演算機器の歴史(上) 紀元1世紀頃 ~ 1960年(昭和35年)
  演算機器の歴史(中) 1961年(昭和36年) ~ 1980年(昭和55年)
演算機器の歴史(下) 1981年(昭和56年) ~ 2015年(平成27年)
  演算機器の歴史(まとめ) 1900年前からの世界と日本の関わり

           
1981年 アメリカ アメリカ IBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは1981年から「MS-DOS」と呼んでいた。
1981年 日本 日本 富士通初の8ビットパソコン、FUJITSU MICROシリーズ(FMシリーズ)の第一弾として1「FM-8」を発売。バブルメモリやフロッピーディスクがオプションで接続でき、メインメモリ64KB、本体価格21万8千円。
1981年 日本 日本 富士通がパナファコムと共同開発した16ビットビジネス用パソコン、FACOM9450。エンドユーザの簡易な事務処理からホストコンピュータとの連携処理まで、広範な利用を可能にした。メインメモリ124KBで本体価格75万円、
1981年 日本 日本 カシオ計算機は、世界初のVLSI化されたワンキーボード電子楽器「VL-1」を開発し、電卓、シンセサイザー、ミュージックシーケンサーの機能を持って、35,000円で発売された。
 
1982年03月 アメリカ アメリカ アメリカ国防総省は全ての軍用コンピュータ網のためにインターネットの接続手順と方法(TCP/IP)標準を作成。
1982年10月 日本 日本 NECは、16ビットパソコン「PC-9801」を298,000円で発売した。CPUに16ビットのNEC製μPD8086(5MHz)、インテルの8086ファミリチップを採用した。
  ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズを上位継承したことで、従来のPCユーザーが取込みやすいように工夫されていた。また、高速な日本語表示のためにテキストVRAMを搭載していた。
1983年06月 日本 日本 パソコン・メーカーに対して、出遅れた家電メーカーの団結を背景として、MSX規格が考案されて発表した。米マイクロソフトと日本のアスキーによって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格で、
  プログラムにフロッピー・ディスクやROMカートリッジが使える。また既存のパソコン同様に、キーボードが使えた。
1983年07月 日本 日本 任天堂から家庭用ゲーム機としてファミリーコンピュータ (Family Computer) が「HVC-001」が発売された。8ビットCPUは専用LSIのリコー製RP2A03。ゲームプログラムは専用のROMカートリッジで提供したことでソフトを一元的に管理するビジネスモデルとなった。
1983年09月 アメリカ アメリカ TCP/IPに対応したUnix系OSである4.2BSDが登場。1980年代後半には日本の大学でもUnix系OSが用いられているところでは大学内ネットワークにTCP/IPが用いられていた。
 
  そして今までパソコンとは疎遠だった子供や女性から、瞬く間に全国に普及した。1985年10月アメリカで販売したのを皮切りに世界にも広がった。
1983年 アメリカ アメリカ Lotus 1-2-3 は、ミッチ・ケイパー(Mitchell David Kapor)発案のもと、ジョナサン・ザックス(Jonathan Sachs)により開発された。家庭でも、学校や仕事でもPCと最も相性の良と云われる表計算は、パソコンの普及に最も貢献した貢献した。中でも Lotus 1-2-3 はMX-DOS、PC/AT互換機に欠かせないソフトであった。
1984年06月 日本 日本 トロン(TRON)プロジェクトは、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトが開始された。プロジェクトが目指した最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ=HFDS」を掲げた。
トロンは汎用パソコンの主流のオペレーティングシステムには成れなかったが、現在でもリアルタイム処理を必要とする工作機械の心臓部からデジタル家電まで幅広く使用されている。
1984年08月 アメリカ アメリカ IBMがパーソナルコンピュータ 「モデル5170」 を発売した。
これを機に、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した。いわゆる「PC/AT互換機」全般や、そのアーキテクチャー群がMS-DOSと共に世界に拡大した。
1985年8月 日本 日本 ワープロ用ソフトウェアを手掛けていたジャストシステムは、PC向けワープロソフト「一太郎」を発売。またPC上で日本語使う様々なプログラムと連動した。
  日本人がPCを使う上で日本語入力、漢字変換は欠かせないので、PC-9800やDOS/V機ではATOK(一太郎の日本語変換ソフト)が使われていた。
1985年11月 アメリカ アメリカ マイクロソフト(Microsoft)のウィンドウズ(Windows)が登場。初期バージョン「Windows 1.0」は独立したOSではなく、MS-DOS上で稼動するGUIを実現するアプリケーションであった。
後にのちに、GUI環境で先行していた1984年登場のMac OSを追い越して世界のパーソナルコンピュータ市場でトップシェアとなり、2009年10月にはインターネット上で使用されているクライアントの市場シェアの約90%を得た。
1985年 アメリカ アメリカ インターネットアーキテクチャ委員会は、コンピュータ産業のために3日間のTCP/IPワークショップを挙行した。250の業者代表が参加し、TCP/IPの普及を助け、商用利用の増加に繋がった。
1985年 日本 日本 日本電気 (NEC) が開発・提供したスーパーコンピュータ「SX-2」は世界で最初にGFLOPSを越えたスーパーコンピュータで、Cray-2に抜かれるまでのひとときであったが世界最高速であった。
1988年08月 日本 日本 JUNET(Japan University NETwork)に大きく関わった村井純によって日本からのインターネットへのTCP/IP接続試験が行われた。
1988年 日本 日本 NTTが日本の主要都市(全都道府県庁所在地)を結んだ光ケーブル網を完成させた。この時期からインターネットへ接続する機器、OS等の開発が始まった。当時のインターネットの利用目的はFTPによるファイル転送とSMTPによる電子メール交換であった。当時は電話回線をサーバー(プロバイダー)に、その都度接続してログインする方法がとられた。
1989年09月 日本 日本 1989年9月、最初の日本語による解説書である西田竹志著「TCP/IP」が出ると、一般のパソコン愛好者にも電子メールの交換などの利用が広がって行った。
1991年 日本 日本 JUNETからドメイン名割り当て業務を引き継いだJNIC(現在の日本ネットワークインフォメーションセンター)が誕生し、IPアドレス・ドメイン名などの割り当て業務を行う事となる。これを機に、インターネットイニシアティブ(IIJ)などの商用インターネットサービスプロバイダ(ISP)が創業し、大手企業や通信・コンピュータ関連企業が光ケーブルにより、各ISPと専用線接続を始めてからインターネットが確立していくようになる。
1998年11月 日本 日本 ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。
1990年05月 アメリカ アメリカ マイクロソフト(Microsoft)「Windows 3.0」は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)。1991年に発売された改良版「Windows 3.1」が爆発的に売れた。
1990年10月 日本 日本 日本IBMが「PS/5535-S」で初めてVGAのみを搭載した機種で、それに対応したOS「IBM DOS バージョンJ4.0/V」を発表した。これがDOS/Vの最初のバージョンになった。
1991年09月 スェーデン スェーデン リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)は「Linuxカーネル」を開発し、一般に公開した。開発を促進するために、Linuxのファイルはヘルシンキ工科大学のFTPサーバ (ftp.funet.fi) にアップロードされた。トーバルズの協力者であり、当時そのサーバの責任者であったレムケは、トーバルズに相談することなく、サーバ上のプロジェクトに「Linux」という名前をつけた。
1993年06月 アメリカ アメリカ Hillis と Sheryl Handler はシンキングマシンズ社を創業し、AI研究、CM-5 では、アーキテクチャを完全に変更し、Fat Tree構成のネットワークでSPARC RISCプロセッサを接続し、MIMD方式で動作した。
  世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)によりランク付けでTOP500の第1回首位に輝く。
1993年11月 日本 日本 航空宇宙技術研究所が研究用に構築した数値シミュレーション向けのスーパーコンピュータ「数値風洞」が、世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)でランク付けTOP500で首位になる。
1994年06月 アメリカ アメリカ カリフォルニア工科大学で開発された、インテルパラゴン「Paragon XP/S 140」が、TOP500の首位になる。
1994年11月 日本 日本 富士通「数値風洞」1995年11月まで、1996年6月は日立「SR2201」、1996年11月は日立「CP-PACS」がTOP500の首位を2年半維持した。
1994年12月 日本 日本 ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE)から家庭用ゲーム機「プレイステーション」(PlayStation)、が発売された。
  置き型の家庭用ゲーム機史上初めて累計出荷台数が1億台を突破した。
1996年 日本 日本 本田技研工業(HONDA)が人型をしたロボット「Prototype Model P2」の開発が正式に発表された。後の「ASIMO」の二足歩行ロボット。開発の途中でローマ教皇庁に人間型ロボットを作ることの是非について意見を求め、問題がないことを承認してもらった。
1997年06月 アメリカ アメリカ インテル(Intel)スーパーコンピュータ「ASCI Red」が2000年6月までTOP500の首位になり、引き続きIBMの「ASCI White」が2001年11月まで首位になった。
2000年 日本 日本 本田技研工業(HONDA)が、世界初の本格的な二足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。予測運動制御によって重心やゼロモーメントポイント(ZMP)を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下り、旋回、ダンスなども可能。
2001年11月 アメリカ アメリカ マイクロソフトが開発および販売を行った家庭用ゲーム機「XBOX」で、ゲーム市場に参入した。Windows 8ではエンターテインメント
  Xboxは固定されたゲームプラットフォームだったが、ブランド、Windows 10ではゲームをコアとしたサービスプラットフォームと広がりを見せている。
2002年06月 日本 日本 JAMSTECと日本電気が「地球シミュレータ」は、スーパーコンピュータの計算性能のTOP500で IBM ASCI White に5倍の差をつけて首位を獲得し、2004年6月まで2年半の長期に渡ってトップを譲らなかった。
2004年11月 アメリカ アメリカ ブルージーン(Blue Gene)プロジェクトがローレンス・リバモア国立研究所と共同で開発されたスーパーコンピュータ「Blue Gene/L」は、地球シミュレータを抜いて当時の世界最速のスーパーコンピュータとなった。
 
2009年11月 日本 日本 政府の「事業仕分け」で、当プロジェクトは「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定された。
2010年10月 中国 中国 国家超級計算天津中心は主要なセンターの一つである。スーパーコンピュータ「天河一号A」により、TOP500で初めて1位を樹立した。
 
2011年06月 日本 日本 文部科学省の次世代スーパーコンピュータ計画の一環として、理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータ京(K computer)がTOP500で1位を獲得した。2012年9月以降は、地球物理、生理学、天文科学、気象地震、製造技術など共用が開始された。
 
2013年06月 アメリカ アメリカ ローレンス・リバモア国立研究所の「Sequoia Blue Gene/Q」がGraph500で首位になる。TOP500では有効に計測されない大規模データ処理の処理性能を競うGraph500が公表された。
2013年06月 アメリカ アメリカ ローレンス・リバモア国立研究所の「Sequoia Blue Gene/Q」がGraph500で首位になる。TOP500では有効に計測されない大規模データ処理の処理性能を競うGraph500が公表された。
2013年11月 日本 日本 東京工業大学 「TSUBAME-KFC」がGreen500で、日本製スパコンとして初めて1位を獲得した。Green500は、世界で最もエネルギー消費効率の良いスーパーコンピュータを定期的にランク付けし評価するプロジェクトである。
  日本では「スーパーコンピュータの省エネ性能ランキング」などと呼ばれる。2014年6月まで2年連続1位。
2013年11月 中国 中国 国家超級計算広州中心ではスーパーコンピュータ「天河2号}(MilkyWay-2)がTOP500で首位になり、その後「天河-1A」が2015年11月まで首位となった。以降2016年11月時点で「神威・太湖之光」がTOP500で1位。
2014年06月 日本 日本 理化学研究所と富士通の「京」が、Graph500で首位になり、以降2016年6月まで3年連続トップになっている。
2015年06月 日本 日本 理化学研究所とペジー・コンピューティング(PEZY Computing)の「菖蒲」(Shoubu)がGreen500で首位になり、2016年6月までの3期トップを守った。

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