私がはじめて読んだ水木先生作品は、別冊少年マガジンに掲載された有名な「テレビくん」でした。アイスクリームを食べるところがおいしそうだったのを覚えています。
 
水木先生が描く食べ物を食べるシーンはとてもリアリティがあり、また美味しそうなので好きです。近藤勇の伝記物でガロに連載されていた「星をつかみそこねた男」で、どじょう鍋を食べる様子が美味しそうで、それがきっかけで、今でも時折浅草にどじょうを食べに行くほどです。ちなみに、私の弟も水木作品で食べ物をたべるシーンが好きだそうです。「星をつかみそこねた男」で山南敬助がぺったら漬けを食べるところが好きだそうです。
 
戦記物で水木さん自身がパパイヤを食べるところ、墓場の鬼太郎で「喫茶絶望」なんてところでコーヒーを飲むシーン、熟しすぎたバナナを食べるシーンなどなど、いまだによく覚えています。
 
実は、私の父も大正生まれの戦中派で、蒸かしたさつまいもなどが大好物でやはり大きな口をあけてもりもり食べる人でした。同世代の水木先生は、父と共通点があり親しみやすかったのかもしれません。ちなみに、戦中派の両親の教えを受け私も食べ物を残すことができません。外食などで家族が残したものを食べているおかげで太ってしまいました。今回は食べ物の話だけになってしまいましたね。(続く)
このあいだ、水木先生と手塚先生との外遊の事を書きましたが、その後いろいろ調べてもそのような事実を書いている資料が見つかりません。私がその会合に参加したのは昭和58年です。手塚先生は、ひだまりの樹を描かれていた頃です。。少し自信がなくなってきました。確かそんな事言ってたんだけど、ツアーはなかったのかもしれません。すいません。もう少し調べてみます。
 
そういえば、その時水木先生は、旅行(確かインドだったと思います。)に行かれたという話をされていました。先生は、南方がお好きなようでしたが、南太平洋の島の方がお好きそうな感じでしたが。
 
一方、水木先生が手塚先生をライバルだと思っていられたのは確かだと思います。手持ちの資料を探したら、「水木サンの幸福論」(日本経済新聞社)という本に、わざわざ「手塚治虫氏のこと」という章を設けられていて、手塚先生への想いをつづられています。ちょうど、水木先生が、平成15年に第7回手塚治虫文化賞特別賞を受賞された頃でしたのであえて話題にされたのかもしれません。
 
その本で、水木先生は、昭和20年代に紙芝居を描いていた頃から手塚先生を意識されていたと書かれています。 今では、水木先生は、ひょうひょうとした枯淡の域に達されているように見えますが、お若い頃は、業界の他の作家たちに対してライバル意識を持たれていたようです。たとえば、ビッグコミック創刊物語(プレジデント社)には、水木先生が創刊号の表紙に印刷された作家達の名前の並び順を気にされていたとのエピソードが紹介されています。良く考えてみると、競争が激しい漫画界でがんばるのは、相当な覚悟と闘争心がなくては生き抜けないわけで、水木先生も当然がんばられたわけですね。
 
あのように厳しい状況で戦地から生還することができたのは、水木先生が生来お持ちだった「力」が並はずれていらっしゃったからではないでしょうか? 戦後ご苦労されながら今も漫画界で活躍されているのは、先生のこのような「力」によるものかもしれません。
 
そういえば、今日の朝ドラではいよいよ悪魔くんが出てきましたね。早速読み直してみたいです。(続く)
今日の「ゲゲゲの女房」ではアニメ鉄腕アトムのテーマがところどころで出てきましたね。昭和38年になったようです。桜井昌一さん(ドラマでは戌井さん)も東考社を立ち上げ悪魔くんが出てくる時期になりました。
 
私が水木先生にお会いしたのは、とある同人誌が開催したイベントで、水木先生のほか、つげ義春先生、山川惣治先生の色紙などが展示即売されていました。(今考えると入手しておけばよかったと思います。)
そのイベントで水木先生を囲んで談笑する場があり私も同席させていただいたのです。
 
その時、ちょっとだけ手塚先生の話題が出たのを記憶しています。ある出版社が漫画家の先生達を招待して海外視察ツァーみたいなものを企画した時の話です。いろいろな先生達に声をかけたのですが、参加するとの回答を出されたのは、手塚先生と水木先生だけだったそうです。手塚先生はそのような企画には大変前向きに対応する方だったので、きっと大変のり気だったのでしょう。一方水木先生は、素朴に海外に行きたかったのかもしれませんね。
 
とにかく、その企画に賛同したのは、手塚先生と水木先生だけだったということでした。そのときいろいろな方々が話されていたことの断片をまとめると、どうも、他の先生達は手塚先生と同行するのを遠慮したという説が語られていたようでした。業界では、手塚先生はとても偉い方なので敬遠されたのかな?なんとなくかわいそうな感じですが、私も同じ立場では少し気後れしたかもしれません。
 
そして、手塚先生と水木先生だけで外遊されたとのことです。(さだかではありません。こんどちゃんと調べてみます。)
 
だいぶ後から何かの本で読んだのですが、水木先生は手塚先生をライバルだと思っていたふしがあります。手塚先生はどうだったかわかりませんが、ご両人には何かの縁があったのかもしれません。(続く)
毎朝「ゲゲゲの女房」を楽しく観ています。
 
私は水木先生の作品が大好きで、先生の半生記もたくさん読みましたが、朝ドラの脚本には、これらの資料にあるエピソードが多く採用されていて、今のところほぼ史実どうりのストーリー展開になっているようです。今はとても貧乏ですが、入院中の長井さん(ドラマでは深沢さん)が早く退院して水木作品を世に出し、いよいよ講談社の別冊少年マガジンに「テレビくん」が掲載されないかと心待ちにしています。いずれ手塚先生も登場するのでは?と期待しています。
 
そういえば思い出しましたが、私は一度だけ水木先生とお会いしたことがあります。もうだいぶ前になりますが、ある同人誌の会合に先生が出てこられたのですが、たまたま私が隣の席に座ったのです。雑誌などに掲載されている写真どおりで、とにかく一生懸命な方でした。食べるのも、もしゃもしゃと一生懸命。話す時も顔全体で目いっぱい表情を変えて一生懸命。緊張していた私へもいろいろ声をかけていただきました。
 
先生はとてもまじめな方だと思いました。たいへん面白い話をされるのですがジョークではなく本当にまじめに感じられていることをお話されているのだと思いました。ドラマでも一心不乱に仕事されている様子が演じられていますが、本当にそうだったと思います。
 
今長年の先生の仕事が評価されているのを見るとこちらもうれしくなります。(続く)
 
 
ひさしぶりに書き込みます。なんとなく時間がなく、また、特に書くこともなくこのブログを放置していました。
作家は、なんでもいいから毎日書くことが大事とよく言われます。すこしずつでも、毎日書いたものが蓄積すると、結構な分量となり、「ひとつまとめてみるか。。」という気になるのでしょうか?井伏鱒二は、何も書くことがないので、「いろはにほへと」を書いたことがあるそうです。
 
ところで、私の趣味は手塚関連のおもちゃ、グッズ集めということでしょうが、われながらよく続いたものです。結構集めているのに、何か欲しいものが現れるのです。気が付くと膨大な量のコレクションの山。。
 
これを始める時の動機としては、いろいろな要因がありましたが、先人たちのコレクションに触発された点もありました。その頃すでにミニカー、ブリキ玩具などはコレクターズアイテムになっていて、少ないですが専門店もありましたが、いまや大コレクターになられている諸氏もまだあちこち駆けづりまわっていました。出張などで地方のおもちゃ屋さんに行くと、「この間○○さんが来て全部持っていったよ。」なんて事もよくありました。がっかりして、残った物を売ってもらいます。せっかく行ったのに何も買わないのもさびしいし、それが呼び水となり、「ああこれならまだあるよ。」なんて奥から別なものが出ることもあるからです。その時手に入れた怪獣のソフビなどで、後から大化けしたものもあります。超合金もそうでしたね。
 
収集は駅伝に似てると思うことがあります。ようやく欲しかったものが手に入ると、トップランナーのコレクターは、別なまだ見たこともないすばらしいものを入手しているんですから。また、コレクションはどんどん間口が広がるので、先に集めたほうが有利です。後続ランナーは、まだそちらに目が行っていませんから、高価になる前に集めることができるというメリットもあります。後続ランナーがようやく追いついたと思ったら、余力を残した先行ランナーは、グーンと先に行ってしまうんです。もちろん、資力があるランナーは、すぐ追いつくかもしれません。しかし、コレクションは時間をかけるところもいいところなので、お金だけですぐ解決するのも寂しい気がしてしまいます。
(すいません。貧乏人の負け惜しみです。。。)
 
私は市民ランナーとしてできる範囲でコレクションするしかありません。