皆様、こんばんは。主イエスキリストの息子JESUS CHRISTjr浜崎博己です。今日はスウェーデンボルグ「天界の秘義」出エジプト記第7章について解説します。今日からしばらく霊界のゲストの紹介は省略して今日の日記と「天界の秘義」の解説だけにします。
1月10日の午前11時ランスタッド株式会社でパソコンスキルチェックがあります。事実上の就職試験です。私はこの試験のためにパソコン入力作業の練習をしました。パソコン入力作業は前職のラグーナ出版で毎日やっていたので、難なくできました。多分今日のパソコンスキルチェックは大丈夫だと思うのですが、全く自信はありません。単なる文字入力作業で試験時間は10分だと言われているので、何の問題も無さそうですが、何があるかは分からないので不安です。でも自分を信じて頑張るしかありません。何とか頑張って再就職したいです。
それでは今日の本題スウェーデンボルグ「天界の秘義」出エジプト記第7章の解説をします。仁慈の教義と「火星に住む人々と霊たちについて」です。
まず仁慈の教義を解説します。
善は主イエスキリストに対する愛と隣人に対する仁慈とに属するものであり、悪は自己への愛と世への愛とに属するものです。
神的秩序に従っている宇宙の凡ゆる物は善と真理とに関連しており、神的秩序に反している宇宙の凡ゆる物は悪と誤謬とに関連しています。
主イエスキリストに対する愛に属した善は「天的な善」と呼ばれ、隣人に対する仁慈に属した善は「霊的な善」と呼ばれています。
聖書は主イエスキリストに対する愛と隣人に対する仁慈の教義以外の何物でもありません。
それでは続いて「火星に住む人々と霊たちとについて」解説します。
火星に住む人々の言葉は私たちの地球に住む者の言葉とは異なっており、それは声高に話されるものではなくて、ほとんど無音声に近くて、それ自身を内的な聴覚と視覚とに近道から入り込ませるものです。
彼らは考えることと話すことが異なり、欲するものと顔に現すものとが異なることを邪悪なこととして認めています。
彼らは天的な人間であったため、その考えたことは何であれその顔と眼から輝き出、顔と眼は考えに応じて変化したのです。
火星の霊たちの呼吸は内的なものであり、肺の領域からへその方へ進み、そこから上方へ回転しながら進んで胸を通り、それとは分からぬほどに呼吸して、口の方へ進んでいます。
彼らは他の者には嫌悪を持ちません、なぜなら彼らには嫌悪はなく、まして憎悪はないからです。
彼らの社会の中で間違ったことを考え、そこから間違ったことを願い始める者は引き離されて、放任されてしまい、そこから凡ゆる交わりを絶たれて、非常に惨めな生活を、岩やまたは他の所で送るのです。或る社会は色々な手段でこうした者を悔い改めさせようと努力しますが、それが失敗すると、彼らは彼らから自分自身を引き離してしまうのです。
それでは以上で「天界の秘義」の解説は終わりにします。主イエスキリストの息子JESUS CHRISTjr浜崎博己でした。
ああ天地の神主イエスキリストよ、アーメン、ハレルヤ!!!