのだ。    バイデンのトランプ潰しが第一目的なのは明らかだが、現実に勝ち目はない。

 アジアの中心国として、我が国にとっても追従する意味はない。

 

 台湾とは違う。   台湾併合政策は欧州の植民地政策とは全く異なる対応で、今でも懐かしむ台湾人の子孫は多い。

 中国(ODA)、韓国に対するような戦後補償もないのに。

 蒋介石国民党は、大陸で我が国と戦った政権なのだ。   当然当時は米国の支援を受けていた。

 今の民進党即ち台湾人主体を支持・(支援)するのは我が国の立場として、国防上も国益上も必然的対応なのである。

 

 自民党リベラルは、欧米リベラル追随が我が国の主体性を封じるものにしかならないことを知るべきだ。

 主権放棄を宣言する憲法前文崇拝であってはならないのだ。