信じておくれby JESUS CHRISTjrオー・ダーリンの替え歌です。リンクyoutu.be



 皆様、こんばんは。主イエスキリストの息子JESUS CHRISTjr浜崎博己です。今日はスウェーデンボルグ「天界の秘義」出エジプト記第15章について解説します。その前にまず今日の日記を書きます。

 私は独身者です。イエス様は独身者には三つの種類があると言っておられます。母の胎から独身者に生まれた天的な天界の独身者と、人から独身者にされた霊的な天界の独身者と、神の国のために自ら独身者となった自然的な天界の独身者です。私は第一の天界の天使である神の国のために自ら独身者となった自然的な天界の独身者です。私は独身者であることに別に誇りを持っているわけではありません。むしろ恥を持っています。なぜなら私が結婚できなかったのは、結婚する能力がないからです。仕事も安定しないし、また精神的にも統合失調症患者で、とても結婚できるような人間ではありません。だから私は天界に入れるような人間ではなく、むしろ地獄に相応しい人間です。しかしそれでも27歳で洗礼を受けてキリスト教徒になり毎朝聖書を読んで、日曜日安息日には礼拝・聖餐を行って、ひたすら主イエスキリストに対する愛と信仰に生きてきました。死後最低の第一の天界には入れる資格はあるのではないでしょうか?私はもちろん自分が天界に入れる資格はないのは分かっています。でも精一杯努力してきたのです。自分をJESUS CHRISTjrと自称しているのも実際にイエス様の息子に相応しいほど、イエス様をひたすら天地の神として信じてきたからです。ですから私は今後もひたすらイエス様を信じて生きてゆきます。

 以上で今日の日記を終わりにします。

 続いて今日の本題スウェーデンボルグ「天界の秘義」出エジプト記第15章の、仁慈の教義と「続・木星の霊とそこに住む者たちについて」解説します。

 まず仁慈の教義です。

 仁慈の生活と結合した敬虔な生活は非常に有益です。

 仁慈の生活は隣人に良かれと願い、良かれと行動し、凡ゆる業において、公平なものから、善と真理から行動し、用を遂行することです。

 主イエスキリストに対する礼拝そのものは仁慈の生活にあります。

 主イエスキリストを拝する手段となる生活により聖書における主の戒めに従った生活が意味されていて、それは霊的な生活と呼ばれています。

 続いて「続・木星の霊とそこに住む者たちについて」です。

 木星人にとって他から顔以外のところを見られることは恥ずべきことです。

 彼らは心と違った顔は決して見せません。

 彼らの心は貞潔であって、自分の配偶者以外には誰も愛しないし、姦淫を忌み嫌っています。

 彼らは時間をかけて食事をすることを歓んでいますが、それは食べ物を楽しむためではなく、その時話し合うことを楽しむためです。

 彼らは顔を身体であるとは考えていないため、顔を非常に大切にしています。

 彼らの最大の関心はその小さな子供たちの教育であり、子供を極めて優しく愛しています。

 それでは以上で「天界の秘義」の解説は終わりにします。主イエスキリストの息子JESUS CHRISTjr浜崎博己でした。

 ああ天地の神主イエスキリストよ、アーメン、ハレルヤ!!!