先週IOCのバッハ会長も来日し、開催に向けた強い意志を日本側の主催者たちと確認した「東京五輪」。
そのメインスタジアムである「新国立競技場」を設計した建築家・隈研吾先生が、去る9月11日、私の主催する政策研究会「ジャパン・ビジョン・フォーラム(JVF)」で特別講演を行なって下さいました。
昨年、設立25周年を迎えたJVFではその記念事業として、一昨年に山中伸弥先生、昨年に梶田隆章先生、そして今年は本庶佑先生をお迎えして3年連続でのノーベル賞受賞者による講演会を企画していましたが、コロナ禍により5月に予定されていた本庶先生の講演会は来年に延期となってしまいました。
これまで25年間、山あり谷ありの中でも多くの方々に支えられて、なんとか途絶えることなく毎年開催を続けて来られたJVF講演会を、今回のコロナ騒動で中断させられてしまうのは余りにも切なく悲しいことでした。
しかしながら、70歳代後半でらっしゃる本庶先生に東京までおいでいただくことは事実上不可能で、たとえリモートで講演会を開催するとしても、回線状況などについて万全を期すにためにはやはり一定数の人間が東京・京都間を移動しなければならず、それは感染リスクを生じさせてしまう恐れがありました。
4月初旬、やむ無く講演延期を決定した時にはまさに断腸の思いで、悔しくて悔しくて幾晩も眠れない日が続きました。
どうしても諦め切れない思いの中、なんとか人の移動を最小限に抑えて安全・安心に講演会を開催する手立てはないか、どなたか本庶先生に代わって25周年記念講演を締めくくって下さる講師はいないものか、悶々と考え続けました。
既にここまで、オリンピックや甲子園などあらゆる大会や行事が軒並み中止となり、このままでは世の中全体が泥沼に沈み込んでしまいそうな心理状態が社会に蔓延しつつありましたから、ここでJVFまでがコロナに屈してすべてを諦めてしまうようなことは、絶対にしたくなかったのです。
必死で知恵を絞り、物の見方や考え方を思い切って変えてみたら、きっと何か解決策はあるはず!
そう信じて、とにかく毎日毎日朝から晩まで、なんとかならないものかと考え抜きました。
そんな中、「コロナで世界中が動けなくなっている今だからこそ、通常なら海外出張で忙しい方でも日本にいて、多少はいつもより時間に余裕があるかもしれない」と思い至りました。
そこで、感染者数も下火となりイベント開催への規制も緩和され始めた頃を見計らい、JVFの発起人を長年お務めいただいている隈研吾先生に、「もし日本にいらっしゃって僅かでもお時間の余裕があるならば、御出講いただけませんでしょうか」と、無理と無礼を承知の上でお願いさせて頂きました。
実は隈先生とのご縁はもう30年近くになり、JVFでも既に2回ほど講演いただいています。
ただこの間に隈先生は、周囲の環境に溶け込み地産地消の建築材を活かす、“負ける建築”という設計概念や建築方法が世界から高い評価と指示を受け、世界トップクラスの建築家となっていました。
講演依頼も世界中から星の数ほど届くわけですから、通常ですと申し込みをしてから実現するまで、優に3年待ちと言われています。
その隈先生をつかまえて、なんとか年内のできるだけ早い時期に講演いただけないかと、コロナ収束も見えない中でお願いしているわけですから、失礼にも程があるというものです。
こんな非常識なお願いをしたら、ひょっとするとこれまでの信頼関係にヒビが入ってしまうかもしれない・・・
そう思いながらも、こんな無理なお願いができるのも本当に心の広い隈先生だからこそですので、祈る思いでお返事を待っていたところ、なんと9月11日の16:15〜17:15の1時間のみであれば日程を空けて下さるとのこと!
コロナ発生以来、来る日も来る日も黒石ばかり増えて行った心の中のオセロ盤が、一瞬でサーッと白へと変わっていくような朗報でした。
どんなピンチも、諦めずに考え挑戦し続ければ、必ずいつかチャンスに変わるーそう信じる力を与えて下さった隈先生からの快諾通知でした。
ただ当然ながら開催にあたっては、感染リスクを最小限にできるよう、細心の注意を払いました。
会場となった東京・三田の綱町三井倶楽部では、例年300名の会場収容人数を80名にまで削減し、検温・消毒・マスクを徹底、飲食の提供も行わないこととしました。
ただ9月初旬の開催のため来場下さる方々の熱中症も心配でしたので、講演中はペットボトルのミネラルウォーターをグラスを使わずストローで飲んでいただくとともに、塩レモン飴も添えさせていただきました。
大幅な人数制限により、参加希望をいただきながら出席をお断りしなければならない方も多数出てしまい申し訳ありませんでしたが、講演の内容については次回の記事で紹介させて頂きますので、ご覧いただければ幸いです。
〈(2)につづく〉