去る9月11日、東京の綱町三井倶楽部で開催された隈研吾先生による特別講演会。

 

講演の冒頭、隈先生から次のような言葉がありました。

 

「今日は主催者の畑さんから、“afterコロナにおける建築の未来”について語ってほしいと宿題をもらってるんですが、端的に言って僕の答えは“脱・都市”、“脱・(ハコ)”です。」

 

実はバブル景気が去った後、隈先生ですら東京で建築依頼が一件もないという日々が10年間も続きました。

 

しかし先生はその間を活用して全国の「里山」をじっくりと巡り、それぞれの土地が育む産物や職人をできるだけ活かす独自の建築スタイルを生み出しました。

 

それこそが、『負ける建築』という先生の著書名に象徴される、周囲の自然環境や歴史を刻んだ街並みを壊すことなく、むしろそれらと溶け合い、活かし合うことでより美しく快適な環境や社会を創造していく「隈研吾スタイル」です。

 

そして、その“脱・都市”、“脱・(ハコ)”を体現する作品例として、隈先生はまず栃木県にある3つの建築物を紹介されました。

 

 

 

最初の作品は、「那珂川町馬頭広重美術館」です。

 

歌川広重の肉筆画を中心とするコレクションを所蔵するこの美術館は、ゆったりとした平屋建てに切妻の大屋根が印象的で、自然豊かな那珂川町の景観に溶け込むようにデザインされています。

 

 

美術館全体は、地元産の八溝杉による格子(ルーバー)に包まれて、時の流れとともに移り変わる光によってさまざまな表情を見せてくれ、内装も壁は烏山和紙、床は芦野石と、地元の材が随所に活かされています。

 

 

里山の恵みが結晶したこの美術館は、林野庁長官賞、村野藤吾賞、BCS賞、日本建築学会作品選奨など数多くの建築賞を受賞しています。

 

 

 

 

 

二つめの作品は、「那須芦野・石の美術館STONE PLAZA」です。

 

栃木県内でも有数の石の産地である那須町芦野地区に残る、大正から昭和初期に建てられた石蔵と芦野石を活かして、新たな石の産地の象徴を作りたいー

 

そうした依頼を地元の大手石材会社から受けた隈先生は、あえて既存の蔵と同じ地元の芦野石を使いながら、石が持つ従来のイメージとまったく異なる、軽やかで曖昧な空間をつくることを目指します。

 

 

増築部分は、薄くスライスした石材を積み上げる「組積造」で施工したため、通常の何倍もの手間を要し、基本計画から完成まで6年もの歳月がかかりましたが、石を通り抜ける風の心地良さを感じてもらいたいという隈先生の思いがカタチとなり、外部セクションを仕切るルーバーを含め総石造りにもかかわらず、とても洗練された軽やかな仕上がりとなっています。

 

 

「石と水のギャラリー」は石壁にいくつものブロック穴を作ることで、外部と内部を光で繋ぎ、外気と内気が行き来できる不思議な空間が創り出されています。

 

 

この作品も、イタリアの国際石材建築大賞など様々な賞を受賞しました。

 

 

 

 

 

三つめの作品は、高根沢町にある「JR東北本線 宝積寺駅」です。

 

宝積寺駅の改修を依頼された隈先生は、駅舎を橋上化するとともに、既存の西口にプラスして新たに東口を開き、駅前に「ちょっ(くら)広場」というコミュニティスペースを接合しました。

 

 

 

アヴァンギャルドな天井は、近未来的な印象を受けますが、実は一種の木製格天井で日本の伝統的建築技法が活かされています。

 

さらに驚きなのは、この特徴的な天井のデザインが、駅前のちょっ蔵広場にある建築物の壁(これも地元の大谷石を積んだものですが)のパターンの延長であるということ!

 

 

偶然にもこの日、講演会場に来ていた作新の卒業生が毎日宝積寺駅を利用して学院へ通学していたそうで、先生の話を伺って大層感激していました。

 

実を言うと、作新学院大学のキャンパスも隈研吾先生に監修していただきました。

 

 

栃木には数多くの隈研吾作品が今も息づいて、人々の暮らしを温かく鮮やかに彩ってくれています。

 

 

 (3)につづく・・・