プリミティブな計算道具から、計算尺、機械式計算機、コンピュータ、シンセサイザ、ロボトロニクスなど、機械器具を使った計算技術とその関連を考えてみた。併せて本ブログの「日本人と数学史」をご覧下さい。
演算機器の歴史(上) 紀元1世紀頃 ~ 1960年(昭和35年)
  演算機器の歴史(中) 1961年(昭和36年) ~ 1980年(昭和55年)
  演算機器の歴史(下) 1981年(昭和56年) ~ 2015年(平成27年)
  演算機器の歴史(まとめ) 1900年前からの世界と日本の関わり
           

1世紀頃 ローマ帝国 ローマ帝国 計算の為の道具は紀元前2700年頃からアバカス(abacus)はメソポタミアで使われ始め、やがてエジプト、ペルシャ、ギリシャ、インド、前漢、インカ、ローマなど、各地で計算道具に変化していったようだ。

右上写真は溝に球を並べるローマ式アバカスの複製で、右下写真は珠を串刺しにした漢の時代の「算盤」の複製である。

1371年 大明国 大明国 明時代の初期の「魁本対相四言雑事」に算盤が出ている。この時代には、天珠2つ、地珠5つで串差しになったそろばんが使われていた。
1573年 日本 日本 珠算書で最も古い「盤珠算法」徐氏心魯でのそろばん図は、天珠は1つで10進法を基準としていたようだが、日本でも6進法、12進法に対応する五玉2つも使われた。
1588年 日本 日本 黒田官兵衛の家来、久野四兵衛重勝が天正16年(1588年)6000石を拝領。豊臣秀吉から授かった「拝領そろばん」。
1614年 イギリス イギリス 対数目盛を利用して「加算により乗算を行う」ことができる。対数はスコットランドのジョン・ネイピア(John Napier)によって発表された。
1617年 イギリス イギリス ネイピアの骨 (Napier's bones) は、ジョン・ネイピアが発明したかけ算や割り算などを簡単に行うための道具。複数桁同士の掛け算や割り算、平方根を求める計算ができる。
1620年 イギリス イギリス エドマンド・ガンター(Edmund Gunter)はジョン・ネイピア(John Napier)の論文から計算尺を発明した。 ガンターが発明した計算尺は長さ60cm、幅4cmの長い板に、数直線とそれに対する三角関数の値と対数値などが刻んであった。
 
1632年 イギリス イギリス 複数の尺をずらして計算する現在の形式の計算尺は、ウィリアム・オートレッド(William Oughtred)が発明した。通常の対数目盛の他、三角関数等の数種の関数値の対数目盛や、理工学・技術の専門分野で使う関数の目盛が付けられた。
1642年 フランス フランス ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)が、歯車式計算機を完成させて50台の試作機を製作。この点でパスカルが機械式計算機の発明者とされる。
  その後10年間に20台の「パスカリーヌ」(Pascaline)計算機を作った。
1672年 ドイツ ドイツ ゴットフリート・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz)は、Pascaline を改良して乗除算を直接計算できるようにした「Stepped Reckoner」を発明した。重要な点は段付歯車機構である。ライプニッツは二進法の提唱者であり、今日のコンピュータは全て二進法に基づいて動作した。
 
1820年 フランス フランス シャルル・グザビエ・トマ・ド・コルマ(Charles Xavier Thomas de Colmar)が開発した「Arithmometer」が最初の量産化された計算機。この形式をトーマス型計算機という。
1836年 フランス フランス 物理学者ガスパール=ギュスターヴ・コリオリ(Gaspard-Gustave Coriolis)が一階線型常微分方程式を積分する機械装置を設計した。
1876年 イギリス イギリス ジェームズ・トムソン(James Thomson)は、微分解析機は積分によって微分方程式を解くよう設計された機械式アナログ計算機を発明した。回転軸と円板を使って積分を行った。
1878年 アメリカ アメリカ フランク・スティーブン・ボールドウィン(Frank Stephen Baldwin)とロシア在住のスウェーデン人のヴィルゴット・テオフィル・オドネル(Willgodt Theophil Odhner)が考案
  したピン・ホイル式の計算機。歯車の組み合わせを工夫して、加算を右回し、減算を左回しで行う方式にした。オドネルは、その設計を公表したため、我が国で作られた計算機はほとんどオドネル型である。
1894年 フランス フランス フランスのマンハイム計算尺を廣田理太郎と内務省官僚・近藤虎五郎が欧米視察の土産として持ち帰ってきたのが始祖とされる。
 
1903年 日本 日本 矢頭良一が「自働算盤」という機械式計算機の特許を取得。歯車式で1個の円筒と22枚の歯車などで構成されている。乗算の桁送りと計算終了を自働判定する機能もあったようだ。200台以上が販売された。
1909年 日本 日本 逸見治郎(ヘンミ計算尺の祖)が日本固有の孟宗竹を使用した、竹製の計算尺を完成。第一次世界大戦により、それまで世界標準だったドイツ製計算尺の生産が途絶えると国内外を問わず計算尺の注文が激増。そこで独自の機械切刻法を案出し大量生産方式を採用した結果、日本製バンブー計算尺として広く名声を博す。
 
1923年 日本 日本 大本寅治郎「タイガー計算器」 オドネル型計算機を参考にして「虎印計算器」を開発。その後「タイガー計算器」と改称(舶来品らしく命名したという)。
1931年 イギリス イギリス ジェームズ・トムソン(James Thomson)の機械式アナログ計算機を、MITのH・W・ニーマン(H W Niemann)とヴァネヴァー・ブッシュ( Vannevar Bush)が実用版の製作して詳細な報告書を出している
1936年 アメリカ アメリカ ジョン・ウィルバー(John Benson Wilbur)が9元までの連立方程式の数値解が得られる求解機を完成させた。世界で数台の同種の機械が製作されたとされている。
1941年05月 ドイツ ドイツ コンラート・ツーゼ(Konrad Zuse)は、さん孔フィルムによる電気機械式プログラム制御、世界初の完全動作するプログラム制御式コンピュータ Zuse Z3 を開発して稼働させた。
  2200個のリレーで構成され、コンピュータの定義に適合する属性をほぼ備えているが、条件分岐命令を備えていない。
1942年 日本 日本 航空流体力学の佐々木達治郎らと昭和航空計器研究部との共同研究により、米国のジョン・ウィルバーの求解機を参考に
  して機械式微分解析機を製作した。1944年に九元連立方程式求解機とした。
1944年02月 イギリス イギリス 第二次世界大戦の期間中、ドイツの暗号通信を読むための暗号解読器を専用計算機としてコロッサス(Colossus)を使用する。真空管とサイラトロンを計算に利用した。
1944年05月 アメリカ アメリカ Harvard Mark I(IBM ASCC)を製作。24チャンネルのさん孔テープによるプログラム制御(ただし、条件分岐命令がない)。ASCCは、スイッチ、リレー、機械計算エンジン、クラッチ、電動モーターなど765,000個の部品で構成された。
1946年02月 アメリカ アメリカ ENIACはアメリカ陸軍の弾道研究室での砲撃射表の計算のために設計され、ペンシルバニア大学で世界初の汎用プログラム能力を備えた電子計算機を完成して公開。真空管1万8800本使用、パッチパネルでプログラミング。
1947年 アメリカ アメリカ 物理学者エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi)は中性子に関する研究のために、モンテカルロ法(ランダム法)によるドラム機械式アナログ計算機「FERMIAC」を開発した。
1948年06月 イギリス イギリス マンチェスター大学でフレデリック・C・ウィリアムス(Frederic Calland Williams)、トム・キルバーン(Tom Kilburn) らが、SSEM(Manchester Small-Scale Experimental Machine)愛称「Baby」を製作し、最初のプログラムが動作した。ウィリアムス管をメモリとした評価用に設計されたものである。現代の電子式コンピュータにある基本要素は全て備えた実働する世界初のコンピュータであった。
1949年05月 イギリス イギリス ケンブリッジ大学のモーリス・ウィルクス(Maurice Vincent Wilkes)と数学研究所のチームは、世界初の実用的なプログラム内蔵方式の電子計算機「EDSAC」を開発した。水銀遅延線メモリによるプログラム内蔵式で、ジョン・フォン・ノイマン(Neumann János)がまとめたEDVACレポート(First Draft of a Report on the EDVAC)による。
1949年11月 オーストラリア オーストラリア オーストラリア連邦科学産業研究機構 (CSIRO) のトレバー・ピアシー(Trevor Pearcey)とマストン・ベアード(Mason
  Baird)が率いるチームが水銀遅延線メモリによるプログラム内蔵式電子計算機「CSIRAC」製作した。
1949年11月 オーストラリア オーストラリア オーストラリア最初のコンピュータ「CSIR Mk1」上で、世界最初のコンピュータ音楽が演奏された。
1951年02月 イギリス イギリス 世界初の商用汎用電子式コンピュータ「Ferranti Mark 1」をフェランティ社(Ferranti International plc)が製造販売を開始した。マンチェスター・ビクトリア大学のフレデリック・C・ウィリアムスとトム・キルバーンが1949年6月に 開発されたManchester Mark I をベースにして、主な改良点は記憶装置の容量増、乗算器の高速化、命令の追加である。
1951年04月 イギリス イギリス 外食・ホテル産業大手 J. Lyons & Company は、商用コンピュータを開発し、LEO I (Lyons Electronic Office) が稼働した。世界初の会社の通常業務を処理するジョブを実行した。続いて11月から傘下であったパン屋の毎週の売り上げ集計をLEO上で行い、これが世界初のビジネスアプリケーションとなった。
1951年06月 アメリカ アメリカ レミントンランド社(現Unisys)がUNIVAC I を販売を開始し、アメリカ合衆国国勢調査局に納入された。46台を売り上げ、1台の価格は100万ドル以上だった。UNIVACは世界で初めて量産されたコンピュータである。
  5200本の真空管を使い、125kWの電力を消費した。一次記憶装置は逐次アクセス型の水銀遅延線で、不揮発性の記憶装置として新たに発明された金属磁気テープと高速磁気テープ装置を備えた。
1951年 アメリカ アメリカ 電子回路などでニューラルネットワークをアナログ的に実装した 世界初のランダム結線型ニューラルネットワーク学習マシン、SNARC(:Stochastic neural analog reinforcement calculator)を、マービン・ミンスキー(Marvin Minsky)と Dean Edmonds が作った。SNARCは、現在のAIの基礎となった。
1952年 アメリカ アメリカ IBMは IBM 701 を発表。700/7000シリーズの最初の機種であり、IBMのメインフレームの始まりである。1954年の IBM 704 では磁気コアメモリを採用し、その後の大型コンピュータで標準的に使われるようになった。
1954年10月 日本 日本 富士通が最初に製作したFACOM 100 コンピュータであり、日本最初期のリレー式計算機であった。
1954年 アメリカ アメリカ フォートラン(FORTRAN)は、IBMのジョン・バッカス(John Warner Backus)によって考案された。コンピュータにおいて広く使われた、プログラミング史上最初の高水準言語である。
1956年03月 日本 日本 FUJICは1956年に完成した、日本で最初に稼働した電子式コンピュータである。2極管約500本、3極管など約1200本の計約1700本。並列式でこの数はそれなりに節約されたものと言える。
1956年07月 日本 日本 電気試験所の和田弘を部長とする電子部は、トランジスタを研究する部門であったが、その中の回路技術研究室の高橋茂、西野博二らは1955年からトランジスタによるコンピュータ「ETL Mark III」の開発に着手した。
  1956年7月に世界的に見ても最初期のトランジスタ計算機となった。
1956年 日本 日本 富士通最初の商用コンピュータ FACOM 128 を完成。
1957年11月 日本 日本 電気試験所は、商用化事務用途を考慮したトランジスタ式計算機「ETL Mark IV」が完成した。BCDを基本方式として、磁気ドラムメモリを使用した。機械部分は北辰電機製作所に、磁性体はテープレコーダーの東通工が開発した。また、Mark IV を利用した機械翻訳機「やまと」が開発された。その過程で文字認識装置も開発されている。
1957年 アメリカ アメリカ 世界初の高級汎用プログラミング言語FORTRANも、IBMが704向けに1955年から開発したもので、年初にリリースされた。
1957年 アメリカ アメリカ ベル研究所のマックス・マシューズ(Max Mathews)はMUSICと呼ばれる、ディジタル信号の生成・処理プログラムを開発した。これはディジタル・シンセサイザーやソフトウェア音源の元祖と言われている。
1958年03月 日本 日本 後藤英一によって発明されたパラメトロンを利用した試作機「NEAC-1101」の開発計画が立てられ、開発がスタートした。1957年に組み立てが完了して稼動。これが日本電気初のデジタルコンピュータとなった。
1958年10月 日本 日本 国鉄は貨車の集配用の通信系と、それを通じて集めた貨物日報を処理する日本で最初の磁気コアメモリを採用した実用の貨報計算機を富士通が完成させた。
1958年 アメリカ アメリカ Kerny & Trecker社が、水平主軸をもち、自動工具交換装置、工具マガジン、パレット割出装置、パレットチェンジャーを備えたNCフライス盤を、世界で初めてマシニングセンタと名付けて発表。
1959年 ポーランド ポーランド ジャセク・カルピンスキー(Jacek Karpiński)は、エンジニアと協力して電子式アナログ計算機「AKAT-1」を作った。
1960年01月 日本 日本 国鉄で座席指定券類の予約・発券のためのコンピュータシステム「マルス」(MARS = Multi Access seat Reservation System)を導入。マルス1は最初のマルスで、国鉄の座席予約専用のシステムだった。
  ハードウェアは専用に設計されたもので、記憶装置としては磁気ドラムを採用した。
1960年04月 アメリカ アメリカ CODASYL(Committee on Data Systems Languages)執行委員会によって、最初の仕様書は1960年4月に発行され、通称「COBOL-60」と呼ばれている。アメリカ政府の事務処理システムは全てCOBOLのみで納品されることとなった。これに伴い、COBOLは事務処理用言語として世界中に普及することになった。
1960年 アメリカ アメリカ ヒースキット(Heathkit)は、199ドルの教育用アナログコンピュータ「EC-1」を発売した。真空管式で、部品をパッチコードで配線して使用する。

演算機器の歴史(上) 紀元1世紀頃 ~ 1960年(昭和35年)
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