時折、興に乗って余計なことを口にしてしまうことがある。
例えば、「まあ、生きている意味なんて、本質的には無いんですよね」なんて言うと、
ある人は驚いた顔で「もしかして、鬱病ですか?」と心配してくれたり、
別の人は呆れた顔で「じゃあ、今すぐ死ねよ」と罵倒してくれたりする。
ちなみに、この二つの反応は、一見すると正反対のように見えるけど、
実は、全く同じ考え方を異なる方法で表現したものに過ぎなかったりする。
ようするに、人間は生きる意味、生きがいを抱えて生きるものであり、
それを失っているのは異常である、といった淡い信念、あるいは信仰に根付いているわけだ。
そして、両者の応答の仕方は、彼らが人生において生きる意味を失ったとき、
どのように反応する(と考えているの)かを表明してくれている。
つまり、人生の意味を見失ったとき、
前者の人物は、精神科を受診すれば解決する、と考えている。
後者の人物は、もはや生きていられないだろう、と考えている。
実際のところ、人生に対して特に生きがいを見出せないとしても、
向精神薬を飲まなければならないわけではないし、
ましてや死ななければならないというわけではない。
「それじゃあ、何が楽しくて生きてるの?」と訝る向きもあるかもしれないけれど、
楽しくなければ生きてはいけない、というのは随分と了見の狭い考え方だし、
むしろそういった考え方こそが、人生を苦しみの連続へと変えてしまっている。
とどのつまり、人生は楽しいことばかりではないし、むしろ苦しいことばかり。
お薬を飲んだところで生活上の問題が解決するわけではないし、
どんな生きがいを持ったところで徒労に終わるのは目に見えている。
だから、そういった残念な事実を全部受け入れた上で、ただ生きる他ない。
謂わば、呼吸をするように生きること。
誰も呼吸することを疑問に思わないように、生きることに過剰な意味付けをする必要はない。
人生という物語を演じるのではなく、自己という現象を観察すること。それだけで十分だ。
とはいえ、他人に実存的な不安を感じさせるような発言は、極力控えるに越したことはないけど 笑