朝ドラでゲゲゲの女房が始まってから、水木しげるとその周辺の資料をひっぱり出してひさしぶりに読 んでいます。大体が昭和に出版されたものなので、本当にひさしぶりのものばかりです。
 
このあいだは、桜井昌一さんが東考社から出版した桜井文庫の「劇画風雲録-ぼくは劇画の仕掛人だった-(上巻) 」「 劇画人列伝-ぼくは劇画の仕掛人だった-(下巻)」を読みました。これは、桜井さんが1978年にエイプリル出版から出された本に、別なところで連載した劇画人列伝を追加して上下巻にしたものですが、朝ドラの脚本では、いろいろなところで参考にしたようです。
 
貸本マンガにいきづまって、業界紙で成功したというマンガ家をたずねたシーンもこの本に書かれています。本当に水木先生と桜井さんがそのマンガ家をたずねていき、家のまわりをぐるぐるまわったようですね。
 
また、今日の朝ドラで深沢さんが桜井さんのことについてしゃべっているシーンがありましたが、桜井文庫の巻末に長井さんが桜井さんについて分析した内容そのものです。
 
長井さんと桜井さんは深いきずなでむすばれていたようですね。(続く)

ちょっとした時間がある時にこのブログを書きつづっていますので、いつもぶつ切れですいません。
長井さんのいる青林堂に行った時の続きです。
 
調べてみると1972年といえば、編集者が高野慎三さんから南伸坊さんに交替した頃で、カムイ伝の連載が一段落してガロの雰囲気も白土三平先生主流から水木先生などに変わっていった時代だったのですね。いろんな意味で一段落だったのかもしれません。
 
長井さんと1時間くらいお話しました。だいぶ前なのでおぽろげですが。数日前に川崎ゆきおさんご一行が編集部に来て、その後帝釈天に行かれた事、カムイ伝は最初白い狼を主人公にしようとしたが白土先生の視点が農民の生活に注力していった事など長井さんならではの話満載でした。
 
そういえば、途中で男の人が立ち寄られたのですが、その人こそ桜井昌一さん(もしかすると辰巳ヨシヒロさんだったかもしれません。)で、つげ義春先生の原稿を届けに来たとのことでしたね。桜井さんと長井さんはいろいろ交流されていたとのことなので、マンガ本を出版するため原稿のやりとりもされていたのでしょう。
 
青林堂から引き上げる時、長井さんから、その時、売り本で編集部に残っていたガロで一番古いものをいただきましたが、カムイ伝の連載が開始された頃のものです。そういえば、私がマンガ家志望だったことを話したら、長井さんに「ビンボーになるから、やめた方がいいよ。」と言われた事を思い出しました。作品を見てもらったわけではなかったのですが、長井さんの直感が言わしたのかもしれませんね。今になってみると、確かにそうです。単なるマンガファンのままで良かったと思います。(続く)
今朝の「ゲゲゲの女房」でとうとう長井さん(ドラマでは深沢さん)が復活しましたね!いよいよガロの時代が到来する運びとなりました。ようやく水木先生の運が上昇していくはずです。
 
またまた昔のことですが、青林堂をたずねて行ったことがありました。目的は青林堂の出版物を購入することでした。昔、青林堂の本は普通の本屋にあまり置いてなかったので直接買いにいったのです。青林堂は神田のとあるビルの2F(だったかな?)にありました。1972年頃ですのでもうだいぶ前です。そのとき、長井さんがじきじきに相手をしてくれたんです。
 
ちょうど、その月のガロの編集が終わったタイミングだったので、部屋はのんびりとした空気がただよっていました。部屋には、長井さん、たぶん長井さんの奥様、若い女の人の3人がいらっしゃいましたが、若い女性はすぐ出ていかれました。あとから、その女性は、ガロにたくさん作品を発表していた、つりたくにこさんだったと知りました。部屋は、返本されたものを含むたくさんのマンガ本が積まれており、朝ドラの編集部よりずっとごちゃごちゃしていました。
 
長井さんはとても穏やかで柔和で人なつこい表情の方で、高校に入りたての若造にでも、とてもきちんと対応してくれました。この人が白土三平の忍者武芸帳や水木しげるの墓場鬼太郎を出版し、つげ義春、滝田ゆう、川崎ゆきおなどを世に出した偉大な編集者だったのです。(続く)
 
水木作品によく登場する四角い顔で、メガネに出っ歯の男は、桜井昌一さんがモデルであるという事がよく知られています。いろいろな作品に出てきますが、風采のあがらないサラリーマンや町人、あるいは貧乏なお百姓という、いずれもあまり良い役ではなく、失敗したり、被害を受ける事が多いようです。努力しても報われず、「なんでこうなるの?」という感じで発する「ふはっ!」というため息が印象的でした。
 
水木先生自身がご自分の境遇を映されているのかもしれませんが、もしかしたら、出版でがんばる桜井さんのイメージも投影されたのかもしれません。
 
今私の手元には、桜井さんの東考社が最後の方に出版した、桜井文庫というものが結構たくさんあります。その多くは水木先生の貸本時代の作品の復刻で、戦記物のほか、兎月書房版の河童の三平、第三巻で終わった悪魔くんなども含まれています。今やとても貴重なものです。この文庫は、はじめはなかなか立派な装丁で、限定出版(600部くらい)だったのですが、しだいにぺらぺらの紙になっていき、最後の方では、わら半紙のような紙に簡単な軽オフ印刷されたような素朴なものになっていきます。見ようによっては、同人誌の方が立派に見えてしまうくらい素朴なものでした。
 
できるだけ安い紙でコストを抑えたのでしょうか?懸命にがんばられた様子が痛いほど伝わってきます。当時の桜井さんのご苦労がにじむ労作です。朝のドラマの戌井氏の姿を桜井さんに重ね合わせ、桜井文庫を眺めると思わず、胸がじーんとしてしまいます。ゲゲゲの女房を桜井さんに見ていただきたかったですね。どのように感じられるでしょう?(続く)
 
 
今日の「ゲゲゲの女房」でとうとう悪魔くんの出版が3巻で終わりとなりましたね。
 
その後悪魔くんは少年マガジンに連載されたり、テレビ放送されたりして水木先生の代表作と呼ばれていますが、最初の東考社版における壮大なテーマを色濃く引き継いだのは、少年ジャンプに連載された、「悪魔くん復活 千年王国」だと思います。ドラマでは7年後に悪魔くんが復活するという話が出てましたが、東考社版が出版された1963年のまさに7年後である1970年に少年ジャンプ版悪魔くんが連載されています。偶然でしょうか?
 
少年ジャンプに連載開始された時は、カラーページを含む大変すばらしい細密な絵で構成されており、水木先生がこの作品にかける熱い想いを感じます。このときの雑誌切り抜きは今も大切に保管し時折眺めています。
本当に超天才にこの世を救ってもらいたいものだと思いましたが、最後にはやはり東考社版と同じように暗殺されてしまうので、とてもやりきれない気持ちになったものです。
 
ドラマでは、桜井昌一さん(ドラマでは戌井さん)がとてもかわいそうでしたね。東考社はその後も細々と漫画の出版を続けましたが、桜井さんはずっと運が悪かったようです。2003年に亡くなられたようですが、桜井さんが漫画の発展につくされた功績は永遠に記憶されると思います。(続く)