今日は日本で金環日食が見える日、最大食の少し前に空を見た、
見えない・・・・・
少し待ったら
出た出た。確かに食ってる食ってる。雲が丁度よい程度に光をさえぎっているので肉眼でも問題なかった。
が、観測できたのは20秒程。後は厚い雲に覆われてしまった。
でもよくよく考えると普段の太陽を私は見た事が無い。きっとみんなもそうだろう。と、言うことは、一番みんなに見られている太陽は日食の太陽で、圧倒的大多数の普段の太陽は誰も見ていない事になる。私は普段の太陽を知らない。誰か知っている人いますか????
今日は日本で金環日食が見える日、最大食の少し前に空を見た、
見えない・・・・・
少し待ったら
出た出た。確かに食ってる食ってる。雲が丁度よい程度に光をさえぎっているので肉眼でも問題なかった。
が、観測できたのは20秒程。後は厚い雲に覆われてしまった。
でもよくよく考えると普段の太陽を私は見た事が無い。きっとみんなもそうだろう。と、言うことは、一番みんなに見られている太陽は日食の太陽で、圧倒的大多数の普段の太陽は誰も見ていない事になる。私は普段の太陽を知らない。誰か知っている人いますか????
「それぞれの視点」と題打った聴覚障害者の写真展が大津町図書館で行われた。
彼らの作品の特徴はまさに玉石混交。一人の作品でである。
健常者の場合は全ての作品が例えるならば60点に集中するのだが、彼らの場合は30点と90点が不規則に混在するのである。余りもの変化というか、違いに指導する先生も楽しい事だろう。
中にはハイアマチュアの人も居た。レンズの特性を知り尽くし機能を使い切っての表現は驚く。物体が観るものに語りかけているようだった。
アマチュア無線の免許証が出てきたので、気持ちが動いてしまい、アマチュア無線局の開局申請届けを九州総合通信局に提出した。
以前のアマチュア無線の開局は大変だった。自作が前提のアマチュア無線。いちいち工事設計書を書いたのだが、今ではどんな無線機を使うかを申請するだけ。その為が開局申請手数料が大幅に安くなっていた。そのかわり電波利用料が年間500円取られる。
コールサインは以前使用したJP6FCFを貰う事にした。アマチュア無線は交信したらお互い交信証を交換する習慣があり、以前大量に作った交信証が余っているのだ。それをなんとしても掃きたい。ゴミ箱に捨ててしまう方法もあるが、くまモンも自分の名詞をごみ箱に捨てようとして思いとどまったから私もそうした。
私は基本的にモールス信号しか使わない。ほとんど音声はやらないのだ。モールスの魅力は少ない電力で遠くまで届く事だ。電波が出ている事さえ判れば通信が可能である。それが音声ならばある程度の強さがなければ何を言っているのが判らないのだ。
私は1.9Mhzをよくやっていた。市販されているアンテナは無く、自分で自作するしか無いのだが、それが結構面白い。波長が160メートルだからアンテナは40メートル必要である。発射効率を落としたくなければ容量冠をつけたり、移動運用ならば、凧を使ったりとあっと驚く創意工夫を発揮できる周波数帯だ。また、中短波帯なので昼間の飛びが悪い。夜間でも減衰が多いのでパワー競争でもある。それを逆手に少ない電力でいかに飛ばすかの競技もある。今後は競技無線をどんどんとやっていきたい。
↑くまモン「任務完了」余った名詞をゴミ箱に捨てようとして思いとどまるシーンがあるよ。
今日、パスポートのサインの件で訂正を求められた。ローマ字ならば筆記体で書くように言われていたので、書くスペースが無い事から名と姓に二段に分けて書いたら一段で書くように訂正を求められた。
ならばブロック体で書くと言い張ったら、担当は「ブロック体は真似されるから・・・・」との事。実は迷いが無いシンプルな線程真似が難しいのである。その事は絵を模写する事を考えたら判るだろう。人間の手の骨の長さは各人ばらばら、そのバラバラの骨が組み合わさり、ペンの線を構成している。だから個人個人角度だとかストロークだとかが微妙に異なるのである。それが筆記体ならば補正が利いてしまう。それでガンとしてブロック体を使うと言い張ったら大津町役場の担当者は熊本県のパスポートセンターに問い合わせて、ブロック体OKにしてもらいブロック体で申請をしたのであった。
偽造防止ならばブロック体ですよ。迷い無き線で書きましょう。筆記体は線を複雑にしてしまい、偽造はかえって楽ですよ。
とある研修医に菊陽病院でのデイナイトケアの出来事の感想を聞いたのだが、その研修医はそもそも優等生の意識が強すぎるせいか、どうしても上から言い放つ癖があり、私は日本語教師だと言っても、そもそも日本語教師がどんな知識があるのか知らないで上から頭ごなしに発言し「モーラと言うものがあるからお調べください。」との事。それは例えたら私が医師に向かって「人間は心臓がある」と言っているのと話のレベルは同じなのである。
そのやり取りは
まんじゅしゃげは何文字か。
その医師は
文字としては7文字音としては5音、つまり「7文字、5音」との事。
この段階で私は日本語教師だと言う事を知らせて
私は拗音は文字では無く記号だよ。音とするならば
「m」「a」「n」「j」「u」「sh」「a」「g」「e」の9音だよと書くと
『○○学」「○○学」の羅列を並べだした。多分、患者にこの調子でやるのだろうか。勉強の仕方は十分出来るが人に伝える技術は全く出来てないのかな・・・・と想像してしまう。
そして、あげくの果てには訓令式ローマ字を持ち出して「manzyusyage」とやりだした。これを持ち出してどうしようとしているのか理解不能だったのだが、話をそらせる目的だったのは確かだろう。
養老孟司は「医学部は優秀な学生を凡人にして卒業させる所であり、医学部のあり方としてそれは正しい。」と言う。医師が相手にするのは病では無く、病を持った凡人である。それゆえに医師は凡人の頭脳を持ち、それで対応する事が求められるのである。
□■□ 野暮とは、「紋切り型」「繰り返し」「無頓着」「予測通り」「旧守中心(執着)」「意気地なし」。
□■□ 粋とは、「洗練されている」「創造的」「進(新)取の心」「垢抜け」「芸」「意気地あり」。
菊陽病院デイナイトケアはまさに野暮の真骨頂である。