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逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

「男性はケダモノだ(=性欲を我慢できない)」という見解が正しいものだとすれば、


社会はイスラム的な男女分離制度が必要だということになる。


けだし、男女が相対することがなければ、過ちを犯すこともあるまい。



ところが、世の中を見回してみると、


強姦や婦女暴行が日常茶飯事というわけでもない。



そうした性犯罪が問題とされるのは、それが例外的な事態であるからだろう。


例えば、アフガンでは無差別テロは日常茶飯事で、それほど大騒ぎされることはない。


ところが、平和で安全なノルウェーで同じようなことが起きると、世界中に注目されることになる。



つまり、イスラム的な制度を設けずとも、


男性は適度に欲望を抑制し、穏健な社会生活を送ることが出来るというわけだ。


すなわち、男性はケダモノではない。



同時に、「男はオオカミなのよ」という理屈で以って、


女性に過剰な自己防衛を期待するモラリズムもまた、正当化され得ない。

少女愛好家の男性が少女を好む理由について

「成人女性の代替として」という俗説が流布されているが、これは間違いだ。


少女愛好家が成長過程にある女性を好むのは、

そこに成人女性にない質感や長所を認めているから、である。


例えば、それは肌の質感かもしれないし、体格の特徴かもしれないが、

求める質感には個人差が大きいはずなので、一概には言えない。


このことは、逆に「歳が離れた男性を好む若年女性」の例と対比して考えると分かりやすい。


そういった若い女性は、別に同年代の男性と懇意になれないから、

より競合相手の少ない高齢男性と付き合いたい、と思っているわけではない。


歳の離れた異性の中に、同年代の異性にはない魅力、または特別な価値を見出しているのである。

それは枯れたような外見かもしれないし、包容力のある人格かもしれない。


そもそも、少女愛好に対する「成人女性の代替物」という俗説には、

「およそ男性たるものは成人女性を好むものである」という仮定が含まれている。

しかし、この前提条件が成立する合理的理由は、残念ながら何ら存在しない。


たとえ、生殖能力の有無を判断材料として加味したとしても、

初潮の平均年齢(※12歳前後)を考慮すれば、むしろ少女愛好に説得性を持たせてしまう。


「10代の出産はリスクが高い」という説もあるが、

人類史からすれば、初産が10代であった時代の方が圧倒的に長い。

(※そもそも、乳幼児の死亡率が高かったので、平均出産回数が桁違いに多い)


日本国の法制上、「成人」は 20 歳以上ということになっているが、

人間の自然感情が法律によって制御可能であるわけがない。

法は人為的に従うものであり、自然を規定するものではないのだ。

(※実際、成人年齢は国によって異なる)


よって、突き詰めて考えれば、少女愛好者が未成年女性を好む理由は、

少女たちが持つ普遍的性質の中に内在している、としか言いようがない。


そして、あらゆる外部的な理由付けは、

少女愛好を嫌悪する側の忌避感情を満足させる自己暗示的な作用しか有していない。


つまり、少女愛好は「性的逸脱」には違いないのだろうが、

その逸脱性は完全に社会的文脈に拠っている、というわけだ。

全国各地の母親たちは、自分の子どもが放射線による悪影響を受けないか


と心配し続けているようだが、彼女たちは大きな勘違いをしている。



実のところ、子どもたちは、生まれながらにして死に至る病を伝染させられているのだ。


その病気の名を「誕生」という。



およそいかなる人間と言えども、生まれなければ死なない。


逆を言えば、生まれるから死んでしまうわけだ。



どんな子どもであろうと、いつかは死ぬ。所詮、遅いか早いかに過ぎない。



現代的な若い母親たちは、子どもを「産んであげた」などと


高飛車なことを考えているのかもしれないが、


実際は「我が子に死を分け与えた」に過ぎないことをよく自覚した方が良い。

日本的な文脈としての「空気」、ないし「場」の定義として、


個別化されない私的間主観性が根源的自立性を持ったもの、という定義があるらしい。



つまり、ある空間上に存在する諸個人が抱く個人的な感覚にも関わらず、


それらの諸個人には還元できない 間主観性 であり、


何物にも依存せずに存在する一つの実体のように


それらの諸個人の言動を左右する。



冗長だけど分かりやすいね。



ただし、この定義で言うところの「存在」は、


個物の「存在」とは様相(※mode)が違うかもしれない。


たぶん、「 普遍 」に似たような存在モードじゃないかな。

モテ期を引き寄せたい?


だったら、「沈黙」してみよう。



つまり、自分が話したい話題を話す代わりに


相手が話すことにじっと耳を傾けてみる。


もちろん、適切に相槌を打つことを忘れてはいけないけどね。



これをどんな相手に対しても3年間続けてみよう。


すると、今度はみんながあなたの話を聞きたがるようになっているはずだ。


言い換えると、みんながあなたに好意を持っているというわけ。



そう、敬意とは、敬意に値する人物にしか払われない。


それならいっそ、敬意に値する人物になれば良い。



そのためには、別に大した業績やら肩書きなんかはいらない。


相手に一目置かれたければ、「沈黙」をプレゼントすること。


ただひたすらに、じっと相手の話に耳を傾けること。



他人の言うことなんて誰も関心がないからこそ、


自分の話を静かに聴き続けてくれるならば、それだけで相手に好意を持ってしまう。



それが人間という寂しい生き物なのだ。