畑恵オフィシャルブログ

畑恵のオフィシャルブログです。すべては子どもたちの未来のために。

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「リオで金、甲子園でも金!」
そう宣言して始まった2016年夏、作新学院の夢は現実となりました。

猛暑の最中、長期間にわたり沢山のご声援を頂戴した皆様に心より御礼申し上げます。

7月の終わり、宇都宮の空に現れた「鳳凰」と「黒龍」の彩雲。その瑞兆は今、作新学院卒 萩野公介選手の「五輪金メダル」と甲子園の「大優勝旗」という形となって降臨しました。


リオ五輪と甲子園。思えばその間には、いつも地球規模で「作新の風」が吹いていたような気がします。

例えば、萩野選手が競泳400m個人メドレーで今大会日本初の金メダルを獲得した8月7日。奇しくも甲子園ではほぼ同時刻に開会式を迎え、学院ではNHK総合でリオ五輪、NHK教育で甲子園の中継映像を同時に見ながら、パブリック・ヴューイングを行っていました。

実は4年前のロンドン五輪でも、萩野選手が銅メダルを獲得したレースの数時間後に、県大会で作新学院が優勝し甲子園行きを決めるという偶然が起こっていました。

ですからリオの萩野選手からも今回、甲子園出場が決まった選手たちに次のようなメッセージが送られてきて、選手たちの大きな励みとなっていました。

  「何かまた運命的なものを感じます。良い風をもらって、
   また送れるように頑張ります。」

さらに、萩野選手が銀メダルを獲得した8月12日。200m個人メドレー決勝が行われたその数時間後、作新学院は甲子園で初戦を突破、第3試合へとコマを進めました。

リオからの風をしっかり受けとめた作新の快進撃は、その後さらなる旋風を甲子園に巻き起こし、遂に8月21日、北海高校との決勝戦を7:1で勝ち抜いて、54年ぶりに深紅の大優勝旗を栃木県に奪還することができました。


実は54年前、作新学院が史上初の甲子園春夏連覇を果たした1962年は、私が生まれた年であり(年齢がバレますが…)、その自分が理事長として優勝旗を持ち帰らせて頂けたのも、すべては運命であったかと今あらためて実感します。


リオと甲子園、それぞれの栄光に共通するキーワード。それは「人間力」だと思います。

萩野選手は、作新中等部・高等学校ともに学業優秀で、世界を転戦するため授業に出席できない間もクラスメートから借りたノートのコピーを遠征先に持って行き、すべて一度自分の手で書き写すことで高い成績を維持していました。

友人も多く、学校にいる間はいつもクラスメートと笑い転げ、社会貢献活動にも積極的に参加してくれる、バランスのとれた「人間力」を備えた生徒でした。

甲子園での優勝をもたらした力、それも間違いなく「人間力」であったと思います。

その証拠に、優勝旗を手にした主将もエースも異口同音に、「自分たちは実力もないのに…」という言葉を漏らしていました。

おそらく甲子園出場校の中には、作新よりももっと野球の技量や体力に優れた選手やチームが、幾らも存在したに違いありません。

それなのに、なぜ作新は勝てたのか?それは小針崇宏監督の下、選手ひとり一人が自分たちの頭と心で主体的に判断し行動する一方、どこよりも強い信頼の絆でつながっているという理想のチームを実現したからです。

「主体性」と「協調性」、その二つを両立させることは、人間力の基本であり、教育の要(かなめ)です。人として生き社会を営む上で、何より重要なことであると同時に、その涵養は最も難しいことでもあります。

小針野球は今回見事にその両立を成功させ、甲子園の大優勝旗を手にしました。

優勝を果たしたその日の夕暮、大阪湾を臨む西の空には天翔る鳳凰がくっきりと姿を現しました。しかもその後方には、差し入れの牛肉として何度となく選手たちの血となりパワーとなってくれた牛の姿までが、尻尾まで鮮明に浮かび上りました。



リオと甲子園―二つの聖地での勝利は、131年に亘って受け継がれてきた作新学院の教育が、時代を超えて間違ってはいなかったことを証明してくれました。

どんなに時代が移り変わろうと、オリンピックや甲子園大会を開催するためには、世界平和の維持と地球環境の保護が欠かせません。この夏の栄光を世界の未来を拓く力に変えて、作新学院はささやかですが確かな一歩を、今日も明日も明後日も変わることなく歩み続けて行きたいと思います。



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リオ五輪日本初の金メダルを、本学(作新学院)卒の萩野公介選手が本日獲得させて頂きました。多くの皆様からのご支援・ご声援の賜物であり、心より御礼申し上げます。

奇しくも今日8月7日は、甲子園大会の開会式でもありました。作新学院はお蔭様で、6夏連続で甲子園大会に出場させていただき、萩野選手のレースと相前後して、硬式野球部の選手たちは念願の甲子園球場を優勝旗とともに行進させて頂きました。

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こうした偶然の一致は、実は今日だけではありません。

萩野選手は今回のリオ五輪で、今日の400m個人メドレーに続き、200m自由形、男子リレー、200m個人メドレーとあと3個のメダル獲得を目指しますが、先日の甲子園組合せ抽選会の結果、萩野選手の最終レースが行われる12日、作新学院は甲子園で初戦を迎えることとなりました。

実は、こうした偶然はロンドン・オリンピックでも起こっています。

中学・高校の6年間を作新学院で過ごした萩野選手は、高校3年生の夏、ロンドン五輪で日本人高校生としては56年ぶりにメダルを獲得しました。この時にも、萩野選手のメダル獲得から数時間後に硬式野球部は県大会で優勝。日本時間では同日に、作新学院の五輪メダル獲得と甲子園出場がともに決まりました。

中学生の頃から萩野選手を見て来ましたが、これまで数えきれないほどの“偶然”や“奇跡”を体験させてもらいました。

大きな世界大会の前には必ずと言っていいほど、私が日頃参詣をしている幾つかの神社の大祭があり、萩野選手のもとに御札・御守りが自ずともたらされることになっています。

中には、日頃は1体しか届かないはずの御札が、なぜかオリンピック前には2体届く、それもロンドンに続いてリオでも直前に2体届くということが起きました。さすがにリオ五輪前には宮司様が気を遣って下さったのかと思い、御礼を申し上げたところ、ご自身はそういう指示はしていないとのことで吃驚しました。

今回、萩野選手がリオに到着した日には、日本の空に珍しい彩雲(虹色に輝く雲)が見られました。
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天文好きの夫から送られてきた写メをみたところ、なんとその雲の左には七色の鳳凰が、

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右には降臨する龍の姿が見られました。

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そして開会式のリハーサルが行われた昨日の甲子園球場では、一瞬駆け抜けた風に、なぜか作新学院の校旗だけが翻るという吉祥も現れました。

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オリンピックも、甲子園大会も、スポーツという以前に「神事」であると私は理解しています。

作新学院はお蔭様で毎年20以上の部活が全国大会に出場しますが、私が自分自身に応援に行くことを許している大会は、甲子園とオリンピックだけです。それ以外はどんなに見たくても応援したくても、それは叶いません。

なぜなら、神事ではないのに特定の部活や選手だけを応援をしたら、すべての部活動に対して平等に接するという大原則が崩れてしまうからです。ですから硬式野球部の活躍も見られるのは甲子園での試合のみで、県大会はテレビ中継さえも見ないと心に決めています。

その代り、神事である大会を応援に行く際は、あくまでも「神事」ですので、前日から潔斎をして選手同様に命懸けで臨んでいるつもりです。

萩野選手を見ていると、天は与えもするし、奪いもすることを痛感します。

確かに萩野選手は水泳の神様から特別に愛され、卓抜した才能を与えられて、幼い頃から数々の栄光を手にしてきました。しかし天から受けた愛に応え続けるということがいかに過酷なことであるか、それは想像を絶するものがあります。血を吐くような努力を毎日毎日一瞬一瞬、ここまで続けて来たのだから、それは天も萩野選手を祝福されるだろうと納得します。

「担わされた使命の重さに負けず、自分の運命から逃げなかった者だけが、人生の勝者になる」ということを、私は萩野選手から教えられました。

萩野選手に与えられた試練の中でも、昨年の骨折事故ほど深い闇に彼を突き落とした出来事はなかったでしょう。しかし、「もう二度と泳げないかもしれない…」という地獄を見せられたことによって、むしろ彼は自分自身の人間としての壁を突き破ることができました。

「天は意味のない試練は与えない」こと、「試練を乗り越えた先にしか未来はない」ことを、萩野選手は今日の金メダルで証明して見せてくれました。

少年時代の萩野少年の夢は、怪物の異名を持つ競泳選手 米国のフェルプス選手のようにオリンピックで幾つもの種目を泳ぎ世界の頂点に立ち、複数の金メダルを獲得することでした。その夢は、今も変わりません。

体格で劣るアジア人には競泳では不可能と言われた、複数種目での金メダル。常識をくつがえし、限界を超え、新たなフロンティアを切り拓くことこそが萩野選手の願いです。

新たな歴史の1ページを作る、今日そのスタートラインに立った萩野選手。彼の熱い夏は、まだ始まったばかりです。

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文部科学省が2020年度から、小学校におけるコンピューターのプログラミング教育を必修化する方針です。この方針は、政府の産業競争力会議で示された新成長戦略にも盛り込まれました。

スマホやSNSが日常生活の欠かせぬ一部となり、生活のあらゆるモノがインターネットにつながり(IoT)、進化した人工知能(AI)が最適化に向けて様々な判断を行う「第4次産業革命」が目前に迫っている昨今。産業のみならず、人々の社会や暮らしまでもが劇的に変化するであろう新たな時代の到来に備え必要な資質や能力を育むため、コンピューター技術の“原理”や“思考方法”などを子供の頃から学んでおくことは必要であると、私も思います。

また確かに、海外で進展する小学校からの情報教育に、日本がキャッチアップして行かなければならないのも事実です。オバマ大統領は、コンピューター教育を充実する計画を年初に発表、幼稚園から高校までの児童生徒全員がコンピューターサイエンスのカリキュラムを確実に受けられるよう3年間で40億ドル以上を各州に投入するよう要請しました。その他にも、英国、韓国、フィンランド、オーストラリア、シンガポール、イスラエル、エストニアなど多くの国が、プログラミングをめぐる情報教育に取り組んでいます。

では今回、政府が「情報教育」ではなく、「プログラミング教育」と明記する背景には何があるのでしょうか。それは、今後懸念されるWebエンジニアをはじめとしたIT人材の不足です。経済産業省が発表した調査によると2020年に37万人、2030年には79万人のIT人材が不足すると予測されています。

国際的な産業競争力を高めるために、IT人材の養成・確保が欠かせないことはその通りと思いますが、だからといって全人教育の基礎固めをしっかり行うべき小学校での教育課程に、いきなり「プログラミング教育」のしかも“必修化”をせまるのは、いささか違和感を禁じ得ません。

また教育現場に身を置く立場から申し上げれば、プログラミング教育の必修化により本当に教育効果を高めようとするならば、少なくとも以下の3つの問題をクリアする必要があると思います。

第一は「授業時間」の確保です。

既に小学校では、外国語教育(英語)を新設するため、総合的な学習の時間を削減して授業時間数をひねり出しています。2020年度には英語の「3年生から必修化」「5年生から教科化」が完全実施されます。既にカリキュラムは完全に飽和状態であるところへ、更に新たな教科や教育内容が必修化されれば、新しく加わる授業時間を確保するため、現在実施されているカリキュラムや教育内容を削減せざるを得なくなります。

こうした場合、いの一番にカット候補に挙げられてしまうのが、思考能力やプレゼンテーション能力を養える「実験」や「体験学習」あるいは「アクティブ・ラーニング」のような授業時間です。

実際、かつて「ゆとり教育」が実施された際、理科では実験の時間がほとんど確保できなくなりました。授業時間が削減されるのに、教科書で学習すべき内容が変わらなければ、結果的に授業は教科書をさらうだけのものとなり、物事の原理について子どもたちに考えさせたり、実験によって仮説を立てさせ検証させたりという時間は確保できなくなってしまいます。このように授業時間の削減により、思考力を深める時間が奪われた教科は理科だけではありませんでした。

今のところ、文部科学省の有識者会議がまとめた案には、プログラミング教育という新科目を設けてプログラミング技術を教えるわけでなく、既存の科目の中で、プログラミングを活かした論理的な思考力を養うことが小学校段階では大事と記載されていますので、この点については大いに賛同できます。

ただ、授業時間数もまともに確保できないのであるとすれば、そもそもプログラミング教育の必修化は必要なのか?という疑問を抱かざるを得ません。現に文科省のプログラミング教育に関する有識者会議のメンバーである国立情報学研究所教授の新井紀子氏も、小学校におけるプログラミング教育の必修化について「考え直したほうがいい」(日経新聞)と明言されています。

新井氏は、習い事や課外活動としてプログラミングに取りむくことは望ましく、スーパーサイエンスハイスクールで情報について学ぶのも歓迎と述べられています。まずはこうした機会をとらえ、プログラミング教育を随時教育現場へと導入し、現場に一定の理解と興味が広がった段階で必修化へと移行するのが妥当ではないかと、私は考えます。

必修化を決定するのであれば、プログラミング教育の具体的な実践例や、その授業による教育的効果について、教育現場に共通認識を醸成できる環境整備を、まずは喫緊の課題として政府には進めていただきたいと思います。

第二の問題は「指導人材」の養成・確保です。

2020年度までに一人一台の情報端末での教育を、という政府の教育目標に対してすら、現場で指導を行う者たちからは不安の声が上がっているのが実情です。プログラミング教育については、さらに高度な知識やスキルが必要とされるため、研修制度の確立と研修時間の確保、専門家の協力や情報の教員免許を持つ教員の増員などが必要となります。

プログラミング教育を小学校一年生(5歳)から必修として学び、プログラミング教育先進国の一つである英国では、必修化に先立ち、子どもたちを教える教員へのプログラミング教育をまず実施しました。英国政府は50万ポンド(当時の円換算で8500万円)を投じて、民間企業のカリキュラムを教員が学習するという教育訓練を実行したそうです。

算数の時間を使ってアルゴリズムを教えたり、図工の時間を使ってロボットを組み立てプログラムを動かしたりなど、既存のカリキュラムの中にコンピューターサイエンス的な視点を入れて授業を展開することは、可能であるし望ましいことでもあると思います。ただ、それを実践できる小学校教諭はきわめて限られています。

2020年度からプログラミング教育を必修化するのであれば、指導人材の養成・確保には早急に取り組まなければなりません。付言させていただけば、小学校教諭は現状において既にきわめて過酷な労働を強いられています。昨今のモンスターペアレント問題を筆頭に、小学校の教諭たちは授業時間以外にも対応・処理すべき多様な問題を抱え、ともすると疲弊しかねない状況にあります。

そこに新たにプログラミング教育のための研修時間を確保しなければならないとしたら、その分だけ子どもたちと向かい合う時間が失われかねないことを、教育行政を司る方々にはよく認識していただきたいと思います。たとえ既存教科の内容を応用することでプログラミング教育を実践するとしても、その負担を小学校教諭だけに負わせるのはあまりに酷なことです。企業や大学・研究所あるいはそうした組織をリタイアした方々などによる人的支援を、全国の小学校に幅広く行き渡らせることが、プログラミング教育の成功に向け必須であると思います。

第三は、「指導方法・教育教材」の開発・普及です。

論理的な思考力や問題解決能力を養うためのプログラミング教育とは、一体どのように実践すればよいのか。その具体的な指導方法や教育教材が示されない限り、ほとんどの教諭は指導ができません。もちろん中には、特別な知識やスキルそして意欲を持って取り組める教諭もいるでしょうが、全国にプログラミング教育を普及させるためには、指導方法や教育教材の開発が人材の養成・確保とともに欠かせません。

しかも、開発した内容が実際に浸透し実践されていくまでには、啓発や普及に膨大な時間や努力が必要であることも忘れてはならない点です。いち早くプログラミング教育を「Computing」という教科として位置づけ取り組んでいる英国でも、いまだ従来のICTリテラシーや情報活用能力の習得の指導にとどまっている学校もあるとのことで、指導者のトレーニングや新教科の普及・啓発が当面の課題であると報告されています。

プログラミング教育が未来を拓く教育プログラムとして本当に重要であるのだとすれば、「他の国に後れをとってはいけないから、とりあえず必修化してみました」というような、中途半端な導入の仕方はやめるべきです。ましてや、プログラミング教育の実施により恩恵を受ける関係団体や企業だけが潤って、投入した税金が結果的に死に金になるというような事態は絶対に避けなければなりません。

授業時間、指導人材、教育教材、この3点を確保するために、政府は教育現場のIT化を電子教科書の導入をはじめハード面だけでなく、ソフトやコンテンツの面からも全力で推進してほしいと思います。

ただ、予算も授業時間数も人材も、すべては限られています。是非、プログラミング教育導入を契機として、思考力や読解力、問題解決力や問題設定力を高めるため、「教育内容のリストラ」について、文科省の審議会や懇談会はもちろん社会全般で議論を深めて行くべき時に来ているのではないかと思うのです。

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