2025年の今年、作新学院は創立140周年を迎えます。

 

世界を見渡すと、ガザやウクライナなど戦火は絶えず、米国では予測不能なトランプ氏が大統領に返り咲き、欧州でもポピュリズムと右傾化が先鋭化するなど、世界は混沌と激動の渦に飲み込まれようとしています。

 

しかしそんな今だからこそ、140年前に明治維新という途轍もなく苛烈な時代の風を受け誕生した、作新学院のスピリッツやフィロソフィーを“ルネサンス(復興)”すること、つまり建学の精神や志を深く探究し、学院の発足に至ったそもそもの教育の原点に立ち返り、その復興に取り組むことは、作新にとってのみならず混迷と激動の時代を迎えた日本の教育全般にとって、何かしら意味を持つことではないかと思います。

 

 

学院が創設された1885年(明治18年)と言えば、伊藤博文を初代総理大臣として日本の内閣制度が成立した年で、その4年後には大日本帝国憲法が発布されています。

 

日本人が藩ではなく初めて日本という国家を意識し、日本人としての自覚を持ち始めたそんな時代に作新学院は、西欧列強に伍して独立を堅持し国際社会に冠たる日本をつくり上げんと、学問に励んだ有志の俊英たちが集う英学校として産声をあげ、今日まで歩みを進めて来ました。

 

 

勝海舟が“作新”に込めた志

 

本学に「作新」と命名したのは、幕末の動乱期に幕臣として和平と開国を唱え、海軍の発展と洋学の振興に尽力した「勝海舟」であると言われています。

 

なぜ勝海舟は、中国の古典・四書五経の一つ『大学』の一節から「作新」という二文字を校名として選んだのでしょう。

 

「作新」の二文字が記されている『大学』伝二章の一節は、次の通りです。

 

 湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。        

 康誥曰、作新民。 

 

 湯の盤の銘に曰く、(まこと)に日に新たに、

 日々に新たに、又日に新たなり、と。

 康誥に曰く、新たにする民を(おこ)せ、と。

 

この「作新民」の民を省いて、勝海舟は「作新」と命名したとされていますが、「作新民」の意は「Web漢文大系」に次のように解説されています(漢学者・宇野哲人氏全訳註による講談社学術文庫はじめいくつかの文献をあたりましたが、この説明が最も分かりやすかったので以下に引用します。)

 

作新民とは、自己を革新しようとする人民を奮い立たせること。「作」は、鼓舞する。朱注には「之を鼓し之を舞する、之を作と謂う。言うこころは、其の自ら新たにするの民を振起す、となり」(鼓之舞之之謂作。言振起其自新之民也)とある。

 

たしかに漢籍的に解釈すると、「作新」とはそのような意味や志を表しているのだと思いますし、もちろんこういう意味も十分に込めて勝海舟は命名されたのだと思います。

 

ただ身分の違いなどものともせず、獄中につながれた下賤の罪人ですら興味深い人物と思えば深く交友したとされる勝海舟が、こうしたしかつめらしい意味合いだけで「作新」というワードを、新たな息吹が横溢する変革の時代に創設される学校の名として選ぶでしょうか?

 

私は、漢籍に明るい人たちのみが理解できる「作新民」の志とともに、「作新」の二文字から誰でも読み取ることができる「新しきを作る」というストレートでシンプルなメッセージこそが、勝海舟がこの校名に託した真の志だったのではないかと思っています。

 

 

「作新」とはイノベーション、「作新民」とはチェンジメーカー

 

「作新」とは、“新しきを作る”。

即ち、新しき世を作り、新しき時代を作ること。

 

「作新」という校名には、明治維新という激動の時代、迫り来る西欧列強に従属することなく、国家としても個人としても真の「自主独立」を成し遂げんと、西欧の文化・文明を必死に学んだ先人たちの“志”が刻まれています。

 

ですから、作新に集う「作新民」たちは、やがて来る未来を受け身で待つのではなく、自分たちが望む未来へと世の中を作り変えて行くという“能動的”な意志と気概を持たなくてはなりません。

 

そしてその意志を(いしずえ)に目指すべき具体的なビジョンを描き、そのビジョンに基づいて世界や社会を変えて行ける「チェンジメーカー」や、世の中を刷新できる「イノベーター」として羽ばたいて欲しいと、私は心から願っています。

 

 

作新教育の要諦は「自律」と「利他」

 

ではそうした人材を育てるため、教育はどうあるべきでしょうか?

 

従来の日本の学校教育では常識や慣習に従い、偏差値をはじめとした既成の“ものさし”でいかに高く評価されるかに重きが置かれて来ました。

 

これに対し作新教育の根幹は「自分の心で感じ、自分の頭で考え、自律的に行動する」こと。

 

まず明確で確固たる自己を持ち、その自律的精神に基づいて他者や社会に眼差しを向け、自己と他者が協調し合い高めあえる世の中となるよう利他的に行動するーこれこそが作新学院が目指す人間教育の要諦です。

 

世間体や既成概念に縛られ唯々諾々と受動的に学生生活を過ごすのではなく、自分自身の好奇心や感動を原動力とし、世の中の常識や慣習を打ち破り、自分自身の限界を突破して行くことが最も重要であるという教えが、作新学院では140年間に亘り受け継がれてきました。

 

“昭和の怪物”と呼ばれた江川卓選手やリオ五輪・金メダリストの萩野公介選手のような規格外の逸材も、このような作新スピリッツを実践し体現することによって輩出されました。

 

 

混迷と変革の時代こそ、作新は輝く

 

これからの未来には、地球環境問題、世界秩序の不安定化、AIなど革新的技術の猛烈な進化など、これまで人類が経験したことのない新たな課題が待ち受けています。

 

しかも日本は、世界各国の中でも最も深刻な少子高齢化と財政赤字という難題を抱えながら、低い労働生産性から脱することができず、国際競争力を年々低下させています。

 

そうした課題を重荷と思わず成長と飛躍の好機ととらえ、前向きに果敢に決して諦めることなく解決に向けて挑戦し続ける者こそが、真の「作新民」だと思います。

 

混迷と変革の時代こそ、作新の出番!

 

創立140周年の今、作新民が最も輝く時代が到来したという思いでいっぱいの、2025年幕開けです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新春を銘菓「京の十二月」で寿ぐシリーズの最終回。

 

長月・九月の銘は「高台寺」。

 

豊臣秀吉の正室ねねが、秀吉の菩提を弔うため東山に建立した高台寺は、桜や紅葉でも有名ですが、萩の名所として知られています。

萩の花を模した薄紅のあられ菓子は、表面にまぶされたケシの実のような粒つぶによって、花の質感を見事に表現しています。

実は、よく目を凝らすとその粒の色や大きさは単一ではなく、ピンクだけでも濃さの違う3種が配合され、それに白、さらにケシの実そのものの色と、何種類ものドットがブレンドされることで、自然な風合いや色調が作り上げられています。

そして、萩と言えば月。

サッと金茶を刷いただけで、東山に上る黄金色の満月の光を表したこの干菓子、口に含むとほんのりとニッキが薫り(みやび)です。

 

 

 

 

十月の銘は「時代祭」。

時代祭は平安神宮の大祭で、京都に都が置かれていた8つの時代の装束姿で、牛馬を含む約2000名の人々が大行列を組み、京の街を練り歩きます。

京都三大祭りの一つで、それは絢爛豪華なお祭りですが、そこを敢えて紫鼠と白というモノトーン二色の落雁で表現。

平安神宮の御神紋を象った薄黄色の和三盆が、帯留めのように上品な華やぎを添えて、全体をクッと締めるその洗練、心憎い限りです。

落雁が表しているのは、御祭神である桓武天皇の御代に思いを馳せての源氏香なのか、はたまた行列が掲げる旗なのか、あれこれイマジネーションを膨らませる豊かな時間が流れます。

 

 

 

 

十一月の銘は「高雄」。

神護寺や高山寺など名刹を抱く京都・高雄は、日本有数の紅葉の名所。

ということで、真っ赤に色づいた楓葉が折り重なるように八枚。

その下には、かわらけ投げで名高い神護寺のミニかわらけが、やはり八枚。

かわらけは素焼きの小皿で、この皿を神護寺の奥の院から錦雲峡に向かって投げると厄除けになると信じられています。
 

 

 


いよいよ最後の月、十二月の銘は「金閣寺」。

上品な薄緑の種合わせには、雪化粧した金閣寺が描かれ、同系色の緑と白のコンビネーションの雲平(※)で雪の降り積もった松を、白の雲平で凍れる流水を表現。

純白の霰菓子には、敢えて黒胡麻を多く混ぜることで薄っすらと地表に積もった雪を感じさせるなど、高貴で風雅な京の雪景色を堪能させてくれます。

雪景色なのに確かな春の足取りを感じられる、明るく清々とした一年の締めくくりで、とても晴れやかな気持ちに包まれます。

 

 

 

 

御菓子司 亀末廣謹製の『京の十二月』、如何でしたでしょうか?

 

2025年の12ヶ月が皆さまにとって、この銘菓のように彩りにあふれ実り多きものとなりますこと、心からお祈りしています。

 


雲平
みじん粉(もち米を蒸して煎るなどして粉にしたもの)、あるいは寒梅粉(白焼き煎餅を粉にしたもの)をまぜ、ぬるま湯を少量落としてまとめ、着色をして、種々の形にかたどったもの。

 

 

 

 

 

 

 

京都の老舗菓子司・亀末廣の銘菓『京の十二月』、風薫る五月の銘は「嵐山」。

平安貴族の別荘地として栄えた(いにしえ)より、京都を代表する景勝地として知られる嵐山は、紅葉の名所でもあります。

ただ京の都人は、紅葉した楓以上に瑞々しい“青もみじ”を愛でる気がします。

この御菓子も、桂川に掛かる渡月橋を思わせる焼き目をつけた煎餅の上に、初夏の陽射しに輝く青楓が散らされ、周りには嵐山の新緑を彷彿とさせる若草色のあられ菓子が詰められています。

嵐山の早緑を映して流れる、桂川のせせらぎが聞こえて来そうな景色です。

 

 

 

 

六月の銘は「苔寺」。

苔寺は、言うまでもなくその苔の美しさで知られる西芳寺の別名ですが、確かに梅雨時、京都を訪れると手入れの行き届いた庭苔の神々しさに息を飲むことがあります。

とは言え、六月の風物詩を描くのに、紫陽花や花菖蒲といった花々や、蛇の目など雨水に関することには一切触れず、ただ苔だけにフォーカスしたその潔さ、深さ。

色彩を極限まで抑え、雨水をたっぷりと含み極上の翠の絨毯となった苔を模した一枚の落雁の上に、松葉三対を散らすのみという、その胸をすくような風流に、京の美学の奥深さを教えられます。

 

 

 


七月の銘は「祇園祭」。

祇園祭は、7月1日から1ヶ月間に亘り催行される八坂神社の御祭礼で、京の夏の代名詞とも言える壮麗な祭事です。

クライマックスである“山鉾巡行”には、意匠を凝らした30基を超える山や鉾が街を練り歩き、京の都に本格的な夏の到来を知らせます。

御菓子もその華やぎを映し、真四角の種合わせには、鉾に揺れる無数の提灯が刷り込まれ、風神と雷神を表す真赤な団扇二柄が添えられています。

コンチキチンと響くお囃子と、山鉾見物で賑わう人々のさんざめきが聞こえてきそうな一品です。

 

 

 

 

八月の銘は「大文字」。

8月16日に行われる「五山の送り火」、いわゆる「大文字焼き」は、祇園祭とともに京都の夏を象徴する風物詩です。

五山の山並みを模した翠の琥珀には、燃えさかる緋色の大文字が描かれ、その裾野には流水を象った有平糖。

さらにその合間には、川底の小石を模したあられ菓子が涼し気に詰められています。

爪の先ほどの小石一つにも白砂糖が丁寧にコーティングされ、また所々に胡麻がまぶされているなど、色調も風合いも本物そっくり。

しかも、芳ばしさとほの甘さのバランスが絶妙で、一粒口に運ぶと止められない美味しさです。

 

 

  〈4〉につづく・・・