昨年の暮れに高校の仲間が集まる会が企画された。

高校となると卒業してからうん十年も経っているが、同窓会は一回も出席したことがない。今回集まったのは、恥ずかしながら大学時代に活動していたバンド仲間だが、それでも以前集まったのは20年は前の事だろうと思う。

みんな年取ったが結構元気だった。幼い時からの知り合いなので気易く話せる雰囲気だったので、まるで学生のコンパみたいだった。しかしさすがに高校を卒業してからだいぶ経つのでここまでの人生はまさにいろいろである。今回集まったバンドのメンバー4人のうち3人は外国生活の経験がありそれぞれ仕事の第一線でがんばっていたようだ。

そのうち一人は今までの大部分をヨーロッパで過ごし一番上の娘は国際結婚して孫までいるとのこと。海外での子育ては大変だったようだ。生まれは日本でも海外生活が長いと脳みそは育った国の人間になるみたいで、純国産の親とは価値観も権利意識もぜんぜん異なるので、本人はともかく親の気苦労は結構あるようだ。

外国、特に欧米に子供を留学させている人はたくさんいるが、子供を手放して海外に住まわせている段階で、将来その子供が日本人とは違った感性の人間になることを理解し覚悟しておくべきだろう。単に外国語が話せて進学や就職に有利だということだけでは、後で苦労するのではないかと思う。

百年後の文化がどうなるかという問題なので、何がいいかはわからないが、昔ながらの日本人の感性も捨てがたく思ってしまう。

他のみんなは大体子供が就職して子育て終了という段階だ。これに対して私は晩婚だったので子供はまだ7才!。圧倒的に小さい。誰かの孫よりまだ幼い場合すらある。みんなの子育て体験の話は大変参考になったが、結論的に言うと親より図抜けて素晴らしい子供はほとんどいないようだ。自分を見れば、子供の将来も大体想定の範囲内ということだ。

これから、子供の塾と習いごとなんかで悩むことになるけど、できるだけ自由に育てたいと思った。
私が出た高校は男子校だった。だからこそ、いろいろな蛮勇ができたのかもしれない。女の子がいたらもうすこし小奇麗なかっこをして顔くらい洗って学校に行ってただろう。

その頃は学区はなく県内どこからでも好きな高校に進学できた。このため、遠くから出てきた生徒は、下宿で生活することになる。このような生徒は全体の2割くらいはいたと思う。自分の田舎では全校一番の秀才ですましていたかもしれないが、下宿をはじめて奔放な生活をし始め本性があらわになる。

下駄で登校したり、冬になると綿入れを来て授業を受けている者もいた。制服はなく服装は自由だったのだ。中には、朝寒いのでパジャマの上に学制服を着て来るやつもいた。悪いことに長髪がはやっていた頃なので床屋にもいかず、風呂にも入らず「オレは一週間風呂に入っていない」などと自慢する者もいた。

その割にみんな思春期なので女の子には興味があり、それなりに憧れの彼女はいたようだが、そんな不潔なやつに女の子が振り向くはずがない。おかげで女性はますます信仰の対象となり、学校の部室にヌードポスターが貼ってあったり、平凡パンチやプレイボーイなどの青年誌があちこちにたくさん秘蔵されていた。

わが柔道部でもよくわからないしきたりがあった。なんといっても部歌が猥歌(わい歌)だったのである。本当は昔からのちゃんとした部歌があったのだが、どういうわけか私がいた頃の柔道部では、なにかというと部歌と称する猥歌を神妙な顔をして歌っていた。おかげで私なんかは、正式の部歌を覚えずに卒業してしまった。私は主将だったんですが。。。

夏と春には恒例の合宿があり学校の教室に一週間ほど泊まり込んで稽古にはげむのだが、夏合宿の最終日の前日の夜には恒例の初恋談義が始まる。これは、新入生たちが順番に自分の初恋について語るのだ。話しているほうも、聴いているほうも浅い経験をせいいっぱい背伸びして女の子について夜通し語るのだ。
だいたいが、片想いか、振られた話で、順番が来たやつが、自分の悲劇を語り始めると、先輩たちはうれしそうに「かわいそ~」などと合いの手を入れたりする。非常に稀ではあるが彼女がいるやつがいたりするとみんながっかりした。中には稽古でそいつをしごいたりする先輩がいたりする。とにかく、こうして夏の夜をもんもんと過ごすのだ。

なんだかんだ言っても、みんな女の子に興味があったのである。女性は偉大なり。。。
昨日私が勤めている会社のバンドが出演するクリスマスコンサートに家族で行った。そのバンドはジャズを演奏するビッグバンドで、普段会社で仕事をしている社員や家族がメンバーとなっており、普段は勤務後のわずかな時間を練習にあててコツコツと腕を磨きレパートリーを増やしてきた。毎年この時期になるとクリスマスコンサートを開いている。

管楽器中心だが、実は管楽器ほどプロとアマの差がはっきりわかる楽器はないと思う。音程をとるのが難しくまた肺活量や身体の鍛え方により音量を自由にコントロールするのも難しい。このため、音をそろえて合奏するのは結構難しい。アマチュアのオーケストラのクラシックコンサート聴きに行ってあまりにもバラバラな音に耐えがたくなって途中退席してしまったことも何度かある。

昨日のバンドも最初は聴きに来たのを後悔するような出だしだった。たぶん緊張したのだろう。しだいにノリが良くなり安心できる感じになったのでほっとした。ひとつひとつの曲を一生懸命演奏している。音をはずしたり、テンポが甘くなったりしながらも、とにかく懸命に演奏している。スイングっぽいメロディのところでは、自分の楽器を左右に振ったり回したりあえて楽しそうにしている感すらある。だんだん、こちらものってきて、身体をゆすったり手を叩いたりしたくなってきた。音楽はうまい下手だけではないんですよね。

私がのってきた原因は、演奏内容だけではなく、たぶん、その他の要素もあったと思う。それは、演奏者たちへの共感のようなものだ。今は世界的不況に陥っており、現実には会社の事業内容はとても厳しい。バンドのメンバーはみんなその状況をよくわかっている。また、メンバーの中には、結構年配の人がいてマネージャークラスの人もたくさんいる。実は本当に厳しいプレッシャーを受けているはずだ。このあいだのボーナスは。。。いろいろ不安なこともたくさん。。。

この中で、一生懸命演奏しているバンドの皆さんを見て聴いて、「ああ、こんな時でも楽しくしているのは、素敵なことだな~。」と感じた。そして、柄にもなく、「みんな、がんばれ!そして、がんばろう!」という想いがこみ上げてきたんだと思う。声には出せなかったけど。「みんなでがんぱろうね。」と心の中で思っていました。
昔の柔道部のお話です。

私がいた高校は戦前は柔道が大変強く、全国大会で一回優勝したほどでした。
でも、しだいに弱体化し私が入学した頃はそれほど強くはありませんでしたが、伝統校ということで秘伝のたれのような風習はちょっと残っていました。もっとも、どのくらい昔から続いていたものかは誰も知りません。意味もわからず、ただなんとなく大事かもしれないとの思いから続けていたのかもしれません。

たとえば、柔道部には歓迎の儀式というものがありました。というかこれを経験しないと仲間じゃないといったものです。

入学したてで、まだ軽い稽古しか課せられずちやほやされていた新入部員達が、ある日先輩の一人から、ちょっと集まれといわれ道場の片隅に集められるところから儀式は始まります。その先輩は、「これから、身体の柔らかさを調べるので畳の上に足を伸ばして座れ。」というので、新入部員達はみんなそのとおりにします。それから、他の先輩部員達がひとりずつ柔道着の帯で新入部員の手を縛ります。二本の腕がつながり輪ができます。

新入部員は一体何が始まるか想像もつきません。仕切っている先輩が「身体の柔らかさを調べるので、よしっと言ったら、腕でできた輪の中に両方の足を入れろ!よし!」というので、新入部員達はあわてて自分の足を腕の輪に通します。次に「頭を膝の方に近づけて丸くなれ!」と言われ、みんなそのおりにしてじっとしています。頭を膝につけているので廻りがよく見えません。

ひと呼吸おいて「それっ!!」と言う掛け声とともに、先輩部員達が丸くなった新入部員をころころと転がし始めます。道場中で大騒ぎしながら人間玉転がしが始まるのです。新入部員は、一体何が始まったのか全く理解できません。ただ、先輩たちに好き勝手に転がされるのに身を任すしかないのです。

しばらくして、「やめ!」という掛け声とともに、先輩たちが後輩の腕を縛った帯を解いてやります。新入部員達は、まだポカーンとしています。喜んでいるのは先輩達だけです。

これが、わが柔道部の歓迎式でした。くだらないといえばくだらないのですが、毎年これをやっていました。中には泣いてしまう部員もいました。きっと、屈辱的だと思ったのでしょう。でも彼も次の年は、結構喜んで後輩を転がしていました。

だいぶ後になって、小林まこと先生の「柔道部物語」という漫画でも歓迎の儀式のようなものが描かれていましたが、どこの運動部でも似たようなものがあるのかもしれませんね。(続く)
いよいよ今年も押し詰まってきましたね。昨日何回目かの忘年会がありました。大変深刻な不景気といわれていますが、お店の中は満員で、みんな楽しそうに飲み、喰い、話しています。
老若男女、職種などもさまざまな人々がモザイクのように並び楽しそうです。そして私たちも精一杯笑い時には怒鳴り、よく食べました!

これからまだ何回か飲み会があります。そしてクリスマス、お正月!そうしたらあっという間にお花見のシーズン。ゴールデンウィーク、夏休み、秋の行楽、そして再び冬。いろいろな口実で人々は楽しんでいます。

最近私はみんなが楽しくしているシーンを見ると、いいなぁ~と感動してしまいます。人生いろいろ。
それぞれの人々にはそれぞれの人生があり大変でしょうが、このような時一緒に楽しく笑う、共感するというのは、とても素晴らしいことですよね。

みんなが一緒に笑う、一緒に泣くそしてなんとなく気持ちを共有する。人はなんのために生きているかなどという難しい事の答えなんてとても人は見出せないでしょうが、とにかく人々はみんなでそこにいる。
そして楽しそうにしている。やはり、いいなぁ~と感動してしまいます。

あまり理屈はありませんが、「楽しそう」は近くの人に伝播していくのだと確信しています。