アインシュタイン博士は、真空中に伝わる光速の速度が不変であるというところから、
光速よりも速く伝わる物体は存在しない、ということを導き出した。
正確に言えば、光速を越える物体の質量は、虚数の値を示してしまう。
虚数の物体とは、一体どんなものだろう。
実は、あまり考える意味はない。
なぜなら、実数の値を示さない物質(=エネルギー)は観測できないので、
それは存在しないことと等しい(※以前書いた「 幽霊の非存在証明
」を参照のこと)。
ところが、先日、欧州原子核研究機構( CERN
)が
「ニュートリノは光速を越えるかもしれない」という 観測結果
を報告したらしい。
(※ニュートリノとは、原子核が崩壊するとき放出される素粒子の一種)
この報告が正しいとすれば、相対性理論は間違っている、ということになってしまうかもしれない。
つまり、現代物理学を根底から覆し得る可能性を秘めているのだ。
とはいえ、この発見が直ちに物理学の革新に繋がるかと言えば、そうとも言えない。
まず第一に、観測結果が間違っているかもしれない。
ちょっと情けない話だが、正直、こういうことはよくあることだ。
世界中の物理学者も「ぶっちゃけ、観測ミスじゃないの?」と疑っている。
まあ、素人考えでは「発表されたら事実なのだろう」と思ってしまうものだが、
実際のところ、科学的発見の正しさが完全に証明されるのは、
それが発表されてからしばらく後のことだ。
というのは、その発表の正しさを検証する作業が必要だから。
もちろん、革新的な発見であればあるほど、検証には多大な時間が掛かる。
相対性理論ですら、発表当時は激しい攻撃に晒され、しばらくの間は受け入れられなかった。
次に考えられるのは、
「あらゆる慣性系で速度不変なのは、光ではなくてニュートリノの速度でした」という場合だ。
この場合、今まで光速が占めていた特権的地位を「ニュートリノの速度」が奪うだけで、
物理学を根本から揺るがすような事態にはならないだろう。
ただし、この場合に問題になるのは、ニュートリノに質量がある、ということだ。
(※もちろん、それを発見した科学者こそ、ノーベル物理学賞を受賞した小柴博士だね)
光、すなわち電磁波というのは、質量を持っていない。すなわち、物質ではない。
というより、物体は光速に近付くにつれ質量が増していき、光速に達した段階で質量が無限大になる。
質量が無限大ということは、エネルギーが無限大ということだから、現実には存在し得ない。
(※宇宙全体を一つの閉鎖系とすれば、エネルギー保存の法則から非存在が証明される)
ところが、ニュートリノは僅かながら質量を持っているので、単純に考えれば相対性理論と相容れない。
ここら辺が厄介なところだけど、それでも何とか踏み止まれる程度の齟齬かもしれない。
(※幸いなことに、スーパーブラディオン
という仮想物質が既に提案されているわけだし…)
さて、万が一、相対性理論が間違っていたとすると、具体的にはどんな問題が起こるだろう。
それは宇宙に不変的な速度、すなわち絶対的な指針が存在しないということになり、
端的に言えば、人間の行うあらゆる観測が究極的には信用できない、ということになる。
実際、光というのは、時空(=時間+空間)が一緒になった次元に存在しているから、
「光が進む」ということと「時間が流れる」ということは、本質的に同じことを意味している。
すなわち、光速度というのは、時間と距離を基礎付ける重要な物理定数でもあるわけだ。
無論、これも「光速度不変の原理」から導き出されることだ。
つまり、本当に不変速度が存在しないのならば、
人間には正しい時間と距離の測定が原理的に不可能、ということになってしまう。
日常生活に障害をもたらすものではないにしも、宇宙物理学の世界では致命的な問題となることだろう。
ところで、一部の報道に見られる誤解なのだが、
今回の発見によってタイムマシンの実現に道が開けた、といったことは決してない。
繰り返しになるが、光速を越えた物体の質量は虚数になる。
また、超光速時には時間も「負の虚数(-i)」の値を示す、とされている。
(※ローレンツ変換で色々と遊んでみると分かる)
直感的に考えると、これは「時間を逆行しているのではないか」と思ってしまうが、そうではない。
虚数の時間、「虚時間」とは、人語で説明の付かない摩訶不思議な時間の流れであり、
マイナスが付いているからといって、決して「時間を遡っている」ということを意味しない。
というか、虚時間が何を意味するのか、誰にも分からない。
今のところは単なる計算上の産物に過ぎず、勝手な想像は許されないだろう。
そもそも、なぜ時間の流れが 過去から未来へと一方通行
なのか。
これは現代科学を以ってしても全く判明していない。
まあ、恐らく科学というよりは、哲学の領域だろう。
例えば、哲学者カントによれば、
「時間」とは人間が生来的に兼ね備えている感覚に過ぎない、という。
これが正しいとすれば、結局のところ、人間にとって時間とは一方にしか流れないものであり、
どんな手段を以ってしても過去に遡ることは出来ない、ということになる。
また、同じく哲学者ヒュームが言うように、
「因果律」なる物理法則の正しさは、人間の勝手な思い込み過ぎないかもしれない。
少なくとも、この懐疑論を有効に反駁した例は一つも存在しない。
そうだとすれば、仮にタイムマシンで過去に戻ったとしても、それは過去ではなく、
過去に見えるものの、現実とは因果性を共有していないバラバラな時空に過ぎない。
(※よって、現代に戻ってきたとしても、それは本来の現在ではない)
話を元に戻すと、今回の発見で「タイムマシンが可能になるかも」と発言する専門家がいるのは、
要するに、論理学で言うところの「(矛盾における)爆発原理
」というやつである。
所謂、「豚が空を飛べるなら、西から太陽が昇ったって不思議ではない」といった論理だ。
すなわち、タイムマシンの可能性は、相対性理論によって否定されていたから、
仮に相対性理論が正しくなければ、タイムマシンが出来たって不思議ではない。
それくらい驚くべき発見だ、といった程度のものだろう。
ようするに、「言葉のアヤ」に過ぎないものを
科学的素養に欠けた記者が真面目に受け取ってしまった、というわけだ。笑うしかない。