ゲゲゲの女房がとうとう終わりました。
 
水木夫妻がこれまで築かれてきた人生ドラマが、すこし早足でしたが、ある時は劇的に、ある時はしんみりと、またある時は淡々と描かれていたと思います。水木先生達のこれまでの人生航路は、そもそもとてもすばらしいのですから、そのドラマが面白くないわけはありませんよね。とりあえず、「水木先生、おめでとうございました。」と言いたい気分です。
 
私個人としては、「水木しげる」「ガロ」「長井さん」「桜井昌一さん」「鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」そして、「貸本」などなど感度が高いキーワードが多いので、ドラマの虜になりました。
 
また、水木先生は私の親父と同じ大正11年生まれですが、 戦争を経験した親を持つ世代としては、自分の親の人生と重なる部分もありいっそう親密感を持ちました。
 
このあいだ、たまたま通りかかったある町で、廃業した貸本屋さんが残った本を売っているのを見かけ、お話しを聞かせていただく機会がありました。貸本全盛時代は店の前に行列ができ、貸し出す本の冊数を制限したほど繁盛したそうです。 小さな町でしたが貸本屋さんが4軒もあったそうです。水木先生の本は一番人気というほどではなかったようですが。。
 
ゲゲゲの女房には、こみち書房という貸本屋も出てくるので、そのお店の老夫婦はとても喜ばれていました。このドラマは、そんな人たちにも支持されていたんですね。最初はブスっとしていたおばあちゃん、おじいちゃんが
朝ドラの話題をきっかけに昔のことを話し始めると、どんどん昔の面白い話が出てきてもう止まりません。
表情も微笑みが出てきて、楽しそうになりました。
 
だいぶ長い時間そのお店にいることになりましたが、「おばあちゃん、おじいちゃん、よかったね。」と感動してしまいました。
 
ごぶさたしています。
今週の水木先生は仕事がなくひまそうですね。昭和57年頃となっていますが、水木先生にお会いしたのは昭和58年のはじめ頃だったので、少しお時間があった時期だったかもしれません。
いろいろ大変だったかもしれませんが、とてもほがらかでお元気でした。
下は、その時描いていただいたイラストとサインです。先生の著書「ほんまにオレは アホやろか」(ポプラ社)に描いていただきました。その展示会には、つげ義春氏もご子息の正助さんを連れて立ち寄られました。
(確かつげ先生の御子息のお名前は、カムイ伝の主役の一人である「正助」と同じだったと思いますが。。)
とても静かで質素な方達だったと思います。
 
 
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とうとう「テレビくん」まで話がたどり着きました。あとは、水木先生の快進撃のはじまりです。
 
鬼太郎、悪魔くん、河童の三平という水木先生の代表作がリメークされテレビ化もされ、個性的な水木作品がしだいに世の中に受け入れられていきます。
 
少年マガジン創刊十周年記念号の表紙に当時の売れっ子マンガ家達の写真が掲載されたものがありますが、水木先生は手塚先生のとなりです。ビッグコミック創刊では当時のマンガ家ビッグ5として、手塚治虫、石森章太郎、さいとうたかお、白土三平とともに水木先生が入っています。すごいものです。
 
「ゲゲゲの女房」はここで終わってもいい感じですが、ほとんどが貧乏話なのも普通の人はつまらないので、あとの2ヶ月の放送は売れすぎて大変だったり、個性的なアシスタントのエピソードが登場するのでしょうか?
 
売れた後の水木先生は、近藤勇、南方熊楠、ヒットラーなどを水木先生の視点で描いたり、昭和史を描かれています。 長井さんや桜井さんとは終生つきあわれて本も出版しました。苦労された南方にも行かれました。水木先生なりのマイペースで仕事をされているように思います。
 
昭和の大物マンガ家がつぎつぎと早世されていますが、いつまでもお元気でいられることを願っています。
(とりあえず、この話題は終わり)
 
 
 
 
ドラマは青林堂から講談社へ展開していき、いよいよ水木先生大活躍のシーンへ移っていくようです。
 
このドラマで「おやっ?」と思うのが、白土三平先生が登場しないことです。
 
長井さんの三洋社、青林堂は、実は白土先生なしでは語れないというより、白土先生は長井さんの有力な後援者だったのです。当時の若者に大きな影響を及ぼした「忍者武芸帳」の大ヒットは、三洋社の経営にとても助けとなったでしょう。そして当初のガロは白土先生がカムイ伝を発表するための雑誌だったといってもいいくらいで、表紙はもちろん、カムイ伝は、毎回100頁規模の掲載で雑誌の顔でした。ガロでたくさんの個性的な作家たちの作品を掲載できたのも、カムイ伝が大黒柱として存在していたからだと思います。カムイ伝第一部の連載が終了した後、水木先生、永島慎二先生、林静一先生がガロを支えていきますが、しだいに部数が減少していきます。
水木先生も白土先生と会われたことを何回か発表されています。
 
ドラマの主人公が水木先生の奥様であることもあるのかもしれませんが、結構事実にそってストーリーが展開しているのに、まったく白土先生が出てこないのもちょっと変な感じです。遠慮されたのかな?(続く)
今朝の朝ドラ。いよいよ「こみち書房」の行く末があやしくなってきました。
 
ある産業が傾き無くなっていく。。関係者にはとても厳しいことです。紙芝居もそうでした。最近では、ビデオレンタル屋さんが大手を除きなくなりましたね。気になるのは、一般の古本屋さんがなくなってきたこと。
 
私の町でも、ビルが建て替えられるごとにそこに入っていた店がなくなっています。おもちゃ屋、プラモ屋、文房具屋、駄菓子屋、そして小さな公園のブランコ。さらには、とうふ屋、八百屋、さかな屋といった町の必須要素がなくなり、高層マンションが立ち並ぶスカスカの町になっています。地面はコンクリートやアスファルトで覆われ息苦しそうです。それでも、時々熱いアスファルトの道路の上を、どこから来たのかカマキリがふらふらしながら横切ったりしています。子供が群れて遊ぶ光景が珍しくなりましたが、たまにビル群の間にたむろしている子供の姿がカマキリの姿と重なってしまいます。
 
貸本屋さんの話からだいぶ脱線しましたが、ドラマに登場するPTAからのクレームのような事は実際あったんです。マンガ家がつるしあげられたり、不買運動がおこったり。時代の雰囲気もあったと思いますがややヒステリー気味に感じられますよね。こみち書房が気の毒になりますが、今でも似たような事があるのではと思うのが公園の遊具がなくなっていくみたいなことです。。
 
当時貸本屋で扱っていた劇画は、どちらかというと青年それもドラマに出てくる小林さんみたいな働く青年向けのものが多く、ギャング、ピストル、ナイフなど結構殺伐としたテーマの作品が人気でした。これらは確かに子供向けではなかったかもしれません。水木先生はじめ描き手側は、本当に一生懸命描いていたと思いますが 難しいところです。ただ、昭和30年代で10円というのは子供にとって結構大金なので、本当に小さな子供は、お兄さんやお父さんが借りた本を読ませてもらったというパターンが多かった気がします。貸本屋がなくなっていった大きな原因は、やはり週刊誌、テレビの台頭だったのでしょう。メディアの変遷は今でも起こっていることです。
 
長井さんがガロを創刊したのは時代のトレンドを読んだ適切な判断だったと思います。その長井さんが晩年は、青林堂の経営を別な人に譲り、ご隠居さんになっていきましたが、次の時代を何か読まれた上の行動だったかもしれませんね。もしかしたら「マンガ」ではなかったのかもしれません。