医療の現場から生の声 まだ100年前のまま、ガラパゴス化する医学部教育

以下転載  

100年前のドイツの教育課程が続く日本

現在、日本にある医学部の数は80。いずれも一学年100人程度の少人数教育を6年間行っている。この6年制という制度は第二次世界大戦後に連合国の占領下で定められた制度であり、それまで4年制だった。一方、肝心の教育内容そのものに目を向けると、実は、日本の医学教育は戦前から、ほとんど変わってきていないという。

「カルテ」や「ガーゼ」といった医療用語がドイツ語由来であるように、日本の近代医学教育は1870年代のドイツをモデルに始まった。しかし、教育期間は増えても、戦前のドイツから学んだ形式は変わらず、知識詰め込み型を取り続けている。

その典型が現在の医学部カリキュラム。1年目に教養を学び、2 、3年で基礎医学、4年生からようやく臨床医学や解剖、病理などの実習が始まるも、依然として座学講義の時間が多い。5年生で臨床実習をし、6年生の4か月に選択実習(大学病院で実習を行っても学外の医療施設で行ってもよい)が始まったとしても、しばらくすると国家試験が待ち受ける。6年生の後半は学生同士がグループ学習を行い医師国家試験に備えて勉強に励むのが一般的だ。

 

しかし「この形式だと問題がいくつかある。まず、最初に教養科目があるので、医師としてプロフェッショナリズムを十分に涵養できない。また、講義に重点が置かれ、評価はペーパー試験であるため、学生は知識の詰め込みに終始する。さらに、臨床実習の期間が短く見学型実習が中心なので、詰め込み知識が“使える知識”にならない」と、東京慈恵会医科大学放射線医学講座の福田国彦教授は指摘する。

どうやら、医学の分野もご多分に漏れず、座学中心の知識詰め込みスタイルが問題となっているようだ。 「医学教育の先輩から伝え聞いた話では、1990年代にドイツの医学教育関係者が来日した時に、『我々は驚いた、今のドイツにない、100年前のドイツがここにある』と言ったそうだ」と、東京慈恵会医科大学の教育センター長であり、日本医学教育学会副理事長も勤める福島統教授は吐露する。

欧米レベルの医学部は数えるほど

一方、ドイツを筆頭に欧米諸国は大きく変わった。実践的な臨床実習を増やし、平行して知識を習得させることで、「自ら問題を発見・解決できる医師」を育てることに主眼をおく教育にシフトした。

例えば、米国では医師免許を取る時、カリフォルニア州では免許事務所で登録する際に、卒前教育として72週の臨床実習が当たり前のように要求される。「72週というのは、臨床に2年以上を費やすことになる。しかし、日本で今72週を超える臨床実習をしているのは数えるほどしかない」(福島教授)。

「2013年医学教育カリキュラムの現状」では東大、筑波、自治医大などが70週を超える実習時間を設けている一方で、50週に満たない医学部が多々あり、世界基準からはかけ離れているのが現状だ。医学部教育は、「ガラパゴス化」している。しかし、ITの発達によって医療情報が国を超えて共有されるようになる中、日本も国際競争力のある医師や医療の質を保つには、医学教育の国際基準による外部評価の必要性が叫ばれるようになった。

 

2023年問題とは、2010年9月にアメリカのECFMG(外国の医学部卒業生のための教育委員会)が医学教育の世界基準をつくると宣言したことに端を発する。2023年から、アメリカ医科大学協会またはWFME(世界医学教育連盟)が決めた医学教育基準に達しない外国の医学部卒業生は、米国の医師免許試験であるUSMLEへの受験資格を失うことになる。

今、米国の医師免許試験を受験する日本の医学部卒業生は年間約60名いる。受験人数は多くはないが、日本の医学部が少人数教育の上、英語圏ではない事を考慮すると、すでに一定の需要がある。しかし、現状では日本の医学部を卒業しても、アメリカでの医師免許取得の道が閉ざされることになる。

「日本とは異なる医療環境にあり、移民の多いアメリカが勝手に設けた基準」と思っている医者も国民も一部にいるかもしれない。だが、それは完全な平和ボケだと言っていい。アメリカの基準を無視するのは簡単だが、医学部教育が世界基準に達していないと判断されることによる弊害は深刻だ。それはなぜか。

優秀な医師が国外流出する可能性も

世界的に医学教育基準を統一しようとする背景には、メディカルツーリズム(患者の国際間移動)やフィジシャンマイグレーション(医師の国際間移動)といった国際社会の動きがある。近い将来、医療も医学教育も国境がなくなると言われているほどだ。にもかかわらず、国際基準を満たしていなければ、海外でも開業はおろか、医療行為自体が制限される可能性もある。

また、これから、患者サイドも国際基準を満たしていることが医師選定の1つの基準になるだろう。仮に基準を満たしていなければ外国の患者から敬遠されることもありえる。

だが、世界基準に達していないことで、国際間の移動が難しくなれば、外国のスーパードクターが日本に来て難病患者の手術をするケースも減るかもしれない。一方で、今後は優秀な日本の医学生が国際基準の医学部教育を受けて、グローバルキャリアを歩みたいと思っても不思議ではない。

特に、医者の家庭は比較的裕福なこともあり、幼少時から子供を海外留学させて、「英語が堪能な医師に育てる」ケースも増えている。今後は、国際基準の教育をしている医学部を選んで受験させたり、日本の医師がより給料や待遇の良い海外の病院に移ることも十分に考えられる。

今の医療システムに持続性はない

では、多くの人が疑問に思う医学部教育の仕組みが遅れていても、日本の医療基準を世界トップレベルを保てているのはなぜか。「国民皆保険制度と、日本の医者の献身性だ」と、東京慈恵会医科大学の教育センター長であり、日本医学教育学会副理事長をも勤める福島統教授は言い切る。

医療レベルは、その国の医療システムが大きく関与している。日本のように全国一律の治療費で、自由に医師と病院を選べる環境は世界的にみても珍しい。フリーアクセスのできる日本の制度を評価する声も多いが、それは同時に、高齢化社会が進み、患者が相対的に増えて行く中で大学病院の忙しすぎる悪環境を生んでいる。医師への負担は大きくなる一方だ。

大学病院や都心への集中を緩和するために、地域に根差した総合診療医の必要性が現場で叫ばれている。しかし、今の医学部教育では総合診療医の教育が追いついていないため、若手医師の選択肢は限られている。これまでの日本の医療水準を保つためには、医学部教育の改革が不可欠なのだ。

これは、すぐ目の前にやってくる未来。一刻も早く日本の医学部は、ドイツから100年以上前に学んだカリキュラムを大々的に変革しなければならない。

 

私の兄の長男が、合格した防衛医大を蹴って、ある一流国立大学医学部に現役入学して現在、医師になるべく勉強をしています。また、私の親戚の女の子はクリスチャンですが、この春、米国の一流大学を卒業してアメリカのアストラゼネカを蹴って、武田製薬に就職しました。日本の本社より待遇が優れて、すべてにおいて進んでいたからだそうです。親戚に医者の奥さんもいますが、祈るばかりです。あまりにも現代医療が恐ろしいです。教会の近くに新規オープンの店が二つできました。二つとも小規模な低価格を売りにした家族葬の葬儀屋でした。また、近くの果樹園が伐根整地され、新しい施設が建築されます。看板を見るとそこは大型ドラッグストアーでした。その近所には数年前から大きな葬儀屋が二か所新築開店しました。それくらい薬と葬儀の需要があるということです。病人がたくさん、死者もたくさん!

これは国の終焉の合図です。国家終了。悲しいことです。

 

コロナで医師不足鮮明に 抜本増に政策転換を!

医師・歯科医師などの人手不足が深刻化しています。先進国で最低の医師数を見直し、抜本的な医師増に舵を切るべき時が来ています。

 

 

ヨハネの黙示録2章9節から10節

 

「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。──しかしあなたは実際は富んでいる──またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい」 

 

スミルナは太陽神と皇帝を崇拝する都市だったので、先頭に立ってクリスチャンを捕まえて死刑にし、あらゆる迫害をしました。特にこの教会の監督だったポリュカルポス監督の殉教は非常に有名です。この人は使徒ヨハネの弟子だったのですが、この人についての多くの本が出版されました。

 

フスト・ゴンサレスの『初代教会史』をはじめとして、様々な本に紹介されているのですが、この人は、A.D.155年2月23日の土曜日に殉教しました。その時、ちょうど運動競技の祝祭期間だったのですが、人々が押し寄せてきました。皇帝とローマに逆らうクリスチャンは殺せと言いました。それで彼らの指導者であるポリュカルポス監督を連れてきました。しかしローマ総督が見ると、このポリュカルポス監督は全ての地域住民が尊敬していた人でした。それでこのような人を自分の手で殺したくないと思いました。それで最後のチャンスを与えました。「カイザル皇帝が主です」と一言だけ言って、彼に捧げものを捧げれば、あなたは死から免ぜられます。一度だけイエス様を知らないと言って、皇帝のことを主だと告白しなさい。その時ポリュカルポス監督が残した有名な言葉があります。

 

「去る86年間、主はただ一度も私を裏切らなかったのに、そのような主を私は裏切ることができません」

 

86年間、ただ一度も私のことを知らないと言われたことがなく、私を裏切られたことがないのに、私がどうして主を知らないと言うことができるでしょうか。するとあなたはあの薪の火の上で焼き殺されると言うと、

 

「あなたがたはしばらく燃えてすぐに消えてしまう火で私を威嚇していますが、これはあなたが近づいて来る裁きの日と、永遠の刑罰の日に悪人を待っている火を知らないからなのです。どうして遅らせるのですか。早くしたい通りにしてください」

 

そしてこのポリュカルポス監督は捕らえられて、彼らが見ている前で火あぶりにされて死にました。しかしこの人が死ぬ姿をフランスの画家レイモン・ペレが描いたのですが、今、スミルナ教会、ポリュカルポス記念教会の壁画となっています。この絵を見れば、炎の中で天だけを見上げています。その顔には神様の恵みが満ちています。死を恐れずに、よみがえりと永遠のいのち、天国を見上げて、このポリュカルポス監督は炎の中で殉教しました。死を恐れませんでした。

 

使徒パウロがローマ14章8節で、このように告白しています。

「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」 

 

ローマ5章3節から4節に「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」

 

黙示録2章12節から13節

 

「また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった」』」 

 

アンテパスは非常に優れた石工でした。石をもって彫刻する技術があったのですが、教会史の歴史家であり、ラテン教父であるこのトトゥリアン(Tertullian,A.D. 160年~240年頃)が『殉教者について』という本を書いた時、このアンテパスの死について書きました。このアンテパスが捕まえられて来ました。非常に優れた技術者なので、皇帝の前で一度ひれ伏させてから彼を使おうとしました。

 

「アンテパス !皇帝の前にひざまずけ!」と言われたので、彼はこのように告白しました。

「王の王、主の主はイエス・キリストしかいないので、イエス以外には私はひざまずきません」

 

ローマ総督が怒って大声を張り上げました。

「世の中があなたに立ち向かっていることを知らないのか?」

 

するとアンテパスが胸を張って言いました。

「それなら私は世の全てに立ち向かって、イエスを主の主として告白します」

 

この言葉を聞いていきりたち、彼を死刑にしたのですが、どのように死刑にしたのでしょうか。大きな真鍮の釜を熱くして、そこに投げ入れ焼き殺されるようにしました。それでこのアンテパスをイエス様が「わたしの忠実な証人アンテパス」この証人という言葉は「殉教者」です。

 

純福音立川教会 泉パウロ Jesus39god - YouTube

 

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