融合と抵抗、日本のロック史(9) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日4月9日は、BABYMETAL関連では、過去に大きなイベントのなかった日DEATH。

 

Sonisphere 2014の会場に「きーつーねー、きーつーねーわたしはめーぎつねー、女は女優よ」という歌が流れる。日本情緒たっぷりの「さくらさくら」のメロディである。

ドラムとF単音の連打と琴の音のSEから、SU-を本尊とした白狐のポーズがピタリと決まる。パワーコードのへヴィなイントロと、狐火を連想させるピッキングハーモニクスから曲が始まると、三人は「ソレ!ソレ!ソレ!ソレソレソレソレ!」と足を胸まで上げて、お祭りのように踊る。

観客は、へヴィな和風ファンクに「なんじゃこりゃ!」と驚愕しつつ、魅入られていく。

「メギツネ」の音階は、以前分析したように、ほとんど“ヨナ抜き”である。

かつて、60年代後半のGS時代に日本初の速弾きギタリスト寺内タケシは、エレキで“ヨナ抜き”音階の「津軽じょんがら節」他の“エレキ民謡”を演奏し、喝さいを浴びた。だが、ギター小僧だった頃、それを聴くとなんだか恥ずかしかった。田舎臭いというか、ハッキリ言ってダサいと思った。しかし回り回って今はその凄さがよくわかる。

1977年の世良公則&ツイストの「あんたのバラード」は、聴きようによってはGFRの「Herat Breaker」に似ていなくもない。だが、やはり歌謡曲っぽくて、歌詞の内容も女性の心情を切々と歌う演歌のようだった。生演奏、ハードな音作り、男臭い歌唱法やアクションにもかかわらず、歌謡ロック、演歌ロックと呼ばれた。

ツイスト以降、日本語ロックは日本の音楽市場に定着し、数多くのバンドが登場した。

サザン・オールスターズの桑田佳祐は「日本語を英語のように」歌った。これなら演歌ロックっぽくならずに済むからこれが主流になり、パンク系、ヴィジュアル系、オルタナ系のボーカリストのほとんどが、こういう「カッコいい」歌い方を踏襲している。

しかし、「メギツネ」は、「♪あーあー咲いて散るのが女の運命よ 顔で笑って心で泣いて…」といったド演歌のような歌詞であり、SU-の歌唱法も、はっきりした滑舌で、ビブラートすら使わない真っ直ぐな歌い方である。

ところが、これが欧米の観客にジャパニーズ・ブルース・ファンクとしてウケるのだ。

“ヨナ抜き”音階なのに、見事なへヴィメタル・リフになっていて、カッコ悪いところはどこにもない。欧米人たちがこれでノリノリになっているのを見ると、日本人であることが誇らしく思えてくる。「メギツネ」は、1970年代から先人たちが築き上げてきた演歌ロック、歌謡ロック、日本語ロックの集大成だと思う。

それと、ぼくの年齢もあるのか、日本人が日本風の曲を演奏するのは、もう恥ずかしいことではないと思えるようになった。

地方出身者ならなんとなくわかっていただけると思うが、故郷の家を出て、都会で新生活を始めるとき、今まで嫌だと思っていた故郷の自然や人々が急にいとおしく思え、親しんできた食べ物や習慣や行事が、自分という存在を形成してきた「味方」だったことに気づくことはないだろうか。

都会で人生を切り拓こうとする若者が列車に乗って旅立つとき、ガタンゴトンという線路の音が故郷の祭りの太鼓のリズムと重なり、「行け、頑張れ」と背中を押してくれているような気がする…。

海外で仕事をすると、否応なく知らされるのは、自分が日本人であること、日本人の考え方や常識や習慣が染みついていることである。それを対象化し、現地の人の受け取り方の相違の原因を客観的に理解することで、初めて共通点も浮き彫りになり、交流が成立する。

日本人的な考え方や習慣は、外国人から見ると驚くべきことに見えるらしい。

例えば「改良」という考え方。

日本人は、なぜか現在あるモノを「もっと良くしよう」という本能のようなものを持っている。文芸評論家松本健一によると、西洋は「石の文明」で、地味が乏しいため、必然的にテリトリーの拡大を志向する「外へ進出する力」を持っているのに対して、日本は「泥の文明」に属しており、豊かな自然の中で単位面積当たりの生産性を上げる「内に蓄積する力」が強いという。(『砂の文明・石の文明・泥の文明』PHP新書272)

それが、既存のモノを絶えず「改良」し続けようとする原動力となっているというのだ。

例えば、1990年代まで、アメリカ車は世界のどこへ行っても左ハンドル、マイル/ガロン表示の米国仕様を変えず、取り扱い説明書も英語のままだったが、日本車は輸出国の仕様に合わせてハンドルを左右どちらにでも取り付けられるように設計されていた。パネルの言語や単位表示も現地国に合わせ、取説ももちろん現地語である。そして燃費性能や耐久性、修理の容易さなど、きめの細かい「改良」から来る信頼性が日本車ファンを増やした。

さらに、日本人は「改良」の手法として、異なるジャンルのものを組み合わせるという「思考の癖」を持っている。

日本列島は、東南アジア・沖縄方面、大陸・朝鮮半島方面、樺太・アリューシャン方面から、色々な文化をもった祖先たちが吹き溜まりのようにたどり着いた。

秦氏の氏神である稲荷神=キツネ様は、仏教と「習合」してはいるが、オカルティックに秦=ユダヤだとすれば、その信仰はエルサレムの神殿を守る獅子を起源とする、汎アジア的な広がりをもった古代宗教だったのかもしれない。

ぼくの考えでは、そうした多様な文化の共存という風土から、日本人は、生産性を上げるにあたって、新しいモノを既存のモノに「融合」するという考え方が身についたのだと思う。「和をもって貴しと為す」という日本最古の憲法が、端的にそうした感覚を示している。

西洋では、全く新しいものを生み出すのは、多くの場合「孤高の天才」である。

しかし、日本人は、異種の「融合」を平気で行うから、既存のモノの「改良」をしていく中で、新しい価値やジャンルを生み出してしまう。

BABYMETALは「アイドルとメタルの融合」であり、日本の歌謡界の「融合」の歴史がなければ思いつかないものだった。それは「アイドルの改良」「メタルの改良」にとどまらず、両者を融合したことによって、まったく新しいOnly OneのBABYMETALという音楽が創出された。

SU-が「♪古の乙女たちよ、仮初の夢に歌う 幾千の時を超えて、ここに生き~る~」と歌うとき、戦後ロックの受容史、すなわち、へヴィメタル+アイドル+演歌という「融合」をさらに超えて、日本の数千年の歴史が表現されているように感じる。

そして、その「民族性」は、さくら学院にもみられる日本を象徴する花=桜の「さくらさくら」や、「ソレソレソレソレソレ」「セイヤセイヤ」「ソイヤソイヤ」の掛け声にはっきりと現れている。

もちろん「さくらさくら」はへヴィメタル・リフ化されているし、この掛け声も、いろいろな日本の祭りの神輿担ぎのイメージ、あるいは1980年代に活躍した一世風靡セピアへのオマージュなのかもしれず、伝統的でも正調でもない。

だが、BABYMETALが海外で戦っているのを見るとき、普段意識しない日本人のDNAに流れる和太鼓のリズムや音階や掛け声が、彼女たちの背中を押してくれているように感じるのだ。

進駐軍クラブに始まり、日劇ウェスタン・カーニバル、GS、歌謡曲、日本語ロックへと進んだ日本のロックの歴史には、否応なく日本人の血が流れていた。それを、「メギツネ」は思い出させてくれる。

そしてJ-POPアイドルだと見下していたメタルヘッドたちに、クイーンSU-から、キツイ一言が放たれる。

なめたら、いかんぜよ!

1982年に公開された映画「鬼龍院花子の生涯」で夏目雅子が言ったセリフ。ここにもKOABAMETALの1980年代サブカルチャーへのオマージュがある。

だが、海外ライブの「メギツネ」の中でSU-METALがこの啖呵を切るとき、そこには“本気”が迸る。

小さな女の子だから、Kawaiiアイドルだから、楽器が弾けないから、デス声が出ないから、英語のできない日本人だから、本物のメタルができないと思ったら大間違いだ。

あるいは、メタルなんてもう滅びた音楽だと思っていたら大間違いだ。

ここにBABYMETALがいる。70年の戦後史、下手すりゃ数千年の日本文化を背負ってステージに立っている。なめたら、いかんぜよ!

最終曲、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のイントロ、英語版の「紙芝居」が流れる。

Sonisphere 2014の観客は、もうBABYMETALがノレるメタルバンドであることを疑わない。「紙芝居」の「Wall Of Death」の表示に歓声が湧き、会場には大きなサークルWODができて、興奮した観客が前方宙返りをして地面に転がっている。

(次回、最終回につづく)