皆様、こんばんは。主イエスキリストの息子JESUS CHRISTjr浜崎博己です。今日はスウェーデンボルグ「天界の秘義」出エジプト記第14章について解説します。その前にまず今日の日記を書きます。
昨日は安息日礼拝をやったこと以外は特に特筆すべきことはありませんでしたが、1月13日の自動車交通事故の加害者の運転手U氏が私の自宅を訪問しました。あの事故はバスの直前を横断した私も悪かったのですが、追い越し禁止の一車線に乗り上げた運転手も悪かったので、両方に責任がありました。それに私は本当に後から轢かれたのです。その衝撃で飛ばされて転倒し、右足の甲を痛打しました。未だに右足の甲が痛いです。セコム損害保険株式会社から幾ら慰謝料を支払われるのかは分かりませんが、法律に則って支払ってほしいと思います。
以上で今日の日記を終わりにします。
続いてスウェーデンボルグ「天界の秘義」出エジプト記第14章の、仁慈の教義と、「続・木星の霊たちとそこに住む者たちについて」解説します。
まず仁慈の教義についてです。
純粋な仁慈は慎重に行動し、そのことによって善が起こるようにとの目的をもって行動することにあるのです。貧しい、または困窮した悪党を誰でも助ける者はその悪党を通して己の隣人に悪を行うのです。なぜなら彼はその提供する助けを通して彼に悪を確認させ、また他の者に悪を為す手段を提供もするからです。善良な者に援助を与える者の場合はそうではありません。
隣人に対する仁慈は凡ゆる業において正しいことを行い、凡ゆる業務において己の業務を為すことにあるのです。
普遍的な意味では主イエスキリストから発出している善が隣人であり、従って校正と正義も隣人です。
何であれ自己の利益を求めて不正なことを行う者はその隣人を憎んでいます。
続いて「続・木星の霊たちとそこに住む者たちについて」解説します。
木星人は青みがかった木の皮または皮で作ったおおいを持っており、それを頭のまわりに結びつけて、顔を守っています。しかし彼らは身体のことをあまり気にかけはしません。
彼らは決して偽りはしません、その考えていることと異なったことを決して話しはしません。
顔は心の指標であり、最古代では、誠実が存在して、人間は顔で偽った表情を現しはしなかったのです。
もし善良であるなら、善を欲し、善から真理を考えて話し、悪であるなら、悪を欲し、悪から誤謬を考え、話すように仕向けられるのです。
以上で「天界の秘義」の解説を終わりにします。主イエスキリストの息子JESUS CHRISTjr浜崎博己でした。
ああ天地の神主イエスキリストよ、アーメン、ハレルヤ!!!