歴史を塗り替えるかと注目されていた(たける)富士(ふじ)が、前日に負った靭帯損傷を乗り越え、初土俵から10場所目という史上最速で110年ぶりの新入幕優勝を見事に果たしました🙌😭🙌😭🙌

 

前日の朝乃山戦で足首を負傷、取り組み後は車椅子で花道を去り、そのまま救急車で病院に運ばれたため千秋楽の出場すら危ぶまれていた尊富士ですが、まさか今場所好調で10勝をあげている豪ノ山との取り組みで、あんなにも力強く攻め続け優勝を決められるとは夢にも思っていませんでした。

 

優勝が決まった瞬間は、作新学院が甲子園優勝を決めた時に次ぐくらいの感動で、歓声とともに思わず飛び上がり、仕事中にもかかわらずワンワン泣いてしまったため、化粧がすっかり落ちてしまい大変でした😭😱😭

 

 

 

 

歴史を塗り替えるスピード出世の尊富士ですが、実はここまでの道のりは険しく、大学時代は膝の故障によりタイトルを残すような活躍はできませんでした。

 

ただ足を傷めたからこそ上半身を格別に鍛えることとなり、あの小山の如き屈強な筋肉質の肉体を作り上げることができたそうです。

 

伊勢ヶ濱部屋に入門後は、兄弟子の照ノ富士関から「相撲は下半身」と指摘され、“四股”と“摺り足”を徹底して行ったとのことです。

 

照ノ富士は、皆さんご存知の通り自らも怪我や病気に苦しみ、大関から序二段というどん底まで一度落ちてから這い上がって来た不屈の横綱ですので、その言葉は故障に苦しんで来た尊富士の心に、ことさら刺さったことと思います。

 

 

 

 

そして千秋楽を前にして、自力で歩くこともできないほどの大怪我を負った尊富士の心を奮い起こさせたのも、照ノ富士の言葉でした。

 

大阪の宿舎に戻ると照ノ富士が待っていて、「お前ならやれる。記録はいいから、記憶に残せ。勝ち負けじゃないんだ。このチャンスはもう戻ってこない。自分もそういう経験がある」

と声を掛けてくれたそうです。

 

この言葉を聞いた尊富士は「言われた瞬間に少しだけ歩けるようになりました」と、師匠の伊勢ケ浜親方に出場を直訴します。

 

関取人生が始まったばかりの尊富士から、たとえ関取人生が明日終わってもという覚悟で出場したいと伝えられた、親方の心中いかばかりかと察するに余りあるものがあります。

 

実際、尊富士の足首の靭帯は伸びてしまっていて歩くこともままならなかったため、親方はしばらく考えたそうですが、

「歴史的にも大きな一番ですので止められないでしょう。止める方も後悔するし、止められた方も後悔する。僕はちょっと自分自身を我慢して、じゃあやればと話した」

と出場を認めます。

 

運命の千秋楽を迎えた日、伊勢ヶ濱親方はNHKの大相撲中継の解説者を務めていました。

 

平常心では到底いられない状況にありながら、いつも通りのポーカーフェイスで淡々ときめ細かい解説を続けた親方でしたが、尊富士の取り組み後、画面に映し出されたその瞳は潤んでいるように見えました。

 

照ノ富士の“奇跡の復活劇”に続く、尊富士の奇跡も、間違いなくこの親方あって(もたら)されたことと思います。

 

 

 

 

兄弟子・照ノ富士、伊勢ヶ濱親方、そして地元・青森五所川原から見守るご両親やお祖父様・お祖母様など、今回の尊富士優勝ほど温かく熱い愛の力を実感させてもらった大相撲はなかった気がします。

 

地元のパプリックビューイング会場で溢れる感涙をフェイスタオルで拭いつつ「次はバスタオル持ってこなくちゃ」などとチャーミングなコメントを連発された尊富士のお祖父ちゃまが、優勝後に記者たちからインタビューを受け、「ほっぺにチューしたいです」と涙でぐしょぐしょになりながら満面の笑顔で発した一言には、こちらも思わず笑みと涙が溢れ幸せな気持ちにさせていただきました。😂😆😂

 

 

 

 

素晴らしい15日間を、本当にありがとうございました💓

 

照ノ富士も尊富士もどうかしっかり怪我を治して、また胸熱くさせてくれる取り組みをよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京五輪に続きパリ・オリンピックでも水泳飛び込み競技で出場を決めた卒業生の榎本遼香さんが、海外遠征の間隙を縫って作新学院を訪問してくれました。

 

ちょうどこの前日、難関国公立大学の合格発表があり、東京大学2名(文科三類と理科一類)、国公立医学部医学科3名、大阪大、北大、お茶大、筑波大、慶應3名、早稲田6名など有り難い結果をいただくことができ、またこの朝にはセンバツ甲子園に向け選手たちが出立するなど、学院は「文武両道」の喜びに包まれました。

 

榎本さんは中・高6年間を作新で過ごし、中等部時代には既に次世代のオリンピアンとして呼び声も高く、高校総体では高飛び込みと板飛び込みともに優勝を果たしつつ学業成績も優秀で、大学・大学院は筑波大学へと進学しました。

 

 

 

 

ただ中等部時代には、姉のように慕っていた飛び込みの指導教諭が病で夭逝し、また高校3年生では自らも肺に腫瘍が見つかり闘病を経験するなど、競技人生を揺るがす試練に幾度も遭遇しては乗り越えて来ました。

 

どんな困難に出会おうと、決して(ひる)むこともへこたれることもなく、常に果敢に誰より努力を重ね、かつ礼節をわきまえ気遣いや感謝を忘れず、着実に栄光を掴み取るその姿には、ただただ感服しています。

 

やはり神は、最後にこういう人に微笑むのだと思わせてくれる真骨頂のような人物だと、榎本選手の軌跡を見ているとつくづく思います。

 

大学院を卒業し、現在は地元の栃木トヨタ自動車に所属。同社の皆さんの温かくきめ細かいサポートに支えられたお陰で、パリ五輪という晴れ舞台へ再びの道が開けました。

 

 

 

 

8月初旬に行われるパリ本番まで、今月から欧州や中国など世界各地への海外遠征がずっと続くようですが、東京五輪の5位入賞を超えるベストパフォーマンスを心から祈っています🙏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

東日本大震災から今日で13年。

 

復興が叶うその日まで、作新学院は関係者全員が力を合わせて、必ず寄り添い続けると誓って始まった「オール作新」の復興支援活動も、募金、メッセージ雑巾作成、植林、お手紙送付、清掃訪問、震災学習訪問などなど、ささやかではありましたが同じ歳月を積み重ねさせていただきました。

 

そして13年目の今年、元日に発生した能登半島地震。いまだにおよそ1万人の方々が避難され、水道などのインフラ復旧がままならぬ地域も数多く、復興までの道のりを思うと胸が締めつけられます。

 

そんな中、少しでも何か自分たちでも力になれればと先月、栃木県庁ホールをお借りして開催した「オール作新」によるチャリティーコンサート、その動画を本日YouTubeにアップしました。

〈https://www.youtube.com/watch?v=1o0n8dRB8FE&t=2s〉

 

 

 

 

当日は約70名の吹奏楽部の生徒たちが、閉校となった珠洲実業高校さんから譲り受けた真紅のユニフォームに身を包み、被災地の皆さんへの想いを込めた楽曲を披露するとともに、応援部やチアリーディング部も演奏に合わせてエールを送らせていただきました。

 

 

 

 

昨年11月、珠洲市を部員たちが訪れコンサートを開かせていただいた際に作詞・作曲した、珠洲復興応援ソング「HOME〜Grace for all」をはじめ約20曲が演奏されましたが、詳しくは次の画像をご覧いただければと思います。

 

 

演奏後に登場し、センバツ甲子園から被災地へ元気と希望を届けることを誓った硬式野球部の小森一誠主将と小川哲平投手も、ちょうど今朝、宇都宮駅で多くの皆さんに壮行いただき甲子園へと旅立ちました。

 

 

 

 

音楽の力、スポーツの力、そして子どもたちの力が被災地の皆さんに届き、明日を生きる力のほんの少しでも後押しになれれば、こんなに有り難いことはありません。