演算機器の歴史(上) 紀元1世紀頃 ~ 1960年(昭和35年)
演算機器の歴史(中) 1961年(昭和36年) ~ 1980年(昭和55年)
  演算機器の歴史(下) 1981年(昭和56年) ~ 2015年(平成27年)
  演算機器の歴史(まとめ) 1900年前からの世界と日本の関わり
           

1961年10月 アメリカ アメリカ 世界初の電卓「Anita Mark8」をBell Punch and Sumlock-Comptometerが、真空管式の電卓を発売。
1963年03月 日本 日本 FACOM 231は、従来の小型機が固定長ワード指向で主記憶にドラムを使用していたのに対し、可変長ワード指向で汎用機を目指し、主記憶にはコアを使用した。IBM 1401の発表に刺激され、より効率の良い可変語長機を検討して決定された仕様である。
1963年 アメリカ アメリカ ドン・ブックラ(Don Buchla)は、おそらく世界初となる現代的なアナログ式モジュラー・シンセサイザー「Buchla 100 series」を開発した。
1964年04月 アメリカ アメリカ IBMは、あらゆる用途向けで上位モデルから下位モデルまで、アーキテクチャを統一したSystem/360を発表した。IBMがSLT(Solid Logic Technology)と呼ぶハイブリッド的な回路技術を使用し、チップ上に回路が作り込まれたいわゆる集積回路ではなかった。また、主記憶にはコアを使用していた。
1964年05月 日本 日本 FACOM 231の機能を完全に包含、プログラムが変更なしに完全に動作する互換性を実現し、さらに高速化した。次に述べるFONTACが、製品化の際にFACOM 230-50としたのにあわせ、FACOM 230-30と改名された。
1964年06月 日本 日本 早川電機(現シャープ)が電子式卓上計算機CS-10Aを3月に発表、6月に535,000円で発売した。これは当時の普及していた電動の機械式計算機の50万円台を目安とした。
1964年09月 アメリカ アメリカ 電子工学博士、ロバート・モーグ(Robert Moog)は、New York State School Music Associationの会合でシンセサイザーの提案を行い、電子音楽作曲家ハーブ・ドイチ (Herb Deutsch)と知己を得た。
  1964年7月~9月に行った共同開発作業により「The First Moog Synthesizer」が製作された。
1964年10月 日本 日本 キャノン(株)が、トランジスター、ダイオードによる構成で世界初のテンキー方式の卓上計算機「キヤノーラ130」を395,000円で販売した。13桁4則、光点式表示。現在に近い操作性をもっているのが大きな特徴である。
1965年03月 アメリカ アメリカ 世界で初めて商業的に成功した12ビットミニコンピュータ「PDP-8」は、1960年代にディジタル・イクイップメント・コーポレーション (DEC) が製造し、1965年3月に登場し、5万システムを売り上げた。
1965年11月 日本 日本 富士通、沖電気、日本電気の三社共同開発によるFONTAC(Fujitsu Oki Nippondenki Triple Allied Computer)コンピュータが完成。本格的なマルチタスクシステムを実現している。基本的にハードウェア技術の研究に終始した。
1965年 イギリス イギリス OMRON製、初期のキャッシュディスペンサーが設置。但し引出す金額を指定することができず、10ポンド単位でお金が出てくるものだった。現在のように、引出したい金額を指定できる機械が普及し始めたのは、1970年に入ってからのこと。
1965年 アメリカ アメリカ IBMが1964年に発表したメインフレームコンピュータであるSystem/360用のオペレーティングシステム 「OS/360」 を開発。本格的な商用のOSとしては世界初であった。
1966年07月 日本 日本 ベンチャー企業の日本計算器販売(1970年ビジコンに社名変更)が「Busicom 161」を発売。記憶回路にトランジスタだけでなくコアメモリを採用することで298,000円の価格設定に成功する。
  目論み通り価格の安さで大ヒット商品となり、たちまち電卓市場の10%のシェアを確保する。
1966年10月 日本 日本 牧野フライス製作所が自動数値制御工作機「マシニングセンタ」の国産第一号機を開発。
1969年 アメリカ アメリカ UNIX (ユニックス)は、コンピュータ用のマルチタスク・マルチユーザーのオペレーティングシステムの一種で、は1969年、AT&Tのベル研究所にて、ケン・トンプソン(Kenneth Thompson)、デニス・リッチー(Dennis Ritchie)、ブライアン・カーニハン(Brian Kernighan)、ダグラス・マキルロイ(Douglas McIlroy)、マイク・レスク(Mike Lesk)、ジョー・オサンナ(Joe Ossanna)らが開発を開始した。当初のUNIXはアセンブリ言語で記述されていた。
1969年 アメリカ アメリカ EMSの 電子音楽スタジオ用コンピュータ制御システム EMS Musys III上で、世界初のサンプリング楽器が実現された。
1969年 日本 日本 日本においてキャッシュディスペンサーが誕生。金額を指定できず、1,000円札を10枚1束にして、引出す方式を三井銀行が導入。
1971年10月 日本 日本 ビジコン社は、インテル社と共同開発した「インテル 4004」で、世界初のマイクロプロセッサを搭載した電卓「ビジコン 141-PF」を発売。
1972年 アメリカ アメリカ ヒューレット・パッカードは世界初のポケットサイズの関数電卓「HP-35」を発売した。発売当時の価格はアメリカで395ドルであった。
1972年08月 日本 日本 カシオは「カシオミニ」(Casio Mini) を12,800円の低価格でパーソナル向けで大ヒットした。電卓の価格破壊とパーソナル化を象徴する製品。
1973年02月 フランス フランス R2E(Réalisation dÉtudes Électroniques)社は、マイクロコンピュータ「Micral N」が製造・販売された。最初期の商用完成品パーソナルコンピュータであるとされている。
1974年05月 日本 日本 ソード電算機システム(現 東芝東芝プラットフォームソリューション)は、第48回ビジネスショウで8080を使用したマイクロ・コンピュータ「SMP80/20」を発表し、同年10月に発売した。
1974年12月 アメリカ アメリカ MITS(Micro Instrumentation and Telemetry Systems)社が「Altair 8800を」開発し、一般消費者向けに販売された、個人向けコンピュータである。
1975年04月 アメリカ アメリカ ビル・ゲイツ(Bill Gates )とポール・アレン(Paul Allen)らによってマイクロソフト(Microsoft Corporation)が設立された。当初は世に登場して間もない8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「アルテア」(Altair)上で動く、BASICインタプリタの開発・販売で成功を収めた。
1975年 アメリカ アメリカ インテルの評価キット「SDK-80」が135,000円で発売。それまでの評価キットはボードに既に部品が付いている完成品であったが、SDK-80は未配線で必要な部品をセットにしただけの組立キットであった。
1976年05月 日本 日本 東芝からTLCS-12A EX-0が定価99,000円で発売された。電源装置を別途用意すれば、12ビットのLED表示とディップスイッチを使ってテレタイプ端末などの入出力機
  器を必要とせずに動作させることができる日本国産初のワンボードマイコンである。
1976年07月 アメリカ アメリカ スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)とスティーブ・ウォズニアック(Stephen Wozniak)が起業したアップルで、最初期に製作したマイクロコンピュータ「Apple I」が披露された。
1976年08月 日本 日本 日本電気(NEC)から8080互換(国産)マイクロプロセッサの評価・教育用ツールとしてボードコンピュータ「TK-80」を定価88,500円で発売した。
  当時としては格段に安価で単独動作が可能だったことで、企業の教育用に止まらず、多くのコンピュータ・マニアに愛用されることになった。
1976年 アメリカ アメリカ シーモア・クレイ(Seymour Cray)率いるクレイ・リサーチ社が設計したベクトル型スーパーコンピュータ「Cray-1」を完成し、ロスアラモス国立研究所に納入された。この種類のコンピュータの基本構成を確立し、当時世界最高速であった。
1976年 アメリカ アメリカ デジタルリサーチ (Digital Research Inc.) の創業者ゲイリー・キルドール(Gary Arlen Kildall)は、8ビットパソコン用のシングルユーザー・シングルタスクのオペレーティングシステム「CP/M」(Control Program for Microcomputer)を発売した。CP/MはマイクロソフトのMS-DOS→WIndows、アップルOSにつながる道を開いた。
1977年09月 日本 日本 ソード電算機システム(現 東芝東芝プラットフォームソリューション)がオールインワン・コンピュータ「M200」を発売した。これはコンピュータ本体とキーボード・モニタ・5インチFDDなど、必要な周辺機器を一体化したオールインワン・コンピュータであった。
  BASICを採用していたが、150万円と当時マイコン対象層には、あまりにも高価であり「パーソナル・コンピュータ」とは言い難たかった。
1977年10月 カナダ カナダ コモドール(Commodore)社がホーム/パーソナルコンピュータとして「PET 2001」は世界初のものとされるものである。PET(Personal Electronic Transactor})は個人用電子実行機の意味で、カナダやアメリカの教育市場でよく売れた。
1977年11月 アメリカ アメリカ タンディ・コーポレーションが製造しラジオシャックが販売したマイクロコンピュータ「TRS-80」が、QWERTY配列のフルストロークのキーボードを備え、小型であり、浮動小数点数をサポートしたBASICプログラミング言語を内蔵し、モニターが付属して600ドルで発売された。
1977年11月 日本 日本 精工舎(現 セイコー)から業務用コンピュータ「SEIKO 5700」が発売された。蛍光表示管、プリンタを内臓し、科学計算に特化してフォートランを採用。キーボードも専用入力を意識したデザインであった。
  土木、測量、建築分野の技術科学計算用途を対象として、125~180万円と高価だった。
1978年09月 日本 日本 日立は、国内初の8ビットパソコン「ベーシックマスター」(Basic Master)を発売した。CPUはモトローラ社の6800系で、組立ての必要ない完成品ながら定価188,000円。また「パーソナルコンピューター」という言葉を日本で最初に大々的に使ったのは日立である。
1978年11月 日本 日本 シャープは、BASIC言語などをROM化しないクリーンコンピュータとして「MZ-80K」を発売した。8ビットZ80系CPU、モニター・ディスプレイを一体内蔵し、カセット・テープをストレージ・メディアに使用した。
  Kタイプは組立てキットで198,000円。Cタイプは完成品で268,000円。
1979年09月 日本 日本 日本電気 (NEC) が、同社初の完成品となるパーソナルコンピュータ「PC-8001」CPUボード内蔵キーボード一体型を価格108,000円で発売した。
  同社ボード・コンピュータ(TK-80)からの継承もあり、数多くのソフトウェアや周辺機器が販売された。販売は、日本国内だけでなく海外でも行われていた。
1979年10月 アメリカ アメリカ アップルが1977年に発表した「Apple II」を1298ドルで発売した。CPUにモステクノロジー社MOS6502を使用し、5インチ・フロッピーディスクドライブ(diskII)、グラフィック・タブレット、インターフェイス・カードなどI/O拡張性が豊富で各種ソフトも充実していった。
  パーソナルコンピューター教育現場などでも用いられ、米国ではホームコンピュータ(Home computer)というジャンルは受け入れられ定着したものとなった。
1980年 日本 日本 ヤマハはFMアルゴリズムを使った画期的なディジタルキーボード GS1を発売し、1983年には普及価格のDXシリーズを発売して、音楽界に一大旋風を巻き起こした。
 
  FM音源は周波数変調を用い複雑な倍音を持った金属的な響きを特徴とし、多くのミュージシャンが積極活用した。

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