去年の秋ごろからナンプレにはまっている。9×9のマス目に1~9までの数字を重複しないよう並べるもので、世間ではだいぶ前から流行っていたようだが、遅ればせながら今はまっている。
最初は100円ショップにおいてある本を解いていたが、上達してくるとちょっと難しい問題を求め書店に売っている上級者向けの本に挑戦しているところだ。

私は多趣味で忙しいのだが、問題が解けた時の達成感と自分の脳の調子がわかる事が面白く最近では一番ナンプレに時間を費やしている。

ナンプレをやりはじめてもっとも変わった点は、ラジオを聴くようになったことだ。テレビを見ながら片手間にナンプレをやるのは難しいが、ラジオは脳の別なところを使うらしく聴きながらナンプレもできるのだ。受験生のころはラジオを良く聴いていたが、じっくり聴くのは久しぶりだ。

深夜になるとNHKのラジオ深夜便という番組を良く聴く。この番組はだいぶ前からあったと思うが、最近は、団塊の世代なども対象のようで、私よりちょっと年上の方々の世代に流行した音楽なども良くかかっている。この間はPPMなんかもかけていた。

たぶんあと10年もすれば、いよいよ私たちの世代が対象となる番組づくりがされるのだろうが、私たちの頃になると、文字や音だけでなく、漫画やアニメのように映像・動画などと一体になっているものが多いのでラジオだけではきついかもしれない。アニメの名シーンを音だけ聴いてもそこそこは感動するかもしれないが、やはり絵や動画があった方が懐かしい。

これがさらに次の世代になると、ゲームが懐かしいものの中心になりそうだ。こうなるとたとえば、アクションゲームのボスキャラとか、RPGのラストシーンなんかで感動するのだろうね。

まあ、とにかくナンプレのおかげでラジオと再会し結構楽しんでいる。昔のことだけでなく。哲学や宗教の解説なんかもあってとても面白い。ナンプレの腕も上がりそうだ。
東大寺二月堂の修二会いわゆるお水取りの本行(要するに本番の修行)は、毎年新暦の3/1~3/14まで行われている。お水取りファンはこの期間に奈良に滞在する。毎年行っていると、ある年からふと、いつも会う人がいることに気がつく。そういえば、去年もいたな。いや、その前からいた気がする。という感じだ。中には相手もこちらの存在に気がついてくれることもある。軽い会釈をしたりして挨拶する相手も何人かできてくる。面白いのは、何十年も前から毎年あっているのに、互いに名前はもちろん、どんな人か、まったくわからないいう関係なのだ。

そして、それがまったく気にならないし、どうでもいい事とすら思えてくる。自分は修二会に来たのであって、ほかの人に会いにきたわけではないのだからね。もしかしたらもきっと名のある人もいたかもしれないが、二月堂の中ではみなニュートラルな立場である。

修二会の間、坊さんの世話したりするサポーター(?)を童子さんというのだが、以前、著名な写真家のアシスタントが不始末を起こして童子さんに怒られた時、その写真家の先生は土下座して謝っていた。ちゃらちゃらした人かと思っていたが、その事以降その先生を見直した。作品も良く見えてきたりする。二月堂ではみんなニュートラルなのである。坊さんと童子さん以外はね。

東大寺は一般のファンをとても大切にする。大切な行事でもファンに二月堂を開放する。とくに女性にはさらに親切だ。坊さんがたくさんが女性ファンに囲まれている光景を良く見る。やさしい包容力があるのだろう。

県庁前を鹿がゆっくり歩いて糞をしたりしているところは他にみあたらない、奈良はとてもいいところである。
今年も1月が終わろうとしている。この時期になるといつも東大寺のことが気になる。というのも、私は東大寺二月堂の修二会(お水取り)によく行っていたからだ。

(*)東大寺お水取りについてはも下記URLご参照方。
http://www.geocities.jp/hyakkitop/mushi_narabook.htm#お水取りに行ってきました

最初にお水取りに行ったのは、1978年なので大体30年も前のことになる。所帯を持ってからはさすがに家族を放っておくわけにもいかないのでも2年おきくらいになったが今でもコンスタントに行っている。お水取りの本行は、3/1~3/14で、期間が長いのでどの日にかは行くことができているのだ。

今年は、昔からの友人と一緒に二月堂に上がることになっている。彼は奈良が好きで一度はお水取りに行きたいと思っていたそうだ。大変寒い二月堂で深夜までいることになるので、ちょっと心配だが一回くらいは経験してもいいだろうと思い、彼を案内することにした。

思えば最初にお水取りに行った時は、泊まった宿が今はなき日吉館という名物旅館で、おせっかいなカメラマンのおじさんに「せっかく来たんだから」と無理やり連れていかれたのだが、これが運のつきだった。それから30年も通うことになるとはね。そのカメラマンのおじさんは、ちょっと用事があって気まぐれで私を誘ってくれたようだ。ちょっだけ二月堂にいて、すぐ連れて帰るつもりだったようだが、意外なことに私が熱心そうに二月堂の局(外側の参観スペース)にじっと座っていたので、そのままにしておいてくれたようだ。そのおじさんの、おせっかいと、やさしさがなければ私がお水取りにはまることはなかったかもしれない。

このたび一緒に行く友人が興味深そうにじっとしていたらそのままにしておくことにするつもりだ。
もしかしたら、お水取りファンがまた一人増えるかもしれないね。
このところ昔の手塚グッズがなかなかゲットできない。とても高価なものになってしまった事、モノ自体がなかなか古物市場に出てこないのが大きな理由だ。まあ、よく出てくる物はあらかた手に入れてしまったこともあるかもしれないが。。

昨年は手塚先生生誕80年だったが、それほど盛り上がっていなかったように思う。もう、手塚先生は前時代の大先生というイメージになってしまったのかな?とすこし淋しい気分である。その割りに手塚キャラを使った商品はまだまだ多い。

このあいだも、とあるコンビニに行ったらアトムの絵がせ描かれているポスターが貼ってある。キャンペーンをやっていて、そのコンビニの商品に貼ってあるポイントシールを20点分集めたら景品をもらえるというものである。条件反射的にがんばってしまったが、景品を良く見るとアトムのイメージで現在の一流デザイナーの人がデザインしたもので、私の定義では手塚物ではなく、後にアーティストが手塚キャラのイメージをもとに自分の作品としてまとめあげた「手塚系」グッズだった。他にもストラップ用人形、ボトルキャップ、グラスなどが次々と企画されている。いずれも手塚系グッズだ。

昔のグッズのように手塚先生が描いた絵を忠実になぞったものは少ない。もちろん手塚先生はこの世にいらっしゃらないので当然だが。。

そして、昔のグッズは一部の数寄者が収集し鑑賞する対象になっていくのだろう。なかなか手に入れられないわけだ。やはり、どこかに手塚グッズ博物館のようなものができたらいいと思う。見たい時にそこに行けばいいし、私の部屋はすっきりするのにね。
話を学生時代のバンド活動に戻す。もう時効なので書いてもいいだろう。

実は私のバンドは下手くそだった。大学に入ってから楽器を始めたやつが大半で自分のパートをなぞるだけで精一杯。合奏する余裕がないため演奏はバラバラでたぶんかなりひどいものだったと思う。

恐いのは、下手の割りに人に聞かせたがる癖があって大胆にもコンサートなるものを開催したりするのだ。手作りのキップをガリ版で印刷し有料で配ったりしていた。もっとも、会場費、PAやアンプのレンタル料などがかかるので、いつもひどい赤字でコンサート当日に不足分を徴収されるのが常だった。

そのわりに協力者(といってもメンバーの妹さんや彼女だが)がいて、いろいろ手伝ってくれるのだ。まあ、下手なりにコンサートが終わるとささやかな達成感があり、打ち上げなどで盛り上がったものだ。

ただし、今でも恥ずかしくて思い出したくない経験は多い。特に恥ずかしかったのは、メンバーの実家がある田舎でやったコンサートだ。彼の卒業した小学校の体育館を借りて会場としたのだが、彼の妹さんが町中の楽器屋さん本屋さんなどのスポットにポスターを貼って宣伝したため、ロックバンドの生演奏を聴いたことがない町の若者たちがたくさん集まってしまったのだ。我々は前の晩からそのメンバーの家に泊まっていたのだが、町を歩くと若者が明日のコンサートについて「明日行く?」なんて言って話をしているのだ。

さて当日。沢山の人が集まってしまった!
まずは地元の高校生達のバンドが前座で登場し、キャロルなどを演奏した。そして、いよいよわがバンド登場。ところが。。一曲目、二曲目と演奏が進んでいくたびにお客さんが次々に帰っていくのだ。
こちらは何が起こっているかぜんぜんわからない。ただ演奏するしかない。とうとう、最後には数人だけが残り、しかも体育館の後ろのすみで車座になって談笑しているのだ。もちろん演奏を聴いているわけがない。結局わけがわからないままに最後の演奏を終え。逃げるように舞台から降りた。車座の連中からはひやかしで「アンコール!」という声がかかる。いっそういたたまれない気持ちになった。

後で事情がわかったのだが、リハーサルで調整していたミキサー(各マイクのボリュームを調整する。それぞれのパートの音の大きさのバランスなどを調整するもの。)を前座のバンドが勝手にいじって、自分達の楽器のバランスにしてしまっていたのだ。このため、我々のパートの音のバランスはめちゃくちゃ。
後で演奏を録音したテープを聴いたが、爆弾のような音のドラムが聞こえるだけだった。たまに、キーボードがゴジラの鳴き声のように破裂音を出している。鼓膜が破れそうで確かに帰りたくなるものだった。

我々は隠れるようにその町を去ったが、地元出身の彼はしばらく町を歩けなかったそうである。

帰ってきた次の日、早速メンバーが集まる事になった。みんな鎮痛な表情である。いよいよ解散か!と思ったら、次の瞬間、ひとりのメンバーが「今度のコンサートの会場を予約したぜ!」とほざくのだ。。。

まったくめげない、すごいバンドだった。