夫がわたしの自転車を勝手に使った。
駐輪場に停める時の微妙なクセで、
違和感を覚えた時の、
腹の底から湧き上がるような不快感。嫌悪感。
これがわたしの地雷です。
みなさんは、どんなところに地雷がありますか?
夏路_なつ@jiです。
教育業界管理職・小学生2児の母。
ウェルスダイナミクス、ウェルビーイングの学びを活かし、職場・家族のチーム力向上を実現。
そこでの気づきを発信していきます。
パラレルキャリアを目指して、講師資格取得に挑戦中!
どうしたって自分基準で見てしまう
自分の気持ちを表明する機会を与えられずに何かをされることは、自分を蔑ろにされる行為で、
個人の尊厳を奪われる、人権侵害のように感じてしまう。
一人の人として、等しく誰もが尊重されるべき!
という思いが根底に根ざしているのだと思います。
GWに帰省した時、我が子のきょうだい喧嘩が勃発しました。
姉が怒り出すと手をつけられないのを知っている息子は、スッと居間からいなくなって誰もいない2階へ。
心配して様子を見に行くと、襖の押入れに入っている布団の上で、ドラえもん気分でゲームしてるやん…
怒ってないの?
「それより押入れが居心地良くて楽しかった!」
あなたにだってあなたの気持ちはあるんだから、
姉に言い返されるかも知れなくても、ちゃんと伝えたら良いと思うよ?
あなただけが我慢しなくていいよ?
「我慢?
そんなに大袈裟に考えなくても良いんじゃない?」
そうかー。
わたしは、自分の意見を押し殺して可哀想な息子という像を作り出していたんだ!と気づかされた出来事でした。
よそはよそ
周りに屈せず自分の意見を言うことも、
それよりも気持ちを楽しいところに置くことも、
どちらも間違いではないはず。
人それぞれに、自分にとっての「大切」の基準があるだけのこと。
それを自分の基準だけで切り取って、
「間違えてる」だ、「可哀想」だなんだと言うのはほんとナンセンスだったなと反省しました。
よそはよそ、うちはうち
往々にして親子関係の場面で、
他人と比較して羨む時に言われるお決まりのセリフのような印象ですが。
わたしの感情や価値観は、わたしの中にあって、わたしの行動を決めるものであって、
他者に当てはめたり、縛るものではない。
自分の心の中にこの言葉を持っていると、
気持ちの置きどころが安定する気がします。