日本的な文脈としての「空気」、ないし「場」の定義として、
個別化されない私的間主観性が根源的自立性を持ったもの、という定義があるらしい。
つまり、ある空間上に存在する諸個人が抱く個人的な感覚にも関わらず、
それらの諸個人には還元できない 間主観性 であり、
何物にも依存せずに存在する一つの実体のように
それらの諸個人の言動を左右する。
冗長だけど分かりやすいね。
ただし、この定義で言うところの「存在」は、
個物の「存在」とは様相(※mode)が違うかもしれない。
たぶん、「 普遍 」に似たような存在モードじゃないかな。